地方の凄腕プレイヤーに関する情報が、店舗からFAXで送られてくる
森氏:
僕らが『GUILTY GEAR』を開発していたころは、インカムの回転率について毎回『鉄拳』の名前を出されていたんです。『鉄拳』は回転がメッチャ速いじゃないですか。
原田氏:
『バーチャ』も速かったけど、『鉄拳』も速かったですから。『鉄拳』なんてひどかったですよ。営業からの要望が「ライフバーをもう少し短くできませんか」っていう(笑)。
森氏:
ムチャクチャだ(笑)。でも『鉄拳』が、インカムの回転率ではいちばんの記録を持っているって言われましたけど。
原田氏:
そうですね。当時は数々のとんでもない記録を叩きだして。でも海外はもっとひどくて。海外だと対戦だけじゃなくて、ひとりで遊ぶ人もわりと多かったので「ものすごい勢いでプレイヤーを倒すCPUをくれ」と言われて。なので海外版の基板には、日本版にはない「スーパーウルトラハード」という設定があった。そもそも海外版の基板はデフォルトの設定がノーマルじゃなくてベリーハードなのに、そこからさらに2段階ぐらい難度を上げられるんです。表記は同じでも内部パラメーターが違う。そうするともう、2人目のCPUキャラにボコボコにされるぐらい強いんですよ。そんな要望が来ていた時代ですから。「すぐ終わらせてくれ」「海外は25セントだから、それでいいんです」って。
韓国では『鉄拳タッグトーナメント』がすごく流行ったんですけど、それも現地からの要望で、日本にはない高難度を入れていたんです。それで韓国でもインカムが良くてウハウハだったんですけど、僕らも業者も見誤っていたのは、韓国のプレイヤーの対応能力がスゴかったこと。最終的にみんなその難度に対応して、普通にクリアするようになっちゃった(笑)。だからいま、『鉄拳』の対戦で韓国勢が強いのは、ひょっとしたら僕らが高難度のCPUキャラで育ててしまったのかもしれない(笑)。
森氏:
海外と言えば、『バーチャ』の台湾ステップですよね。やっぱり海外でウケる格闘ゲームって流行るんだなぁ。
原田氏:
海外もそうだし、日本でも地域差がありましたよね。90年代だとまだ、いまみたいに連勝記録の情報がネットでバーッと流れる時代ではなかったので、「どこそこの店にスゴイ人が現れた」というのが、まずお店側で話題になるんですよ。FAXとかで流れて。「熊本の○○というお店で、このキャラでぜんぜん負けない人がいます」みたいな。それが開発にもFAXされてきて。「えっ、ハメがあるかバグがあって、それを使ってるの?」「そういうわけじゃなくて上手いみたいです」「でもそんなに勝てるはずがないし、しょうがない、見に行こう」って、新幹線や飛行機を使って実際に見に行くっていう。実際に見て「なるほど、あの技をこう使うのか。次のバージョンで修正しよう」とか(笑)。
そういうFAXとかで来る情報だから、伝説化しやすいんですよ。新たな凄腕プレイヤーが現れた時の神秘度がスゴくて。ホントに見に行かなきゃ会えないし、いまとは違う特別感がありましたよね。『バーチャ』も遠征とかがあったし。
森氏:
東西戦は『ストリートファイター』のころからありましたけど、それがテレビで紹介されたりしたのは、『バーチャ』が初めてですよね。
原田氏:
地方から道場破りに来るんだけど、泊まるところとか考えずに上京するから、誰かの家に泊めてあげるとか、ムチャクチャな文化でしたよね(笑)。知らない人を泊めてあげて、一日中ゲームをやってるっていう。
森氏:
いまじゃ信じられないですよね。
原田氏:
そういう話をいろいろなところから聞いていて。いまのネットとかにはない面白い文化ですよね。そのぶんトラブルも多かったんでしょうけど。
日本のゲーセンのコミュニケーションが全米に飛び火して「EVO」が生まれた
森氏:
マジメな話、僕がゲームセンターに通っていた時期が、ゲーセンがいちばん盛り上がっていた頃じゃないかと思うんですよ。さっき言っていたように、新宿ジャッキーさんやブンブン丸くんがブイブイ言わせていた時期で。秋葉原だとウメハラくんが286連勝したとか。
原田氏:
六本木GiGOでも、夜中の12時ぐらいに飲み屋で会食が終わった人たちがズラーッと並んでやってたよね。
森氏:
僕は六本木なんて高級なところに行けなかったですから(笑)。だいたい新宿のゲーセンで、『鉄拳』をやってるか、『ストリートファイター』をやってるかだったので。
原田氏:
六本木だと芸能人とかプロレスラーとかも来てたんですよ。僕は何回か、そういう人たちと対戦したり、対戦を申し込まれたりしたことがありましたね。
森氏:
僕は友達がたまたま池袋に住んでいたので、池袋GiGOがいちばん多かったですね。
原田氏:
池袋GiGOはロケテストもけっこう多かったですよね。
森氏:
池袋GiGOがメチャクチャ好きだったので、自分たちのゲームもGiGOでロケテをやらせてもらいました。「タイトーの筐体なのに、なんでセガのゲーセンでロケテをやるの?」と言われて「ですよねぇ」とか答えながら(笑)。
──ゲーセンのいい時代という話が出ましたが、いまはあまりいい話が聞こえてこない状況ですよね。新宿の「GAME SPOT21」【※】が閉店したり。
※GAME SPOT21
新宿にあるゲームセンター。『バーチャファイター2』稼働時に有名プレイヤーが集まっていたことから「対戦格闘ゲームの聖地」と呼ばれていた。
「GAME SPOT21新宿西口」が2021年1月中旬に閉店することを発表。『バーチャファイター』の聖地として有名なゲームセンター
原田氏:
GAME SPOT21の閉店は、NHKでもニュースになってましたよね。あれは驚きました。やっぱりレジェンドだなぁと思って。
森氏:
間違いなく一時代を築きましたからね。
──あのころのゲームセンターから学ぶべきところですとか、いまの格闘ゲーム、対戦ゲームの活路につながるものはありますか?
原田氏:
対戦相手とのコミュニケーションは、チャットだったりゲーム内のエモートだったり、いろんな方法が出てきているんですけど、ゲームセンターだと対戦列に並んでいる人が見えているじゃないですか。「次に並んでいるヤツは強いから、あいつが回ってきたらヤバイ!」というような緊張感は、いまのオンラインロビーのマッチングだと出せないですよね、そこはゲームセンターのすごく良かったところだから、あれをなんとかして、マッチングの前とかで上手くできないのかなと思いますけど。
森氏:
うーん、いまの子たちの感覚には合わないんじゃないですか。
原田氏:
たしかに、必ずしもそれが良かったのかと言われると、ある意味ではストレスだったのかもしれないし。まぁでもああいう緊張感だとか、臨場感ですよね。ゲームセンターの店内で、流行っているゲーム、流行っている筐体に人が群がっている様子というのは、いまのゲームでオンラインロビーに集まっていても、そこが賑わっているという実感がなかなか得にくいので。そこはもうちょっと上手く再現する方法はないのかな、と思いますけどね。
森氏:
少しだけ生意気なことを言うと、いまは人と直接会うことの価値が上がりすぎちゃっていると思うんです。僕の中では、人と会って話をするっていうのは当たり前のことだと思っているんですけど、「昨日、○○さんと会って話した」と言われて、「それって報告すること!?」と思ったり。なのでもう少し、人に会うことの特別感を下げたほうがいいんじゃないかなっていう気がするんです。
原田氏:
しかもコロナ禍ですからね。他の人とより会えなくなっている。
海外では日本よりも早めにゲームセンターが廃れたわけです。向こうでEVOを立ち上げた人たちは、日本のゲームセンターのイベントや「闘劇」【※】を見て衝撃を受けて、でも自分たちの国に帰ったらそういう場所がすでに失われつつあったんですよ。それで始めたのがEVOに代表されるコミュニティ大会なんです。最初はすごく少ない人数で始めたところ、それがどんどんでっかくなっていって。
※闘劇
エンターブレイン(現KADOKAWA Game Linkage)が主催していた、対戦格闘ゲーム大会。2003年〜2012年まで、全10回開催された。
最初はホテルの広間で開催していて。そこに集まった人たちが、そのまま一緒にご飯を食べたり、お互いの部屋に泊まりあってゲームしたり、まさに日本のゲームセンターで起きていたことを、ホテルという場所で凝縮してやるという文化が根づいていって。気がつくとそれをモデルケースとした大会が、細かいものも含めてアメリカの津々浦々、全州にまで広がっていたんです。ホテルに車で集まって、みんなで飲んで騒いで、部屋でまた対戦してっていう。最近だとホテルの部屋からそのままストリーミングしたり。
いまでこそ、それはeスポーツという名前になっていますけど、でも実際にはeスポーツという言葉が生まれる前から起き始めた現象ですから。だからやっぱり、他の人と会って一緒に盛り上がるということをみんなやりたがっているんだな、というのはすごく思いますよね。
eスポーツというのはただ配信されているものじゃなくて、観戦するものじゃなくて、自分も参加するものなんです。別に1位になれなくたっていいんですよ。それよりも同じ趣味を共有する者同士が集まって、一緒にご飯を食べようか、夜は飲もうか、語り合いながらゲームしようか、っていう場がたくさん増えるほうが、僕は健全だなと思います。ヘタに大きなトーナメントがどうとかっていうよりは。そういった集まりをどれぐらいたくさん起こせるかということのほうが、僕はゲームの盛り上がりに寄与するんじゃないかなと思っていますけどね。
鈴木氏:
同じ趣味の持ち主が集まれば、楽しいですからね。エンターテインメントの大事なところって、ライブじゃないですか。やっぱりゲームだとオンラインで戦うだけじゃなくて、オフラインで仲良くなったりして。オンラインもオフラインも両方楽しいけど、昔はライブしかなかったから。
森氏:
いろんなものの価値が変わってきているので、難しいですね。
鈴木氏:
昔はエンターテインメントが少なかったですから。スマホでいつでもゲームが遊べるようになると分散してしまうから、ゲームセンターが衰退するのも、まぁしょうがないですよね。
原田氏:
仕方ないですね。利便性には勝てないですから。
鈴木氏:
みなさんにとってはゲームがどんどん身近なものになってきているので、それはいいことじゃないかな。僕なんかはゲームセンターをベースにして育ってきたから、寂しい思いはあるけど、やっぱり時代は変わっていきますからね。
でもライブは絶対に面白いから。ライブで盛り上がるのがいちばん面白い。
森氏:
早くコロナが終わってほしいですよね、本当に。
体感ゲームの筐体に隠された「赤色」の秘密!?
──そろそろお時間ですけど、話し足りないことだとか、聞いてみたいことだとはありますか?
森氏:
鈴木裕さんにひとつだけお聞きしたいことがあったんです。『アウトラン』も『ハングオン』も『バーチャレーシング』も筐体が赤色ですけど、あの赤色は誰が決めたんですか?
鈴木氏:
赤色? 『アウトラン』は大元がフェラーリのテスタロッサをイメージしているので、フェラーリレッドというところから来てますね。『バーチャレーシング』はF1がテーマなので、F1と言えばフェラーリのイメージですから、やっぱりフェラーリレッドだと思いますけど。
森氏:
でも『ハングオン』はバイクなのに赤ですよね?
鈴木氏:
あれはフレディ・スペンサー【※】が乗っていたホンダのNS500(NSR500)がモデルになっているんですけど、なんで赤になったんだろう?(笑)
※1980年〜1993年に活躍したレーシングライダー。WGP250cc&500cc同時2クラス制覇を成し遂げるなど、ロードレース史に名を刻んでいる天才ライダー。
森氏:
『デイトナUSA』も筐体は赤色(※メガロ筐体は赤と青のツートンカラーだが、ツイン筐体は赤色)だったんですけど、ゲーセンに入ると、とにかくあの筐体の赤が目立つんですよ。
原田氏:
やっぱり目立つから赤なのかもしれない。筐体って営業の意見が強いから。営業が口を出してたんじゃないかな。
森氏:
そうなんですか? 僕はすっごく昔から気になっていたんですよ。
原田氏:
そういえば『リッジレーサー』の筐体も赤だったなぁ。
森氏:
そうですか? 僕は『リッジレーサー』は黄色というイメージなんですけど(※筐体は赤色、タイトルの文字板は黄色)。
鈴木氏:
僕らがゲーム作っていたときは、ゲームセンターに視察に行くじゃないですか。「なんだか店内に赤が多いな」と思うと、次のゲームは白にしたり、青にしたりしていました。ロケテストをやるときに、どんなにいいゲームを作っても、まずそこで引っかかってくれないと100円玉を入れるところまでいかないんですよ。目立ってくれないと困るわけで。だからゲームセンターにあまりない色を使って、それがそのまま行っちゃう場合もあります。そういうパターンもあったと思いますね。
森氏:
『アウトラン』も『ハングオン』もそうですけど、あの赤色を見た瞬間に「これはセガの赤だ」って思うんですよね。イメージを出すというところでは、色って大事なので。同じように、ナムコは黄色ってイメージが、僕はあるんですよ。『パックマン』の色が強いので。
鈴木氏:
黄色のイメージはありますね。『リブルラブル』とか。
原田氏:
ナムコの筐体のボタンが黄色だったんですよ。あれってメンテナンス用品として大量に買っちゃうから、なかなか色を変えるチャンスがないんです。だからずっとパックマンイエローのままで。
森氏:
なるほど(笑)。
鈴木氏:
ゲームメーカーでは、任天堂さんとナムコさんが好きでしたよ。好きな会社をセガ以外で2社挙げろと言われたら、そのふたつですね。
原田氏:
本当ですか。ありがとうございます。
──いまもそれは変わらずですか?
鈴木氏:
任天堂さんのゲームは常にポリシーがあっていいなと思いますし。ナムコは『リブルラブル』が好きだったんですよ。いいゲームを作るところだなと思っていました。
森氏:
そろそろ締めろと言われたのに、ヘンな話を聞いて申し訳ないです。どうしても気になっていたもので。
『バーチャファイター』最新作はどうなる?
──鈴木裕さんは『シェンムー』の最新作を手がけられましたけれど、『バーチャファイター』に関しては何かこういうことをやってみたい、という思いはありますか?
鈴木氏:
ゲームを作るときのアプローチには何パターンかあるのですが、僕はゲームのプレイがあまり上手いほうじゃないので、僕みたいな人が遊べなくて困って投げちゃってるようなゲームを、少しユーザーインターフェースを良くして、遊びやすくしたいなと。そうすることで裾野を広げたいと思っているんです。
だから『バーチャファイター』も、ボタンを6つ使っていたところを3つにしようとか、まぐれでも技が入るようにしようとか。『アウトラン』もいまやると難しいゲームに思えるかもしれないですけど、当時としてはプレイがやさしいほうだったんですね。『アウトラン』以前のゲームだと、壁をちょっとこすっただけで車が爆発してましたから(笑)。そうじゃなくて、ちょっとこすってもリカバリーできるゲームを作ろうと。そういう発想です。
『バーチャファイター』にしても『鉄拳』にしても、難しい方向に行くとどんどんユーザー層を絞っていくじゃないですか。そうなるとプレイヤーの年齢もどんどん高くなってしまうし、参加する人の裾野が広がらない。だからもし今何か作るとしたら、もうちょっと裾野を広げる方向ですよね。テクニカルにどんどんコンボを覚えていくとか、そういうのじゃなくて、なんかもうちょっと判断というか。こう来たらこう動くとか、操作は簡単なほうが良くて、判断で上手くいくようなものをやりたい。ボタンを押すと、思ったように勝手に動いてくれる、といったような。
森氏:
難しいですよね。上手くなった気にさせてくれるゲームって、なかなかないじゃないですか。
鈴木氏:
(セガの担当者に)『バーチャファイター6』って作らないの?
原田氏:
それが今、話題になってるんですよ。セガさんが去年、「バーチャファイター×esportsプロジェクト」というのを発表して、いったい何をやるんだろうなと。
セガ、「バーチャファイター×esports」プロジェクトを正式発表。詳細は後日公表へ
鈴木氏:
出るんだったら、しっかりしたものが出てくるでしょう。
原田氏:
僕はいろんな大会でお客さんの間を歩いていって、壇上に立っているじゃないですか。ここ数年は特に強くなってるんですけど、普通に「原田さん、『バーチャファイター』を出して」って、僕に言ってくるんですよ(笑)。
最初は僕、冗談で言ってるんだと思ったんです。ところが違うんですよ。誰かにとにかく言いたいんだけど、いまセガの人は格闘ゲームの大会に来ないから「原田さんに言っておけばなんとかなるんじゃないか」と思った人が、けっこう本気で言ってきてるんです。「バンダイナムコでいいから出してくれ」みたいな。『鉄拳vsバーチャファイター』みたいな形でもいいから、『バーチャ』の新作を出せないですかって、そういう要望はすごく多いですね。
──『デッド・オア・アライブ』には『バーチャファイター』のキャラクターがゲスト参戦したことがありますけど、『鉄拳』には『バーチャ』のキャラはいまだに出ていないんですよね?
原田氏:
そうなんです。じつは一度だけチャンスがあって。これは開発じゃなくて経営のお偉いさん同士の話だったんでしょうけど、「ドリームキャストに『鉄拳』を移植してくれたら、『バーチャファイター』のキャラをライセンスしてもいいよ」と言われたんです。一時期、僕らの中でも盛り上がっていたんですけど、結果的にいろんなタイミングが上手くいかなくて。
森氏:
セガさんがプレイステーション2に参入したときに、『バーチャ』と『鉄拳』の新聞広告がデカく出たじゃないですか。
原田氏:
ええ、やりましたね。あの新聞広告が出たときから「やりたいな」とはずっと思っているんですけどね。
──『鉄拳』には『ストリートファイター』や『餓狼伝説』からもゲスト参戦していますから、『バーチャ』以外の格闘ゲームがすべからく『鉄拳』とコラボしているという状況で。そういう状況だからなおのこと、原田さんに伝えればなんとかなるという期待があるんじゃないですかね。
原田氏:
僕個人としては、完全新作の『バーチャファイター6』をズバッと出してほしいんですけどね。
──鈴木裕さんと原田さんがおふたりで、セガさんに「『バーチャファイター6』をやろうよ」と言えばいいんじゃないですか(笑)。
鈴木氏:
お手伝いが必要なときは、いつでもお声がけください(笑)。
──えっ、本当ですか!? それがいつか実現する日が来るのを願いつつ、今回はこのあたりで。どうもありがとうございました!(了)
最後には驚きの発言もいろいろと飛び出した今回の鼎談だったが、いかがだっただろうか。
今回の企画は、過去のゲームセンターをただ懐かしがって「昔は良かった」というものでは、決してない。かつてのゲームセンターでどういったことがあり、そこで何がどう変化したのかを振り返ることで、これからのゲームの進む道、特にこれからのゲームセンターがどうあるべきかを考えるヒントになればと思うのだ。
ゲームセンターの将来は、ゲーム業界やゲームクリエイター、そしてゲームセンター自体だけでなく、そこでプレイするみなさんにかかっている。この企画でかつてのゲームセンターの賑わいと、そこで生まれたさまざまなドラマを感じてもらえたなら、今度はぜひ今のゲームセンターで、現在進行形のドラマをみなさん自身で作り上げてもらいたい。
不要不急の外出がなかなか難しい時期ではあるが、この鼎談を読んだみなさんが、無理のない範囲でゲームセンターを訪れるきっかけとなってくれたなら、幸いだ。
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