美術史の1ページに『ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド』を加えよう。「ウツシエ」に似た遊びが18世紀に存在した!? ゲーム画面からあふれでるロマン主義の“崇高”

 2017年3月3日、Nintendo Switchとともにリリースされ、全世界から高い評価を得た『ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド』(以下、『ゼルダの伝説 BotW』)。
 “ゼルダのアタリマエ”を崩すべくシリーズを一新した同作は、メディアとユーザーから2017年を代表する作品として高い評価を集め、この1年でゲームデザインから開発背景まですみずみが語り尽くされてきたかにみえる。

(画像はゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド 公式サイトより)

 だが、美術史的な観点から同作のビジュアルの起源を指摘した例はあるだろうか。近代美術史を研究する松下哲也氏は、『ゼルダの伝説 BotW』が18~19世紀ヨーロッパのロマン主義絵画の系譜にあるとする。
 氏は近代美術史の研究家でありながら、幼少のころからビデオゲームの趣味も持つという、希有な人物だ。

 もっとも思い入れのあるゲームは『ゼルダの伝説』『Ultima』シリーズ。任天堂のコンソールゲームとPCの“洋ゲー”が子どもの頃からの好物で、『メトロイド』『スターフォックス』『Ultima Underworld』『System Shock』『Doom』『Marathon』シリーズにのめり込む少年時代を過ごした。

 「さすがにもういい大人なんで(笑)」と、今では廃人生活から脱却し、インディゲームを中心に楽しんでいるという松下氏。日々の生活に追われ、ゲームのためにパソコンの前に座るのがつらくなってきたという氏の最近のお気に入りは、もちろんNintendo Switchだ。

 そんな氏によると、『ゼルダの伝説 BotW』のコンセプトはロマン主義美術の視覚性と美学を踏襲しており、そのゲーム体験は難解な近代芸術の基礎を理解する手助けになるのだという。

 「読者の中にも近代美術史を勉強している学生がいるかもしれません。その学生は、絶対に『ゼルダの伝説 BotW』をプレイすべきです」とは松下氏の言だ。

 はたして『ゼルダの伝説 BotW』をロマン主義美術というテーマから見たとき、そこにどんな仕掛けが見いだせるのだろうか? 松下氏にぞんぶんに語っていただいた。

監修・執筆/松下哲也
取材・書き起こし/福山幸司
取材・編集/ishigenn


『ゼルダの伝説 BotW』のパッケージイラストは200年前の絵画の引用

 『ゼルダの伝説 BotW』のパッケージイラスト。本作の主人公であるリンクが我々に背を向けて岩の上に立っており、彼の視線の先には険しい山々の頂が見える。
 雲と水平線を見下ろす位置にいることから、リンク自身が立っている場所も相当な高山のようだ。

 画面構成に注目すると、リンクの身体が縦長の画面の横の辺を、水平線が縦の辺をほぼ2等分している。さらにリンクの身長と足元の岩の高さは縦の辺の長さのおよそ3分の1。

 つまり空、リンク、足元の岩で画面を3等分しているわけだ。幾何学的で安定した堂々たる構図である。

 高山の岩の上に立ち、鑑賞者に背を向け、眼前に広がる険しい山々を見据える男。そして幾何学的な画面構成。このイラストは、ドイツロマン主義の画家カスパー・ダーヴィト・フリードリヒの代表作《雲海の上の旅人》(1818)にそっくりである。

 山登りをひとつの大きなテーマにしたゲームのキービジュアルに、登山をテーマにした200年前の名画を連想させるイラストを採用する。
 こういった先行作品の引用は、美術の歴史のなかで幾度となく行われてきた。たとえばティツィアーノ《ウルビーノのヴィーナス》を引用したマネ《オランピア》はよく知られた例だ。

 近現代美術において、歴史上の有名作品の引用は決して「真似」や「パクリ」ではない。

 引用という手法は作品のコンセプトを補強するだけでなく、鑑賞者に作品の意図を深く解釈するよう促すための装置として古くから用いられてきた歴史がある。マネの例では、伝統的な絵画に描かれたヴィーナス(女神)を娼婦に置き換えることで、その絵と引用の意味を深く考察するよう我々に働きかけているわけだ。

 では、『ゼルダの伝説 BotW』のパッケージイラストがフリードリヒを引用した理由は? このイラストは我々プレイヤーにどんな解釈を求めているのだろう。

 あらためて双方の絵を見ると、男が見据える先には、目指すべき山が無数にある。まさに冒険、そんな雰囲気だ。
 「山」という存在は『ゼルダの伝説 BotW』の大きなキーになるフィーチャーだが、実は、そこにフリードリヒをはじめとするロマン主義者たちが共有した18~19世紀の美学的傾向がある。

【解説】ロマン主義とは?

 

 18世紀末ごろから19世紀前半にかけて西ヨーロッパ各地で起こった先端的な美術動向の総称。あくまでも便宜的な分類であり、特に思想や様式上の共通点は見いだせないという点に注意。以下に解説するが、ロマン主義に明確な定義はない。

 

 ロマン主義画家の多くは、同時代にイギリスで起こった産業革命や、フランス革命をはじめとする市民革命の流れに呼応した。

 そのためロマン主義絵画の多くは啓蒙主義的であり、当時の先端技術や科学的知見、出版産業の動向や市民向けの見世物の視覚性を作品に反映したほか、混迷をきわめる同時代の政治動向に対する主張をしばしば作品に描き込んだ。

 上記の理由から、ロマン主義者たちはモチーフの個々の不揃いな特徴や人間の激情、さらには作者個人の思想など、従来の価値観では美とはされてこなかった──むしろ醜いとされてきた──対象を積極的に描いた。

 

 この主題の選択は、普遍的で均整のとれた古代ギリシャ・ローマ彫刻のような理想美を追求する同時代の新古典主義とは一線を画する。

 

 たとえば本稿に登場するドイツのフリードリヒは地質と植生に造詣が深く、それらの知識と調査に基づいて土地ごとの風景の特徴を描き出した。また彼は反ナポレオン的な民族主義者でもあり、ドイツの民族衣装を着た人物を描いて自身の政治思想を明確に表現した。


 他の代表的な作家に、ゲーテとともに近代的な色彩論の基礎を作ったドイツのフィリップ・オットー・ルンゲ、7月革命を主題とする《民衆を導く自由の女神》で知られるフランスのウジェーヌ・ドラクロワ、キャラクター造形や感情描写の技術を研究し、多くの後進を育てたイギリスのヘンリー・フューズリとウィリアム・ブレイク、そして気象学的な風景描写を得意としたジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナーなどが挙げられる。

“グランド・ツアー”と「崇高」美

 18世紀ごろのイギリスの貴族男性には、学業を終えるとヨーロッパの大陸側諸国を旅して見聞を広める「グランド・ツアー」に出かけるという習慣があった。
 彼らはたいていの場合、まずはフランスを見学したあと、アルプス山脈を越えてイタリア入りした。

 当時はまだ、イギリスは芸術の後進国だという考えが支配的だった時代である。そこで彼らはグランド・ツアーを通じてフランスやイタリアのさまざまな芸術や建築に触れ、古代ローマの遺跡を見物して教養を高めたのである。
 このグランド・ツアーは、一説には今の修学旅行の元祖とも言われている。

 アルプス越えがグランド・ツアーのハイライトだ。
 もちろん飛行機などない時代のこと、険しいアルプスの山々を超えるには危険が伴う。悪天候に見舞われるかもしれないし、目の前の断崖絶壁から滑落してしまうかもしれない。狼や山賊に襲われる可能性もある。貴族の旅行とはいえ、これはある種の試練だった。

 『ゼルダの伝説 BotW』の基本的なゲームの流れは、このアルプス越えの試練を連想させる。だが、我々プレイヤーがよく知っているように、この試練にはご褒美がある。いわゆる「絶景ポイント」を発見してつい感嘆してしまう、あの何とも表現しがたい感動だ。

 巨大な山塊、轟音を立てる滝、底も見えないような深い崖、100年 かけて朽ち果てた巨大な廃墟。誰しもそういったものを見て、足がすくむような気持ちになる一方で、恐ろしいけれど美しい、怖いけれどかっこいいという複雑な感情を抱いたことがあるだろう。

 18世紀に活動したエドマンド・バーク【※1】イマヌエル・カント【※2】といった哲学者が、これを「崇高」と呼んで活発に議論した。

※1 エドマンド・バーク(1729-1797)
アイルランドで生まれた、保守主義の父として知られるイギリスの思想・政治家。著書「崇高と美の観念の起原」(1756)などで、「崇高」の理論を整理した。

※2 イマヌエル・カント(1724-1804)
ドイツの哲学者。「美と崇高の感情に関する観察」(1764)や「判断力批判」(1790)で「崇高」を論じた。

 巨大な岩山を見ると怖い。かつては大勢の人が利用していたに違いない建築物が、長い時間をかけて廃墟になっていくさまを想像すると、何か人知の及ばない力に対する畏怖の感情が湧く。

 これはヨーロッパの伝統的な考え方では決して「美」ではなかった。
 しかし、伝統的な「美」とは対立する「崇高」の概念は、ロマン主義時代のヨーロッパを席巻する一大ブームになっていった。つまり冒険には、いかに崇高な体験をするかという命題が常についてまわっているわけだ。
 この崇高の美学が、フリードリヒ《雲海の上の旅人》などの絵に表れている。

 高山と崇高がいかに密接に関わっているかを物語る有名な言葉がある。「断崖、山岳、奔流、狼、轟き、サルヴァトール・ローザ!」。
 これは、イギリスの著述家ホレス・ウォルポール【※】がグランド・ツアー中のアルプス越えで覚えた感動をしたためた手紙の一節だ。

※ホレス・ウォルポール(1717-1797)
イギリスの貴族、小説家。ゴシック小説やホラー小説の先駆けとされる「オトラント城奇譚」を1764年に出版したことで有名。なお余談ではあるが、「オトラント城奇譚」には、呪いがかけられたオトラント城と、美しい姫イザベラを我が物にしようとする城主マンフレッド、イザベラに救いの手を差し伸べる青年セオドアが登場する。個人的には、このマンフレッド、イザベラ、セオドアの3人に、『ゼルダの伝説』のガノンドロフ、ゼルダ、リンクの姿をどうしても重ねてしまう。ここでは物語の類似について論じないが、文学史に詳しい論者による議論があってもいいのではないかと思う。

 ウォルポールがここに挙げた崇高の対象のほとんどは、『ゼルダの伝説 BotW』にも登場する。
 しかし“サルヴァトール・ローザ”とは、いったい何のことだろう? これは17世紀イタリアの風景画家の名である。
 つまりウォルポールは、アルプス山脈を越えているときに目のあたりにした崇高な光景を、まるでサルヴァトール・ローザ【※】の絵みたいだと形容したのである。

サルヴァトール・ローザ《隠者のいる風景》1665年頃、ウォーカー・アート・ギャラリー、リヴァプール。
※サルヴァトール・ローザ(1615-1673)……17世紀、バロック時代に活動したイタリアの画家。魔女のサバトや怪物の出現などを描いた、恐ろしくも幻想的な作風で知られる。本人は歴史画家を自認していたが、おもに風景画で高い評価を得た。ローザの風景画はイギリスで特に人気があり、「崇高」美を示す代表的な作例とされた。

 自然の景色を見て「まるで絵みたいだ」という感想を漏らす。
 この「絵みたいな」風景を自然の中に発見していくという美意識が生まれたのもまたロマン主義時代であり、人々はこれを「ピクチャレスク」と呼んだ。
 これはゼルダ姫が残した「ウツシエ」を手がかりに思い出の場所を特定していくという、『ゼルダの伝説 BotW』の主要クエストにも通じる美意識である。

【解説】ピクチャレスクとは?

 

 直訳すると「絵のような」という意味。たとえば岩肌のゴツゴツとした形、うっそうと茂る木々のモコモコとした形のような、自然が形作る不規則な形態が「絵のような」美であるとされた。サルヴァトール・ローザやクロード・ロランの風景画に上記のような形態が描写されている。つまり18~19世紀の人々は、まず絵画を通じて自然の美しさを発見したのである。当時のイギリスでは自然の風景に「絵のような」美を発見しようとする「ピクチャレスク・ツアー」のほか、ロランらの風景画のように見えるよう庭を作り込む「ピクチャレスク庭園」が流行した。

ウツシエ、廃墟、奇岩、ピクチャレスク

 アルプス越えを伴う大規模なグランド・ツアーは、ウォルポールのように裕福な貴族しか体験出来ない。そこで、イギリスではグランド・ツアーのコンパクト版ともいえる「ピクチャレスク・ツアー」が流行した。
 大がかりな旅行とはいかずとも、ウォルポールがアルプスの風景を「サルヴァトール・ローザ!」と言ったのと同様の、ピクチャレスクな(絵に描かれたような)景色を比較的近場に捜して愛でようじゃないかという、観光の一種である。

 このピクチャレスク美の発見のしかたが書かれたウィリアム・ギルピン【※】の著作「主としてピクチャレスク美に関してワイ川および南ウェールズの幾つかの地形その他の1770年夏になされた観察」(1782)は一世を風靡し、イギリスのロマン主義者たちが共有する重要な芸術理論となった。

※ウィリアム・ギルピン(1724-1804):イギリスの美術家、聖職者、著述家。著書「主としてピクチャレスク美に関してワイ川および南ウェールズの幾つかの地形その他の1770年夏になされた観察」(1782)をはじめとする著作は、本稿で触れるターナーらイギリスの風景画家に多大な影響を与えた。

クロード・ロラン《エジプト逃避途上の休息をともなう風景》1661年、エルミタージュ美術館、サンクトペテルブルク。
※クロード・ロラン(1600年代-1682)……バロック時代のフランスを代表する画家の一人。ニコラ・プッサン(1594-1665)と共にフランスの古典主義を確立した。ロマン主義が起こる以前、風景が重要なモティーフとはされていなかった当時において、緻密な描写でローマ教皇ウルバヌス8世やスペイン国王フェリペ4世など、同時代の重要なパトロンから評価を得た。

 風景画に描かれているようなピクチャレスクな景色を見たい。そう考えていた当時の人々の観光の楽しみ方はなかなか奇妙だったようだ。
 その奇妙さをこの記事で伝えるのは困難なので、ロンドンを観光する機会があれば、ぜひヴィクトリア&アルバート博物館を訪ねてほしい。そこには当時の流行の奇妙さがわかる観光グッズである“クロード・グラス”という鏡が展示されている。

当時のクロード・グラス(てのひら大のサイズ)
© Victoria and Albert Museum, London 2017. All Rights Reserved
(画像はV&A Search the Collections|Claude glassより)

 これは表面を黒く処理した(セピア色のものもある)、手より一回り大きい凸面鏡である。この鏡に風景を映すと、それがまるでクロード・ロランの風景画のように見えるという道具だ。
 表面が着色されているのは映った景色を古い油絵のようなトーンにするため、凸面鏡になっているのは広い範囲を映すためである。
 どうやら当時の人は、ピクチャレスクな風景を自分の目で直接見るのではなく、それに背を向けてこの鏡に写った景色を楽しんでいたらしい。風景を楽しんでいるようでいて、実際には道具を眺めて「まるでクロード・ロランの絵みたい(ピクチャレスク)。素敵ね」と言うわけだ。

 一見違和感のある行動だが、我々現代人も景色そっちのけでスマートフォンの画面ばかり見ている。
 そう考えると、ピクチャレスクはある意味では現代の「インスタ映え」のようなものなのかもしれない。

時の神殿:外観
(画像:編集部撮影)

 先述したように、『ゼルダの伝説 BotW』において、リンクはゼルダ姫が過去にシーカーストーンのウツシエ機能で写真を撮影したロケーションを捜す。
 つまり「絵のような」風景の探索がこのゲームのメインチャレンジに設定されている。
 さらに、チュートリアルの最後に訪ねる場所が時の神殿跡だという点が非常に重要だ。アーチや窓、柱の形状を見るに、この神殿の建築は中世ヨーロッパのゴシック様式を模している。ロマン主義の風景画にとって、ゴシック教会の廃墟はもっとも好ましいモティーフのひとつだった。

時の神殿;内部
(画像:編集部撮影)

 たとえばジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナーが描いたティンターン修道院の廃墟画がその代表例である。
 1131年にウェールズのワイ川沿いに建てられたこの修道院は、かつて大きな勢力を誇っていたことだろう。しかし人間の営みは時の流れには逆らえず、ターナーがこの絵を描いた18世紀末には、このように崇高美をたたえる巨大な廃墟と化していた。
 このような、人間が決してあらがえない時間と自然の力に、当時の人々は崇高の感情を抱いたのである。

ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー《ティンターン修道院、西正面》1794年頃、大英博物館、ロンドン

 『ゼルダの伝説 BotW』のプレイヤーは、このターナーの絵によく似た時の神殿のピクチャレスクな廃墟で、亡国ハイラルの王から100年前の悲劇のいきさつを聞かされ、本格的な冒険に旅立つ。
 そこで最初に目指すよう促されるのが、双子山と呼ばれる、やはりピクチャレスクな奇岩である。
 そして読者諸氏がよくご存じのとおり、本ゲームには特徴的な地形を目印にするよう指示するクエストが多く存在する。

 つまり『ゼルダの伝説 BotW』は、冒頭のチュートリアルの最後に廃墟から奇岩を目指すという動線を用意することで、この作品はロマン主義的なピクチャレスクを体験するゲームであるとプレイヤーに説明しているのである。

双子山
(画像:編集部撮影)

 以上のように、『ゼルダの伝説 BotW』は、すべてのオープンワールドゲームに共通する旅や観光の要素をロマン主義的な崇高とピクチャレスクの体験にまで昇華した。
 このゲームが他のオープンワールド系ゲームと一線を画しているのは、フリードリヒの《雲海の上の旅人》を引用し、登山をゲームの主たる要素に組み込むことで、ゲーム体験の根本に崇高の美学があるとプレイヤーに明示している点である。

 「断崖、山岳、奔流、狼、轟き、サルヴァトール・ローザ!」、このウォルポールの言葉の意味を現代人が理解しようとするなら、『ゼルダの伝説 BotW』ほど優れた教材はないのだ。

ゼルダ姫との思い出の場所をめぐる、メインチャレンジ“ウツシエの記憶”撮影場所12ヵ所。
(画像:編集部撮影)

 さて。深い造詣のもと語られた『ゼルダの伝説 BotW』とロマン主義に関わる松下氏の話だが、この記事を読む前に、「ゲームのグラフィックスが美術史に関係あるのか?」とか、「美術って美術館にある芸術作品のことでは?」とか、考えていた読者も多いのではないだろうか。

 だが、誰しも学校や会社(あるいは美術家の工房)で修行して一人前になる。
 誰にだって師匠はいるが、その人がゲーム開発者であるとは限らない。また多くのゲーム開発者が映画や文学からの影響を語る。このように芸術の歴史はつねに模倣と引用を繰り返して今日まで続いてきた。
 1818年の絵画と2017年のビデオゲームの関係を指摘した松下氏が主張するのは、そういった数千年に及ぶ芸術史の中にゲームは記述され得るし、考察されるべきだという考え方だ。

 ヘッドマウントディスプレイを代表とするヴァーチャル・リアリティなど、新しい系譜を感じさせる体験メディアが登場しつつある昨今だが、その根底には“芸術は必ず既存の作品の成果を踏襲する”という連続性が存在する。
 ビデオゲームを芸術史のなかで考察する仕事は、後世にその存在と意義を伝える上で、今後重要になっていくのではないだろうか。

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取材・書き起こし
福山幸司
85年生まれ。大阪芸術大学映像学科で映画史を学ぶ。幼少期に『ドラゴンクエストV』に衝撃を受けて、ストーリーメディアとしてのゲームに興味を持つ。その後アドベンチャーゲームに熱中し、『この世の果てで恋を唄う少女YU-NO』がオールタイムベスト。最近ではアドベンチャーゲームの歴史を掘り下げること、映画論とビデオゲームを繋ぐことが使命なのでは、と思い始めてる今日この頃。
Twitter:@fukuyaman
取材・編集
ニュースから企画まで幅広く執筆予定の編集部デスク。ペーペーのフリーライター時代からゲーム情報サイト「AUTOMATON」の二代目編集長を経て電ファミニコゲーマーにたどり着く。「インディーとか洋ゲーばっかりやってるんでしょ?」とよく言われるが、和ゲーもソシャゲもレトロも楽しくたしなむ雑食派。
Twitter:@ishigenn
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