「竜退治はもうあきた」とドラクエチームから巣立った男がメジャーを目指して26年。流行に逆らい続けたメタルマックスが追い求めたのはドラクエからの自由だった【宮岡寛インタビュー】

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売れなくとも玄人筋からの評価は高かった

──話を少し戻します。宮岡さんとしては、『メタルマックス』の1作目が完成したとき(1991年)に、どれくらい売れると思いました?

宮岡氏:
 開発中は100万本売るつもりで作っていたけど、あのころって、もうファミコンが終わっていたんですよ。

──ああ、そうでした。

宮岡氏:
 もうスーパーファミコンが発売(1990年)されて、ファミコンソフトはほとんど売れなくなっていた。

スーパーファミコン
(画像:編集部撮影)

 そんなことを聞かされていたから、まあ「あんまり売れないだろうな」と覚悟はしていたけど、それでも「10万本はいくだろう」と思っていたの。結局、そこには届かなかったんだけどね。

田内氏:
 最初の出荷って、どれくらいだったんですか?

宮岡氏:
 えーと……5万本くらいじゃなかったかな。それでちょっと追加生産があって、最終的には7~8万本だったと思います。

──ゲーム雑誌の評価もイマイチ振るわなかったんですよね。

宮岡氏:
 とはいえ、『ファミマガ』(ファミリーコンピュータMagazine)だったかな、システムデザイン賞とかいただいたりして、玄人受けはよかったんですよ。なんというか、メディア受けは。

田内氏:
 最初の『メタルマックス』にプレミアがついていたのを覚えてますよ。中古で10000円とか。

──あ、それは知らなかった。

宮岡氏:
 だから、もうちょっと気張って初回生産の数を増やしておけば、もっと売れたんじゃないかなあ。

──ですよねえ。でもデータイーストにそれだけの体力がなかっただろうし。結局、思い描いていたほど売れなかったわけですが、宮岡さんはどう受け止めたのでしょう?

宮岡氏:
 セールスはさておき、作品の評価としてはわりと受け入れられたのでね、「自分ではもうゲームが作れないかもしれない」と思っていたところからの再出発で、「おれにも作れたじゃん!」という喜びのほうが大きかった。

 売れはしなかったけど、自分としては形にできたことが何より嬉しかったんだ。

──それから『メタルマックス2』に着手するのは何年後になります?

宮岡氏:
 2年後……くらいかな?

──わたしは『メタルマックス』が終わったあと、縁あってゲームフリークに入社してしまったのでよく知らないのですが、『メタルマックス2』を作るときには、どういうことを考えました? 1作目の哲学のまま推し進めるのか、もっと売れそうな方向へシフトするのかなど。

宮岡氏:
 1作目が、期待したほど数が出なかったわけですよ。売れなければならないはずの企画だったのに、結果はあまりよくなかった。
 それでしばらくデータイーストさんから音沙汰がなかったんです。

 ところがゲームショウか何かに行ったときに、部長だった吉田(穂積)さんという人とたまたま会ったら、「『メタルマックス2』をやりましょう!」というような話が出てきて、それから急に作ることになったの。

 吉田部長が言うには、「あまり売れなかったけど、買った人たちの反響が凄い」と。「自分が担当したデータイーストのゲームで、あんなにアンケートハガキが返ってきたものはない。だから、これは続ければ売れるんじゃないかと思う」って。

──吉田部長とはわたしも1作目の仕事のときにお会いしてますが、いかにも優しい吉田さんが言いそうなことです(笑)。

宮岡氏:
 それで「ぼくがプロジェクトを通すから、やってくれ」と言われて、それからですね。『メタルマックス2』が動き始めたのは。

田内氏:
 結局『メタルマックス2』を作っていたのは1年くらいでした。

──そんな短時間で? いや、そのころの1年は短くないのか。

宮岡氏:
 『メタルマックス』のときに予想外に時間がかかってしまい、それも影響して売れなかったから、データイーストが学習して『2』では缶詰めにされました。

──わははは。

宮岡氏:
 データイーストのタコ部屋に押込められて、見張りがひとりついてずーっと「よしよし、仕事しとるな」という感じですよ。

──その見張りは中本【※】さん?

宮岡氏:
 うん。

※中本博通
データイーストの広報担当。『メタルマックス』ではレスキュー・レイダーズとしてクレジットされている。ハドソンの高橋名人が大ブレイクしたあとは、中本氏も“中本名人”として、ゲームメディアなどにたびたび登場した。

田内氏:
 1作目の開発が長引いた理由のひとつは、ROMの容量がオーバーしちゃったからですよ。それをどうするかという解決手段が「すべてのマップを小さくする」でした。

──ああ、そうでしたっけ。わたしはそれ、覚えていないです。

田内氏:
 だから、お店の内部マップはみんな1画面以内に収められてるんですよ。宮岡さんが描いたマップの仕様を無視して、無駄な隙間を徹底的に詰めて、そうやって容量を減らす。

 データイーストのグラフィッカーさんが総出でマップを縮めていましたね。その作業だけで2~3ヵ月余計にかかって、その影響でトータル開発期間が2年を越えるくらいになっちゃった。

宮岡氏:
 まあ、でも『2』は……なんか思ったよりうまくいったよね。納期を決めて、きっちりその時間とおりに完成させて。でも、そのためにシナリオが半分くらい入っていない(笑)。桝田さんが書いた仮メッセージのまま、中ボスなどがセリフを喋っていたりするんだ。

田内氏:
 そのせいで、賞金首のブルフロッグはおかしなキャラクターになっちゃっているんですよ。

宮岡氏:
 それで、あるとき中本さんから「もうシナリオ書いても入れませんから、これ以上は書かないでください」と言われて、「マジかよ!」となった。

──(笑)。『メタルマックス2』のセールスはどうだったんですか?

宮岡氏:
 20万本は越えました。25万本かな。

田内氏:
 わたし、会社から報奨金もらいましたよ。

宮岡氏:
 任天堂がやっていたスーパーマリオクラブ【※】だっけ? 問屋さんが仕入れる際の目安となる数値を“40万本”とか弾き出してくれて。データイーストに資金さえあれば40万本が売れたはずなんだよ。

 だけどまあ、その資金がなかったからさ。とりあえず10万本くらい作ったらすぐに捌けちゃって、それで何回か追加生産して、ようやく25万本まで到達したという。

田内氏:
 確か3日くらいで在庫切れを起こしたんです。

※スーパーマリオクラブ
任天堂プラットフォーム上で動くゲームのデバッグやモニターを行う、いわゆる品質管理のための組織。2009年に分社化し、マリオクラブ株式会社となっている。

──そこは運命の分かれ道でしたね。会社が借金してでも最初から40万本を……と思うけど、億単位のお金だから簡単にはいかないだろうし。

宮岡氏:
 そう、「40万本分のお金を銀行から借りたら、どれだけ利息かかるんだ」という話だからね。

──そこを一介のクリエイターが「大丈夫ですよ!」とは言えません。

宮岡氏:
 おれが背負うわけにはいかないからねえ(笑)。 

『ワイルドアイズ』の失敗と17年間の空白

──さて、『メタルマックス』シリーズにはリメイク作品や『メタルサーガ』といったスピンアウト的なシリーズもありますが、そのあたりは今回のインタビューでは除外させていただきます。
 そしてメインシリーズで言うと、1993年に『メタルマックス2』を発表したあと、その正統な続編となる『メタルマックス3』が、2010年にニンテンドーDSで出ました。

『メタルマックス3』パッケージ
(画像はAmazonより)

田内氏:
 あっというまに17年経っちゃった。

──17年は長いなあ……。あの、そのあいだに『メタルマックス ワイルドアイズ』(以下、『ワイルドアイズ』)を作っていたのは、ファンの方ならご存知だと思います。あれは何年ごろでしたっけ?

宮岡氏:
 1998年にはもうプロジェクトが立ち上がっているね。

──その『ワイルドアイズ』は、最初は『メタルマックス3』として開発が始まったものでしたよね?

宮岡氏:
 そのときはプレイステーション用として開発をスタートしたんだけど、いろいろあってプロジェクトが中止になったんだ。それから新たに仕切り直して始めたときの名前が『HEART OF GOLD』で、それが『オーバードライブ』になり、最終的に『ワイルドアイズ』になった。

──そうでした。『ワイルドアイズ』の話をすると果てしなく長くなるので、このインタビューでは簡単にお訊ねしたいんですが、あれはアスキーから発売する予定で開発していましたよね。

宮岡氏:
 そう。データイーストにはもうゲーム開発する体力がなくなっていて、それで、さきほどの吉田部長がアスキーに移籍していたから、『メタルマックス』の商標権をアスキーがデータイーストからレンタルして作り始めた。

──それでハードの選定をして、ドリームキャストになり、ある程度まで作ったところで開発中止になったわけですが、そのへんの理由を話せる範囲で教えてください。

宮岡氏:
 それはCSKという会社がアスキーの経営権を握ったからですね。アスキーの業績がすごく悪くなって、CSKはアスキーの経営を立て直すために、外注事業を全部中止にしたんです。

──そのために17年という長いブランクが空いてしまった。

宮岡氏:
 そのあと、ぼくの会社(クレアテック)にいろいろ話は来ていたんですよ。面白いところでいうと、ホリエモンの会社。

──ライブドアですか?

宮岡氏:
 その前の……オン・ザ・エッヂ。
 そこの人が「『メタルマックス』やりましょう」という話を持ってきたりとか、ほかにも『女神転生』のアトラスから「やりませんか?」って話があったりもしたし、いくつか引き合いは来ていたんですよ。

 だけど、いろいろな人が来ても、いざ権利の話になると去っていくわけ。

──データイーストの破産によって『メタルマックス』の版権が非常にややこしいことになっていたそうですが、やはりその影響ですか。

宮岡氏:
 まあ、簡単に言えばそういうことですね。結局、あれこれあって版権はほぼクリアになるんだけど、そこで田内くんとエンターブレイン(当時)の久保くんというプロデューサーが、たまたま何かで会ってから動き出したんだよな?

田内氏:
 わたしがクレアテックを辞めて、別の会社に……。

──あ、ここで読者に説明しておきます。田内くんは、データイーストを辞めたあとクレアテックに入社して、しばらくは宮岡さんの片腕として働いていたんですよね。はい、それで?

田内氏:
 そのあとクレアテックからケイブという会社に移りまして、その際に移籍の挨拶でいろいろな知り合いに連絡したわけです。

 そうしたら、エンターブレインの久保さんから「久しぶりに飲もうよ」と誘われて、そのときに『メタルマックス』の話が出て、「やりましょう」という話になりました。飲みの席ではよくあることじゃないですか。

──はい、そうですね。

田内氏:
 でも、久保さんとしては本気だったらしくて、「正式な手続きを踏んでやりましょう」と。そのときわたしはケイブにいたから、ケイブで作るつもりだったんですよ。
 開発の見積書とか作って、久保さんに渡しました。
 それで半年とか10ヵ月近く経ったんですけど、わたしがケイブでコンシューマからケータイ部門に移動になり、「だとするとケイブで作るのは難しくなってきたなあ」と思って。

 でも、久保さんはその進む道を止めずに宮岡さんへ話を持っていった。ところが、いよいよ権利の話も解決しそうだし、本格的に作るとなったタイミングで、わたしはケイブを辞めちゃったんです。

──辞めてフリーランスに?

田内氏:
 そうです。フリーの立場でプロジェクトに参加したんです。

──そういうことだったのね。『ワイルドアイズ』の中断から『メタルマックス3』が復活するまでを外から傍観していたわたしの目には、「宮岡さんの弟子とも言える存在の田内くんが、中断していたプロジェクトを再生して師匠の苦境を救った」と、そういう風に見えたのです。

宮岡氏:
 まあ、あながち間違いではないよね。

──「田内くんかっこいいなあー!」って感動したんですよ。

田内氏:
 まあ、久保さんの熱意のおかげだと思いますよ。

──それで『メタルマックス3』がドカーンと売れたら、ドラマとしてはすごく美しい話になるんですが、実際のところはどうだったんですか?

田内氏:
 あのころとしては売れたほうでしたよ。問屋さんのお薦めの作品に選ばれたんですよね。

宮岡氏:
 エンターブレインさんにプロジェクトの規模を想定で算出する部署があったんですよ。

 そこが弾き出したのは、「これはせいぜい売れて7万本だろう」という数字だったの。そうすると、それに見合う予算しか出ないのね。

──まあ、そうなるでしょうね。

宮岡氏:
 そういうところからスタートして、結果10万本くらい行ったからね。当初の想定よりは売れたんだ。

田内氏:
 文化庁の‥‥メディアなんとか賞とかももらいましたからね。

宮岡氏:
 メディア芸術祭の審査委員会推薦賞だったかな。パッケージが六本木の国立新美術館に展示されているのを見たときは、感激しました。

(画像はメタルマックス3 | 審査委員会推薦作品 | エンターテインメント部門 | 第14回 2010年 | 文化庁メディア芸術祭 歴代受賞作品のスクリーンショット)

──では、プロジェクトとしては合格じゃないですか。

田内氏:
 だから矢のような速さで、そのあとすぐに『メタルマックス2』のリメイク(『メタルマックス2:リローデッド』)(2011年発売)の制作が決まったんです。

『メタルマックス2:リローデッド』
(画像はAmazonより)

 それはもう『メタルマックス3』の立ち上げの大変さに比べたら、嘘みたいな速度で。

──そして次が、メインタイトルとしてはいまのところ最新作の『メタルマックス4 月光のディーヴァ』(2013年)です。

宮岡氏:
 まあ『メタルマックス4』は……ぼくらの、スタッフのギャラの取り分を削ってアニメ制作をしたんですよ。もう語るも涙、みたいな話ですけど。

田内氏:
 『メタルマックス2:リローデッド』は、ゲームの中身は評判よかったんですけど、売り上げはそんなによくなかった。

 そうするとエンターブレインさんの上層部の考えで、売りかたに問題があるとなった。そこで『メタルマックス4』のときには、「ゲームの企画は問題ないから、売りかたをもうちょっと考えろ」と言われて、そこで出たのがアニメーションを入れることでした。

──それが完成して発売されたのが2013年。もう5年ほどになるんですね。そこから「すぐ次に」とはならなかったということは、やはり『メタルマックス4』のセールスもあまり伸びなかったわけですか。

宮岡氏:
 ダメでしたね。まあ、「終わった」と思いましたよ。だって勝負をかけたわけだから。自分たちの取り分まで削って、プロデューサーから「そうやらないと予算が取れないんで、いいですか?」なんて話が来て、「じゃあ、やったろうやないけ!」というような。
 そこまでの覚悟で作って、アニメーションも入れて、初めて声優さんも使って、中身もやれる限りのことはやって。

田内氏:
 『メタルマックス』史上最高傑作だと思いましたよ。当時としてはやれることは全部やったから。

宮岡氏:
 だから作り終わったときはすごい充実感があったの。「おれたち、いいもん作ったんじゃない?」という感じで。ところがプロモーションが始まった途端にネットでコキおろされて。

──えっ、そうだったんですか?

宮岡氏:
 「キャラのグラフィックがヒドい」とか、「みんな引くだろこのパッケージ」とか、ね。するとその書き込みから罵倒の祭りが始まっちゃって。発売前なのに非難の大合唱。あれはつらかった。

『メタルマックス4 月光のディーヴァ』パッケージ
(画像はAmazonより)

──ああ、わたしも最初にこれを見たときは「だいぶ振り切ったなあ」と思いました(笑)。

田内氏:
 最初の広告でかなり叩かれました。遊んで叩かれるんなら、そりゃ「すいません、つまらないゲームを作って」で済むんですけど、遊ぶ前に叩かれたからなあ。

──宮岡さんが東京のご自宅と事務所を引き払って、いま故郷の山口にお住まいなのは、やはりそのへんが影響されてるんでしょうか?

宮岡氏:
 まあ、そうですね。これ(『メタルマックス4』)が最低目標の本数すら売れなかった。

 そうすると、当然のことながら次の企画も通らないわけですよ。そうするとまあ、「これはやっぱり終わりかなあ」という感じで、東京にいてもランニングコストがかかるばかりだし、もう会社も畳むしかなかろうと。

田内氏:
 そうしたら、捨てる神あれば拾う神ありで……。

──あ、それがこのたび発表になった『メタルマックス ゼノ』なんですね!

田内氏:
 今度は角川ゲームスさんです。

『メタルマックス ゼノ』とその先へ

──えーと、エンターブレインさんもカドカワグループでしたが、それとは別で?

田内氏:
 『メタルマックス4 月光のディーヴァ』まではエンターブレインさんが主導で、『メタルマックス ゼノ』は角川ゲームスさん。

──『メタルマックス ゼノ』はいつごろから作り始めたんでしょうか?

宮岡氏:
 もう2年は経っているね。ホントは1年くらいで出すつもりだったんだけど。

『メタルマックス ゼノ』パッケージ
(画像はAmazonより)

──その開発中は、宮岡さんは山口にいらしたんですか?

宮岡氏:
 そうね。角川ゲームスの安田社長が「山口に住んでいてもいいよ」と言ってくださったので、在宅勤務で。都落ちして引き籠もりになるかと思っていたら、新しいワークスタイルにチャレンジしています、みたいな状態に。

──いまはネットがあるから、会議だってSkypeでやれますしね。

宮岡氏:
 なんとかなるもんだね。Skypeは突然切れたりするから重要な会議のときは東京に来ていたけど、普通にシナリオを書いたり、マップを描いたりしているだけなら、東京にいようが山口にいようが関係ない。

──また東京に戻ってくるお気持ちはありますか?

宮岡氏:
 『ゼノ』が100万本売れたら考えないでもない(笑)。ただ、だいぶ田舎にも慣れちゃったんで。

 今回も上京してきて、品川とか見ると「うわぁ、ビルだらけだな!」って。

──(笑)。ここまでのお話からも実感するんですが、『メタルマックス』って、売れた本数にくらべて知名度が大きいと思います。その理由ってなんだと思います?

田内氏:
 血が濃いんですよね。

宮岡氏:
 まあ……似たようなゲームがほかになかったからですか。

 いまでこそ、世界が滅びて、モンスターが跋扈して、それを狩るゲームというのはたくさんありますけど、『メタルマックス』を作っていたときは、そんなゲームはなかったから。

 それがいま主流になっているということは、そういう題材がゲームに向いてたとも言えるわけなんで、ほかにこういうゲームがないころに『メタルマックス』をやった人には、強烈に焼き付いたのかな、とは思います。

田内氏:
 あと、『メタルマックス4』のときのユーザーアンケートで面白かったのは、「『メタルマックス』以外で好きなRPGは?」という質問があって、その答えの1位が『ドラクエ』でも『ファイナルファンタジー』でもなく、『女神転生』だったんですよ。

──なるほど。『メタルマックス』を作っていたとき、『女神転生』は舞台が同じ崩壊後の東京(をモデルにした都市)だったりしたから、意識はしていましたよね。

宮岡氏:
 うん。あれも尖ったところのあるゲームだし。

──悪魔と戦車ではかなり方向が違いますけどね。それから『メタルマックス』ファンのためにこれは訊いておかなければならないと思うんですけど、ドラム缶【※】が生まれた背景を教えてください。

※ドラム缶……『メタルマックス2』のデスクルス刑務所で初登場した、囚人の自分が延々とドラム缶を押さなければならない拷問イベント。たいへんな苦痛が逆にファンのあいだで話題を呼び、ある意味で『メタルマックス』を象徴するイメージとなった。画像は『メタルマックス2:リローデッド』公式ブログのバナー。ドラム缶が愛されている象徴ともいえよう。
(画像はメタルマックス – コミニー[Cominy] / ブログより)
 

宮岡氏:
 あれは桝田くんが考えたんだよ。最初に彼が持ってきた仕様書では、製品版の2倍押すことになっていたんだ。

──うわーっ!

宮岡氏:
 テストプレイして「これはないだろう!」と思って押す回数を半分にした。それでもまだ多かったかもね。

 ただ、あれを押しているとα波が出るんだよね。「クソめんどくさいことやらせやがって!」という怒りが、そのうち怒りを突き抜けてだんだんどうでもよくなってきて、とうとう絶対服従する快感みたいなものすら感じてしまう。

 「本当に囚人になったらこんな気分なんだろうか?」とか思いながら。

──あれは必須イベントでしたっけ?

田内氏:
 必須。やらないと、監獄の街デスクルスの扉が開かないんです。でも、ひどいですよね、こんなイベントを必須にするなんて(笑)。

──普通のゲームデザイナーはやりません。

宮岡氏:
 それはやっぱりその……強烈な体験をさせることを目指して作ったゲームだし、計算外なところもあるかもしれないけど、「それだからこそ」という部分もある。きれいなお話が用意されていて、順繰りに追っていけばいいというゲームじゃないんですよ。

 やっぱり思いもよらぬところで変な敵に全滅させられ、「いつか絶対殺したるからな!」という内的要因でレベルを上げるとか、苦労して稼いだ賞金をまるまるはたいて戦車をめちゃくちゃ改造するとか、感情を剥き出しにしてやるゲームなんです。

設計図によって製造可能になるさまざまな戦車
(画像は『METAL MAX Xeno(メタルマックス ゼノ)-滅ぼされざる者たち-』公式サイト | ゲームシステム より)

 だから完璧に演出され尽くした超大作の映画を観ている感じではなく、自分が映画の中に入って勝ち誇ったり泣きわめいたりするようなテイストなんだと思いますよ。

──では、まもなく発売される最新作の『メタルマックス ゼノ』も、そういったテイストは変わらず?

宮岡氏:
 今回の『ゼノ』は初心者向けになってます。いままでになく易しいゲーム。

──えっ、そうなんですか? これまで支えてきてくれた熱狂的な『メタルマックス』ファンを裏切ったりすることにはなりませんか?

宮岡氏:
 んー、まあ、裏切ることにはならないと信じています。最終的にやることは同じだから。ただ、これまでは「わかってるよね?」で済ませていたことをわりと丁寧に説明したり、いままでは10種類くらいあった解決方法を、2種類くらいに絞ったりしている。

──迷いの幅を狭めてあげる。それはいいことじゃないですか。

宮岡氏:
 だから「裏切られた」というより、「簡単すぎる」と感じる人はいるかもしれないね。いちおう、10人が買ってくれたら9人はエンディングまで行けるゲームにするつもりで作りました。

──そこは「10人全員が」じゃないんだ(笑)。でも、1作目のときからそういうつもりはあったでしょう?

宮岡氏:
 おれは、ね。

──結果的にはそうじゃなかったかもしれないけれど、「買ってくれた人のほとんどが最後まで遊んでくれるように作る」という気持ちはずーっと持ち続けていますよね?

宮岡氏:
 うん。それは変わってないんだけども、ただ今回は、いままで以上にそれを最優先事項にしたってことかな。かつてなくわかりやすい、誰でも解ける『メタルマックス』になっていると思います。

メタルマックスシリーズのアイコン的中量級戦車・Rウルフ
(画像は『METAL MAX Xeno(メタルマックス ゼノ)-滅ぼされざる者たち-』公式サイト | 戦車 より)

──じゃあ、これまでの“らしさ”が失われたわけではなく、「間口を少し広げてありますよ」ということで。

宮岡氏:
 そうそう。いままでも熱心なファンの皆さんが「知り合いに勧めたいんだけど、これはわかってもらえいないかも?」と不安視していたような部分が、『ゼノ』なら大丈夫なんじゃないかと思う。

──今度は熱心なファンの皆さんも胸を張って布教できる(笑)。そういうゲームになっているということですね。

 抽象的な質問ですが、つまづいたり、挫折したりもしてきながら、それでも『メタルマックス』シリーズを作り続けるモチベーションって、どうやって維持してこられたのでしょう?

宮岡氏:
 『メタルマックス』に関しては、やりきった感なんてさらさらないですから、つねに次を作りたいんです。ただ、なんていうのか、自分自身がハードユーザーなんで、やっぱり物足らないんですよ。そうすると「誰かそこ掘ってくれないかな?」って思って、でも、「それは自分が掘るしかない」という結論になる。

──昔『ウィザードリィ』や『ウルティマ』をやっていたときの感覚が、いまもあるということでしょうか。

宮岡氏:
 そうですね、やっぱりゲームが好きなんですよ。それは田舎で暮らしてると痛感します。

 根詰めて仕事して、その疲れを癒してくれるのはゲームだから。

──海を見に行ったりしないんですか(笑)。

宮岡氏:
 家から10分歩けば海なんですけどね。海よりゲーム。

──わははは! でも、かつて宮岡さんが仲間内で誰よりもゲームをやっていて、そのせいで堀井さんからファミコン神拳に誘ってもらい、さらには『ドラクエ』の開発にも参加することになったわけで、そのときからいまに至るまで宮岡さんんの精神性が変わっていないことに、わたしは感動を覚えました。

宮岡氏:
 最新の海外のゲームとか遊んでみるとさ、もう技術力が凄いわけですよ。「それにどう立ち向かうの?」というようなことは、遊んでいながらつねに頭の隅で考えていて。だから『ゼノ』が売れて、「その次を作ろう」ということになったら、「今度はどうする?」ということは考えてしまいますね。

指名手配モンスター
(画像は『METAL MAX Xeno(メタルマックス ゼノ)-滅ぼされざる者たち-』公式サイト | ゲームシステム のスクリーンショット)

 今回は、まだこれまでどおりちゃんと戦闘モードに切り替わるスタイルで、つまり『ドラクエ』と同じ仕組みなんだけど、次はもうそこを崩そうかなあと思っているし。

──じゃあ、フィールドを走行しているといきなり敵が襲いかかって……あ、もっと違うことを考えてるのかな。

宮岡氏:
 うーん、要するに戦闘モードという閉じたところに入るのではなくて、そのままその場で戦闘したりとか。ただ、その場で戦闘するとなると、「タンクシミュレーターとどこが違うんですか?」という話になるじゃない? そうすると、そこをどうするか、悩んでいるところですね。

──新しい『メタルマックス』に期待しています。(了)

 インタビュー中にもあるように、宮岡氏は現在は山口県に住んでいる。運良く、2017年の年末に『メタルマックス ゼノ』に関する打ち合わせで上京していたタイミングに合わせて時間を割いていただき、インタビューすることができた。

 「中退するために大学に入った」という衝撃の冒頭から約2時間、ゲームとの出会いや『メタルマックス』制作の舞台裏などをたっぷり語っていただいたが、『メタルマックス』のインタビューと謳っておきながら、前半ではかなり『ドラクエ』の話になっている。

 ただ、それだけ『メタルマックス』には『ドラクエ』の遺伝子が流れているということでもある。両方遊んでいる人なら、随所に共通点があることはわかっていただけるだろう。

 限られた時間、限られた予算の中で、大勢のクリエイターが知恵を絞り合うゲーム開発の現場では、人間関係がギスギスしたり、ときにはトラブルに発展することも少なくない。けれど、宮岡さんとのゲーム開発ではそのようなこともなく、終始笑いが絶えない楽しい時間だった。わたしがプロジェクトを離れて以降も、そうした雰囲気は変わらず続いているであろうことは、このインタビューからも感じ取れるはずだ。

 まもなく(2018年4月19日)ファンたちの前に姿を表す『メタルマックス ゼノ』は、シリーズ初の全世界発売(欧米・アジア)が決定している。ここに来てついに『メタルマックス』はブレイクするのか、しないのか。
 しかしその結果がどうであれ、『メタルマックス』ファンの想いは変わらないはずだ。

 2017年末に開催された「メタルマックス25周年ファン感謝祭」というイベントでは、「『ゼノ』に関して残念なお知らせがあります」とのアナウンスのあと、「……ポチは出ません」と発表された。
 ブーイングが巻き起こるかと思いきや、場内は爆笑に包まれた。『メタルマックス』のファンとは、つまりはそういう人たちなのである。

 これを機会に、『メタルマックス』をあなたの「いつか必ずブレイクするリスト」に、入れてみてはどうだろうか。

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