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『エンダーリリーズ』が遊べば遊ぶほど感心する見事なゲームだったので解説してみた。「俺TUEEE」ではなく呪いに抗う“少女”の「俺YOEEE」がおもしろい

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 ゲームというメディアは、「強さ」を体験として表現できるメディアである。
 たとえばそれは世界を危機から救う勇者の発揮する「強さ」であり、一騎当千の武将が奮う「強さ」であり、世界レベルのアスリートが発揮する身体的な「強さ」であったりする。

 ゲームを通じていわゆる「俺TUEEE」な感覚を体験したいという欲求は明確でわかりやすい。群がる敵をバッサバッサとなぎ倒すような、ふだんは経験できない非日常的な「強さ」を通して得られる爽快な体験は、ゲームというメディアで得られる、大きな魅力のひとつだろう。

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『LIMBO』

 だが、「強さ」とは逆の、「弱さ」をゲームを通じて体験したいというときもないだろうか?  
 私はそんなときがしばしばある。

 たとえば、幻想的で陰鬱としたモノトーンのビジュアルが印象的な『LIMBO』などはそんなゲームだからこそ表現できる「弱さ」を体験できる、「俺TUEEE」ならぬ「俺YOEEE」ゲームの傑作なのではないかと私は考えている。

 なんせ『LIMBO』というゲームにおいて、プレイヤーが操作するキャラクターは、爽快な攻撃機能や派手なアクションをほぼ持っていない。プレイヤーにできることは、目の前に現れる、主人公を仕留めにくる障害物やトラップをどうにかこうにかやり過ごすことくらいしかできない。

 そんな風に紹介してしまうと、ぜんぜんおもしろくないゲームのように思えるが、そんなことはまったくない。『LIMBO』はすでに確固たる評価を確立している名作である。同じ開発チームによって制作され、より演出面や仕掛けが洗練された『INSIDE』も含めて、まだプレイしてない方にはぜひともオススメしたい。

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『INSIDE』

 『LIMBO』や『INSIDE』から感じ取れる「弱さ」とは、「脆さ」や「儚さ」と表現することもできるだろう。吹けば飛びそうな弱々しい体だからこそ、目の前に迫る世界は、自身の命を奪う可能性を孕んだ脅威としてプレイヤーに襲い掛かり、そのひとつひとつが死を伴った体験として刻まれる。

 ゲームにおける「強さ」によって得られるおもしろさが、その世界を圧倒し、「制圧」していくおもしろさなのだとすれば、「弱さ」を通じて得られるおもしろさとは、その「弱さ」を通じてその世界を「感受」することのおもしろさである。だからこそ、『LIMBO』のような丁寧に作り込まれた世界の魅力を味わううえで必要なのは、その世界を圧倒する「強さ」ではなく、その世界に正しく脅かされる「弱さ」なのである。

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『エンダーリリーズ』

 さて、そろそろ本題に入ろう。

 なぜこのような前置きから話を始めたのかといえば、今回紹介するタイトル、『ENDER LILIES: Quietus of the Knights』(『エンダーリリーズ: クワイタス オブ ザ ナイツ』、以下『エンダーリリーズ』)は、そんなゲームにおける「強さ」と「弱さ」の魅力の両方を持ち合わせているゲームだからである。

 目の前の敵をバッサバッサとなぎ倒す「強さ」と、ちょっとした油断が即座に死につながる「弱さ」を高い水準で両立させることに『エンダーリリーズ』は成功している。そんな本作のおもしろさについて考えてみよう。

執筆/hamatsu
編集/ishigenn


※この記事は『エンダリリーズの魅力をもっと広めたいBinary Haze Interactiveさんと電ファミ編集部のタイアップ企画です。

「強さ」を備える騎士と「弱さ」を持つリリィ

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 『エンダーリリーズ』というゲームを見たときにまず目を引くのは、プレイヤーの分身たる主人公、リリィのビジュアルだろう。
 先に挙げた『LIMBO』や『INSIDE』に勝るとも劣らない、戦闘行為など到底行えなそうなあまりにも華奢なその姿は、一目見ただけでこのゲームが表現しようとしている「弱さ」を文字通り体現している

 つぎに目を引くのは、そんな少女を取り囲むあまりにも過酷な状況、そして、主人公の「弱さ」など一切気にせず襲いかかってくる主人公の何倍もの大きさのある敵キャラクターの群れだ
 取り巻く世界の容赦の無さに対して、リリィ自身は、移動やジャンプ、回避行動などはできるものの、直接攻撃する手段を持っていない。

 代わりにリリィと行動をともにする黒騎士というキャラクターが、『ジョジョの奇妙な冒険』におけるスタンド能力のような形で攻撃を行なってくれる。

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 『エンダーリリーズ』というゲームが「強さ」と「弱さ」の両方を、双方の魅力を壊さずに表現できている理由、それは、「移動」を担当するキャラクターと、「攻撃」を担当するキャラクターを別にするという分業体制を確立しているからだ。
 ゲームにおける「移動」と「弱さ」の部分をリリィが担い、「攻撃」と「強さ」の部分を黒騎士が担当しているわけである。

 この分業体制によって、おどろおどろしくも耽美的な美しさをたたえた世界を探索する無力な少女という繊細な「弱さ」の側面と、容赦なく主人公に襲い掛かってくる敵キャラクターを薙ぎ払う黒騎士の勇ましい「強さ」の両面性を、ビジュアル的に表現することに成功している。

 こうやって言葉で説明してしまうと、「大したことではないではないか」と拍子抜けしてしまう人もいるかもしれない。しかし、本作がすごいのは、その一見シンプルな仕組みを、高度な職人的技能と的確なゲームデザインセンスによって、細部に至るまで徹底して丁寧に仕上げ切っているところにある。

※2021年6月に公開されたフルリリーストレイラー。映像後半では戦闘シーンも確認できるが、リリィの位置はすぐに把握できる。

 とくに攻撃する瞬間はどうしてもリリィと黒騎士が重なって表示されるため、画面が煩雑になってしまいそうだが、リリィを画面の中央でもっとも鮮やかに映る「白色」ベースでデザインし、黒騎士をはじめとする、ゲームを進めることで協力してくれる他のキャラクターたちは「黒色」ベースのデザインにしている。

 これによって色彩面での対比による視認性を確保し、さらにそのリリィが「白色」である理由がゲームの世界観やストーリーと密接に関わっているのだから、その全体に細かく気を配る行き届いた配慮には思わず感心してしまった。

 機能的でありながら、世界観の象徴でもある。ゲームであることと、そのうえでストーリーを表現するということの両方を諦めない貪欲な姿勢こそが、ゲームから得られる「強さ」と「弱さ」を高い水準での両立という、本作を代表する要素を成立させる原動力になったのではないかと私は考える。

フィールド探索で強くなるたびに出会う「無念」

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 このゲームを紹介する際、「メトロイドヴァニア」「ソウルライク」を併せて丁寧に作られた良作、みたいな言葉で表現されることが多いのではないかと思う。そしてそのような表現が必ずしも間違っているわけでもない。

 たとえば本作には「メトロイドヴァニア」に必須とも言える要素として、フィールド上のさまざまな箇所に、「何かありそうなのにゲーム開始当初のプレイヤーの能力では到達不可能なポイント」が大量に散りばめられている。

 行けそうなのに行けないという、果たされない欲求、ある種のストレスを一旦はプレイヤーに与えながら、のちに獲得した新しい能力によって解消させる。要は、自分の成長や機能の拡張に伴い、世界との関係性が変化していくところに、「メトロイドヴァニア」のフィールド探索のおもしろさがあると私は考えている。

 『エンダーリリーズ』というゲームがユニークなのは、そのような「メトロイドヴァニア」的なフィールド探索の面白さの勘所を的確に抑えながら、そこにさらに一味加えてくるところだ

 「メトロイドヴァニア」系ゲームにおいて、フィールド上の手の届かなかった場所に、新しい機能の獲得によって行けるようになるということは、ひとつの達成感のある行為である。さらに、そこでなんらかのアイテムを獲得するということは、プレイヤーがより「強く」成長するということでもある。

 『エンダーリリーズ』においては、そんなうれしいご褒美ポイントで、獲得アイテムと一緒にプレイヤーを待っているものがある。それはこの世界において、なんらかの事情があってそこで息絶えた、「キャラクターたちの無念の言葉」だ。
 
 そのときプレイヤーに向けられる言葉は、ひと言程度の短いものだ。しかし、それらの言葉は短いからこそ、かつてそこであったであろう「何か」を充分にプレイヤーに想起させる。かつて初代『バイオハザード』における、研究員が日誌にのこした「かゆ……うま…」というあまりに有名な最後の言葉が、そこで何が起きてしまったのかをこれ以上なく我々に伝えてきたようにである。

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 良く出来た「メトロイドヴァニア」ゲームでの、フィールド探索は楽しい。とくに自分は、新しい探索機能を獲得したあとで、あらためてすでに一度は通過したフィールドを再探索するときがたまらなく好きだ。

 間違いなく「メトロイドヴァニア」の系譜に連なるであろう『エンダーリリーズ』というゲームは、その楽しい探索行為をきっちり用意しながらも、それをこのゲームの世界観やストーリーをより深く描写するための手段としても活用する

 前の項でも述べたことだが、このゲームとしてのおもしろさとストーリーのおもしろさをどこまでも分離させずひとつのものとしてデザインするという点こそが、『エンダーリリーズ』の最大の美点であると私は考えている。

 そしてそれは本作における「メトロイドヴァニア」と並ぶもうひとつの大きな要素「ソウルライク」についてもそれと同様のことが言えるのである。

「ボス敵」という“負け”を定められた切ない存在

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 『エンダーリリーズ』に限らず、数多ある「メトロイドヴァニア」や「ソウルライク」ゲームにおける敵キャラクター、とくにゲームの要所でプレイヤーの前に立ちふさがるボス敵とは何のために存在するのか。

 それは当然、挑戦してくるプレイヤーを何度でも倒すために存在するのであり、最終的にはプレイヤーに負けるために存在するのである。

 もし、プレイヤーを負かし、勝利を収めたとしてもボスキャラクターのその後が描かれることなどあるわけがない。ボスたちの「その後」が見られるのは、彼ら彼女らが負けたときしかない。そうやってよくよく考えてみると、この手のゲームにおけるボス敵とは、本質的に「切ない」存在なのだ。

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『SEKIRO』

 「ソウルライク」のご本家、フロム・ソフトウェアによって制作された『SEKIRO』における物語全編にわたって登場する印象的なボスキャラクター、葦名弦一郎などは、そのボスキャラクターの背負う「切なさ」をゲームシステムと密接に関わった物語を含めて、見事なまでにその本質を体現しきっていたキャラクターである。

 ゲーム当初は絶望的な強さを誇示する無敵の存在にも感じられた葦名弦一郎が、プレイヤーの上達に伴い、隙が見え始め、渾身の必殺技がプレイヤーのチャンスタイムと化した瞬間に、かつての葦名弦一郎に対して感じていた絶対的な「強さ」は「弱さ」へと反転する。

 この葦名弦一郎という、ゲームシステム上においてもストーリー上においてもあらゆる面で敗北が運命づけられたキャラクターの抱える「切なさ」を描いた時点で、『SEKIRO』は歴史に残るべき名作だと思うのだけれど、『エンダーリリーズ』もまた、『SEKIRO』とはまた別の形でそれぞれのボスキャラクターの抱える「切なさ」であり「弱さ」を描く

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 葦名弦一郎、そして『エンダーリリーズ』に登場するボスたちは、間違いなく「強い」。私はけっしてゲームが上手なほうではないので、何度も繰り返し挑んでようやく倒せている。その意味において両者は本当に良く出来たアクションゲームだ。

 しかし、『SEKIRO』や『エンダーリリーズ』は、圧倒的に「強い」ボスキャラクターをただただ「強い」存在として描くだけではなく、それらのキャラクターが抱える「弱さ」もまた同時に描いている

 なぜそうする必要があるのか。それはすでに述べたように、ゲームにおけるボス敵とは、本質的に負けることが運命づけられた「強さ」と「弱さ」の両面を持つことを予め定められたキャラクターだからであり、そこにはスポット当てるだけの価値があるからだ。

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 『エンダーリリーズ』というゲームは、「メトロイドヴァニア」のフィールド探索のおもしろさを世界観やストーリーとも結びつけたように、「ソウルライク」的な「死にゲー」とも言われるシビアなバトル要素、そしてボスキャラクターが本質的に抱える「強さ」と「弱さ」の二面性すらも、世界観やストーリー演出と密接な結びつきを持つようにデザインされているのである。

遊ぶほどに感心する巧みな作品、新作にして定番の一本

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 最後にまとめよう。『エンダーリリーズ』というゲームを遊べば遊ぶほどに感心してしまうのは、そのトータルデザインの見事さである。とくにここまで述べてきたように、ゲームシステムと世界観の演出を高い水準で結びつけるゲームデザインの手腕はじつに巧みだ。

 グラフィックは飛び抜けていいのに、ゲーム部分がイマイチだったり、ゲームは良いけど若干世界観がおざなりだったりするゲームは数多く存在するし、そのような歪さを抱えたゲームというものもそれはそれで愛おしいものだったりもするのだが、本作にはそのようなアンバランスさがない。

 『エンダーリリーズ』は今年発売されたばかりの、まだまだ新作と呼べるであろうゲームだが、すでにこの手のジャンルの定番の一本と言ってしまっていいのではないだろうかと私は考えている。

 「メトロイドヴァニア」や「ソウルライク」なゲームを好む人であれば文句なくオススメすることができるし、このゲームの動画などを見てなんらかの興味を惹かれる人なのであれば、まず買って損をすることはないのではないかと思う。

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 当初抱いていた印象とは違うおもしろさを得られるゲームや、遊ぶまでまったく想像ができなかったけどおもしろかったゲームとは異なり、本作のおもしろさは、このジャンルのゲームを遊んだことがある人であればだいたい予想ができるおもしろさである。

 しかし、その予想通りのおもしろさを、予想以上の手応えで与えてくれるのが『エンダーリリーズ』というゲームなのである。奇を衒わず、丁寧に本質を追及し、より研ぎ澄まされ深化していくところに本作の凄みはある

 『スーパーメトロイド』を遊んで孤独感に浸りながらマップの探索に励むことに夢中になった人や、何度死んでも繰り返し繰り返しボスに挑んだ末に勝利を得る『ダークソウル』の魅力の虜になった人、そして『LIMBO』のような美しくも陰鬱な世界の魅力を「弱さ」とともに感受したい人であれば、『エンダーリリーズ』はぜひとも遊んで欲しい一本である。 

ライター
某ゲーム会社勤務のゲーム開発者。ブログ、「枯れた知識の水平思考」「色々水平思考」の執筆者。 ゲームというメディアにしかなしえない「面白さ」について日々考えてます。
Twitter:@hamatsu

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