[kayamori]いつまでも出ない…。[31A]2nd Beat!
いや、この記事まだ終わってないんだよね!!
ってか、私も完全に終わったつもりで書いてました。
そうだよ、『ヘブバン』の話してないんだよ。
実は今回、特別に『ヘブバン』と『Angel Beats!』のコラボイベントを触らせてもらいました。第一弾と第二弾の復刻イベントです。
「アニメを全話見終わって即コラボに移行する」という、もう最高に整った状態でコラボを触りました。これ以上のベストコンディションはないんじゃないかと思うレベルで整ってます。
触ってみた最初の感想……もう、最高!!
ゆりっぺとかなでが出てくるのもそうだけど、ちゃんと『Angel Beats!』が『Angel Beats!』してるんですよ。あの主張の強い劇伴もそのままだし、アイキャッチもあの仕様だし……思った以上に『Angel Beats!』だった。
あと、バトル曲がガルデモなのもヤバい。
戦い始めたらいきなりAlchemyが流れ始めた。
Alchemy!?こんな序盤で?!
すごい、こんなに「愛」を持って『Angel Beats!』を取り扱ってくれるのか。「作者同じなんだから当たり前だろ」と思うかもしれないのですが……やっぱりゲームって集団制作なんですよ。だから、スタッフ全員に『Angel Beats!』への愛がないとこんなものは実現できない。
最近、「大勢の人が愛を持って作り上げたもの」を見ると、なんかそれだけでちょっと泣きそうになってきます。涙腺脆弱すぎか? アニメ版の『君のことが大大大好きな100人の彼女』とか、『負けヒロインが多すぎる!』とか、これはスタッフに確固たる愛がないと作れないだろうという熱さをぶつけられると、無条件で泣けてくる。
やたら多かった…。
キャラクター!よくわからなかった…。
最後の敵!声優も歌えるのに…。
歌唱は別!いつまでも出ない…。
2nd Beat!
だーまえ兄さんサイテー!!
こんなん「横綱相撲」じゃん。
ここ流石に笑わないヤツいないでしょ? 自覚的だったのかよ! 思ってたよ、無駄にキャラクター多いって! 最後の敵がなんなのかもよくわからんって!!
このボケ、「最終回の次回予告」をパロディする形で出してきてるのもすごいと思う。最終回の感動を返してくれ。原作を最も破壊できるのは原作者だった。
天使のキャラも絶妙に崩壊してるこの「横綱相撲」度、個人的には『FGO』の『魔法使いの夜』コラボを思い出します。いや時系列的にはあっちの方が後なんだけど。最もムチャクチャできるのは原作者。こんなの誰にも真似できない。ズルいよー、なんかこれズルいよー!!
コラボ参戦キャラ、ゆりっぺ、かなで、あと入江。
入江……?
なぜ入江? これ、コラボ発表時もみんな困惑してたんですかね?
普通に考えたら、まぁユイか岩沢あたりが安牌だと思うんです。なのに入江。阿澄佳奈をキャスティングしておきながらアニメ内で5分しゃべったかどうかの入江。だから、そもそも「入江がどんなキャラなのか」すら私にはわからない状態でした。
だけど今回は実質的に入江が主人公。
率直な感想として、「入江ってこんなかわいいやつだったの?」と思いました。なんか冷静に考えるとすごいですよね、「登場キャラが多すぎるから本編で尺が割かれず、数年経ってからのコラボでどんなヤツなのか見えてくる」って。どういうこと?
なんてこった、Keyとだーまえ兄さんは10年後に『ヘブバン』が大ヒットして『Angel Beats!』とコラボを行い、そこで改めて描写を行うことまで想定して入江に阿澄佳奈をキャスティングしていたんだ……なんて壮大な計画なんだ……とでも言うと思ったか!?
そして明かされる入江の過去。
本編でもやっていた「来世へ向かうための卒業」……入江はまさかの『ヘブバン』で行うという。すごいことしてるよね? アクロバティックすぎる。
「生前の入江は生徒会長をやっていた」とか「ドッキリで死んでしまった」とか、これホントに当初から考えてたのか!? 「究極の後付け」ってやつなんじゃないのか!? 面白いから別にいいんだけどさ!
でも、「AB!とのコラボイベント」という意味では、すごく誠実な作りでもあると思います。『Angel Beats!』側のフォーマットである「心残りを果たして卒業させる」を実行に移しつつ、『ヘブバン』側の世界観でゆりっぺやかなでが戦う。
なんか、結構気合の入った「劇場版ヘブンバーンズレッド」を見せられている気持ちになってきます。みんな思い出したかのようにセラフィムコード使うし。いかにもコラボから入ってきた新規層に「ヘブバンってこういうゲームなんですよ!」とアピールしたい気概に溢れている。
ただ、俺が初めて好きになったのは、入江…お前で…。
ずっと好きだったのは入江で…。
今も、入江で…。
まぁ、みんなそうだと思うんですけど、このイベントで一番好きなキャラはやっぱり「新之介」です。『ヘブバン』で男好きになることあるんだ?
入江のためにひとりで戦い続け、入江のために生徒会メンバーを救い、そして「入江」という名の初恋のために人生を捧げた。だけど彼も大人になり、次の道へと進み始める。未練を振り切り、初恋に別れを告げ、人生へと歩み出していく。それを見届けた入江もまた、新たな生へと踏み出す。
その初恋は、入江の無念でもあり、同時に入江を救っていたのだ。
新之介カッコいいぞ─────!!!
最高の男だぞお前─────!!!!!
もう、濃縮された『Angel Beats!』をショットで飲んでる気分です。
いいよな、『Angel Beats!』ってさ……。
しょうもない天丼ネタ、突然生えてくる過去エピソード、いい感じの音楽、そして感動……もう麻枝 准スターターキットみたいなイベントですよね。いや褒めてる! 褒めてるから! さあ、キミも『AB!』コラボでKeyデビューだ!!
……と言っていたら、なんと近々コラボ第3弾として関根がやってくるらしい。
またガルデモの印象残ってないやつだよ。
関根? もう入江と合わせて「ガルデモの髪色が面白い子」くらいしか覚えてないんだけど? どうなっちゃうんでしょうね。
とにかく、第3弾でも『AB!』コラボでKeyデビューだ!!
次もバンド、出来るかな。
『AB!』コラボ第2弾、今度はひさ子が出てきた。
もうこれ無限に『AB!』コラボ撃てるじゃないですか?
でも、ひさ子は比較的目立ってるポジションだったと思います。入江より全然目立ってた。もしかしてこれ何回もコラボやってるうちに椎名にもターン回ってくるのでは? 来年か再来年、いよいよ椎名のターンが来るのでは!?
私、「追う側」の人が好きなんです。
追いかけられる人じゃなく、追いかける人。愛される方ではなく、愛する方。推されるアイドルではなく、推すファンの方。感情や気持ちを向けて、大切なあの人を追いかけ続ける人。そういう人が好き。
要するに、天堂真矢より西條クロディーヌの方が好き。十王星南より雨夜燕が好き。そして、岩沢よりひさ子が好き。アニメでは描写されずに終わっていた「ひさ子が岩沢に向けていた気持ち」がここで描かれたことが衝撃でした。ひさ子ってこんなかわいいやつだったの?
これは人の性分というか、私は「一方的に愛され続ける」より、「一方的に愛し続ける」方が楽しいと思います。なんでも、防御より攻撃の方が楽。その気持ちを伝えるかどうかはさておき、ずっと誰かを想い、考え、焦がれ続けるのは楽しいことなんです。
「恋をすると、人は若くなる」って言うでしょう?
大好きな人に会う時、髪の手入れをして、いつもより着飾ってみる。だけどあの人のことを思うと、身だしなみの手入れもままならないくらい心が乱れる。あの人のそばで生きられたら、どんな人生になるのだろうか。そんなことを考えるだけで、今日も夜が過ぎ去っていく。
そんな気持ちに苛まれ続けている間、ずっと、苦しいけど楽しい。
だから、その様を見るのも楽しい。ひさ子が想像以上に岩沢のことを思っていたのも、月歌にあの人の姿を重ねてしまうのも、みっともないけど素敵だと思う。
「なんだよ、あたしを残してどっか行っちゃうのかよ!?」
「帰ってくるから、大丈夫大丈夫。」
月歌に幼女みたいななだめ方されるひさ子、ホントみっともなくてかわいい。
「依存」はあまりよくないものとして語られるけど、逆に「依存」ほど人を生かすものもないと思います。なにかに依存せず生きられ続ける人なんて、どこにもいない。いたとして、多分それは寂しい人。そして依存の度合いが高ければ高いほど、人はより強靭に生き続けようとする。
それが現実逃避でも、きっと大丈夫。
夢もない。進むべき道もよくわからない。そんな時は、思いきり依存してしまえばいい。推しのアイドルでもいい。好きなゲームやアニメでもいい。愛していれば、毎日があっという間に過ぎていく。自分は特別でなくてもいい。自分にとって特別な誰かのためになれていれば、それだけで生きていられる。
本当に「生きる意味」みたいなものが人間に課せられていたとして、それを他人に預けてしまうのは、みんなが言うほど悪いことじゃないと思う。あの人の夢が、私の夢になる。あの人に寄り添えるだけで、こんなにも幸せでいられる。そんな夢と依存のあり方、別に悪くないじゃん?
「斬崎くんさぁ。
あんたに足りてないものがわかったよ。
愛情だよ。母親を失った日から渇望していたんだな。」「愛情なんてくそったれだ…この世で一番忌むべきものだ…!」
「でも今あんたはあたしを求めてる。
それは愛情以外になんて表わせる? 作詞家さん。」
なんだかさっきから恥ずかしい自己啓発ポエムみたいなのを乱射しておりますが、このイベントでは「愛する人、愛される人」というテーマが語られていると思うんです! 物語のコアになっている「岩沢(月歌)⇔ひさ子⇔斬崎」の相互関係がまさにそういう話だと思うのです!
斬崎くんもなー、困ったヤツよなー。
いつもなら「俺メンヘラ嫌いなんだよ」で言及もしないキャラなのですが、ここまでみっともないと結構愛着湧いちゃう。なんか、すごい「剥き出しの気持ち」が描かれてるシナリオだと思うんです。斬崎は、ひさ子に母性を見出していた。ひさ子は、月歌の前で駄々をこねる子どもみたいになる。
孤独、寂しさ、依存……そういうものを突き詰めていくと、「親になってほしい」に辿り着くこともある。それが結果として「恋人」や「家族」といった形を取るだけで、「私を愛してくれて、私が愛せる存在なってほしい」「私をひとりにしないでほしい」という傲慢で純粋な願いが根底にある。
でも、その願いのあり方は間違っていないと思う。
そうじゃなきゃ、人類は発展できなかった。
だから、「依存」は悪じゃない。その果てに悪となる可能性はあったとしても、大本となる「依存」そのものは、人間の感情としてはいたって健全なはずだ。誰かに・なにかに依存しなければ、人は生きていけない。そんな依存の積み重なりで、社会は構築されている。
そんな「依存」という、純粋すぎて害悪ともなりかねない感情を、どこまでも剥き出しのまま取り扱っているのが、このシナリオの好きなところです。
世界には、誰かを愛する人が必要だ。
世界には、誰かに愛される人が必要だ。
何度生まれ変わっても、何度人生を繰り返しても、それは変わらないはず。
あたしのギターに惚れ込んだ岩沢。
初めてエレキギターに触る岩沢。
拙いながらも大音量で歪んだ音を出して喜ぶ岩沢。曲を書く岩沢。
いちいちあたしの弾くリフに驚く岩沢。
その曲をCrow Songと名付けた岩沢。初めてやったライブで、弾ける岩沢。
躍動する岩沢。すごい楽しかったと抱きついてきた岩沢。
あたしが必要だと言ってくれた岩沢。その汗から青春の匂いがした岩沢。
岩沢。どこを見ても岩沢。
あたしがここに居た理由はすべて岩沢。
岩沢があたしのすべてだったんだ。
ひさ子、岩沢好きすぎ!!!!!
コラボの再現度云々で「強すぎる愛を目の当たりにすると、なんか無条件で泣けてくる」という話をしたと思うのですが、アレは一種の生理現象な気がしています。誰かに怒ったり、強い感情を発露した時に意味もわからず泣けてくるのと同じで……あまりにも強烈な愛は、ガツンと人の心を揺さぶる。
『Angel Beats!』は、文化祭の準備期間がずっと続く話。
そして同時に、文化祭の残り香を味わう作品でもあると思います。
あの楽しい文化祭から、あの終わらない青春から、みんな旅立っていった。その刹那の文化祭がすべてだったひさ子のような人間は、どこへ向かうのか? その解答を持ってきたシナリオ。
そんなひさ子の青春を終わらせるのは……まさに岩沢本人!!!
いやー、これ……反則ですよね!
なんか、うっすら「はいはい、沢城みゆき呼べなかったのね」とか思うじゃないですか? 呼べてたんだわ。
で、このシーンに到達して私の脳裏をふとよぎったのが、アニメの「次もバンドやるよ!」のセリフでした。あのセリフ、まさにひさ子が言っていたセリフだったんです。私が勝手に『Angel Beats!』という作品の解答だと思っていたあのセリフが、急に脳裏をよぎった。
そして同時に、「まぁ、あのセリフ誰も覚えてないか」と、半ば諦めました。そもそもあのセリフは、コラボイベントの状況に合わない。あんな10年以上前のアニメの、たったワンシーンのセリフは、原作者だって覚えてないんじゃないか? 別に目立ってないキャラのセリフひとつ、誰も覚えてなくて当然か。
「次もバンド、出来るかな。」
「あたしたちなら出来るさ。」
覚えてた─────!!!!!!!!!!
ここ、正直「麻枝 准ってすごいんじゃない?」と思いました。めちゃくちゃ失礼!! いや、でも、嘘偽りなく、ここで初めて「敗北」を感じました。覚えていてくれて、本当にありがとうございます。
岩沢もユイも消えたあとのひさ子が言った、「次もバンドやるよ!」。
そう言いながらも、実は卒業しきれていなかったひさ子。今度は、今度こそは、岩沢に問いかける形の「次も、バンド出来るかな」。10年以上かかった、再結成宣言。ああ。きっとまた、好きになる。
人は誰かを愛さなくては、愛されなくては、生きていけない。
愛なくして、人生なし。
だけど同時に、誰かを愛したり、愛されたりした経験があれば、どんなに孤独でも生きていける。おじいちゃんになっても、おばあちゃんになっても、それが依存であろうとなかろうと、一度手にした「愛」があれば、ずっと忘れずに生きていける。花も人も枯れるけれど、愛だけは枯れないのです。
これはきっと、青春への恋だったのかもしれない。
アニメを見て、コラボシナリオも触って、最終的に『Angel Beats!』という作品に感じているのは、青春という取り戻せない時間への憧憬。愛しさも寂しさも混ざり合っていた季節への郷愁。
私も次の人生に進んだ時、またあの青春を味わえるのだろうか。
非常に大きいスケールで、前向きな未来を提示している作品だと思いました。
日々を普通に過ごしている人、いま生きていて辛い人、これ以上の幸せはないと感じている人、年老いてそろそろ死にそうな人、みんなまとめてきっと次の生がある。
だからとりあえず、来世には期待してみるといい。
青春にロクな思い出がない人、きっと次は楽しいかもしれない。夢を果たせなかった人、次は叶うかもしれない。現在進行形で絶望している人、もしかしたら次で報われるかもしれない。
きっと、来世も世界は愛で回ってる。
神は理不尽だけど、同時に平等。
どうせみんな死ぬなら、次も絶対幸せになってやろうじゃん?
約束しましょう。来世も幸せになるって!
じゃ、またどこかで!