c144 Dancing in the shadow!
「NPCが影になり始めて大変だー!」みたいな回。
もう、ユイ消滅回の余韻とかあんまりない。
これが『Angel Beats!』流だよ。この圧倒的速度だよ。
そしてここまであまり言及してなかったけど、ゆりっぺも結構好き。
椎名をノーカンにすれば、ゆりっぺ派です。
彼女、ヒロインというより、「ヒーロー」ですよね。
そこが徹底されていた気がします。
そして、自分は「ヒーロー系女子」が好きなので……芝村舞とかね。もっと言うならこの作品『ガンパレ』式で遊んでみたいです。え、どうせ『-1st beat-』やってないのに適当こくなって? の、納期の悪魔がァーッ!!
最終盤でずっと気になってたんですけど、日向と音無と直井で三角関係みたいになってんのヤバすぎないか? これもだーまえ兄さん48の殺人技のひとつですか?
なに? 私たちをどうしたいワケ?
日向と音無に砂糖吐いてた自分はどうしたらいいの?
いや、むしろ自分「直井」単体は結構好きですよ。その先にある「直井の扱い」が縦横無尽すぎてヤバいと思ってんですよ。なんか水星の魔女のエラン5号みたいな動きしてね? この「コイツなんでもアリかよ」感!!
狂う、狂う狂う狂う狂う……いやだ、直井が入った三角関係なんかで狂いたくない……こんな将棋の対局中にベイブレード打ち込んでくるようなプレイイングに負けたくない………。
c26 次もバンドやるよ!
「毎日が文化祭みたいで……楽しかったなぁ!」
このセリフ、『Angel Beats!』という作品を端的に表わしていると思っています。
そしてやっぱり、これも「寂しさ」だと思いました。
ずっと、毎日が文化祭の準備期間みたいな世界だった。いつまでも終わらないワクワク感と、いつか終わりを迎えることがわかりきっている寂しさが、どこか端っこに見え隠れしている。「学校の文化祭」は、そんな永遠の楽しさと、刹那の寂しさが同じ箱の中に詰まっている。
もっと言えば、文化祭は「始まるまで」が一番楽しい。
たぶん、みんな準備期間を一番楽しんでいる。あの楽しげな空気に包まれている学校と、どこか寂しい準備期間。13話の間、ずっとそういう世界を描き続けてきたのが『Angel Beats!』だと思います。ずっと文化祭の始まらない、楽しい世界。
たぶん、自分はその「文化祭の前みたいな空気」が好きだったのかなと思います。
「次もバンドやるよ!」
「ああ。きっとまた、好きになる。」
この「次もバンドやるよ!」のセリフとともにガルデモメンバーが消滅したシーン……なんか自分としては、「もうここで『Angel Beats!』は完結してもよかったのではないか」とすら思っています。
この世界の人たちは、ありもしない青春をずっと楽しんでいた。
理不尽な神への復讐として、終わりのない青春を謳歌していた。
そんな救済の青春が終わる時、何を思うのか?
本当に何の悔いも残さず、消えることができるのか?
そこに対する答えとして、「次もバンドやるよ!」が出てきたのが、すごく嬉しかったです。たとえいま消滅してしまうとしても、別に人生に絶望したわけでもないし、神を呪ったわけでもない。生まれ変わったら、また好きなバンドをやる。いまの人生も楽しかったけど、きっと次だって楽しくする。
そんな言葉が出てきたことに、なんか勝手に満足してしまいました。
『Angel Beats!』という作品に、満足してしまったのです。
この世界を通して語りたいことはなんだったのか。
この人々から私はなにを感じとればよかったのか。
その答えが、私は「次もバンドやるよ!」だと思っています。
c174 卒業生代表、音無結弦!
「でも、なんだかんだ言って、みんな結構楽しんでたんだよな。ここの暮らし」
このセリフ、『Angel Beats!』という作品を端的に表わしていると思っています。
おっ、天丼ネタか~~~~~!?!?
いやいや、でも割とマジに、「次もバンドやるよ!」に並んで、この作品の解答みたいなのが出ちゃってるセリフだと思ってます。なんだかんだ言って、みんな楽しんでた。そういう全13話だと思います。
学校生活は、振り返ってみると、「なんだかんだ楽しかった」に帰結すると思う。
確実に、誰でも「なんだかんだ楽しかった」に丸めこまれると思う。
学校に行けてない人も、いろいろ嫌な思いしてる人も、時間が経ったら「なんだかんだ楽しかった」になるんですよ。これはマジ。不登校でゲームしてるとかみたいなクソみたいな思い出も、時間経ったら悪くなかった気がしてきます。
だから、「青春」という言葉の正体を解凍するなら、私は「なんだかんだ楽しかった」になるんじゃないかと思います。マジで。どんなに後ろ暗い生活送ってようが、自分の学生時代を10割否定できる人なんかいない。この作品は、その「なんだかんだ楽しかった」を描いたんだと思います。
「じゃあな、親友!」
号泣。
いやーわかってたんすよ!
「あ、たぶんオレ日向が消えるシーンきたら泣くな」とは思ってたんすよ!!
それこそ野球回あたりから、ずっと思ってたんすよ!!!
うわ~~~~~~~~っっっっっ!!!!!!!!!!
でもホント、『Angel Beats!』見てて唯一泣いたシーンがここでした。
ここで変に捻らず、ただシンプルに「じゃあな、親友!」なんすよ。日向が音無のこと、「親友」って……最後の最後まで明るく「親友」って……やっぱ日向と音無なんですよね。号泣。
『Angel Beats!』は1話と最終話の完成度が圧倒的。正直、「作品は掴みがすべて」と「終わりよければすべて良し」を地で行ってる作品だと思います。
だけど同時に、その「合間」が最も重要な作品だと思います。
バンド、野球、釣り、テスト、恋愛、学校生活……そのどれかひとつが欠けると、あまり最終回に納得感は得られない気がします。一見無駄な話を通して、「愛着」を持つ必要があるアニメだと思いました。
人を満たしてくれるものとは、一体なに?
人生の最期に「悔いはない」と思わせてくれるのは、どんなもの?
私は、「無駄なもの」だと思ってます。
人生って、割と「無駄なもの」の集合体です。「人生に無駄なことなんてない」という考え方も正しい一方で、私は「無駄なものしかない」とも思います。そんな「無駄なもの」で、どう着飾るかが大事。
たとえ神になっても、「無駄なもの」の価値は変わらない。意外と神様もロックが好きかもしれないし、もしかしたら天使だって麻婆豆腐が好きかも。そんな無駄なものを拾い集めていくと、いつか生きる意味とか見つけて、最後は悔いなく死ねるかも。
そんな人生にとって大切な「無駄なもの」を、楽しくて、寂しくも描いたのが『Angel Beats!』だと思います。無駄なものを集めるのは楽しい。そして寂しい。でも、最期にはきっと宝物になっている。
もっと言えば、『Angel Beats!』という作品も無駄なものだと思います。
別に私はこのアニメを知らなくても人生楽しかっただろうし、死ぬまでに困ることもなかった。だけど、いまここで知れたから、人生の彩りが増えた。死ぬ時に覚えているかはわからないけど、走馬灯の1スライドくらいには入ってくる気がする。日向が射出されるシーンとか。
そんな、極めて「無駄なもの」である『Angel Beats!』をここで拾えたのが、私の幸運だったのだと思います。きっとこのアニメのおかげで、悔いなく死ねる。