『ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー』、一足お先に見てきました!!!
いやぁ、この映画を一足お先に見れるって……この職業最高ですね!!!
そして、多分この記事は公開日のお昼12時に公開されていると思います。どうでしょう? 朝イチで見に行った人はちょうど劇場から出てきている頃合いですかね?
この記事、私としては「ちょうど映画を見終わった後に読むと面白い」ように書き上げたつもりなので、劇場から出た人は良かったらこのまま最後まで読んでってくださいな!
……で、ものすごく端的に言うなら、私にとってこの映画は「初めてマリオを遊んだ時の楽しさ」を思い出す映画でした。私が初めて遊んだ「スーパーマリオ」……それはファミコンでもなく、スーパーファミコンでもなく、64でもなく、ゲームキューブでもなく、Nintendo DSで発売された『New スーパーマリオブラザーズ』なのです。
というか、これが多分「人生で初めて遊んだゲーム」だと思います。そしてもちろん人生で初めて触ったゲーム機もNintendo DSです。そこの画面の前の「あ、わかる……」と思っているアナタ!
もしかして『ポケットモンスター ダイヤモンド・パール』にもハマっていましたね? お、おお……心の友よ、マイソウルダイパキッズよ、私とシンオウ地方で握手しましょう。
そんな感じで、とにかく私にとって、スーパーマリオは「ゲームの原体験」として焼き付いているタイトルです。というか、大半の人にとってマリオってそういうゲームなのでは? 言い方に品がないかもしれませんが、多くの人の「ゲーム童貞、ゲーム処女」を奪ったタイトルって、割合的には「スーパーマリオ」なのでは?
ゲーム機を通して、楽しい大冒険に出発する「スーパーマリオ」。それは一種の快楽装置であり、一種の夢の国<テーマパーク>であり、一種の夢のひと時<アトラクション>でもある。その夢に初めて落ちた時の……あの心地良さ。あの鮮烈な衝撃。それを再び味わうのが、この『ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー』なのだと感じました。
そしてこれは……「ゲームのアニメ化」という、非常に難しいジャンルにおける「ひとつの解答」に到達した作品なのだとも思います。まぁ、私としては「映画を見終わった方」にこそ見てほしい記事なんですが……もちろん「まだ見てない方」「見に行こうか迷ってる方」も、きっとこの映画が見たくなります! この記事たしか金曜公開ですからね! きっとアナタの土日を頂戴しますとも!!
※この記事には『ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー』のネタバレが含まれています。とはいえ、そこまで致命的なネタバレを含んでいるわけでもないので、ネタバレを気にしない、かつ映画未見の方にも十分楽しんでいただける記事にはなっています。何卒、よろしくお願いします。
「2人の兄弟がスーパーマリオブラザーズになるまで」を描く
この映画の面白いところって、まず「マリオとルイージがスーパーマリオブラザーズになるまで」が描かれているところなんですよね。ブルックリンの配管工をしている二人の兄弟であるマリオとルイージは、ひょんなことからワープ土管を通って不思議な王国に迷い込む……これが今作の始まり。
私が知っているマリオとルイージは、もうとっくに「スーパーマリオブラザーズ」でした。カートに乗っていようが、テニスをしていようが、大乱闘に参戦していようが、いつでもどこでも「スーパーマリオブラザーズ」だったのです。でも、この映画は「二人の兄弟が“スーパーマリオブラザーズ”になるまで」を描いている。ここが面白い。
単刀直入に言うと、「他人のマリオ初見実況」を見ているような映画でもあるんです、これ。そもそも「キノコ王国」の存在すら知らなかった今作のマリオは、「スーパーキノコを食べると身体が巨大化する」という森羅万象の摂理すら知りません。
だから、キノコを食べて「えっ、身体デカくなったけど!?」みたいな反応を見せてくれるのです。
言われてみれば……キノコ食べて身体デカくなるのってメチャクチャおもろいな……。
「カロンは一度倒してもまた復活する」、「落ちると残機が減るけどなんか復活できる」、「ファイアフラワーを取ると手から火が出るようになる」、「この世界は虹の上をカートで疾走することができる」……至極当然の常識すぎて、我々が疑いもしなかった「スーパーマリオのルール」に、この映画のマリオとルイージは新鮮な反応を見せてくれます。確かに、なんで虹の上をカートで走ってるんでしょうね?
これは「他人のマリオ初見実況」を楽しむ映画でもあり、ある意味「配管工の異世界転移」でもあり……そして「マリオとルイージが、ただの一般人」である状態からこの物語を始めるからこそ、記事の冒頭で触れた「初めてマリオに触れた楽しさ」を追憶するかのような体験ができるのだと思います。
既に「スーパーマリオ」を知っている人は、何も知らないマリオとルイージを通して、「スーパーマリオを知らなかった自分」を追体験できる。そして「スーパーマリオ」をまだ遊んでいない子が見に来たとしても、マリオとルイージと一緒に「スーパーマリオ」を体験することができる。
なんだか陳腐な言葉かもしれませんが、この映画においては「大人から子供まで」というターゲットの絞り方がとても大切です。だって、スーパーマリオブラザーズはみんなのスターだからね!
だからこそ、この「2人の兄弟がスーパーマリオブラザーズになるまでを描く」という物語の作り方は、面白い切り口であると同時に結構クレバーなやり方だと思います。さらに、「観客へのストーリーの見せ方」と「スーパーマリオの文脈」の二軸を両立することもできる。
すごくアトラクションのように、すごく娯楽的に作られた映画でありながらも、「多くの人に見てもらうこと」を徹底的に意識した映画だと思います。……アレ? なんかすごい真面目なこと書いてない? こんなお堅い話をするつもりじゃなかったんだけど? とにかく、「誰が見に行っても楽しい」という、“娯楽”としての映画で最も重要で、最も優先されるべきことを達成している作品なのです。
このピーチ、“癖”に刺さる
現代医療では、マリオに日本語の声優をつけるのは難しいとされてきた……
━━━だが、今は違う!
(Dr.) M先生!!
……ということで、やっぱり「日本語声優による吹き替え」があるのも『ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー』のすごいところ。ぶっちゃけ、「確かにマリオ(CV:宮野真守)は気になるけど不安もある……」と感じている方も多いでしょう。
━━━だが、今は違う! ちゃんと吹き替え版も見ましたが、もう十分すぎるくらいには吹き替えもカッチリハマっています。特に私が驚いたのが、ルイージ(CV:畠中佑)がおそろしいくらい「日本語のルイージ」として完成されているところです。
やっぱり私の中での畠中佑というと、かっとビングするデュエリストとかプリズムスタァとか……えっ、兄が宮野真守ってそれなんてご唱和ください我の名を? とにかく「畠中祐さんは結構“畠中祐”の味が強い声」だと思っていたのです。……でも、完全に「日本語でしゃべるルイージ」になっています。
特に、ゲームをやっているとよく聞くルイージの「ア、アワワワワ‼‼」というあの特徴的すぎる断末魔を再現できるのはゲーム版の声優だけだろう……と思っていたのですが、これを畠中祐氏は再現できているのです。これがすごい。
いや、あの「ア、アワワワワ‼‼」ってモノマネしやすいように思えるけど実際やろうとすると難しいんです。Diggy-MO’の「ア アラララァ ア アァ!」くらいモノマネできそうで意外と難しい。もう日本語のルイージは畠中祐としか考えられないくらい、ルイージの完成度が高かったのです。
とにかく、日本語吹き替え版も超オススメです。
あとはやっぱり……「ピーチ姫」ですよね。
公開前から「ピーチじゃなくてルイージが捕まるんかい」と話題になっていましたが……もうピーチめちゃくちゃ戦います!
マリオよりアスレチック攻略が上手いし、当然の如くバイクに乗り込むし、なんか普通にマリオ用アイテム使ってファイア出すし、キノコ王国の国民を守るために真っ先に先頭に立つし……とにかく戦場に出まくる!
まぁ、そもそもゲームの方でもプレイアブルでピーチ姫を使える作品は何作もあったと思いますが、改めてキャラクター性をハッキリと描いた上でここまで振り切っているのは気持ちがいいです。私は今作のピーチ、めちゃくちゃ好きです。
あと私、単に「自我がハッキリしている人」が好きなんです。いやもう時代性とか男とか女とか関係なく、単に性癖として自我が強い人が好き。もう人間の根本に染みついている“癖”の部分で「自分がハッキリしている人」が好きです。
なんか上にも画像貼ってますけど、私が最近遊んでる『高機動幻想 ガンパレード・マーチ』でもやっぱり芝村舞が人間として一番好きです。あと最近読んでる『BLEACH』でも四楓院夜一と志波空鶴と井ノ上織姫が一番好きです。えっ、何? マリオ映画の記事読みにきたのになんで芝村舞と四楓院夜一の話が始まってんのかって? ハハハ、こっからもっと酷くなるぞ!!!
とにかく、私は自我がハッキリしている人が好き。自分の信じるものがしっかりある人が好き。他者と信念をぶつけ合った時、それでも折れない人が好き。苦難と困難に苛まれた時、それでも自分の脚でしっかり立って前を向ける人が好き。だから、ピーチは最高に魅力的なキャラクターだと思います。
「ゲームのアニメ化」という難題に、ひとつの解答を出した
ハッキリ言って、「ゲームをアニメ化する」ということはかなりの難題だと思います。
もちろん、「元々別の媒体だった作品をアニメ化すること」自体の難しさはあります。そしてそこに対して、「この作品をアニメーションにする」ためにどんな解釈やどんな手法を持ち込むのかが、アニメ化において重要……だと考えています。
その中でも、「ゲームのアニメ化」はトップクラスに難しいアニメ化だと思います。なぜなら「ゲーム」というものは、カメラワーク、UI、連続する演出や戦闘時の必殺にローディング画面まで含めて、全てが「ゲームとして遊ぶために」作られているから。あらゆる画面が、「ゲームとして動かした時に気持ちいい」ように作られているから。
この「ゲームとして遊ぶために作られたゲームを、アニメに起こす」ことの難しさを私が最も実感したのは、『ペルソナ5』のアニメ化作品である『PERSONA5 the Animation』です。
まず、『ペルソナ5』という作品のビジュアルの魅力は、各種UIや演出まで含めた「ゲームの画面」だからこそ成立している部分が大きいのです。つまり、ゲームとしてのシステムや演出まで含めて、「ペルソナ5の魅力」だったのです。
でも、アニメ化するにあたって、そんなバカ正直にゲームのUIを全部取り込むわけにはいきません。だってアニメの戦闘シーンにHPやらMPやら攻撃ボタンやらが全部表示されていたら、それはそれで変でしょう?
そして『PERSONA5 the Animation』ではゲーム版にあったそれらのUIや演出が省かれた結果として、「確かにアニメは面白いんだけど、ゲームを遊んだ時に感じていた何かが足りない……」という気持ちを味わいました。
一応言っておきますが、「P5のアニメ化でUIを入れないのは失敗だ!」などと糾弾したいわけではないのです。もちろんP5AにはP5Aの「アニメ作品としての魅力」がしっかりあります。
ですが、やはり「ゲームをアニメ化にするにあたって、そのゲームのビジュアルが持っていた魅力をアニメに取り込むことの難しさ」、「ゲームという媒体の特性を利用した上で映像表現が優れていた作品をアニメ化することの難しさ」をこの作品ですごく意識しました。
ただ逆に、『PERSONA4 the Animation』はかなり「アニメ化」がバチッと決まっている印象があります。アニメという連続する映像の中でのケレン味や気持ち良さを追求し、ゲーム内ではデフォルメ等身だった『ペルソナ4』のキャラクターたちが映像化されたリアル等身で動き出す。
この「ペルソナ4とペルソナ5のアニメ化の違い」で感じたのが、近年のグラフィック技術の飛躍的な向上により、ゲームの段階でアニメや映画と遜色のないクオリティの映像や、キャラクターモデルを描写できてしまっているという点です。
つまり、極論を言えば「ゲームの超絶グラフィックに、アニメが負ける」というパターンが起こりかねないのです。ゲームの段階で、映像化へのハードルが相当高くなっています。
もちろん、「絵の綺麗さや動きの激しさ」だけで勝負するのがアニメではありません。アニメにはアニメの演出があり、それらを上手く駆使したり落とし込んだ作品は、ゲームとは全く違う魅力を作り出すことができます。ただ、この「純粋な絵の美しさによる勝負」がより難しくなってきているのもひとつの事実だと思います。
ですが、それでもやっぱり「ゲームのアニメ化」が私は好きです。自分の好きなゲームがアニメになっていると、それだけで嬉しいものなのです。だからこそ、「ゲームのアニメ化」にはさまざまな手法や、ある種の「解答」に辿り着いている作品があるとも考えています。
その問題に対してエッジの効いた解答を出してきたのが、『サイバーパンク エッジランナーズ』。『サイバーパンク2077』のアニメ化でもあるこの作品は、強烈で残酷で破滅的な世界観をTRIGGERの解釈で作り上げたことにより、「ゲームの世界観を舞台にしつつ、TRIGGERらしさを完全に出し切る」という鮮烈なアニメ体験を作り出すことに成功しています。
つまり、「上手いことゲームをアニメ(TRIGGER)の土俵に持ち込んだ」アニメ化なのです。そして作品内に登場する舞台設定やロケーションは思いっきりゲーム準拠なので、「見終わったあとにゲームを遊ぶとアニメの聖地巡礼ができる」という前代未聞の現象すら引き起こしてしまった。
ビジュアルは完全にTRIGGERナイズされたように見えて、よくよく見ていくとしっかり「サイバーパンクの世界観と文脈」を取り込んだ上でアニメ化していることがよくわかる。ゲームユーザーもアニメファンも、そもそもTRPGが好きなプレイヤーも、ディビッドとルーシーのエッジを駆け抜ける恋に一網打尽!
この「ゲームをアニメの映像表現の土俵に持ち込みつつも、舞台設定や文脈はしっかりゲーム準拠」という手法も、ある意味「ゲームのアニメ化」におけるひとつの解答だと思います。
そして「ゲームのアニメ化」のさらに難しい部分は、「元のゲームジャンル」によっても方向性や見せ方が左右されるところ。そこで2つ目の例として挙げるのが、『アークナイツ 黎明前奏』。
端的に言えば、この作品は「アニメ化によって、ゲーム側のストーリーにディティール(情報量)を増やした」アニメだと考えています。そもそも元の『アークナイツ』のストーリーはキャラの立ち絵と背景が配置されていて、そこでキャラ同士が会話をしながら進行する……いわゆる「アドベンチャー」の画面作りです。
この手法は立ち絵とテキストにより、「テキストそのものの文学的表現」や「このセリフをしゃべっている時のキャラの表情」をより伝えやすいメリットがあるのですが……逆に、「このシーンは具体的に何が起こっているのか」がよくわからないこともあったりします。やや「実際の映像の補完」が読み手側の想像力に依存するところもあると思います。
特に『アークナイツ』自体が独特な文法のシナリオを繰り出してくる側面もあり、ぶっちゃけそのままシナリオを読んでいても「……えっ、今何が起きたの?」「これ何がどうなってんの……?」と困惑する場面もいくつかあったりします。
そして、そのアドベンチャーパートと戦闘パートをしっかり映像化したことで、「あぁ、ゲームのあのシーンはこういうことが起きていたのね」と、逆説的にゲームシナリオへの理解が深まるのが『アークナイツ 黎明前奏』です。たとえば、「えっ!?チェン隊長って車運転できたの!?」みたいな!
キャラの会話やストーリーの進行にアドベンチャー形式を採用しているゲームであれば、アニメ化の細かな映像表現で元のシナリオの情報量を増やすことができる……これは結構面白い手法(現象)だと思います。もちろん、ADV形式に限った話ではありません。
それと同時に、「ゲームのジャンルによるアニメ化の向き不向き」があることを証明している例だとも思います。あと、単純にアニメとして面白いのでオススメです。
そしてそろそろ読者の方も「俺たちはマリオ映画の話を聞きにきたのになんでお前のアニメトークを延々と聞かされてるんだよ……!!!」と堪忍袋の緒が切れかかっているタイミングだと思うので、ここからペースアップします。
ちょうど現在放送中の『NieR:Automata Ver1.1a』。まだ最終話まで放送されていないので何とも言い切れないところはあるのですが、この作品の「ゲームのアニメ化」としての手法の面白さは、「ある程度大筋はゲーム本編をなぞりながらも、外伝や前作の要素をガンガン合流させている」ところ。ぶっちゃけ、ゲームだけやっていても、舞台を見てない方にはなんのこっちゃなキャラが出たりもする。
ある意味「コンテンツとしての『ニーア』を追っていればいるほど面白い」作品でもあります。要は、ゲームだけが好きな人すら振り落としかねない……そんな勢いのアニメでもある。このやり方が完全に正しいとも間違っているとも言いきれませんが、私としては面白いやり方だと思います。あくまでファンに向けるのであれば、こういうアニメ化があったっていい。
ついに明日放送‼#アニポケ 新シリーズ初回1時間スペシャル🎊
— アニメ「ポケットモンスター」公式 (@anipoke_PR) April 13, 2023
放送を見て応募できる、豪華プレゼント企画も実施します🎉
データ放送でも特別なキャンペーンが🎁
ぜひぜひ、初回放送を見て参加してね✨https://t.co/vYZTXtclqd
そして、ちょうど最近始まったアニメ『ポケットモンスター』。
「アニポケ」って少なくとも私にとっては常に存在し続けていたものなので、そんなに深く考えたことはなかったのですが……冷静に考えたらこれも「ゲームのアニメ化」なんですよね。てか、「ゲームのアニメ化の王」とすら言える存在かもしれません。主人公がリコに交代したのにも関わらず、もう1話からめちゃくちゃ面白い。
これに関しては「ひとつのゲームを長年アニメ化し続け、“アニメ版”という一種のバージョンとして成立した」例だと考えています。おそらく最もポピュラーなゲームのアニメ化にして、極めて特殊な形態のゲームのアニメ化作品だと思います。
……そして、これだけの「ゲームのアニメ化」の例を挙げた上で、ようやっと『ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー』の話に移ります!
すいません、マリオに到達するまでの前振りがずいぶん長くなってしまいました。でも、「ゲームのアニメ化に完全な正解はないけど、面白い解答もたくさん出ている」ことを証明するためにいろいろ例を挙げる必要がありました。ちなみに今期の「ゲームのアニメ化」を挙げるとすればアニメ『アリス・ギア・アイギス』がイチオシです。「アニメに求めているもの」のすべてが入ってるンだ、ありゃあ……。
そしておそらく、実際のアニメ関係者の中には「いや、全然そんなことねえから!」と反論したい方もいらっしゃると思います。まぁ……あくまで「いちアニオタにはこう見えてる」くらいの意見に受け止めていただけますと幸いです。どれも完全な正解とは言い切れないかもしれないけど、どれも不正解ではない。どのやり方も面白い。だから、「ゲームのアニメ化」は面白い。
え? 劇場版ファイナルファンタジー? ユアストーリー?
……オレは嫌いじゃないぜ!!
『ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー』は端的に言えば、「ゲームのグラフィックそのままで映画をやってしまった」アニメ化だと思います。
先ほど「グラフィックのクオリティが上がり続けるゲームに対して、アニメの綺麗さで勝負するのが難しい」と書いたあの問題に対して、「じゃあイルミネーションと組んで、ゲームみたいなマリオの映像1時間半そのまま作っちゃえばいいじゃない」という末恐ろしい解答を出してきたのがこの映画です。ある意味これも、「ゲームのアニメ化のひとつの到達点」と言えます。
というか、この「ゲームの映像そのままマリオの映画やっちゃってんじゃん」に関しては私があれこれと理屈をこねるより予告動画を見た方が手っ取り早いです。あの予告映像、別に完成度の高い部分を切り取っているわけでもなく、ガチであのクオリティが1時間半続きます。
特に私が驚いたのが、この作品は「ゲームとしてのスーパーマリオを映画化すること」を徹底的に考えた上で作られていることです。要は、「ただマリオの空気感と世界観を拝借したアニメ」なのではなく、しっかり「ゲームとしてのスーパーマリオのアニメ化」になっているのです。
たとえば上記の画像のように、マリオがコースを進んでいる姿を横向きで撮ったカット……いわゆる「2Dマリオ」の映像表現をアニメに落とし込んでいたり、一方で『マリオギャラクシー』『スーパーマリオ3Dワールド』のような「3Dマリオ」を彷彿とさせる際立ったアクション映像もあります。
そして、『マリオカート』が登場する時は、あの「カートが走っている姿を後ろから見ている」ゲームならではのカットがしっかり取り込まれています。この作品は、「ゲームの特性を利用した上で映像表現が優れている作品をアニメ化する」ことの難しさに、ド直球で向き合っている映画だと思います。イルミネーションと組んで、思いっきりマリオの画面をアニメに落とし込んじゃえばいいじゃない。
そんな常識からかけ離れた表現を実現してしまったのが、『ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー』ってわけです!