かつて、台湾で「自由が罪とされていた時代があった」ことをご存じだろうか。
第二次大戦後、敗戦した日本軍が引き上げた台湾では、大陸からやってきた中国国民党が政権を掌握し、戒厳令を発令。反政府勢力や共産主義者の排除という名目のもとに、思想や言論の弾圧が行われた。
「白色テロ」と呼ばれるこの政治的弾圧は、「学生が読書会に参加しただけで政治犯として投獄される」ほどに厳しいものだった。1987年に戒厳令が解除されたことで白色テロの時代は終焉したとされているが、今現在でも多くの台湾の人々にとって恐怖の対象となっている。
そんな台湾の「白色テロ」を題材としたホラーゲーム『返校 -Detention-』は、世界的にヒットし、その悲惨な出来事を多くの人に知らしめた。
この『返校』というゲームを通じて、初めて台湾の血塗られた歴史を知ったというケースは少なくない。その事情は台湾内部でも同様だった。本作をきっかけとして、語られなかった歴史についてのさまざまな議論が巻き起こり、台湾社会全体へと広がるムーブメントへと成長していった。
そして本作は『返校 言葉が消えた日』として映画化されるまでに至った。2019年9月20日に台湾で公開されると、わずか3日間で興行収入は6770万台湾元(約2億3500万円)に達し、最終的には2019年度台湾映画のNo.1ヒット作となった。
しかも、台湾でゲームを原作とした映画はこの『返校 言葉が消えた日』が初めての作品だという。「白色テロ」という台湾のローカルな歴史を題材としたホラーゲームは、どうして台湾のみならず、世界中でヒットしたのだろうか?
筆者も含め、多くの日本人はこのゲームがなければ、台湾の白色テロという暗い歴史について知る機会はほとんどなかったのではないだろうか。しかし、『返校 -Detention-』はホラーゲームという媒体を用いて、その恐怖を普遍的に知らしめることに成功したのだ。
つまり、たった1本のゲームが世界を変えたということになる。本作に秘められたその力は、どのようにして作られたのだろうか?
今回は、7月30日の映画『返校 言葉が消えた日』の日本公開を記念して、原作ゲーム『返校 -Detention-』を制作したゲーム会社・赤燭遊戯(レッドキャンドル)のプロデューサー姚舜庭(ヤオ・シュンティン)氏にお話を伺った。
映画『返校』では原作よりさらに政治的なバックグラウンドを強調した
──まず、どのような経緯で『返校 -Detention-』(以下、『返校』)が映画化に至ったのかをお伺いできればと思います。
ヤオ氏:
『返校』というゲームは発売されてすぐに、台湾のネット上で拡散しました。そこから台湾の社会全体でこのゲームに対する関心が高まって、元からのゲームファンもそうでない人も含めいろんな人がプレイした結果、さまざまな政治的な議論が巻き起こったんです。
──台湾の政府も支持していく考えを示しているとお聞きしました。
ヤオ氏:
そうですね、『返校』はさまざまな層に広がっていったのですが、最終的に立法院(日本でいうところの国会)の議員が「こんなゲームがあるんだよ」と紹介するまでに至りました。そうするとゲーム以外のさまざまなメディアにも認識されるようになったんです。
それから、台湾の伝統的なメディアやテレビ局の政治部の記者といった方たちから取材が来るようになりました。さらに、その取材の中で「このゲームの持っている政治的な意図はどういうものか」をとにかく一生懸命問うてくださるんです。
まさかこのゲームがここまで台湾の社会全体に広まっていくとは思っていなかったので、これはすごいことになってしまったな、と思いました。
──ゲームにあまり興味がなかった人も、政治に興味がなかった人も巻き込んでいった力があったということですね。
ヤオ氏:
そういうムーブメントの中で、業界の方から映画化のお話をいただいたんです。
そこで出会ったのが監督のジョン・スーさんですね。
嬉しいことに彼も『返校』のプレイヤーのひとりで、ゲームが発売されてすぐにプレイいただいておりまして。
──台湾においてゲームが原作の映画が製作されるのは、本作が初めてだと聞いています。
ヤオ氏:
そうですね、非常に喜ばしいことでした。映画化の話もトントン拍子で決まっていったんです。
というのも、台湾は映画や出版、ゲームなどの制作関係のメディア同士の距離がすごく近いんですね。なので、いつの間にか共通の友人ができたりということもありますから、そういった縁のお陰ともいえます。
──映画化するにあたって、どのようなことが大変でしたか。
ヤオ氏:
私と監督の共通認識は、「映画とゲームは全く異なる媒体だ」ということでした。その点については初期の脚本の段階からよく監督と議論しましたが、最終的にはゲームの要素をいったんすべて解体して、再構築することにしました。
いろいろ要素を割り出した結果、ゲームの中ではあまりはっきりと表現されていない、政治的なバックグラウンドをさらに強調して表現する方向に向かいました。
──ゲームと映画、このふたつを比べたときの大きな違いは何だと思いますか。
ヤオ氏:
ゲームと映画は全く異なる表現の媒体だと思います。だからこそ、『返校』が映画化するときは私たちも、本当に伝えたいことを伝えることができるのかと心配でした。
ゲームではマップを探索していろいろな発見をしたり、謎解きをしたりといったインタラクティブな設計がされていますから、プレイヤーが果たす役割が非常に大きいんですよね。
こういった部分をそのまま映画に移植することもやろうと思えばできると思うんですけど、おそらく成功はしないだろうと。実際に、いままでのゲーム原作の映画も大体うまくいっていないはずです。
この点に関しては監督も同じ考えでしたが、彼は非常にうまく映画化してくれました。
──なるほど。では映画化するにあたって、ゲームの要素をどのように映画に落とし込んだのでしょうか。
ヤオ氏:
ゲーム版『返校』の特徴として、主人公はあまり喋らず、他のキャラクターのセリフも非常に少ないということがありました。
ですが映画では、役者さんの演技やセリフの掛け合いによって、より生々しく強烈な表現を作ることができるんです。これがゲームと映画の大きな違いなのではないかと思い、映画では逆にセリフをもっと増やすことで、『返校』の怖さをうまく表現しようとしています。
台湾の人々が最も怖いと感じるものを考えたら、白色テロに行き着いた
──『返校』を作るにあたって、なぜホラーというジャンルを選択したのでしょうか。
ヤオ氏:
開発の段階では、いわゆる異次元の世界を表現しようとしたんです。異次元の学校の中で、なにか不思議なことが起こっているイメージです。
──最初はもっとファンタジックな印象で作ろうとしていたんですね。
ヤオ氏:
そもそも私がレッドキャンドルという開発チームを結成したのは、『サイレントヒル』のようなサイコホラーゲームを作りたかったからなんです。
ホラーゲームにした理由はもうひとつあります。それは、人間誰しもが恐怖心を抱いているからということです。
つまり、ホラーが与える恐怖心というものは、マーケットの最大の公約数だと考えていたんですね。ホラーゲームというものは、どんなゲームなのかが明確でわかりやすいですし、マーケティング的にも伸びしろが大きいだろう、と。
──ホラー映画やゲームはその土地の言い伝えや民話が元となっている場合が多く、その土地でしか知られていないような文化を知るきっかけにもなると思っています。
『返校』でも台湾ならではの文化が散りばめられていますが、そこに秘められた意図や経緯があれば教えていただきたいです。
ヤオ氏:
ゲーム内のセーブポイントは神棚になっていますが、あれは台湾の多くの家庭にあるものです。神様と祖先の位牌の2つが奉納されており、また神棚には赤いライトがついていて、夜になると家の中が赤い光に包まれます。
お香や紙幣を燃やしたり、占いで卦を投げたりするのは、いずれも精霊や祖先の霊とコミュニケーションをする手段や儀式です。また、2章に登場する「黒白無常」や「都市神」は台湾の民間信仰である地獄や裁き、輪廻転生といった概念にも通じています。
このように各家庭で学んでいった自分自身の文化を作品に盛り込んでいくことは、外に文化を輸出していくひとつの流通のパターンとして重要だと思います。
私の世代の台湾で育った人間は、幼いときに一番よく見た作品となると日本や香港の作品が多いんです。後にヨーロッパ、アメリカの作品も入ってくるんですけど、ずっとそういうものを観て学んできました。
なので、私が『返校』を作る時は、ぜひとも自分たちのローカルな文化は盛り込もうと思ったんです。
──自分が外国の作品を通して文化を学んだから、次は自分で文化を伝えようとしたんですね。
ヤオ氏:
そうです。そして、どのようにして台湾の文化を外に伝えようかと考えた結果、作品への取り入れやすさも加味して、私たちが最もよく馴染んでいるローカルな文化にしたというわけです。
──そこからさらに、恐怖やホラーに結びつくものを取り入れたわけですね。
ヤオ氏:
はい、特に恐怖というものはさまざまな段階や種類があると考えました。たとえば台湾の各家庭では、道教や仏教などさまざまな宗教を信仰していますが、そういう宗教の中にもいろいろなタブーがあります。これもある意味で恐怖そのものなんです。
といっても、時代や空間や背景が異なると人間の恐怖心は異なっていきますよね。仏教の家庭で育った人なら、道教のタブーに触れてもそこまで恐怖心は抱かないはずです。
そこで、「台湾の人々にとって最も普遍的な恐怖とは何だろう?」と考えました。そうなったときに私たちが表現したいと思いついたものが「白色テロ」だったんです。白色テロは当時の台湾で、間違いなく最も怖れられていたものでしたから。
白色テロは土着的なものとは違って人為的に作られた恐怖なんですけど、ゲームに取り入れたら、非常にさまざまな展開を作ることができそうだと思ったんです。
こうして『返校』は生活のレベルから、宗教的なもの文化的なもの、さらには政治的なものという当時の恐怖のバックボーンを全部取り入れて、ホラーという形にしたんです。
──なるほど。たしかにタブーというものは恐怖心を引き起こしますが、なかでも多くの台湾の人々が怖れるタブーが白色テロだったと。
ヤオ氏:
そうです。白色テロについては、私自身も開発チームのメンバーも、実際に白色テロの時代を生きた年配の方から話を聞いたことがあったのですが、そこまで詳しく知っているわけではありませんでした。
でもゲームの制作のためにリサーチを進めていくうえで、「実際に学生の時に読書会に参加しただけで、政治犯として投獄された」と聞いて衝撃を受けました。
当初は単にホラーと台湾の歴史を取り入れたゲームを作ろうとしていたんですが、そこから白色テロが『返校』というゲームの重要なモチーフになったんです。
もちろん、開発した当初はまさかここまで社会的な反響を呼ぶとは想像していませんでしたが……。
白色テロの恐怖は未だに残り続ける
──残念ながら、自分も含め日本では台湾の白色テロをよく知らない人々のほうが多いと思います。そのため、白色テロがどういったものなのか、そして台湾の人々がどのように怖れているのか、といったことを教えていただけますでしょうか。
それを知ることで、『返校』という作品のみならず、台湾の歴史についてのより深い理解にも繋がると思います。
ヤオ氏:
1945年に第二次世界大戦が終わり、日本が敗戦したことで当時植民地だった台湾から、日本軍が引き上げていきました。
その代わりに大陸から中国国民党が台湾にやってきて、国民党政府が戦後の混乱を統治しようとして戒厳令を敷き、反体制派の人々を厳しく弾圧したんです。これが白色テロと呼ばれるものですね。
ゲームの舞台は1960年代なんですけど、当時の台湾で白色テロの被害が最も酷かったのは少し前の1950年代なんです。
歴史的には、戒厳令が解除された1987年に白色テロは終わったと言われています。でも、実際にはその時点でキッパリと終わったわけではなく、その後も長く影響が続いたものなんです。
──およそ40年もの間、自由が罪とされる恐怖の時代が続いたんですね。ヤオさん自身もその時代を経験したのでしょうか。
ヤオ氏:
私の生まれは1979年なので、経験はしていますね。でも戒厳令が解除された当時は10歳の子どもだったので、その重大さをあまり理解していませんでした。
しかし、年配の方や先輩たちの話を聞くと、1990年代になってもまだ恐怖を感じている人が多いんです。そういう意味では、白色テロが持続した年数は、40年よりもはるかに長いと考えています。
──台湾の人々は、白色テロにどのようなイメージを持たれているのでしょうか。
ヤオ氏:
『返校』が発売されて大きな反響を呼び起こして、自分自身もこの歴史に対してもう少し理解を深めようと思っていろいろなことを改めて調べました。
白色テロとは、私たちの祖父母の世代の記憶をまるまると奪ってしまったようなものなんです。なぜかというと、弾圧が一番厳しい時を経験した人たちは、未だに白色テロへの恐怖を感じているからなんです。だから、誰も触れられなかったし、語り継ぐこともできなかった。
台湾は1970年代から1980年代にかけて、高度な経済発展をしていきます。私の親の世代は戦後生まれなので、この世代の人たちは恐怖の時代について振り返るよりも、よりよい明日を生きることで精一杯だった。こうしてまた白色テロの歴史の部分は語られなくなり、なくなってしまいそうになる。
台湾の歴史の教科書でも、白色テロについて詳しく教えられることがなかったんです。書いてあるとしても、1行で触れられる程度で。
だからこそ、白色テロを描いたゲームがこれだけ反響を生んだということには、台湾の歴史的にも大きな意味が生まれたのだと思います。
語られなかった歴史と改めて向き合うためは
──たとえばドイツのネオナチは「ホロコーストは偽造だ」と主張するなど、歴史認識という問題についてはさまざまな齟齬が必ずついてまわるものだと思います。そうした齟齬を乗り越えるためには、私たちはどのように歴史と向き合う必要があるとお考えでしょうか。
ヤオ氏:
このことについては私も繰り返し考えていました。文学にしろ映画にしろゲームにしろ、私たちクリエイターは作品を作る上で、必ずどこかでイデオロギーという問題に直面すると思うんですよね。
こうしたイデオロギーへの疑問や問題意識は、自分自身の経験したこと、もしくは家族だったり親戚だったり親しい人の経験したことから聞いて学んでいくものです。
ですから、おっしゃられたように歴史を否定するような動きをする人々が出てくること自体は驚くべきことではないと思います。この点については我々にとっても遠い問題ではなくて、今現在も起こっていることなのです。
私たちも『返校』が発売されてから気が付いたのですが、この点については台湾内部でもいろいろな矛盾や問題を抱えているんです。
──どのような矛盾や問題を抱えているのでしょうか。
ヤオ氏:
例えばこの白色テロの話で言えば、国民党側の人々は「台湾の秩序を守るためにはやむえなかった」と主張しています。
彼らは大陸で中国共産党と戦いつつ、台湾での政権維持をしなければいけなかった。中国共産党の浸透を防ぐためには、白色テロは仕方がなかったというわけです。
一方で、白色テロの時代に起きた事件を詳しく見ていくと、人間関係の恨みや妬み、政敵を蹴落とすためなど自分勝手な理由で逮捕・拘束を行ったみたいなケースもたくさんあり、冤罪も多数生まれたわけなんですよ。
つまり、当時の歴史についてどういう見方をするのかいろいろな議論があるわけですよね。
でも、どっちが正しいかというよりも、私たちは第三者としていろんな立場の話を聞いて、その人たちの政治的背景を聞くことが大事だと思っています。
──なるほど。さまざまな見方や考え方を認めたうえで、台湾はいままさに、歴史を見つめなおそうとしているところなんですね。
ヤオ氏:
そうなんです。一部の人は『返校』をきっかけに、台湾の歴史をもう一度検討するべきだとも言っています。
戒厳令が解かれてから、民主化に向かって邁進しています。その過程で、白色テロ時代の政府の公文書や裁判記録がどんどん開示されてきています。
なので、現在は今まで知られていなかった事実を整理して、実際にあの時代で何が起こっていたのかを明らかにする段階に入りつつあると思います。
──最近では香港の民主化運動で、多くの活動家が逮捕されるという出来事がありました。自由が罪になる世界はまだ身近に存在していますが、それについてどう思われますか。
ヤオ氏:
全体主義的な流れに直面したとき、戦うのか、あるいは避けるか、それはその場所の人それぞれの判断と選択があるでしょう。 しかし、最終的にそれを決めるのは力と政治的な現実です。
率直に言ってしまえば、私自身は「世界に不正がある」という現実をあまり悲観してはいないのです。私は自分の能力の範囲内でできることをする、としか言いようがありません。
──最後の質問になるのですが、ゲームで世界を変えることができると思いますか。
ヤオ氏:
可能性としてはあると思います。ただ、世界が変わるかどうかは、「どういった作品に、どういったときに、どう出会うか」というタイミングのほうが重要なんじゃないかと思います。
先ほども言いましたように、私たちが『返校』を作ろうとしたのは、あらかじめ政治的な意図があったわけではなく、単純に「ゲームが好きだから作りたい」という気持ちがあったからでした。
だけどさまざまなタイミングやチャンスのおかげで、今のような状況が生まれたと考えています。私たちとしては、この幸運な巡り合わせを逃さないように、ゲームや映画といった作品を通して、台湾の歴史や文化を外に伝え続けられればと願っています。(了)
およそ40年もの間、自由が迫害され、罪なき人々が投獄された時代。そして、当時を生きた人々は現在に至ってもそれについて口を閉ざすほどに怖れている。
おそらく、台湾の人々が感じる白色テロへの恐怖を、現代の日本に生きる我々が“自分の立場に置き換えて考えてみる”ことは不可能に近いだろう。きっとそれは、日本における戦争の再来やテロリズム、極右・極左運動への恐怖とは異なるもののはずだ。
しかし、『返校』はそのローカルな、しかし強烈で生々しい恐怖をホラーゲームという形式に落とし込むことで、世界に伝えることに成功した。たとえ白色テロのことをほとんど知らなくても、ゲームを遊んでみれば、「台湾の人々が最も普遍的に感じる恐怖」を味わうことができてしまう。
ヤオ氏が語ったように、恐怖とは人間なら誰しもが心に抱くものだ。あらかじめ意図されたものではなかったとはいえ、「恐怖に訴えかける」という手法はゲームをエンターテインメントとしてのみならず、歴史的なものや政治的なものへの関心を引き出すきっかけとしても強い効果を発揮したのである。
『返校』をはじめとして、最近ではインディーゲーム界を中心にその国や地域独自の文化や歴史を反映したゲームが続々と発表されつつある。今後もこのような事例が増えていけば、歴史や文化の相互理解もよりスムーズに進むのかもしれない。
映画『返校 言葉が消えた日』は2021年7月30日より日本でも公開される。ぜひとも、この「台湾の人々が最も普遍的に感じる恐怖」を劇場で味わってみてはいかがだろうか。