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良い記事は、非合理である──AI時代のメディアのあり方を、電ファミの10年をふり返りながら考える

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2026年2月8日、電ファミニコゲーマーは10周年を迎えました。

まずは、ここまで支えてくださった多くの知人や関係者の方々、そして読者の皆さまに感謝申し上げます。

メディアの立ち上がりから10年、会社が独立してからは7年ほどが経ちますが、電ファミがここまで大きく、広く読まれるメディアになるとは、当初は想像もしていませんでした。

本当にありがとうございます。

さて。節目というのは、振り返りを促す装置でもあります。
10年という時間は短すぎず長すぎない。
何かを始めて、試行錯誤して、いくつかの判断を積み上げて、その結果が見え始めるタイミングでしょう。

だから今回は、電ファミニコゲーマーがどういうメディアで、何を大切にしてきて、なぜ今の姿になったのか。そして次の10年に何を目指すのか?

普段はなかなか話す機会がない、私自身のメディア論も含めて、ここでひとつ総括しておきたいと思い、筆をとってみた次第です。

加えて、これからのAI時代に対して、現時点で私が考えるテキストメディアのあり方や意義、そのポジションについても語ってみたいと思う。

ちょっとばかり真面目な、堅苦しい内容にはなってしまうが、ぜひお手すきの時にでも読んでみて頂ければ幸いだ。

文/平 信一(電ファミニコゲーマー編集長)


「良い記事」を価値基準にしたメディア運営

良い記事は、非合理である──AI時代のメディアのあり方を、電ファミの10年をふり返りながら考える_001
電ファミ公式Xアカウント、2025年12月のアナリティクスデータ。インプレッションは6億、エンゲージメントは3000万件、フォロワー数は123万人ほどを記録した。

まず率直に言っておきたい。

電ファミがここまで業界の中で「重さ」を持つメディアになるとは、正直なところ想定以上だった。規模の話ではない。PVや売上の数字より、もっと質的な話だ。

ゲームクリエイターが話してくれる内容の深さ。企業のPR担当者が電ファミをどう扱うかの温度。
あるいは、業界の人間がゲームについて何かを語ろうとしたとき、「電ファミで読んだんだけど」と引用される頻度。そういったところに信頼は滲み出る。

では、その信頼はどこから来たのか。

私なりの答えはこうだ。
非合理を承知で、「良い記事」を作り続けたから。
そしてそれが、「原典」になり得る形で積み上がったからである。

時計の針を戻す。
立ち上げの2016年当時、ネットメディアはすでに「効率」の時代に入っていた。
PVの最大化、速報性の追求、軽量な記事設計。合理性は疑う余地のない前提だった。

そのなかで、私たちはあえて「良い記事」を作ろうとしていた。
いま振り返れば、それは非合理だった。深い取材は時間がかかる。思想を掘り下げる記事は拡散しづらい。
メディアの最大化──そこに向けての効率だけを考えれば、もっと別のやり方はいくらでもあっただろう。

ゲームメディア(≒ネットメディア)について語るとき、よく「速報的な軽さと、読み物的な深さはトレードオフだ」という議論が出る。どちらかを選ばなければならない、という前提だ。

だが私は、この設定自体が根本的に間違っていると思っている。

確かに一本の記事の中では、速さと深さは両立しにくい。
しかし、メディア全体の設計で言えば、この二つは補完関係にあるべきだ。

速報は「今日、何が起きているか」を伝える。
読み物は「それがなぜ重要で、どういう意味を持つのか」を伝える。

電ファミが10年かけて積み上げてきたのは、どちらかへの特化ではなく、この相互補完の関係だった。

そのために、非合理を承知で「良い記事=情報価値」を基準に置いたのだ。

私たちは何と戦ってきたのか?

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電ファミ公式Xアカウント、この10年でのフォロワー増加数のグラフ。とくに2020年からは、1年ごとに20〜25万人の増加を記録した。

そもそも、電ファミが戦ってきた相手は、特定の媒体や個人ではない。
もっと厄介で、もっと匿名の相手だ。

PV至上主義と、ネットメディアの悪しきマネタイズ。

効率を考えると、真面目に記事を作ることは非合理になる。
裏取りをし、背景を整理し、読者が誤解しないように言葉を磨く。そういう工程は時間がかかるうえ、短期の数字に直結しない。

一方で、刺激的な見出し、断定、煽り、分断、あるいは他所の話題を再加工した「速い記事」は、低コストで回せる。プラットフォームのアルゴリズムも、人間の注意の癖も、そちらを押し上げやすい。

言い換えると、ネットメディアの多くは「正確さ」より「アテンション(注目)の収集」を優先せざるを得ない構造の中に置かれている。

これは倫理の問題というより、報酬体系の問題だ。
そしてこの構造は、放っておくと必ず文化的な価値を削ってしまう。

とくに、後から検証可能な一次資料が残らないことは、文化が残るかどうかでいえば致命的だろう。
文化は、長い時間の中で形成される、文脈を伴わないと形にならないが、短期の利益に最適化された仕組みは、そうした長期の蓄積(文化的な文脈)を毀損する。

もちろん、電ファミも「アテンション(注目)の収集」の競争のただ中にあり、実際にそれを重視している側面もある。
「この話題は伸びそうだ」「この角度なら早く出せる」「この表現のほうが強い」。そういう誘惑は、編集者の手元に毎日現れる。
メディアを続けるには数字が必要で、生活が必要で、チームが必要だ。だから効率は完全には捨てられない。

問題は、効率が目的化した瞬間に、判断基準そのものが書き換わってしまうことだ。

電ファミがやろうとしてきたのは、効率を否定することではない。
効率を手段に押し戻し、情報価値を目的に据え直すことだった。

非合理を礼賛したいのではない。
しかし、現状、非合理からしか産まれない「良い記事」をビジネスとして成立させることが、メディア/編集という仕事を長期で続けるための現実的な戦略だと考えてきたわけだ。

喪失の危機と、「引き受ける」という選択

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株式会社マレのロゴ。「マレ」とは「稀/奇」──「才能」を指す言葉だ。詳しくはコーポレートサイトを参照いただきたい。

その非合理な選択は、常に平坦な道だったわけではない。
2019年、電ファミは消える可能性があった。親会社の経営危機に伴い、メディアそのものが失われる現実的な局面を迎えたのだ。

結果として私は、事業を引き受けて独立する道を選んだ。

やめるという選択肢もあったはずだ。だが私のなかに迷いはなかった。引き受けるのが自然だった。
資金は十分ではなく、個人の貯蓄からの再出発だったし、最初の数年間は、経営的な緊張が続いた。

それでも残したかったのは、事業ではなく「記録」だった。
もし電ファミが消えたら、ゲーム文化の記録の一部が消える。クリエイター、経営者、ユーザーたちの証言が散逸する。このまま消えてしまっていいのか、という思いがあった。

メディアが消えるとき、失われるのは記事だけではない。
文化の一部が消え、文化が語られる場そのものが消えるのだ。
そして何より、後から検証できる一次資料が失われる。

この時点で、私のなかではメディアの役割が「情報を届ける」だけではなくなっていた。文化の記録として、一次資料を残すこと。それが中核に入り始めていた。

ゲームメディアの30年──「構造」を失い、「構造」を必要とする時代へ

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総務省「令和6年度 情報通信メディアの利用時間と情報行動に関する調査」より引用。動画は確かに強いが、テキストSNSであるXの利用率が増加しているのも事実である。

ゲームは商品である。
しかし、私にとってはそれ以上に「文化」でもある。

文化は、放っておけば残るものではない。編集され、文脈化・構造化され、言葉として固定されなければ、歴史には残らない。

電ファミの10年を語るには、その前史である日本のゲームメディアの流れを避けて通れない。ここでは私の観点から大きく三つに分けて語る。

1980〜1990年代の「雑誌の時代」。
ゲーム情報は雑誌を通して流通した。紙媒体にはページ数という物理的制約があり、それが必然的に「何を載せないか」という編集の構造を生んだ。制約があるから選別が生まれ、結果として雑誌は文化の記録装置として機能した。

2000年代以降の「ウェブの時代」。
制約が消えた。PVモデルが確立し、トラフィックが価値の基準になったことで「量」が優位になった。編集は残っていたが、選別の必然性は薄れ、構造は弱まりやすくなった。

そして現在の「動画とSNSの時代」。
個人が直接発信する。直感が優先され、文脈は希薄になりがちになる。レビューはプラットフォーマーに集約され、速報はSNSで消費される。

ここで「ゲームメディアは本当に必要か」という問いが浮上する。
私は必要だと思っている。理由は単純で、情報が多いほど、文脈化や構造化を与える行為の価値は上がるからだ。

動画は強い。だが、情報を整理しながら理解するにはテキストの時間効率が高い。
さらにテキストは、検索や引用、批評の接続がしやすい。XのようなテキストSNSとの相性もいい。ニュースや論点整理の中心に、テキストはしばらくは居続けるだろう。

そしてAI時代になって、状況はもう一段変わった。
AIが理解する情報ソースとして、テキストは価値を増している。信頼できる一次情報が載る「公の媒体」の価値は、むしろこれから上がっていく可能性がある──私はそう見ている。

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編集長
電ファミニコゲーマー編集長、「第四境界」プロデューサー。 ゲーム情報サイト「4Gamer.net」の副編集長を経て、KADOKAWA&ドワンゴにて「電ファミニコゲーマー」を立ち上げ、ゲーム業界を中心にした記事の執筆や、サイトの設計など運営全般に携わる。2019年に株式会社マレを創業し独立。 独立以降は、編集業務のかたわら、ゲームの企画&プロデュースなどにも従事しており、SNSミステリー企画『Project;COLD』ではプロデューサーを務める。また近年では、ARG(代替現実ゲーム)専門の制作スタジオ「第四境界」を立ちあげ、「人の財布」「かがみの特殊少年更生施設」の企画/宣伝などにも関わっている。
Twitter:@TAITAI999

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