日本で見ているWEBTOONは、韓国のWEBTOON業界全体からすればほんの一部でしかない
イ氏:
日本の出版社の方と話をすると、WEBTOONに対する認識はやっぱり、出版漫画からcomicoに行く前の昔の僕と同じなんだなと感じるんです。みなさんなぜか、すごく自信満々で。
鳥嶋氏:
あぁ、わかる。
イ氏:
僕はその方たちに比喩として言うんですけど、同じようにボールを使ってプレイするスポーツでも、サッカーと野球があるじゃないですか。球技ということでは同じだけど、でもぜんぜん違うでしょ。野球ができたからといって、サッカーができるわけではないですよね。
今はまだ、WEBTOONに対してみんなが誤解しているんです。「野球ができたからサッカーもできる」と、強気で言っているイメージがある。
あと、日本に入ってくるWEBTOONの作品は一部でしかないですから。ヒット作だとか、決まった範囲の作品しか入ってこないので、全体として実際にはどういう漫画が存在しているのか、まだ伝えられていない。
鳥嶋氏:
日本で出版業界の人間や、読者が見ている作品は一部でしかない?
イ氏:
そうなんです。僕がなぜそれを分かっているかというと、韓国でも昔、同じことが起きたからです。日本から韓国に入ってくる漫画も一部の作品だけでしたから。だから韓国人が考える日本の漫画全体のイメージは、日本人が考えるイメージとは違うんですよ。
アニメでも同じことが起きていて。『怪盗セイント・テール』【※】というアニメがあって、今の日本ではオタクの人しか覚えていない作品ですけど、韓国では全国で放送されたので「これは日本で大人気の作品なんだ」と思っていたんです。でもそんなことなかった。
※『怪盗セイント・テール』
『なかよし』で連載された立川恵氏の少女漫画をTVアニメ化。1995年~1996年に放送された。中学2年生の羽丘芽美は、夜になると怪盗セイント・テールに変身して、華麗なる怪盗テクニックで盗まれた宝石や絵画を取り戻し、悪党たちをこらしめていた。そんなセイント・テールを、芽美のクラスメイトで刑事の息子のアスカJr.が追ううちに、ふたりの間に特別な感情が芽生えてきて……。
日本に来てアニメの視聴率を見たら1位は『サザエさん』とか『ドラえもん』で。でも韓国では『サザエさん』は放送されていないので、知らなかったんです。
漫画も同じで、僕が若い時に日本から韓国に入ってきた作品は、『ドラゴンボール』だったり『北斗の拳』だったりするんですけど、これが日本の漫画全体のようなイメージを持っちゃうんです。
鳥嶋氏:
なるほど。同じようなことが、WEBTOONが韓国から日本に来る時も起きるわけね。
イ氏:
韓国で漫画を志していた若者たちに一時期、いちばん影響を与えていたのは萩原一至さんの『BASTARD!! -暗黒の破壊神-』でしたから。
鳥嶋氏:
『BASTARD!!』ってそんなに影響力があるの!?
イ氏:
ありました。あとは大友克洋さんの『AKIRA』ですね。
鳥嶋氏:
なるほど、絵だね。
イ氏:
そうですね、内容よりはやっぱり絵から入るので。「日本の漫画はこういうふうに描かなきゃいけないんだ」って。
鳥嶋氏:
「ここまで緻密に、トーンを駆使して描かなきゃいけないんだ」と。
イ氏:
というので、韓国の中ではクリエイターたちの傾向が、そっちのほうに傾いたんです。
そういう偏りが、WEBTOONに対する日本の人たちの反応でも起きていて。たとえば最近、僕がよく耳にする言葉は「プロダクション」で。「集団作業で作るのが韓国のWEBTOONだ」とよく言われているんですけど。
でも実際に韓国のWEBTOONを見ているとモノクロの漫画もあるし、韓国のWEBTOON作家の60~70パーセントぐらいは、個人でやっているんです。いろんなパターンの作品が存在しているんですよ。
あとは「スナックカルチャーでしょ」と言われたりもするんですけど、韓国のWEBTOONの中にはものすごく真剣なテーマのSF作品もあるし、文学性の高い作品もあるし、いろいろな作品がありますよ。
鳥嶋氏:
なぜそういうことが起きるんだろうね?
イ氏:
これは会社を経営する立場になってようやく分かったんですけど、結局コストですね。そういう作品はある程度の層にしか売れないので、コストをかけて輸入してくれません。だから売れそうな作品だけが日本に来るわけで、それだけを見て全体を把握するのには無理がある。
鳥嶋氏:
ということは、日本の市場でウケそうなものだけが韓国からやってきて、それによってWEBTOONのイメージが作られている?
イ氏:
そうです。20~30年前に韓国で起きたことが、逆に今、日本で起きている。そういう印象ですね。
鳥嶋氏:
そうか。日本の漫画も全部が韓国に行ったわけじゃないもんね。日本でヒットした作品だとか、「こういうものが韓国の市場でウケるだろう」と思ったものだけが行ってるもんね。
イ氏:
もちろんです。日本の漫画って、いちばん出ていた時は1年に1万2000タイトルぐらい出ていたんですけど、それが全部韓国に行くというのは無理がありますから。
鳥嶋氏:
無理だね。
イ氏:
相当に行ったんですけどね。数千タイトルと行ったんですけど、それでも、ですね。
あとは土壌自体が違ったりもするし。たとえば『神の雫』【※】は日本よりも韓国で売れましたよね。
※『神の雫』
2004年~2014年に『モーニング』で連載された亜樹直氏原作、オキモト・シュウ氏作画のグルメコミック。世界的なワイン評論家の息子、神咲雫が「十二使徒」と呼ばれる12本の優れたワインと、さらにその上に立つ「神の雫」と呼ばれるワインを探すことになる。2015年~2020年には、完結編の『マリアージュ ~神の雫 最終章~』も『モーニング』で連載された。韓国では200万部を超える大ヒットとなり、同国でのワインブームの火付け役となったほか、ワインの本場フランスでもグルマン料理本大賞の最高位を受賞するなど、絶賛されている。
鳥嶋氏:
その通りだね。『神の雫』が韓国で当たったことで、韓国のワインブームを作ったと言われているから。当時僕は集英社の現場にいて、それを聞いて「えぇっ!?」と思ったのを覚えてる。なにしろ「韓国で赤ワインが買えない」って話を聞いたから。
イ氏:
一時期はそうでしたね。「この値段で、韓国でワインを飲むんですか?」っていう(笑)。すごいブームでした。
日本の出版社は漫画を海外に輸出したけれど、WEBTOONはプラットフォームのシステムを海外に輸出して、現地の作家を育てた
鳥嶋氏:
ヒョンソクさんはスクエニで『ヤングガンガン』に10年関わって、それなりのヒット作も作ったけど、WEBTOONではそれが通用しなかったわけだよね。そこで「誰が読んでくれるのか」というのをもう一回改めて考えることと、クリエイターを見ることで、試行錯誤して「作り方が分かった」と言っていたけど、それは具体的にはどういう作り方なの?
イ氏:
それはですね、すべてが違っていて。僕は6つぐらいに整理できたんですけど、まず縦の漫画というのはスマホに最適化されていますので、横の見開きの漫画とは違うんですよ。
哲学的な話になっちゃうんですけど、日本の漫画のイメージは本、つまりアナログなんですね。アナログの時計を見れば今の時間を教えてくれますけど、それだけじゃなくて未来の時間も過去の時間も同時に表現される。本も同じで、本を開くとこの見開きのページのどこを読めばいいのか、この前のページには何があったか、次のページには何が待っているのか、そういったことを総合的に教えてくれる媒体なんです。
それに対してWEBTOONは、今見ているこの画面の情報だけを教えてくれるんです。それを継続的に見ていくので、脳の認識がアナログの本とは違うんですよね。
鳥嶋氏:
もうちょっと分かりやすく言うと、見開き漫画は見開きの全体を見て、なんとなく全体を認識した上で1コマ目を読むわけだよね。
イ氏:
その上でどこを見ればいのかという形で、すべてが設計されていますよね。「次はこれを見てください」って感じで。
鳥嶋氏:
ところがスマホの場合は、画面に映っている情報だけだと。
イ氏:
それがまず違いますよね。
次に販売のモデルとしては日本の場合、事業的な話ですけど、単行本を出してようやく回収じゃないですか。だから投資した資本を回収するまで時間がかかる。
鳥嶋氏:
それはおっしゃる通り。
イ氏:
それに対してWEBTOONは、出した瞬間からお金が入りますから。しかも読者の動きというのが、リアルタイムですべて分かる。
鳥嶋氏:
反応が早いんだね。
イ氏:
早いです。それに評価するシステムも違う。『ジャンプ』の場合はいまだにハガキでやってるんですよね?
鳥嶋氏:
そうそう。
イ氏:
でも、最近の若い人たちは、ハガキや切手を使ったことがない人が大勢いるので。
鳥嶋氏:
その通りだね。
イ氏:
その意味では、今集まっている読者の実像を把握できているかというと、違うと思います。
WEBTOONはIT関係なので、どういう世代が何時に何を読んで、どのエピソードに対していくら払ったかというのを、全部把握しているんです。
鳥嶋氏:
『少年ジャンプ』はアンケートで他誌に先駆けて、読者のことを生活習慣なんかも含めて知っていたんだけど、それはアナログで、ズレて入ってくる情報だよね。でもネットにおいてはオンタイムで、もっと分析されて詳しく知っていると。
イ氏:
そうなんです。これは僕もcomicoに行ったから、ようやく身に染みたというか体験できたことで。アナログのアンケートだとやっぱり遅いし、本当の読者の姿というのを把握できないかもしれない。
あと……ここまで言うとアレかもしれないけれど、今の日本の漫画雑誌は、編集者の年齢が高すぎると思います。読者の目線を本当に反映できる年齢なのか、っていう。
鳥嶋氏:
(笑)
イ氏:
これは非常に大事なことで。たとえば今、『少年ジャンプ』を読んでいる人の半分ぐらいは女性だと思いますが、女性が読んでいる作品がたくさん載っている。でも『ジャンプ』の編集部には、女性はひとりもいないですよね?
鳥嶋氏:
いないね。
イ氏:
これって本当に読者の意見を反映できていますか? ということになりますよね。
……スイマセン、これはカットしてください。
鳥嶋氏:
いやいやいや、違った考えは違った考えであるから、あなたの考えはそれでいいのよ。
イ氏:
とにかく、IT業界では読者が要求していることに合わせて、すべて変えるというのがあるんです。それが決定的な違いかなと。
あと、僕はWEBTOONの未来に関する質問をよく受けるんですけど、僕が「WEBTOONの未来は明るい」と思っていることが、ひとつあって。
1980年代に、ドイツと日本はアメリカに対して経済戦争で勝つんですね。完全に勝ちました。
鳥嶋氏:
ニューヨークのマンハッタンのビルを日本企業が買いまくって、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と言っていた、あの頃だね。
イ氏:
それに対してアメリカは戦略を変えます。どう変えたかというと「システムを売る」ことにしたんです。具体的に言うと、パソコンのOSです。それからたとえば、マクドナルドの経営システムを世界に売る。つまり完成した商品を売るんじゃなくて、製品自体は現地の人々が作る。アメリカの企業はシステムを売って、そこからマージンを取るという形にしたんです。
韓国のWEBTOONの思想も、これなんです。だから韓国の作品も世界各国に売りますが、それと同時に10年以上も前から各国にWEBTOONのプラットフォームを作っておいて、現地の作家さんを育てたんですね。
日本の漫画出版社はこの道を選択しなかったんですよ。
鳥嶋氏:
漫画の輸出はしたけどね。
イ氏:
そう、システムを売るんじゃなくて、作品を売ることを選択したんです。しかも直接作品を売ったわけじゃなくて、現地の人たちにライセンスを渡して売ってもらった。
日本の漫画出版には70年の歴史があって、それは素晴らしいんですけど、今の読者に向ける努力を、もう少しやってもいいんじゃないかと思いますね。