9月25日(水)、「ニンテンドーミュージアム」のメディア向け内覧会において、任天堂株式会社の代表取締役 フェロー・宮本茂氏への合同インタビューが実施されました。
ニンテンドーミュージアムは任天堂が京都府・宇治市にて10月2日(水)よりオープンを予定している施設です。1889年の創業以来、任天堂が発売してきた様々な製品を展示するほか、任天堂のものづくりから生み出されたさまざまな娯楽を今の技術によって表現し体験できます。
今回、ミュージアムのオープンを目前に控えた宮本氏の心境をお聞きしたところ、「もしここに山内がいたら、『そんなもんやめとけ』って言う」だろうという驚きの言葉がこぼれました。
一体宮本氏はなぜそのように考えるのか、それでもなお、ニンテンドーミュージアムの設立に漕ぎつけた理由とはなんなのか。インタビューのなかで明かされるその思いは非常に興味深いものとなりましたので、ぜひ最後までお楽しみください。
また、弊誌ではニンテンドーミュージアムのメディア向け内覧会の様子を報じた記事も公開していますので、こちらもあわせてチェックしていただければ幸いです。
現地取材/司破ダンプ
編集/うきゅう
カメラ/海保研
※インタビューは他メディアとの合同で行われました。
「もしここに山内がいたら、『そんなもんやめとけ』って言う」。それでも任天堂がニンテンドーミュージアムを作ったワケ
──ニンテンドーミュージアムを作った理由と、宇治市をその場所に選んだ理由を教えてください。
宮本茂氏(以下、宮本氏):
語れば長くなるんですが、任天堂をよくご存じの皆さんに「どうして任天堂がこんなものを作るんだ?」と思っていただけたら、それが正解なんです。任天堂はこれまでずっと、あまり自分たちの説明をせず、お客さんとは商品を通じてコミュニケーションすると決めていました。
今回このミュージアムを作ろうと思ったときに僕が一番心配したのは、もしここに山内【※】がいたら、「そんなもんやめとけ」って言うだろうなということです。それでもこのミュージアムを作ることに決めたのは、理由がふたつあります。
【※】山内……元任天堂株式会社代表取締役社長、山内溥。
宮本氏:
ひとつは、アーケードゲームを始めとする膨大な資料や、毎年何百本と増えていくゲームソフトなどをどのように保存・管理していくかということです。アーケードゲームは動かないと意味がないですし、ゲームソフトもただパッケージだけ残していてもしょうがないので、なんとか管理していかなければいけない。
もうひとつは、任天堂に百人~二百人と入ってくる新入社員に対して「任天堂とはなんぞや」という説明をする時間の問題です。かつては2時間かけて新入社員セミナーという講座をやっていたんですが、それがいつしか2時間半になり、気付けば3時間近くになってきました。社員は面白がって聞いてくれるんですが、20年近くセミナーをやっているといい加減にそれを引退したいと思うようになりました。
本ミュージアムの展示は、そのセミナーで話していた内容がベースになっています。
たとえば、Wiiを作るにあたっては、『ウルトラマシン』の思い出がまずありました。また、任天堂は過去に『ラブテスター』という得体の知れない(笑)、ふたりの愛情度を測りますというとても怪しい商品を1万5000円で売っていたんですが、そういった商品に強い思い入れを持った開発者が任天堂にたくさんいて、そういう人たちがWiiの頃に積極的に色んな開発をしてくれました。
宮本氏:
ところが、今『ゼルダ』は300人とか400人とかの人数で作るようになってきています。はたしてスタッフが数千人になってきた時、任天堂社内で任天堂らしさを維持していけるのか。維持していけるようにしなくてはいけないということが話題になりました。
そんななか、宇治の一番古い工場が製造ラインも配送も別に移すことになり、場所の使い道を検討することになりました。「売ったらいいのでは」という意見もありつつ、やはり我々の思い出の場所なのでなんとか残していきたいと話をしていたら、ミュージアムにするのはどうかという提案がでました。
鳥羽街道の元任天堂本社とこの宇治の工場がミュージアムの候補として浮上したんですが、交通機関のアクセスなども踏まえてここが良かろうということでここに決まりました。
宮本氏:
なので、決してひとつの理由でこの場所にミュージアムを作ることを決めたわけではないんですが。「任天堂の過去の資産を通じて、任天堂が何なのか理解してもらう」という目的を考えた時、それなら社員だけじゃなく、任天堂を知ってくださってる皆さんにも見てもらって、任天堂をわかってもらえたらよいなと。
ゲーム機戦争とか呼ばれる、ハイスペックとか性能をどうするとか、そういう競争に任天堂を巻き込まないでほしい、と(笑)。任天堂は今の世の中の色んな技術を使って任天堂らしい物作りをずっと続けていくし、ゲームに限らず映像もやっていきます。いろんなエンタメのコンテンツを作っていく会社なんですってことを理解してもらうのにいいきっかけかなというので作ってみました。
──小さいお子さんからご高齢の方まで、日本国内だけでなく海外も含めて多くの方が任天堂の製品を愛していますが、世代ごとにどのようにこの施設を楽しんでもらいたいですか?また、日本国内だけでなく海外にもこのような施設を作る予定はありますか?
宮本氏:
自由に見てもらえればいいです。誰にどこを見てもらうということもなく、自分に思い出のあるものを見ていただければと思います。どちらかと言うと、ミュージアムに来る皆さんを見て、ぼくらがそこで面白い発見ができたらもっとよいかなと。
展示物に関しても、すべてをローカライズはしていないんですが、海外の人にも見てもらうことを前提に、できるだけ見てわかる展示に徹しているつもりです。体験コーナーについても、たとえば百人一首では、百人一首協会に言わせると怒られるかもしれませんが、本来なら字札が取り札のところを絵札を取り札にするような取り組みをしています。しかも、様々なお姫さんやお坊さんを踏みつけにして歩くという(笑)。
宮本氏:
ミュージアムで色んな体験をしてもらって、皆さんに任天堂は面白いことを、わかりやすく、使いやすく伝えるのが上手な会社なんだなと思ってもらえたらいいなと思って作ってます。
海外でのミュージアムの展開については、さきほどもお話したようにビジネスで展開しているのではなく、任天堂の社員が任天堂を理解するために作ってるので、あちこちで展開するつもりはまったくありません。
むしろ、ミュージアム内部で、今後どのように広がっていくのか。たとえば、この部屋を僕は勝手に「アートギャラリー」と呼んでいて、マリオのドット絵や地形のスケッチ、『スプラトゥーン』や『ゼルダの伝説 ティアーズ オブ ザ キングダム』のイラストなどが飾られる場所になっていく予定ですし、将来はどこかで映像を見てもらえるようにしたいとも考えています。
──ミュージアムの展示エリアのなかで、ご自身が直接設計したものやご自身にとって特に記念となる展示品はありますか。エピソードも含めて教えてください。
宮本氏:
別の取材でも聞かれて、とても悩みました(笑)。意外とどれかに限定できないんですね。
僕が設計したという意味では、業務用の『ドンキーコング』は社外のプログラマーと一緒に、基本、箱もイラストも含めて全部設計しました。また、『ブロック崩し』や『レーシング112』などは僕が入社当時にした仕事で、筐体の設計までしました。ただ、すべてに思い入れがあります。
宮本氏:
本ミュージアムの展示では、各ハードウェア外側の面っていうのが全部コンセプト展示になっています。任天堂が世界で初めてやったこと、多少無理をしてもチャレンジしたこと、それからこのハードで初めて生まれたキャラクターってのがわかりやすく囲ってあったり、そのハードのテーマとして「ひとりよりふたり」とか「世界を64で変える」みたいな心意気が書いてあるので、それを見ていただけるとよいかと思います。
また個別の展示としては、1階のフロアでコントローラーだけの展示もしています。「コントローラーの進化」として新入社員研修でもやるんですが、業務用の『ドンキーコング』から始まり、『ゲーム&ウォッチ』で業務用機械を移植するために十字ボタンが生まれました。
プラスキーというのがジョイパッドのスタンダードの原型になって、それがファミコンにもつきました。スーパーファミコンではLRボタンがついて、ニンテンドウ64でアナログスティックがつく。Wiiでモーションコントローラーとかポインティングとか色んな技術を足していった。
これらはほとんどが世界初です。少なくともゲーム機では初めてです、というのを僕らのプライドにしているので、よかったら見ていってください。
──このミュージアムでの発信を中長期の任天堂の成長戦略にどう活かしていくのか、どういった位置づけになるのかお聞かせください。
宮本氏:
資料を倉庫で眠らせておくのが勿体ないから社員も含めてみんなの見える場所に置こう、というのが一番大きな目的なので、あまり中長期的な戦略とは関係がないんです。
ただ、親子に孫まで含めた3世代にわたる人たちがこのミュージアムに来て、任天堂ってゲームの競合メーカーとか、新しい先端の技術とかとは全然関係ないところにある会社なんだなと思ってもらえるのが一番大事なことだと思っています。
当然技術研究はします。いままでアナリストさんとか色んな所からどうしてネットワークやらないんだ、モバイルはどうなんだ、先端のチップをどうして使わないんだとか色んなことを言われてきましたけど、冷静に見ていただくとちゃんとやってるんですね。
ただ、売り時が来るまでずっと待って、売り時が来てから任天堂は商品化してるという歴史が見てもらえると思います。それを見ることで、株主の皆さんにも、任天堂を信用していただく。「我々に任せてください」という意味での中長期展望ですかね(笑)。
「任天堂を選んでもらう理由を作る」。映像コンテンツなどの多角的な展開をおこなうのは、“ゲームは動かなくなる”という寂しさから
──ニンテンドーミュージアムというのは親子3世代で楽しめる非常に有効な手段だと考えますが、今後ニンテンドーIPの拡大でどのような企業像を目指していくか。そのあたりをお聞かせください。
宮本氏:
ミュージアムの1階にはウェルカムゾーンと言うか、たくさんのキャラクターを置いています。最初は今までの商品とかハードウェアの展示を中心に作ってきたんですけど、やっぱり任天堂全体を理解してもらおうと思うと、IPを見てもらうのが一番ではないかということで、そういう場所を作りました。
宮本氏:
いまは任天堂のゲームへの窓口としてIPやテーマパーク、映画などを動かしているが、将来的には任天堂というIPを含めた大きなブランドのなかに、当然ゲームもあるし、もっと魅力的なものを作れたらその中に色んなものが入ってくるというイメージで考えていけたらと思っています。
やっぱり、みんなが覚えているのはIPなんですよね。ゲームは新しいバージョンに代わっていったらもう動かなくなる。それがすごく寂しくて。ミュージアムで遊べるようにしても限界がありますが、映像ならいつまでたっても残っています。そういうものがどんどん増えていって任天堂全体を大きなブランドにしていければと。
──ミュージアムの看板について、このブルーグレーのような色味がどういう由来で決まったのかが気になってます。街の景観条例なども影響しているのかと思いますが、色に込められた思いがあればお聞きしたいです。
宮本氏:
あまり深い意味はないんですよ。任天堂はロゴやショップとして全部この赤に白文字で展開してるんですけど、あれはセールスのために使ってるもので、事務関係にはグレーを使っています。
そういうのもあり真っ赤ではないなというところまでは決まったんですけど、僕はパープルにしてくれと要望したんです(笑)。なぜって、京都だから(笑)。僕は単純にパープルの任天堂をやりたかったんですけど、現場としては建物全体をシックに抑えてるので、パープルは色がきつ過ぎると。
宮本氏:
でも実はこのミュージアムの色、内部ではパープルと呼んでるんですよ。なぜ呼んでるかというと、僕が「パープルじゃないやないか」というから、言い訳のようにパープルと言ってるんですけど(笑)、これはグレーです。
……ちょっとよくわからなくなったんですが、質問への答えとしては販売系統と分けようというのが大きな目的です。