そして始まった、歴史SLGトーク…!
徳岡:
互いにエールの交換的なものが終わったところで、次はお二人が今のような作品を作るに至った経緯を伺っていきたいと思います。まずはカルロ先生。カルロ先生が最初に歴史に触れたきっかけは、何だったんでしょうか?
カルロ氏:
やっぱり『信長の野望』【※1】ですね。確かファミコンで遊んだのが最初だったと思います。もう具体的なタイトルは思い出せないです(苦笑)
グルッペン氏:
タイトル覚えてないっていう段階でもう「ご幼少の折からそうだったんですね」って気分ですね(笑)。でもあの頃の『信長』って、高くなかったです?
カルロ氏:
高かったです。で、僕はそれを自分で買うしかなくて。だからお年玉を投入するかどうか、常に決断を迫られてましたね。思えば経済に興味を持ったのも、「なんで光栄のゲームってこんなに高いんだろう?」【※】という疑問が最初だったかもしれません。
※なんで光栄のゲームってこんなに高いんだろう?
こちらのインタビューにてコーエーテクモゲームスの襟川恵子氏は、当時14800円したPC版『三國志』を例に、「『三國志』は10万円のワープロソフトよりも価値があるもので、誰も創れないものだと確信していましたから」と答えている。
当時のファミコンソフトの平均価格帯が4900円~5800円程度だったなか、ファミコン版『信長の野望 全国版』は9800円で登場(同じ1988年10月の『三國志』も9800円)。だがこの年は、ヘクト『アメリカ大統領選挙』、ケムコ『ディジャブ 悪夢は本当にやってきた』など、光栄タイトルのほかに4作品が9800円で発売されており、光栄だけが突出して高価だったわけではない。
余談になるが、その後光栄がタイトルの価格を10000円台前半で維持し続けるなか、メモリ不足との理由で1993年ごろからスーパーファミコンのタイトルに10000円を超すものが現われ始め、ハード最末期に到るまで、光栄と同価格帯のタイトルが200本以上登場した。ちなみに1994年末発売のプレイステーションは、ディスクメディアを使用することで、しばらく5800円が中心価格帯となっていた。
徳岡:
いろいろな意味で原体験になったんですね……。
カルロ氏:
あー、でも原体験というか、最も大きな影響を受けたという面で言えば、『太閤立志伝』【※1】と『蒼き狼と白き牝鹿』【※2】ですね。『太閤立志伝』は未だに新作を待ってます。
※1 太閤立志伝
光栄(当時)による歴史ゲーム。『信長の野望』や『三國志』が、史実に基づき全国統一を目指す歴史シミュレーションゲームであるのに対し、『太閤立志伝』シリーズは、豊臣秀吉を始めとするプレイヤーキャラクターが立身出世を目指すロールプレイング要素の強いものとなっている。メーカーのジャンル分類は“リコエイションゲーム”(=コンピュータRPG+歴史シミュレーション)。「人物というよりは歴史が好きで」というグルッペン氏の発言はこれに基づく。1992年の1作目に始まり、パソコン/コンシューマ版は2004年の『V』まで発売されている。
徳岡:
グルッペンさんは『太閤立志伝』はプレイされました?
グルッペン氏:
プレイはしてます。でもそんなにハマらなかったんですよねえ。昔の僕は、あくまで「歴史」が好きだったんです。人物というよりは歴史が好きで、そこで人物に偏ってしまうのはあまり好きじゃなかったんですよ。
今は人物に注目したものを作っていますが、これはあくまで市場理論に則った結果というだけですので(笑)。
カルロ氏:
だとすると、『大航海時代』【※1】はどうでした?
僕は『大航海時代3』はかなりヤバイ面白さがあったと思ってます。キャラクターがないわけじゃないんですが、どっちかといえば『Crusader Kings』【※2】みたいなノリのあるゲームで。世界を探索し、世界各地の人々と(マスケット銃と騎馬で)温かい交流をして、経済的な交流を作っていく。この流れがすごく好きだったんですよ。
※2 Crusader Kings
1066年から1453年までのヨーロッパ(つまりノルマン・コンクエストからコンスタンティノープルの陥落まで)を舞台としたParadox Interactive製ストラテジーゲーム。プレイヤーは「家」の当主となり、ゲーム終了までの間、己の「家」を持続させることを目指す。ただのサバイバルゲーム? と思うかもしれないが、マニュアルにも勝利条件として「歴史がそうであるように、本作にも明確な勝者は存在しません。ただし歴史がそうであるように、本作には明白な敗者が存在します。つまり、滅亡した家です」(大意)と書かれている。血統を守るためであれば娘と結婚してでも子孫をつないだり、老齢の配偶者を暗殺して若い嫁と再婚(それ以外の方法で離婚できない)したりするなど、プレイヤーの創意工夫が問われる。なおそのような小賢しい努力は様々な偶発的事件や黒死病の前には無力だったりもする。(by 徳岡)
グルッペン氏:
『大航海時代3』は、あえて避けたんですよ。遊んでた周囲の知人がつぎつぎに社会から脱落していったのを見てたんで、これはマズい、これに近づいちゃだめだと思って(笑)
カルロ氏:
同志グルッペン、それは敢闘精神が足りませんね!(笑)
徳岡:
そういえば、グルッペンさんはコーエーテクモないし光栄の歴史ストラテジーゲームで実況動画をやろう、とかは考えられていないのですか?
グルッペン氏:
ちょっと厳しいですねえ。今の『信長の野望』って、ある意味でキャラゲーの極地じゃないですか。ゲーム内でその武将がどういう人物なのかっていうのがみっちり定義されてしまっていて、こちらからではもう色がつけられないですよね。
あそこまでキャラが完成されていると、僕が動画を作ってそこで物語を作っていく余地がないな、と感じています。
カルロ氏:
「三國志」シリーズ【※】はどうですか? 個人的には「三國志」シリーズって、光栄さんがもっとも理想を詰め込めた作品だと思ってるんですよね。なにしろ三国志って、「日本人にとって最も馴染み深い、外国の物語」じゃないですか。だから光栄さん的には最も自由が効いたゲームだな、と遊んでいて感じるんです。
それに中国本土で話が完結しますし、中国本土っていう土地は戦略ゲームとしても山あり川あり平野ありで扱いやすいですよね。
※三国志シリーズ
前述のように、現在『三国志』が広く若年層にまで愛されているムーブメントの底流には、まず吉川英治の『三国志』があり、それを下敷きに物語を広く普及させた横山光輝のマンガ『三国志』と、光栄/コーエー(現コーエーテクモゲームス)によるビデオゲーム『三國志』シリーズおよび『真・三國無双』シリーズが大きな影響を及ぼしていることは否めないだろう。
グルッペン氏:
あっちはさらにキツイですね。横山先生【※】と勝負することになるので、今度こそもう本当に手が出ません(苦笑)。
※横山光輝
1934年生まれの日本の漫画家。手塚治虫、石ノ森章太郎と並ぶ漫画界の巨匠として知られ、『鉄人28号』、『伊賀の影丸』、『魔法使いサリー』などを手がける。中でも吉川英治の原作小説を基に描かれた『三国志』は、全60巻という大作で、日本における『三国志』のキャラクターイメージを形作った。
カルロ氏:
おお……確かに。
徳岡:
少々話は戻りますが、カルロ先生は『蒼き狼と白き牝鹿』からも大きな影響を受けたということですが、どのあたりに入れ込んだんでしょうか?
カルロ氏:
大きく分けて2つでしょうか。まず1つ目は、世界征服ができることですね。突飛に聞こえるかもしれませんが、実はこれをさせてくれるゲームって、意外と少ないんですよ。今ではParadox Interactive【※】のいろんなストラテジーゲームがあるので世界征服が可能なゲームにも事欠きませんけど、当時で見ると、日本で遊べるゲームとしては『蒼き狼と白き牝鹿』しかなかったんです。
※Paradox Interactive
スウェーデンのゲームパブリッシャー。コアな歴史・戦略ゲームの救世主。分厚いサポート、ある意味ユーザーフレンドリーな傾向、とことん突っ込む姿勢。全てが愛おしい。(by カルロ)
徳岡:
もう1つは?
カルロ氏:
モンゴル騎兵ですね! 騎兵ってそもそもロマンじゃないですか。騎兵の良さが分からないって人とはちょっと友達になれないくらい、ロマンの塊ですよね。
で、実を言うとこれって意外と重要なポイントで、騎兵のロマンに注力したゲームって今でもそんなに多くないんですよ。『Mount & Blade』【※】が傑出してるかな、というくらいで。遊牧民という文明圏を扱ったストラテジーゲームって、ほんと少ないですね。
徳岡:
ここまでのお話ですと、まだParadox Interactiveのゲームを遊んだ話題が出てこないのですが、いわゆるパラドゲー(Paradox Interactiveの作るストラテジーゲーム)との出会いはいつだったんでしょう?
カルロ氏:
出会いは『Hearts of Iron』か『Europa Universalis』【※】です。たしか、両方喜び勇んで買ったような記憶があります。
コーエーテクモさんには申し訳ないんですが、僕が『大航海時代4』でキャラクターゲーム色が強くなっちゃったことに強く落胆した頃の話なんです。そこでパラドゲーの存在を知ったというのは、転機となりましたね。
※Europa Universalis
パラドックスインタラクティブ社が発売するヨーロッパの歴史シミュレーションゲーム。同名のボードゲームからビデオゲームシリーズ化されている。
1作目は2000年発売。新大陸発見の1492年からフランス革命に到る1792年までを題材に、1国を選び、史実の中でどう振る舞うかによってifの歴史が楽しめた。現在は2013年発売の『IV』の拡張パック群が逐次発売されている。
徳岡:
何がそんなに魅力的でしたか?
カルロ氏:
やはり最初のインパクトは「世界征服」ができるってことでしたね。全世界がマップにあるわけですから。
グルッペン氏:
確かに。それを目的とするかどうかはともかく、世界征服は可能ですね。
カルロ氏:
あれが良かったんですよ。先程言ったように、僕は『蒼き狼と白き牝鹿』が好きで、「世界を征服できる」っていうゲームをまた遊びたかったんですが、そういうゲームがなかった。そこに向けて、世界征服をさせてくれるゲームが現れた。それはもう、夢中になりましたね。
で、さらに他のパラドゲーにも手を出してみると、神聖ローマ帝国【※1】で世界征服を目指したりできちゃったり、ビザンツ帝国【※2】で生き残りを賭けて戦ったりできちゃった。そりゃもう、後戻りできなくなりましたよ。
※1 神聖ローマ帝国
中世から近代にかけて現在のドイツに存在した国家。かっこいい名前と裏腹に実態はドイツ諸侯の寄り合い所帯であり、最後は帝政フランスの攻撃により瓦解した。
※2 ビザンツ帝国
東ローマ帝国。アジア、欧州、地中海を結ぶ重要な場所にあり、最盛期は交易で栄えたが、その好立地ゆえさまざまな内憂外患の末、1453年のオスマン帝国によるコンスタンティノポリス包囲で滅亡した。
「僕は『物事には終わりがある』ということを認めない派だったんです」(カルロ)
徳岡:
カルロ先生がパラドゲーにハマったのって、年齢的に言うといつごろでしたか?
カルロ氏:
本格的にハマったのは大学生活中ごろ~後半でしょうか。ある意味で、進路を決定するに際して一番大事な時期でした。このタイミングで、パラドゲーと『Civilization』、そこにジェネラル・サポート【※】のゲームが組み合わさったのは良くなかったですね。見事に「自由」を消化できない、とても近代的なダメ人間になりました。
※ジェネラル・サポート
『太平洋戦記』シリーズなど、軍事シミュレーションを専門にするビデオゲーム制作会社。古くはデベロッパーとしてコンシューマにもタイトルを供給。現在はPC用に年2作程度(+ダウンロードコンテンツ)のペースでリリースを行っている。
グルッペン氏:
ああ……(苦笑)。
カルロ氏:
実はもともと、僕は大学受験なんてしたくなかったんです。でも高校の先生が口の上手い人で、「カルロ君、君は間違ってる。大学とは本を読みにいく場所なのだから、君こそ大学に行くべき人間だ」「君がいわゆる勉強が嫌いなのは分かったが、大学に行けば暗記ではなく、好きなことだけを学んでいけるし、それで認められる」と言われまして。それで大学に行くことにしたんですが、今になって思うに、あの先生の言葉は完全に嘘ではないものの、見事なプロパガンダだったと言わざるを得ないですね。
徳岡:
まあ、わりと理想論ですが、一部事実ではありますね(笑)。
カルロ氏:
そうなんですよ、その「一部事実」というのがまたアレでした。Paradox Interactiveのおかげで、政治・経済に興味を覚えると好きなことだからかじりたくなる。それを体験してしまったからこそ、「この理想的な世界をずっと愛し続けられるんだ」と思っちゃったわけです。なので「好きなことしかやらない学生」の典型として、成績表にはAとCしか並ばない学生になりました(苦笑)。
徳岡:
ひとつ伺いたいんですが、その「愛すべき理想的な世界」における日々に対し、カルロ先生はどのような「終わり」を想定していたんでしょうか? 物事には必ず「終わり」があるというのは、自明ですよね?
カルロ氏:
僕は「物事には終わりがある」ということを認めない派だったんです(真顔)。
グルッペン氏:
(大爆笑)
カルロ氏:
いや、僕としては「敗北というのは、それを認めた瞬間に敗北なのである」という、意志の勝利を信じておりましたので。なので、少なくとも「大学生活を終わらせまい」という努力はしたんですよ。いやもちろん、留年するとか、そっち側の努力ではなくて。
でも結局、あえなく大学への残留に失敗しまして。だから「終わり」を明確に意識したのは、大学から出なくてはならないことが決まった、その最後の1年の段階でしたね。
徳岡:
夢の時間の終わりですね……小説はその頃に書き始めたんですか?
カルロ氏:
いえ、実は中学・高校のころから内輪で書いていました。その頃は、そうですね。純真かつ真面目で勤労意欲ある若者……の偽装も完璧だったんですが、大学生となると怪しくなってくる。インターネットにより不特定多数に読んでいただけるようになるともう転がり落ちる様に化けの皮が剥がれました。インターネットは恐ろしいものです。アルカディアと出会ったのも、今思えば社会生活上では酷くダメだった。すごく楽しい場すぎて、歯止めが効かなくなるんですよね。
グルッペン氏:
でもそのルートの先に、今の理想郷があるわけですよね?(笑) なんのかんので夢の時間の向こう側で、「社会」に「先生」として参与することに成功されているわけじゃないですか。
カルロ氏:
いや、そもそも僕は社会に参与するつもりなんてなかったんですよ。あくまでも敗北を認めないつもりで戦い抜こう、と。なので社会に参与することになってしまった今も、その徹底抗戦の心意気は守り抜く所存です。
「HoI2ってプレイヤーを『放置しておいてくれる』んですよ」(グルッペン)
徳岡:
えー、カルロ先生の衝撃的な徹底抗戦宣言が出たところで、次はグルッペンさんにこの道に踏み込んだ経緯を伺いたいと思います。
グルッペン氏:
そうですねえ、僕はもともと歴史については本とかのほうが好きで、ゲームはほとんど遊んでなかったんです。有名どころを遊びはしましたが、カルロ先生みたいに熱弁を振るえるほどではなかったですね。
なので逆に言うと、『HoI2』との出会いがすべてを変えた、みたいなところはあります。
徳岡:
『HoI2』の、どこにそれほどの魅力を感じられましたか?
グルッペン氏:
僕的に言えば、当時はやっていた『東方』などと同じような魅力の出し方があったかなと思っております。つまり『HoI2』って、すごく無味無臭なところがあるんですよ。ゲームシステムも抽象化が進んでますけど、なにより登場する人物がみな白黒写真で、それ以上に踏み込んだ情報はほとんどないし、ゲームシステム的にも特に何もないことが多い。言葉を換えれば、『HoI2』ってプレイヤーを「放置しておいてくれる」んですよ。システムだったり登場人物だったりが煩くないんです。
これって大事なことで、おかげでこちらはいろんな思考もできるし、妄想も進むわけです。かつ、現代にはインターネット環境があって、自分の妄想を好きに発信もできる。この妄想のベースとして、『HoI2』は極めて有効なんです。実際、その結果としてHoI2 AAR Wikiには1000本近くの作品が集まっていったわけです。
徳岡:
創作の土壌として自由度が高かった、と。
グルッペン氏:
あと、ニコニコ動画の影響も大きかったです。カルロ先生は専門的な知識をつぎ込まれたものを「食わせる」という方向に突き進まれたのかな? と思うのですが、私は単純に「面白くする」という方向に突き進んだんですよ。僕はニコニコ動画という場で、「面白いものを作る」ということにすごく惹かれたんです。
カルロ氏:
いや、僕も面白いものを作ろうと頑張ってますよ?(笑)
ともあれ、妄想っていうのは重要なキーワードですよね。普通の歴史ストラテジーって、「どうやってこの難局を乗り越えるか」がテーマになりますけど、『HoI2』ってそれが強制されないんですよ。
あと、例えばドイツを選んだとして、「絶対にソビエトに攻め込まなきゃいけない」とか「フランスを攻めてからイギリス本土を狙わねばならない」みたいな縛りがないのも良かったです。もちろん、独ソ戦【※】を始めない場合、高確率でソビエトの側からドイツに宣戦してきたりはします。でもそこで「何をどうするか」をプレイヤーが自由に選択できる。それこそドイツ空母機動部隊を建造する、みたいなことも可能なわけで、やっぱりこういうのって滾りますよ。
※独ソ戦
第二次大戦におけるドイツとソ連の戦闘。ドイツ側からは東部戦線と呼ばれ、『幼女戦記』でも着想のひとつとなっている。戦況は泥沼化し、2000万人以上が死んだといわれる。
徳岡:
Paradox Interactiveは『HoI2』以外にも、大航海時代前後~ナポレオン戦争あたりを扱った『Europe Universalis』や、帝国時代を扱った『Victoria』【※】、あるいはヨーロッパ中世をテーマとした『Crusader Kings』などなど、様々な歴史ストラテジーゲームを出しています。
グルッペンさんが中でも『HoI2』に惹かれたのは、どこが理由だったんでしょうか?
※Victoria
1836年から戦間期までの世界を舞台としたParadox Interactive製ストラテジーゲーム。プレイヤーはその当時に存在した国家や勢力の指導者となって、帝国主義と工業化華やかりし激動の時代を生き延びるべく奮闘努力する。「国民」がPOPという小さな単位(1万~10万人)で管理されており、各POPごとに財政状況(上流・中流・下流)や政治思想、信教などが異なる。国家はPOPの集合として作られており、「世界をボトムアップでシミュレートするストラテジーゲーム」とも言える。(by 徳岡)
グルッペン氏:
第二次世界大戦というテーマが好きだった、というのはもちろんあります。逆に言うと、それ以外のパラドゲーってそこまでハマらなかったんですよねえ。非常に良い機会だと思うので逆に伺いたいんですが、カルロ先生や徳岡さん的に、他のパラドゲーってどういう魅力があります?
パラドゲーを、なぜか世界史順に寸評…?
徳岡:
そうですね……では時代順にいってみましょうか。一番古い時代を扱っているのは『Europe Universalis: Rome』【※】ですかね。古代ローマ時代をテーマとした作品です。
※Europe Universalis: Rome
紀元前280年~紀元前27年までのヨーロッパ(つまり、いわゆる「ピュロスの勝利」の語源となる戦いの始まりから、帝政ローマの成立まで)を舞台としたParadox Interactive製ストラテジーゲーム。プレイヤーは当時存在した様々な勢力をプレイできる(ピクト人で超頑張ったりするプレイとかもできる)が、原則的にはローマをプレイするゲームと言ってもそこまで大きくズレてはいない。ゲームシステムとしては「Europe Universalis 3」をベースにしている。(by 徳岡)
カルロ氏:
僕としては、これはあまり評価できない作品ですねえ。パラドが珍しくライトユーザーにも優しくしようとしたら、誰にとっても優しくならなかったというか。何より、当時の社会システムって、勢力ごとに根底から異なっていたわけですよ。ローマとカルタゴはまったく違うシステムだし、ましてやこれがそこらの部族社会となれば比べるほうが間違ってる。
でも『Europe Universalis: Rome』はそこで「ローマ」という組織をゲームの中心に据えてしまったので、なんだか全体にピンとこないゲームになっちゃったという印象があります。これを遊ぶよりは『Civilization』シリーズのほうが絶対に良いですね。あと『Total War: Rome』【※】もいいです。
※『Total War: Rome』
Creative Assemblyによるストラテジーゲーム。紀元前270年から紀元14年までのヨーロッパを舞台としたストラテジーゲーム。ターン制の戦略パートと、リアルタイムで大部隊を指揮して戦う戦闘パートに分かれている。『Rome: Total War』は2004年の作品で、続編となる『Total War: Rome II』は2013年に発表された。『Rome』と『Total War』の順番が統一されていなくて、こういう記事を書くときにはとても困る。(by 徳岡)
徳岡:
では続いて、カルロ先生が何時間でも熱弁しそうな気配のある『Crusader Kings』を。ヨーロッパ中世の封建社会をテーマとした作品です。
カルロ氏:
これはね! 素晴らしい作品ですよ!
徳岡:
プレゼンは短めにお願いします。
カルロ氏:
ええとですね……あれってつまり、現実と戦うゲームなんです。
例えば小説だと「こんなふうに人々が頑張って、こんな良い国を作りました」という展開になるんですが、現実におけるあの時代のあの地域って、人間が多少頑張った程度で良い国なんて作りようがない。
例えば大王朝を作って、盤石の支配体制を作ったとしても、黒死病が押し寄せてくると屋台骨が軋んで想定外の人物が継承者になったりする。「理想」が通用しない世界なんです。ヨーロッパが中世からその先の時代へと変わっていこうとする、そのふわっとした時代を、ふわっと自由に楽しめるのが『Crusader Kings』だな、と思いますね。
グルッペン氏:
なるほど……。そういう視点はなかったです。
徳岡:
続いては『Europe Universalis』。シリーズのナンバーによって開始年代が違っていて、それだけでも1時間くらい語れるんですが、とりあえず大航海時代あたりからスタートして、最長でナポレオン戦争くらいまでをカバーした作品です。
カルロ氏:
これってシリーズのナンバーによってかなり違うので簡単には言えないですが、基本的には自由度の高いゲームというか、無茶をするのがすごく楽しいゲームだと思います。「南米のマヤとかアステカとかでゲームを始めて、イベリア半島【※】に対して征服戦争をしかける」とか、そういうのは実に燃えますね。
徳岡:
えー、次は『Sengoku』……は飛ばして、『Victoria』で。帝国主義華やかりし時代から、最長で戦間期くらいを扱うゲームです。
カルロ氏:
非常に面白い作品です! 工業化を進めたり、産業革命の技術を進めたり、様々に不平不満を言ってくる国民をうまくコントロールしたりと、とにかくやることが多いですね。ただ、プレイヤーがあの時代をプレイするにあたって期待することが、往々にして起きないのが最大の弱点かもしれません。
あと、戦争はあくまで二の次的なポジションのゲームなので、戦争の再現度が非常に甘いです。第一次世界大戦が期間中に含まれているゲームとしては、ちょっと疑問が残るかもですね。僕は別に気にしないんですけど。
徳岡:
あとは現代戦なんかもありますが、これもパスということでいいかと思います。
グルッペン氏:
ありがとうございます。うーん、これはインタビューが終わったらもう一度それぞれ遊び直してみないといけないですね(笑)。
『Victoria』なんかは僕も実況動画を考えたことがあるんですが、やっぱりどうにも展開が遅いのと、「達成したこと」がわかりにくいって問題を克服できなかったんですよね。プレイを終えたところで「今回のプレイを通じ、我が国は特に何も得失がありませんでした」みたいなことになりかねなくて。
カルロ氏:
素晴らしいじゃないですか! あの激動の時代を、無傷で乗り切ったんですよ!
グルッペン氏:
そうなんですけど!(笑) でもその面白さを伝えようとなると、やっぱり非常に難しいですねえ。
どうやら南北戦争についても語り足りないみたいです
カルロ氏:
今はパラドゲーだけのリスティングでしたけど、歴史とゲームというところを語るなら、かなり隙間があるリストになっちゃいますよね。
徳岡:
そうですね……でもそれ、程度までザックリと語るとしても相当に細かな話になりそうですが。それって需要あるんですかね?
グルッペン氏:
少なくとも僕は聞きたいです!(笑)
カルロ氏:
じゃあ、やっちゃいましょう。まずは最大の空白になっていた重要ポイント、南北戦争【※】からで。
徳岡:
げげ、そこからですか。いや自分もそこは大事だと思いますが。
カルロ氏:
近作ですと、『Ultimate General: Civil War』【※】という作品を推します。
このゲームではプレイヤーに政治点が与えられてまして、これがいい働きをするんですよ。ゲームとしては「戦闘国家」みたいにシナリオをクリアしていくタイプのゲームになるんですが、シナリオ間で部隊はそのまま維持されるんですね。つまり損害を負いすぎると、大変なことになるわけです。
徳岡:
同じ部隊で連戦していくんですね。
カルロ氏:
そうです。でも損害をゼロにはできないから、部隊を補充しないといけない。ここで政治点が低いと、あまり補充が来なくて、プレイヤーは大いに苦しむ。
徳岡:
なるほど。
カルロ氏:
なのでシナリオによっては勝利を目指すのではなく、なるべく損害の小さな形での痛み分けを目指したくなる。なんですが、政治点が低すぎると「成果を出せなかった将軍」としてクビになってしまう。まだアーリーアクセスのゲームなので最終的な仕様がどうなるかは未確定ですが、南北戦争における政治と軍事というものをよく再現したゲームだと思います。
グルッペン氏:
南北戦争のゲームって、世界的に見て人気あるんですか?
カルロ氏:
事実上、アメリカ市場だけですね。ただ戦争の歴史として見ると、南北戦争ってすごく重要な戦争なんですよ。
グルッペン氏:
と、いいますと?
カルロ氏:
南北戦争って、実際に戦争が始まるまでは、「世界で最も最先端の戦争」として、非常に少ない死者で、迅速に決着するはずだったんです。少なくとも将軍たちはそのように考えていました。
ところが蓋を開けてみると、とんでもない勢いで、ものすごい数の兵士が死んでいく。ある程度まで発達した銃を使って、遮蔽のないところで互いに撃ち合えば、すごい勢いで人が死ぬのは当然なわけですよ。衛生環境も悪かったですし。
グルッペン氏:
そりゃ当然ですね(苦笑)。
カルロ氏:
なので南北戦争に従軍した将軍の日記を見てみると、開戦前や戦争序盤では理知的なことを書いていた将軍たちの精神が、戦争中盤からどんどん病んでいくのが読み取れるんです。「こんなはずじゃなかった」と。
一方で、将軍の中には最初からキレたヤツもいまして、たぶんその筆頭が北軍のウィリアム・シャーマン将軍【※】です。彼は戦争が嫌いなタイプの人間だったと思うんですが、実際に何をやってのけたかというと、「海への進軍(Sherman’s March)」という壮大な作戦をやらかしています。まあ、無差別戦略爆撃のはしりみたいな作戦ですね。
(画像はWikipediaより)
第二次世界大戦ではアメリカのM4戦車【※】には「シャーマン」という名前が与えられましたが、南部出身の兵士はM4に乗ることを嫌ったというくらいの人物なんです。これ以外にも徴兵制の強化といい何といい、南北戦争には後に我々が知る「戦争におけるダメなアレ」のパーツが、概ね詰まっていました。
グルッペン氏:
なるほど。本当に重要な戦争ですね、これは。
徳岡:
ボードゲームのウォーゲームでも南北戦争をテーマとした作品には非常に良いものが多いので、試してみてほしいところです。日本語で無料でプレイできるものですと、『ゲティスバーグ戦役』【※】がオススメですね。
さて、カルロ先生と自分で南北戦争の話をしてると、たぶん話が終わらないので、次にいきましょう。
※ゲティスバーグ戦役
シミュレーションゲーム (ウォーゲーム)専門誌・コマンドマガジンの一番偉い人である中黒靖氏がデザインした作品。使用するカードやコマは本誌の付録にもなった。南北戦争最大の激戦であるゲティスバーグの戦いを舞台にし、北軍と南軍を互いに持ち合い戦闘を進めるシミュレーション型対戦ゲーム。南軍の駒を本拠地リッチモンド近くのフレデリックスバーグに、北軍の駒をワシントンD.C.に置いてスタート。互いに街を取りあってポイントを重ねていく。コマやフィールドは無料でダウンロードして印刷して遊ぶことができる。
同志カルロ・ゼン推薦!
日本人が知らない「南北戦争」を理解するための3冊
(以下、全て本人によるコメント)
『リンカン〈上〉南北戦争勃発』『リンカン〈下〉奴隷解放宣言』(2011・中央公論新社)
解説:分断された国家、建国以来の混迷に「理想化された人間、リンカーン」と裏腹の「巧みな政治家、リンカーン」がいかに立ち向かうのか? 彼とライバルにして盟友である4人の男たちを通じて、南北戦争を政治から理解するための一冊。「南北戦争とはなんだったのか?」と問いかける皆さんに!
『TIME-LIFE The Civil War in 500 Photographs』(2015・Liberty Street)
解説:日本ではドマイナーだとしぶしぶ認めざるを得ない南北戦争ですが、米国では違います。ためしに、近くのバーンズアンドノーブル【※編集部注:アメリカの有名書店チェーン】でも訪ねてみましょう。歴史コーナーには、必ずと言っていいほど『南北戦争(The Civil War)』というコーナーがあるのです。アメリカが分断されかけている今だからこそ、改めて読んでみるのもいいでしょう。
でも大統領がグレートなウォールを造るまでもなく“言語の壁”なるものが私たちの眼前には? ……いやいや大丈夫! なにしろ南北戦争の時代には写真があります! 言うなれば山川の世界史副読本みたいなとっつきやすさ!
解説:南北戦争は、電信と鉄道の戦争でもありました。鉄道のある戦争とは? 産業戦争とはいかなるものか?――そんな視点でみる一冊です!
もう残った世界大戦に関してもアツく語っていただきました
カルロ氏:
南北戦争と同時期で、日本の幕末も重要かなと思います。ゲームで言えば『維新の嵐』【※】ですね。
※維新の嵐
光栄(当時)が1998年に発売した“リコエーションゲーム”。プレイヤーは坂本龍馬、西郷隆盛、松平容保など幕末に実在した志士たちのひとりとなり、尊王、佐幕、公議いずれかの国体思想を携えて全国の雄藩を駆け回り、「説得」システムによって日本全国の思想的統一を図る。「説得」は相手を見て懐柔策を選択し、ボタンを連打するというアクション風味。説得の基礎能力は、プレイヤーキャラクターの鍛錬によって上げられた。コンシューマでは、プレイステーションとニンテンドーDSに続編がある。
グルッペン氏:
『維新の嵐』は僕も遊びました。幕末は僕も好きなんで。日本が近代化していく過程において、みんながてんやわんやするのが非常に楽しいですよね。
徳岡:
あと、その直後に続く日清・日露戦争【※】も外せないですねえ。特に日露戦争は重要かなと。
カルロ氏:
日露戦争は重要ですね! ゲームとしてはジェネラルサポートの『日露戦争』が良いです。このゲームあたりから、「兵士」が露骨に「数」として見えてきます(苦笑)。
徳岡:
良い……まあ、はい。PCゲームとしてはそれしかない気がしますね。
カルロ氏:
日露戦争って、世界的に見ると技術的なレベルでは「第ゼロ次世界大戦」としても研究されてるんです。第一次世界大戦で起こることの多くは、日露戦争において非常に具体的な形で起こっているので。
しかも日露戦争って、欧米列強が観戦武官を何人も派遣してるんですよね。一方、そこでの戦訓が第一次世界大戦にどれくらい活かされたのかということになると、これはなかなか奥の深い問題になってきます。
徳岡:
日露戦争は軍事史研究的に言うと非常に大きなトピックなので、最も資料が見つかりやすいはずの日本でこそ、もっとゲーム化されてもいいと思いますね。
グルッペン氏:
ふむふむ。
徳岡:
で、最後はおそらく第一次世界大戦ということになるかと思いますが……。
グルッペン氏:
『幼女戦記』のモチーフの1つですね。
カルロ氏:
そうなんですが……悲しいくらいにゲームの数は少ない、と言わざるを得ないところがありますね。もちろん『Battlefield 1』【※】みたいなビッグタイトルが出たりはしてるんですが、戦争全体を扱ったストラテジーゲームとなると、すぐには出てこないところがありますねえ。
※Battlefield 1
『Battlefield』はスウェーデンのスタジオが手がけるFPS(プレイヤーの視野角で臨むシューティングアクション)シリーズ。『Battlefield 1』は2016年10月発売の最新作で、シリーズ最古の時期となる第一次世界大戦のヨーロッパや中東が舞台。第一次大戦らしい飛行船や装甲列車、弩級戦艦なども登場する。
グルッペン氏:
そのあたり、何が原因なんでしょうか?
徳岡:
やはり市場規模という問題はあるだろう、と思います。いくら100周年で注目が集まっているとはいえ、第二次世界大戦に比べると、第一次世界大戦はマイナーテーマであるというところは否定できないかなと。戦場になったヨーロッパでならともかく、日本だと残念ながら「マイナー」と言うほかないですよね。
実際、制作コストがぐっと低いボードのウォーゲームの世界においては、第一次世界大戦をテーマとした傑作がたくさん出ています。また「UBI【※1】が出したインディーゲーム」と評された『Valiant Hearts』【※2】ように、小粒ながら素晴らしいPCゲームもあります。
※1 UBI
正しくはUbisoft。世界中に開発拠点を置き、タイトルをリリースしている、世界有数の大規模ビデオゲームパブリッシャー。本拠地と創業(1986年)の地はフランス。『レインボーシックス』や『スプリンターセル』など、トム・クランシー原作のシリーズを始め、『アサシン クリード』シリーズや『ウォッチドッグス』シリーズ、『2』以降の『Far Cry』シリーズなどを擁する。
グルッペン氏:
やはり市場原理は厳しいですねえ……。僕としても第一次世界大戦はかなり気になっているテーマなんですが。
徳岡:
グルッペンさんは、第一次世界大戦のどういうところが気になりますか?
グルッペン氏:
あえて言えば、「まだスレてないところ」とでも言いますか。第二次世界大戦って、戦ってる人はもう、「これって狂気の沙汰だ」っていう意識がそれなりにはあったと思うんですよ。いやまあ、そうじゃない人たちも、あちこちにたくさんいましたけど。
でも第一次世界大戦の頃って、まだほとんどの人が無邪気というか、「それが狂気だと分かっていない」部分があるな、と感じてます。
カルロ氏:
正気と狂気が一体化しているというか、正気でかつ狂気ですよね、あれは。
グルッペン氏:
そういう狂気に、もっとスポットライトを当てたいなと思ってるんですよ。
(強引に)『HoI2』に話を戻すと…?
徳岡:
さて、膨大に寄り道してきましたが、お二人のゲーム体験における巨大な共通項として『HoI2』がある、というところは大きなポイントかな、と思います。
グルッペンさんからは『HoI2』の魅力として「創作のベースとして魅力的」というところをご指摘頂きましたが、より具体的にその創作のプロセスを伺えますか?
グルッペン氏:
そうですね……最初に基本的な構造を確認すると、『HoI2』は歴史を追体験しつつ再構築できるゲームだ、というのがあります。そしてその追体験と再構成のプロセスに対して歴史上の様々な人物が絡んでくるんですけど、それらの人物にゲーム側からの縛りがないわけです。なので妄想を膨らませて語る側としては、その追体験と再構築のプロセスを自由に物語にできる――というか、勝手に物語になっていくんですよね。
徳岡:
勝手に物語になる、と言いますと?
グルッペン氏:
例えばゲームを遊んでいて、とある国家の重要なシーンにおいて、ある人物が「そこにいた」とします。そうすると、そこからいろんな疑問というか、物語が生まれてくる。
「この人物は何者なのか? この人物はどのように戦ったのか? そしてこの人物はどこに去っていくのか?」
これをひとつの物語として「語る」と、そこに『銀河英雄伝説』【※】みたいなドラマが生まれていくんですね。しかも、『HoI2』のキャラクターたちには固有のセリフが設定されていたりはしませんから、そこで彼らがどんな口調で何を喋るかが、かなり自由に想像できます。
(画像はAmazonより)
カルロ氏:
まさに「語り部」ですね。
グルッペン氏:
実際に実況動画にするときのことを考えると、ゲームの動きが大きいというのも「物語」をわかりやすくしてくれます。敵国を併合すると決めて、「併合」ボタンを押すと、それで一気に敵国の領土が自国領として編入される、とかですね。
戦闘もリズム感があって、かつ「戦っている」感覚が結構ナマナマしいと思ってるんですよ。
徳岡:
ナマナマしいですか?
グルッペン氏:
これは比較の対象もあるんですが、例えば『Hearts of Iron 4』とかまで来て、AIがそれぞれの部隊をコントロールします、ということになると、やっぱり「後方でマネジメントしてます」感が強いんですよね。
これに比べると『HoI2』の戦闘は、むしろ格闘ゲームくらいのテンポ感があって、「自分が前線で戦っている!」という感覚があるなと思ってます。
カルロ氏:
確かに、大規模迂回や機動力を活かした包囲殲滅戦みたいな、「急げ! 行け! そこだ!」っていう感覚のある戦闘は、『Hearts of Iron 4』くらいまで来ると、だいぶ失われているなと感じます。仰られる通り、『Hearts of Iron 4』は「後方で戦況報告を受けている指揮官の視点」だなと。いや、それはそれで正しいんですが(笑)。
グルッペン氏:
『Hearts of Iron 2』は、マルチプレイが面白いっていうのも重要ですね。マルチプレイは、戦う相手が人間っていうこともあって、部隊の動きや戦略なんかに「そのプレイヤー」の色が出るんですよ。大きく言えば、そのプレイヤーの人生観が出てくる、と言いますか。
だからどっちかというと臆病なプレイヤーは守り気味のプレイになるし、好戦的なプレイヤーはバンバン前に出てくる。実況動画を見てる側としてはそれって「人間」を感じる要素なわけで、当然、人気が出ます。
カルロ氏:
「人は人に興味を持つ」わけですね。マルチプレイ時のゲームバランスはどうですか?
グルッペン氏:
良好ですね。そのあたりは世界中にMODDER【※】がいて、いわゆる最強戦略的なものが発生してしまったときでも、迅速にMODで潰されていきます。プレイ人口が多いほどMODDERの数も多いわけで、このあたりはまさに大衆の時代と言いますか、遊ぶ人の層の厚さがそのままゲームの深みに直結する時代なんだなと痛感しますね。
※MODDER
MODはModification(=修正・改造)の略で、ビデオゲームの文脈で語られる場合、おもにPC用ゲームの改変用データを指す。このデータを作成し、みずから楽しんだり配布したりするプレイヤーがMODDERとなる。
メーカーがオフィシャルにMODを配布することもあるが、グルッペン氏の発言内容の場合、ゲームに攻略的な穴があったとき、有志のMODDERたちがMODを作成し配布。オンラインで繋がるユーザー間コミュニティ内で適用され、速やかにゲームバランス調整がメーカー掌握外で行なわれている様子がわかる。
徳岡:
「人は人に興味を持つ」という点で言いますと、戦争と英雄の関係性というのは重要なテーマになってくるかと思います。「英雄」という存在について、お二人はどのようにお考えですか?
グルッペン氏:
僕は人間っていう存在が好きなんですよ。上から目線で言えば、彼ら人間って、すごく頑張ってるじゃないですか(笑) で、英雄っていう点について言うなら、第二次世界大戦においてはもうその影響力は限られたものだったと思います。戦闘機や戦車のエースのように、いわゆる英雄的な人々はいましたけれど、じゃあ彼らが戦争の行方を変えたかと言えば、そんなことはないですよね?
とはいえ、それで第二次世界大戦は、まだなんとか「人間」が影響を与えることができた領域が残っていた戦争だったとも思います。僕としては、「英雄」の、そういう側面を捉えたいですね。
カルロ氏:
グルッペンさんの言葉を別の言い方で言うことになるかもしれませんが、僕は第二次世界大戦にはもう英雄なんていないというか、随分前から「英雄」っていなくなってると思うんですよ。
例えばナポレオン【※】であれば、彼は間違いなく英雄です。彼は勝ち続けることでしか自分のポジションを保てないし、そしてまたその闘争って、要は自分自身の闘争なんですよね。なにせ国家と自分がイコールなんですから。
(画像はWikipediaより)
でも第二次世界大戦においては、結局はどんな将軍であっても、国家という組織の官僚なわけです。彼らがやっているのは、闘争ではあるけれど、仕事でもある。そういう意味で、チャーチル【※】が指摘したように「安楽椅子の英雄」の時代であり、なんのかんので「人間」が「社会」を越えられなくなった時代の戦いなんだな、と感じます。
※ウィンストン・チャーチル
イギリスの第61代首相、軍人、作家。1940年に首相職に就き、1945年まで戦争を主導した。