ゲームキャラクターとは、なんのために存在するのか
ゲームをプレイしていると、独特の「手触り」を感じるときがある。
実際に自分の手でボタンを操作しているのだから当然のことのように思うかもしれないが、ボタンの触り心地とは別に、サクサクと軽快な「軽さ」を感じるときがあれば、モッサリと鈍重な「重さ」を感じるときもある。
本来であれば挙動の速さや遅さは時間軸の問題であり、動作がキビキビしているのであれば「速い」、動作がモッサリしていれば「遅い」という時間での表現が適切であるはずだ。しかし、ゲームというメディアではなぜかそこにまるで「重量」が存在するかのように感じられることがままある。
ここに、私はゲームというメディアの大きな特徴を見る。プレイヤーがゲーム中のキャラクターを操作するとき、そこには本来であれば存在しないはずの、擬似的な物理フィードバックが感覚的には生じているのだ。
あるゲームに対して「手触り」が良いという評価がなされるとき、それはゲームというメディアの特性である“擬似物理フィードバック機能”を巧みにコントロールしているゲームだということだろうし、このゲームはなんとなく操作して気持ち悪い、モッサリしているという評価がなされるとき、それは意図的にモッサリ感を演出している場合を除けば擬似物理フィードバック機能を上手くコントロールできなかったということなのだろう。
小説やマンガ、アニメなどでしばしば感情移入という言葉が使われるが、キャラクターに対して感情ではなく身体を移入するメディア、それがゲームである。
先日、当サイトにて公開された、『ニーア オートマタ』の開発スタッフが語るアクションゲームの「手触り」についてのインタビューは、非常に興味深いものだった。
『ニーア オートマタ』のアクションはなぜ手触りがいいのか。“新世代を担うアクションの旗手”田浦貴久に迫る【聞き手:ヨコオタロウ】
「綺麗さ」「柔らかさ」に重点を置いた作りを意識的にしつつ、『モンスターハンター』の例を出しながら自分のやり方が必ずしも絶対の正解というわけではないということを冷静に分析するクレバーさ。
このような自分なりのゲーム哲学を自分なりの言葉で語れる作り手の登場に、私は日本のゲーム業界のひとつの成熟を見るが、ゲームの「操作」や「手触り」についての言説は非常に感覚的な側面が強いということもあり、まだまだ語られていないことのほうが多いのではないだろうか。
というわけで、前回から1年近く間が空いてしまった当連載だが、一応前回の続きでゲームにおける「身体論」の第2回目として、ゲームキャラクターの「操作」およびゲームの「手触り」について考えてみたい。
文/hamatsu
レースゲームと『スーパーマリオブラザーズ』の親和性
『スーパーマリオブラザーズ』というゲームを操作の観点から振り返ってみると、複数のボタンを同時に押す機会の多さに気づかされる。
Bボタンを押すことで発動するBダッシュは十字キーとの同時押しが前提の操作になっているし、Aボタンだってボタン単体でもジャンプ自体はできるものの、ゲーム中で活用するためには十字キーとの併用が必須になる。
さらには十字キー+B+Aボタン同時押し、という3つボタンの同時押しが要求される局面だっていくつも存在する。
要はこのゲームは、基本的に複数ボタンの同時操作が前提となっているゲームなのである。レバー1本のみですべての操作が完結していた『パックマン』と比較すれば、随分複雑なゲームになっているとも言えるだろう。
1985年時点において、『スーパーマリオブラザーズ』というゲームはひとつの集大成的なゲームであり、マリオというプレイヤーが操作する「身体」は当時におけるひとつの到達点であるということを前回の記事では述べたが、その優れた身体性は当時のファミコンのコントローラーのボタンをほぼ使い尽くす形で実現されていたということがわかる。
「左右移動(十字キー)」、「ジャンプ(Aボタン)」、「ダッシュ(Bボタン)」というそれぞれのボタンに割り振られたアクションをボタン同時押し操作によって同時に起動することで、「操作の合成」を行なっているゲームが『スーパーマリオブラザーズ』なのである。
この「操作の合成」という言葉がピンとこない人もいるかもしれないが、自動車の操作を考えるとわかりやすい。自動車を運転して「左に曲がる」ということをしようとしたとき、アクセルを踏むだけでは曲がらないし、ハンドルを左に切るだけでも曲がらない。
アクセルを踏んで前に進む力を得てからハンドルを左に切ることによって、初めて「左に曲がる」という動作が可能になる。
このように、自動車は複数の操作を同時に行うという「操作の合成」を絶えず行うことによって、初めて自由自在に動き回ることができるようになるわけである。
実は『スーパーマリオブラザーズ』というゲームは、「操作の合成」という観点から考えると、レースゲームとの親和性が高いゲームなのだ。
前回の記事で、私は『スーパーマリオブラザーズ』におけるBダッシュのルーツとして『エキサイトバイク』のターボボタンを挙げたが、類似点はそれだけでなく、ジャンプ中の空中制御や、横スクロールなど、『スーパーマリオブラザーズ』のルーツ的な要素が多く見られる。
前回の記事にて指摘したように『パックランド』よりも、ジャンルとしてレースゲームに分類されるであろう『エキサイトバイク』を『スーパーマリオブラザーズ』のルーツとして捉えた場合のほうが、操作感覚的な部分での本質がよりクリアに見えてくるのではないかと私は考える。
レースゲームとの親和性がある一方で、違いもまた存在する。その最大の違いはやはり「ジャンプ」だろう。
「ジャンプ」のような瞬発的な動作は車やバイクを操作する上ではなかなか見られない。『エキサイトバイク』において、走行中に頻繁にジャンプが行えるのはコース上にジャンプ台が存在するからだ。
『スーパーマリオブラザーズ』というゲームを考える上で、「ジャンプ」というアクション、およびそのアクションから生み出されるリズミカルな「手触り」は非常に重要な要素だが、ここで逆に考えてみよう。
『スーパーマリオブラザーズ』のような「手触り」を備えたレースゲームが存在したら、どうなるかと。
レースゲームであるにもかかわらず「ジャンプ」が行えるゲーム、それが『スーパーマリオカート』である。
一見レースゲームとは全然違うジャンルに思える『スーパーマリオブラザーズ』の根底にレースゲーム的な要素が含まれるのと同様に、レースゲームに対して「ジャンプ」というアクセルともブレーキともまったく違う車体の方向転換機能を搭載し、それを行うことでコーナーリングでの最重要テクニック、ドリフトを行えるようにしたのが『スーパーマリオカート』だ。
『スーパーマリオブラザーズ』というゲームの操作感覚に独特の「重さ」が存在するのは、レースゲーム的な一度走り出したら急には止まれないし、そう簡単には曲がれないという「慣性」をベースにした操作感覚があるからだろう。
だからこそ、その「重さ」を振り切るように発動する「ダッシュ」や「ジャンプ」というアクションには爽快感が生まれる。
そのように考えてみると、『スーパーマリオ64』に端を発する、2Dのマリオと3Dのマリオの断絶性がよりクリアになるのではないだろうか。3Dアクションとしてのマリオに2Dのマリオのようなレースゲーム的感触を見い出すのは難しいのだが、このことについて詳細に分析しようとすると、恐ろしく長くなるので、これはまた当連載の別の機会に譲るとしよう。
今回考えてみたいのは、『スーパーマリオブラザーズ』とはまた別の「操作」と「手触り」についてだ。
ここまで述べてきたように『スーパーマリオブラザーズ』の根底にはレースゲーム的側面が存在する。1985年時点において『スーパーマリオブラザーズ』はひとつの到達点と呼ぶべき金字塔的な存在だが、翌年の1986年に『スーパーマリオブラザーズ』には存在しない、まったく異なる「操作」、そしてまったく異なる「手触り」を持ったゲームが登場する。
そのゲームとは、『熱血硬派くにおくん』である。
※動画はファミコン版のものです。
「格闘」の手触り
ダブルクリックという操作がある。
主にパソコンの操作等に用いられる入力機器であるマウスの左ボタンを小刻みに2回連続でクリックする操作方法だ。
この操作方法の特徴は、同じボタンを押しているにもかかわらず、別の機能を発揮する点にある。
マウスという付属するボタンの少ない入力機器がデスクトップパソコンの標準的な入力装置として広く普及した理由のひとつには、このダブルクリックを始めとする、少ないボタンでも多彩な機能を発揮できる操作の発明があったからだろう。
ダブルクリックがパソコンの操作を考える上で非常に重要であるように、この操作方法は、ゲームにとっても非常に重要だ。
このダブルクリック的操作を(マウス操作から影響を受けたわけではないだろうが)導入したアクションゲーム、それが『熱血硬派くにおくん』である。1986年にアーケードでリリースされたこのタイトルは、レバーを左右に小刻みに2回入力することでプレイヤーキャラクターが通常移動よりも速い速度で「ダッシュ」を行う。
ベルトスクロールアクションというジャンルの始祖的な存在である『熱血硬派くにおくん』だが、特定のボタンを連続で入力することによって別のアクションが起動するという操作は、ベルトスクロールアクション、もっと広く捉えれば、近接格闘アクションに大きなブレイクスルーをもたらすことになる。
1988年にリリースされた『忍者龍剣伝』や1989年にリリースされたベルトスクロールアクションの金字塔『ファイナルファイト』では、攻撃ボタンを連続で入力することによって、ボタンを入力した回数(3~5回)に応じて連続攻撃を行い、最終的には見た目にも派手なフィニッシュ技を繰り出す。
同じボタンを操作しているにもかかわらず、そこで発動するモーションや攻撃性能に差が生まれる、つまりは同じボタンを押しているにもかかわらずゲーム中の「手触り」に緩急が加わる。
同じボタンを2回連続で入力することで別のアクションが起動するという操作方法は、『熱血硬派くにおくん』に限らず、同年の1986年にリリースされた『メトロイド』にも採用されている(十字キーを下方向に2回入力することで丸まり状態になる)。
十字キーに2つのボタンという操作でできるアクションは当時の時点ですでに出尽くしつつあったのだから、それは必然の流れとも言えるだろう。
しかし、『熱血硬派くにおくん』とそれに連なる近接格闘アクションゲーム群が際立っていたのは、その操作方法によって発揮できるアクションとその操作方法にで得られる「手触り」が高いレベルでシンクロしていたという点である。
限られた数のボタンやレバー入力のみでも、多彩な機能性、アクションの発揮ができるようになったことで、ゲームキャラクターのアクションの幅は飛躍的に向上し、ゲームの「手触り」もまた圧倒的に多彩になった。
繰り出す技に応じて「軽さ」と「重さ」がおり重なる打楽器的とも言えるであろうその「手触り」は、暴力に満ちたゲーム内容と極めて相性が良かった。
以前、当サイトにて掲載された現代の子どもにファミコンのくにおくんシリーズを遊ばせても面白がるかどうかを検証した結果、やっぱり小学生にとってくにおくんシリーズは面白かったというひとつの事実は、1980年代半ばから後半にかけて起こった操作の進化がいかに現代においてなお普遍的な力を持っているかということの証明でもあるだろう。
そして、さらに近接格闘を行うゲームの「操作」を考える上で、もうひとつ忘れてはいけない操作方法がある。
波動拳コマンドだ。
「↓↘︎→P」というあまりに有名な操作方法と、そこから繰り出される波動拳というパンチともキックとも違う「必殺技」の登場。この発明抜きには格闘ゲームというゲームジャンルの確立と、対戦格闘ゲームの隆盛というムーブメントは起こらなかったのではないだろうか。
1990年代のゲームシーンを振り返る上で対戦格闘ゲームの隆盛は非常に重要なムーブメントのひとつだが、その背景には、ゲームキャラクターの「操作」にまつわるいくつもの発明が存在する。
1980年代から90年代にかけて、日本のゲームシーンが世界をリードしていた要因として、以上に述べたようなゲームにおける「身体」と、それを操作することによって生まれる「手触り」のイノベーションが絶えず起こっていたということを挙げたい。
そして、ゲームにおける「身体」が異常なまでに発達していった代償としてゲームにおける「地形」や「世界」をデザインする能力において世界に遅れをとることにもなってしまったのではないか、という私なりの問題意識にも繋がるわけだが、それはまた当連載の次回以降に考えていくことにしよう。
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