阿吽の呼吸で完成にこぎつけた『UFO』
──ここからは、『moon』に続いて作られていった作品の話をお聞きできればと思います。ラブデリックとしては『moon』に続いて『UFO』をリリースしますよね。
木村氏:
そこで冒頭の話に戻るんですが、俺は教授のほうには行かず『UFO』の現場に残ったのに……半年後に辞めていくんです(笑)。
工藤氏:
あそこで辞められたのは、いまだにいちばんつらかったできごとだよ。ツートップでやってて、ひとりに飛ばれたんだぜ?(笑)
木村氏:
ほんっっっとに、ごめん!
一同:
(笑)。
──木村さんが『UFO』チームから離れた理由は……。
木村氏:
僕は病気になってやさぐれたというか、実際本当に身体的に心臓が止まりそうになって辞めるんです。
そのあと太郎ちゃんがどれだけがんばって『UFO』を作ったのかというのは、その後に遊んでいるのでホントにわかっているつもり。ごめんなさい。
工藤氏:
(苦笑)。
鈴木氏:
あの状態から、よく完成させたよなぁ。
──『UFO』の途中でツートップのひとりが倒れて、それでも『UFO』が出ている。どんな魔法があったんでしょう?
工藤氏:
『moon』でも多少あったけど、『UFO』は倉ちゃんが俺の手が回らないのをわかってくれていたんで、それに助けられた部分も大きいです。
倉島氏:
いや、俺はすごいんですよ。
一同:
(笑)。
工藤氏:
倉ちゃんとやりとりがツーカーになっていたので、いわゆるスクリプトを書くという具体的な作業は自分でやるとしても、どういう風に見せるなど、演出やアニメーションはお任せだったし、逆に倉ちゃんからどんどんネタをふってくるんですよ。
──倉島さんが企画マン的な働きを?
工藤氏:
たとえばキャラクターがいて設定をつけたとき、話を書く人やディレクターは基本的には設定に基づいて「こういうアニメーションを作ってくれ」と動かす人に頼みますよね。仕上がったものを見て、「違うんだよなー」なんて言ったり。でもそういうのが一切ない。
代わりに、倉ちゃんは勝手に考えたキャラクターに勝手にアニメーションをつけてくる(笑)。
ふつうはスクリプトで動かすときは、リストを作って1~8番は歩きのアニメーション、9番は本を読むアニメ、10番はご飯を食べるアニメなど、指示があるわけだけど、それっぽいリストが倉ちゃんからバーンと届くと、下の10個くらいに「?」って書いてあるんですよ。
俺も「えっ?」ってなって。いわく、「作りたいアニメーションは作ったから、あとは自分で考えて」って。
一同:
(笑)。
工藤氏:
でもそれはわかったうえでのキャッチボールだから、「このアニメーションは、このシーンに使えねえかな?」みたいな感じで、あとからこちらで設定を考えていった。『UFO』は、それにずいぶん助けられているんです。
木村氏:
『moon』や『UFO』って、スクリプトで自由に演出できたし、データを用意する側も、その瞬間の容量さえ気にすれば、あとはどうにかなるという作りかた。だから倉島がどんなにアニメーションを足しても、僕らがアイデアで吸収すればどうにかなったんです。
倉島氏:
でもね、そこらへんは太郎ちゃんや祥ちゃんだと、渡したものをバラして使ったりとか勝手にやってくれるから、「あとシクヨロで」ってできるわけで。
安達氏:
それは音でも同じようなことが言えるね。ほかの人ならそうはいかないよ。
──阿吽の呼吸ですね。
工藤氏:
当時は2Dだから、何かにアニメーションをさせるのでも、始点と終点と中割りの3パターンを繰り返して見せるよね。
倉ちゃんがまず動きをつけてくるんだけど、そこで俺の思ってるスピードやタイミングじゃないなと思ったとき、「もうちょっと速く」なんてやりとりをすると、またタイムロスになる。
でもその時点で俺の中では「どういう効果音が、いつ鳴る」というイメージもできているので、先に効果音を仕上げてもらって、その効果音に合うようなタイミングで、渡されたアニメーションパターンの中割りの絵を読み込ませる、という作りかたをずっとしていたんだよね。音に合わせて自分で再構成しちゃう。
木村氏:
わかる! あのとき培われたものの伝染力ってすごくて、そのやりかたはマネしていたよ。
要は正確な仕様がなくてもおもしろいことが結果的に画面に出ればOKで、それで周囲を説得すればいいわけだから、とりあえず安達さんと倉島にアイデアを言えばいい、という考えはいつもあった。
工藤氏:
そうそう。曲に合わせてシーンを作りますからね。
安達氏:
この人たち(工藤さん、木村さん)がすごいんだと思うよ。ふつうはアニメに合わせて曲の尺を直さなきゃいけなくなるんだけど、とりあえず想像で作ったら、あとは合わせてくれていたんで。当時甘やかされてそのありがたみを味わってしまったのがいけなかった(笑)。
倉島氏:
俺もいまは無能の人です(笑)。
『チュウリップ』開発秘話
──そうして木村さんが倒れ、工藤さんの『UFO』が出て、西さんの『L.O.L.』が出て、ラブデリックは名前もなくなります。ディレクターの3人がそれぞれの道を行く感じですね。
鈴木氏:
そもそもが彼らが作りたいものを作るために始まったものだから、会社は方便として必要だっただけで。
「あれはラブデリックだ」だとか、「あれはSKIPだ」だとかよく言われるけど、『moon』が終わったあとは、名前なんて意識しないで、自然とそれぞれ散ってやっていたんですね。
木村氏:
僕は復帰して『L.O.L.』を手伝いながら『チュウリップ』【※】を始めるんです。太郎ちゃんがバンプールとして『エンドネシア』(後述)を作り始めたときにパンチラインとして『チュウリップ』も始めている。
工藤氏:
だいたい、まずアスキーがなくなったでしょ? あれでラブデリック界隈は「えー!」となって。「またパブリッシャーを探さないとダメなの?」って。
木村氏:
そうそう(笑)。デベロッパーって、パブリッシャーを定めたら、基本はずっといっしょにやっていきたいわけですよ。
──整頓します。『moon』後に、バンプール組が『UFO』、SIKP組が『L.O.L.』を作り、その順番で発売され、辛うじて『L.O.L.』まではアスキーから出たと。そのタイミングではチーム・バンプールができていて『エンドネシア』【※】を作り始めている。
木村氏:
合ってます。
──おなじころSKIP内のチーム・パンチラインも『チュウリップ』を始めており、そのあとSKIPとバンプールが組織となり、そしてSKIPからパンチラインも独立する。……あれ? 木村さんは『UFO』から離れたあと、どうやって復帰したんですか?
木村氏:
僕が身体を壊してラブデリックから去ったあと、しばらくして身体は落ち着いたけれど、ゲーム業界に復活する目途はないわけです。けれどもいろいろなきっかけが重なって、「こういうゲームが作りたい」って思っちゃったんです。
それが『チュウリップ』の原型。そういうときに頼れるのがスーさんしかいなくて、それでスーさんに電話をするんですよ。
工藤氏:
おー。知らないね、その話。
木村氏:
そうしたらスーさんが「寿司を食いにいこう」と誘ってくれて。僕はそのとき無職で超貧乏だから寿司なんかひさびさで。その寿司を食べながらスーさんがナチュラルに「どんなゲームが作りたいんだよ」と聞いてくるんですよ。
工藤氏:
……かっこいいなあ、スーさん。
木村氏:
それで、そのときは『チュウリップ』でなく、別の企画として「チュウをすると妊娠しちゃうようなゲームで、それでキャラクターが生まれてですね……」という話をしていたんですが、聞いたスーさんが「すぐやればいいじゃないか」と即座に背中を押してくれて。
「売り込みに行くために準備をしよう。企画書を作りなさい」と。
そのひと声で、僕は明大前の古いアパートの部屋に友だちを集めて、ワイワイガヤガヤとアイデアを練って企画書を作り始めるんですね。そのときに『チュウリップ』のコアメンバーが集まり、それがのちのパンチラインになっていくわけです。
──スーさんカッコよすぎです。
木村氏:
そのとき同時に西さんの『L.O.L.』のデータを作る人が足りないからといって、スーさんが「データぐらい打てるだろ」と言って病み上がりの僕をちょっとずつ現場に戻していくわけです。
戻ってその作業を進めていると、久しぶりにゲームが作れるということ自体が快感で、『L.O.L.』を作りながらさらに『チュウリップ』の企画を盛り上げていけたと。
──いい話ですね。
木村氏:
ところがその後、スーさんといっしょに『チュウリップ』をパブリッシャーに売り込みに行き始めたけど、ぜんぜんダメで。
いっぱい当たって、「もうダメだ……」となったあとに、最終的には『牧場物語』【※1】の和田(康宏)さん【※2】に出会って、ビクターインタラクティブ【※3】から出せました。
※1 牧場物語
1996年にパック・イン・ビデオから発売されたスーパーファミコン用シミュレーションゲームおよび、続く30作以上のシリーズを指す。後述する和田康宏氏が発案、ある時期まで統括。牧場内で農作物を育て、畜産に励み、生活していくことが基本となり、作品を重ねながら恋愛要素やRPG的な要素も増えている。
※2 和田康宏
1964年生まれのゲームクリエイター。パック・イン・ビデオで『牧場物語』を発案。2005年の『牧場物語 しあわせの詩』までプロデュースし、その後マーベラスインタラクティブの代表取締役やマーベラスエンターテイメントの取締役COOを務めたのち2009年に退職。2011年に自身の会社トイボックスを興している。
※3 ビクターインタラクティブ
ビクターインタラクティブソフトウェアは、1970年代に日本ビクター(当時)主導で設立されたビデオ製作・販売会社パック・イン・ビデオと、1972年にレコード事業に特化して分社化され、1983年にゲーム事業に乗り出したビクター音楽産業をルーツに持つ。1994年にビクター音楽産業はビクターエンタテインメントとなり、1996年にパック・イン・ビデオを子会社化してそのゲーム部門を移管し、ビクターインタラクティブソフトウェアと改称した。その後、2003年にマーベラスエンターテイメントに吸収され、マーベラスインタラクティブとなる。
鈴木氏:
『moon』は別格だけど、みんなが作っているあの系譜では、『moon』のつぎに個人的に好きなのは『チュウリップ』だぜ?
一同:
ほー。
木村氏:
マジすか。……スーさん……ありがとうございます。
──ご本人を前に好きな部分を伝えていただけますか?
鈴木氏:
なんだろうな。うまく説明できないけど、あのタイトルでは、ふつうはたぶんできないことをやってるよね。いろいろ異常じゃん(笑)。
狂気に近いようなことをやっているのに、うまくバランスをとっている。そのギリギリ感が好きなのかな。決してメジャーになれないタイトルだけど、俺は好きなんだよ。
工藤氏:
いやあよかったよ、あれは。よかった。よかったよ、あれは。
倉島氏:
絶対やってねーだろ!(笑)。
一同:
(笑)。
木村氏:
僕は『チュウリップ』のときも物語がまとまらなくて、やっぱり一度頓挫するんですよ。そのときパンチラインはまだ会社じゃなくて、SKIPの1チームだったんですが。
鈴木氏:
あー。『チュウリップ』はヤバかったなあ(笑)。けっこうな赤字だった。
木村氏:
赤字で散々なうえ、開発が4ヵ月くらい延びたとき、スーさんが「木村は休んだほうがいい。歯茎から血が出てる」と言ってきたんです。「新宿にこういうサウナがあるから、休んでそこへ行け」と。
僕も疲れ切って何も思いつかないから、スーさんの言うとおりにしようと、3日間ずっとサウナに通い続ける。
結果から言うと、そこで突然ゲームの物語を終息に向かわせる道筋が見えて。3日後にはチームの人間を集めて説明したんだよ。
倉島氏:
すごいじゃんサウナ。それとスーさん。
『ギフトピア』と西さん
──木村さんや工藤さんがそういう動きをしていた一方で、そのころの西さんはどんな感じだったのでしょうか。ずっとごいっしょにいた鈴木さんからお話いただける範囲で教えていただければ。
鈴木氏:
『L.O.L.』が終わったあと、「さてこのチームは今後どうしようか」となったんですが、何にも決まらなくて。
いろいろ考えたんだけど、どうにもならなくなって、「これは食い潰れるかもしれない」とギリギリ体裁を保っているときに任天堂につながり、そこからセカンドパーティ【※】になって、『ギフトピア』を作る流れになるんだよね。
※セカンドパーティ
ゲーム業界では、ハードとソフトの両方を製作する「ファースト・パーティ」、ソフトのみを製作する「サード・パーティ」と区別して、特定のハードメーカーのもとソフトを開発する外部のゲーム会社のことを指す言葉。例えば任天堂はHAL研究所、ゲームフリークというようなゲーム開発子会社を「セカンド・パーティ」として位置付けている。
木村氏:
そこで1回底を打っても、別のところでつながっていくのはすごいね。
鈴木氏:
『ギフトピア』は任天堂でのプレゼンの逸話もあったな。昔Webの記事になっているけど、今日は西がいないから、まあそれを読んでください。……あいつ、岩田(聡)さん【※1】や宮本(茂)さん【※2】がいるプレゼンに「行かない」って言い出したの。【※3】
※1 岩田聡
任天堂株式会社 前代表取締役社長。2002年に42歳の若さで任天堂の代表取締役社長に就任。数多くのソフトをはじめ、ニンテンドーDS、Wii、ニンテンドー3DS、Wii Uなどのハードを世に送り出し、Nintendo Switch開発さなかの2015年に急逝している。
※3 詳しくはほぼ日刊イトイ新聞「樹の上の秘密基地」のこちらの記事で語られている。
──読んだことがあります。わりとむちゃくちゃですよね(笑)。
鈴木氏:
そう。西には『moon』のときに岩田さんとのエピソードがほかにもあって。岩田さんがまだハル研【※】にいたころに、西宛にメールが来たことがあるんですよ。岩田さんの身内の方が『moon』が好きで、いいタイトルですねという内容の。
西がそれを読んで、岩田さんが何者かを知らずに、「ありがとうございます。あなたもがんばってください」というような返事をしたみたいで。
※ハル研
1980年設立の株式会社ハル研究所を指す。コンピューターゲームソフトウェアやその周辺機器、ゲーム制作システムの開発を行う。
木村氏:
いや畏れ多い(笑)。
ゲームづくりはインディーに還る
──それにしても、この取材を通じて、『moon』はあの場所あの瞬間で成立した奇跡のようなものだったということがかなり理解できたのですが、ただその一方で、それでも今後、第二、第三のラブデリックがゲーム業界に現れることを夢想してしまうんです。いまの時代、現れ得るんでしょうか。
鈴木氏:
そうねえ……。当時は本当にすごい瞬間を過ごしていたんだなと思いますね。その後、あれ以上の状態を得たことがないのが自分でもわかるんです。
いまは大きな変革期のさなか。市場やゲームの構造もぜんぜん違うところにきています。僕がゲームに興味を持った8つのときは、コンピューターなんてものもほぼない時代だったのに、いまの世の中にこれだけ普及している。
──さらに変革のさなかにあると。
鈴木氏:
ええ。個人的な意見を言えば、僕は今後コンソール【※1】だとかネイティブアプリ【※2】だとかPC市場の構造が大きく変わる、新しいプラットフォームの仕組みができてくると考えているんですよ。
いまはAppleだとかAndroidだとか、プラットフォーマーが時代を作っていますけど、基本的には個人に全部戻ってくることになるはずだと。
※1 コンソール
家庭用ゲーム機のうち、据え置き機を指す。携帯ゲーム機はハンドヘルドとも呼ばれる。
※2 ネイティブアプリ
一般には「Webアプリ」との対比のなかで使用される用語で、iOS、Android、PCなどのデバイスにインストールして使用するものを指す。
──最終的にはインディーに戻るということですか?
鈴木氏:
まあそう。ゲームのメインがもう一回インディーのあたりに拡散して戻ってくる。そのときにいちばん重要になるもののひとつがブロックチェーン【※】のシステムだと思っていて。
EthereumとかLiskっていうところがやっているのは、DAppsという形でブロックチェーンのシステムからゲームができ……。
工藤氏:
ちょっとちょっとちょっと。わかんない単語がいっぱい出すぎ……。
──ゲームを作るうえでのお金の出どころの話ということでしょうか。
鈴木氏:
ええ。みんなマネタイズをどうするかというところでたぶん苦しんでいるはずなのね。実際にゲームを作ることを仕事にするときに、どうやってお金を回すかという問題にどこも直面しているわけです。
──インディー系はとくにそうかもしれません。
鈴木氏:
一方でたとえばe-Sports【※】みたいな形の、いわゆるプレイヤーがお金を作っていく世界が生まれている。両者がうまくリンクされる世界が現れるだろうという考えですね。
ゲームをやることが経済的な展開にもなるし、ゲームを作ることでお金を作っていけるような仕組み。プレイヤーとクリエイターがほぼ均衡な状態で経済的に回転するシステムを作るには、絶対にブロックチェーンのシステムが必要なんです。いま僕はそこをずっと見ていきたいと思っているんです。
いまはちょっと難しいかもしれませんが、企業自体もブロックチェーンを使うとオートマチックに稼ぐ会社ができるようになるので、個人で会社的なものを作ってそこでビジネスをすることができる。そうやってインディーとメジャーの垣根がなくなる感じに、あと3年くらいで突入するんじゃないかなと思っていて……。
工藤氏:
もうもうもうもう……長いっす……。
倉島氏:
ガマンして、太郎。
木村氏:
要は国を超えて、いまとは別の範囲でお客さんと作り手がつながる方法はないかと、いつもみんな模索しているわけよ。
だからインディーゲームがXbox LIVE アーケード【※】で流行ったときも、Appストアで流行ったときも盛り上がったし。ずっとそうやって乗り越えてきているんだけど、じつはつぎのグレードがもう存在するんじゃないかという話。
それがビットコインやブロックチェーンの話になるということかな? 知らんけど(笑)。
※Xbox LIVE アーケード
Xboxのネットワーク上でオンライン配信専用のゲームをダウンロードして遊べるサービスのこと。当初はスーファミ向けのクラッシックゲームの移植版や、シンプルなアクション・パズルゲームの配信が主であったが、徐々に高度なポリゴンを使用したシューティングゲームも配信されている。全ゲームで体験版で遊ぶことができ、気に入ったらすぐに本編をダウンロード購入できる。
工藤氏:
いや俺が『UFO』を始めるときに思ったのは、いまでいうクラウドファウンディング的なものがあって、過剰なお客さんはいらないから、わかってくれる人たちだけにわかるものを作り続けられたら、どんなに幸せなんだろうということ。
とりあえず『moon』は数十万売れたから、それを買ってくれた皆さんひとりひとりが1000円ずつさらに出してくれたら、「俺らもう1本作れるよ!」みたいな仕組み。
木村氏:
だからそれがいま起こってるのよ。インディーには、「この人たちのゲームだったらやろうかな」と言ってくれる人が集まる構造がありそうだと思っているから俺もやっているわけで。
ラブデリックは、そういうインディーのスピリッツとけっこう似ていて……というか、好きなものを作って評価されたら続けるられけど、評価されなかったら続けられないという、インディーそのものだったのかも。それがラブデリックだな。『UFO』もそうだった。俺は頓挫しているけど(笑)。
工藤氏:
説得力ないな(笑)。
鈴木氏:
やりたいことを自由にやるには、お金が足りないという問題に、いま僕自身も直面しているんですね。ただ、仕事をして生きていくうえで、「お金に追われてやりたいことをやれない」というのは極めて不自然だと思うんです。
「心底やりたいことをやったら、その結果がちゃんと出る」という構造にならないといけない。大手がお金を突っ込んで作るだけとか、どんないいモノを作ってもつぎに繋がらないとか、そういうのっておかしいじゃないですか。
ブロックチェーンのように分散型で、平等に評価されるシステムが入ることで、「いいものはいい」というところへ仕組みは行くべきだし、そういう流れのひとつとして僕は仮想通貨があると思っていて……。
──その果てに第二のラブデリックができる可能性があると。
鈴木氏:
「やりたいことだからやる」という人々が増えますよね。インディーゲームって、けっきょくメジャーよりも経済的に評価が低くなるので人が集まらない。それが防げる。
ラブデリックはスーさんありき
──ただ、そうなるといよいよ今日の核心に迫る、成果を出せた「ラブデリックとは何だったのか」という話になりそうですね。かなり個性豊かな皆さんが思い思いに全力でゲームと向き合っていた当時の雰囲気が、わずかながらでもいまこの場で再現されている気がしますが、それはこの場と同様に、何よりもまず皆さんを見守り、束ねられていた鈴木さんの存在が大きかったんだなと感じます。
鈴木氏:
束ねるって感じではなかったですよ。みんなめんどくさいことをしたがらなかったから、それをやっていただけで(笑)。会社経営やオペレーションは、いまでも得意なほうではないんだけど、僕もゲームは好きだったので。
工藤氏:
俺はラブデリックのあとバンプールという会社を作り、ゲームディレクター兼社長みたいなことをやっていたけど、両立が難しくなってきて社長業に専念した時期があったんです。
そのときは本当に「スーさんだったらどうするかな」って思っていた。理想だったんですよ。ラブデリックのときのスーさんは、社長として。
木村氏:
その話、すごいわかる! 僕はいま社長ですが、「こういうときスーさんだったらどうするか」はいつも過ぎります。ちょっとした「学び」だったんだなあ……。ヤバいこの記事、スーさんを褒める記事になる!
鈴木氏:
いや僕がすごいんじゃなくて、ふたりが向いてなかっただけだよ(笑)。
一同:
(爆笑)。
木村氏:
僕らは「失敗のリスクを承知で」なんて言っていますが、でもひとりだけ本当のリスクを負ってたのは、代表のスーさんだけなんです。
『moon』って確か発売が3~4ヵ月予定より延びているんですよ。トータルでも1年8ヵ月かかっている。そのことについていちばんヒリヒリしていたのはスーさんのはずなんだけど、スーさんはヒリヒリしているのを見せない人なんだよね。
一方、僕はいま社長であってもヒリヒリしちゃうんですよ。社長になって、時間やお金の制約を受けながら自分もゲームを作っていると、「俺の判断で妥協すれば開発期間が短くなるじゃん」なんてことを思いがちなんです。
でも、そうならないようにがんばっている。それはたぶん、スーさんがチームに対して発していたオーラを覚えているから。
倉島氏:
またスーさんがヒマそうに見えるんですよ(笑)。でもあの余裕がよかったんだろうね。
工藤氏:
そう。現場の人だけになると、張り詰めちゃうじゃん。そこにちょっと引いた位置の人がフラッとやってきて、「がんばってよー」みたいに言って去っていく。そういうのが必要なのよ。
当時は現場の維持とか、お金とか、クライアントとの交渉とか、全部スーさんにお任せだったわけですよ。
そんなとき、スーさんが俺らに対して「お前らは心配するな。めんどくさいことは全部俺がやるから大丈夫だ」、「その代わり、お前らはプロなんだぞ」ということを言っていて、そこでプロとしての自覚が生まれた。
それまで「お前はプロなんだ」なんて言われたことがなかったから。スーさんに言われて、「ああ俺はプロなんだ。これで食っていかないとダメなんだ」って。
木村氏:
プロデューサー的な人が現場に近いほど、「この人はどんな成果を出してくれるのか?」などをシビアに見てしまう傾向があります。基本的には信じるよりも疑うものなんです。でもクオリティーはそうやっても上がるものだから、それは決して悪いことではなく、よくあることなんですね。
ところが当時のスーさんのフィーリングを思い出すと、完全に「ビリーブ」。「俺はお前のことを信じてる」ですもんね。信じてくれているテレパシーしか飛んでこない。
それはスーさんの美学にも見えて、こちらも襟を正さざるを得ないんだけど、でもいつもスーさんはどこか抜けている感じがしていたんです。だからスーさんに対して文句が出ちゃっていた。
でもいまから思うと、ほとんどがスーさんの保護の下だからやれていたんだって、47歳になって気づきました。
工藤氏:
いまでこそ社長業のたいへんさもわかるから抑えられるけど、でも当時は言いたい放題。「スーさん、俺、ここを作り込みたくなっちゃった。あと1ヵ月延期をお願いします」と言うと、スーさんはその1ヵ月ぶんの予算をがんばって取ってきてくれるわけですよ!
ラブデリックに集まった現場の人たちは、みんなゲームがヤバくなったら「将来はないな」という気持ちでいる一方で、若いから遊びたくなっちゃうわけよ。遊ぶんだけど、みんなその落とし前はつけてたつもりじゃん。でも本当の尻ぬぐいをしてくれていたのはスーさん。
木村氏:
いまもできるだけスーさんみたいにやわらかくいようと思ってるけどさ、自分も作業をしているとそうそうできないよね。……ヤバいな。いまの自分を構成しているものを分解していくと、スーさんと太郎ちゃんがいっぱい出てくる。
この気づきを26歳くらいの俺にテレパシーで伝えたいなあ。実際は難しかったわけだけど、「あのときのラブデリックが解散せずにずっといっしょにいてやっていたら」とふと思っちゃうよね。
「こんだけスーさんは優しかったんだよ? ボディーガードみたいに俺らを守っていてくれていたのに、みんなバラバラだよ?」って。
──……鈴木さんの偉大さが伝わりますね。
工藤氏:
それが全部吹き飛ぶような嫌な話もあるけどさ(笑)。
一同:
(爆笑)。
倉島氏:
社長業はたいへんだからね。……そういや祥ちゃんも痩せたなあ。
木村氏:
なんだ急に(笑)。仕事のしすぎで痩せたよ。まだExcelにデータを打っていたりするんだぜ。笑うわ。
倉島氏:
俺だって打ってるわ、ボケェ。
一同:
(笑)。
鈴木氏:
俺だって『moon』のマップのコリジョン(当たり判定)を全部打ち込んだよ。
工藤氏:
そうだよ!(笑)。
木村氏:
そんなスーさんに「ちょっとバグってますよ、スーさんとこ」なんて言ったりしてね(笑)。あのときは社長も社員もなかった。全員でゲームを作っていたんです。
ラブデリックとは「バンド」だった
──お話を伺う限り、こだわり、熱量、人間関係、葛藤、ゆりかごとしてのスーさん、とラブデリックは、まさに皆さんの青春だったんだろうと思います。何年かガッと集まって、奇跡のような作品を作り、その後それぞれの道を歩む。当時の経験は、いまの皆さんの生活やゲーム作りのなかでどう活きていますか?
安達氏:
工藤くんも言っていたけど、当時は個々のパートは個々人が責任を持つ、バンドをやっている感じだったんだよね。「気に入ったメンバーだからいいものができるのは当たり前」とずっと思っていました。
いまはみんな分業制になっているので、いまは個人としてはあまりそういう経験はしてないかなと淋しく思うところもあります。一体感を持ってやっているチームも当然いくらでもあるとは思いますけどね。
あと、ときおりニコニコ動画などに上がっている“『moon』やってみた”などの動画を観て、「こんな感じだったなー」と泣いていますよ。当時は、いまのようなフィードバックはなかったので、売り上げ本数はわかっても、誰がどんなふうに楽しんでくれているのかはわかりませんからね。
昔作ったものが動画になって、それに好意的なコメントがついているのを読むと、20年経っても「ああ、「いい」と思ってくれてる人がいたんだ。ホントによかったんだ」っていまになって実感しますよね。
──作り手の方にそう言っていただけると実況している方もうれしいですね。谷口さんはいかがでしょう?
谷口氏:
僕はコナミとラブデリックの差を考えていたんですが、コナミの仕事に対する生真面目さに対して、ラブデリックはかなりコミカルなんですよね。おもしろいものをどんどん自分たちで作り出していこうという姿勢だとか、それをさらにどうおもしろくしようかとか。
それをコナミでもやりたいと思っていたけど、組織として大きすぎてやれる場があまりなかった。ラブデリックでは、それを思い切りできる感触が得られたのが自分にとって大きくて、その余韻がいまもずっと残っているんですね。
──サウンドで言うおもしろさとは?
谷口氏:
どうやったらおもしろい音になるかを考えたり、それをプランナーと本気でディスカッションしたりですね。それがあれ以来、ずっと続いています。いまでも、プランナーにそういう気配がないと、こちらからわざと本気でぶつかっていくんですよ。
最初はうっとおしがられるんですけど(笑)、人によっては乗っかってきてくれるんですよね。そういうやりかたは、あのとき得たものだと思います。
──工藤さんは……ラブデリック前後で変わったことなどあるんでしょうか。
工藤氏:
変わった変わらないではないけど、あのとき得たのは、やっぱり「作り手が楽しんで作らなきゃ」ってことに尽きるんじゃないですかね。当時は「こんなに好き勝手をやってお金がもらえるって、なんて幸せなんだろう」と。
そういう時期をあの場で過ごせたというのがいちばん大きかったと思います。いまはお金のためにやらなければいけないことや、自分の趣味ひとつをゲームに反映するにもお金を考えなきゃいけないとか、「好き」と「仕事」がうまくリンクしないことも多いじゃないですか。
木村氏:
何を言ってんだ。それができていたのは工藤太郎だけがあの場で本当の天才だったからかもしれないよ?
工藤氏:
おいおい。いまいい感じで締めようとしてたのに。
木村氏:
あの場は仕事じゃなかったなんて言うが、あんたの行動には「仕事とは何か」みたいな問いが基本的にあって、あの瞬間のあんたがいろいろなものに強い影響を与えているんだって。
あの「場」を作ったのは工藤太郎で、「ゲーム作りはバンドみたいにやればいい」って言ったのはあんたで。俺はたぶんこれから太郎ちゃんみたいな人に出会うことはないんだよ。俺にとってラブデリックはそのくらい貴重な時間だったんだ。
倉島氏:
それはそうだね。
工藤氏:
じゃあ……伝説になっとくか、俺(笑)。ゲームはやって楽しむものなので、「作り手だって楽しんでいるのがいちばんだなー」ということを、いまあらためて思うし、あのころはそれができてよかった。いまはしがらみとかさ、いい歳だから管理職がどうのこうのとかさ。
木村氏:
おかしいよ。なんでそんなに真面目になっちゃったの……。あんとき太郎ちゃんから俺らが教わったことと、いま言っていることが違う!
工藤氏:
めんどくせーなー!(笑) そういうものを貫けたラブデリック時代はいい時代だったなって、いましみじみ思うという話です、ハイ。
──その木村さんにとってのラブデリック、いろいろありそうですが。
木村氏:
……僕は20歳前半のとき「旅をしてそのうち人生が終わる。結婚もしないだろうし、生きているうちに仲間を集めたりもしない」と思っていたんです。
でも、ラブデリックというチームでゲームを作ることに対して少し快感を覚えた。それぞれ好き勝手に動いても大丈夫、バンドみたいにそれぞれが役割を持って働けば大丈夫というのを味わっちゃう。だからそのあとにその幻想を追うことになる。
──以降はそうなれなかった?
木村氏:
『UFO』への文句になるけど、『UFO』のとき、もうそれはないんです。太郎ちゃんも厳しくならざるを得ず、それぞれが好き勝手すればいいという状態にはならなかった。あげく僕は倒れて、太郎ちゃんが苦労してやり終えるしかなかった。
そのあとも、たとえば『L.O.L.』を完成させるときも、けっこう血みどろで。それぞれが自由にやるというよりは何かしらのコンセプトがあって、それに対して作業するという感じ。
でも、僕は『moon』の「こんなゲームの作りかたあるんだ!?」というのをいまでも追い求めてるわけ。もちろんそのあとで「3Dゲームを作るんだったらコンテをちゃんと作らないと」とか、「ちゃんと仕様をまとめないとゲームのクオリティーは上がらない」とかいろいろ学んだにもかかわらず。
──それがいまのOnion Gamesにも繋がっている。
木村氏:
僕の自由、倉島さんの自由、Onion Gamesの人たちの自由のバランス取りと格闘しながらゲームを作ってみようと考えたのが『Million Onion Hotel』だったり『勇者ヤマダくん』だったりなわけで。ラブデリックは懐かしむための何かではなく、心の中に、細胞の中に残っているんだよ。
あのときの社長としてのスーさんの動きかたやプロデューサーとしての西さんの動きかたはいつ思い出しても勉強になるし、太郎ちゃんのゲームに対するまっすぐなあの瞬間は思い出さざるを得ない。
そのバランスを取りたいんだけど、俺はいま四苦八苦している。でも、その抗いはムダじゃないことを今日は話したいんです。
工藤氏:
いやだから、ホントよろしくお願いしますって思っているよ。祥ちゃんがいまだにラブデリックイズムみたいなものを倉ちゃんといっしょに残してくれていてさ。ね。
未来は今、「今」となる
──お話も尽きませんが、お酒もほどよく回り、そろそろ時間となりました。最後に、「コレだけは言っておきたい」など、残しておきたい言葉がもしあれば……。
木村氏:
んー、ともかく太郎ちゃんがいちばん才能があって、スーさんが2番目にすごい人。ラブデリックはそうだった。
工藤氏:
いや、いま京都で仕事をしているけど、ビットサミット【※】に行くと若い子たちが盛り上がるんですよ。
インディーゲームの祭典BitSummit 2017で目撃したゲーム文化の現在地——すでに「日本/外国」という区別が無効に!?
※ビットサミット
京都で開催されるインディーゲームイベント。2013年より毎年開催され、2017年5月には過去最大規模となる第5回が開催された。
そこで、「工藤さん、こんど『moon』を作った人たちが来るらしいんですけど、ラブデリックってお知り合いなんですよね?」って言われるんだよ?
鈴木氏:
言えばいいじゃん。俺が『moon』を作ったんだって。3人ディレクターがいたけど、強いて誰が軸かと言えば、西や祥ちゃんには悪いけど、僕は工藤だと思ってるから。
それに、たぶんあのメンバーの中で世界的にゲームいちばん売っているのは工藤でしょ? 1000万本くらいトータルで売っているだろ。
木村氏:
いやそれでいいです。太郎ちゃんなくして『moon』は存在しないし、「あのとき工藤太郎からいろいろ学んだ俺」が話していることは工藤太郎が話していることと同じ。お前が教祖で俺が信者。
工藤氏:
なんだそれ(笑)。いや、俺はいまの現場では、ただ週に2、3日、東京から来るめんどくさいおじさんなの。いまがんばってる人たちに自分から進んで自分の経歴は言っていないですよ。バンプールを辞めた瞬間から若干世捨て人になってるので。
倉島氏:
もうめんどくさい! めんどくさい! あんたは! もーーーー!(酔)
木村氏:
自分で「自分が『moon』を作ったと言うのはキライ」と言うくせに、西さんでも俺でも、ほかの誰かが言うとちょっと嫌がったりするでしょ?
いっしょに働かないと太郎ちゃんの才能なんてわからないのに、それ以外には本人が卑下して言わないし、それ以上にやさぐれているし。じつはそれってすごく問題なわけよ。
工藤氏:
嫌がってるったって、いっしょに飲んだときに言う程度じゃん。
倉島氏:
おい、おい、おい! コラ! 工藤! どれだけオメェのことを考えて言っていると思ってんだ!(酔)
木村氏:
そう、あと記事として最終的にひと言書いてほしいのは、「未来は今、今となる」というスーさんの言葉。
──冒頭に出ていた言葉ですね。これは?
工藤氏:
うん! これはラブデリック創業時からずっとスーさんが言い続けていた言葉なんです。
鈴木氏:
いい言葉でしょ?
──未来と思っていたことが、いまを生きることでいまの話となる、という感じでしょうか。
木村氏:
実際に自分たちがイメージした未来が、その後「今」となって現れてくるという体験は何度もしているし。このスーさんのひと言が、どれだけ俺たちを救っているかというのをけっこう感じる。
鈴木氏:
けっきょく生きているのは「今」ですから。いまぐずぐずと悩んでいれば、そういう未来が来るし、悩みを吹っ切って明るくなれれば、そっちにつながるし。いまできることは気持ちを切り替えるくらいしかないじゃないですか。
いまの瞬間にできるのはそんなちょっとしたこと、気持ちを切り替えることしかできない。だったらネガティブになるなよっていう。
──まとめとしてこの上ない名言ですね。
倉島氏:
でしょーっ。
工藤氏:
今日最初に着席したときに言ったと思いますけど、「未来は今、今となる」。この言葉がホントに、いまだに残っている。いまだに残っているのはこれだけだよな。
木村氏:
スーさんチャイルドなの、俺ら。
工藤氏:
あんまり言うとウソくさくなる。
一同:
(爆笑)。(了)
その後、西氏はSKIPを経て自身の会社Route24を立ち上げ、工藤氏はバンプールから独立して京都で後進をまとめる仕事に就き、木村氏はパンチラインを経て、倉島氏とOnion Gamesを始めている。
3人が、いや倉島氏、谷口氏、安達氏、上田氏、そして鈴木氏や携わった誰もが、触発し合って目もくらむばかりの輝きを放っていたエルドラド。それがラブデリックであって、誰もがその輝きの意味を反芻しながら、デベロッパーの理想のありかたを追って現在も活動を続けている。
ビートルズの解散後にジョンは撃たれ、QUEENもフレディの死によってもう二度と新譜が作られることはなくなってしまった。同様にラブデリックの新作が出ることはもうないのだけれど、人が集まるとはそういうことだし、それは決して悲しむべきことではない。
当時から見て「今」となった未来のゲーム、すなわち彼らがいまそれぞれに作っているゲームの中には、ラブデリックで培われた態度や思いのようなものが間違いなく息づいており、それらがいつでも僕らをあのときの未来に誘ってくれているわけだから。
ただ、いまを忙しく生きているとちょっと感傷にひたりたくなるときもあって、そういうときに『moon』は思い起こされ、語られ続ける。そしてあのエンディングで僕らは諭され、立ち止まっていた背中をそっと押され、再び現実を歩き始めるのだ。またつぎの未来を「今」にするため。『KERA-MA-GO』の陽気な曲とともに。
※話中にも登場した、木村氏率いるOnion Gamesの新作『Million Onion Hotel』が10月16日からiOSにて公開されている。詳細は上記のページから確認できる。しっかりとラブデリックの魂が込められた作品だ。
【プレゼントのお知らせ1】
ラブデリックメンバーによる直筆サイン&イラスト入り色紙 or パンフレットをプレゼント!
色紙は抽選で3名様に、パンフレットは5名様にプレゼントいたします。尚、パンフレットのイラストですが、座談会当日、倉島画伯がアルコールでちょっぴり上機嫌になってしまい、滲みのある個体がございます。あらかじめご了承くださいませ。
詳しい応募方法は電ファミニコゲーマーの公式Twitter(@denfaminicogame)をご覧ください。ご応募お待ちしております!
【プレゼントのお知らせ2】
……そしてなんと今回、工藤太郎氏の粋な計らいで、大変に貴重な『moon』と『UFO』の当時のグッズを「ぜひ読者の皆様に」とご提供いただける運びとなりました!
プレゼントの詳細は以下のリストの通り。これらが編集部に届いた際には、また後日改めて電ファミの公式Twitter(@denfaminicogame)にてアナウンスさせていただきますので、お楽しみに!
『moon』コース
抽選で8名様に、下記8点の中からランダムに1点プレゼント!
・『moon』新品ソフト(プレイステーションtheベスト版)……1名
・『moon』リストウォッチ……3名
・『moon』つきかるた……3名
・『moon』電波サル ライト付きキーホルダー……1名
『UFO』コース
抽選で34名様に、下記34点の中からランダムに1点プレゼント!
・『UFO』キーチェーン付きぬいぐるみ……15名
・『UFO』マスコット人形……10名
・『UFO』アスキーコレクション販促用バンダナ……3名
・『UFO』携帯ストラップ……2名
・『UFO』カードケース……2名
・『UFO』タトゥーシール……2名
【あわせて読みたい】
ニーア、ペルソナ等の人気ゲーム開発者が激論! 国内ゲーム産業を支える40代クリエイターの苦悩とは【SIE外山圭一郎×アトラス橋野桂×スクエニ藤澤仁×ヨコオタロウ】
電ファミでは、こんな座組みの座談会を収録した記事も掲載中です。4人のクリエイターが抱える“第二世代”ならではの悩みとは?