ゼルダ新作は2D、3D…に続く「第三の波」をゲーム史にもたらすか? ゲームデザインの徹底分析で浮かぶ任天堂の“新境地”【寄稿:元任天堂・岡本基氏】

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 本稿の執筆者、エンタースフィア代表・岡本基氏元々任天堂のスタッフであったことは、古くからのネットユーザーには知る人も多いかもしれない。

 さて、そんな氏に今回寄稿をお願いしたのは、ゼルダ新作『ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド』がらみのTwitter発言に編集部が興味を持ったのがキッカケ。さっそくプレイ記事の寄稿を打診したところ1週間後に届いたのは、Webメディアのコラムとしては常識ハズレの分量の大大大長文(!)。しかし今回のゼルダの歴史的意義を雄弁に語った論考であるとして、一挙掲載をすることに決めた。

 本稿の1ページ目は、歴史的視座の分析。元任天堂スタッフとしての視点も交えつつ、この20年における世界のゲーム動向から見たゼルダ新作の意義を把握する。そして2ページ目は、詳細なレベルデザインの分析にもとづく、ゲームデザインの新規性の把握。昨今隆盛の「オープンワールド」はその通過点にすぎなかったかもしれない――として岡本氏の提唱する「第三の波」とは何か。その形の片鱗を探る野心的な論考を、ぜひ最後までお楽しみ下さい。(電ファミニコゲーマー編集部)

著者
(株)エンタースフィア代表。経営の傍ら、ゲームデザイナーも務める。
任天堂時代はスーパーマリオ64DSやWiiFitなどを制作し、独立後はPSVitaやモバイル向けのゲームを制作。最近は日本のゲーム開発の現状やゲームデザイン分析を英語圏に発信中。
個人サイト:https://motoiokamoto.wordpress.com/
Gamasutra:http://www.gamasutra.com/blogs/MotoiOkamoto/989663/

 「ついに悲願だった広大な世界の冒険を実現するんだな……
 「凍っていた時間が再び動き出した」

 3年近く前、2014年6月のE3で発表された『ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド』(以下、『ゼルダBotW』)の新作を見て、私は感慨深い思いを抱きました。なぜなら、広大な世界での冒険は、ゲームキューブ以降の3Dゼルダにとって、ずっと悲願だったことを知っていたからです。

「誰が宮本さんの後継者になるんだろう?」

 少し昔話から始めさせてください。

 私が任天堂に入社して情報開発部(以下、情開)に配属されたのは、『ゼルダの伝説 時のオカリナ』が発売された翌年、1999年のことでした。ちょうど続編の『ゼルダの伝説 ムジュラの仮面』や「裏ゼルダ」【※】の開発が水面下で始まってしばらくの頃。同期のデザイナーの半数近くがゼルダチームに吸収されたのをよく覚えています。

※裏ゼルダ
『ゼルダの伝説 風のタクト』の予約特典として2002年に配布された、『時のオカリナGC』収録の高難度バージョン。

 『ムジュラの仮面』は周知のとおり、『時のオカリナ』で構築したシステムやデータを利用して、約1年で新作を開発するという試みでした。にも関わらず、ただの強化版や物語的な続編ではなく、まったく違うユニークなゲーム体験を作り上げてみせた、シリーズでもかなり稀有な作品であり、歴史的な名作として知られています。

ゾッとするようなホラーテイストな演出も話題となった『ゼルダの伝説 ムジュラの仮面』
(画像は【ムジュラの仮面】タルミナ、最期の3日間!【ゼルダの伝説縛実況】1より)

 とりわけ重要なのは、3Dゲームにおいて「時間」を意識した特徴的なシステムをいくつも導入したことです。特に以下の二つは有名なものです。

・3日間で滅んでしまう世界を何度も時間を巻き戻してやり直す「3日間システム」
・街の住人達がタイムスケジュールで管理されて行動する仕組み

 また、情開内部の人の歴史を振り返っても、『ムジュラの仮面』は貴重な位置づけの作品です。なぜならこの作品は、青沼さん【※1】と小泉さん【※2】――将来の「ゼルダの総合プロデューサー」「3Dマリオシリーズのプロデューサー」という二つの才能が一緒になって、ゼルダの「ゲームデザインの根幹部分」を作りあげた、実質的に最後の作品だからです。その後、小泉さんは『ゼルダの伝説 風のタクト』の開発終盤に参加してラスボス周りの制作を手伝っているものの、ゼルダのゲームデザインの根幹を担当されたのは『ムジュラの仮面』が最後でした。

 やがて情開の開発がゲームキューブに移ると、青沼さんはゼルダを、小泉さんは3Dマリオのディレクターを、担当することになりました。今回は3Dマリオについては語りませんが、この二つのシリーズには、お二人が3Dゲームの未来に何を見ていたか、その視点が色濃く反映されています。

※1 青沼さん
青沼英二氏。『ゼルダの伝説』にディレクション・プロデュースで多く関わり、最新作『ブレス オブ ザ ワイルド』でもプロデューサーを務める。

※2 小泉さん
小泉歓晃氏。本文にあるとおり『ゼルダ』シリーズにはNINTENDO64期に深く関与。『スーパーマリオ64』以降の『マリオ』シリーズのディレクションやプロデュースを務める。

『スーパーマリオ64』(写真左)と『ゼルダの伝説 時のオカリナ』(写真右)。
(画像はAmazon任天堂の公式ページより)

 余談ですが……少し下世話な話をさせてもらうと、当時新入社員だった私たちにとっては「誰が宮本さんの後継者になるんだろう?」みたいな視点もあったんですよ。ジブリについても2014年の制作部門休止までは「宮﨑駿の後継者は誰か?」ってよく言われていたじゃないですか。そういう意味では『時のオカリナ』の後、青沼さんと小泉さんが『ムジュラの仮面』を担当され、紺野さん【※1】や江口さん【※2】がゼルダ以外の新規タイトルを生み出そうとしていたのは、人の動きという視点でも面白かったんですね。

※1 紺野さん
紺野秀樹氏。『スーパーマリオ』各作品に関わり、中でも『マリオカート』シリーズを数多く手がける。

※2 江口さん
江口勝也氏。『スターフォックス』のディレクションをはじめ、『どうぶつの森』シリーズのディレクションやプロデュースで知られる。

 後継者云々という話はさておいても、マリオとゼルダという二大看板を第2世代のクリエイターが引き継いでいけるかは、当時の裏テーマだったように思います。その後どうなったかは、読者の皆さんはすでにご存知のとおりですが、振り返ってみると長かったですね。本当に長かった……。

 でも、ついに達成したんじゃないか――そう思います。

オープンワールドの「息吹」を感じさせた『時のオカリナ』

 ゼルダは2Dゲーム時代に「アクションRPG」のフォーマットを大きく確立し、その探索性の高さからレベルデザインの教科書になってきました。詳細は本稿終了後に掲載した「補論」に回しますが、そのデザインは様々な形で世界の開発者に影響を与えています。しかも、3Dゲーム化すると、今度は「アクション・アドベンチャー」としての側面も注目されるようになりました。

 まず世界の開発者たちを驚かせたのは、シリーズ初の3Dゲームとなった『時のオカリナ』です。このゲームは、シリーズの中での位置づけにおいてもゲーム史においても、偉大なマイルストーンとしてよく挙げられます。評価されているポイントを列挙してみます。

・3Dアクションゲームでの高度なチャンバラ戦闘を実現した「Z注目」
・オートジャンプ

・周囲の物体や地形にあわせて行動コマンドが変化する他、カメラ制御も自動で切り替わる
・「水の神殿」を始めとする立体パズル的な仕掛けに満ちたダンジョン
自然科学的な発想にもとづいた謎解き
・2Dゼルダと違い、1つ1つのダンジョンが異なる見た目、雰囲気に仕上がっている。
・3D化によって迫力が増した、多種多様な巨大ボスとの戦闘
・子供リンクと大人リンクの2つの時代を行き来する壮大な冒険
・ハイラル平原を馬のエポナで駆けて実感する広大さ!
・朝焼け、日中の明るい光、夕暮れ、夜といった1日の時間変化がゲーム内世界で美しく表現されている
・丁寧に作り込まれ、「空気感」のある「生きた箱庭世界」

 いやあ、多い、多い。本当に挙げればキリが無いですね。
 強調しておきたいのは、「Z注目」などのエポックメイキングなシステムだけでなく、この作品はゲームの中の「生きた世界」の実現が大きな感動を呼んだことです。

『ゼルダの伝説 時のオカリナ』のOPでハイラル平原を駆け抜けるリンク。
(画像は【ゆっくり実況】神縛りで神様目指す1【ゼルダの伝説時のオカリナ】より)

 『時のオカリナ』を大絶賛する声には、必ずと言っていいほど、3Dゲームで初めて「空気感」を感じたという意見が見られます。グラフィックの機能としてはフォグ【※】を上手く使って、コキリの森、ハイラル平原、砂漠、水源などで異なる雰囲気を作り出していますし、ダンジョンも一つ一つがまったく別の空間に仕上がっています。それに対して、2D時代のゼルダは、どのダンジョンも似たような外見のブロックや壁で構成されていました。
 『時のオカリナ』をリアルタイムで遊んだプレイヤーの多くは、ハイラル平原を徒歩で、そして馬に乗って駆けて、その広大さに驚いたものです。もちろん純粋な面積は当時の「箱庭ゲーム」の水準であって、今振り返るとそんなに広くはないのですが、当時は「ずっと走り回っていたい」と感じたものです。今振り返ってみると、将来のオープンワールドゲームの可能性の息吹が聞こえていたのかもしれません。

※フォグ
 視点からの距離に応じて特定カラーを混ぜて霞ませることで、遠景になるほどぼやける空気感、遠近感を表現するグラフィック機能のこと。 

 ハイラル平原を広く感じた大きな理由は、レイアウトにもあります。ハイラル平原を取り囲むように森、山、川と湖、砂漠といった他のフィールドが存在し、さらに奥にダンジョンの入口が存在する構造になっていて、ゲームを進めていく上でハイラル平原を何度も通るんですよね。

各フィールドを行き来するのに、世界の中央にあるハイラル平原を通過せざるを得ない。Illustrated byカナヲ

 そしてこの平原がゲーム中で最も広いフィールドです。遮る物もありません。しかも馬に乗って駆け回れます。馬はスピーディな一方で、制御しにくさもあって、ちょっと逸れやすい。寄り道しやすいんですよね。こうした設計が平原を実際よりもさらに広く感じさせた要因かもしれません。

 『時のオカリナ』でもう一つ重要なポイントは、ダンジョンのパズル性が大幅に増したことです。3Dになって構造の把握が難しくなった上、「水の神殿」を始めとして、複数の部屋にまたがった仕掛けも盛り込まれ、ダンジョン攻略の難度も掛かる時間も、跳ね上がりました。ここについては、より面白くなった反面で、難しいと感じた人も少なくなかったようで、日本での3Dゼルダの売上は『時のオカリナ』の145万本をピークとして、それ以後100万本を超えることはありませんでした。ダンジョンの肥大化や難度の高さは3Dゼルダを特徴づけるとともに徐々に「呪縛」化していきます。

 この3D以降のゼルダについて、欧米では「Game Maker’s Toolkit」のBoss Keysシリーズや「Zelda Informer」のBRILLIANCE IN LEVEL DESIGNなど、ダンジョンのレベルデザインを分析した記事が多く見つかります。

「Zelda Informer」ある「水の神殿」を分析した記事も。小見出しは、”Patience is a Virtue(忍耐は美徳なり)”。
(画像はBRILLIANCE IN LEVEL DESIGN: OCARINA OF TIME’S WATER TEMPLEより)

 水位を上下させて攻略する必要のある「水の神殿」(時のオカリナ)、天地が逆転する「ロックビルの神殿」(ムジュラの仮面)、2層にまたがる階段を回転させる「湖底の神殿」(トワイライトプリンセス)など、立体的な発想を必要するダンジョンが印象に残り、評価も高いようですね。その反面、難度が上がってしまうという問題もあります。また、ゲーム中で明示的なヒントが無くても、たいまつで蜘蛛の巣を焼き払うとか、炎を通過するように矢を放って凍ったブロックを溶かすとか、といった自然科学的な発想で謎を解ける点も、とりわけ欧米のユーザーやゲーム開発者からは高く評価されています。
 全体として、『時のオカリナ』は欧米において極めて高く評価され、主に欧米のゲームに多大な影響を与えていったといえます。

 しかし――その後の欧米産のゲームはゼルダに追いつき、そして追い越していってしまったのです。ステルスゲームの金字塔である『メタルギア ソリッド』シリーズで起きたのと、まさに同じことです。影響を及ぼす土壌があるということは、裏返せば、そのジャンルがそれだけ盛り上がっていて、多数のゲーム開発者がゲームデザインを頻繁にアップデートしているのです。

 それは、ゼルダが『風のタクト』で「広大な世界」の実現にチャレンジしようとした後、足踏みしている間に起きました。

青沼ゼルダ1作目『風のタクト』が踏み出した「広い世界」

『ゼルダの伝説 風のタクト』(2002・任天堂)
(画像はAmazonより)

 この2002年の『風のタクト』は、「青沼ゼルダ」の最初の作品です。それは同時に、大好評だった『時のオカリナ』と『ムジュラの仮面』の2作品から、大胆な変更をおこなった野心的な作品でした。特に大きな変更は、以下の2点でしょう。

  • ・平原を中心にした3Dゼルダの世界を一から再構築し、広大な海での冒険に切り替えた
    ・リアルな見た目だった3Dゼルダからセルアニメ調の見た目に大きく転換

 完成度の点で批判もあるようですが、当時すでに広大な世界での冒険を意図していた点はもっと評価されてもいいはずです。オープンシーでも、オープンエアーでも、オープンワールドでも、名前はなんでもいいのですが、3Dゼルダはこの時点で明確に「より広い世界への冒険」へ進もうとしていました。

『ゼルダの伝説 風のタクト』の作中に登場する風の神様・フーチンが乗っている雲も、イラストのようなタッチで描かれている。

 ただ、上記の変更が当時、大きな衝撃をもって受け止められたのも事実です。ユーザーからの批判も少なからず見受けられました。とりわけフォトリアル志向の強かった欧米のゲームユーザーの反発は強く、「自分の欲していたゼルダではない」と感じた人も一部にいたようでした。当時の様々な事情やハード性能の制約から、ゲームソフトとしてのボリュームが足りておらず、海での移動が何もない水面を眺めているだけの退屈なものに感じられたのも、批判された原因かもしれません。

 しかし10数年が経過し、時間をおいた目で冷静に見直してみると、少なくともそのチャレンジスピリッツとゲームデザインの変更の大胆さにおいて、シリーズでも屈指の作品だったことが、改めて浮き彫りになります。『ゼルダBotW』につながるマイルストーンとしても欠かすことができないと思います。実際、リメイク作品の『ゼルダの伝説 風のタクト HD』の制作が『ゼルダBotW』制作のヒントになっていたようですから。

DS・Wiiで路線転換せざるを得なかった3Dゼルダ

 その後のゼルダは、ゲームキューブの商業的な苦戦を受けて、米国子会社のNintendo of America Inc.(NOA)からの強いリクエストもあり、「リアルゼルダ」路線へといったん回帰します。

『ゼルダの伝説 トワイライトプリンセス』(2006・任天堂)
(画像はAmazonより)

 それに伴って、舞台は広大な大海原から分断された地上マップに戻りました。『ゼルダの伝説 トワイライトプリンセス』が2004年のE3で最初に発表された際、米国のメディアの中には「ニンテンドー、カムバック」と報じたところもあったようです。「離れていった任天堂が俺たちのところへ戻ってきた!」という大人のゲーマー達の率直な大歓喜がよく表れています。そして、次の作品である『ゼルダの伝説 スカイウォードソード』では、Wiiリモコンを最大限活用する方向に進みました。

 当時の任天堂は「ゲーム人口拡大」を重要な戦略として掲げており、ニンテンドーDSとWiiは売れに売れていました。ところが、当時の任天堂は次の段階として2つの課題を抱えていました。

・Wiiで初めてゲームを遊んだ人達に定着してもらうには、ゲームのより深い面白さに気づいてもらう必要があった
・ゲーム人口拡大戦略が成功する一方で、カジュアルユーザー向けのタイトルが増加したため、「任天堂はゲーマーを重視していない」というイメージが強くなった

 その問題意識から、やがて社内的にも、初心者とゲーマーの両方の人達に楽しんでもらえるゲームソフトが求められるようになっていきます。『New スーパーマリオブラザーズ Wii』と『スカイウォードソード』の2本は、まさにその役割を果たすソフトだったといえるでしょう。

『ゼルダの伝説 スカイウォードソード』(2011・任天堂)
(画像はAmazonより)

 ただし、その結果として『スカイウォードソード』では、もう「広大な世界での冒険」は目標として掲げられませんでした。そして地上マップはやはり分断された構造になりました。その点については、大ざっぱに言うと、Wiiのハード性能がゲームキューブの約2倍程度でしかなかったことが大きいでしょう。代わりに設定されたチャレンジは、Wiiの体験型操作を取り入れつつ、奥深いゲームを構築することでした。

『スカイウォードソード』では、複数のエリアからマップが形成された。
(画像はゼルダの伝説 スカイウォードソード を実況プレイ part1より)

 こうして振り返ってみるとよくわかります。ゼルダシリーズは「広大な世界の冒険」を目指していたにもかかわらず、『トワイライトプリンセス』と『スカイウォードソード』の2作品はそこから逸れていたのですね。様々な事情がありますが、やはり大きかったのは「ハード性能の制約」だったように思います。『ゼルダBotW』とは、まさにWii Uに開発が移って、ついに長年の悲願の実現に挑戦した作品だったのでしょう。

90年代末の日本は3Dゲームの可能性に前向きだった

 ただ、実のところ、『風のタクト』の広い世界を目指す路線は、当時の日本のゲーム開発者達にとって、それほど意外な発想ではなく、むしろ誰もが考える「正統進化」とさえ言えました。

NINTENDO64、セガサターンと共にゲームに3DCGの風を吹き込んだ。
(画像はWikipediaより)

 そう――この「広大な世界」に可能性を感じていたのは、何も任天堂のゲーム開発者だけではないのです。そもそも90年代後半から2000年代初頭の日本のゲーム業界において、3Dゲームは一大フロンティアであり、さまざまなタイプのゲームが3D化されていきました。ただ、PlayStationやNINTENDO64には性能面の限界があり、ゲーム内の世界は小さく区切られた「箱庭」のようなものでした。実際に当時は、「箱庭ゲーム」という名称が用いられることもあったくらいです。

 しかし、その後ドリームキャストやPlayStation 2、ゲームキューブの登場によって、ゲーム内の世界は大幅に拡大します。

『シェンムー 一章 横須賀』(1999・セガエンタープライゼス)
(画像はAmazonより)

 例えば、セガの『シェンムー』は、横須賀などの街の一部をゲーム内に作り上げました。『ムジュラの仮面』より半歩早い1999年12月に、タイムスケジュールで管理された住人達を実現した作品です。また同社の『クレイジータクシー』は客を目的地に早く運ぶため、一方通行の道路を逆走でき、公園や線路、地下鉄構内なども自由に走り回れるというゲームでした。

『クレイジータクシー』(画像左)と『ジェットセットラジオ』(画像右)。
(画像はDreamcastの公式サイトより)

 あるいは、やはり同社の『ジェットセットラジオ』。これは街中を走り回って、ケーサツや他のグループの妨害を回避しながら、ストリートをグラフィティで埋め尽くすゲームでした。街中をゲーム空間として取り込む動きは、任天堂以上にセガが積極的でした。

 任天堂とセガは当時、ゲーム機メーカーとして競争するだけでなく、世界的に見ても極めて高度な3Dゲームの会社として競ってもいたのです。両社のゲームソフトが相互に与え合った影響は、ゲーム史的に見ても多くの指摘があります。もちろんこの2社に限った話ではありません。当時のゲーム開発者はゲーム機のハード性能の向上に伴う「箱庭の拡大」がゲームを面白くするはずだと素朴に考えていたのです。

 しかしその考えは、今振り返ってみると、素朴すぎた側面も否定できないかもしれません。というのも、PlayStation 2やゲームキューブの世代にまで来たとき、ついに日本のゲーム開発の問題点がいくつも露呈し始めたのです。

・ 空間の拡大にともなって、広い空間をどう遊ばせるかというゲームの構造の変化も必要だったが、既存の枠組みを踏襲しすぎた
・ プレイヤーキャラの移動に合わせたシームレスなローディングや、遠景までの描画システムなどの技術が追いつかなかった
・ 日本のゲームの絵作りが職人的で手間暇のかかるやり方のまま、単純に量的・空間的な拡大をめざしてしまった。結果として広さを実現するだけで精一杯で、十分なゲーム的遊びの密度を作りきれなかった

 上記の問題点は『風のタクト』を含めて、いくつかのゲーム開発現場で見られた現象だと思います。そして日本のゲーム開発者達が苦戦している一方で、いい意味で大雑把な欧米において、「オープンワールド」に代表される広大な空間を舞台にしたゲームがぽつぽつと現れ始め、21世紀に入ると大きな成功を収めるようになりました。

『GTA3』が任天堂に与えた衝撃…そして凍り付いた10年

「オープンワールド」という言葉を強く定着させたのは、なんと言っても2001年10月の『Grand Theft Auto III』(以下、『GTA3』)でしょう。この『GTA3』は日本での発売が2年後だったことや、クライムアクションとしての側面が強調されたことで、ゲームデザインの革新性が日本で認知されるまで人によって時間差があったようです。ところが、意外に思われるかもしれませんが、任天堂は早くから『GTA3』に注目していたのです。

『Grand Theft Auto III』(2001・Rockstar Games)
(画像はAmazonより)

 というのは、『GTA』シリーズを開発しているRockstar North(旧DMA Design)は、かつて『レミングス』【※】を開発したスタジオであり、その後任天堂とともにNINTENDO64用のゲームソフト『BODY HARVEST』【※】を開発していた経緯があるからです。

※1 レミングス
ステージを突き進むレミング(タビネズミ。集団自殺をすると考えられていた)たちを誘導してゴールまで運ぶアクションパズル。1991年にDMA Designが開発。クリアに行き詰まったときに押す破裂コマンドなど、死亡パターンがかなりブラック。

※2 BODY HARVEST
Rockstar Gamesの前身にあたる、DMA Designの開発によるNINTENDO64用ソフト。日本未発売。『グランセフトオート』の萌芽が見られる、いくぶんバイオレンスなオープンワールド風味のタイトル。

 結局、日本向けの変更が間に合わず、このソフトは日本では発売されませんでした。でも、その横でまさに『GTA』シリーズが作られていたわけで、関係の深い会社からそんなことが起きたのであれば、そりゃ注目しないはずがないのです。実際、当時の先輩社員の一人が、彼らに会社を続ける資金とゲーム作りのノウハウを与えながら、任天堂との開発で肝心の大ヒットが出せなかったことを嘆いていたのを、よく覚えています。

クライムアクション(犯罪を主題としたアクションゲーム)の定番タイトル「GTA」シリーズ。文字通り、なんでもありなゲームだ。
(画像はGTA3カオスモードでゆっくり実況プレイpart3より)

 『GTA』シリーズは97年の1作目、99年の2作目までは2Dでしたが、まさにこの3作目から3Dに切り替え、1000万本を超える大ヒットソフトとなりました。そして皮肉なことに、この『GTA3』の登場によって、オープンワールドという言葉の認知は世界的に広がっていったのです。クライムアクションという点でも、広大な世界を自由に遊べるという点でも、このソフトが任天堂に与えた衝撃は決して小さくありませんし、任天堂はどう向き合っていくか考えざるを得なかったのです。

 しかし、「任天堂らしい回答」が、すぐに出せたわけではありません。前述のとおり、ゲームキューブの販売不振によって3Dゼルダは路線転換を余儀なくされました。それに加えて、PlayStation Portableという強力な競合が出現したため、従来は携帯ゲーム機向けに本腰を入れていなかった情開も、ニンテンドーDS向けのソフト開発に大きく傾注していったためです。

ニンテンドーDS(2004・任天堂)
(画像はAmazonより)

 そうして任天堂の時間は10年近い歳月、「凍ってしまった」のです――。

 でも、時間が凍ったのは任天堂だけではありません。
 『GTA3』はセガの『シェンムー』や『ジェットセットラジオ』の影響を色濃く受けているとよく言われます。その時点では日本のゲーム開発者はまだ、欧米のゲーム開発者と切磋琢磨していたのです。荒削りの部分がありながらも、広大な舞台を自由に遊べる魅力を目一杯に実現してみせた『GTA3』。それに対して、日本のゲーム開発者がどのような回答を返すのか。返すのか。返すのか……。

 残念ながら、任天堂には任天堂の、セガにはセガの、それ以外の会社にもそれぞれの事情があり、そして日本国内の市場の動向もあって、日本の開発者は回答を返さないままに時間が過ぎていきました。その間、PlayStation 3やXbox 360の世代では、欧米において実に多くのオープンワールドゲームが咲き誇り、「オープンワールドにあらねば次世代ゲームにあらず」と言わんばかりの状態にさえなっていたのに……です。おそらく、その例外は2012年のカプコンの『ドラゴンズドグマ』【※】くらいでしょう。

※ドラゴンズドグマ
カプコンが2012年に発売したPS3、Xbox360用タイトル。3Dによるハイファンタジーのオープンワールドでくり広げるアクションRPG。

FFシリーズ最新作『ファイナルファンタジーXV』では、広い世界を自動車で男たちが旅していく。(画像は公式サイトより)

 ところが、ここに来て――この2年ほどのことでしょうか。日本のゲーム開発者がようやく回答を出し始めたように思うのです。具体的には、2015年4月の『ゼノブレイドクロス』、同年6月の『夏色ハイスクル 青春白書』、同年9月の『メタルギア ソリッド V ファントムペイン』、翌16年11月の『ファイナルファンタジーXV』、そして17年3月の『ゼルダ BotW』……。

 ついに日本の開発者たちが動き始めた!

 そんな時代の大きな流れの中に、今回のゼルダもあるのです。
 例えば『ゼルダ BotW』には、採集と狩猟、そして料理、さらには武器が壊れる、といった従来のゼルダには無かった要素が加わっていますが、これは欧米RPGの要素です。どちらかというと、ゼルダの方がこうした欧米的な要素を取り入れたという見方が、向こうでは強いのではないかな、と思います。あるいは、『Portal』【※】以降の3Dパズルゲーム。『ゼルダ BotW』の磁力、時間停止、ブロック生成は、このジャンルの成果物を上手く取り入れていますね。

※Portal……Valveによるパズル要素の強いアクションゲーム。2007年リリース。後述の物理エンジンによって実現した物理法則に則り、パズルを解き進める。
(画像はSteamより)

 では、ついに「凍れる時間」から復帰した任天堂は、どのようなアプローチでゼルダを作り上げ、詰めていったのでしょうか? ――歴史語りはこの辺にして、ここからはゲームデザインレベルデザインに焦点を絞って、いよいよ『ゼルダ BotW』の話に移りたいと思います。

 先に結論を言えば――ここでゼルダが示したものは、2D、3Dに続く「第三の波」とでもいうべき、新しいゲームの潮流となるものだと思います。

【補論】ゼルダに“追いつき追い越し”ていった欧米産のゲーム

(※編集部注:以下の論は、上記の議論を補強するものであり、次ページの『ゼルダBotW』の分析を読む前に一読することを推奨します。なお、この内容を読み飛ばしても、本論の筋を追いかけることは可能です) 

 ここから、ゼルダが足踏みをしていた間に海外で「追いつき追い越せ」が、どんな風に行われていたのかを、実例とともに語っておこうと思います。

 ゼルダから影響を受けたタイトルはいくつもありますが、RPG以外ではUbisoftが作った『プリンス・オブ・ペルシャ 時間の砂』(2003・Ubisoft Montreal)、その経験を経て生み出された『アサシン クリード』(2007・Ubisoft Montreal)。そしてアクション・アドベンチャーの名作であり、シリーズとして迷走もした『トゥームレイダー』(1996・Core Design)辺りが、よく挙がる例になるでしょう(RPGについては後で述べます)。

『時間の砂』は通常の移動シーンに始まり、戦闘シーンも滑らか。
(画像はPrince of Persia: The Sands of Time Trilogy 3D Walkthrough/Gameplay PS3 #1より)

 まず最初の二つは、滑らかで多彩なアクションを実現したUbisoftの作品です。一つ目は、『プリンス・オブ・ペルシャ 時間の砂』という作品です。

 この作品は、元々サイドビューの2Dアクションゲームでしたが、最初の3D化作品が失敗した後、Ubisoftによって再び3D化が試みられた経緯があります。『プリンス・オブ・ペルシャ 時間の砂』はシリーズらしい多彩で滑らかなアクションを実現しつつ、サブタイトルどおりに時間を巻き戻し、停止し、スローにし、加速するシステムを売りにしています。日本ではSIE(当時のSCE)から発売されてましたね。

 このディレクターのパトリス・デジーレはその経験と反省を活かし、次なる仕事として『アサシン クリード』という大人気シリーズを生み出します。

『アサシン クリード』(2007・UBISOFT)
(画像はAmazonより)

 パルクール的な移動や多彩な動きのある戦闘は、『プリンス・オブ・ペルシャ 時間の砂』で培った経験をより発展させたものといえるでしょう(実は当初『プリンス・オブ・ペルシャ アサシンズ』という名前で制作されていたそうです)。ゼルダも『時のオカリナ』の時点では、かなりアクションの多いゲームでしたが、足踏みをしている間に『プリンス・オブ・ペルシャ 時間の砂』と『アサシン クリード』が、戦闘や移動のアクションの多彩さについては追い越していきました。余談ですが、『ゼルダ BotW』のシーカータワーで地域のマップを開放するシステムは、『アサシン クリード』の影響をモロに受けていますね。

 そして、3つ目の『トゥームレイダー』です。これは当初、英国のCore design社が手がけていたものの、開発会社の変更の果てに、一足早くオープンワールド化して大成功を収めたシリーズです。

画像はシリーズ最新作の『ライズ オブ ザ トゥームレイダー 』(2016・スクウェア・エニックス)。
(画像はAmazonより)

 96年に始まった人気シリーズですが、当時少なかった三人称視点のアクション・アドベンチャーであり、かっこいい女性が主人公ということで、大変な話題を呼びました。実際、主人公のララ・クロフトはゲーム雑誌の表紙を何度も飾り、脚光を浴びてます。当時の欧米のゲームメディアの取扱いを見ると、マリオやソニックのようなファミリー向けの日本産キャラクターと一線を画す、大人のゲーマーにも受け入れられるキャラクターが自分たちから生まれてきた衝撃と喜びが伝わってくるようです。

 しかし、その興奮も長くは続きませんでした。毎年毎年続編が出て、あっという間にマンネリ化し、シリーズの人気は下降し、開発会社も変更される事態に陥ります。そして06年に『トゥームレイダー レジェンド』で1度目のリブートをかけます。しかし真に生まれ変わった2度目のリブートは、スクウェア・エニックスがアイドスを買収した後、初めてオープンワールド化したときのことでしょう。13年の『トゥームレイダー』はシリーズ最高の全世界850万本以上もの売上を記録し、15年の『ライズ オブ ザ トゥームレイダー』も高い人気を獲得します。

ハードの進化とともに、グラフィックの質も飛躍的に向上している。
(画像はTOMB RAIDER (2013) を字幕プレイ Part10より)

 『トゥームレイダー』シリーズは、ゼルダと違って現代を舞台にしていますが、ステージやフィールドは遺跡や大自然であり、たいまつや弓、炎の矢、縄つき矢など、ネタ的に似た物が結構あります。ゼルダより一足先にオープンワールド化しており、大自然の中での狩猟などの要素やクラフト要素を組み込んでいます。ただし”殺人ぶり”もなかなかのもので、「現代を舞台にしたAAA大作ゲームにはこういう要素が欠かせないのだろうか……」と少し引っかかるのも確かです。総じて言えば、シリーズの迷走はゼルダよりも酷かったものの、それが故に先に変革が求められ、ハード選択に制約が無い分、先に生まれ変われたのでしょう。 

 ちなみに、RPG以外での影響という意味では、パズルゲームの方の影響も見逃せないでしょう。3Dならではの立体的な仕掛けをパズル的に解いていくゲームの代表格が、ゼルダでした。

『Portal』のプレイ画面。
(画像はSteamより)

 そのパズル部分にフォーカスして、「一人称パズル」(First Person Puzzle)というジャンルを成立させたのが、07年の『Portal』です。ただ、このゲーム自体への直接的な影響としては、グラビティガンと物理エンジンを導入した『Half-Life 2』【※1】からのものが大きいと思います。その後、このジャンルはSource Engine【※2】などを使って開発しやすいこともあり、個人や小規模チームが続々と新作を発表している一方で、数が多すぎて埋没しやすくなっているという問題もあります。とはいえ、最近では『The Witness』【※3】のようなオープンワールド型のパズルゲームも出てきており、まだまだゼルダとの相互作用も続きそうです。

※1 Half-Life 2
Valveが2004年に発売したFPS。物理エンジン“Source Engin”によるオブシェクトの挙動や描画が話題となり大ヒット。前述の『Portal』にも繋がっていく。

※2 Source Engine
Valveが開発したゲーム用エンジン。緻密な描画や、Havokの物理エンジンを搭載し、同社の名作群を支える。

※3 The Witness
名作アドベンチャー『MYST』をリスペクトした、3Dの島が舞台となるパズルゲーム。2016年発売。Thekla社が開発。

 では、肝心のRPGの方はどうだったのか――。
 欧米のRPGを語る上で前提にしておく必要があるのは、テーブルトークRPG(TRPG)【※】の影響が極めて大きいことです。乱暴に言ってしまうと、TRPGを一人で遊べるようにするためにコンピュータRPGが生まれ、その方向性に沿ってより没入感を高めるべく発展してきた、とも言える程です。

※TRPG
テーブルトーク・ロールプレイングゲームの略。ゲームマスター(GM)と呼ばれる進行管理者(ルール作成者を兼ねることも)に従って、サイコロを振り、なりきったキャラクターの現状を紙に記して遊ぶ“対話型”のロールプレイングゲームを指す。

 その歴史を語り始めると、それだけで本稿を軽く超える長さになるため、本稿に関連するタイトルを要所だけピックアップすると、まず87年に出たリアルタイムの3Dダンジョンゲーム『ダンジョンマスター』。PCだけでなく、スーパーファミコンでも発売されていたり、「コンプティーク」誌に漫画が掲載されていたため、プレイしたことはなくても、名前や概要はご存知の人も多いのではないでしょうか。
 ゲーム内でリアルタイムに出来事が進行し、時間が経てば空腹になり喉も渇き、食料や水を確保しなければなりませんでした。戦闘も自由に動き回って攻撃でき、武器や呪文だけでなく、迷宮内の扉で挟んだり、落とし穴にハメたり、自由度の高い対処が可能な点も独特でした。

 92年の『Ultima Underworld the Stygian Abyss』も『ダンジョンマスター』のようにリアルタイムに進行するゲームで、武器やアイテムに重量があり、武器の耐久度があり。物を捨てるとその場に物が置かれたままになります。空腹や睡魔も襲ってきます。日本でも知名度の高い作品でしょう。また、あとで触れますが、欧米ゲーム業界の重鎮であるウォーレン・スペクター【※】がゲームデザインをしており、欧米における「没入型シミュレーション」「環境シミュレーション」派としてよく知られています。あとでもう一度出てきます、よろしく! 

※ウォーレン・スペクター
『ウィングコマンダー』、『Ultima Underworld』シリーズ、『Deus EX』などの開発で知られるゲームデザイナー。

中央がゲーム画面で、その周囲はオプション画面。
(画像はUltima Underworld – Gameplayより)

 これらのタイトルを見ても明快なとおり、欧米のRPGは伝統的にロールプレイ性が重要視され、の世界に没入する感覚が重要視されてきました。PCの「純正」RPGとゲーム機中心のアクションRPGはあまり交わらないでいたのですが、3Dゲーム化とともに状況が変わってきます。
 まず、今や日本でも知名度が高まった『The Elder Scrolls』(TES)シリーズ【※】が誕生します。『DOOM』のようなグラフィックの第1作『Arena』が94年に発売されます。2作目の『Daggerfall』(96年)ではゲーム内の世界のほとんどを3Dで表現してみせます。

※The Elder Scrollsシリーズ
ベセスダ・ソフトワークスによる、MS-DOSの時代から3Dを指向していたアクションRPGシリーズ。2002年の『III: Morrowind』(日本未発売)でオープンワールドとして開花、『IV: Oblivion』(2006年)で世界的なヒットとなり、『V: Skyrim』(2011年)で不動の名声を手に入れた。

 98年の『Redguard』は「The Elder Scrolls Adventures」という別シリーズとして作られたアクション・アドベンチャーで、『トゥームレイダー』や『プリンス・オブ・ペルシャ』の影響を受けています。実はそもそも同時期の作品でもあって、『時のオカリナ』の直接的な影響はないんです。ただ、『時のオカリナ』の画面と比較してみると、もともと別の所から進化してきた2つのタイトルが近づいてきているのが感じられますよね。また、ゼルダの「温度」や「空気感」を感じさせるグラフィックや世界の表現が当時かなり高く評価されたのも納得できるのではないでしょうか。

画像は『Redguard』の戦闘シーン。(画像はThe Elder Scrolls Adventures: Redguard (pt1) – The Beginningより)

 その後もTESシリーズは順当な進化を遂げていきます。02年に発売された3作目の『Morrowind』からはオープンワールドを実現し、Xbox版もリリースされました。日本で劇的に知名度が上がったのは日本語版が発売された06年の4作目『Oblivion』からでしょう。そして11年には5作目の『Skyrim』が出て、世界的な大ヒットになり、日本でもプレイする人が増えました。

『The Elder Scrolls V: Skyrim SPECIAL EDITION』(2016・ベセスダ・ソフトワークス)
(画像はAmazonより)

 他にも4人までのパーティを統率できるBiowareの『Dragon Age』シリーズ【※1】や、アクション性が高く、シナリオも魅力的な『The Witcher3』【※2】なども売れており、欧米RPGの魅力に目覚めたユーザーが日本でも増加しています。
 その一方で、『風のタクト』以降の3Dゼルダは、欧米では「停滞したシリーズ」と見做されやすかったように思います。

 こうして見ると、『Skyrim』と『ゼルダ BotW』をファンタジーな世界観のオープンワールドということで比較する意見に対して、そもそも元々歩んできた道が大きく違うのがわかると思います。

※1 Dragon Age シリーズ
BioWareによるハイファンタジーのアクションRPGシリーズ。2009年発売の1作目『Origins』をはじめ、ひとりで最大4人のパーティを操るのが特徴。3作目にあたる『Inquistion』ではマルチプレイも可能。

※2 The Witcher3
ポーランドのファンタジー小説を下敷きにした、オープンワールドタイプのアクションRPGシリーズ第3弾。開発会社CD Projekt REDもポーランドの会社。『3』で大きくブレイクし、全世界の販売本数が1000万本を超えた。

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