令和の世に初めて『月姫』に出会い、“濃度100%の奈須きのこ”に狂わされたオタクの叫び──『月姫』リメイクは、20年経った今もなお色褪せない名作だった

 TYPE-MOON……多くのゲーマーやアニメファンに愛され続けている一大ブランドである。特に『Fate』シリーズは、スマホゲーム『Fate/Grand Order』のヒットや一連のアニメシリーズの人気も重なって、今ではその名を知らないオタクはいないだろう。

 しかし恥ずかしながら、私はそれほどまでに人気なTYPE-MOON作品に、今までまったくと言っていいほど触れたことがなかった。セイバー奈須きのこ氏の名前、あるいは「Fateは文学」といったネットミームは知っていながらも、その盛り上がりについては遠巻きに眺めていただけであった。

 そんな折、私のもとに電ファミ編集部から「『月姫 -A piece of blue glass moon-』(以下、『月姫リメイク』)のレビュー書きませんか」との依頼がやってきた。

 『月姫』──TYPE-MOONの処女作にして、今なおカルト的な人気を誇る名作。もちろん名前ぐらいは聞いたことがあった。しかし聞いたことがあるだけで、それ以外のことについては何の知識も持ってはいなかった。
 それもそのはず、リメイク元となった『月姫』(完全版)がコミックマーケットで初めて販売されたのは2000年の冬。当時の私はまだオタクになるどころか、文字すら碌に読めない年齢であったのだから。加えてTYPE-MOONとは縁遠い生活を送ってきた身である。そんな自分が『月姫』をほとんど知らないのも無理からぬ話であった。

 格ゲーマーでもある私は、ちょうど『MELTY BLOOD: TYPE LUMINA』が気になり始めていた頃であったし、これを機にTYPE-MOON作品に触れてみるのも悪くはない。そう考えて、私はいそいそと『月姫リメイク』をダウンロードし始めた。

(画像はMELTY BLOOD: TYPE LUMINA(メルティブラッド:タイプルミナ)公式サイトより)

 しかし、その後に待っていたのは、私の想像と期待を超えた体験であった。
 ここでは『月姫リメイク』を、いや、TYPE-MOON作品を初めて遊んだゲーマーの、瑞々しい感想を記していこうと思う。どうか温かい目で読んで頂きたい。

文/植田亮平


※この記事には『月姫 -A piece of blue glass moon-』の本編に関するネタバレが一部含まれています。

「濃度100%の奈須きのこ」に出遭った衝撃。

 まず、『月姫リメイク』をプレイし始めたとき、私は奈須きのこ氏のその特徴的な文体に些かの抵抗を覚えたことをここに告白したい。尤も、彼の文章を読むのは別に『月姫』が初めてという訳ではなかった。
 もともとノベルゲームは嫌いではなく、チュンソフトから発売された『428 〜封鎖された渋谷で〜』「カナン編」などで、奈須きのこ氏の文体に触れたことはあった。

(画像はAmazon | 【PS4】428 封鎖された渋谷で | ゲームソフトより)

 しかし、『月姫リメイク』での奈須きのこ氏は、まさに水を得た魚のように──TYPE-MOONが彼にとっての水槽で、その中を自由闊達に泳ぐ魚のように──生き生きとしたレトリックを駆使していた。
 ダッシュ記号とダブルクォーテーションの連発、意図的に読み方を変えたルビ、主人公である遠野志貴のあまりにも(良い意味で)中二病感溢れる台詞回し……。それはまさに、奈須きのこ氏を象徴するものであり、“彼”が“彼”たる所以でもあった。そこには「濃度100%の奈須きのこ」が存在していた。

 その衝撃のあまり、初めこそ異質な文体に違和感を覚えたが、物語を読み進めるうち、いつしか私は奈須きのこ氏の綴る文章の中毒性に魅せられていた

(画像は月姫 -A piece of blue glass moon-より)

 しばらくして、私はそのレトリックに朧気ながら感じていた既視感の正体に気が付いた。インターネット掲示板などで目にするSSや、ユーザー投稿型小説サイトにある小説などである。どちらが影響を与え、そして受けたのかは明白だろう。
 今こうして書いているこの記事も、奈須きのこ氏の文章から少しばかり影響を受けてしまっていることは否めない。それほどまでに、彼の文章は独創的で魅力的であったのだ。

 主人公である「遠野志貴」について、もう少しばかり言及しておこう。『月姫』の物語は、一部を除いて全て彼の主観で語られるという形式を取っている。

(画像は「月姫 -A piece of blue glass moon-」オープニングアニメーション – YouTubeより)

 彼の言動はほとんど常に独白によって解説、乃至は補足されるので、遠野志貴という人物の内面にプレイヤーは非常に接近していくことになる。
 そしてそれは次第に遠野志貴への感情移入を引き起こし、彼の言葉は単なる中二臭いセリフから、より切実なプレイヤー自身の言葉へと変化していく。

 さらに、奈須きのこ氏のキャラクター描写の素晴らしさはそれだけにとどまらない。物語のいくつかのポイントでは、遠野志貴自身のモノローグすら主観と客観の境界が曖昧になり、さながらミステリー小説の様相を呈している。このあたりの描写は流石というべきだろう。
 物語序盤に起こる「ある事件」での遠野志貴の内面の描かれ方は、プレイヤーを物語にどっぷりとハマらせる良いフックとなっており、そのシーンの衝撃は今なお私の頭にこびり付いている。

クラシカル、だけど新しい。

 『月姫リメイク』をプレイして印象的だったのは、「クラシカルだけど、新しい」という感覚だ。ここでいう「クラシカル」とはゲームそのもののシステムを指したものではなく、キャラクターや設定などを指したものだ。

 そもそも『月姫リメイク』は先ほども述べたように、2000年の冬、まだ同人サークルであった頃のTYPE-MOONから販売された『月姫』を基にしたリメイク作品である。

(画像は「月箱」より)

 特別な力を持った主人公がヒロインと出会い、さまざまな能力を持った吸血鬼たちの戦いに巻き込まれていく。今でこそ伝奇モノのライトノベルなどでは王道寄りの設定であり、作中に出てくる用語や技の名前、ヒロインの性格などに表れるセンスは、プレイヤーに本作が2000年に生まれた物語だということを嫌でも意識させる。

 特にキャラクター同士の掛け合いは、当時の所謂「エロゲー」のノリ、空気感が色濃く出ており、その中でもバッドエンドを迎えたときに見ることができる「おしえてシエル先生」のコーナーは、ネコアルクシエルのメタ発言全開の会話も満載で、コンシューマーのソフトでありながら同人作品であるような、不思議な雰囲気を醸し出していた。

 私はそこに「憧憬」に近いような感覚を覚えた。シリアスからコミカルへのハイテンポな切り替え、タイピカルなデレを見せるヒロイン達、いつかインターネットで見かけたSSの香り。噂に聞いていた「ギャルゲーの文脈」がそこには確かにあり、かつての時代を知らない私にとってはそれがむしろ新鮮だった。

(画像は月姫 -A piece of blue glass moon-より)

 ただ、今作を遊んだだけではまだ多くのキャラクターや設定が掘り下げられておらず、伏線も全て回収できているというわけではない。そのため、同じく『月姫』初見の人間と感想を語り合ったり、考察を弾ませたりなどしていると、2000年当時の先輩オタクの方々が辿った道を追体験しているようで面白い。これが、私が本作を“クラシカル”だと述べる理由である。

 ただし、『月姫リメイク』はただの「昔のゲーム」というわけではない。私は本作を読んだ後、できるだけネタバレを避けつつ「かつての月姫」を少しばかり探ってみた、そしてその違いに驚愕した。

 キャラクターデザインの変更やボイスの追加、新規キャラクターの存在は、本作が2021年現在においても多くのユーザーに親しみを持たせられるように手が加えられた結果だ。そのおかげで私は20年以上も前の作品を、全くもって「新鮮なもの」として楽しむことができた。
 人気アーティストReoNaが歌う本作の主題歌『生命線』に合わせてufotable制作のオープニングアニメーションが流れるのを見たとき、私は初めて、「月姫リメイクはよ」というSNSでの古参ユーザーの呟きを少しだけ理解できた気がした。

 ここまで述べた「クラシカル」な感覚「新しい」体験を、『月姫リメイク』は非常に高いレベルで融合させている。大筋のストーリーやキャラクターの掛け合いはできるだけ当時の空気感を残しつつも、時代を感じさせる固有名詞はできるだけ避けて、本作の舞台が現代のゲーマーにもなじむよう丁寧に工夫が施されている。
 ビジュアルやボイスは一新され、古くからのファン含め、より広い人々に訴求できるようとても豪華な仕上がりとなっている。『月姫リメイク』は、まさにリメイクのお手本とでも呼ぶべき作品ではなかろうか。

気づけば、『月姫』に狂わされていた。

 アルクェイドルートを読み終えた頃には、私はすっかり『月姫』にのめり込んでいた。読み進めていくうちに奈須きのこ氏の文章にも病みつきになり、ピンポイントでこちらのツボを抑えてくるその台詞回しにある種快感のようなものさえ感じていた。
 シエルルート序盤に遠野志貴から放たれる「──今から。俺は、死を視るだけの機械になる。」という台詞を聞いたとき、私は思わず「たまらん!」とひとり絶叫していた。

(画像は月姫 -A piece of blue glass moon-より)

 また、二人のヒロイン──アルクェイドシエル──に対しても、私はとてつもなく感情移入してしまった。アルクェイドというキャラは、それまで愛を知らなかったにも関わらず、作中で最も愛すべきキャラクターであるように思えた。

 アルクェイドルート終盤、とあるシーンでの彼女の心からの言葉は、美しいピアノのメロディーとあいまって、私の心を尋常でないほど揺さぶったエンディングを迎えたとき、思わず目頭が熱くなったのは記憶に新しい。

アルクェイド・ブリュンスタッド(画像は月姫 -A piece of blue glass moon-より)

 そしてシエルもまた、アルクェイドと同じ、あるいはそれ以上に魅力的なキャラクターであった。

シエル(画像は月姫 -A piece of blue glass moon-より)

 私は、『月姫リメイク』は遠野志貴の物語であると同時に、「贖罪」の物語ではないかと思う。

 その点で、シエルルートでの志貴とシエルの関係は、まるでドストエフスキーの『罪と罰』に登場するラスコリニコフソーニャの関係のように映った。無論、奈須きのこ氏の手にかかれば、物語が終盤に近づくにつれてその関係の意味も変わっていくのだが……これ以上は流石にネタバレになりかねないので自重したい。

(画像は月姫 -A piece of blue glass moon-より)

 「Fateは文学」という言葉も、あながちジョークではなかったのかもしれない。おそらく私が思春期にこの作品に出会っていたならば、今の私は全く別のタイプの人間になっていたことは確かだろう。それほどまでに、『月姫リメイク』は強烈な体験を与えてくれた。
 続編の情報は今のところほとんどないに等しいが、残された物語はまだまだ存在する。これからの『月姫』がどう展開されていくのかに、激しく期待せざるを得ない。なぜなら私はすでに、『月姫』に狂わされたオタクのひとりになってしまったのだから。

世代を超えて

 『月姫』という作品は、今や世代を超えて語られる作品となった。2000年当時に遊んだプレイヤー、2021年に『月姫』に初めて触れたプレイヤー、TYPE-MOON作品すら遊んだことのなかった私のようなプレイヤー。

 20年という年月は、当時学生だった人は30代後半に、まだ字も読めなかった人は成人になるほど長い長い時間である。リアルタイムでこの作品に出会えなかったことへの悔しさが無いといえば嘘になる。しかし、今こうして『月姫』を遊び、昔からのファンやコミュニティと交流することができる喜びは、まさに『月姫リメイク』が出たからこそ味わえるものだ。

 願わくばひとりでも多く、私と同じように「月姫、やってみようかな」と思える人が増えてくれれば幸いだ。この記事を読んで『月姫』に触れる人がいるのなら、それ以上の喜びはない。いつか『メルブラ』で会える日を楽しみにしながら、この記事を終えることにしよう。

ライター
大阪在住のゲーマー。ゲームに限らずアニメ、映画など気になったものは何でも取り込む雑食系。オープンワールドのゲームやウォーキングシミュレーターなどが大好き。最近はオンラインゲーム『League of Legends』にドハマりしているが、プレイの腕はイマイチ。
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