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コーエーテクモ社長・襟川陽一が語る「ゲーム産業ができる前」の話。「10本売れればいいな」と思って作った『川中島の合戦』は、1万本の大ヒットに。“近所のおばちゃん”を総動員してテープをダビング、ひとつひとつ手作業で発送していた

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襟川氏がゲーム開発時にするという「自分のなかで遊んでみる」とは一体なんなのか?

──ちなみに、『信長の野望』の頃は、企画書のようなものは作っていたんでしょうか。

コーエーテクモ社長・襟川陽一氏インタビュー。『信長の野望』『三國志』『川中島の合戦』の裏話_017

襟川氏:
『信長の野望』の企画書は、昔はあったんですが失くしてしまいましたね。でも、ただの紙に5枚とか10枚書いただけで、そんなに立派なものじゃなかったと記憶しています。私はずっと頭のなかで遊んでいましたので、「これは面白いだろうな」というのは感じていました。

実際のところ、プログラムが出来上がり、それをプレイしてみたら自分が考えていた以上に面白かったですね。

──先ほども「自分の頭のなかで楽しんだゲーム」という表現をされていましたが、これはどういう意味なんでしょうか?

襟川氏:
コマンド、データ、キャラクターなどは頭のなかに情報として入れられるので、試験的に頭のなかでプレイしてみるんですよ。ゲームを頭の中で組み立てて、それで遊んで、面白いか面白くないか。

この間、うちの小笠原(賢一)くん『信長の野望 出陣』を考えていたんですが、「領地をひとつずつ取っていく」というのが面白いかどうかを考えるために、実際に領地を取るわけではないですよね。頭のなかで領地をやりとりするゲームシステムを考えて、「ひとつずつ取っていくと面白いだろうな」というのをテストプレーするわけです。

それと同じで、色んなコマンドを使って、国の状況を表す様々な指標の上がり下がりを見ながら、最適な戦略や戦術を見つけていくのは面白いだろうなと考えて、頭のなかで自分でいろいろやってみて、これは面白いなとなりました。ただ、それ以上に、実際にプレーする『信長の野望』は面白かったです。

コーエーテクモ社長・襟川陽一氏インタビュー。『信長の野望』『三國志』『川中島の合戦』の裏話_018
(画像は『信長の野望 出陣』│コーエーテクモゲームスより)

シミュレーションは疑似体験。「戦国時代にタイムスリップして、信長と成り代わって天下を統一する」という夢をよりリアルに感じるために武将たちを作り込む

──『信長の野望』では、武将たちの個性が武力や統率力などのパラメータによって表現されています。さらに、初期のころは低く、時間経過とともに強まっていくような成長曲線の変化も存在しています。こういったデータの調整について、参考にされたものなどはあるんでしょうか。

襟川氏:
参考にしたものとしては、これまで経験してきたボードゲームが挙げられると思います。『スコードリーダー(Squad Leader)』という、二次大戦中のヨーロッパを舞台としたウォーシミュレーションゲームがあるんですが、能力を数値化して表すようなことはボードゲームではよく見られたので、そういったところは参考にしました。

そして、シミュレーションゲームを作っていくと「物事や人物を数値化して表す」という考えが当たり前のようになってくるんです。1981年から1983年にかけてはそれがどんどんと進行していったんですね。

コーエーテクモ社長・襟川陽一氏インタビュー。『信長の野望』『三國志』『川中島の合戦』の裏話_019
(画像は『スコードリーダー/戦闘指揮官』│ぼーっどゲーム情報サイト「ボドゲ―マ」より)

──確かにアナログのシミュレーションゲームでも、ユニットの特性はデータとして表現されますね。一方で、顔のグラフィックスや人物伝のようなものまで用意して、そのユニットである武将を“キャラクター”として扱ったというのが、それまでのシミュレーションゲームとコーエーのゲームの大きな違いであるように感じられます。

そういった扱い方にはすごく情緒があると感じますが、なぜユニットのキャラクター化という発想が出てきたんでしょうか?

襟川氏:
まず、シミュレーションというのは疑似体験ですから、その疑似体験がより面白くなるように、より深く楽しめるようにというのを考えました。つまり、信玄なら信玄らしく、謙信なら謙信らしく、家康だったら家康らしくということですね。

コンピューターグラフィックスや能力の数値化で、武将をその武将らしく表現できれば、「戦国時代に自分がタイムスリップして、その時に活躍していた信長と成り代わって全国を統一する」という夢をよりリアルに実現できる。そのリアリティが増すんじゃないかという風に考えて、その方向性をどんどんと深めていったということだと思います。

コーエーテクモ社長・襟川陽一氏インタビュー。『信長の野望』『三國志』『川中島の合戦』の裏話_020

襟川氏:
最初の頃はPC-8001とかで作っていたので、顔の表情を表現しようとすると、とてもメモリが足りなかったんです。それがだんだんと16ビット、32ビットと画素子の数が増えていき、使える色も豊かになって、武将の表現もだんだんと解像度が上がっていきました。

漢字も、最初は使えなかったものが武将の名前だけは使えるようになるなど、パソコンの性能が進展していけばいくほど、新しい表現ができるようになり、それによってより楽しいゲーム体験もできるようになりました。そういう意味では、顔グラフィックスの表現についてはマシンの性能によるところが大きいかもしれませんね。

なにより、かみさんが多摩美術大学の卒業生で、コンピューターグラフィックスはお手の物でしたから。

──武将の顔グラフィックのディレクションも、襟川恵子さんが担当されたんでしょうか。

襟川氏:
ええ、ずっとやっていましたね。もちろん、多摩美や武蔵美の卒業生でゲーム好き、歴史好きという人たちがどんどんコーエーに入ってきたというのもありますね。

もはやゲームの枠を越え、“パブリックイメージ”になりつつあるコーエータイトルの武将たち。時代の人気や歴史研究に合わせて、ゲームの側でも変化していく

──コーエーの「信長の野望」シリーズや「三國志」シリーズに登場する武将たちのキャラクターとしての印象は、もはや作品内にとどまらずテレビドラマや他ジャンルにも浸透するパブリックイメージになっているようにも思えます。襟川さんとしてはどのようにお考えですか?

襟川氏:
確かに、中国の三国志ゲームファンの方にも、コーエーの三国志のキャラクターは根付いている印象がありますね。コーエーが1985年から出している「三國志」シリーズは、解像度やリアルさで変化はしているもののずっと同じ孔明の顔、劉備の顔で持続しているんですけれども、そのことがオフィシャル感を出しているのかもしれません。

とは言え、なにも変えていないわけでもありません。武将のパラメータは当時の活躍っぷりや、ゲームを出す時代の人気の高い低いを受けて変化させているんです。今川義元のように近年急激に再評価されて、「公家のお遊びの大名」のような印象から「最高の名君」へと印象が変わっていくと、コーエーのゲームにおいても急に凛々しくなっちゃうわけですよ(笑)。

ゲームを作るタイミングでの人物評であるとか、マンガやアニメ、大河ドラマ、映画などでの扱い。また学術的な世界での発表、新資料の発見、そういったいろいろなものをプロジェクトチームのなかで昇華しながら、皆さんの納得できるようなデータ作り、パラメータ作りをしています。

また、制作側の好みというのも実はあって、その時のプロデューサーやディレクターが「どうしても信玄が好き」とか「謙信が好き」とかがあると、ポンとステータスが上がっちゃいますね。

──そういった振れ幅は許容されているんですね。確かに、かつて前田慶次を主役にしたマンガが連載されていた頃、「信長の野望」で前田慶次の武力が100になっていて嬉しかった記憶があります。

襟川氏:
そうですよね(笑)。あれで前田慶次の武力が50だったら「なんだこれは」と怒っちゃいますから。

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(画像は『花の慶次~雲のかなたに~』 – 原哲夫 公式ウェブサイトより)

──「無双状態」というような言葉が使われるようになったのも、「無双」シリーズの発売後だと思います。一般用語になったというか、世間への影響が凄いですよね。

襟川氏:
そうですね、一般用語になっていると思います。先ほどの業務用ゲームのメーカーの話じゃないですが、「無双」という言葉はコーエーで権利を取っています(笑)。

「信長の野望」「三國志」「Winning Post」などのシリーズは「ずっとパソコン版を作っていく」。多方面に展開を続けながらも、初めて触れたプラットフォームへの想いは強い

──コンシューマー機への移植やソーシャルゲームへの展開など、多方面に展開していったコーエーですが、それでもPCへの展開はやめませんでした。

襟川氏:
そうですね。PCは、私の一番最初に触れあったプラットフォームですから、ずっとこれからも続けていきたいですね。「信長の野望」が40周年を迎えましたし、2025年には「三國志」も40周年です。ほかにも「Winning Post」であるとか、これらのタイトルはずっとパソコン版を作っていこうと思っています。パソコンの時代に繋がってくださったお客様が、継続的に買ってくださいますから。

それに、今はSteamが随分と普及していますので、Steamでダウンロード版をお買いになっている方もいらっしゃいます。欧米では昔から高かったですが、日本でもだんだんパソコンのゲームのシェアも増えてきているので、パソコンがまたゲーム機として復活してきているのがすごく嬉しいですね。

「信長の野望」で言うと、うちの小笠原くんを巻き込んでMMORPGへのチャレンジをしたのが忘れられないですね。『信長の野望Online』として世に出した時は、皆さんにびっくりされました。

なかでも、当時のソニー・コンピュータエンタテインメント(SCE)の久夛良木社長(久夛良木健氏)がえらく喜んでくださったりで、私は3年間ぐらい毎日プレイしていましたね。

そんな『信長の野望Online』も、2003年のリリース以来もう21年も続いていますし、今でも人気があります。この時のシミュレーションゲームからMMORPGという別分野へのチャレンジをしたように、今もジャンルの転換と言いますか、ひとつのゲームをひとつのゲームジャンルで終わらせるのではなく、さまざまなゲームジャンルに持っていこうというチャレンジをしているところです。

「信長の野望」ワールド、あるいは「信長の野望」プラットフォームとして、さまざまなゲームジャンルを楽しんでいただけるよう、これからも面白いゲームをどんどん提供していこうと思っています。(了)

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パソコンゲームの黎明期、趣味の延長でのゲーム開発。そこからコーエーを世界に名だたるゲーム会社へと押し上げた襟川氏の情熱は、40年あまりの時を経てもなお微塵も衰える様子はない。読者の皆様にも、襟川氏の「困難にこそ挑み、それを楽しむ」というチャレンジ精神の輝きが伝わっていれば幸いである。

なお、本インタビュー記事の元となった映像および書き起こしは、ZEN大学コンテンツ産業史アーカイブ研究センターによる「オーラル・ヒストリー収集の取組み」の一環としてデジタルアーカイブされ、日本のコンテンツ産業の歴史を次世代に伝えるための資料として保存される。

ZEN大学では、今後もオーラル・ヒストリー収集をはじめとした様々な活動をおこなっていく予定であり、2025年4月の開学へ向けて、現在も急ピッチで準備が進められている。興味のある方は、公式サイトをチェックしつつ、続報を待ってほしい。

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聞き手
ZEN大学 コンテンツ産業史アーカイブ研究センター副所長。 1986年、ゲーム総合誌『週刊ファミ通』に創刊から携わる。『週刊ファミ通』の編集長に就任したのち、株式会社エンターブレイン 代表取締役社長、株式会社KADOKAWA 常務取締役を経て、現在は同社 デジタルエンタテインメント担当 シニアアドバイザー。一般社団法人日本eスポーツ連合理事、一般社団法人デジタルメディア協会理事、株式会社GameWith社外取締役、立命館大学映像学部客員教授を務める。
編集長
電ファミニコゲーマー編集長、「第四境界」プロデューサー。 ゲーム情報サイト「4Gamer.net」の副編集長を経て、KADOKAWA&ドワンゴにて「電ファミニコゲーマー」を立ち上げ、ゲーム業界を中心にした記事の執筆や、サイトの設計など運営全般に携わる。2019年に株式会社マレを創業し独立。 独立以降は、編集業務のかたわら、ゲームの企画&プロデュースなどにも従事しており、SNSミステリー企画『Project;COLD』ではプロデューサーを務める。また近年では、ARG(代替現実ゲーム)専門の制作スタジオ「第四境界」を立ちあげ、「人の財布」「かがみの特殊少年更生施設」の企画/宣伝などにも関わっている。
Twitter:@TAITAI999
編集者
小説の虜だった子供がソードワールドの洗礼を受けて以来、TRPGを遊び続けて20年。途中FEZとLoLで対人要素の光と闇を学び、steamの格安タイトルからジャンルの多様性を味わいつつ、ゲームの奥深さを日々勉強中。最近はオープンワールドの面白さに目覚めつつある。
Twitter:@reUQest
デスク
電ファミニコゲーマーのデスク。主に企画記事を担当。 ローグライクやシミュレーションなど中毒性のあるゲーム、世界観の濃いゲームが好き。特に『風来のシレン2』と『Civlization IV』には1000時間超を費やしました。最も影響を受けたゲームは『夜明けの口笛吹き』。
Twitter:@ex1stent1a

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