ゲームをプレイしていると「なんとなくだけど、こういうデザインが好きだ」と感じることがありますよね。
「あったかもしれない、夢のソ連」を描き、その狂気的なビジュアルが話題となった『アトミックハート』をプレイしているときも、そんなことを考えました。
このビジュアル、絶対に元ネタがあるはずなのに、なにがルーツになっていて、どのような意味が込められているのか……それが分からなくて、もどかしく思ったプレイヤーは筆者だけではないはずです。
ということで、この記事では建築史家・建築評論家である五十嵐太郎氏に『アトミックハート』がいかにして当時のソ連の建築や芸術、デザインを現代のゲームに落とし込んだのかを語っていただきました。
あの象徴的な建物にはソ連のどのような思いが込められているのか。近代の建築にはどのような文化の差があるのか。
『アトミックハート』に登場する建築の深堀りだけでなく、近現代の建築史に関する興味深いお話を伺うことができました。
※この記事は『アトミックハート』の魅力をもっと知ってもらいたいBeepさんと電ファミ編集部のタイアップ企画です。
スターリン様式とモダニズム建築
──『アトミックハート』はまず「コレクティヴ2.0」というニューラルネットワークの実装を祝う「空中都市チェロメ」という場所で、小さなボートに乗りながら都市を眺めていくところから始まります。冒頭のイベントで一番目立つのはこの建物(上画像)ですよね。
五十嵐氏:
この、もっとも典型的でソ連と同じ共産圏の国らしいイメージを持つ建築様式はスターリン様式【※】といいます。
※スターリン様式の「スターリン」はソ連の指導者であったヨシフ・スターリンからきている。第二次世界大戦以後のソ連はもちろんのこと、東欧の共産主義国家、中華人民共和国、朝鮮民主主義人民共和国の建築にも大きな影響を与えており、まさに社会主義リアリズム(後述する)の建築の象徴ともいえるスタイル。
ただ、この建物の中央にデザインされている「丸いガラス」は、当時は絶対に存在していないデザインなので、本作のオリジナルだと思います。
──『アトミックハート』のソ連ではロボットが実用化されているぐらいに科学技術が非常に発達した世界なので、この部分は最先端の技術が使われているのかもしれませんね。実際、この「丸いガラス」部分の内部はかなり未来的な作りになっています。
──話を戻しますと、共産圏ではスターリン様式の建物が建てられた一方で、ほかの国はどのような様式が流行したのでしょうか。
五十嵐氏:
スターリン様式がソ連で作られた20世紀の半ばになると、アメリカなどの資本主義諸国では「モダニズム」といった芸術運動が流行します。モダニズム建築というのは、装飾的な要素を排除し、ガラスと鉄、コンクリートを使った幾何学的なデザインですね。
──日本にもある、いわゆる「ビル」みたいな建築でしょうか?
五十嵐氏:
そうですね。日本も1930年代ぐらいからモダニズム建築が登場し、戦後は最初の超高層として「霞ヶ関ビル」が建設されており、現在も存在しています。
モダニズムの高層ビルの最たるものの例としては、ニューヨークの「シーグラム・ビルディング」があります。これはまさにモダニズムの象徴ともいえるデザインとなっており、純粋に鉄とガラス、コンクリートを使った理想的な美しいビルとして知られています。
五十嵐氏:
これは補足の説明になるんですが、アメリカではモダニズム以降、つまりポストモダンの時代になると、また建築の流れが大きく変わります。
──ポストモダンの代表的な建築で言うと、どのようなものがありますか。
五十嵐氏:
例えばニューヨークに建っている旧AT&Tビル(ソニー・ビルディング)はポストモダン建築の代表的な建築です。
近代的なビルのほとんどは、屋上が平らになっている、いわゆる「フラットルーフ」になっています。しかし、このビルでは「ペディメント」といわれる、古典建築にある三角形の破風をくっつけるという非常に変なデザインになっていますね。
これは、わざと古典的でシンボリックな要素を加えて、モダニズムが切り捨てた表現を再度組み込んでいるといったところが非常に特徴的です。
──少し話が戻るんですが、なぜアメリカの資本主義からモダニズム建築が生まれたのでしょうか。
五十嵐氏:
それはシンプルに新しい技術が生まれたからです。鉄、ガラス、コンクリートといった建築素材は、じつは20世紀になって初めて本格的に建築の材料に使えるようになったんですね。
モダニズム建築は、そうした新しい素材にふさわしい合理的な建築表現を追求していった結果、そのような形になったということです。
要するに、モダニズム以前では絶対にできなかった表現で、新しい材料だからこそ可能となったモデルを提示していたということになります。
──新しい素材ならではの、新しい建築スタイルがモダニズム建築だったと。その点でいうと、現代ではまた新しい素材が出てきたりしているんでしょうか?
五十嵐氏:
その点では、現代の建築も鉄、ガラス、コンクリートを素材とした同じパラダイムの中にあります。プラスチック、アルミニウム、ファイバーなどといった新しい素材も実験的に使われてはいるものの、コストや汎用性を考えると、まだまだ実用的な段階にはありません。
もし、より決定的に新しい材料が、現在のコンクリートよりも安く、どこでも使えるようになれば現代の建築の姿も根本から変わるかもしれないですが。
──なるほど。つまり、アメリカがこのようなシンプルで実用的な建築物を作っている中、ソ連はまったく別の時代の流れの建築物を作っていたんですね。
五十嵐氏:
はい。ソ連は鉄とガラスの高層建築をあえて作らずに、近代以前の古典主義、要するに古代ギリシャから続いているような造形のあり方を思わせるスターリン様式の建築物を建設していたということになります。
──『アトミックハート』では、ところどころにアメリカや資本主義への対抗意識をモチーフとした表現が出てきます。たとえば、ゲーム中で使えるスキルを紹介するアニメーションでも「労働者がブクブクと太った資本家をやっつける」というものになっていたりします。
このように、建築様式においてもアメリカへの対抗意識みたいなものがあったのでしょうか。
五十嵐氏:
そうですね、ソ連は自国のイデオロギーを尊重し、“あえて”モダニズム建築を選択せず、アメリカをはじめとする資本主義に対抗していたと推測することができるかもしれませんね。
補足・ソ連のアニメーションについて
クラシックなアニメーションといえばアメリカのイメージが強いかもしれないが、実はソ連も20世紀初頭から、たくさんのアニメーションを制作している。1924年に発表されたロシア初のアニメーション『ソビエトのおもちゃ』は、労働者と農民が結託しブルジョワから税金を搾り取るという内容となっており、その後に作られたアニメーションもプロパガンダとして利用された。『アトミックハート』でも上述したように、似たようなテーマでアニメが作られている。
また、1936年にはモスクワを拠点に「ソユズムリトフィルム」という国営アニメーションスタジオが設立される。当時のソ連のアニメーションは1933年のモスクワ映画祭におけるディズニー作品の紹介の影響が非常に大きく、制作体制はディズニー式のものが参考にされ、子供向け作品やプロパガンダ作品が作られていった。
ちなみに『アトミックハート』内のテレビで観ることのできるアニメーションは、『Nu, pogodi!』という1969年からロシアで実際に放送されていたもの。オオカミとウサギが追いかけっこをする内容となっており、ロシア版『トムとジェリー』として知られている。
しかし、同作で登場する差別的な描写が問題となっており、Mundfishから謝罪の声明が出されている。
ロシア構成主義と社会主義リアリズム
──『アトミックハート』のアートデザインは、いかにも「共産圏」という感じがするんですけど、建物の他にも当時のソ連のデザインを取り入れたりしている箇所は見られますか?
五十嵐氏:
そうですね、まず『アトミックハート』で描かれている時代のソ連を知るためには重要な、イデオロギーやムーブメントがいくつか存在しているのでそれについて説明しましょう。ひとつ目が「ロシア構成主義」です。
ロシア構成主義とは、ロシア革命【※】の頃に新しい社会主義国家の建設に向けて大きく展開した芸術運動のことを指します。キュビズムなどといった前衛芸術の影響を受けてはじまったものであり、伝統的な絵画や彫刻を否定した非常にアバンギャルドな表現が特徴です。
※ロシア革命
1917年にロシア帝国で起きた2度の革命のことを指す名称。史上初の社会主義国家(ソ連)の樹立に繋がった「十月革命」で知られている。
──ロシア構成主義というものはどのような流れで生まれたのですか。
五十嵐氏:
ロシア革命によって「社会が変わったから、デザインも根本的に新しくしよう」ということで生まれた流れで、その前衛性が高く評価されました。ただ、ソ連が成立した頃にスターリンらによって弾圧されてしまい、それ以降はこのような前衛的な表現ができなくなってしまうんですね。
──なるほど、それからまた新しい芸術の流れが生まれるんですね。
五十嵐氏:
そうですね。ソ連・スターリン体制下では、前衛的なロシア構成主義の代わりに前近代のクラシックなものを作ることが推奨されました。その方針のことを「社会主義リアリズム」と呼びます。
──まったく対照的な流れになってしまったと。
五十嵐氏:
社会主義リアリズムというものは、社会主義における芸術表現で重視されたもので、簡単に言ってしまうと「ベタな写実」です。社会主義の理想をベタに描く、という芸術表現なんです。
──なるほど。『アトミックハート』では、絵画ではないですが写実的な彫像がたくさん出てきます。これも、言ってしまえば社会主義リアリズム的な表現なんですね。
五十嵐氏:
そういうことかと思います。
一方で、例えばこの時期のアメリカであれば、抽象表現主義などの前衛的な表現が流行しています。代表的な作家で言えばジャクソン・ポロック【※】のような芸術家などですね。
そんな中、社会主義国ではむしろ時代を逆行したような社会主義リアリズムがソ連の方針によって浸透していくんです。
※ジャクソン・ポロック
ニューヨークの抽象表現主義の代表的な画家であり、ポロックのこの画法は「アクション・ペインティング」とも呼ばれている。
──ソ連の社会主義リアリズムも、資本主義への対抗表現なのでしょうか。
五十嵐氏:
やはりこれも資本主義への対抗意識です。資本主義がどんどん新しく芸術を発展させていくのに対して、全く違う道を取っていく戦略のようなものと考えてもらっていいかもしれません。
さらに言うと、社会主義リアリズムはプロパガンダの側面も非常に強く、「指導者が労働者と連携していく」といった理想の絵を見せることを重視していますね。
──なるほど。『アトミックハート』の舞台のひとつとなる空中都市・チェロメは、政府関係者と労働者(科学者)のみが居住を許された都市という設定になっています。そこかしこに労働者を鼓舞するようなメッセージが散りばめられているのは、プロパガンダ的な意味合いもあったんですね。
五十嵐氏:
そうですね。この都市の街並みを見ると、そうしたプロパガンダが散りばめられている一方で、「広告」がいっさい見当たらないのも特徴的だと思います。広告は資本主義的な表現ですからね。
──言われてみればたしかに! この画像は都市内にある新聞や雑誌を売っている売店ですが、なんだか質素に見えるのは広告がないからなんですね。
五十嵐氏:
話を戻しますと、プロパガンダを効果的に使うには、芸術をどのように理解していくかも重要になっていきます。一般的に前衛的な芸術は難解であり、理解するためにはある程度の芸術に対する教養が必要となってきますよね。
一方で社会主義国家では、難解な芸術だと困るんです。なぜなら、難解だと民衆が理解できないから。そして、民衆が理解できないと、プロパガンダにも向いていない。
そういうことで、社会主義リアリズムは誰でもわかるようにベタで写実的な絵画を推奨していったということになります。
この流れは先ほど紹介したスターリン様式と非常に類似しており、せっかく20世紀になったのに、その時代の流れとは逆行しクラシックな古典建築を巨大化させたような表現を意図的にしているということになっています。
──なるほど。芸術的な表現というよりも、プロパガンダに適した表現、という意味でわかりやすさに振っていったわけですね。
五十嵐氏:
ちなみにプロパガンダという点でいうと、ナチスドイツは第二次世界大戦で戦ったソ連と戦いましたが、ヒトラーのとった芸術方針はソ連と似たようなものだったんですよ。
──たしか、ヒトラー自身も芸術家を志していたけど、挫折した過去があるんですよね。
五十嵐氏:
その上でヒトラーは前衛的な芸術を嫌っていたんです。バウハウス【※】という総合造形学校を弾圧したり、「退廃芸術展」といって前衛芸術を見せしめにする展覧会を行ってます。
五十嵐氏:
また、ヒトラーはアルベルト・シュペーアという建築家とともに「ゲルマニア」という都市改造構想をデザインします。
この模型の写真を見てもらえばわかると思いますが、かなり古典的なデザインになっているのがわかりますよね。
──たしかに、モダニズム建築の感じはぜんぜんしませんね。
五十嵐氏:
そうなんです。ここで面白いのは、モダニズムのような先進的な建築が出てきた時代にもかかわらず、ヒトラーとシュペーアの趣味で「クラシックな巨大古典建築でベルリンを改造する」という計画が生まれた……ということなんです。
なぜそんな建築を目指したのかというと、彼らの中ではヨーロッパの文明文化の起源がギリシャにあるからなんですね。「第3帝国」という自称からも、その血筋みたいなものも意識したというところがあると思います。
ドイツとソ連は最終的に戦争をしていますけど、目指していたデザインは似通っていた……というのも歴史の綾なのかなと思います。
補足:『アトミックハート』とプロパガンダ
『アトミックハート』の世界では、サチノフ教授がプラスチック製の蓄電デバイスである「ポリマー」を発見したことで、ソ連がほかの国から一歩抜けた科学力を持つことになる。ポリマーはロボットの燃料に使われることはもちろんのこと、かなり自由に化学反応を起こすため戦闘にも有効活用される。
ポリマーが発見されてから、15年ほどたった後に物質が人体に活着する能力「ポリマー同化適用」が発見され、それが「コレクティヴ1.0」というニューラルネットワーク技術に応用されることになる。
最終的に全ソ連人口のポリマー化を開始するべく「コレクティヴ2.0」を実装することが決定し、そのセレモニーから始まるのが本作。
この技術は接続した人間の思考の力を制御し、ひとつのニューラルネットワークに統合されるものとなっている。要するに、現実のソ連はアートや建築を用いて民衆の煽動やプロパガンダを進めたが、『アトミックハート』の世界では、それ以上に科学技術を用いて、より完璧なプロパガンダを進めようとしているのである。
『アトミックハート』の団地はソ連っぽくない
──スターリン様式の建物もなかなか存在感があるんですけど、団地もなかなか特徴的な形をしていますよね。
五十嵐氏:
「団地をたくさん建てている」というのはソ連や社会主義国の特徴のひとつなんですけど、『アトミックハート』に出てくる団地は当時あったものと少しデザインが違っていますね。
──どういうところが違うんでしょうか。
五十嵐氏:
一般的に、当時のソ連にあった団地は屋根が平らでフラットになっているモダニズム建築のスタイルが主流でした。
しかし『アトミックハート』に登場する団地には、寄棟屋根(よせむねやね)のような傾斜した屋根が付いているんです。
つまり、本体はモダンだけど、屋根だけが前近代的な造りになっている。そういう意味では、先ほど解説したポストモダン建築のような特徴を持っている団地だと言えます。
──なるほど。
五十嵐氏:
日本ではこのスタイルを「帝冠様式」と言って、上野の国立博物館などがこの様式に近いです。
五十嵐氏:
このころ、団地はソ連に限らず、日本も含めて世界中で作られています。ただ、団地とは本来、屋根を載せなくてもいい建築なので屋上が使えるはずなんです。
一方で『アトミックハート』の団地では、「屋上が使える」というメリットをなくしてでも、屋根をつけている。史実のソ連とは異なりますが、『アトミックハート』の世界ではさらに反モダニズム的な意識が込められて、このような屋根になっているのかもしれません。
──そのような意図があったとして、それが結果的にポストモダン建築と似かよっているというのも、なかなか興味深いですね。本日はありがとうございました。(了)
さて、『アトミックハート』に登場する象徴的な建築が、どのような実在する建築に影響を受けて作られたものであったか、興味深いお話を聴くことができました。
私たちは家という建築物の中に住んでいて、どこかに出かけるときは何かしらの建築物を必ず目にします。今回改めて気付かされたのは、その建築物のひとつひとつが、合理性を追求したり、国のプロパガンダを反映していたりとさまざまなルーツを持っているということです。
それはゲームの中でも、もちろん同じです。ひとつの建築に、ひとつの物語があります。
こうした視点からゲーム内の建築を見てみるのも、面白い遊び方のひとつになるかもしれません。