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【佐藤辰男×鳥嶋和彦対談】いかにしてKADOKAWAはいまの姿になったか──ライトノベルの定義は「思春期の少年少女がみずから手に取る、彼らの言葉で書かれたいちばん面白いと思えるもの」【「ゲームの企画書」特別編】

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ライトノベルはマンガを徹底的に研究した

決定打としての涼宮ハルヒ

佐藤氏:
 そして決定打だったのは『ハルヒ』です。それが2003年。スニーカー大賞を受賞した。

鳥嶋氏:
 『涼宮ハルヒの憂鬱』だね。

【佐藤辰男×鳥嶋和彦対談】いかにしてKADOKAWAはいまの姿になったか──ライトノベルの定義は「思春期の少年少女がみずから手に取る、彼らの言葉で書かれたいちばん面白いと思えるもの」【「ゲームの企画書」特別編】_034
(画像はAmazon.co.jp: 涼宮ハルヒの憂鬱 「涼宮ハルヒ」シリーズ (角川スニーカー文庫) eBook: 谷川 流, いとう のいぢ: Kindleストアより)

佐藤氏:
 『ハルヒ』を書いた谷川流さんというのは、相当な読書量を誇る、ミステリーの読み手だということが、“長門有希の100冊”【※】を読むと判ります。とくにイギリスのハードなSFが好きだと何かのインタビューに答えていた。『ハルヒ』にもそういう影響が濃厚に感じられるハードなSF作品の側面があります。

※長門有希の100冊……『ハルヒ』に登場する読書好きの女の子(詳しくは作品を参照)である長門有希の本棚にあるとされる、SFを軸とした書籍100選。『ザ・スニーカー』2004年12月号で紹介された。
 チョイスは古今東西多岐にわたり、中には30冊を超えるシリーズもの、絶版されてしまったもの、単行本未収録作品、マンガ、未知の媒体や言語で記されたものなどがある。詳細はこちらで確認可能。

 その彼が応募してきたとき、「バツグンに面白いのに、このままじゃ売れない」と、早川書房から来た野崎(岳彦)という編集者が思ったんだよね。野崎くんの発言【※】を読むと、「これをどうやって売ったらいいのか悩んだ」とある。

※野崎くんの発言……『東大・角川レクチャーシリーズ 00 『ロードス島戦記』とその時代 ──黎明期角川メディアミックス証言集』(監修:マーク・スタインバーグ/編:大塚英志、谷島貫太、滝浪佑紀/KADOKAWA)にある。

 谷川さん自身も広く言えばオタクで、『エヴァンゲリオン』などああいうものも経ていたので、バリバリのSF小説に、『エヴァンゲリオン』以来の女の子のキャラクターの特徴をカテゴライズして、涼宮ハルヒを始めとする3人の女の子キャラに貼り付けて登場させたんだ。
 野崎はそのキャラクターに着目し、キャラクターを売りにした。難解な小説をアニメにしやすい形に落とし込んだんだね。だから『ハルヒ』は、小説もヒットしたけど、アニメになってからもの凄くヒットしたんですよ。

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(画像はAmazon.co.jp | 涼宮ハルヒの憂鬱 ブルーレイ コンプリート BOX (初回限定生産) [Blu-ray] DVD・ブルーレイ – 平野綾, 杉田智和, 茅原実里, 後藤邑子, 小野大輔, 桑谷夏子, 松岡由貴, 白石稔より)

鳥嶋氏:
 それはマンガの方法論と一緒だよね。キャラクターを立てることで魅力的にし、そこに乗れれば、読者にはどんなストーリーでも入ってくるから。作りかたが非常にマーケティング的で上手いね。

キャラクターに熱中する少女たち

鳥嶋氏:
 類型化されたキャラクターの居並んだ姿に人気が出たというのは、それ以前に『キャプテン翼』から始まる男の子版があったわけだよね。

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(画像はキャプテン翼 KIDS DREAM 1 (ジャンプコミックスDIGITAL) | 高橋陽一, 戸田邦和 | 少年マンガ | Kindleストア | Amazonより)

 じつは昔、『キャプテン翼』の映画のときに、映画館で女性がスクリーンに向かって声援を送っていると聞き、実際に見に行って目の当たりにしたところ、軽いカルチャーショックを受けたんだ。
 当時の『ジャンプ』には、一部、女性読者がもの凄く熱狂的な形で入ってきていたんだけど、声援を送っている相手が主人公じゃなかったんだよね。「私は○○くん」、「私は××くん」みたいに。これが僕にはショックで。

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 そうやって女性が少女マンガから少年マンガに引っ越してくる大きな流れが始まり、それに気付いた頭のいい編集や作家は意図的に狙うようになった。新撰組がモチーフの『BLEACH』とかね。

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(画像はBLEACH モノクロ版 1 (ジャンプコミックスDIGITAL) | 久保帯人 | 少年マンガ | 本 | Amazonより)

 そうした「キャラクターを並べて集団で売る」ということを女の子版でやったのが『ハルヒ』なんだね。

佐藤氏:
 そうなんですよ。
 いまのKADOKAWAで言うと『文豪ストレイドッグス』がまさにそれで。あれが「頭いいな」と思った点は、みんな教科書で知っている作家ばかりなんだよね。キャラクターの説明に下拵えがある。

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(画像は文豪ストレイドッグス(1) (角川コミックス・エース) | 春河35, 朝霧 カフカ | 少年マンガ | Kindleストア | Amazonより)

鳥嶋氏:
 僕が仰天したのは日本刀のゲームですよ(笑)。歴史が好きな女子ってのはいるから、それらをキャラクター化して惹きつけるっていうのは上手いよね。じつに頭がいい。

『刀剣乱舞』ファンがこの3年間で巻き起こした覇業を振り返る。107万円の公式Blu-Rayに約70件の申し込み、刀1本の展示で経済効果が4億円、幻の日本刀復元に4500万円を調達!

 そうやって、いわゆるオタクの“萌え”が現れるような流れと同様に、女性が少年マンガに入り始め、いろいろなボーダーが消えていったんだよね。
 逆に言うと、そこを見てコンテンツを作れないと取り残されていく状況が始まったし、それがいまに至っている。

 でもそういう少年少女の潜在的なニーズを確実に押さえるとなると、絵描きさんを選ぶのもたいへんだね。

佐藤氏:
 『ハルヒ』の絵を描いている、いとうのいぢさんは、その前に電撃文庫で『灼眼のシャナ』という作品でも描いていて、それが爆発的に売れたから、当時すでにイラストレーターとして、もの凄く人気と実績があった。

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(画像はAmazon.co.jp: 灼眼のシャナ (電撃文庫) eBook: 高橋 弥七郎, いとう のいぢ: 本より)

──あきらかに絵で売るモデルの原型は、『ハルヒ』以前だとそのあたりになるんですね。

佐藤氏:
 そうだね。そういうふうに女の子を類型化して登場させ、『ハルヒ』は、キャラクターの絵だけでカバーを作るなどしていった。そうやって編集の野崎はストーリーで売るんじゃなくて、キャラクターで徹底的に売ったんだ。

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 マーケティングで言えば、先の野崎くんが語っている本には「ハルヒを雑誌の表紙にアイドルのように載せたりした」とも書いてありましたね。あの時代は確かに、『月刊ニュータイプ』はもちろん、『週刊アスキー』などいろいろな角川の雑誌の表紙をハルヒが飾っていて、キャラクターとして強くアピールした。
 それをきっかけにアニメから小説にファンが行ってくれればいいので。

鳥嶋氏:
 そういうふうに「難解なものをどう売ろうか」と腐心してキャラクターを丁寧に作ると、キャラクターという入り口が確保されていることで、人が入ってくるし、入ったあとは逆に難解な部分が活きてくるよね。
 マンガにない複雑さが生まれ、奥行きが出てくるから、その世界で長く遊べる。それを読んだ読者が、「ここはどうなってんの?」などと複雑な部分の解明を追求したり、語りたがったりするから、そういう広がりかたもしたんだね。

佐藤氏:
 その難解な部分がネットで共有されて考察が盛り上がったりもしたし、二次使用もわりと緩く許したので、相当話題となり、その結果ディープなファンから浅いファンまで取り込んで大ヒットしました。この手法は角川ならではのものだったんじゃないかな。

鳥嶋氏:
 今日に至る売るための方法論の一部が、そのときに自然と形作られているね。

──複雑なものを、若い感性で受容したときって、それを語りたい場が欲しいわけで、そんなときに口コミ以外にネットというものがあれば、そこで語り始めますね。『ハルヒ』のアニメは顕著でしたが、あれって1話から時系列がバラバラで放送されるじゃないですか。

佐藤氏:
 そうそう。

──で、「これはなんなんだ?」という感じで、ネットで議論になると。

佐藤氏:
 『ハルヒ』のときはちょうどネットがそういう口コミ媒体になった時期だったから、それを意図的にやったスタッフがとても頭がよかったと思いますよ。

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鳥嶋氏:
 いま考えればわかるけど、ある程度ユーザーに委ねる形で謎解きをさせたり、つなげたりさせるというやりかたは、『エヴァンゲリオン』以降の流れだろうけど、当時は方法論としてまだまだ新鮮だった。
 「僕らの好みはメジャーのああいうものじゃないんだ。僕らだけがこの作品のよさがわかるんだ」と、若い人たちに引っ掛かったと。
 大手と言われる僕らは、同じ素材を扱ったとしても、解りやすさなどを求めて叩いて直しがちだけど、じつはそのまま「生」の形でよかったんだね。

KADOKAWAのメディアミックス論

鳥嶋氏:
 そういう意味では、佐藤さんが軸となってか、大手の壁を越えるためのツールとして角川はメディアミックスを突破口にしたよね。

佐藤氏:
 メディアミックスは、単なるマーケティングの手法ではなく、やっぱり角川の根幹にあるものだと思います。

──思想や考えかたとしてですか?

佐藤氏:
 事業ポートフォリオに、出版だけではなくゲームや映像というのものがあり、「それらを組織的にまとめて有機的に活かすためにはどうしたらいいか」というものに対してのひとつの答えとして、ホールディングスの設立(2003年)というものもあったし、そのあとのワンカンパニー制(角川ホールディングスによるグループ各社の巨大統合。2013年)もあった。大手出版社とは、そういうところが違うんだろうね。

鳥嶋氏:
 KADOKAWAは、やっぱり出版社じゃないんだね。そう規定すればいろいろなことが解るし、KADOKAWAが持つある種の自由さや、雑食性が見えてくる。

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佐藤氏:
 集英社や小学館の映像ビジネスも出版社を基盤としたものなんだけど、KADOKAWAにはあくまでも「自分はそれとは違うんだ」という気持ちがあると思うんですよ。
 1976年から春樹さんによる映画の時代が始まり、そして1997年だったかな? 歴彦さんが「新・映画の時代」と言ったんだよね。何が違うかというと、76年は「出版社が映画を作った」という構図だったのに対して、97年は「映画を事業としてやる会社」という形だったんだよね。

鳥嶋氏:
 物を売るための映像ではなくて、映像は映像でビジネスとしてやっていくということね。
 僕も佐藤さんとほぼ同じ時期に同じようなことをしていた。なぜ佐藤さんを理解できるかと言うと、やっぱり僕が『ジャンプ』から一度出ているからだね。

  『ジャンプ』や集英社のメインの場所だけで仕事をしてきていないから。KADOKAWAが総合出版社から外れているように、『ジャンプ』で僕ほど外れている編集はいないもの(笑)。

佐藤氏:
 そう思いますよ。自分を雑誌屋だと思うと、どこまで行ってもやっぱり雑誌のことだけになっちゃうんだよね。コミックスや映画のことは、興味がないってことはないと思うけど、視界に入らなくなっていく。鳥嶋さんはそういう視点が違うと思います。

ライトノベルの定義と広がり

佐藤氏:
 とまあ、これがいまに繋がるざっとしたライトノベルの流れですね。

鳥嶋氏:
 ライトノベルをそんなに読んでいるわけじゃないけど、こうして伺うと、なぜ当たったのかが非常によく解りますよ。

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 そういえばライトノベルというのは、いつごろからそう呼ばれるようになったんですか?

佐藤氏:
 1990年にパソコン通信のニフティサーブ上で、ライトノベルという言葉が生まれたと言われています。業界では「ティーンズ文庫」と呼ばれていた。ところが2004年に『このライトノベルがすごい!』、2005年に『ライトノベル完全読本』というラノベに着目した書籍が出て、呼称としてはそのあたりで定着したのかな。

【佐藤辰男×鳥嶋和彦対談】いかにしてKADOKAWAはいまの姿になったか──ライトノベルの定義は「思春期の少年少女がみずから手に取る、彼らの言葉で書かれたいちばん面白いと思えるもの」【「ゲームの企画書」特別編】_045
(画像はこのライトノベルがすごい!2005 | 『このミステリーがすごい!』編集部 |本 | 通販 | Amazonより)

──世間が持つラノベのイメージって「軽く読めて挿絵がある」、「キャラクターが立っている」などいろいろあると思いますが、ほかにも編集のしかたや流通などまで含めたさまざまな要素が複合的に結びつくことで、新しいジャンルとして捉えられるようになったのかなと思っています。
 そこで佐藤さんから、そうした「これがあったからラノベたり得た」という様相やキーワードなどを伺いたいんです。

佐藤氏:
 もともとファンタジーやSF、ミステリーなどの成熟したジャンルがあって、力のある作家がそこにいたけれど、ジャンルとして捉えると、流行り廃りでダメになっていたという背景があって。それらのジャンルを読みやすくし、イラストレーションをつけて、アニメ化して、もう一度再登場させたというのがライトノベルである、というのが僕の解釈。

鳥嶋氏:
 対象は中高生から大学生くらいまで?

佐藤氏:
 30代や40代になってもずっと好きで読んでる人もいると思うけど、本来はそうですね。本来の狙いとしては、「第二次性徴期の少年少女たちがみずから手に取る、彼らの本当に読みたいもの」だよね。
 彼らの心をくすぐるキャラクターをきちんとそこに入れ、『エヴァ』や『ヤマト』などアニメ的な背景も上手に取り入れながらキャラクターを活かし、再活性化したというのがライトノベルなんだ。

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 ライトノベルは、小説なんだけども読みやすいことが大事だし、「イラストレーションによって想像力を簡潔に補えるもの」などの定義もあるけど、僕としては「第二次性徴期の少年少女のための小説」だと思うんですよ。
 それは与えられるジュブナイルでもないし、教養などいろいろな意味を持たせられた文学とのあいだにあるもので、つかみ取るもの。

 アメリカにもジュブナイルと文学のあいだにヤングアダルトがあるけど、日本の場合はそれがライトノベルで、ラブコメも、学園モノも、SFも、際どいものもある。そうやってモチーフは関係なく、異性や性に目覚めていく過程で必要なもの。
 それこそ女の子にしても乙女だったりBLだったり、表面的には言われないけど広い意味での性的な刺激が鍵になっていて、そうした「少年少女が本当に欲しているものであり、自分から選ぶもの」をちゃんと供給したのがライトノベルなんだと思う。

鳥嶋氏:
 ということは、成長物語だったり自我の目覚めだったり、「人生をどう生きていくか」というテーマに繋がっていくってことですか。

佐藤氏:
 そうだと思いますね。ゲーム的な成長譚もあるし、女の子や男の子との出会いもある。そのときに大事なのは、彼らにとって同時代性があること。言葉のリズムや言葉自体が、同時代のものじゃないといけない。

 それをつくづく思ったのは、以前40~50代のベテランのジュブナイル作家に「ライトノベルを書いたので読んでくれ」と言われて読んだら、言葉がとても古くさかったんですよ。そのとき、「やっぱりジュブナイルとライトノベルは違うんだな」と思ったんです。
 ジュブナイルという枠の中でやるぶんにはその作品だっていいんだけど、ライトノベルとしては違った。喩えるなら、主人公が持っている自転車の名前が……「流星号」だったりするような。

鳥嶋氏:
 キャラクターの名前の付けかたはそれを感じやすいね。

佐藤氏:
 そういう意味では、やっぱり「同時代の感性をちゃんと持った人が、いちばん面白いことを少年少女に伝えるもの」がライトノベルじゃないかなと。

ライトノベルとマンガの関係性

鳥嶋氏:
 ライトノベルの作家って、マンガが好きだったり意識していたりするんですか? 作家に寄り添う編集者も含めて。

佐藤氏:
 意識していますよ。たとえば電撃文庫が『ジャンプ』を読んで凄く意識したのは、連載作品の単行本が3ヵ月など定期的に一冊出ること。それって凄く大事なことだと学んだんだよね。

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 「定期的に刊行して、読者の期待を裏切らないことがいかに大事か」を理解し、キャラクターを立て、演じられる舞台を作り、つぎつぎと新しいキャラクターを補うことで物語を展開させた。『灼眼のシャナ』みたいにね。
 「そうしたことができなきゃライトノベルじゃない」という意識をちゃんと作家と編集が一緒に持ってやっていくと、マンガのように刊行できる力がライトノベルにはあるんです。

──ライトノベル以前には、月イチで刊行する文庫などはなかったんですか?

佐藤氏:
 時代小説にはあったんじゃないかな。

鳥嶋氏:
 新聞小説などだったら、何ヵ月に一度出ていたと思うよ。『竜馬がゆく』とかね。ちなみに週刊連載19ページのストーリーマンガだと、年に5冊出るんです。

──マンガが出る刊行ペースを参考に、ライトノベルを短い間隔でリリースできるようなプランを、作家に促していたと。

佐藤氏:
 「作家を3~5年の単位でどうやって育てるか」というプランを編集者に作らせるんですよ。すると「このころにCDドラマを作る」や「ここでラジオをやる」というような案が出てくる。ライトノベルがアニメ化するようになると、そこに「何年後にアニメ化」というのも加わり、その計画を作家抜きで作るわけにはいかないので、結果的に編集と作家がプランを共有し、「定期的に出すことがいかに大事か」という意識が定着していったんだ。

 そのプランを考える場を作ったのは僕だけど、電撃文庫の編集長だった鈴木(一智氏)がわりとマジメにそれを続けたんだと思う。

鳥嶋氏:
 マンガが偶発的にやってきたことを、ラノベは意図的に仕掛けてるという感じが強くするね。マーケティングが上手い。作家をトータルで長い期間かけて売ると、作家の負担も少ないし、お金にもなるんだ。休んでいたり考えていたりするときにキャラクターが稼いでくれるしね。

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佐藤氏:
 ただ、角川でもマンガの作家さんは、このプランが共有できないんです。こんなこと言うと失礼かもしれないけど、週刊ペースでグイグイと描く人たちではないし、月刊でも休載のある雑誌も多い。やっぱりマンガでは大手には敵わない。ライトノベルで初めてプランニングできたんです。

──企画段階から、作家さんと3ヵ年プランなどを共有したうえで始めるという感じでしょうか。

佐藤氏:
 まず一冊、二冊を出した後だよね。「イケそうだな」となったら動く。

──するとまずは「面白い」と思うものを出し、当たり始めてから長期計画を立てるんですね。

佐藤氏:
 でもいまとなっては「ライトノベルはそういうものだ」と思ってる人も多いから、応募してくる作家も「シリーズ化できるかどうか」を織り込み済みで作品を書いたりしている。とにかくこうした手法はマンガが培ってきたものだね。

鳥嶋氏:
 マンガビジネスの上手いところを掬っているよね。

佐藤氏:
 マンガビジネスで言えば、マンガの週刊誌モデルには、印刷会社も加担しているんだよね。新書版のコミックスの製造工程は32ページ×6折=192ページに最適化され、カバー掛けまで一貫した自動生産なんだよ。印刷会社に聞いた話だと、この機械を導入するとき、「新書版192ページで機械を回し続ければコストが最小になる」ということを出版社に強くアピールしたんだって。
 作家さんが機械に合わせて毎回同ページの定期連載をすれば、機械がフル回転できる。大手のマンガ週刊誌は、作家周辺を工房化し、それに答えたんだね。僕たちが週刊マンガ誌に手が出せなかった理由のひとつがこれですね。

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 でも編集の上手いところは学びました。たとえば鳥嶋さんが編集長時代のコミックスも真似したんだよね。編集部のみんなで書店に行って、コミックスの表紙の文字の置きかたや絵の感じ、明るさなどをずいぶん勉強しましたよ。

鳥嶋氏:
 なるほどね。『ドラゴンボール』では、「カバーの白地がいかに目立つか」ということを意識したんですよ。表紙って、売ろうとしてアレコレ盛り込んで一生懸命描けば描くほど、書店で平積みにされたときに目立たないんだよね。最終的に白がいちばん目立つわけ。『ドラゴンボール』の表紙は、真ん中に絵はあるけど、白が基調なんだよね。「どうすればコミックス売り場で目立つか」を意図的に考えてるんだ。

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 あと、コミックスは新刊じゃなくなって棚挿しになったとき、背幅が狭いから目立たなくなる。だけど『ドラゴンボール』は、並べたときに背表紙のドラゴンが1枚の絵になっているから圧倒的に目立つんだ。
 あれはちょうど7冊集まらないと、1枚の絵にならないようにした。逆を言えば「7冊出ればそれでいいや」って思っていたから(笑)。

佐藤氏:
 それで結局、何巻まで出たんでしたっけ?

鳥嶋氏:
 42巻まで出ています(笑)。

 僕は、マンガとライトノベルに類似性があるように感じていたんだけど、類似どころかマンガを意識して作っていたり、なんで売れているのかを分析したりしながら取り入れていった部分が大きいってことですね。

佐藤氏:
 作家も編集者も、マンガから学んだんですよね。

──お話を伺っていると、マンガが掲載誌を含めて構造的に弱くなっていくなかで、ライトノベルは一方で少なくとも2000年前後は凄い隆盛を極めますよね。それは大きな視点で見ると、テレビの深夜アニメ枠の影響などがひとつの要因として挙げられると思いますが、それ以外にも要因はあったんでしょうか?

鳥嶋氏:
 それこそ「オタク」や「萌え」という言葉が一般化する大きな流れに、角川が非常に上手く合わせたんだよ。一方の大手出版社たちはそういうものやライトノベルを低く見て莫迦にしていたから。

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佐藤氏:
 莫迦にしていたね。

鳥嶋氏:
 そもそもマンガだってそういうものなんだから、莫迦にしちゃいけないんです。時代の空気なんだから。だから後からラノベに参入しようとしても、KADOKAWAのシェアが圧倒的で、とても入れる状況じゃない。莫迦にした段階で、敗北は確定していたよね(笑)。

 僕にしても、ライトノベルや深夜アニメから始まるオタクと呼ばれる文化って、確かにちょっと気にはなっていたけど、「マイナーなもので、そんな大きな流れになるものだ」とは思っていなかった。

 だけど後から振り返ると、そういうジャンルがどんどん拡大していった。出版社でいえばKADOKAWAがそうだし、ほかにはスクウェア・エニックスや、小さなところもいろいろと台頭してきたわけだ。

『ジャンプ』が忘れたもの

鳥嶋氏:
 どうして莫迦にしていたかの話に繋がるんだけど、少年が読みたい永久のテーマって、簡単に言うとエッチとバイオレンスなんですよ。セックス&バイオレンス。子どもが見たいのも、親と学校が禁じるのもそれ。だからそれは読まれていく。
 『ジャンプ』が注目されたのだって『男一匹ガキ大将』『ハレンチ学園』だったわけで、結局このふたつによって雑誌は成り立っている。

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(画像は男一匹ガキ大将 第1巻 | 本宮 ひろ志 | マンガ | 本 | Amazonより)

 ところが売れると、いつのまにか自分たちを正当化して、キレイにものを作ろうとするんだ。すると部数的な目標との兼ね合いで、無理をしながら自分たちを正当化することになる。
 それは滅んでいく要素を内包することにほかならない。

 だから『ジャンプ』がここまでダメになる前にやらなきゃいけなかったことは、ピークを迎えさせないように、作品をつねに新しいものに切り替えていくことだった。そうすればよかったのに。

──そのときどきに短期的な最適化をやってしまった、ということですね。

鳥嶋氏:
 うん。だから『ジャンプ』は「なぜその位置まで来たのか」という本質をいつのまにか忘れてしまったんだ。つねに新しいものを試しながら、新陳代謝を図る。

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 それも「小中学生をどう取るか」、つまり「間口のところをどう取るか」ということを考えながら。でもそれは簡単に作れるものではないから、作っては壊しをくり返さないと無理な話で。そうやっていま『ジャンプ』はまた同じ過ちをしているわけだよ。

──「同じ過ち」ですか?

鳥嶋氏:
 『ONE PIECE』『NARUTO』、それとまあ『BLEACH』などが出てきて、部数はなんとか下げ止まった。むしろコミックスの売上や関連商品などいろいろな要因で、収益は全盛時代よりも上がったわけです。

 その結果、その収益を維持することに現場や会社が頭を振り向け始め──新しいものをやろうとしなかった。『NARUTO』が終わった瞬間に『ONE PIECE』しかなくなったわけ。
 そうすると『ONE PIECE』がずっとトップということになり、つまり誌面が変わらない印象になる。誌面が変わらないということは、“今週はとくに買わなくていい雑誌”になるわけで。それこそ「単行本でいいや」としかならない。

 だからね、もう一度マンガ誌を再定義して、再構築しなきゃいけないんだよね。つまり歯を食いしばって小中学生向けに作るしかない。
 非常にわかりやすく、やっぱり成長物語でやるしかない。そして一号一号ちゃんと19ページで構成して、「来週どうなるんだ?」という引きを作っていかなきゃいけない。マンガの原点は紙芝居だから。

佐藤氏:
 成長物語というのは、つまり少年のヒーローの成長物語を王道としてちゃんとやれということ?

鳥嶋氏:
 そう。ただそれは本当に作っては壊しの連続で、経験則で進めていくしかないから負担が大きいんだ。そこで現場で手堅くヒットを狙おうとして、メインストリートから外れ、ある程度特殊な設定を付け、設定によってマンガを担保するという作りかたになっていく。

 でも、そうじゃない。ライトノベルが第二次性徴期の少年少女の“自分のもの”となったように、小中学生が自分のものと感じる本来の成長譚でなくちゃならない。

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 だからさっきの佐藤さんのひと言って凄く痛くて染みるんだ。いちばん敏感な読者と書店の売り場担当の人はライトノベルがそういう存在であることを知っているんだよね。
 トレンドの波がジワジワ来ているとかさ。まさしくアニメイトなんかがそうだよね。

 ところが出版社は販売の一部の人は知っていても、経営や編集の人たちはマンガ以外のモノにはそこまで敏感じゃない。とくにそれまで文字がそんなに売れてこなかった時代を知っているから、逆にその方面に関しての目配りが足りないんだ。
 僕にしたって、しばらくそういうのは知らなかったし。

マンガ専門店から大型書店へ侵食していくラノベ

佐藤氏:
 マンガ専門店というのが1980年代に現れたんだよね。「わんだーらんど」(1980年~)や「まんがの森」(1984~2013年)など。そこでライトノベルが売れたんだよ。それこそ「アニメイト」(1983年~)とかでもね。

 大型店よりもそうした店舗で勢いがつき、ライトノベルの棚というのはそこからスタートするんだけど、もともとマニアのものだから、売れないところではなかなか売れない状況が続く。だから特約店制度──ラノベと親和性が高いマンガ専門店と、あとは中学校や高校の近くにある書店をこちらから指定する、指定配本を行ったんだ。

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 鳥嶋さんの『ジャンプ』ような大きな部数の雑誌は、「パターン配本」という方法を採っているんだけど、これは大きな販売力を持っているところには大きく、小さな書店には小さく回すというパターンで配本を行うもので、雑誌が作った文化なんですよ。
 それをライトノベルで踏襲されたらとんでもない返品になってしまうので、主婦の友社の時代【※】にわりと丁寧な棚展開をしてもらい、1000~1500店くらいの専門店にはしっかり厚く配本する「特約店制度」を採用したんです。

※主婦の友社の時代……メディアワークスは前述した1993年の創業時から販売と営業を主婦の友社に委託。歴彦氏の角川書店復帰とメディアワークス経営の兼任時もそれは続き、1999年に入って販売業務の委託先が角川書店となる。主婦の友社の時代とは、この期間を指している(角川書店によるメディアワークスの完全子会社化は2002年)。

 その結果、専門店にはライトノベルの棚が増えていくけど、それ以上は広がらなくて。だからライトノベルは、「新刊は平台にあるけど、既刊本は撤去されてしまう」という苦しい時代が続く。
 それがじわじわと広がり、特約店が1000店を超えるようになってきて、ようやく既刊本も少しずつ売れ始めてね。それで再び僕らが角川に戻ってライトノベルを展開するときに、「特約店だけじゃダメだから、大型店にも棚を作ろう」となったんだ。

 ライトノベルはとにかくマンガと親和性が高いから、なかなかそうもいかないんだけど、マンガ棚の近くにあるといい。
 そのころ「マンガ文庫」のブームが1990年代の中盤から始まり、ちょうどその時期に小学館がガガガ文庫(2007年)やルルル文庫(2007年)を始めたのもあり、特約店だけでなく大型店舗でも、『ハルヒ』のようなライトノベルが売れるようになっていった。

 そこでようやく「きちんとした棚を作ろう」という話になった2000年代後半に、上手い具合に「マンガ文庫」が衰退し始めて(笑)、マンガを置いている一角に空間ができ、そこにライトノベルがスッと入ったんだよね。

鳥嶋氏:
 書店側としては、ひとつの波が去った後に次の売れ筋が出てきてくれたから、助かったはずだよね。

佐藤氏:
 そう。それでようやく、ライトノベルの棚ができていくんです。

鳥嶋氏:
 そのころの僕はね、書泉ブックマート【※】あたりでそれを見て仰天したのよ。「いつのまにこんなにたくさん出てるんだよ、角川の本!」って(笑)。

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佐藤氏:
 角川の営業はね、そこはすばらしかったんですよ。そのころになっても大型書店の社長たちは、ライトノベルなんか知らなかったから、頑張ってくれたんだよね。

※書泉ブックマート……2015年まで東京・駿河台下に存在した書店。一帯に複数の店舗を持つ書泉が経営。ブックマートはマンガやアニメ、ゲームなどサブカルチャーに強い店舗だった。現在は秋葉原の店舗ブックタワーが同様の展開をしている。

ラノベアニメはどう始まったか

鳥嶋氏:
 書店でそういうことが起きている一方で、ライトノベルが大きく知られてもっと売れるようになる仕掛けとしてのアニメがあるよね。「ライトノベルはどういうふうにアニメを仕掛けていったのか」という話を聞かせてほしいな。

佐藤氏:
 アニメについては、もとより『ジャンプ』などの独壇場だし、1980年代まではキッズ・ファミリー向けが占めていた世界だよね。キッズ・ファミリー向けのアニメは、4年や5年など相当長い時間手掛けてマーチャンダイジングと結びつけて……という黄金のパターンがあるんだけど、これはとても角川が入っていけるような状況ではなかった。

 だから角川は『幻魔大戦』(1983年)という劇場映画からアニメに入ったんだ。

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(画像は幻魔大戦 : 角川映画より)

 あとは、これも歴彦さんが仕掛けるんだけども、1990年代頭に『ロードス島戦記』がOVAとして登場している。(編集部注:「ロードス島戦記」は、1998年にテレビアニメ化を実現)。
 もともとその程度だったんですよ

 さらに黎明期のラノベのアニメは、夕方しか選べる時間帯がなくて、たとえば『スレイヤーズ』(アニメは1995年)などは、番組のスポンサードをして波代(テレビ局に支払う電波料)をたくさん積んで、言ってみれば「やらせてもらう」ような感じだった。

鳥嶋氏:
 けっこう経済的なカロリーが高いねえ。勝負が懸かるね。

佐藤氏:
 そう。だからよっぽどの作品じゃないとアニメ化できなかった。
 ところが、1990年代の終わりくらいから“深夜枠”というのが現れて状況が変わったんです。これはバンダイビジュアルやキングレコード、ビクターなどがビデオメーカーとして「アニメはパッケージ販売できる」と判断し、それに対応する枠をテレビ東京が作ったことに始まります。以前は、凄く人気のあったアニメの再放送をやる枠だったんだけど、その深夜枠を新作に開放し始めたんですよ。

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鳥嶋氏:
 なるほど。再放送の枠だったなら、提供する波代も安いね。

佐藤氏:
 ええ。安いので、そのころから「これだったらできる」と深夜枠が動き始める。
 具体的に角川がどうしたかというと、集英社や小学館のように、いわゆるキッズ・ファミリーではないから「その深夜で充分」と判断した。それでもなおテレビ局にどんどん権利を握られていくから、一時は地上波キー局でもやっていたけど、それを止め、波代のないWOWOWに行くんです。WOWOWのつぎはMXなど、いわゆるU局の、しかも深夜だけじゃなく夕方もやってくれるようなところに移っていくんだよね。

鳥嶋氏:
 WOWOWやMXになぜ波代が要らないかというと、視聴率さえ取れれば、あとからコマーシャルが入ってくると考えるからで、つまりいちばん原始的なテレビの営業に戻っているんだよね。そこでたとえば『ドラゴンボール』など、さんざん再放送されてテレビ局が手放している昔のアニメをやるわけだ。再放送だから安くて、一本数十万だけ払えばいい。

──ニコニコも買っていますね。

鳥嶋氏:
 そういうことが起きるわけだよね。そしてKADOKAWAアニメは、いまの放送スタイルになっていくと。

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佐藤氏:
 そうです。深夜だからビジネスとして我々も入っていけるようになったんです。
 そのとき開放されたのが、ライトノベルと成年向けアダルトゲームのアニメ化。後者は、コンシューマ向けにマイルドにして展開するのと同時に、アニメ化とマンガ化をするというパターン。放送コードも緩く、子どもが観ない時間帯だからということで許された。

 そんな時代がきて、いまやアニメは年間100本という市場ですよね。KADOKAWAでも年間何十本とアニメ化されていますし。

雑誌の弱体化にアニメの台頭とコンビニの存在があった

佐藤氏:
 なんでそうやってアニメが台頭していったのかを出版社の視点で考えると、600万部あった『ジャンプ』がそのままだったら、いちばん売上に直結するコミックスの販売促進力になっていたはずなんだけども、部数が落ちていったから、販売促進力として弱くなっていったと。例を出すのも申し訳ないけど……。

鳥嶋氏:
 いやいや(笑)。そのとおりですよ。

佐藤氏:
 600万部のときに『スラムダンク』などのアニメがあったけど、それはそれほど販売促進力にはならなかった。でも『ジャンプ』自体は元気だった。

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(画像はSLAM DUNK 1 (ジャンプコミックス) | 井上 雄彦 |本 | 通販 | Amazonより)

 それが300万部になって『ONE PIECE』が現れ、アニメが評価され、このアニメの評価が単行本の売上になっていった。よく考えると雑誌はじつは半減しているのに、200数十万部、300万部、400万部というように『ONE PIECE』は売れていくんだ。
 ……間違えていたら指摘してほしいんだけど(笑)。

鳥嶋氏:
 大丈夫です(笑)。

佐藤氏:
 つまり「雑誌の力よりも、アニメの力によってコミックスが売れるじゃないか」ということになったんだよね。

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 典型的だったのは『鋼の錬金術師』『ガンガン』から分裂したマックガーデンという会社が『ガンガン』の作家を連れていったんだ。
 だから分裂当時の『ガンガン』はどんどん部数が落ち、いちばん弱っていた。その時期に始めたのが『鋼の錬金術師』で、始まったときの『ガンガン』の部数は最低だったんだよね。それでも『鋼の錬金術師』があれほどのヒットになったのは、アニメも高く評価されていたから。

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(画像は鋼の錬金術師 1巻 (デジタル版ガンガンコミックス) | 荒川弘 | ファンタジー | 本 | Amazonより)

鳥嶋氏:
 『ジャンプ』について補足すると、佐藤さんの指摘は正しいんです。『ONE PIECE』は、初めて初版が本誌部数を上回る単行本となった。『ジャンプ』が300万部のときに、300万部を超えるコンテンツが育った。そうなった要因はいくつかあって。

 まずひとつは『ドラゴンボール』や『幽遊白書』が終わり、長らく読んでいた読者が離れたこと。そして「戻らなくていいや」となった。
 読者は一度離れたら戻らない。単行本で好きなものだけ読めばよくなるから。

 単行本が前より売れるようになったもうひとつの要因は、それまでにいなかった女性が読者に入ってきたから。

佐藤氏:
 女性は雑誌から入らないんだよね。アニメから入る。

鳥嶋氏:
 そう。アニメから入って単行本を買うから、雑誌のほかのタイトルを読まない。だから誌面が作品主義になっていく。

 もうひとつ要因としてあったのは、コンビニの存在。
 コンビニが増えたことで四六時中雑誌を買えるようになり、コンビニとしては外側に向けて並べることによって、ついでに缶コーヒーを買わせたりなどキャッチを作れるようになった。
 でもそれは同時に書店で買わなくなり始めたということでもある。それから駅のスタンドでも買わなくなり始めた。こうして既存ルートの流通が崩れていった結果、「マンガをもう読まなくてもいい」ということが起き、雑誌の時代が終わっていくんだ。

──でも出版社からすると、コンビニで雑誌を展開できるのはメリットではないんですか?

鳥嶋氏:
 雑誌をコンビニで買えるようになって何が起きたかっていうと、書店が減り、その結果、雑誌から子どもたちが離れていったんだよ。小中学生がコンビニで雑誌と缶コーヒーをまとめて買うかといったら買わないし、買えない。

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 もうひとつ決定的だったのは、コンビニで雑誌は生鮮食品と同じ扱いで、週刊誌は3日で棚から下げられるんだよ。月刊誌は1週間で下げられる。
 書店だったらつぎの号が出るまでは置かれたりしていたものが早々に切られる。
 でも目先の数字はいいから、とくにヤング誌や青年誌がそこで異常に売れたから、それを前提にして出版社がどんどんコンビニに部数を突っ込んでいったんだ。そうやって自分たちのいちばん大事な書店をダメにしていった。

佐藤氏:
 そうだね。それは言えるね。

──コンビニで展開することが雑誌の弱体化に繋がるということが、ピンとこなかったんですが、書店がダメージを受けることで、回り回って本丸である少年誌などが落ちていったんですね。

佐藤氏:
 それと雑誌が売れなくなったいちばんの原因は、やっぱり携帯電話だと思うよ。iモードが1999年に始まり、通信料がムチャクチャ高かったから、定期的に200~300円マンガに出してきた習慣がサラリーマンの重荷になってきたんだよ。
 可処分時間の使いかたも変わったわけだし。それがいちばん大きいんじゃないかと僕は思う。「コミックスになってから買えばいいや」って。

鳥嶋氏:
 それも理由だろうね。

 とにかくね、雑誌が弱くなったことにより、新しいものを売り込む場所がなくなった。新しいものに触れられる場所がなければ、新しい層の気を惹くこともできない。
 兄弟がいれば、まだ「お兄ちゃんが読んでいるから」と広がりそうなものだけど、少子化でそれもなくなってきて、いろいろなものの単位が変わっていったんだよね。マンガってそういう口コミも左右するメディアだから、それがなくなると足腰が弱り、いろいろなことが一気に起きるわけだ。

──そういうときにコンビニにあるマンガの廉価本は貢献しなかったんですか?

鳥嶋氏:
 小学館が始めた、いまでいうリミックスというヤツだ。

佐藤氏:
 それは2000年代の最初に現れたんだけど、いちばんの目的は、新古本対策だったんだよね。

 1990年代の後半に、ブックオフなどの新古書店がもの凄い勢いで増え、そこで売れる本の数が、書店流通の半分くらいまで届いて、「何とかしなきゃいけない」と小学館がコンビニでの廉価本を最初に始めたんだ。
 書店には、同じコンセプトでマンガ文庫があった。昔の名作を書店ではマンガ文庫で売り、ペラペラの二次利用できない作りの本はコンビニがぴったりだろうと300円ぐらいで売って棲み分けたんだね。鳥嶋さんが言った雑誌と缶コーヒーの例でいえば、「ワンコインで缶コーヒーと一緒に買える」というのがミソだった。

 それによってもしかすると、マンガのファンのうち、とくに年上の層が買わなくなっていったんじゃないかな。彼らが新しいものを求めずに、昔の名作で満足しちゃう。
 昔読んだ『スラムダンク』で満足しちゃうとかさ。新作の力が弱くなったことと、相互作用しているところもあるんだろうけど。

日中のアニメが廃れていく流れ

鳥嶋氏:
 同時にアニメにも落ちていく流れもあるんだよね。先ほども話に挙がったキッズ・ファミリーのアニメーション。それがなぜなくなってきたかという話。

 僕の主観では、まずこの凋落がどこから始まったかと言えば、広告代理店が「個人視聴率」と言い始めたころから。テレビの在りかたが変わってきたからだと思うんだよね。
 個人視聴率は、それまでの受像器のある家庭というザックリとした調査でなく、個人の動向を調べて視聴率とする方法ね。いまの個人情報などの走りだよね。

 この個人視聴率の導入で何が起きたかと言えば、老人と子どもが捨てられたんだよ。

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 代理店がこれを言い始めた理由は、「テレビ局にスポンサーをきめ細かく充てて、コマーシャルの値段を上げ、その上前を撥ねる」という考えかたからなんだ。
 それ以前は「視聴率が高ければコマーシャルが売れる」という非常に粗い時代だったけど、そうではなくなった。すると、それまで20~30%の視聴率を叩き出していた番組が、サンプルの採りかたが変わったことでがその数字を取れなくなった。この煽りを受けたのが、子ども向けアニメと時代劇だったんだよね。

 かつて水曜19~20時のフジテレビは、鳥山(明)さん(『Dr.スランプ アラレちゃん』、『ドラゴンボール』シリーズ)と高橋留美子さん(『うる星やつら』『めぞん一刻』)で1時間通してアニメを放映していたけど、そういう枠が減り、ついに『ONE PIECE』を最後に消えたんだよね。

──『ONE PIECE』は、水曜夜から日曜夜に、そしていまは日曜朝に移っていますね。

鳥嶋氏:
 ゴールデンタイムから日曜の朝に動くという話が出たときに、当時の編集長と僕が一緒にフジテレビの編成に行って話をしたんだ。「いかにアニメがフジテレビを救ったか」という話をね。……でも、当時のことを誰も覚えていないんだ(笑)。

一同:
 (笑)。

鳥嶋氏:
 「前番組の『スター千一夜』(1959年~1981年)がなくなり、その19時台を整備して全国ネットとして繋げて始めた『Dr.スランプ アラレちゃん』(1981~1986年)が最高視聴率36.9%を取り、後ろに『うる星やつら』が入ったことで、フジテレビの攻勢が始まった」という説明をして、「アニメによっていかにフジテレビが蘇ったか」という話をしたんだけど、ところが「もうその時代じゃありません」とか言われてね。

 結果、ゴールデンタイムでのアニメが終わり、朝の時間帯にしか残らなくなった。その朝の枠も土日しかない。
 そうなるとみんな深夜枠に移るんだ。深夜枠は全国ネットに繋がってないから、僕らのような部数を売りたいマンガサイドやメーカーからすると、あまり注目していない時間帯だったわけ。

 ところが、佐藤さんたちが先ほどの話のように仕掛けたことで、深夜枠のアニメを観る、いわゆるオタクが増え、そして世の中が“録画してアニメを観る”という時代になっていく。

【佐藤辰男×鳥嶋和彦対談】いかにしてKADOKAWAはいまの姿になったか──ライトノベルの定義は「思春期の少年少女がみずから手に取る、彼らの言葉で書かれたいちばん面白いと思えるもの」【「ゲームの企画書」特別編】_065

 日中のアニメと違い、既存の制作会社だけでなく、テレビ局や出版社、そのほかあらゆるところがみんなプレイヤーとして参加するようになった。さらにメーカー、原作サイド、テレビ局などからいちいち面倒くさいことを言われず自由にモノが作れるなら、深夜への流れはおのずと増えていくよね。
 そうなると、今度は作るために原作が必要となる。ライトノベルはその供給元だったんだ。振り返って見れば、ラノベに流れが来ていたのは判ることなんだよね。

佐藤氏:
 1980年代当時の角川の雑誌からすれば『ジャンプ』ブランドは夢のまた夢だし、まして自分たちの作品がアニメになるというのも本当に夢だった。それがいまはもう当たり前になっちゃったけど、当時はそのくらいキッズ・ファミリーが主流だった。

鳥嶋氏:
 その後、メインだった出版社は──とくに講談社、小学館あたりは、時代的にメジャーなものが売れなくなっていくんだけど、そのときに「マスを狙ったものではなく、テーマなどが特殊なものでも、ファン層と合致すればしっかり売れる」と考え、いわゆるオタク向けのものやニッチなものののほうへ行くんだよね。それで『月刊アフタヌーン』などニッチなマンガ誌が伸び始めた。
 それに合わせて深夜アニメも隆盛していくわけで、これはつまりそれまでメインだったマンガ業界が、ライトノベルの後追いをし始めたってことなんだよね。

製作委員会の話

──製作委員会についてはどうお考えですか? いまはその作りかたがメインですよね。

鳥嶋氏:
 製作委員会方式がなぜメインになるかというと、それだとたいして強くない作品でも出したお金に応じたリターンがあり、リスクが減るから番組が成立しやすいんだよ。だから本来そんなにテレビアニメを作っちゃいけないはずなのに乱立することになる(笑)。

──製作委員会の中で出版社の立場ってどうなっていったのでしょう? 弱くなっていったのでしょうか。

鳥嶋氏:
 弱くなっていったね。なぜかというと、原作のホルダーである立場を捨て、「出資しなきゃいけない」という同じ地位に行っちゃったわけだから。

 出版社の主観で話をすると、基本的にテレビアニメは18時台や19時台といった、いわゆるご飯を食べる時間帯の視聴率を取るためにキー局で始まったんだよね。そこで出版社は「本が売れればいい」ということで、権利を強行に主張していなかった。
 テレビ局も視聴率が上がればいいので、こちらも権利を強行に主張しなかった。そこで儲けていたのはアニメ会社なんだ。東映アニメなんか典型だよね。

 そんな形で80年代までやってきたんだけど、僕らは次第に「違うぞ」と思い始めたわけ。というのも、『Dr.スランプ』の時代に劇場アニメの興行収入が20億、30億あったとき、『ジャンプ』が原作で宣伝もしたのに、出版社に返ってくるお金が200万とか300万だったから。
 それはなぜかというと、フィルム制作費を出していないから。

 それであるとき、「これはおかしいんじゃないか」となり、アニメの『ドラゴンボール』でプロデューサーが変わるときにフジテレビと話をして、フィルム代も出資するなど座組を変えたんだよね。
 そうしたら返ってくるお金が1億くらいになった。

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 そういうふうにできたのは僥倖だったけど、それができずにいたところも多かったし、個人視聴率への移行もあって、メインの子ども向けアニメがなくなっていくんだよね。そのとき、僕含め『ジャンプ』が愚かだったのは、全国区で子どもに名を売るために時間帯にこだわるわけ。
 「変な時間帯で番組をかけるくらいなら、やらないほうがいい」という判断だ。その結果、余程の大型案件じゃなければ、アニメ化を見送ることになっていくんだよね。

 逆に言うと僕らは、つねに適切な時間帯を考え、1、2年後のテレビ局の編成表を見たり、代理店からの情報を聞きながら、変わりそうな枠を狙っていくやりかたになった。それが僕ら出版社の話。

 一方そうやってキッズ・ファミリーのアニメはなくなっていったけど……。

佐藤氏:
 角川も1980年代にお金を積んで波代を出したけど、権利は何も持っていなくて。こちらに原作があるのに、当時は局側にマーチャンダイジングがあるような仕組みになっていた。

 そこで製作委員会方式というのも始まっていたし、アニメ自体を事業化して出版社として許諾するというところから始め、次の段階で製造権や販売権を押さえるために出資を多くし、権利を自分たちに全部戻す形に持っていく。
 そういうことを、井上伸一郎【※1】と安田猛【※2】が業界に嫌われながら(笑)、20年くらいかけてやっていくんだよね。僕は現場で直接タッチしていた訳じゃないけど、KADOKAWAの映像チームがそれを上手にやっていったんだと思うよ。

※1 井上伸一郎……1959年生まれの編集者。大学在学中からアニメ誌に携わり、独立後、『ザテレビジョン』などを経て『月刊ニュータイプ』の創刊副編集長に就任。
以降、『ChouChou』や『月刊少年エース』の創刊編集長などを務める。角川映画取締役、角川プロダクション社長、角川書店代表取締役社長、富士見書房取締役会長などを歴任し、現在はKADOKAWA代表取締役・専務執行役員。

※2 安田猛……1962年生まれの編集者。アニメプロデューサー。
『ドラゴンマガジン』編集長、角川書店常務取締役、富士見書房取締役、角川プロダクション専務取締役などグループ会社の要職を歴任。

鳥嶋氏:
 それって後発であったがゆえの知恵で、賢いし、まさに正しいんだよね。いまの流れはそうだしね。それはそれで、また違う弊害も出てくるんだけど。

佐藤氏:
 キッズ・ファミリーが中心の出版社だと、日中の時間帯を押さえる必要があるから、金銭的な負担を相当強いられたうえでさらに博打になるんだけど、オタク向けで深夜でもいい、あるいは波代も要らないような座組の中で出資をすると、相応のリターンがちゃんとあるんだ。

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鳥嶋氏:
 補足するとテレビって、波代の単価を上げるため、「全国津々浦々で見られます」ということをアピールしてくる。これが全国ネットワーク。ところがいま佐藤さんが言ったのは、「関東だけでいいです。あと名古屋だけ足します」というような話で、すると俄然と波代が安くなるんだ。

──集英社はそうではなかったと。

鳥嶋氏:
 そうだね。簡単に言うと、それまでのテレビ局って紳士的だったんだよ。根底にある作品の権利にはお金を出さない。そこはこちらに持たせてくれていた。ところがテレビ東京は、放送免許を持つ限られたメンバーの地位にありながら、そこで放送するフィルムに対してお金を出した。つまり権利を持ち始めた。

 たとえばフジテレビで『ドラゴンボール』を放送したとして、そのまま数年経つと契約上、テレビ局には権利がなくなるんだ。そこをアニマックスなどが「再放送します、一挙放送やります」といって安く買い、そこのコマーシャル枠を売る。
 TOKYO MXテレビは、この手法で伸びたんだよね。

 ところがテレ東は『NARUTO』の権利を買って海外で売ったとき、アメリカや中国でお金になったので、川崎さん【※】という人があちこちに張るようになったんだよね。それがいまに至るんだ。

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(画像はNARUTO -ナルト- 1 (ジャンプコミックス) | 岸本 斉史 |本 | 通販 | Amazonより)

 その結果、テレ東は儲け頭に紐を付けて、「全部自分のところでやります」と手放さなくなった。これはKADOKAWAと一緒で賢いんだけど、僕らにじつに嫌がられるよね(笑)。

※川崎さん
川崎由紀夫 テレビ東京上席執行役員。アニメ局担当、ライツビジネス本部長。

──それまでのフジテレビなどは、あくまでコマーシャルを売るという立場でしかなかったのに、テレビ東京は製作にお金を出して権利を持ったわけですね。テレビ局からの視点で見れば、それはより利益を得るための手法ですが、出版社の視点からすると、それは悪い条件でいわゆる不平等条約だったと。

鳥嶋氏:
 いまは残念ながら、すべての局がテレ東化したんだよね。
 そこにテレ東と思惑が一緒の代理店も噛んで、番組制作に入ってくるんだ。自分たちがお金を融通してスポンサーを見つけてくるだけじゃなく、「だったらついでに」と、もっと割りのいい当たりそうな作品については、「俺たちがスポンサードするから、底地をちょうだいよ」と言ってくる。

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 結果、その先で何が起きたかというと、いま白泉社の人たちや集英社の少女マンガなど、『ジャンプ』グループ以外のものはみんなそうだけど、メディアミックスで本を売るために、アニメの権利を一部渡し続けている。
 なおかつ番組化するとき、提供費、つまりスポンサーとしてのお金も払ってくれと言われている。要するに、圧倒的な不平等条約を強いられている。いまはそういう莫迦なことをやっているわけだ。

──部外者の感覚で言うと、集英社が『ジャンプ』を、つまり原作を持っているから最強に見えるんですが、じつは「不利な戦いを年々強いられていまに至る」というのが、いまの話から解りやすく見えてきます。

鳥嶋氏:
 それを解決する方法って、たったひとつなんだよ。全著作権を出版社が持てばいい。これがアメリカ型。マーベルやDCコミックス、ディズニーは全部持っている。作家に権利はなく、会社が持っているんだよね。だからたとえば『ドラゴンボール』の権利をAという会社が持っているとき、このAをまるごと買収すれば、『ドラゴンボール』の権利は動くわけ。これがアメリカの権利の動きかた。でも日本とヨーロッパは、著作権があくまで個人に帰属するから、こうならないんだよね。

 少し補足もすると、みんな「アメリカのビジネスが正しい」と思いがちだけど、アメリカは世界の田舎者だよ。ただし、勝っている。
 勝っているから正しく見えるけど、実態としては「アメリカとそれ以外」なんだよね。

個人視聴率のはじめ

──代理店が個人視聴率を言い始めたのは、いつごろのタイミングなんですか?

鳥嶋氏:
 言い始めは……たぶんアニメの『ドラゴンボール』(1986年)が始まる前後あたりじゃないかな。導入はもうちょっと後、1990年代半ばかな。テレビ関係者から、「F1」や「F2」という個人視聴率の用語を聞くようになったのがそのころだから。

 視聴率って、昔はビデオリサーチとニールセンの2社が出していたんだ。僕らは彼らに高いお金を払い、FAXで送られる情報を見て、裏番組まで含めた視聴率をチェックしていた。
 「ニールセンのほうが数字が高めに出る」とか、「こっちだとビデオリサーチのほうが」みたいな話もあったりしてね。だけどその個人視聴率の導入後、いつのまにかニールセンが業績不振で潰れたんだよ。

 みんな知らないだろうけど、ビデオリサーチの筆頭株主は電通なんだよね。電通が営業でニールセンを追い込んだわけだ。
 その結果、視聴率は一社からしか出なくなり、子会社で出した視聴率を、親会社が企業に持っていって話を持ちかけ、テレビ局とのあいだを繋いで枠を買わせる。これがどういうことか。恐ろしいでしょ?(笑)

【佐藤辰男×鳥嶋和彦対談】いかにしてKADOKAWAはいまの姿になったか──ライトノベルの定義は「思春期の少年少女がみずから手に取る、彼らの言葉で書かれたいちばん面白いと思えるもの」【「ゲームの企画書」特別編】_070

──(笑)。

鳥嶋氏:
 そういう時代を経て、いまに至るんだよね。このとき同時に、大手出版社がファッション誌や料理本で、それぞれ山のように入広(いりこう)型の雑誌を出したんだよね。

──「いりこう型」?

鳥嶋氏:
 昔だったら「こういう記事を集めて売ります」と編集長が雑誌を創刊し、その内容に興味を持つ読者が集まることで、そこに向けた広告が集まってくる。それが本来だったんだけど、入広型雑誌というのは、これを逆から仕掛けたものなんだ。
 「こういう商品が出ます。ということは、こういうスポンサーがいるからこういう風にコマーシャルを打ち、こういった形でお金が作れます。これに合わせて雑誌を作りませんか」と、代理店側から働きかけてくる。これがいまの雑誌なんですよ。

 これって出版社にしてみれば営業的な保障として手堅いから、景気がよく、企業が広告を出すときは、たくさん刊行するよね。だけど景気が悪くなると、面白さを基準に作ったものじゃないから、中身のない雑誌が山のように残るんです。
 これがいまの枯れ木も山の賑わいのもとなんですよ。雑誌の姥捨て山だよね。

マンガ~ラノベ~なろうという流れ

鳥嶋氏:
 そういう作りかたからも、出版社の傲慢さを感じるよね。正直滅びが始まってるよ。
 佐藤さんの話を聞いてつくづく襟を正さざるを得ないのは、ラノベの「中高生が必ず読む通過儀礼であり、いちばん多感な読者に向けて書きたい作家を育て、作品をヒットさせる」というところ。これはまさしくマンガが隆盛してきたときのパターンと同じなんだよね。

佐藤氏:
 その話で言うと、じつは言いたいことがひとつあるんです。
 いま流行りの“なろう系”【※】小説のことを書いた本に、「なぜ売れているか」の理由が載っていて、そこに書かれていた「ネットなら自由に小説が書ける」、「読者の反応がビビッドに返ってくる」など、理由がすべて「かつて自分たちがライトノベルを作ったときに感じていたこと」だったんですよ。

【佐藤辰男×鳥嶋和彦対談】いかにしてKADOKAWAはいまの姿になったか──ライトノベルの定義は「思春期の少年少女がみずから手に取る、彼らの言葉で書かれたいちばん面白いと思えるもの」【「ゲームの企画書」特別編】_071

 つまりいまのライトノベルが既成化しているということだよね。かつてライトノベルの強みだったものが、いまはネット系小説に負けているのだとすれば、これは問題が大きいなと思っているんだ。

※なろう系
小説投稿サイト『小説家になろう』で流行っているテーマやジャンルなどを扱った作品群に対して、サイトの名前をもじって広まった呼称。『小説家になろう』以外で発表された作品に対しても用いられる。

鳥嶋氏:
 凄く大きな視点で見ると、小説から始まったものがマンガになり、ライトノベルになり、いまの“なろう系”になり……という流れだね。それは新しく現れる媒体の作り手が読者に近く、読者の空気感や読みたいものをうまく掬えているから伸びるんだよね。
 ところがそれが売れた結果、空気感がパターンになり、権威になり、売ることありきで読者と乖離していった結果、媒体としての生命力を失い、次のものに追い越されていく。すべてこれの連続だ。

──YouTuberやニコニコ動画って、まさにその“近さ”だと思うんですよ。いまミュージックシーンでブレイクしている米津玄師さんという方がいるんですが、彼は高校のころからずっと自作の曲をボーカロイドに歌わせてニコニコにアップし、その反響を受けながら、受け手と近い距離で活動を続けてきた方なんです。
 それでブレイクしていく。その近さと受け手の熱量の高さ、それをもたらす若さが鍵なんだなと思いますね。

鳥嶋氏:
 出版に置き換えれば、「クリエイターに編集者は必要なのか」という議論がよくネットで起きることについて、僕らは耳を澄まさなきゃいけないね。

編集者の発想

──そういう声の編集者に対するイメージって、大きくふたつに分かれているのかなと思います。
 黎明期に作家と一緒に取り組んだときの編集者像と、でき上がったときにマネジメントするだけの編集者像と。悪く言われているのはきっと後者で、単純に数が少ないのかもしれませんが、前者の姿はあまり表に出ていない感じがします。佐藤さん、鳥嶋さんは前者の典型で。

佐藤氏:
 本人の気分としては、作家と一緒に遊んでいただけなんだけどね(笑)。

鳥嶋氏:
 その「一緒に遊んでいただけ」というのは、僕は実感としてよく解る。「売ろう」じゃないんだよね。とにかく「面白いから知ってほしい」、「こうやるともっと面白くならない?」みたいな遊びの感覚でやるから楽しいんだよね。発想も豊かになるし、結果的に読者に近いものが作れる。

佐藤氏:
 カドカワノベルズや角川ホラー文庫などの編集長を歴任した宍戸(健司)くんから聞いたんだけど、角川ホラー文庫を創刊したときに、亡くなった遠藤周作さんに「もの凄く面白いコンセプトだ。僕も書きたい」と言われたと。その後、実際に書いたり編纂してもらったりしてね。

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 そういうふうに「これは新しい、面白い」というのは直観的に判るものなんだと思うんですよ。ホラー文庫も新鮮だったからこそ輝いていた時代があった。
 ミステリーにも近いし、SF的なものもあるし、「こういうのを書いてみたい」と刺激する何かが、当時きっとあったんだと思う。「そういうものが発掘、発見できるといいな」といつも思うんです。

鳥嶋氏:
 「ないもの」を見つけたり作ったりするほうが、勝負は早いし、勝てるんだよね。競争率が低いから。

佐藤氏:
 『ジャンプ』で鳥嶋さんが果たした役割で確実にあるのは、『ジャンプ』はもちろんそれまでも売れていたんだけど、キャラクターに注目するなど、それまでになかった発想で取り組んだことだよね。アラレちゃんなんて、もの凄く新鮮だった。読者も新鮮に感じ、「なんだか判らないけど面白い」と感じるときって、きっとあるんだと思うよ。

鳥嶋氏:
 「鳥山さんと鳥嶋くんが作るマンガは、『ジャンプ』の掟破り。『ジャンプ』のセオリーから外れている」と言われたことがあってね。『ジャンプ』のマンガにも、約束事がないように見えてあったんですよね。たとえば「男の子はこうあらねばならない」というような。すると作っていてもの凄く息苦しいんだ。

 あともうひとつ……それまでの『ジャンプ』のマンガって絵が下手なんだよね。ただコマの中の画を描き込んでばかりいて連続体で見せていない。それは効率が悪いし。
 徹底的に画をコマの連続の動きで見せていくこと、キャラクターで押していくこと……たとえば『ドラゴンボール』って、簡単に言えば、とことん手抜きのマンガなんだよね。描き込んでいないから。そういう意味じゃ『ジャンプ』らしくなかったかもしれないね。

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 そもそも『ジャンプ』や集英社も、源流が同じ小学館からすればもの凄く野蛮な会社なんだけどね(笑)。さらに集英社は少女マンガから始まった会社。その中で『ジャンプ』グループというのは輪をかけて野蛮でね(笑)。

 『マーガレット』『nonno』などを作った若菜(正氏・故人)という、僕が『ジャンプ』に戻されたときの社長で、集英社のいまの雑誌スタイルを作った人がいるんだけど、彼が『ジャンプ』に言っていたのは、「君たちは育ちが悪い」ということ。『ジャンプ』の連中のやりかたは、スマートじゃないって思われていたんだね……。

 『ジャンプ』も後発で、「こういうやりかたでしかやれない」というスマートでないものを磨いていったんだけど、KADOKAWAはそこが同じなんだよね。

佐藤氏:
 僕は歴彦さんから言われましたからね。「君たちは集英社や小学館だったら、こんなに大事にされていないよ」って(笑)。

一同:
 (爆笑)。

佐藤氏:
 でも歴彦さん自身がオタクだったからか、僕らはちやほやはされなかったけど、少なくとも蔑まれてはいなかった(笑)。

ラノベ黎明のころのゲーム業界は

鳥嶋氏:
 マンガがある種の生命力を失いつつあるなかでライトノベルが現れ、アニメーションも視聴率の取りかたで形を変えていったとき、そのころのゲーム業界ってどうだったんだろう?

──ライトノベルの黎明期はファミコン、スーパーファミコンの時代です。さまざまな企業が、「ゲームが儲かる」と気づいて続々参入してきます。
 もっとも、山師的なノリでいろいろな企業がいちばん現れたのは、ファミコンのころですが。

鳥嶋氏:
 あの時代のゲーム制作でたいへんだったのは、カセットロムの時代だから任天堂に対して「○○本作ってほしい」と、あらかじめ委託製造の発注をしなきゃいけなかったこと。さらにその委託製造費とロイヤリティでだいたい定価の半額程度をあらかじめ払わなきゃいけなかったこと。スーパーファミコンで『ドラクエ』を作るとき、その費用がかさんでエニックスが借金しないといけないときもあったからね。
 あのころのゲーム業界は、一時期の出版と同じで、ベストセラー倒産というものがあるんじゃないかというくらいだった。それが媒体がCD-ROMになって圧倒的に楽になったよね。すぐに重版できるし。

──ゲームで言うと、電撃文庫の創刊(1993年)や盛り上がりと、日本におけるプレイステーション(1994年)の台頭というのは、わりと同時代なんですよね。

鳥嶋氏:
 そうか。俺もそのあたりでゲーム業界との関わりを退いていくわけだ。

佐藤氏:
 『Vジャンプ』の創刊はいつでしたっけ?

鳥嶋氏:
 創刊が1992年で、月刊誌になったのは1993年。あのころ、子どもたちにアンケートを取ると、「将来ゲームクリエイターになりたい」という声が3位~5位くらいに入っていたよ。

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佐藤氏:
 ゲームクリエイターがクローズアップされて、スター扱いされた時期ですね。

鳥嶋氏:
 『ファイナルファンタジー』の坂口博信さんに、写真撮影のときにスタイリストを付けたりね。
 憧れの職業もそうだけど、何を遊ぶか、何を見るか、あの時期に子どもたちの選択肢が増えたよね。増えたことによって、たとえばそれまでメインだと思われていたマンガなどがその座を失っていったのかなと思うんだよね。

 『Vジャンプ』創刊の3年後に、『週刊少年ジャンプ』の部数崩壊が始まるんだ。653万部を達成(1995年)する前後に、『幽遊白書』が終わり(1994年)、『ドラゴンボール』が終わり(1995年)、『スラムダンク』終了(1996年)が決まり。

──選択肢が多様化して、ヒット作が100万から10万単位などにバラける。それが「嗜好性によりマッチして幸せになったよね」と言えるのか、それとも「みんなで楽しめる何かがなくなって、つまんないよね」と言うべきなのか、その答えってまだ微妙に出ていませんよね。

鳥嶋氏:
 その対になる問いが僕らにもあってね。それは「なぜ100万部ヒットが出ないのか」というもの。いま初版で100万刷れるのは、集英社では『ONE PIECE』くらい。講談社も『進撃の巨人』かな。あとは出版業界の中だとないんじゃないかな。

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(画像は進撃の巨人(1) (週刊少年マガジンコミックス) | 諫山創 | 少年マンガ | 本 | Amazonより)

 佐藤さんの意見を伺いたいんだけど、大手三社の中で小学館だけ違った強さを感じませんか? 『ドラえもん』『名探偵コナン』『ポケットモンスター』、どれも劇場アニメの興行収入が50億円を超えたりしている。

佐藤氏:
 そうだね。そもそものテレビアニメも強い。

鳥嶋氏:
 さらに、比較的に弱い雑誌から出てきた『クレヨンしんちゃん』も、いまもって映画を含めてあんなに売れている。『アンパンマン』もそうだよね。こうした家族を意識して作られたものって、業界ではよく「エヴァーグリーン」とか呼ばれたりして、強いんだよね。

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 集英社ではようやく『ドラゴンボール』がそうなりつつある。親子で楽しむコンテンツになってきてはいるんだけど、小学館のタイトルの在りかたとは、ちょっと違うんだよなあ。
 『ドラえもん』のような強さが、いまはなぜ作れないんだろうね。

佐藤氏:
 それは難しいですよね(笑)。角川では、『ケロロ軍曹』が少し近づいたんですけどね。

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(画像はケロロ軍曹(1) (角川コミックス・エース) | 吉崎 観音 | 少年マンガ | Kindleストア | Amazonより)

鳥嶋氏:
 『ケロロ』に合わせて雑誌も創刊しましたもんね。

佐藤氏:
 とてもいいところまで行ったんだけどね。

──いまって合理性を求める余り、細分化に突き進んでると思うんですよ。ヒット作というものを考えたときに、昔だったら「100万部」をイメージしていたと思うんですが、合理化されて細分化された結果、「10種類のものを10万人に届けるのがいまの時代なんです」というような言われかたをしますよね。

 これがもっと先に進むと、「100種類を1万人に届けるのが──」と言われかねず、AIなどの技術革新を含め、よりダイレクトなマーケティングができるようになったとしても、はたしてそれが正しいやりかたなのかが疑問なんです。
 結論を言うと、じつは「みんなで盛り上がりたい」、「祭りを体感したい」というニーズが絶対あるはずなのに……と、いま答えが出ない不毛な話になってしまいました……。

団塊の世代という基盤

鳥嶋氏:
 そんなふうに、みんなが「少子化のせい」だとか、「ネットに時間を奪われた」などの理由で「もうヒットは出ない」と言ったあとで、じつはふたつヒットが出ているんだよね。

 ひとつは『進撃の巨人』。もうひとつは『妖怪ウォッチ』。『妖怪ウォッチ』は、代理店に乗せられて展開を間違えたから萎んじゃったのがもったいなかったな。

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(画像は妖怪ウォッチ(2) (てんとう虫コミックス) | 小西紀行, レベルファイブ | 少年マンガ | Kindleストア | Amazonより)

 ただやっぱり、ちゃんと歯を食いしばって入り口をきちんと作り、その良さが伝わればヒットするんだと思ったね。だからマンガ家も高めの直球を投げ続けなきゃいけない。直球を投げて撃たれないためには、本格派じゃないといけない。変化球でコーナーを狙っていくのは、わりと簡単にできる。だけど志と力がないと、真ん中高めの直球は磨けないんだ。

佐藤氏:
 先ほど例に挙がった『ドラえもん』などの作品は、いまもずっと続いてますよね。映像作品などが鍵になってるんですかね。

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鳥嶋氏:
 アニメの仕掛けかたが上手いというのは、あるだろうなあ。
 僕が考える理由のひとつは、キャラクターの扱いがきちんとしているということ。あとは「いつも目にされている」ということ。そうすれば話題に上る。それと……必ず一定期間ごとに誰かが訪れるシーズナルな仕掛けをしていることかな。
 『ドラえもん』なんていまさらマンガの単行本は売れないと思うんだけど、アニメを通してビジネスとして確立しているもんね。

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(画像はドラえもん(1) (てんとう虫コミックス) | 藤子・F・不二雄 | 少年マンガ | Kindleストア | Amazonより)

佐藤氏:
 鳥嶋さんが『ジャンプ』の編集長をやってたころまでというか、団塊の世代【※】やそのジュニアが子どもでいた時代までって、あらゆる局面でそうであるように、対象にされている人口の大きさの力がありますよね。

※団塊の世代……戦後1947~49年の第一次ベビーブームに生まれた世代。その子どもたちの年代とも言える1971~1974年の第二次ベビーブームの世代は団塊ジュニアと呼ばれる。「団塊ジュニアが子どもでいた時代」は、ファミコンブームとまさに重なる。

鳥嶋氏:
 『週刊少年サンデー』、『週刊少年マガジン』(ともに1959年創刊)から始まるいろいろなマンガ誌の創刊や、当時の平凡出版(現マガジンハウス)が出した『平凡パンチ』(1964年)のようなサブカルチャー雑誌の創刊って、全部団塊の世代の好みや流れに合わせていたよね。

佐藤氏:
 『平凡パンチ』はまさにそうだった。『週刊少年ジャンプ』も団塊のジュニアとともにあったし。

鳥嶋氏:
 たとえば、僕らの先輩のときは「右手に朝日ジャーナル、左手に少年マガジン」だったんだよね。こちらで思想と哲学を語り、こちらで『あしたのジョー』の力石の葬式をやる、みたいなね。

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『あしたのジョー』力石徹
(画像は「あしたのジョー」連載50周年記念サイトより)

 僕にすれば「はあ?」みたいな感じだけど、それがカッコイイという時代だった。

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佐藤氏:
 身も蓋もない話をすると、『コンプティーク』創刊のときに、「団塊の世代の子どもが小学5年生です」と媒体資料に書いたんだよね。1990年に『東京ウォーカー』が創刊され、最初の編集長のときは『東京ウォーカー ジパング』というタイトルだったんだけど、それはパリに『パリスコープ』という雑誌があり、ニューヨークに『ザ・ニューヨーカー』という雑誌があったので、「そういうものを作りたい」というのがコンセプトにあったからなんだよ。

鳥嶋氏:
 高尚だね。

佐藤氏:
 そう、高尚でとってもぶっ飛んだ雑誌だったんだよ。広告も海外のタレントを使ったりしてオシャレだったね。

鳥嶋氏:
 集英社の『月刊プレイボーイ』みたいなもんだ。

佐藤氏:
 だけど売れなくて編集長が交代し、新しい編集長は、上京してきた学生に向けて「500円以内で何が食べられるか」、「どこにデートへ行けばいいか」を徹底的にレクチャーする誌面にして部数が回復したんだよ。それがちょうど団塊の世代の子どもたちが大学生になったあたりでね。そこから広がって、「花火を観にいく」などというふうに変わっていくんだけど。

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鳥嶋氏:
 全盛期のころは、『なんとかウォーカー』ってあちこちにあったでしょ。

佐藤氏:
 ありましたね。全盛期はミリオンまで行った雑誌だったんですよ。やっぱりどこかで、人口動態とリンクしているんですよね。

──団塊の世代の話ですが、ジブリの『コクリコ坂から』が、どうしてこんなテーマなんだろうと凄く不思議だったんですが、鈴木敏夫さんが「団塊の世代に向けて作った」という話を当時されていて、ハッとしたんです。

【佐藤辰男×鳥嶋和彦対談】いかにしてKADOKAWAはいまの姿になったか──ライトノベルの定義は「思春期の少年少女がみずから手に取る、彼らの言葉で書かれたいちばん面白いと思えるもの」【「ゲームの企画書」特別編】_084
(画像はAmazon.co.jp | コクリコ坂から [DVD] DVD・ブルーレイ – 宮崎吾朗より)

 アニメって子どもや若者向けに作られることはあっても、シニア向けに、しかもメジャー作品として届けたものって、そうないんじゃないでしょうか。それを狙い済ましてやっているのが新鮮だったんですね。

佐藤氏:
 団塊って60歳前後だよ?

鳥嶋氏:
 『コクリコ坂から』ってどういうテーマなの?

──学生運動などを取り扱っていますね。

鳥嶋氏:
 ああ確かに団塊の世代だ(笑)。でもそんな話が解るの、僕らの世代だけだよね。

──それほどマーケットとして考えたときの団塊の世代のボリュームというのは、凄いんだなと実感しましたね。

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