いかに『DEATH STRANDING』は「ゲームの移動」に革命を起こしたのか──ビデオゲームを次の世代へと繋げる“お使いゲーム”を語る

 『METAL GEAR SOLID V』が発売された2015年の末、小島秀夫氏がコナミを退社していたことがアナウンスされたとき、ゲームファンの間で大きな動揺が広がった。そして翌年6月のE3、『DEATH STRANDING』が発表され、その失望は歓喜へと転化した。

 しかし、その祝福と喜びの中で、同時に一抹の不安を抱えた人も多かったはずだ。新作がもう『METAL GEAR SOLID』ではないだけでなく、そもそもどういったゲームなのか極めて不明瞭なことに。

 難解で示唆的な複数の映像が公開され続けておよそ3年。小島秀夫氏が具体的なゲームプレイについて初めて言及した舞台は、2019年9月の東京ゲームショウで、そこでも伝えられたのは「荷物を運ぶゲームである」というおおまかな概要のみだった。

 そしていま、『DEATH STRANDING』というゲーム体験を経た現在、ある種の酩酊状態が冷めず、どこか呆けた顔をしながらこう思うのだ。もしかしたら、今までの実績をリアルタイムに目の当たりにしてきてなお、小島秀夫という人物のゲーム作りの才能はいまだ“過小評価”されているのではないか。

 『METAL GEAR SOLID』という“すでに完成されてしまったシリーズ”は、小島秀夫を代表するタイトルである。一方で、それに拘泥するユーザーや業界、資本の声は、もしかしたら小島秀夫という稀代のゲームクリエイターに対する「足枷」になっていたのかもしれない、と。

 そう思えるほどに、『DEATH STRANDING』はまるで気鋭のインディーゲームのように野心的なチャレンジに満ちていながら、同時にトリプルAタイトルの完成度を誇る「魔法」のようなゲームだ。本作は今後のオープンワールドゲームや3Dアクションアドベンチャー、いやビデオゲームの「移動」を、次の世代へと導く可能性を秘めている。

文/Nobuhiko Nakanishi
編集/ishigenn


アメリカ大陸を「移動」する「お使いゲーム」

 予備知識のない人から「『DEATH STRANDING』とはどんなジャンルのゲームなのか」と問われて一言で答えるのは困難だ。しかしそれでもわかりやすい回答を探すとしたら、誤解を恐れずに「お使いゲーム」と答えるだろう。

 『DEATH STRANDING』の主人公である伝説の配達人サムは、「デス・ストランディング」という謎の現象によって分断されたアメリカをふたたび繋ぎ直す使命を受けており、たったひとりで東から西へと大陸を横断しなければならない。

 サムは都市や拠点の端末から配達の依頼を受け、目的地に荷物を届けることになる。任務を達成し、「カイラル通信」と呼ばれるネットワークを都市や拠点に繋ぐことで、分断されたエリア同士が繋がりを持つようになる。そして次の依頼を受け、さらにカイラル通信の接続範囲を広げていく。

 全般的なゲームプレイは地点Aから地点Bへ荷物を運ぶ「お使いゲーム」の繰り返しで構成されており、ゲームプレイ中のほとんどの時間は荷物を運ぶための「移動」に費やされる。

 現在のトリプルA級ゲームの主流であり、本作も該当する3Dアクションアドベンチャー型のオープンワールドゲーム。その系譜において、「移動」はつねに製作者が克服すべきジャンルに付随するハードルだった。

 あまりにも移動の手段が簡略化されれば、広がりのあるフィールドを探索する楽しみや、目的地まで向かうチャレンジ性が失われてしまう。あまりに移動が手間になってしまえば、ゲーム自体のテンポにとって重荷となる。
 しかしプレイヤーには、ゲームワールドを丹念に調べ上げたい者もいれば、フィールド上で展開されるストーリーやクエストを次々と楽しみたい者、広大な土地で自由に移動アクションを楽しみたいという者もいる。

 そのため人類はそのビデオゲームの歴史で、一度訪れた拠点であれば即座に訪問できる「ファストトラベル」や、ボタンを押しっぱなしにするだけで整備された道を馬で走る「自動走行」といった、「移動」の拡充を図ってきた。オープンワールドゲームにおける移動を便利で楽しいものにする工夫を続けてきたというわけだ。

 しかし『DEATH STRANDING』にとっての「移動」は、そのように進化してきた移動とは別の概念だ。

 それはオープンワールドゲームにおける「移動」という「手段」を、そもそも「目的」にするという試み。つまり、オープンワールドという最先端のゲームジャンルで「移動そのものをゲームとしていかに完成させるか」という挑戦である。

オープンワールドにおける「移動」自体をゲーム化

 具体的に一連のゲームプレイを例示してみよう──まずサムは、どこかの都市や拠点の端末から、とある荷物を目的地まで運べというミッションを受ける。地図上で真っ直ぐ引いた配達先への最短ルートは、当然1本の直線でしかない。

 だが実際にルートを移動する際は、これまでのオープンワールドゲームが平面的に思えるほどに、多数の障害が待ち受けることが想定される。
 進めるかどうか判断が難しいほど傾斜が入り組んだ山岳、深さや流れの早さがいずれも異なる河川、サムの足を深く絡め取り体温を奪う雪山、荷物を発見すると強奪にやってくる配達中毒者「ミュール」、サムを黒いタールの沼へと引きずり込む存在「BT」。

 サムはそれらの障害に出会ったとき、ひんぱんに左右にルートを変更し、高度を上げ下げしながら、複雑に入り組んだ三次元の世界を移動しなければならない。

 そういった障害を踏破するために、険しい地形を移動するための「梯子」や「ロープ用パイル」、さまざまな建物を設置できる「建設装置」などのガジェットを持つ必要がある。

 ときには敵との遭遇を避けられず、護身用の武器を装備することもあるだろう。また、履いている靴なども含め、物品には消耗率が設定されているため、スペアを積んだり道中で追加調達することも考えなければならない。地図上で進行先に広い平野が読み取れるのならば、資材を消費して走破するための乗り物を用意することもできる。

 配達依頼の荷物とルートを見比べ、限られた積載量や積荷のバランス、体力やバッテリーがある中で、積むべき荷物と物品を選定し、サムはようやく配達するための「移動」をスタートすることになる。

 しかし多くのメインミッションにおいて、地図上で作成したルートを思い通りに進むことはできない。
 たとえば目的地までの道中で、想定以上に高所に来てしまい、これ以上進めなくなることがある。選択肢はおおまかに分けてふたつ。ここまでせっかく踏破した険しい道を戻るか、あるいはその場所から下ることができそうなルートを探すか。

 来た道を戻るのは、これまでの移動に費やした物品や時間の消費を考えると避けたいところだ。だが、下れそうに見えるルートへと安易に足を進めるのはリスキーである。バランスを崩して落下すれば負傷し、さらに荷物を落として破損させてしまうかもしれない。荷物の破損は配達終了時の評価にも繋がり、完全に壊れると任務達成が不可能となってしまうこともある。

 それは、もし仮にその周辺の地理を知っていれば、あるいは出発時に梯子やロープ用パイルを多めに用意していれば、起こらなかったはずの「困難」。プレイヤー自身の「無知」や「失敗」は、行程中の小さな「困難」として自分自身に返ってくるのだ。

 それはたとえば、地図や地形を考えずに突き進んだ結果のバイクの座礁。地形を読み取らずに川を渡ろうとした結果の転倒。スタミナの管理ミスや移動補助ユニットの選択を誤ったことによる体力切れ。対抗手段を持たなかったためミュールに捕まり奪取された荷物。「BT」の出没エリアを無警戒に進み発見された際の絶望。

 そして本作の肝は、ミッション自体の「失敗」は少ないが、そこに至る行程中にこういう「失敗」が無数にあるという点である。
 ひとつひとつの失敗はゲームオーバーにつながるような致命的な困難に必ずしもつながらない。プレイヤーはそれを受け、地図と顔をにらめっこしながら修正プランを立案し、新たなルートを繋いでいく。

 しかし、事前に予測を立てていれば起こり得なかった失敗や、あるいは予測していたが物事がスムースに捗らないというストレスは、プレイヤー自身の責任で起こった苦い経験として記憶される。それは「死」という断絶の経験によって覚えるビデオゲーム体験とはまったくベクトルの違う、「苦さ」を受けて次へと繋ぐ新鮮なゲーム体験だ。

 落とし穴に落下したら死亡しステージの最初やチェックポイントからやり直すジャンプアクションではなく、その失敗した地点でなんらかのペナルティを受けつつ糸のように次へと繋いでいく糸状のゲームプレイ。『DEATH STRANDING』が「移動」をゲームたらしめている部分は、そこにある。

 荷物の選定とルート立案・修正から形成された深みのある攻略性と、失敗の緊張感と断絶のないテンポを両立した「おそろしく心地よい困難」。それがプレイヤーに道を踏破した際のとてつもなく大きなカタルシスと任務の達成感を与えつつも、すぐにまた次の配達に挑戦したくなる極めて高い没入感と中毒性を生み出している。

 ひとつの配達任務でさまざまな経験を得て成長し、さらに新たなガジェットを手に入れて攻略の幅が広がったプレイヤーは、次なる「移動」を夢見て配達中毒に片足を突っ込むことになるだろう。

「移動」に全集中するインディー的な職人の洗練

 また見逃してはならないのは、その「心地よい苦痛」を生み出しているものが、単に「移動」や配達のゲームデザインの中核的な思想を思いついただけで生まれていないという点である。
 単純に「移動をゲームにしてしまう」というアイディアを得て、そのまま現実世界にある移動の制約や困難を取って付けたわけではない。

 おそらく何万回となくテストプレイされた上で修正に修正を重ねられたであろう実に仔細で丁寧につくられたマップデザインは、およそ想像される限りあらゆるルート、あらゆる方法での遊び方を想定された作りになっている。

 そしてさらに驚くべきことに、マップ上で行けない場所や、必要な場所さえあればガジェットが使用できない場所も極めて少ない。だからといって、その自由度がゲームの難度を劇的に下げているわけでもない。世界が純粋にゲーム的な理不尽さから、高度に解放されているのだ。

 「ストランド・システム」と呼ばれる、他プレイヤーのガジェットや建設物がフィールド上に共有される本作のシステムにおいて、プレイヤーが未開の地を踏破しカイラル通信を繋いだエリアでなければ機能しないというチャレンジ性を損なわない仕様。
 ファストトラベルはあるものの、荷物や装備のほとんどは別の拠点へ移動させることができないという、絶妙な簡便度の設定。

 さらに親切過ぎないが利便性の高いUIや、写実的な3Dキャラクターのモデリングに説得力のある物理挙動。いずれも細かい点ではあるが、そこで手を抜いて適当なものを用意してしまえば、このゲームそのものである「移動」に余計な苦痛を与えてしまうことになっただろう。

 この各仕様・パーツへの職人的なこだわりは、見事に「心地よい困難」を味わうために必要なストレスと、不必要なストレスを分別し、美しく部品を切り分けて、美しく完成している。

 開発陣は大作のアクションゲームやオープンワールドゲームにあるような「お約束」に労力を過多に捧げることなく、務めて「移動」というコンセプトだけに視線を向けており、その内容は執念深いまでに丁寧だ。まさにインディーゲームのようにひとつのコンセプトを追求しながら、トリプルAタイトルのように丁寧な洗練がほどこされた、「魔法のようなゲーム」である。

すべてが「繋ぐ」というテーマに繋がっていくゲーム

 この「移動」を主軸においたゲームプレイと同様に、本作のさまざまな要素はすべてが「繋ぐ」というテーマに繋がっていく絶妙な展開を見せていく。

 たとえば前述した「BT」や「ミュール」たちの存在、索敵の「装備」としての「BB」の在り方、「デス・ストランディング」など、本作における多くの要素は多分に謎に包まれている。ゲーム序盤から頻出されるテクニカルタームは、けっして初見のプレイヤーに優しいものではない。

 だが、ストーリー上で「カイラル通信」で繋がっていけばいくほどに、拠点ごとに断絶されていた個人のスタンドアローンば知識が集合知として形成され、ゲーム中に登場するすべての謎に迫っていく。ゲームを進め、人々が繋がりを持つことで、自然と謎に満ちあふれていた世界の背景が浮き彫りになっていくわけだ。この知識と知識を繋いでいく終盤直前までのストーリーの構成は、非常に説得力があるものとなっている。

 前述した『DEATH STRANDING』の独自の非同期ネットワーク機能「ストランド・システム」も、ゲーム内にある種、新しい感情を喚起させるという意味で重要な要素だ。

 「ストランドシステム」の用途は多岐に広がり、他人が作ったインフラを利用することも出来れば、他人に自分のインフラを使って貰うこともできる。休憩地点として使えるセーフハウスや、ガジェットの充電に必要な発電機、落とし物を入れて置けるポスト、大きな橋などさまざまだ。

 その最たるものは「国道」である。これは文字どおり不特定多数による国道の建設で、複数のプレイヤーの資材の投入により建設された「国道」は、大陸内を走るパイプラインとして「移動」に革命的な利便性をもたらす。
 つまりそれは多くの他人とひとつの交通インフラを作成するという共同作業であり、本作のコンセプトである「繋がり」が多くの人に恩恵を与えるということを、その見た目からも効果からも能弁に語っている。

 それを評価し、評価されたりすることで、自分が繋がれる人数も増えていく設計は実に興味深い。プレイすればするほどに自分の世界が広がっていく感覚は、おそらく多くの人にとって新しい感覚だろう。

 カイラル通信が繋がる前の断絶された世界で困難を味わい、接続後にストランド・システムで他プレイヤーの助けを受ける。ゲームプレイの中心である移動も、世界設定が明らかになっていく手法も、そしてストーリーのテーマ自信も、「繋ぐ」ことへとフォーカスされていく。『DEATH STRANDING』をプレイすれば、プレイヤーは個々人の中に存在する「繋がり」というものを、あらためて認識しようとすることになるだろう。


 繰り返しとなるが、『DEATH STRANDING』はひとつひとつの要素をピックアップしていけばチャレンジの集合体のようなゲームであるにもかかわらず、その全てが成功しているという魔法のような作品だ。

 冒頭で「お使いゲーム」と言ったが、本作はともすればネガティブな音階ととられがちな「お使いゲーム」という言葉の概念を根元から丸ごとひっくり返すこと、再定義することをプレイヤーや業界に迫っているとも言える。ただ目的に付随した「移動」が楽しいのではなく、「移動」自体がゲームとして、はてしなく面白い。

 それはゲームプレイヤーもゲーム業界も、もちろんゲームメディアも含めて、知らずに「ジャンル」という名の曖昧な文言に誤魔化されてステレオタイプになっている状況への挑戦たとも言える。その一方で、小島氏が今作で移動とお使いという当たり前を覆したように、ビデオゲームはもっと、想像もつかないほどの可能性を秘めているのだという福音でもある。

 筆者は本作のプレイを通じてビデオゲームへの凝り固まった思考から解放され、救われた気持ちになったが、同様に思う人が他にも多数いるだろうことは想像に固くない。少なくとも、本作は「移動」という概念に関してビデオゲームの進歩の時計の針を一気に数年先まで回した。今後は単純にゲーム性やシステムが模倣されるという枠を超えて、ビデオゲーム業界に大きな影響を与えていくだろう。本作に影響を受けなければ、それはむしろ不誠実とも言える。

 それほどの完成度だ。あらゆるゲームからの影響を感じさせ、そのどれにも似ていない、独特の輝きを放っている。発売後あらゆる国のあらゆる言語で何百万語、何千万語を費やし評論され、分析され、考察されるであろう。『DEATH STRANDING』は、過去から未来を繋ぐ「結び目(KNOT)となる傑作」であり、同時に小島秀夫氏の最高傑作だ。

ライター
Nobuhiko Nakanishi
大学時代4年間で累計ゲーセン滞在時間がトリプルスコア程度学校滞在時間を上回っていた重度のゲーセンゲーマーでした。 喜ばしいことに今はCS中心にほぼどんなゲームでも美味しく味わえる大人に成長、特にプレイヤーの資質を試すような難易度の高いゲームが好物です。
編集
ニュースから企画まで幅広く執筆予定の編集部デスク。ペーペーのフリーライター時代からゲーム情報サイト「AUTOMATON」の二代目編集長を経て電ファミニコゲーマーにたどり着く。「インディーとか洋ゲーばっかりやってるんでしょ?」とよく言われるが、和ゲーもソシャゲもレトロも楽しくたしなむ雑食派。
Twitter:@ishigenn
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