『セガ vs. 任天堂』
『スペースインベーダーを創った男 西角友宏に聞く』
『POWER+UP──米国オタクゲーマーの記したニッポンTVゲーム興隆の軌跡』
『知られざる日本のゲーム開発者の歴史』【※】
これらはゲームに関する書籍のタイトルだが、著者はいずれも外国人である。
彼らのような“日本のゲーム業界事情”を海外に伝えるジャーナリストやライターは、2000年代に入ってから徐々に増えてきているという。
その中でも上記4書の著者は、とりわけ骨太のテーマをもって研究を続け、書物にまとめ上げた方たち。
海外のゲームジャーナリストの中でも、名の知れた面々といえるだろう。
ゲーム業界に一家言を持つ彼らは、「日本のゲーム業界」をどのように見ているのだろうか?
このシンプルな質問は、日本のゲームファンにとってかなり興味深いところだろう。
電ファミ編集部は、著者4名に「執筆しようとしたきっかけ、日本のゲーム業界について感じること」などについてアンケートを実施。
集まった生の声から、彼らのパーソナリティや著書のコンセプトを明らかにしつつ、海外のジャーナリストは「日本のゲーム業界」をどのように分析しているかを紐解いていきたい。
果たして日本のゲーム業界は、海外ではどのような立ち位置なのか?
※原題は『The Untold History of Japanese Game Developers』
証言1:日本の貢献がなければ、今のビデオゲーム業界はなかっただろう(Brake J.Harris)
Blake J. Harris(ブレイク J. ハリス)氏
ニューヨーク在住の作家・映像ディレクター。ジョージタウン大学卒業。
時は1990年、任天堂が獲得していたアメリカ市場のほとんどをセガが奪い取っていく軌跡を綴った『Console Wars(ゲーム機戦争)』は、ニューヨーク在住の作家が、ささいな出来事をきっかけに著したノンフィクションだ。
2014年に発売された本書は、「NPR(全米公共ラジオ放送)」、「パブリッシャーズ・ウィークリー」ほか各種メディアで年間ベストブックに選ばれるなど海外で高い評価を得ており、ソニー・ピクチャーズによる映画化が決定したというニュースも伝えられている。
日本語版は『セガ vs. 任天堂──ゲームの未来を変えた覇権戦争』(早川書房刊)というタイトルで、上下巻が発売中(Kindle版あり)。
──本書執筆のきっかけは?
この本は私の処女作であり、突然思い浮かんできました。
2010年の後半に誕生日プレゼントで弟がセガ ジェネシス(アメリカ版のメガドライブ)を買ってくれたのです。それは、子ども時代によく遊んでいたゲーム機と同じものでした。
年を重ね、再びコントローラーを握ったとき、懐かしい思い出が沸いてきました。そうして私はこう考え始めました──「セガはどうなったの?」、「任天堂と今までどうやってやりあってきたのだろう?」、「その裏で何があったのか?」。
次々に浮かんでくる質問の答えを探すために、書籍で調べようと思いました。ですが、そういう本は一切存在しませんでした。
そこで私は、疑問を解消するために、昔セガや任天堂で勤めていた方々に連絡を取りはじめたのですが、予想以上の回答が戻ってきました。それらの回答を基に、『Console Wars(セガ vs. 任天堂)』を執筆したのです。
──執筆のために研究していた際、一番驚いた発見とは?
これは皆さんにとって驚く話ではないかもしれませんが、セガも任天堂も元社員全員が「働いていた時代が、一番豊かな時期でした」とおっしゃっていました。
そのときのことを思い出すと非常に刺激され、今でもさまざまなものに挑戦ができる。とても素晴らしい経験だったと述べていました。
──本を出版する際、日本のゲーム業界に対して思ったことは?
特に子どもの頃に遊んだゲームを思い出すと、日本のゲーム業界を高く評価している自分がいました。
ですが、正直に言うと日本の業界についてはあまり詳しく知らなかったんです。一般的なゲーマーは、本やドキュメンタリーを通してゲーム業界について(もちろん日本の業界を含む)深く知ろうとする人は多いですが、そのような材料は限られています。
『セガ vs. 任天堂』の成功で、これまで以上に似たような作品が増えるとうれしいです。この書籍発売を機に、メーカーはゲームライターやゲームファンたちと話すようになれたらいいなと思います。
──本著では、セガのアメリカ支社でCEOを務めていたトーマス・カリンスキ氏が主人公として位置付けられ、ついには日本の本社の救世主として描かれています。
誤解を恐れずに言えば、当時の日本側関係者のイメージに悪影響を及ぼしうるような内容となりますが、日本での出版に関して心配されていませんでしたか?
とても良い質問をしてくれますね! 私自身、日本語版を出す前に、この本がセガの従業員の気を損ねることを心配していたんです。でも、長い時間が過ぎ去ったおかげで、過去の出来事に関係していた人は、当時の状況を別の視点から見るようになっていらっしゃいました。
苦心して作ったこの一冊は、皆さんにリスペクトしてもらっているのでは、と思っています(というか、思いたいです)。
──著作『セガ vs. 任天堂』に関する最新情報は?
残念ながら現時点ではアップデートなどはありません。後ほど入ってくると思いますが、今はその情報をお伝えすることはできません。その代わりといってはなんですが、日本のゲームファンのために、特別なお話をしましょう。
数年前、この本が出版された直後に元セガ・オブ・アメリカ副社長の豊田信夫氏と、任天堂の執行役員との晩餐会があったそうですが、任天堂の彼らは「豊田さんのチームの実績についての著述が、とても勉強になった」とおっしゃっていたそうです。
──ゲーム史において日本のゲーム業界は、どのような位置付けだと思いますか?
CNNのインタビューでも、これについて少しお話ししましたが、「日本の貢献がなければ、今のビデオゲーム業界はないだろう」と思っています。
ソニーと任天堂をはじめ、日本には最強のゲーム開発者が無数に存在しています。ゲームに関して日本は世界一であると言っても過言ではありません。これから先も楽しみにしています。
──これまでの人生で、“日本”および“日本のゲーム”とはどのような関わりが?
セガのゲームについて深く知りたかったので、2012年に開発者のインタビューを行うために日本に初めて行きました。私はあまり旅はしないタイプですが、日本はとっても好きです。個性を持つ国だと思います。
私のお気に入りのゲームには、日本人の開発チームによって作られたものが多いです。次々にクオリティの高いものを提供してくれる日本の開発者を尊敬しています。
──子どもの頃によく遊んだ日本のゲームはありますか?
家に8ビットのNES(海外版のファミコン)が置いてあったので、任天堂のクラシックゲームをよく遊んでいました。『ゼルダの伝説』や『スーパーマリオブラザーズ』、特に『スーパーマリオブラザーズ3』が一番印象に残っています。
そのほかに『バブルボブル』と『魂斗羅』が好きです。基本的にタイトー、コナミ、カプコンが出すタイトルが大好きです。
──日本のゲームで「不思議だな」、「理解が難しいな」と思った作品はありますか?
英語版の『スーパーマリオブラザーズ2』ですね(冗談ですよ!)。
証言2:ゲームの歴史には、まだまだ隠れたエピソードがたくさん詰まっているから、じつに興味深い(Florent Gorges)
Florent Gorges(フロラン・ゴルジュ)氏
フランス出版社「Omake Books」社長。日本の滞在歴7年の日本のゲーム文化研究家である。
ゲーム情報誌の編集者や漫画の翻訳などを数多く手がけながら、このたび2018年2月23日に『スペースインベーダーを創った男 西角友宏に聞く』(徳間書店刊)を上梓。
日本では、月刊『ニンテンドードリーム』誌上にてコラムを連載中。
──本書執筆のきっかけは?
20年前ほど前から日本のゲーム文化について研究をはじめ、その成果を本にしたいと思っていました。
まずはフランス国内の出版社に企画を持ち込んだのですが、「ゲーマーは本など読まないものだ」と断られてしまいました。「それならば自分が」とゲーム文化を専門に扱う出版社を立ち上げることにしたのです。2007年のことです。
それから数多くの本を出版してきました。しかし、一番やりたかったのは、ビデオゲームの歴史に多大な貢献をしたゲームクリエイターの方々の証言や経験を記録し、世界に広めることです。そして、天野喜孝氏、SUDA51(須田剛一)氏、岸本良久氏(『熱血硬派くにおくん』、『ダブルドラゴン』などの開発を手がける)、横井軍平氏、高橋名人といった方々の公式バイオグラフィーを出版しました。
読者からの喜びの声を聞き、「売れる・売れない」にかかわらず、こうしたものを形に残すことの大切さを実感しました。
その流れで、西角友宏氏というゲームクリエイターのパイオニア的存在に出会うことができたのもうれしいことです。
──執筆のために研究していた際、一番驚いた発見は?
たくさんありますよ! 『くにおくん』シリーズの生みの親、岸本良久氏へのインタビューで『熱血硬派くにおくん』の内容が、彼の実体験を元に作ったものだと知ったときや、西角友宏氏から「妻が、『スペースインベーダー』の産みの親が私だということを知ったのは10年以上も経ってからでした。それも新聞で初めて知ったんです」と驚くような話をしてくれたことなど!
ゲームの歴史がじつに興味深いのは、そういう隠れたエピソードがたくさん詰まっているからだと思います。
──ゲーム史において日本のゲーム業界は、どのような位置付けだと思いますか?
80~90年代においては、間違いなく日本製のゲームが飛び抜けて優れていて、世界中のパブリッシャーやユーザーの憧れ、理想的な存在であったと思います。
その後、世界中のクリエイターが日本のゲームの面白さを研究し、開発に力を入れてきました。プレイステーション3の登場で、ヨーロッパやアメリカのスタジオがやっと日本に追いついたと思います。
そうした流れから、現在の日本製のゲームは昔ほど世界に特別視されなくなったと思います。しかし、アメリカやヨーロッパ製のゲームにはない魅力というものがまだまだ残っているので、それを失わなければこれからも愛され続けていくと思います。
──これまでの人生で、“日本”および“日本のゲーム”とはどのような関わりが?
1997年に留学のために初来日し、名古屋近辺の高校に1年間通いました。
何がきっかけになったかは覚えていませんが、幼い頃から日本という“国”、“文化”に興味があり、日本の“ゲーム”もその興味の対象のひとつでした。
初めて“日本”のゲームを強く意識したのが、PCエンジンが登場したときでした。その高いグラフィックの性能に、自分の持っているNESがお粗末なものに見えてきました。
PCエンジンを手に入れたいと思いはじめたのですが、PCエンジンのソフトはすべて輸入品でローカライズされていなかったので、画面に表示される日本語はまったく読めず……。画面上の日本語を見ていると日本への想いが募り、「もっと日本語を学びたい!」とよく思ったものです。
──子どもの頃によく遊んだ日本のゲームはありますか?
多すぎて答えきれません! 僕は日本のゲームで育ったようなものですから。
ゲームとの出会いは、友人が持っていたアメリカ製のゲーム機のATARI 2600でしたが、遊んでみて夢中になったのは日本製の『スペースインベーダー』と『パックマン』の移植版でした。ほかには、家の近くにあったゲームセンターで、ほぼリアルタイムで日本の名作ゲームを楽しみました。
据え置き機でいうと、好きなジャンルはアクション・アドベンチャーゲームでした。『ゼルダの伝説』と、“買わなきゃハドソン!”のハドソンが出したPCエンジン『ニュートピアII』には没頭しましたよ。
──日本のゲームで「不思議だな」、「理解しづらいな」と思った作品はありますか?
一番クレイジーだと思ったのが、数年前に偶然出会ったファミコンソフト『マインドシーカー』(ナムコ)です。「このゲームを長く遊べば超能力者になれる」という謎のゲーム内容です。「このような練習をすれば超能力が身につく」とか「さあ、このカードの裏を当ててみろ!」 という、どう考えても詐欺としか思えない作品です(笑)。
子どもに夢を売ろうとしたのかもしれませんが、今思えばナムコ(当時)がよくこのような作品を販売したものだと思います(笑)。
証言3:今、日本のゲーム業界は国際化されて復活し、世界を展望して立ち上がろうとしている(Chris Kohler)
Chris Kohler(クリス・コーラー)氏
20年以上の経験を持つゲームジャーナリスト。2005年に『WIRED』のゲーム部を立ち上げ、2017年まで編集者として務める。現在は『KOTAKU』で連載中。2004年に先にアメリカで発売された『Power-Up: How Japanese Video Games Gave the World an Extra Life』は画期的な作品になり、あとからゲーム業界を研究した人に刺激を与えた。
日本語版は『POWER+UP──米国オタクゲーマーの記したニッポンTVゲーム興隆の軌跡』(コンピュータエージ社刊)として、2005年に発売された。
──本書執筆のきっかけは?
著書『Power+Up』は、大学を卒業したばかりのときに書き上げました。
私は大学時代、日本の文化の研究に莫大な時間を費やしていました。
「日本は視覚文化の分野で随時進化を続けている」と考察し、ゲームにもその文化が反映されていると分析したのです。実際、それは当たり前のようになってきましたよね。
西洋でいう「物語」は、日本において「絵による表現」として入れ替えることができると考えていますが、そのうえで本当にビデオゲームを理解するには、アニメ、漫画、劇画、そして浮世絵まで注目するのが大事であると思っています。
という、シンプルな考察からスタートしましたが、その頃の世の中のゲームに関する研究は、初歩的な段階でした。2004年時点では、ゲームを題材にしていた本はそれほど多くはなかったのです。
私はすべてを熟読した上で、「ゲームについて論ずるには、どのような研究をすべきか」という課題に、自身がこの分野に貢献できる方法があるとしたら……それは「本を書くことしかなかった」というわけです。
──執筆のために研究していた際、一番驚いた発見は?
2002年に宮本茂さんを初めてインタビューしたときは、とてもすばらしい経験でした。ストーリー、キャラクター、世界観作りについてお話を伺おうとしたけれど、すぐさま私をさえぎり、「仕事は人間工学です」とおっしゃいました。
あわててポケット翻訳機を使い、意味を調べても「???」と、さっぱりわからず……。
でも、宮本さんは「機械と人間との関係に適合されたインタラクティブの体験を創造すること」だと説明してくれたおかげで、すぐにピンときましたね。
──ジャーナリストとして長年日本がらみの仕事をしてきたと思いますが、自分が作ったゲームが海外でヒットしたことを知らなかったクリエイターに会いました?
取材した当時は、インターネットでの交流はそんなに行われていない2000年代初頭だったから、そういうパターンが多かったですね。ちなみに、外国のメディアで堀井雄二氏に取材したのは、私が3人目でしたよ。
【堀井雄二インタビュー】「勇者とは、諦めない人」――ドラクエが挑んだ日本人への“RPG普及大作戦”。生みの親が語る歴代シリーズ制作秘話、そして新作成功のヒミツ
──本を出版する際、日本のゲーム業界に対して思ったことは?
当時、日本のゲーム産業は全世界を支配していました。本の最終章に、「この状態はいつまで続くのだろう。このバブルは、いつはじけるのだろう」と自問しましたが、ご存じのとおり本が出版されて間もなく、日本のゲームが世界で通用しなくなる時代──私は「日本ゲーム業界ショック」と呼んでいますが──に突入しました。
これは、「日本だけのせい」というわけではないと思います。というのも、当時、Xboxの戦略は世界のゲーム産業で日本が果たしていた役割を邪魔するような動きをはじめていましたし、アメリカで大ヒットPCゲームを送り出していたパブリッシャーたちが、家庭用に移行した頃だったからです。その間、開発用のツールは海外で製作されていたゆえ、日本はHDタイトルの開発が困難でした。
結果、あのときまでゲームは日本国内の資源で成り立っていた産業だったけれど、真の“国際化”への変化が余儀なくされたのです。
──今後、日本のゲーム業界はどう進化していくと思いますか?
「失われた10年」といえるほど月日が経ち、生き延びることができなかった会社もあったかと思いますが、日本のゲーム業界は悲惨な状況下にありながらも変化を遂げました。そして今、日本のゲーム産業が国際化されて復活し、世界を展望して立ち上がろうとしています。
以前のように世界を左右しているわけじゃないけれど、大ヒットタイトルを生み出して成功を収めているし、どんどん目立っています。
次に、どんなタイトルを提供してくれるか、すごく楽しみにしています。
──これまでの人生で、“日本”および“日本のゲーム”とはどのような関わりがありましたか?
子どもの頃、私が好きだったゲームは“すべて日本から来ている”ことに、気づきました。90年代半ば、お店に並び始めた漫画の翻訳版とゲームには、ビジュアル的に共通点があるとわかって、今では珍しくない「日本大好き!」少年に変わりはじめたんです。それから言語を学び、留学し、『Power+Up』を書くことになりました。
今はゲームについての執筆も幅広いものになりましたが、そのほぼすべては“日本をより理解して築いた土台”の上で成り立っているのがうれしいですね。
──日本のゲームで「不思議だな」、「理解しづらいな」と思った作品はありますか?
「不思議」って価値観によりますね。日本に長い間いたので「不思議」という印象を与えられるゲームはほぼないですね。
そのアイデアの根源がわかりますから。海外では一般的にタイトーの『超・ちゃぶ台返し!』のようなゲームが不思議と思うだろうけれど、日本のゲーセンという環境でやると「筋が通っているのかな」と思います。
証言4:黄金時代のゲーム開発者にインタビューする時間は“もう限られている”(John Szczepaniak)
John Szczepaniak(ジョン・シュチュパニアック)氏
イギリス在住のライター、ゲーム専門のフリーのジャーナリスト。『Retro Gamer』、『gamesTM』、『Game Developer Magazine』など、20を超えるアメリカおよびイギリスの雑誌・ゲームサイトに記事を掲載。特にゲームの歴史に関わる記事を多く手がける。
執筆期間が5年におよぶ、ゲーム史を題材とした著書『The Untold History of Japanese Game Developers(知られざる日本のゲーム開発者の歴史)』は2巻までリリースされているが、このほど3巻目がついに2018年2月22日に発売、完結を迎えた。
──本書執筆のきっかけは?
『The Untold History of Japanese Game Developers』のプロジェクトをはじめた理由は2つあります。そのひとつは、以前に読んだ太田出版の『ファミリーコンピュータ 1983-1994』に載っていたインタビューの正直さに感動したことです。
これに似たような本を探そうとしましたが、ほかには見つかりませんでした。日本の開発者の英字インタビューは数少ない上、発表されているとしても、その多くは広報部などに検閲されているんですよね……。
ほかには、Tim Schafer氏(『モンキーアイランド』など、数多くの名作アドベンチャーゲームを生んだ伝説の開発者)が、ゲーム開発のキックスターターで3億円を稼いだこと。
このふたつのことで、執筆する自信がついたのです。
──執筆のために研究している際、一番驚いた発見は?
たくさんあります。でも一番驚いたのは、日本の開発者は「海外で自分のゲームに人気があることを知らない」ことです。とても悲しい話だと思います。
日本人の開発者は、四六時中オフィスにいるイメージが強いです。何ヵ月も家に帰らずに働いているケースは少なくないです。会社のために苦労することが当然だと思われています。それに対して、西洋人はすぐ声を上げ、労働組合を結成したりします。業界で働く人間は、ロシア革命のときに流行ったボリシェヴィキの思想的な教育を受けても良いんじゃないかなと思います。
──日本の開発者は海外で自分のゲームに人気があることを知らないことについて、具体的な例を教えてもらえますか。
『ソロモンの鍵』のクリエイターである鶴田道孝さんに、ZX Spectrum(イギリスのシクレア・リサーチ社が1982年に発売したホームコンピュータ)版『ソロモンの鍵』を1本買ってプレゼントしました。
渡したとき、彼は泣きそうになったんです。日本であまり成功しなかった自分のゲームで、ヨーロッパの子どもたちが遊んでいることに感動したんですね。
『ピットマン』を手がけた磯川 豊氏は、私ともうひとりのジャーナリストから連絡が来たことに驚いていました。彼に会う際、彼が失くした昔の雑誌のコピーを持参したことにもビックリしていました。この動画でご確認いただけるかと思います。
四井浩一氏に、海外のホームコンピュータ3機種の移植版『ストライダー飛竜』【※】を紹介したら、とても驚いていました。
※ZX Spectrum版、Commodore 64(アメリカのコモドール社が1982年に発売したホームコンピュータ)版、Amstrad CPC(イギリスのアムストラッド社が1984年に発売したホームコンピュータ)版の『ストライダー飛竜』。
ほとんどの日本ファルコムのスタッフは、社内で開発されたゲーム(『イース』シリーズ、『ぽっぷるメイル』など)が海外で遊ばれていることを知らなかったようです。
それはなぜかというと、社内でPC版を製作した後は、そのゲームを別の会社に任せてSNES(海外版のスーパーファミコン)やメガCDなど家庭用版に移植し、ヨーロッパとアメリカに届けてもらうからです。
メガCDの『LUNAR エターナルブルー』のモンスターグラフィックデザイナー横田幸次氏は、アメリカにファンがいることに驚いていました。
MSX、MSX2とセガ マスターシステムで出ている『魔王ゴルベリアス』のクリエイター・藤島 聡氏は、自分の作品がヨーロッパで人気を得たことに気づいていなかったようです。
今は知っているようだけれど、林田浩太郎氏は『アレックスキッド』が出た当時、ヨーロッパで人気だったことを知らなかったそうです。
セガは『アレックスキッド』のマスターシステムをヨーロッパでもっと強く推すべきだったと言っていました。あのときに続編を出すべきだったと。
アーケードゲーム『忍-Shinobi-』のクリエイターは、私が英国から日本へインタビューに伺ったとき、開口一番、「インタビューの依頼が来たとき驚きました。なぜ私たちをインタビューしたいと思ったんですか?」と話していました。
……と、このような例なら延々と挙げられますが、そろそろ読者(と自分も!)が疲れるでしょうから、この辺で。
──本を出版する際、日本の業界に対して思ったことは?
ちょっと複雑な答えになりますが……。2013年に、このプロジェクトを開始した頃、日本のゲーム業界は最強でした。ですが、西洋のメディアは「衰えている」というイメージを流行らせていました。
そこで私は、そんな日本のゲーム業界にまとわりつくデマを払拭したいと考えました。
これは、本著第2巻の「Debunking the Downfall Myth」(日本のゲーム業界終了のデマを証明する)という章で詳しく説明していますが、そこに最高の日本のゲーム(PS3、X360、Wii、ニンテンドーDSとPSP)108本をリストアップしています。たとえば『戦場のヴァルキュリア』のような名作を生んだ国の業界が劣っているとは、とても言えません。
悲しいことに、日本の開発者は海外メディアの言葉を気にしすぎて、ゲームを西洋のマーケットに合わせようとしています。その結果、面白くない作品が増えてきたように感じています。
私は、日本人向けに作られたゲームが一番だと思います。西洋のメディアの悪い点は、ベテランのジャーナリストの代わりに血気盛んな新米がこの業界で増えてきており、業界の問題点より社会の政治的な風潮に気をかけ過ぎているところです。
ひとつの例を挙げると、アメリカ人のジャーナリストのひとりが、神谷盛治氏のTwitterやほかのSNS上で批判を書き込んでいました。その理由とは「ヴァニラウェアが作ったゲームのメインキャラに、グラマーな美女がいるから」でした。ありえない話じゃないですか?
ほかにもありえない話があります。某メーカーの上層部の方とお話ししたとき、「あるハードメーカーが、自社のハードの売り上げがプレイステーション3のそれを上回るようにと、わざと日本のゲーム業界を貶めようとしている」──そんな陰謀があると彼は言っていました。
彼によると「これはメディアと連携したゲリラマーケティングキャンペーンの結果」だそうです。いち個人の意見ではあるけれど、彼は間違っていないと思うので、我々ゲームジャーナリストは、このような証言を追って証拠をかき集め、真実を明かすべきである! と思っています。
──今後、日本のゲーム業界はどう進化していくと思いますか?
日本のゲームの裏歴史に隠された、開発者の秘話3部作のプロジェクトを始めてから5年経ちました。この5年間、本の制作に集中していたため、ゲームを遊ぶことやニュースを読む時間がありませんでした。
ですので正直、日本のゲーム業界ひいては一般的なゲーム業界の現状についてわかりません。
作家というのは、とても孤独な職業です。私は第3巻目を脱稿してから現世界に戻ったところ、ドナルド・トランプ氏がアメリカの大統領になっており、英国はEUから抜けていて、任天堂がアプリを出すようになっていました。
「いったい何があったのだ!?」としか言えません。“今”をわかっていない私には、未来に何が起きるかは予測できないのです。
──これまでの人生で、“日本”および“日本のゲーム”とはどのような関わりがありましたか?
日本語はGCSE(General Certificate of Secondary Education/イングランド、ウェールズ、北アイルランドで義務教育を修了するときに受験する制度)のテストのために勉強しました。その上、2回来日した経験があるので、日本文化に少し馴染みがあったんです。
日本のゲームはずっと好きで、ジャーナリストとして日本が出している作品を長年応援してきました。
初めて遊んだ日本のゲームは、ゲームセンターにおいてある『パックマン』でしたね。
──子どもの頃によく遊んだ日本のゲームはありますか?
南アフリカで育ったので、NESの代わりに日本のファミコン(詳しく言うと香港からヨハネスブルクに密売されたもの)を家に置いていました。
友だちとゲームを交換しながら遊んできたゲームの中で、ファミコンの『人間兵器デッドフォックス』が特に好きでした。
少し大きくなってからはメガドライブ、スーパーファミコン、PCエンジンのCD-ROM2やセガサターンで遊ぶようになりました。
お気に入りのゲームは、メガドライブ『エクスランザー』、スーパーファミコン『迦楼羅王』、PCエンジンSUPER CD-ROM2『悪魔城ドラキュラX 血の輪廻』、セガサターン『AZEL -パンツァードラグーンRPG-』と、クライマックスの西垣伸哉氏がプロデュースしたセガサターン『ダークセイバー』です。
そう、西垣伸哉氏が開発したものがすべて好きなんです! 西垣さんは2004年に亡くなりましたが、それに気づかない人が多かったことも、この本を書くきっかけのひとつとも言えます。彼の逝去は、黄金時代にゲーム開発した人たちにインタビューする時間が“もう限られている”と気づかせてくれたのです。
──日本のゲームで「不思議だな」、「理解できないな」と思った作品はありますか?
「不思議」というのはすごく主観的なコンセプトだと思います。ある人が「不思議」と思ったものでも、他人にとって不思議ではないかも知れません。
と、前置きして……個人的には『ドラゴンクエスト』シリーズが不思議です。このシリーズは、第1作目を複写し続けているように見えるほど、進歩のペースが遅く感じるのです。日本では『AZEL -パンツァードラグーンRPG-』や『ダークセイバー』のような素晴らしいRPGが無数にあるのに、『ドラクエ』シリーズがここまで日本で人気を得られたのは本当に不思議だと思います!
一般的な外国人にとって、プレイステーション2の『蚊』や『蚊2』で、蚊を操作するようなゲームは“ちょっと変わっている”=「不思議」と感じるかも知れません。だけど、私的には「不思議」というよりも「個性がある!」作品だと思います。
これほど個性の強いゲームは海外にありません。そんなゲームが生まれる日本が大好きです!
海外で活躍しているゲームジャーナリストたちは、日本のゲーム業界をどのように見ているか──取材に協力してくれた4名の言葉から、客観的視点による「日本のゲーム業界」の“世界での立ち位置”を理解することができたのではないだろうか。
もちろん、これらの意見がすべてとはいえないが、「ゲームの歴史には、まだまだ隠されたエピソードがあって、実に興味深い」(Florent Gorges氏)し、「ゲーム黄金時代に活躍した人たちの話を聴く時間は“もう限られている”」(John Szczepaniak氏)ことは、ゲームファンなら国籍問わず誰もが感じていることだろう。
電ファミ編集部は、この全ゲームファンの想いをカタチにすべく、これからも愚直に取材を続けていく所存だ。
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