『新サクラ大戦』が継承した『サクラ大戦』らしさとは何なのか? 「モテるが刺されない主人公」と「LIPSの存在意義」をいま考える

 2019年12月12日、セガゲームスよりPlayStation 4向けに『新サクラ大戦』が発売された。

 『サクラ大戦』は、1996年にセガサターンで発売され、大人気を博したシミュレーションアドベンチャーゲームだ。

 当時としては非常にめずらしかったエピソード型の構成。アイキャッチ、一話ごとの次回予告を取り入れ、テレビアニメを強く意識した作りとなっていた。
 恋愛要素を盛り込んだアドベンチャーパートと、スチームパンク風のメカデザインを取り入れた「霊子甲冑」と呼ばれる兵器を駆使するターン式シミュレーションゲームパートとの、二重構造のゲームデザインも特徴。
 当時のゲームハードの進化の恩恵を追い風にしたアニメーションをふんだんに使用することで、当初から非常に新しく、かつ完成度の高いゲーム作品として高い評価を受けている。

 その人気はナンバリングタイトルの発売に留まらず、舞台化、OVAを始めとしたアニメーションなど展開を広げていく。メディアミックスのお手本のような広がりで、一部のコアなファンのみならず、多くのライトユーザーを巻き込み知名度を上げ、関連商品だけで枚挙に暇がないほどの大人気IPへと成長した。

 その『サクラ大戦』がナンバリングを外し、「新」と銘打たれたリブート版へと形を変えて、2019年に戻ってきた。
 旧作のプレイヤーからはすでに一種の伝説とされ、旧作に触ったことのないゲームプレイヤーの方が多いのではないかと思われる作品である。

 興味の中心は「『サクラ大戦』らしさとは、いったい何を指しているのか」という大命題に集約される。

 2019年、最後のナンバリング『サクラ大戦V ~さらば愛しき人よ~』からは実に14年ぶり、最初の『サクラ大戦』から数えれば実に23年を経て制作された正統後継作は、どこまで旧作のエッセンスを維持しながら今の時代のビデオゲームへと進化したのだろうか。

ライター/Nobuhiko Nakanishi
文/ishigenn


現代風なアレンジを上手く入れ込んだ『新サクラ大戦』

 物語は架空の歴史を経た太正二十九年、帝都で始まる。過去のナンバリングタイトルでは帝都、巴里(パリ)、紐育(ニューヨーク)と舞台を移してきシリーズ作品だが、今作では元の帝都へと舞台を戻している。

 過去の華撃団が大戦により消滅した十年後の世界、新たな隊員を迎えた帝国華撃団とその隊長が織りなす日常と、大いなる敵との戦いが主軸となったストーリーが展開される。

 登場人物は一部を除いて一新され、真宮寺さくらの代わりに幼少期にさくらに助けられ憧れている「天宮さくら」がメインヒロインに抜擢。その他のメンバーも、初代初期メンバーをどこかしら彷彿とさせるビジュアルとキャラクターを継承した個性あふれる面々がおり、いかにも「原点回帰」を思わせる造形だ。

 さらに「帝国華撃団」のほかに、「上海華撃団」、「倫敦華撃団」、「伯林華撃団」など、世界各地の華撃団が登場する。各話ごとに、弱小になってしまった帝国華撃団所属の各メインキャラクターのバックグラウンドストーリーを追いながら、「世界華撃団大戦」という各世界の華撃団同士の競技大会を軸にして物語が進み、最終的には世界の危機へと展開していくことになる。

 この点については、初代に比べて弱小チームが成長しながらライバルたちと戦う「スポーツ根性もの」のテイストは濃くなっているものの、「華撃団として大きな目的に向かっていく」という姿勢には大きな変化はない。

 むしろ、何か得体の知れない巨大な敵と戦っているだけの物語よりも、そのともに勝利を目指す成長譚において、はるかにメインキャラクターもサブキャラクターもカラフルに躍動している。
 些細なことではあるが、初代の帝国華撃団よりもキャラクター同士の関係が最初から良好に見えるのは、当世風と言えなくもないかもしれない。

 各話の展開の方法も初代から続く、いわゆるテレビアニメ形式で作られており、大きくAパートが日常編とすればBパートは戦闘への流れと収束、次回予告へ繋がる流れは崩していない。
 大きな物語を意図的にぶつ切りにすることで生まれる一種のメリハリを意識したのであろう初代の構造をしっかりと踏襲している。

 ほぼメインパートと言える日常パートは時代の流れの中、トップビュー視点の移動から完全3D化された。システム的に大きな変化はないものの、やはりキャラクターが3Dで動くのは今までと違った愉しさがある。

 戦闘パートは大きく変わり、マス移動型のシミュレーションからアクションゲームへと変貌を遂げた。『サクラ大戦』における戦闘パートは、物語の展開のために発生するミニパートという側面が強い。ゆえにシミュレーションからアクションゲームに変わったことがゲーム体験全体に及ぼす影響は、良くも悪くも極めて限定的だ。

 戦闘パートが日常パートでの行動の成果であり、今川泰宏監督風のロックな合体攻撃を見る場所だと思えば、大きな差異はない気がする。

『サクラ大戦』を『サクラ大戦』たらしめていた「主人公」

 俯瞰して全体を見渡せば、初代『サクラ大戦』をリスペクトしつつ現代風なアレンジが成功している『新サクラ大戦』。プレイヤーにビデオゲームとしての進化の息吹をしっかりと感じさせつつ、エッセンスとしての『サクラ大戦』をしっかり継承している。

 特筆しておきたいのは、本作が『サクラ大戦』を『サクラ大戦』たらしめる極めて重要なエッセンスを決して見逃さなかったことだ。それはヒロインたちの可愛らしさや演出のケレン味、物語の熱さではなく、帝国華撃団・花組の初代隊長、大神一郎の「魂」と「遺伝子」である。

 プレイヤーによってそれが主な目的か、あるいは副次的な結果なのかは微妙に違うだろうが、『サクラ大戦』には「恋愛アドベンチャー」という要素がある。つまり物語の中で華撃団メンバーとの親密度を高め、ある時点でメインヒロインを決定。その女性との恋愛のルートが展開されるわけだ。

 もちろん、初代『サクラ大戦』では隊長の大神一郎が恋愛相手の任を引き受けており、文字どおり“勝手に動く身体という特技”をいかんなく発揮しながら、華撃団メンバーの寵愛を一手に集めていた。

 驚くべきことに、そのはてしなく見境もない天性の魅力は、実はほぼ男性であったろうプレイヤー層にも溺愛されるほどに凄まじかった。旧作の未プレイの方の多くは『サクラ大戦』を誤解しているかもしれないが、『サクラ大戦』は作中随一の人気キャラクターである「大神一郎」をプレイすることが、大きな魅力であるという側面も確実にあったのだ。

 非常に嬉しい誤算だったのは、『新サクラ大戦』の主人公「神山誠十郎」がその魂をしっかりと継承し、魅力的なキャラクター造形をしていたことだ。

 イケメンであり、強く熱血で誠実、劇場のもぎりもこなす有能でありながら、極めて本能に忠実。2秒前にA女史と愛の語らい(に見える会話)をしていたかと思えば、瞬時にB女史といちゃつき(に見えるコミュニケーション)をし、その数分後にはC女史の目を見て赤面させるという八面六臂、天下無敵の八方美人ぷりは、そんじょそこらのギャルゲーの主人公では足元にも及ばない。

 その機を見るに敏としかいいようのない変わり身の早さと展開力はシリーズ中随一で、正直いつ誰に刺されてもおかしくないほど股をかけていた初代隊長に勝るとも劣らない。

 異様なまでに高スペックな彼の「永久に俺のターン」と言わんばかりのハーレム状態は、現実世界の世間一般論と比較すれば、同性に好かれる要素とは言えない。
 しかし、それが違うのだ。「本当にモテる男は同性にもモテる」。「大神さんなら仕方ない」と多くのプレイヤーに言わしめた伝説の隊長の後塵を排すことなく、愉快な日常の中「神山誠十郎」という新しいカリスマとして描かれている。

 少なくとも本作をプレイ中、筆者のスクリーンショットの8割は可憐な乙女たちではなく神山誠十郎のものだったのだから、自分でも不思議で仕方がない。それはおそらく、物語の良さに起因するものだろうし、キャラクターの設定や見た目から自然に惹起される感情とも言える。

『サクラ大戦』の主人公の魅力を表現する「LIPS」の役割

 また、やはり明確に『サクラ大戦』というビデオゲームの中で、主人公の魅力に直結しているのは「LIPS」(Live&Interactive Picture System)の存在だろう。

 「LIPS」とはつまり、時間制限付きの選択肢のことだ。物語の進行に合わせて出てくる主人公の回答を時間内に回答し、その内容によって相手の好感度が上下する。
 実に分かりやすく簡単なシステムではあるが、要点はそのシステムそのものではなく、そのシステム上で展開される選択肢の内容であり、そこにある「プランC」の存在だ。

 通常、恋愛要素の絡んだ会話では「正解」を探すのが正しい。それは本作でも同じではあるが、いくつかの恋愛ゲームを含め、『新サクラ大戦』には選択肢の中に「確実に言ってはならないセリフ」がほぼ確実に入っている。

 緊迫したシーンで、傷心の誰かを慰めるシーンで、極めてデリケートな問題で、とにかくその「プランC」が差し込まれてくる。もちろん、その選択肢は選んだところで予想どおり好感度が下がるだけで、特に得はしないのだから通常は選ばれない。

 だが、存在する。その余りにもバカバカしい空気を読まない選択肢は、実は「そこに存在すること自体が意味」なのだ。ビデオゲームにおける選択肢というものはそういうもので、たとえそれは選ばれなくても、つまりそれは発言の主体が考えていること、つまり主人公の頭の中身の吐露なのだ。

 これがもっともらしい選択肢、プランAとプランBしかなければどうだろう。誰かを励ますときに、「誰かを励ます言葉A」と「誰かを励ます言葉B」しかなければ、たしかにプレイヤーはその人物を真面目で誠実な人物と認識するだろう。

 しかしその人物は、けっして愛される人物になるわけではない。その真面目で誠実な人物が、別の場所で見境なく華撃団のメンバーを口説きまくっていたら、なんとなしに違和感を覚えるだろう。

 だからこそ、その下心や、空気を読まずにしてみたい発言が頭の隅に確かに存在するという証明「プランC」の存在が、主人公キャラクターへの「親近感」を熟成する強い動機として機能している。

 その上、通してみればシリアスな展開の多い物語の都合上、そこまでバカバカしいことは言えもしないし出来もしないが、選択肢として「置いて」おくことで、物語そのもののシリアスさを残しながらキャラクターに対する好感度はしっかりと上がる。

 物語上では「強く頼りになる誠実な隊長」、プレイヤーには「そんな場面でも確実にどこか抜けている憎めない人物像」として、そのふたつを両立させるシステム。小憎らしいまでに、はてしなく誰にでもモテる、しかも刺されない人物像の出来上がりだ。

 『新サクラ大戦』でもっとも重要なのは、実はシリーズで根強く人気のあるキャラクターは「大神一郎」だったという認識と、その要素をしっかりと自覚的に継承させた「神山誠十郎」を生み出したことにある。

 初代から四半世紀を経てリブートされた『サクラ大戦』が旧作のように大きなサクラを咲かせるか否かはいまだ不明だが、間違いなくそれに値するだけの魅力は備えている。
 『サクラ大戦』の裏のメインヒロインは「大神一郎」であったように、『新サクラ大戦』の裏のメインヒロインは「神山誠十郎」だ。熱血漢で真面目、誠実で有能でその上欲望に忠実な愛すべきスケベ「神山誠十郎」が末永く愛されるように今は願い、稿を閉じよう。

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ニュースから企画まで幅広く執筆予定の編集部デスク。ペーペーのフリーライター時代からゲーム情報サイト「AUTOMATON」の二代目編集長を経て電ファミニコゲーマーにたどり着く。「インディーとか洋ゲーばっかりやってるんでしょ?」とよく言われるが、和ゲーもソシャゲもレトロも楽しくたしなむ雑食派。
Twitter:@ishigenn
ライター
Nobuhiko Nakanishi
大学時代4年間で累計ゲーセン滞在時間がトリプルスコア程度学校滞在時間を上回っていた重度のゲーセンゲーマーでした。 喜ばしいことに今はCS中心にほぼどんなゲームでも美味しく味わえる大人に成長、特にプレイヤーの資質を試すような難易度の高いゲームが好物です。
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