近藤季洋が長年持っていた、ファルコムへの憧れ
──ここまで、ほとんど加藤さんターンでしたが(笑)、近藤さんがファルコムを意識したのは何歳頃だったんですか?
近藤氏:
たぶん、中学生のときですね。当時、僕はタイに住んでいたんですよ。
加藤氏:
そうそう、僕らはタイに住んだことがある者同士なんですよ(笑)。
近藤氏:
当時は1学年120人ぐらいの規模の日本人学校に通っていました。その中に4、5人パソコンでゲームを遊んでいるグループがいたんです。
その連中がしきりに『イース』の会話をしていて、「『イース』って何?」と聞いたのがきっかけで、彼らと付き合うようになりました。で、その友だちの家で『イース』をプレイして、はじめて「日本ファルコム」という会社を知ったんです。
といっても、そのときは「ふーん」で終わったんですけれどね。
で、日本に戻ってきたときに、幼馴染の家に遊びに行ったら、PC-9801の音源ボードとローランドのスピーカーがフルセットで置いてあって。その環境で遊ばせてもらったのが『イースIII』でした。
グラフィックと色使いがすごく綺麗で、音楽が印象的だな、と思ったのをよく覚えています。それをきっかけに「パソコンでゲームを遊びたい!」と思ったのですが、20~30万円はする高価なものでしたから、なかなか手が出せませんでしたね。
佐藤氏:
そのぐらいしましたよね。
近藤氏:
当時、家にファミコンはありましたが、親を説得できなくて高校を卒業するまでパソコンでゲームを遊べなかったんですよ。それでも『イースIII』の衝撃はずっと残っていたんです。
しかも、よくよく考えてみると、その前からファルコムの広告デザインとか店頭で『イース』のオープニングなどを見ていたりして。その頃は、それが『イース』だとかファルコムだという認識はなかったのですが、あとから「あれもファルコムだったんだ」と気づきました。
昔、学研さんから『学習』と『科学』【※1】という雑誌が出ていましたが、その付録にも確かファルコムの『ロマンシア』【※2】の絵が出ていたんですよね。その絵も覚えていたり……。
※1 学習と科学
1946年に学習研究社から創刊された学習雑誌。『学習』は主に国語と社会、『科学』は理科と算数をテーマに記事と付録が企画されていた。『科学』は日光写真、簡易レコードプレイヤーなど、実験と称したおもちゃ的な付録が多く、男子に支持されていた(筆者調べ)。当初は学校で販売されていたが、1972年からは『学研のおばちゃん』という愛称もついたコンパニオンが家庭や学校に訪問販売する形となった。2009年に『学習』が、2010年には『科学』が休刊。
佐藤氏:
ご自身の中で記憶がいろいろと繋がった、と。
近藤氏:
そんなときに、ちょうど出たのが『白き魔女』でした。ソフト発売前、トヨタ自動車の生協で『白き魔女』のデモが流れていたんです(※近藤氏の父親はトヨタ自動車の関連会社に勤務していた)。
そのあと、大学生になってバイトで稼いでパソコンを買い、ようやくプレイできました。ストーリーがすごく綺麗で感動してしまって、「こんなゲームがあるんだ」と強く意識したんですね。
その間にもPCエンジンで『イース』をプレイして「いいなぁ」とは思っていたのですが、就職先としてファルコムを意識したのは、『白き魔女』の影響が大きいです。
──近藤さんは、就職活動をファルコム一本に絞っていたり?
近藤氏:
経済学部出身なので銀行や一般企業も受けつつ、その中にファルコムもありました。ほかには光栄さんとか、ナムコさんにも願書は出していましたけれど、最初にファルコムから内定をもらったので、ほかを受けることもなく就職活動が終わったんですよ。
──ファルコムと接点があったのは入社試験のときだけ?
近藤氏:
大学時代にもありました。経済学部に1人変わった教授がいまして、日本ではじまったばかりの「インターネットの研究をする」というゼミがあったんです。経済学部とは関係ないのですが、募集内容に惹かれて入ってみました。
そこで初めに出た課題が、「どんな内容でもいいからホームページを作ること」でした。当時のホームページは、制作者が研究者や学生ばかりで、顔写真と本名、住所や電話番号まで載せて、個人情報を垂れ流している状況で(笑)。
その課題に対して、「そんなホームページは面白くない!」と思って、自分がハマったゲームの攻略情報を載せたんですよ。それを、当時共同で研究していた京都大学のサーバーにアップしてもらったら、先輩のWebの中で一番のアクセス数になってしまい……。『コンプティーク』に紹介してもらったことがありました(笑)。
加藤氏:
それは知らなかったな(笑)。
近藤氏:
ただ、ふと「勝手に情報を掲載していいのかな」と思って、ファルコムにメールで確認したことがあったんですよね。
加藤氏:
そうだったっけ? 僕の記憶では……そのホームページを見たユーザーさんが、近藤のサイトを問題視しているような状況になっているのを見て、「これちょっとマズイかな」と思って、近藤にメールしたんだよね。
近藤氏:
そのメールも来ましたね。
加藤氏:
「ちょっとご遠慮いただきたいんですけど」という内容で送ったら、その返信メールが完璧な回答だったんだよね。学生さんといったら、そういうのはわりといい加減で、「何でやっちゃいけないんですか?」みたいな回答がくることも多いんだけどさ。
その返信を見て「コイツは違うぞ」、と。メールを送った担当者に「本人と会えないか連絡して」とお願いしたんだけど、覚えてない?
近藤氏:
覚えています。メールに書かれていたのは、掲示板とかランキングに関する内容で、「名前などは外して欲しい」という要望でした。僕は画像を勝手に使っていいのかがわからなかったし、その質問も同時にやりとりしていたんですよ。
加藤氏:
それは僕が知らないのかもしれない。なんにせよ、そのときに「この人は普通の学生とは違うぞ」と思った。
佐藤氏:
その頃から接点はあったんですね。
加藤氏:
結局、そのメールに誘われて近藤が遊びに来たわけだけど、そのときに応対したのがいまや有名監督になった新海誠なの(笑)。
近藤の先輩なんですよ、彼。そのときに「会社概要を教えてやって」とか、「一緒に昼飯も食べてやって」とか頼んでね。
当時は一流の大学を出てゲーム会社に入ろうとすると、親御さんに反対されてダメになっちゃうケースがけっこう多かったんだよね。新海くんもそういうところは苦労してるんですよ。最初に入社した建設会社を辞めてウチに来てるわけだからね。それを踏まえて、「お父さんやお母さんの口説き方を近藤に教えてやれ」って言ったな(笑)。
最初はメンドくさそうだったけれど、最終的には新海くんも割と乗り気になっていたなぁ。
近藤氏:
あんまり覚えてないですけれど(笑)。しょうがなさそうに何かを教えてもらった気がしますよ(笑)。
──そのときはファルコムに来て具体的に何をしたんです?
近藤氏:
当時常務だった山崎(伸治氏)に、入社したばかりの新海さんたちと一緒に、鉄板焼き屋さんに連れて行ってもらいました。普段どういう仕事をしていて、いまはどういう作業をしているとか、最近ファルコムでも3Dを始めたんだとか、そういう話を丁寧にしてもらって、「いい会社だなぁ」と思いました。
──当時からすると、“自分の憧れのゲーム会社に突然呼ばれた”わけですよね。
近藤氏:
そうなんですよ。だから頭が真っ白で、うれしかった反面、どういう狙いがあるのかと、とても悩んだ覚えがあります。
ゲームは大好きで、いつかそういう仕事に就きたいとは思っていたものの、親に反論できずにいましたから。
ただ、そのときの経験であったり、自分の周りにいたゲーム業界の方と話したことから、やっぱり「少しでもゲーム作りに近い場所で働きたいな」と思いましたね。
ちょうど「終身雇用制は終わりだ」などと言われていた時代で、自分のやりたいことをやるほうが自分も納得できるんじゃないかな、と。新海さんのアドバイスも活かしながら、親に相談しました。
会社の中で“自分がやれる仕事”を探す
佐藤氏:
それまで「いちゲームプレイヤー」ではあっただろうけれど、経済学部で学んだことはゲームの制作とはまったく関係ないわけですよね。それが、あるときからゲーム開発に本格的に関わることになる。入社するまで畑違いだったクリエイティブのセンスや腕をどうやって磨かれたのでしょう?
近藤氏:
具体的なシナリオの書き方は、加藤会長や新海さんから教えてもらったわけではないんです。
ただ僕に限らず、弊社には畑違いの業界から来て、いまは最前線で活躍しているメンバーがとても多いんですよ。皆に話を聞くと、「ずっとゲーム制作をしたかったけれど、家の環境的に許されなかった」とか、「決心がつかなくてこの歳まで来てしまった」という人ばかりなんです。そんな人に「あなたのやりたかったことはこれでしょ」と指し示すのが、会長はとてもうまいですね。
まぁ、そう言われたら一生懸命やるしかないじゃないですか。僕も「シナリオを書け」って言われた瞬間に本屋に行ってシナリオの書き方の本を買いましたし(笑)。スタートはそこからですね。
加藤氏:
僕は、嫌なことをやらせられるのが極端に嫌いな人間なんですよ。だからウチの会社に入ったら「何でも好きなことをやっていいんだよ」といつも言うんです。その代わり、「できないのはダメだよ」って。「できなかったらひどい目に合わせるよ」、と(笑)。
近藤氏:
「失敗したら二度とやらせないから」と言いますね(笑)。
加藤氏:
そうそう。あと、「飽きたら続けなくてもいいよ」とかね。それがおおまかな基本方針ですよ。
近藤氏:
いま『軌跡』シリーズを作っているプログラマーも経済学部出身ですし、新海さんなんて入社したとき「Photoshopはコピー&ペーストしかできなかった」と言っていましたから。
加藤氏:
文学部出身だからね(笑)。でも彼はいま、文学部で勉強したことを活かしているでしょ。自分でシナリオを書いているんだから。
佐藤氏:
でも、そういう風にやらせてみても、人によってできないことがあるでしょう? それとも、「やらせればできるものだ」という考えがあるんですか?
加藤氏:
できない人はできないですよ。だから、その人のできることをやってもらう。これも自分がよく言うんだけど、「一番始末が悪いのは、やりたいことはたくさんあるんだけれど、やるとできない人」。これが困っちゃうんだよね(笑)。
このような仕事、やりたい人はほかにいっぱいいるんでね……。
佐藤氏:
近藤さんは実際に働いてみて、自分に「ゲーム作りの才能」があったことに気づけたのでしょうか?
近藤氏:
「自分が一番うまくやれそうなことは、これだろう」という予感はありました。ただ、絵が描けるわけでもなく、プログラムも少ししかできない。シナリオは少し書いたことがありましたが、素人に毛が生えた程度の内容で、コンプレックスがありました。
だからファルコムには、経理職で応募したんです。入社後も1年目はサーバーの管理をしていたんですよ。そのときに「お前は役に立たないから秋葉原に行ってサーバーの勉強をして来い」と会長に言われました(笑)。
加藤氏:
(笑)。
近藤氏:
そのときは「役に立たない」と言われてイラッとしたんですけれど、「でも、そうだよな」とも思った。少しでもゲームを作りたいという気持ちがあるなら、「ここで何かしらモノにしなければ一生その機会はない」と思うじゃないですか。
そうしたら、サーバーでもシナリオの書き方でも、とにかく基礎から自分で勉強するしかなかった。新海さんもそういうやり方をしていたのを知っていたんですよ。
おもしろいのは、勉強をはじめて半年も経つと、シナリオの書き方の本が直接ゲーム作りには役に立たないとわかってくるんです。
一番役に立ったのが、ファルコムの入社前に『白き魔女』のシナリオ全部書き出したことですね。大学3年の頃にゲームをやりながらセリフを見て、そのセリフを全部テキストに打ち直すという、オタク的なことをやっていて(笑)。
加藤氏:
それは役に立ちそうだよね。
近藤氏:
どこでどういうセリフ回しをしているのか、どういう話題づくりをしているのか。どういう風にお話を落としているのかがわかりますね。テキストが多くて、すべて打ち出すのに1年以上かかりましたけれど。
──加藤さんは近藤さんが学生のときにやっていたことも含めて、適正の有無をある程度判断していたんですか?
加藤氏:
してない(笑)。でも、近藤がじっくり考えたときのロジカルな部分は“完璧”なんだよね。よく考えないときはたいしたことないけど(笑)。
逆に、僕は刹那的な人間なんで、Twitterのつぶやきでも、推敲しないでとりあえず投稿しちゃう。誤字があろうがかまわない。つぶやきは、あとで直せないから困るんだけどね。
──その“完璧”というのは、具体的には?
加藤氏:
必要なものが必要な分だけそこに含まれていて、余計なものが一切ない、ということです。
たとえば、こういうインタビューだと、僕の話す言葉は順番がバラバラで、内容が支離滅裂だったりするわけですよ。
──はいはい。
加藤氏:
「はいはい」って言われると困るんだけど(笑)。
ただ、話が長い場合は、わかりやすくコンパクトにまとめないといけないでしょ。記事を読んだときに、自分がうまく言えなかったことがまとめてあると「僕が言いたかったのはこういうことです。ありがとう」と思っちゃうわけ。そういうことができる人を見ると、やっぱり“すごい”と思うね。
佐藤氏:
それに近い経験が、近藤さんとのやりとりの中にあったということですか?
加藤氏:
そう。それは大したもんだと、僕はいまだに思う。
ある日突然、若い部長が社長に大抜擢された
佐藤氏:
近藤さんを社長にされたとき、どんなことを思われたのでしょう?
加藤氏:
それはあんまり言いたくないな(笑)。
まぁ、近藤はもう数回は聞かされていると思うけど、やっぱり経済学部を出ているし、賢いと思ったからいろいろなことをやらせていたんですよ。もっとも、きっかけは前の社長だった山崎(伸治氏)が病気で倒れたことですけどね。だからといって、自分が復帰するのはまっぴらごめんだしさ。
それならと、仕事全体を把握できそうな人を探したら、当時部長だった近藤以外にいなかった。さっそく近藤を呼んで「お前さ、社長やる?」と聞いたら、「やります」と言うわけ。「じゃあ、やれ」みたいな。それだけですよ(笑)。
佐藤氏:
その前の社長は山崎さんだったんですね。
加藤氏:
ですね。彼は、技術的なことはまったくわからない。ところが近藤は、両方わかるんです。
──当時の近藤さんは、社内でも若手だったんですか?
近藤氏:
31~32歳ぐらいで、まだ若手でした。まさか自分にそんな話が来るとは思ってなかったので驚きましたけれど。
──でも、即答したんですね。
近藤氏:
といってもずっと社内の勤務でしたから、自信はなかったんですよ。
入社以来10年間ぐらい社員としか話したことがなかったですし、名刺をどちら向きで渡したらいいのかすらわからず、勉強し直したぐらいです。
ただ、確かに入社して1~2年は音楽以外のことはすべてやらされていたので、作業の全体像は把握できていました。グラフィックも描きましたし、ムービーも作りましたし、シナリオも書きました。サーバーの管理もずっとやっていましたしね。その経験があれば“できる可能性はゼロではない”と思って、お引き受けしました。
──最初から加藤さんに「教育しよう」という考えがあったからなんですか?
加藤氏:
ないですよ。できるやつにやらせているだけだから。
近藤氏:
いろいろな部署を経験したおかげで、どの作業にどれくらい時間がかかるかはだいたい予想できるようになりました。作業時間の見積もりの精度の高さは、ファルコムの中でも高いほうだとは思っています。
加藤氏:
振り返ってみると、僕もだいたいのことは経験してきたんだよ。自分で立ち上げた会社だしね。だから、そういう面では似ているかな。
でも、僕の場合はそれほど深く突っ込んでいるわけではなくて、わりと広く浅く全体を見ていたかな。
佐藤氏:
社長を引き継ぐにあたって、何か守らないといけないことはありましたか?
近藤氏:
特に守ることはないですね。注意されることにしても「物事を先延ばしにするな」とか、社長業とは関係のない基本的なことばかりですから。
加藤氏:
悪く言うと「根に持つタイプ」なんだよ、近藤は。よく、一度言ったことを何度も言わないとけない人っているでしょ? 彼はそうじゃなくて、一度言ったことをこっちが忘れても覚えている。厳しい人なんですよ(笑)。
近藤氏:
ハードディスクのフォルダに「会長語録」っていうテキストが入れてあるんですよ(笑)。そこに、いままで言われたことが書いてあるんです。
──その「会長語録」、見たいです(笑)。
加藤氏:
それがある限り10年も20年も経ってから、忘年会で「昔、会長にこう言われた」なんて突っ込まれるなぁ(笑)。
近藤氏:
でも、本当に基本的なことしか言われないですよ。入社当時の僕は「~したつもりだったんですけど」が口癖だったせいで、「するつもり、したつもりはNG」という語録があります。
ほかには、「いまできることを先に伸ばさない」とか、本当にベーシックなものばかりですよ。「当たり前のことを即座に判断すること」というのは、いまだにちゃんとできていませんし、これからやらないといけないなと思っています。
最初にいろいろと悩んでも、結論が出てみれば初めからそれしか選択肢がなかったとわかるのに、ムダに迷ってしまうことってあるじゃないですか。それをズバリ指摘されたときは、胸に刺さりました。
加藤氏:
よく言うと「思慮深い」んですよ。すごくよく考えるんです。そのうえで決断して、間違っていなかったらすごくいいことなんだけど、間違っていたら時間がかかったぶん悲惨だよね。
近藤氏:
間違っているときもありました……。
佐藤氏:
経営者は「決断する立場」ですもんね。
近藤氏:
それが最初は一番の重荷でした。いまでは当たり前のことですから、重荷というほどではなくなりましたけれど。
佐藤氏:
社長としての心構えができるまでに時間がかかったということですよね。
近藤氏:
5年以上はかかっていると思います。32歳で就任したときに「“若い”からナメられるだろうが、それをうまく使って立ち振舞いなさい」とも言われました。
──ちなみに、近藤さんが保存している加藤さんの語録は、どれぐらいの数があるんですか?
近藤氏:
そんなにないですよ(笑)。20~30ぐらいだと思います。大事なものだけですよ。
──それひとつひとつが、ものすごく重要なんですよね。
近藤氏:
そうですね。私はもともとリーダーシップを執るようなタイプではないですから、こういった語録などの教えをもとに、いまの考え方ができているのかなと思っています。
加藤氏:
オープンになっているのは、ウチが考える「音楽の三原則」かな。いまではとても古臭い原則になってしまっているかもしれないけれど。
あれを紙に書かせて横にチェックボックスをつけて、できた項目があったら自分でチェックをする。本当はこれ以外にも、もっとたくさんあるんだけれど、音楽作りにおいて一番大事なのは、あの3つだね。
【ファルコムの音楽三原則】
●起承転結が感じられる曲の構成
●一度聴いたら忘れられない、思わず口ずさんでしまうメロディ
●ここぞというところで奏でられるグッとくるサビ
──「ものづくりの本質を外さない」──そのような教えは、やはり加藤さんによるものですよね。
近藤氏:
そうです。加藤からは直接教えてもらったものもありますけれど、間接的に教わったこともあります。
たとえば……、パッケージのデザインで夜遅くまで「こうじゃない、ああじゃない」と打ち合わせをしている加藤の後ろ姿を見て、「こだわることの大切さ」を学ぶことはありました。
その結果、でき上がったものを見て自分たちでも良いと思い、ユーザーさんも良いと言ってくれる──このサイクルの繰り返しから、学ぶことが多いです。
努力して良い結果が出ることを知っていれば、「ちゃんとやろう」という気持ちにもなります。語録も含めていろいろと言われましたが、それは後付けのようなものですよ。
後ろ姿を見て育ってきたことのほうが、影響としては一番大きいと思います。会長は「そこまでするんだ!?」というくらい、いろいろとこだわるので。
加藤氏:
そうかね?
近藤氏:
たとえばファルコムのロゴムービーひとつとっても……。
加藤氏:
こだわったことなんてないでしょ(笑)。ある?
近藤氏:
このデザインだって、相当な時間かけられたのを覚えていますよ。これは新海さんのデザインですよね?
加藤氏:
ゲームの最初に出てくるやつね。あれもいくつも作らせて、その中から僕がいろいろ試行錯誤して選んだわけよ。
近藤氏:
でも、直接見ていただいたときに「面白い」と言ってもらえるのがうれしくて、そのためにやっていたところもありますよ。
加藤氏:
「これ、面白くてよくできているけれど、売れないと思うよ」とかは言いますね(笑)。
近藤氏:
「近藤の作るゲームは、よくできているんだけどヒットしないよね」と言われたことがあります(笑)。
佐藤氏:
それはどういう意味? 何かが足りないと思った?
加藤氏:
足りないというよりは、キャッチーじゃなかったからさ。全体的に時代と合っていなかったというか。
近藤氏:
好きな人はすごく好きになってくれるけれど、ファルコムのユーザーの中でもメジャーではない層に受けそうなことをやりたがるよね、という揶揄だと思うんです(笑)。
加藤氏:
「俺が大好きになったゲームは最近売れない」とかね(笑)。
いまも変わらない“全員参加”的な開発環境
──近藤さんは社内でいろいろな仕事をやったということでしたが、いまのファルコムで、かつての近藤さんのようなポジションにいる方はいらっしゃるんですか?
近藤氏:
自分ほど幅広くはないですけれど、いまのファルコムはほとんどの人間がそうなんですよ。たとえばキャラクターのデータを作るのは、モデリング、モーション、エフェクトと、いろいろな作業に分かれていますが、ウチはモデリングをやりながらモーションをやる人間がほとんどですから。中にはモデリングとモーションやりながら、スクリプトという画面の演出をする人間もいますし。
加藤氏:
ウチは営業で入った人間がスクリプトを書かされたりするので(笑)。
近藤氏:
『軌跡』シリーズ最新作の演出スクリプトも、営業の人間が作っていますし、その人はサーバーの管理もやっています。
──なぜ、そういう体制にしているんでしょう?
近藤氏:
基本的には「やれる人間にはやってもらおう」という考えですが、本人もだいたい「やりたい」と言うんですよ。「できるならやらないともったいないよね」って。
加藤氏:
できる人がたくさん入ると、みんなで仕事の取り合いになるんだよね。だから、営業なのに開発をガンガンやらされたりする。でも開発が一番大切だからしょうがないとか、ゲームが完成しないと営業どころじゃないと考えるんですよ。
──その点で面白いなと思ったのが、『ポケモン』を作っているゲームフリークさんも、一時期はそれこそ経理の人がドットを打っていたらしいんですよ。
要は「ゲームが好きだから、職務に関係なく制作に参加している」という話を聞いて、“企業文化”というか“ゲームに対する熱量の高さ”が、実はアウトプットに影響しているのかなと思ったことがあったんです。
加藤氏:
一番わかりやすい例が、ウチはFacebookやTwitter、ホームページの担当者がいないことだね。勝手にその辺の人たちが発信しているから(笑)。
今の気分はこれ。
— 日本ファルコム (@nihonfalcom) June 20, 2018
ファルコム #LINEスタンプ 「軌跡シリーズ」続々配信中
World 230 countries. Search in your country of LINE stamp shop "Falcom"https://t.co/xzgPN1N0hf#LINEstamp #閃の軌跡 #LINEスタンプ pic.twitter.com/8usL7AvgJl
佐藤氏:
たいていのゲーム会社は大きくなるごとに分業が始まって、職務の間に壁ができますよね。ところが、ファルコムはいつも同じぐらいの社員数で、複数の仕事のレイヤーが重なりつつ働いている。しかもそれが継続しているということなんですね?
加藤氏:
そうです。それは、「そのほうが働いていて楽しいから」ですよ。
もの作りは楽しいことも辛いこともあるし、“楽しさ”の中にすら“辛いこと”があるじゃないですか。
近藤氏:
あとは、会社の規模がこのサイズだからこそ出せるスピード感もあるんですよね。大きくなるとコミュニケーションコストが増大して、業務上の記録を取るだけでも専任の人が必要になるんですけれど、それも必要がなくなる、と。
アイコンタクトで作業が進むことすらありますから。「こう言った場合はこういう意味」っていう約束ごととか。そういうスピード感があるから、1年で『軌跡』シリーズが1本作れたりもするんです。
佐藤氏:
近藤さんは会社を100人〜1,000人規模に育てる目標はあります?
加藤氏:
僕は全然差し支えないですよ。「そんなことしないで」と言ったこともないし。
近藤氏:
確かに言われたことはないですね。ただ、やはりこの規模のスピード感と、作業に対する目の届きやすさに慣れてしまっているせいか、いきなり規模を大きくするのは難しいかもしれません。
「自分がやらなければ先に進まない作業の比率」が大手の制作環境よりも大きいと、皆のモチベーションも上がりますし、どのタイトルも胸を張って商品を送り出せるんですよね。「自分が作ったんだ」という達成感があるんです。
──近藤さんは入社後にいろいろな仕事を経験したことが、やはりバックボーンとしてしっかりあるのだと、強く感じました。
近藤氏:
加藤にそういう状況を意図的に作り出されたのかもしれませんが、「あとは任せた!」という気持ちに応えなきゃいけないと思いますからね。
加藤氏:
その代わり、失敗は許されないけどね、ウチは(笑)。
近藤氏:
そうなんですよ(笑)。あとは僕の根っこの部分がネガティブなので、ユーザーさんにクレームをいただきたくないんです。いただかないようにするためにも、一生懸命やっているところもありますよね。
スタッフは誰よりもファルコムファンだった
佐藤氏:
こういう言い方は失礼かもしれないけれど、近藤さんは良い会社で育てられたと思いますよ。都心の大きな会社ではなく、立川という少し離れた場所の中小企業という環境でじっくり熟成されているというか。
加藤氏:
以前、ある人に「こんなローカルなところでどうのこうの」と話をされたときに、近藤は「僕はあんまりゴミゴミしたところは嫌いなんで、ちょうど良いですよ」って答えたんです(笑)。
近藤氏:
新宿に移転する話があったんです。ちょうど良い物件が空いているからという話でしたが、そのとき確かそう答えていたのを覚えています(笑)。
佐藤氏:
そういえば、創業からずっと立川で会社を構えてらっしゃいますよね。立川へのこだわりや思い入れというのがあるんですか?
加藤氏:
こだわりはまったくないですね。就職したときにお隣の日野市に会社があったのがきっかけといえばきっかけです。本社は日本橋でしたから、日野に来る予定はなかったのですが、「コンピュータの仕事がやりたいなら日野に行け」と言われて。それで、そのまま定住をしてしまった。ということで、あえていうなら「立川は自宅に近いから」ですね(笑)。
あと、昔のゲーム業界では「都心ではないこと」が良かったと思っています。当時のゲーム業界は、引き抜かれたり誘われたりと、人の移動が激しかったからね。立川はちょっと離れているから、影響があまりなかったと感じています。立川の近くに定住しちゃった人は、そういう話があっても一大決心しないと、渋谷や新宿には行けないでしょう。
もっとも、ウチは上場しているゲーム会社だけじゃなくて、ソフトウェア専業の会社の中でも、去年か一昨年に「人材の定着率日本一」になっているんですよ。
佐藤氏:
意外と知られていないですよね。
加藤氏:
それって、ファルコムを巣立ったあとから名前が有名になったり、その当時有名だった人たちが離れたことがあるせいなのかもね。
詳しく言うと、メインプログラマーが抜けてしまった時期はあったんですよ。でも、そういう人たちがいなくなったときでも、一度にだいたい2~3人なんだよね。とはいえ、いま、この会社に30年も前に働いていた人たちは誰もいないわけだから、そういう時期は確かにありました。
ただ、「いまいるスタッフでできるものを作ればいい」というのが僕のやり方で、その際リメイクを多く作ったんですけれど、それにはふたつの理由があるんです。
ひとつは、ウチは「歴史が長い」ということもあってか、新作よりもリメイクを作ったほうが固く売れるんです。手間についても、完全新作を作るより1/5で済みます。だから、どうしても利益を上げるためには、そういう判断もするわけです。
もうひとつは、新作を作るには“いろいろな技術も才能も必要になる”こと。いまいる人を育てようと思ったときに、リメイクなら彼らでも作りやすい。おまけに、リメイクを作る過程で、ゲームの構造を理解できるメリットもある。
これが、もし新作を作るとなれば、いつ完成するかわからない。極端な話をすると、「来月できるのか、10年後なのかすらわからない」と(笑)。
そういう局面では、どうしても「リメイク開発」という方法を選びます。ただ、そのときも「新作を作っていなかったのか?」というと、そうじゃない。完成までに時間がかかっていただけの話です。
だから、昔は『英雄伝説』シリーズを毎年1作出していたけれど、近年では一番長いときだと3年とか5年スパンになっていたり(笑)。
近藤氏:
結局、「スタッフが変わったほうが良かったね」ということもあるんです。『軌跡』シリーズも、元は『英雄伝説』ですし。『イース』もいま8作目ですけれど、オリジナルのスタッフが残っていれば良かったと思ったことは一度もないですよ。
むしろ、メンバーが入れ替わったからこそ、いま風の『イース』に進化していると思いますし。
加藤氏:
あとは──、「組織内ですごい才能のある奴がいる」とするでしょ? その人が抜けると、二番手が育つんだよね。昔はほかの会社と同様に、開発者を積極的にメディアに出していたせいか、そういった人が抜けると、それがすごく目立ってしまうんです。
じゃあ、その人たちが抜けたら、その陰に隠れていた人たちが力を発揮できないかっていうと、そうじゃない。ウチでは、たまたまメディアに出る人が決まっていただけなんですよ。
しかも、開発者が20数人しかいない会社で目立っていた人が辞めるから、なおさらそれが際立つ、と。
だから、「もうあの会社ダメだよね」と言われても、そんなことはないんです。
近藤氏:
スタッフが変わっても、前のタイトルが好きで入社してくるメンバーが多いものですから、内容をよくわかってくれているんですよね。
「『イース』とは何か」、「どういう点が受けているのか」、「どういう人たちがファンだったのか」、「自分たちは元ファンとして何ができるのか」──たぶん、オリジナルスタッフだったら変わらなかったかもしれない部分を、彼らは簡単に乗り越えてくれるんです。
──たとえば、採用する人にはどういう基準があるんですか。
加藤氏:
良い意味でも悪い意味でも、「ユーザーさん」だよね。
常時募集している上に、ゲームの説明書の中に求人チラシを入れるとか、普通やらないようなことをやったし。「それちょっとタブーじゃない?」ということを何十年も前からやっている。ただ純粋に、ファルコムが好きなファンの中から採用していますよ。
やり方として「インチキだ」と言われると、そうなんですけれど(笑)。
──一方で「好きと仕事ができるかどうか」は別の話ですよね。その見極めのポイントは何かあるんですか?
加藤氏:
あるようなないような。でも、実際に採用された人は、面接が終わったあとに「落ちたな」って思った人がほとんどかもね。
近藤氏:
私もですね(笑)。「絶対落ちた」と思いました。
──どういうことですか?
加藤氏:
面接ではだいたい良いことは言わないんですよ。ネガティブなことしか言わない。でも、それを乗り越えて来た人を採用する(笑)。
──乗り越える?
加藤氏:
たとえば作曲家志望の人が面接にくるじゃないですか。そのときに「仕事で音楽をやるということは、パソコンの前に座って来る日も来る日も来る日も来る日も、何年も何年も何年も何年も、ずっと曲を作り続けるんだよ? 大丈夫?」なんてことを言うわけ(笑)。
でも、これは脅しではなく本当のことなんだよ。そのプレッシャーを乗り越えてくる人は辞めない。その現実を突きつけても「大丈夫です。僕はそれをやっているだけで楽しいんです」って人しか採用しない。そうじゃないと可哀想だよ。仕事がつらくなっちゃうからさ。
佐藤氏:
好きじゃないと、つらくてしょうがないですよね。
近藤氏:
好きでもつらいですから(笑)。
加藤氏:
スポーツと一緒なの。つらいところを乗り越えてくると楽しいんだって。
近藤氏:
楽しいと思わないとダメですよね。
──募集方法や要項を拝見すると、わりと「採用の間口を広く取っているのかな」という気がしているんですよね。
加藤氏:
創業以来、“経験者採用はない”んです。いわば伝統ですね。ウチは“いま何かができる人”はいらなくて、“将来伸びる人材”が欲しいと。なぜなら、“ウチに来れば必ず育つ”という自負があるからです。
佐藤氏:
あまり中途は採らない?
加藤氏:
そうでもないですよ。ただ、中途なら他業種から採るかな。ウチは一時期、ゲーム関係の経験者をすごく嫌っていたことがあったね。
近藤氏:
そうですね、ほとんど採用するのは新卒でしたし。
加藤氏:
ほかのゲーム会社のカラーに染まっている人を──なぜだかわからないですけれど──嫌っていた時期はありますね。即戦力を求めていないわけでもないんですけれど。
──でも、採用した人に対しては社内で丁寧に育てるより、“勝手に学びなさい”という感じなのでは?
加藤氏:
そうですね。だから僕のやり方ってなんなんだろうな。ちゃんとした教育システムもないし。
近藤氏:
画一的に教える講座みたいなのもないですし、新人研修みたいなものもないですね。
加藤氏:
個別にやりたいこととか、やれるものは見極めていますよ。せいぜい、“そのためにやりやすい環境を作ってあげること”くらいはしているかな。そこでやらせてみて、そこから逃げられないように追い詰めていくっていうね(笑)。
新海くんなんかもそうだよね。「やりたいんだったらやってみれば」と、ムービー制作をどんどんやらせたら、そのうちゲームのムービーだけじゃ物足りなくなっちゃった、という。
──『イース』のオープニングでも、すでに頭角を現していらっしゃいましたからね。
加藤氏:
あの頃は一緒にムービーを作っていたんだよね。あの辺の演出は僕も関わったりして。
近藤氏:
新海さんの席にふたりで並んで座って、2時間ぐらいずっと「ここのカットがこう」みたいな打ち合わせをされていましたよ。
加藤氏:
アドルが海岸で倒れているところではじまる『イース エターナル』かな? あれもオーケストラ風の音楽で、新海くんとずっと一緒に演出をやっていて。どうしてもアニメーションと音楽が合わないと感じたところがあったんだよね。
「これだとオープニングというか、エンディングの終わり方だな……」と思いつつ作ったけれど、やっぱり何の映像をはめてもうまくいかない。で、ある程度のところで「これで行こう」と判断したんだけれどね……結局、この演出に違和感を覚えた人はほとんどいなかったから、良かったけれど(笑)。
──そのような演出はどこで学ばれたんですか?
加藤氏:
とくに習っていないよ。
近藤氏:
不思議と、ファルコムの社員は皆、“演出に対する嗅覚”みたいなものがあるんですよ。演出が違うと違和感を覚える。それを突き詰めていくと、ファルコムのクオリティになるんです。
会長がロゴのデザインをやっていたとき、パッケージの紙の手触りにすごくこだわっている姿を僕は見てきているので、その姿勢に影響を受けている部分はあると思いますね。
加藤氏:
「なぜファルコムが企業として大きく伸びないのか」というのは、そこにヒントがあると思うんだよね。
なにしろ自分のやっていることが楽しい。自分の仕事に惚れちゃうと会社を伸ばす方向にはなかなかパワーが注がれないからね。だいたい、職人さんが起こした会社はあんまりうまくいかないでしょ(笑)。
──皆にセンスなり嗅覚があるがゆえに、作品に対するチェックがひときわ厳しくなることは?
近藤氏:
いまは僕が全部チェックしていますが、「プレイして違和感がなければいい」ぐらいで判断していますよ。
──それは最初に上がってくるものが高い水準に達しているということですか?
近藤氏:
いやボロボロですよ。チュートリアルひとつとっても、「入っている位置がダメ」とか「導入までが長すぎる」とか。そういう修正からはじまって、わりと細かく最後まで詰めますけどね。
僕がファルコムで最初にやった仕事が、まさにそれだったんですよ。クオリティチェックというわけじゃないですが、先輩たちが作ったものに対するレポートを書いて会長に提出するんです。
加藤氏:
彼はそういうことをきちっとまとめて書いたりするのが、とても得意なんだよね。じつは“しゃべる”のは、あまり得意じゃないけど(笑)。
近藤氏:
“じつは”じゃなくて、もともと得意ではないです(笑)。
加藤氏:
社長に就任した最初の頃は、ふたりで打ち合わせをしても何も言わなかったんだよね。
近藤氏:
だから「文章にして来い」って言われるんですよ。ほぼ筆談でした(笑)。
加藤氏:
「しゃべるより早いよこっちのほうが」って(笑)。
──近藤さんは社長業とクリエイター業を一緒にやってらっしゃるわけですが、なぜ両立できるんですかね?
近藤氏:
最初からそうだったので、「なぜできるのか」と聞かれても自分ではよくわからないんです。
──でも、単純に仕事の量が増えますよね?
近藤氏:
増えますね。シナリオはこっそりいろいろなところで書きます。自宅で書くこともありますね。社員には「自宅で仕事をするな」と言っているので、あまり大っぴらにはできないのですが……。
あとは、仕事を効率化していますし、文章も昔の半分の時間で書けている気がします。ちなみに、僕は『軌跡』シリーズは書いていないですよ。文章が多くて足を引っ張ってしまいますから。逆に、『イース』シリーズは自分でも書けるようにシナリオをどんどん削っているんですよ。そういう工夫はしています。
加藤氏:
「削る」ことは自分の得意技かもしれないな。全部バッと削る(笑)。
近藤氏:
考えてみたら、映画もそんなにテキスト量は多くないですよね、ゲームもそれぐらいでいいかなと。
加藤氏:
メールの返信とか契約書の修正だと、僕はだいたい「ここを直せ」と指摘するよりも、不要なところに線を引いて「ここを削れ」と言いますね(笑)。
近藤氏:
会長の語録に「説明をするな、伝えろ」なんていうのもありました。要は伝わればいい、と。「企画書はペラ1枚でいいんだよ」と、最初に習いました。
加藤氏:
文章を書くなということです。文章にするとわかりにくくなることもあるから、内容がわかるなら箇条書きでもいい。
佐藤氏:
そういう意味では、加藤さんは直感の人なんでしょうね。物事の良し悪しが感覚的にパッとわかる。
加藤氏:
“じっくり考える人”と、“考えない人”みたいな(笑)。
佐藤氏:
“考えない人”じゃなくて(笑)。「直感が鋭い」ということですよ(笑)。
加藤氏:
僕がよく言うのは「悪い考えでも決めないよりはマシ」ということですよ。たとえ決めたことでも、あとから直せばいいんだから。
──近藤さんの最初の仕事が、先輩たちが作っているもののレポートだったそうですが、加藤さんはそのレポート見て、その場で判断することがあったんですか?
近藤氏:
最初は本当につきっきりで見ていただきました。
──やっぱり、その頃の密接なやり取りが、結果的に教育になっていたのでしょうか。
近藤氏:
それはありましたね。「説明をするな、伝えろ」というのもそうですし、「エアパッキンをプチプチ潰していく心地良さが『イース』だ」というゲームに関する考え方もそうです。そういうやり取りをする中で、いろいろと教わった気もしますね。
加藤氏:
『イース』は、最初のコンセプトがそうだったんでね。
近藤氏:
アイテムが必要になった時点で、「はい、これでしょ」とアイテムを提供するようなゲームバランスがいいよね、ということです。
加藤氏:
いまじゃ普通のことですけれど、あの頃のゲームにはこの優しさがなかったんですよ。