フリー・トゥ・プレイでヒット作を生み出す会社に興味を持つ
──上流から下流まですべて見てきて、これだけ多くのタイトルに携わるのはめずらしいですよね。
熊谷氏:
じつは夫がプログラマーなんです。当時から早熟でメインプログラマーをずっとやっていた人が夫なので、わからないことは夫から教えてもらいました。
プランナーの仕事って、「プログラマーをどう説得するか」がいちばんの鍵なんですけど、夫のおかげでプログラマーに伝わる言葉に翻訳してもらうことができました。経験に恵まれたことと、身内に助けてもらっていたことが大きいです。
──熊谷さんの旦那さんはどういう方なんですか?
熊谷氏:
高校生のときからゲームを作っていて、専門学校に行ったときは先生役になっていたそうです。セガに入社後は2本目くらいからメインプログラマーとして仕事をしていました。
じつは『レールチェイス2』から『ロスト・ワールド』も『ダービーオーナーズクラブ』も『アヴァロンの鍵』にも参加してもらっていたんです。夫にはスマホ部門を立ち上げるときもついてきてもらって、本当にずっと頼りにさせてもらっていました。
──熊谷さんが実務にコミットできた背景には旦那さんの存在もあったんですね。セガでの仕事を振り返ってみて、学んだことや経験になったことはどんなことですか?
熊谷氏:
あまりにも多いのでひと言で言いづらいですが、「チームワーク」です。会社が自由にさせてくれていたので、職種の枠を超えて横断的な活動ができました。その経験から全体像を捉える力が培われて、視野が広くなったと思います。
──その経験を踏まえてコロプラに移られたと思うんですけど、これはどういう経緯だったんですか?
熊谷氏:
いくつかある理由のひとつとしては、大きな組織のなかでやるべきことが進めづらくなってきたことです。スマホ事業にフォーカスするようになっていたので、フリー・トゥ・プレイでヒット作を生み出す会社のやり方に興味がありました。そこでコロプラさんとご縁があり、入社した流れです。
──コロプラに入った決め手はどんなところでしたか?
熊谷氏:
スマホゲームにフォーカスしている会社を探していたんですが、私自身がコロプラの『コロニーな生活』の大ファンだったんです。さらに『白猫プロジェクト』という大ヒットゲームを生み出しているので「どうやったらまったく違うプロダクトをつぎつぎと生み出しているんだろう」と会社に興味を持ち、面接を受けました。
──入社後は統括的な立場で仕事をされていたんですよね。
熊谷氏:
これまでの経験を活かして、助けられそうなところに入り込んで活動することを許していただいていました。入社後に知ったことですが、当時のコロプラの取締役だった森先さんがセガの水口さんと一緒にお仕事をしていたご縁もあって、いろいろ任せていただいたのが最初の1年くらいです。
そのあとは組織改編があり、「スタジオを見てください」と言われ、「つぎは本部を見てください」と言われ、「今度は開発全体を見てください」と徐々に重責になってしまいました。
──ひとつのプロダクトに集中するというより管理がメインだったんですか?
熊谷氏:
管理がメインでありながらも最初の1年はPMと兼任しながらファーミングゲームの運営をしていました。少人数のチームだったため、まるでセガでゲームを作り始めたころのようなスピード感でお客さんの反応を見ることができたり、反省をすぐに活かせるところがよかったです。
あとは女性向けの『DREAM!ing』というゲームがあったんですけど、前任の方が苦労されていて、引き継いだんです。心苦しくもシナリオとキャラクターを活かす形でリセットさせていただいて、別ゲーを作らせてもらうということもありました。
……って、振り返ってみると管理だけじゃないですね(笑)。セガ時代もコロプラ時代も常に走り回っていました。
──そういうお話を聞くと、熊谷さんはまだKADOKAWAでは静かですね(笑)。
熊谷氏:
ゲームが主業ではない世界でゲームの仕事をするのってこんなにも苦労するのか、と思いました(笑)。
──といっても、KADOKAWAは出版社においては、いちばんゲームに積極的で、元社長の佐藤辰男さんも「ゲーム事業は悲願だ」と言っていてたにも関わらず、なかなか結果が出ていないですよね。
そんなKADOKAWAになぜコロプラから移ろうと思ったんですか?
熊谷氏:
コロプラはいまでも大好きですが、『DREAM!ing』を作ったあとは完全に管理専任になってしまったからですね。
『白猫プロジェクト』や『黒猫のウィズ』というコロプラの人気IPをいかに広げるか、がミッションだったんですが、コロナの影響で「新しいことを始めるよりいまは既存をしっかりを運用していこう」という見解になり……。
終わりが見えない状況だったこともあり、もっと刺激がほしくなってしまったんです。そこで、「ゲーム事業を主体的に考える」と言っていたKADOKAWAに興味を持ちました。
転職活動をすると十中八九が会社のお悩み相談になる
──コロプラを辞める前から行く先を探していたんですか?
熊谷氏:
じつはコロプラに入る前から「就職活動っておもしろい」と思っていました。私くらいの年齢になると、先方の面接官が社内の悩み事を色々話してくれます。
コロプラに入る前の転職活動もそういう状況になっていたため、行き詰まりを感じたときに転職エージェントに「ゲーム会社以外でおもしろい会社があったら紹介して」と頼んでいました。そこで、KADOKAWAの泉水敬さん【※】を紹介していただいたんです。
※泉水敬氏
2002年よりマイクロソフトに在籍し、2006年にXboxの事業責任者を務める。2019年からKADOKAWAの執行役員に就任。
──泉水さんはエージェント経由での紹介だったんですね。
熊谷氏:
もちろん泉水さんのことは存じ上げておりました。KADOKAWAにいらっしゃることは驚きましたけど。エージェントを通して「KADOKAWAがゲーム事業に本腰を入れようとしている」ということをうかがって興味を持ちました。
ここで最初の話に戻りますが、「KADOKAWAにゲームをわかる人がいたらもっと動きがあったはず」と思ったことが入社のきっかけです。
一般的に「IPを活用する」となると、認知度や規模を気にする方は多いかと思いますが、じつは新しいIPもファンを拡大する、作りだすという面では狙いどころで。
──たとえば集英社の『ジャンプ』は、キャラもIPも最初から十分強いので、ゲーム化からIPがヒットするというのはあまりないと思うんですけど、KADOKAWAの場合は、アニメ化で本格的なヒットIPに育つように、ゲーム化からヒットIPに育っていくルートはもっと挑戦してみていいと思うんですよね。
実際、「七つの大罪」などは、ゲームのヒットによって海外での人気が高まったと聞きますし。
熊谷氏:
セガ時代に「ゲームを通じてなにかが大きくなる」ということを見てきちゃったのも大きいと思います。なんにもないところから『バーチャファイター』が生まれたり、『ダービーオーナーズクラブ』で競馬ファンが増えたことを実感したり。
競馬に関してはいま『ウマ娘』で同じような現象が起きていますが、「ゲームの力でもとのコンテンツが盛り上がる」という実体験があるので、ゲームを通じて新しいIPをヒットさせることは可能だと思っています。
──出版社のゲーム事業の取り組みだからといって、みんなが想像するような「人気アニメのゲーム化」ではない……ということは、ぜひ読者にもお伝えしたいところですね。
熊谷氏:
おっしゃる通りです。かつてのKADOKAWAのゲームの作り方は、「原作やアニメが最高潮」で、そこからゲームを作っていました。でも、いまはそうではない。
みんなが想像するような人気IPのゲーム化ということだけではなく、IPをゲーム化することで、IPそのものを大ヒットさせていきたい。それが一番伝えたいことかもしれません。(了)
紳士服会社のAOKIからゲーム会社のセガへ転職、そして35歳の若さでヒットメーカーの社長に就任するという異例の経歴を持つ熊谷氏。しかしながらそれは、いかなる環境でも物怖じせずに走り続けた結果といえるだろう。KADOKAWAでも「人事的な面談」とわかっていながら資料を作成し、社長に直接プレゼンをしてしまう熊谷氏のバイタリティには圧倒された。
人気アニメのゲーム化というと、「人気のアニメにゲームが便乗している」ように見えがちである。しかしながら、『トルネコの大冒険』や『ポケモンGO』のように、「新しい遊び・仕組み」を届けるために、人気のキャラクターや世界観を活用する方向もあり、それはむしろ、新しいゲームの可能性を広げるための使い方だとも言える。
筆者としては、ゲームをより深く理解するからこそできるIPの使い方を、KADOKAWAの今回の取り組みには期待してやまない。
KADOKAWAのゲーム事業が今後どうなっていくのかは分からない。
しかし、夏野氏というデジタル分野に精通する人物が社長になり、また今回取材した熊谷氏をはじめ、フロム・ソフトウェアの宮崎氏や、スパイク・チュンソフトの櫻井氏など、ここまでゲームを知り尽くした人材/組織を擁する出版社など、世界を見渡してもそうはないであろう。
出版社は、今後の日本のコンテンツ業界を占ううえで、重要なキープレイヤーであることは間違いなく、その意味でも、各出版社および、今後KADOKAWAがどのように仕掛けていくのか、ぜひ注目していきたいところだ。