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【『太陽のしっぽ』制作秘話】祭り、肉、和菓子、隠しトラック…開発者とプレイヤー、両輪の想像力で構築される「伝説の奇ゲー」はこうして生まれた【飯田和敏連載】

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【『太陽のしっぽ』制作秘話】祭り、肉、和菓子、隠しトラック…開発者とプレイヤー、両輪の想像力で構築される「伝説の奇ゲー」はこうして生まれた【飯田和敏連載】_001
イラスト/納口龍司

ゲームのバックグラウンドの解明は、すべてプレイヤーの想像力に託した

 (前回からの続き)

 『太陽のしっぽ』で、原始人はマンモスなどの原始動物と戦い「肉」を獲得する。

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太陽のしっぽ……1996年にアートディンクより発売された3Dアクションゲーム。プレイヤーは原始人を操作して自由気ままに暮らしながら、マンモスを狩り、その牙を積み上げて「太陽のしっぽ」を目指す。
(画像:編集部撮影)

 「肉」はその場で食べることもできるし、集落に持ち帰ることもできる。集落に持ち帰ると人口が増えて、操作可能なキャラクターが増える。同時に、道具の開発が進み、原始人が持っている武器が素手から槍へと強化される。

 序盤、マンモスとはまともに戦うことができないのだが、武器があると戦いやすくなる。また、プレイの渦中で、原始人に設定されている身体に関する各種能力パラメーターが変動する。この数値は種族として引き継がれ、やがて特性となる。ここがエンディングの分岐に関係する。

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イラスト/納口龍司

 このように整理してみると、『太陽のしっぽ』はある程度理性的に作られたゲームのように思える。
 “伝説の奇ゲー”になったのは、こうした説明をゲーム内ではほとんどしていなかったからかもしれない。
 たとえば人口増加や進化など折々のタイミングで、原始人たちによる祝祭のダンスが始まる。
 原始人の立場では当然の出来事だが、プレイヤーへのアナウンスがないため「突然寝る」のと同様の唐突感がある。

 「意味不明です!」こうした指摘は開発中に多くあった。ぼくは「だよねー」と同意しつつも、こうしたバックグラウンドの解明はプレイヤーの想像力に託したかった。
 インタラクションの本質は画面上のキャラクターを操作することだけではなく、その果てにゲーム全体の世界像を作り手とプレイヤーが相互に構築していくことだと思ったからだ。

 この信条はいまでも変わらないが、当時のぼくはさじ加減というものを理解していなかった。なので様々な提案に対して「これでいいのだ」と対応していた。振り返るとその傲慢さには恥じ入る気持ちもあるが、同時に背伸びをできるときにしておいてよかったとも思う。

重要アイテム「肉」と「和菓子」の誕生秘話

 さて。『太陽のしっぽ』における最重要アイテムは「肉」だ。雑多な画面の中で埋没することがないように作り込まなければいけない。
 そこで参考にしたのは『はじめ人間ギャートルズ』【※】に登場する骨つき肉だ。

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※はじめ人間ギャートルズ……園山俊二原作による、架空の原始時代の原始人たちが繰り広げる日常を描いたギャグ漫画『ギャートルズ』のTVアニメ化作品。1974年〜1976年放送。
(画像はいらすとやより)

 この形態は現在、「マンガ肉」として知られている。参考というか、原始時代の食を考えたときにまず思い当たるイメージで、「マンガ肉」の記号としての強度は相当なものがある。「原始人」、「マンモス」ときたら「マンガ肉」がセットで、3Dのマンモスがいきなり「マンガ肉」に転じる映像表現上の違和感は目立つので良し、とした。

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(画像はプレイステーション® オフィシャルサイト ソフトウェアカタログより)

 で、原始人は活動していると腹が減り、対策をしないと死に至る。前述したように動物との戦いに勝つことで肉は手に入るのだが、毎度毎度それをやるのは大変なので、マップ上に果物や木の実を散りばめることにした。走るので水も飲みたい。
 これをどう表現するかでつまずいた。「マンガ肉」をひとつの極とした。ここまでの完成度高いシンボルをこれから自分たちの手で作ることは難しい。どう凌ごうかと悩みながらなんとなくデザイン雑誌を手にして、パラパラとめくっていたらすごいのが飛び込んできた。

 茶の湯で用いられる和菓子を紹介するページだった。立体と平面の中間的な物体。植物の葉や果物を模した具体的でわかりやすいものから抽象度の高い文様まで様々なバリエーションがあり、「水」をモチーフにしたものもあった。
 和菓子は欲しかったすべての要素を満たしていた上、全てが食欲をそそるという点で『太陽のしっぽ』にバッチリだった。

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(Photo by Getty Images)

 次の瞬間、雑誌に和菓子を提供していた店鋪に電話して、取り急ぎ代表の方とのアポを取った。こうした反射神経と大胆な行動力は傲慢さの副産物だったかもしれない。

 約束の日、創業200年の格式高い老舗「京菓匠 鶴屋吉信」へと赴いたぼくは、和装の女将さんと職人さんを相手に一方的に語っていた。原始人のゲームを作っています、雑誌で和菓子を知りました、それをゲームの中に使わせて欲しいです、和菓子とゲームの出会いは大変意義深いもので……と。説明はチンプンカンプンだったと思う。
 それでも熱意は理解していただけたようで、菓子の提供を快諾してくれた。1週間後に再訪し、会社に戻り頂いた箱を開くと夢にまで見た(うそ:雑誌で見た)、和菓子の現物がはち切れんばかりに詰まっていた。
 見たことがないものもあった。和菓子は季節ごとにラインナップが変わり、オフシーズンのものは生産されない。『太陽のしっぽ』のため、わざわざ倉庫から型を出して特別に作ってくれたのだ。

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(画像:編集部撮影)

 これにはとても感激した。その日のうちに全ての菓子のブツ撮りを済ませ、データにして実機に入れ込んだ。ゲーム画面が一気に華やかになった。その変化には驚いた。ぼくたちはいい気分で深夜の茶会を開き、結構なお手前ではないかと自画自賛した。

マスターディスクの隠しトラックに仕込んだテーマソング

 合宿気分でわいわいガヤガヤとしているうちに、マスターアップの日が来た。『太陽のしっぽ』はなんとも形容しがたい不思議な感触のゲームになった。全体的に荒削りで稚拙、操作性も改良すべき。
 しかし、与えられた条件の中でやれることを精一杯やった結果だ。『アクアノートの休日』のような賞賛は期待できないが、それはそれ。胸を張って世に送り出そうじゃないか。
 マスターディスクの納品はバイク便などで行うことが普通だったけれど、ぼくたちは会社のある千葉から電車に乗って東京青山のSCE【※】まで持参した。それも朝イチに行くという無意味な念入れをした。

※ SCE
ソニー・インタラクティブエンタテインメント(SIE)の旧称、ソニー・コンピュータエンタテインメント(SCE)。

 さらに、まったく余計なこともしている。
 ゲームディスクをオーディオで読み込むと聴くことができるトラックに、『太陽のしっぽ』自作自演のテーマソングを仕込んだのだった。会社が入居しているビルの非常階段の吹き抜けで録音した。

あの人たちはいつも裸で暮らしているのさ 寒い日もあるけれど

 


あの人たちはいつも裸足で歩いているのさ 棘が刺さることもあるけれど

 


僕はといえばどうってことないのに こう思っている 息が詰まり胸が苦しいなんて

 1995年。阪神・淡路大震災とオウム真理教による地下鉄サリン事件があった。この2つの出来事を境に社会のムードは一変した。
 ゲームというアートで反応できたことが、『太陽のしっぽ』の価値だと思っている。

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著者
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飯田和敏
1968年生まれ。多摩美術大学卒。卒業後アートディンクに就職、『アクアノートの休日』『太陽のしっぽ』を手がける。その後、独立して有限会社パーラム(現・有限会社バロウズ)を設立、『巨人のドシン』を制作。現在は立命館大学映像学部教授を務める。
Twitter:@iidakazutoshi

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