1999年から2011年まで、約12年間で16作品がリリースされた『パワプロクンポケット』(以下、『パワポケ』)シリーズ。
野球好きでなくても一度はプレイしたことがある人気タイトル『パワフルプロ野球』(以下、『パワプロ』)の派生作品でありながら、一部のシナリオがネットミーム化するほどの尖った作品であり、いまでも多くのユーザーの記憶に残り続ける名作である。
その『パワポケ』シリーズが、2021年11月25日、約10年の時を経て『パワプロクンポケットR』(以下、『パワポケR』)として復活を遂げた。
スマホゲーム『実況パワフルプロ野球』(以下、『パワプロアプリ』)での『パワポケ』コラボに際して制作陣のインタビューを行ったのだが、予想を超える大きな反響があり、その熱が冷めやらぬ2021年6月、10年ぶりとなるシリーズ新作『パワポケR』が発表となった。
『パワポケR』発表に筆者はいちファンとして『パワポケ』の復活を喜び、発売を楽しみに日々を過ごしていたのだが、発売を目前に控えたある日のこと、電ファミニコゲーマー編集部から「改めて開発陣にインタビューを行い、『パワプロクンポケット大全』のネット版のような記事を作りたい」との依頼を受け、KONAMIの大阪スタジオに足を運んだのだった。
迎えてくれたのは、『パワポケ』シリーズを作り続けた4人のスタッフ。
『パワプロ』開発の初期メンバーであり、『パワポケ』でも全作品でメインライターを務め、シリーズの礎を築いた西川直樹氏。
入社してすぐチームに加入し、『パワポケ3』以降全作品に携わった三浦陵介氏。
KONAMI入社後は別チームに配属されていたものの、「変な絵を描きたい!」と『パワポケ』チームに加わり、シリーズを通じてすばらしいグラフィックを手がけてきた萩原千香子氏。
そして『パワポケダッシュ』開発から参画し、現在は『パワポケR』のプロデューサーを務める山本拓氏だ。
それぞれが保管してあった、本邦初公開となる貴重な『パワポケ』会議資料や制作メモを用意していただき、それらを眺めながらセルフライナーノーツともいえる全作品の振り返り座談会を3時間にわたって敢行した。
いうなれば、この記事は『パワポケR』PRの皮を被った、『パワプロ』と『パワポケ』シリーズに関する開発陣インタビューの総決算を行う企画である。
『パワプロ』と『パワポケ』の極秘資料をふんだんに掲載しているので、その画像を眺めるだけでも、これだけ長く深く愛される作品がどのように開発されていたのか、その実情を知っていただけるはずだ。
そして、この記事を読み終えた暁には(まあまあ長い記事なので、読み終えるくらい熱心なファンであれば)、シリーズの魅力や開発陣のゲーム愛が伝わり、結果的に「リメイクを続けてもらうためにも新作を買おう!」という気持ちになっていただくという、少し回り道で奇妙なPRとなるはずだ。
※この記事は『パワプロクンポケット』シリーズと、新作『パワプロクンポケットR』の魅力をもっと知ってもらいたい、KONAMIさんと電ファミ編集部のタイアップ企画です。
『パワプロ3』から始まったサクセスモードの画面遷移メモを本邦初公開
──今回は開発資料もお持ちいただいて、ありがとうございます! 貴重な極秘資料! ちょっと興奮してきました(笑)。
萩原:
すごい。いままで全部保管していたんですか?
西川:
まあ、整理してへんかったけどね。このあいだ発見したので、持ってきました。こんなメモから『パワプロ』になったよ、っていう紙です。
三浦:
『パワポケ』は毎回、タイトルの開発の冒頭期間に毎日全員の会議をやるんです。ホワイトボードでやいのやいの言いながら、いろいろと決めてから制作に入る。僕が今回持ってきたのは、そのホワイトボードをコピーして印刷した資料です。
──早速「売れてない」という文字が目に入ったのですが……(笑)。
三浦:
これは『パワポケ9』の会議の第1回目ですね。もっと売れるように、もっと楽しんでもらえる物を作るぞという姿勢で開発に臨むのは大事なことですからね(笑)。
──今日のインタビューのために初代から『パワポケ14』まで、そして『パワプロ』シリーズも含めて攻略本を読み込んできたのですが、昔の制作陣インタビューで、それぞれ好きな球団が書いてあったんですよ。そのオマージュという意味も込めて、まずみなさんの好きな球団を教えてもらえますか?
まず西川さんは『パワプロスーパー大全』にて、「好きな球団:オリックス」、「好きな選手:イチロー/小阪」との記述がありましたが……。
西川:
阪急ブレーブスのファンだったので、その流れでオリックス・ブルーウェーブも見ていましたね。ただ、近鉄と合併してバファローズになったところで離れてしまいました。
──僕もブルーウェーブ時代からのオリックスファンなので、その微妙な気持ちはよくわかります……。
三浦:
僕は昔、『パワプロ』の選手データを決める会議で中日担当をやっていた時期があったんですよ。そこで中日のことが好きになりかけたけど、そこまでのめり込まず……という感じで、球団担当から退くことになりました。
萩原:
あ、いま思い出したけど、私もオリックス担当をほんの少しだけやったことありました。時期や詳細はまったく覚えていないですけど、まだイチロー選手がいた時期やと思いますね。
──ちなみに『パワポケ10』の完全公式ガイドブックでは、プロデューサーの藤岡さん【※】が「『パワポケ9』を作っているときに、萩原さんから『カーブってどんな球種? 強いの?』と聞かれて返事に困った」という記述がありまして(笑)。『パワポケ3』から制作に参画しているのに、『パワポケ9』までカーブとは何かを知らずに作っていたとは驚きです。
※藤岡謙治
『パワフルプロ野球』シリーズの立ち上げメンバーで、プレイヤーが操作する「パワプロくん」のデザインを担当した生みの親。のちに『パワポケ』シリーズを立ち上げ、グラフィックとデザイナー、『4』からプロデューサーを兼任。のちに『パワプロプロダクション』の統括プロデューサーを務めた。
萩原:
完全に「野球ってなんですか状態」でチームに加わりましたからね。ボールと球でやる競技であることくらいしかわかってなかったです。あ、ボールとバットか(笑)。一応最低限のルールは頭に入れましたよ。分厚いルールブックも渡されましたけど、ほとんど読んでない。
山本:
ちなみに僕は小さい頃から大洋ホエールズのファンで、いまも横浜DeNAベイスターズを応援しています。今年はイマイチだったので、来年はがんばってほしいです!
──今回、シリーズ開発陣の代表としてインタビューする4人中3人が「好きな球団:特にナシ」というのは、いい意味で『パワポケ』シリーズを象徴しているように感じます。
三浦:
普通は球団担当になるとそのチームを好きになることが多いんですけどね(笑)。『パワポケ』は野球以外にもいろいろな要素があるので、野球が大好きという状態じゃなくても楽しく仕事ができる環境があったんでしょうね。もちろん、スポーツとしての野球は好きで、楽しく見たり、遊んだりしていますよ。
西川:
一応ご説明しておくと、『パワプロ』を作ったときに選手データを集めるのに苦労したんですね。表に出てる情報だけで――たとえば盗塁数だけで機械的にデータ化して――作ると「あいつの足がAはおかしい」となってしまい、生きた情報ではなくなってしまうと。そこで数値化したあとに、プロ野球各チームのファンにこんな形でアンケートを取ったんです。
これで非常に苦労したので、野球チームの担当を作ろうという話になって、資料をよく読んでおくように指示をしたと。以降、とりあえず新人が入ったら球団担当に割り当てる流れになりました。
──ゲーム中のデータをどう決めているのか、気になっていたユーザーは非常に多いと思います。プロ野球選手でも自分のデータに言及するケースがありますし、実際、ある時期の阪神タイガースが強すぎるなど、ファンのあいだで話題になることもあります。
西川:
僕はその会議に参加していないんですが、話を聞くと、やっぱりみんな担当球団に愛着が湧くので、なんとか強くしたい気持ちが出てくるみたいです。基本的に新人どうしで会議をするので、担当者の発言力で決まることもあるみたいですね。
三浦:
けっこうディベート力勝負というか、交渉力が物を言う会議でしたね。強い球団でも担当者の交渉力次第で、多少のブレがあったりなかったり……あくまで当時の話しなので、いまはそんなことないと思いますが(笑)。
──前提となるデータを設定するにあたって、1作目発売当時の1994年は野球中継もいまほど充実しておらず、画質も悪かったので大変そうだな、と思ったのですが。
西川:
まず投球フォームの確認が大変でしたね。当時、選手の数だけフォームを作るのは到底無理やったので、いま設定しているどれかのパターンに当てはめないといけない。開発しながらチェックするのは無理や……と、球団担当を作って。これが1作目の仕様書です。
西川:
僕が担当していた、ピッチャーとバッターの投球と打撃について、こういうステップで進めていくよ、という資料。担当者が変わったとき、これを見てプログラムを作るように、と。ちなみに、ちゃんと仕様書を書いたのはこの1作目だけ(笑)。2作目以降は、作ってからどういう形になったのかを書いておくのが仕様書になっていきました。
初代『パワプロ』チームが結成された当時はJリーグができたばかりで、チームのみんなは「サッカーのほうがええんちゃうの」って感じやったけど、『生中継68』【※】というゲームが良くできていて。ただ球場全体をロングで映した守備画面をリアルにやると操作性が悪くなったから、視点を変えていろいろとアイデアを入れたらうまくいくんちゃうか、ということで完成にこぎつけました。
※生中継68
KONAMIから1991年に発売されたX68000用ソフト。リアルなゲーム画面とテレビ中継を見ているような臨場感の高さが評価された野球ゲーム。
ちなみに、サクセス関連でいうと、『パワプロ3』から始まったんですけど、こんな感じでイベントを描いてました。これは最初のサクセスモードの画面遷移ですね。
西川:
イベントをメモでナンバリングして……「母校の先生の電話」とかありますね。あ、そやそや、こういう形でアイデアを出していってたんや。夫婦喧嘩とか。まだどんな方法にするか、形が見えていない状態。
結婚イベントもありますね。「子供の病気、打てなかったらがっかりと言われる」……とかありますわ(笑)。
──「KONAMI」と社名が印刷された紙ですね。
西川:
そうそう。会社の用紙に思いついたらぼんぼんアイデアを書いていってたんです。
──「独立イベント」と言うメモで、「軽い気持ちで女の子と付き合ったら、深みにハマってバレた」という文字がありますね(笑)。
西川:
サクセスも最初はこんな程度で考え始めてたんです。いまでいう「マイライフ」に近い感じがありますね。
──メモには香本と松倉のイラストも描かれていて、ファンとしてはここからキャラクターが生まれたのかと思うと、胸が熱くなります。こちらの『パワポケ』資料にはメガネ一族もたくさん出ていますが、やっぱり存在感がありますね。
西川:
ちなみに、語尾の「やんす」は、誰のセリフかわかりやすくするために、語尾に変化をつけたんです。「やんす」になったのは、マンガ『サルでも描けるまんが教室』で番長の周りを衛星のようにぐるぐる回ってる舎弟が元ネタなんちゃうかな。
仕様書がないほうがいろいろとやりたいことを追求できる
──『パワプロ』から『パワポケ』シリーズが派生して、2021年に10年ぶりとなる新作『パワポケR』が発売となりました。『パワプロアプリ』とのコラボが行われていたとき、SNSでは「早く『パワポケ』が出てほしい」というツイートも非常に多く見かけて、期待値の高さをずっと感じていました。
西川:
ありがたいですね。「そろそろ、出ますよ」と思って見てました(笑)。
──リメイクの企画はいつ頃から動いていたのでしょうか。
山本:
まず『パワプロアプリ』とのコラボ1回目の反響が大きかったときからですね。まだプロジェクト化されたわけではなかったですが「復活させたいよね」という構想が出て。それと、『パワプロ』というゲームの枠をさらに広げていこうというミッションが融合した形で、リメイクの企画がスタートしました。
もっと『パワプロ』を現代の若い人にも遊んでほしいと。そこで『パワポケ』が野球以外の要素が多い“野球バラエティ”として多くの子どもたちに遊んでもらっていたことを踏まえて、少子化で野球人口も減っている中、バラエティの成分をフックにしながら野球に触れてもらう。そして『パワプロ』と『パワポケ』が合わさって、未来に向けてシリーズとして繁栄していく……。
最後の作品から10年が経っても熱く支持してくださるファンのみなさんに加えて、いまの子どもたちという、より広い層にリーチする。そんな構想から、晴れてリメイクとして復活に至りました。
――確かに、『パワポケ』はRPGからシミュレーション、カードゲームとバラエティ溢れる内容なので、納得の理由です。『パワポケR』は対象年齢のレーティング「CERO」が12歳以上を意味する「B」になっていますが、この意図は?
山本:
当時とはいろいろと基準が変わっていますので、全年齢を対象にすると、『パワポケ』の良い部分が失われてしまうので、落としどころとしてこうなりました。
――ではシリーズの良さである、ダークな部分を変えていないということですね。
山本:
基本的に話の流れなどは変えていません。たとえばミニゲーム“殺人クワガタ”が“地獄クワガタ”になるなど、一部の少し過激な表現をマイルドにしてあるという感じです。
西川:
最初、リメイク企画を聞いたとき「ほんまに大丈夫か?」って思ったよね。『パワポケ2』のシナリオを見直したら、「うわっ……これいまの時代にリメイクできる?」って感じやったし(笑)。
――インタビューが掲載された公式ガイドでは、毎回同じことを言ってましたよね(笑)。時代に合わせたといえば、動画投稿ガイドラインも整備して、ゲーム実況もしやすくなっています。
山本:
過去の『パワポケ』を遊んでくれた方がYouTuberになっていたりもするので、ぜひ動画を投稿していただいて、そこから子どもたちが興味をもってくれたらいいなと思います。
――『パワポケR』は初代『パワポケ』、『パワポケ2』の内容が収録されていますが、反響が大きければ『パワポケ3』以降もリメイクされる可能性があるのでしょうか。
山本:
もちろんです。構想をどんどん広げていきたいと考えております。
西川:
売れないと続きが出ないのでね。せめて『パワポケ8』くらいまでは出したいから、買ってくださいね。これ、1作目のときからずっと同じこと言ってるな(笑)。
――ちなみに、『パワポケ10』の公式ガイドでは、西川さんが「最近は昔みたいにブラックなネタが入れづらくなってきた」と語っています。
西川:
携帯ゲーム機がメジャーになりつつあったからですね。ニンテンドーDSは『ポケットモンスター』シリーズや『おいでよ どうぶつの森』の大ヒットで注目度が高まった。とくに、世間の注目度以上に、社内の注目度が上がってしまったんですね。
これまで『パワプロ』の影に隠れて好き放題してたのに、突然サーチライトを浴びせられて「ヤバい! 見つかった!」みたいな(笑)。「品行方正にしろ!」とビシビシされながら、でも、我々はこういう生き物なんです、と。
一同:
(爆笑)
萩原:
カビみたいなものなんですよね。光が当たったら死んでしまう存在(笑)。
西川:
周りを見渡すと、『脳を鍛える大人のDSトレーニング』などが大ヒットしていて、会社の人たちから「あんなに売れているのに、お前たちはどうして売れないんだ」と毎回突つかれて「いや、あそこと比べるのは無理ですよ!」とヒーヒー言っておりました。
――開発の規模や期間など、さまざまな点で、他のタイトルと単純に比べるのは難しいですが、開発に携わっていないとなかなか理解するのが難しいのかもしれません。『パワプロ』から派生した野球システムと選手を育てるシミュレーションという軸があるからこそ、シナリオやミニゲームの部分を自由に作れる環境だったというわけですね。
西川:
そのとおりかもしれないですね。それが、『パワポケ10』くらいからピカーっと照らされて。
――『パワポケ8』からニンテンドーDSになっていますが、シナリオの部分では、正直、そこまでブレーキを踏んだ印象はありませんが……。
西川:
いや、怒られる頻度が増えました。
――なるほど(笑)。
萩原:
そうなんですよね。目立ってしまったので。それでもめげずに。
西川:
まあ、それ以外の作り方を知らないしね。「売れるものを作らないとダメ」ということで増員もされたんですけど「仕様書を見せてください」と言われて、「いや、そんなものないよ」と。「仕様書は開発が終わったあとに攻略本のために書くものやから」と話したら、ショックを受けていましたね。
――代々受け継がれる焼き鳥屋の秘伝のタレのようなものですね。もう何が入っているのか、作っている側もすぐにはわからないという(笑)。
西川:
そうですね、どんどん足していくからね。ゲームの作り方が、大きく担当を分けて、その中のことはすべて担当に任せるやり方だったので。
――メインライターとまとめは西川さんが担当していますが、シナリオも分担していたんですよね。
西川:
最終的に世界観はまとめるけど、イベントはそれぞれ、彼女候補キャラをひとりずつ担当してもらったりして、もらったテキストの隙間を埋めていたという感じですね。
三浦:
西川さんから見たらそうかもしれませんが、僕らからしたら大きな幹を作っているのが西川さんで、その枝葉を作っているのが他のスタッフという感じです。
――西川さんのいう「隙間を埋める」とは、シナリオの整合性を取るという意味ですね。
西川:
はい。ただ、「少しここは変えさせて」と言うこともあったけど、ほとんどはそのまま出してましたよ。
山本:
確かに、かなり自由にさせてもらってましたね。
西川:
ミニゲームもひとつひとつの担当者を決めて、その人が全部やって、仕様をどんどん変えていく。最後まで責任を持つという形で、それぞれが好きなことをやっていたんです。仕様書を書いてしまうと、その内容通りに作らなきゃいけなくなるので、あとから変えられない。
三浦:
仕様書がないほうが、いろいろとやりたいことを追求できるんですよね。
西川:
デザイナーさんとプログラマーが1対1で「ここをこう変えたい」と話しながら、UIを含めてどんどん変えていくことができる。それができるから話は早いんです。問題は、バグが……(笑)。そこは良し悪しがありますね。
谷渕さんのあだ名が「ラメーン」になる
――バグについて、もう時効ということでいまだから言えるとんでもないバグなどはあったのでしょうか。初代『パワプロ』でいえば、オリックスのチームデータにミスがあったと、語っていたこともありましたよね。
西川:
ああ、1作目のオリックス球団担当が、プロ野球に一番詳しい人だったので、大丈夫やろうと思っていたら、主要選手以外は全員同じパラメータに設定されていて、発売後にあれ……? と。チェックの目から漏れていたというミスがありましたね。
『パワポケ』だと、ヤバかったのは、あれちゃうかな。延々とセーブデータの対応をした……。
萩原:
あれは大変でしたね。
西川:
どのタイトルか覚えていないんですが、何かの動きをするとセーブできなくなるというバグがあって、これはマズイと。結局、ユーザーから送ってもらったセーブデータを、こちらで直して送り返すのを繰り返して、だいぶしんどかった記憶があります。
かなり作業を圧迫したけど、我々にできる限りの誠意だったので。結局、対応した新バージョンを出したんやっけな。あれはかなり尾を引きましたね。
三浦:
僕が「うわ〜」と思ったのは、『パワポケ12』の裏サクセス。
山本:
あれは僕がやらかしたやつですね。「秘密結社編」はクエスト型のRPGだったんですけど、セレクトボタンを押しながらクエスト一覧の画面を開くと、まだフラグを立てていないクエストまで開いてしまうというバグがあり……。
三浦:
まあいろいろと考えた結果、自由に楽しんでもらおう、となりましたけどね。
山本:
でも当初想定したバランスが崩れてしまったので……。ユーザーの不利益になるバグではなかったのがせめてもの救いです。
西川:
まあ、サービスということでよかったんちゃう? あれがあってもそれなりに難しいからね。一番イヤやったのは、宇宙編(『パワポケ9』の裏サクセス「スペースキャプテン編」)で、移動距離を間違えて、ふたつの惑星のあいだを移動し続けたら、なんぼでもお金が増えてしまうやつ。バランスがぶっ壊れてしまうので、発見して「ぎゃ〜」と思ったのを覚えてる。それがなくても行けるようにバランスをとってるんだよって。
三浦:
ワームホールバグですね。ユーザーは「ワームホール貿易」と呼んで喜んでくれていましたけどね(笑)。
西川:
あと『パワポケ9』の表サクセス(「さすらいのナイスガイ編」)で、(広川)武美のあるランダムイベントのフラグが他のイベントと重なってしまって、ほぼ見るのは無理かも、っていうのがありました。フラグの定義部分を間違えて、イベント発生チェックをしていなかったので、あとで「定義が重なってるわ」と気づいた。
――そういったバグが発生してしまうのは、どんなケースが多いのでしょうか。
西川:
やっぱり、ぎりぎりまで作り込んでしまうからでしょうね。
山本:
みんな、それぞれ担当の部分にこだわるがゆえに、ぎりぎりまで。
三浦:
調整、調整を重ねて……。
山本:
ということにしておきたいです(笑)。
――ちなみに、『パワプロ6』の「ラメーン」【※】のような、シナリオ部分でのお茶目な間違いなどはありますか?
※ラメーン
『パワプロ6』のサクセスモードにて、デートイベントで彼女を食事に誘った際、店のおやじが「えーと、ラメーン2丁で1000円ね」と話すシーンのこと。いわゆる「ラーメン」の誤植。ちなみに、「ラメーン」は『パワポケ5』にてセルフパロディがなされた。
萩原:
あれ、たしか谷渕さん(※谷渕弘氏:『パワプロ2』からプログラマーとして携わり、ディレクターを経てプロデューサーを歴任)のミスですよね。その後、谷渕のあだ名が「ラメーン」になって、ずっとイジられていました(笑)。
『パワポケ』でそこまで話題になったのはなかったんじゃないかな。だって、あだ名で呼ばれてる人がいないですから。
――ミスがあったらあだ名になっているはずだから、ということですね(笑)。
昔は分業なんてせず、基本的に開発をスタートするときは5人だった
――チーム全員が企画、シナリオ、プログラムと幅広く担当する環境は、どのようにでき上がったのでしょうか。
西川:
単に昔のゲームだからじゃないですかね。昔は分業なんてせずに、なんでもひとりでやるのが当たり前でしたから。たとえば昔のシューティングゲームなんかだと、ドットも打ってプログラムも作る。そういう年寄りが集まって作ったのが『パワプロ』で。
当時も開発スタート時は5人前後で、あとからサウンド担当がふたり合流したくらい。 『パワプロ』のときでも、ピッチャーとバッターの対決する画面は僕が担当して、守備画面はまた別の人が担当して、そのあいだのデータの引き継ぎだけ決めていたんですね。だから、お互いにそれぞれのことがわかっているので、少し変えたいことがあれば、話してどんどん進められる。『パワポケ』もその流れをくんでいるということなんです。
――昨今のようにハードの性能が上がると人数が増えて、そういったやりとりが難しくなっていくわけですね。
西川:
そうですね。いまのアプリの分業はすごいです。
三浦:
いまはプランナー、デザイナー、プログラマーが完全に分かれていますが、当時の『パワポケ』では、企画会議はプログラマーもデザイナーも全員でやるし、それぞれの担当部分も、プログラマーとデザイナーが1対1で話し合って、画面の構成もすべて決めていましたから。
西川:
欲しい絵があれば、直接デザイナーに話しにいって。「エンディングの一枚絵、ちょっと効果が欲しいから爆発の絵を描いて」とか。
萩原:
「こんな感じですか〜」って描いて渡したら、「そうそう、これこれ」ってどんどん進めていく。
三浦:
「サイズが16×16のこんなやつちょうだい」とか。プログラマーが軽い仕様書のようなものを書いて「これで画面のフローを作ってみて」とか。
萩原:
その話を聞きながら、大きな方眼紙の上に、描いた絵を乗せて、そのフローを作ってみる、みたいなことをしてましたね。
三浦:
仕事をしていて「うわ〜、この仕様、また追加されるのか……」という雰囲気ではまったくなかったなあ。
萩原:
そうそう。逆にもっと「これもこれも追加したい」と言って、「またそんなに風呂敷を広げて大丈夫か?」と心配されるけど「いや、なんとかします!」とみんなもがいていました。
――そうやって作った作品が、10年の時を経てリメイクされるほど反響があるのは、作り手冥利に尽きますね。しかし、そのスピード感に慣れていると、いまの大人数の分業制は……。
西川:
悲しいこともありますよ。「これ、やっといて〜」ってお願いしたら、「要望書を出してください」と言われて、ず〜んとしました(笑)。「ここ、こうしたほうがええんちゃうの」と言っても、ミーティングを行っていろんな人のところを延々と確認に回さなあかんとなって。みんなの同意を経て、ようやく変わるという。
――いま、インディーゲームや少人数で作ったゲームが増えていて、ヒット作も出てるじゃないですか。そういった作品には“しっかりと背骨が通った”ゲームが多いと感じていて。少人数だからこそ、こだわりがブレずに尖りが生まれると言いますか。それは開発に関わる人数が多くなると、どうしても再現が難しいと思うんです。『パワポケ』は少人数だからこその絶妙なバランスの環境があったからこそ尖っていたのかなと。
西川:
それはあるかもしれないですね。
三浦:
携帯ゲーム機という環境が良かったんでしょうね。
――当時の携帯ゲーム機の開発環境が、奇跡的なバランスを生み出した要因のひとつだったと。プレイステーションやNintendo Switchになると開発に携わる人数も増えてしまいますもんね。
萩原:
グラフィック的にも、本格的な3Dになるとやっぱり人数が増えます。インディーゲームでも『UNDERTALE(アンダーテイル)』や『Eastward(イーストワード)』あたりは、世界的流行のピクセルアートを採用して、描く量やクオリティを絞りながら少人数で作っていますよね。やり方を工夫すれば、いまでも少人数でゲームを作ることはできるのかな、とは思います。
――『パワポケR』はNintendo Switchタイトルということで、やはり開発の人数も多かったのでしょうか。
山本:
キャラクターも量産しないといけないので、原型を作って対応していただく方を含め、少しだけ関わった人も入れると、総勢100人くらいになると思います。
西川:
そうなると、仕様書をしっかり書かないといけない(笑)。『パワプロアプリ』のシナリオ班は、少しだけ昔に近いやり方という噂も……?
三浦:
いやいや、仕様書、ちゃんと書きましたよ(笑)。
――ちなみに、『パワポケ』はシナリオが重視されたシリーズですが、昨今のスマホゲームはシナリオの比重が大きいですし、運営型でシナリオがどんどん追加されていきます。そういったトレンドについて、何か思うところはあるのでしょうか。
西川:
『パワポケアプリ』の『パワポケ』コラボのシナリオに関して言えば、基本的に完結する形でやっています。でも、それはうちの形態やからね。3年間の話を1年に納めろ、という話なので。
新キャラを出すぶんにはいいんですが、過去の『パワポケ』のキャラをストーリーから切り出してくると、シナリオを圧縮しなければいけないので。とくに、『パワポケ7』のブラックや『パワポケ8』の白瀬芙喜子をやるってなったときは、どうしようかと頭をひねりましたね。
――お話を聞いていると、長い漫画や小説を12話のテレビアニメや2時間の映画に収める難しさと似ている気がします。『パワポケ』は表・裏サクセスともに、サイバーパンクやSF、ファンタジー、パニックホラーなど、その後世界的な人気作が出るジャンルをのきなみシナリオ化していて先進的だったと思うので、アニメ化が実現したらおもしろそうですよね。
西川:
もしできるなら、やりたいですよね。『パワポケ12』の「秘密結社編」や『パワポケ11』の「怪奇ハタ人間編」あたりは、アプリで出したらおもしろいものになると思います。
三浦:
たしかに。
萩原:
アニメ化できたら、かなりおもしろい話にできそう。
西川:
『パワポケR』が売れて、続きが出て、もとのキャラクターが認知されて、その先に……という流れになったらええな、とは思いますね。
山本:
ゲームがあって、さらにアニメ化というわけですね。
三浦:
『パワポケ12』までリメイクされるためには、なかなか先は長いですね(笑)。
――アニメといえば『パワプロ』シリーズは京都アニメーションによるオープニングアニメーションが印象的ですが、『パワポケ』は携帯ゲーム機というハードの特性上、アニメは入れていなかったですよね。
西川:
コストと効果が見合わないから、アニメは絶対に入れないと決めていました。依頼するお金だけじゃなくて、こちらが監修で時間を取られるので。
三浦:
『パワプロ』のアニメもかなり大変でしたからね。
萩原:
1回見たら終わりですからね。それよりもゲームをしっかり作って楽しんでもらうほうがいいと。そんな時間があるなら「ゲームをとっとと作れ!」 みたいな(笑)。
西川:
エンディングの絵を1枚でも多く描いてもらったほうがいいよね、という判断でした。
公式サイトの質問コーナーでは、寄せられたすべての質問に回答
――そういった作り手の熱量もあって、『パワポケ』ファンは情熱的な方が多いなと。ネット上のユーザーの投稿などに目を通すこともあったのでしょうか。
西川:
はい、レビューも二次創作もけっこう励みにはなっていましたね。
萩原:
うれしいですよね。
西川:
ただ、二次創作に関しては、原作にない個人の解釈を公式設定のように広げてしまう人がいたので、それは止めてほしいと言ったところ、二次創作全体を嫌がっていると誤解されてしまったことがありました。
たとえば過去作で、猪狩進の料理を食べた主人公が「すごい、これはプロ級だ」と言ったところをとって、「猪狩進の料理の腕前はプロ級」とか。「あなたたち、お世辞って知ってますか?」という話で、大げさに言うとるだけやで、と(笑)。
『パワポケ』でも、拡大解釈して設定にしてしまうケースがあるので、それは止めてほしいとは思っています。
――ある時期まで、公式サイトで「しつもんコ〜ナ〜」というユーザーからの質問に開発チームが答えるコーナーがありましたよね。非常に好評で、回答の斜め上っぷりも話題でしたし、ファンの記憶に刻まれていると思います。いまでこそ、マーケティングとしてユーザーとのコミュニケーションを重視する会社は多いですが、かなり先進的な取り組みだったように感じます。どのような経緯で始まったのでしょうか。
萩原:
藤岡さんがユーザーとのつながりを強く意識していて、「身近に感じてもらえるように、やるぞ!」と。
西川:
ただ、普通は答える質問を選びますよね。え、全部に答えるの……? っていう。めっちゃしんどかったよな。
――えっ? 届いた質問、全部に答えていたんですか?
萩原:
そうです。うちは来た質問に「全員ですべてに答えるぞ」と。「これこそ『パワポケ』だ」という意気込みで。
三浦:
チーム全員に質問がば〜っと送られてきて、みんなが回答していたんですよね。
萩原:
それを最後に藤岡さんがまとめて、答えとしてお返ししていました。大変だったけど、みなさん喜んでくれていたのでよかったです。
三浦:
複数人の回答が合成されるから、矛盾した回答になったこともあるんですよ。
一同:
あったあった(笑)。
萩原:
ひどかったのが、「好きな食べ物は?」という質問に対して、「鍋が好き、でも鍋が嫌い」という回答(笑)。
一同:
(爆笑)
西川:
量が本当に多かったから、まとめる藤岡さんもちょっと変だったのかもしれんね。
本当にいろいろな質問があって、答えやすいのは長々と書くけど、オニドリルの技について聞かれても「それはドリルくちばしちゃうの?」としか書くことがない【※】よね。それが全部出るから、「これも載せたんかい」っていう。オニドリルはちょっとだけ話題になったからよかったけどね。
※:オニドリルの技について
質問と答えの詳細は以下の通り。
Q:オニドリルはなぜこんなにも冷遇なのですか?
A:ドリルくちばしは使えるよね。遺伝用に1匹は作っておくでしょ?
――ちなみに、あのコーナーがなくなってしまったのは……。
萩原:
詳細は言えないのですが、みんなが正直に書きすぎたあまり、ちょっと強すぎる言葉を使ってしまったことがあったんです。その言葉が独り歩きして炎上してしまって、社内でも怒られてしまう……ということになりました。
――概ねユーザーたちが推測している通りのことがあったわけですね。
「戦争編」は藤岡さんがイタズラで描いた日本兵姿の凡田大介がきっかけ
――ユーザーの質問すべてに回答する、アニメを入れるより1枚でも多く絵を描く、それぞれが担当箇所をぎりぎりまで開発する……。明文化されているわけでもないのに、『パワポケ』イズムがチームに浸透しているように感じます。
萩原:
たしかに、そんな感じはありますね。
三浦:
まあ、引き継ぎもなにも、メンバーがずっと変わっていないだけという気もするけど(笑)。
一同:
(笑)
萩原:
メンバーが変わらずどんどん濃くなっていって、周りからも変なチーム扱いされていました。
西川:
まあ結局のところ、みんな、遊んでくれたユーザーを驚かせよう、喜ばせようというサービス精神を持っていたと思います。
萩原:
「みんなを楽しませよう」という気持ちでやってきたのはそのとおりだし、藤岡さんがバシッと「ここはこうや!」と話されることが浸透していったという部分もありますね。
西川:
たとえばこの『パワポケ9』の会議資料を見ると、「ここでゴキブリを潰してやろう」とか、イタズラっぽいものがたくさん書いてある。
萩原:
これは私が描いたやつかも。サバゲーに行ったとき、足についた虫を描いていて。議事録を書いてるときってヒマじゃないですか。そこでなんとなく描いちゃったんです(笑)。
西川:
でも、そのイタズラで描いたのがみんなから「これウケるわ〜」と言われて、採用されたりする。『パワポケR』にも収録された『パワポケ2』の「戦争編」は、藤岡さんがイタズラで描いた日本兵の格好をした凡田大介【※】があまりにもハマってるので、「これやろう!」と始まったわけで。イタズラ書きって、意外と重要やったりするんですよね。
※:凡田大介
『パワポケ2』、『パワポケ5』で主人公の相棒を務めたメガネ一族のキャラクター。「ガンダーロボ」好きなおもちゃマニアで、貧乏生活においてはご飯代を削っておもちゃを買う。おもちゃは遊ぶものではなく、飾るものだと考えている。
――ちょうど話に出てきた藤岡さんは、『パワポケR』ではイラストなどを担当されていて、かつての仲間が再合流したかたちになりましたね。
山本:
今回、藤岡さんの会社の問い合わせページから、「お久しぶりです。ぜひご一緒したい案件がございます」とお声がけしました。「じゃあ、行くわ」と快く来ていただいて、『パワポケ』復活ということでイラスト作成を快諾いただいた次第です。
――現代風にアップデートしつつ、当時のテイストも共存する絶妙なイラストですよね。
山本:
上がってきた絵も「全部これでOK」という感じでしたね。
三浦:
これぞ藤岡さんという感じの絵。
西川:
いい絵ですよね。
山本:
メインビジュアル、扉絵も描いていただいて。あ、少しだけ「犬のイラストもほしいです」など、いくつかのお願いはしましたけど。
――メインビジュアルの中に、しっかりクワガタもいますよね。これは昔からのファンにとっても感慨深い合流だと思います。