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「クソゲー・オブ・ザ・イヤー」を一変させた『四八(仮)』ショックとはなんだったのか? “テキストの量的分析”からクソゲーの定義とレビューの変容を見る

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 ビデオゲームの文化で「クソゲー」という極めて暴力的な単語が一般化してからどれくらいが経っただろうか。みうらじゅん氏が『いっき』に対して使ったなど起源には諸説あるが、ともかくその言葉は死滅せずに現代まで生きながらえてきた。

 制作者が心血を注いで創りあげた一個のゲームという作品。それをたった一言で簡単に断罪できてしまうその言葉は、無残なほどにネガティブなパワーを持っており、ゲームメディアでは忌避すべきワードのひとつである。

 しかし口をつぐんだところで、いままでプレイヤー間で何年にもわたり続いてきた「クソゲーを語る」という文化が、無かったものになるわけでもない。たった4文字でゲームを語ることができるこの魔法の言葉は、その時代や個々人の認識によって極めて定義が曖昧で、いまも万華鏡のように変化し続けている。

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(画像はニコニコ動画「クソゲーオブザイヤー2008」より)

 そんな歴史の中、その年度で一番のクソゲーを決めるというテーマでとくに2010年前後に人気を博したのが「クソゲー・オブ・ザ・イヤー」、通称「KOTY」である。

 2003年から5ちゃんねる(旧2ちゃんねる)の家庭用ゲーム板でスレッドが立てられるようになり、当初はネタ志向の催しとして始まったものの、徐々に「選評」「総評」によって結論するという一風変わった合議制のシステムを採用する、本格的な批評の側面も強いイベントになっていった。

 インターネット上を席巻しただけでなく、あのビックカメラがその名を借りて特設セールサイトを2010年に公開してしまうなど、当時は一種の社会現象に近い盛り上がりを見せている。

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(画像はかつて存在した『四八(仮)』公式サイトより)

 その「KOTY」が2007年度に選んだ大賞が、いまも伝説のクソゲーとして語られる『四八(仮)』である。

 47都道府県の怪談話を読み解いていくというサウンドノベルゲームとして注目を集めたが、蓋を開けてみれば「進行不能なバグ」「一部シナリオの強烈な薄さ」「怒りの問い合わせに対しハンカチを送る運営の対応」などによって、当時の風に言えば一気にインターネットでは“祭り”状態となった。

 のちにその動乱は「四八(仮)ショック」と名付けられ、KOTYの運営方針ならびにクソゲーという言葉の定義もあらためて見返すことになるほどの余波を残していく。

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(画像はニコニコ動画「クソゲーオブザイヤー2008」より)

 そんな「四八(仮)ショック」を、アカデミックにテキスト測定で分析しようとした論文がかつて発表されていたのをご存知だろうか。2012年夏に公開された論文を発見した筆者は、その興味深い内容に好奇心を打たれ、論文の作者である吉永大祐氏に話を聞くことに成功した。

 当時『四八(仮)』によって大きく変貌した「KOTY」ならびに「クソゲー」、その定義はどう変化していったのか、その一幕をご一読いただきたい。

取材、文/Nobuhiko Nakanishi
取材、編集/ishigenn
取材、撮影/実存


異質な「合議制」を採用したクソゲーオブザイヤー

──そもそも今回、まさか『四八(仮)』【※】の論文を書いている方がいらっしゃるとはというところから企画が始まりました。まずはこの論文についてお話を伺えるでしょうか?

※『四八(仮)』:
 2007年にバンプレストからPlayStation 2向けに発売されたアドベンチャーゲーム。47都道府県にある怪談話を読み解いていく。発売前は開発に『学校であった怖い話』の飯島多紀哉氏や著名な作家陣が参加するとアピールされ実際に良質な話もあったが、ゲーム全体で見ると各エピソードのクオリティ差は激しく、「ヒバゴン」などの数分で終わる一部のシナリオがクローズアップされた。さらにゲームの進行や全クリアが不可能になるバグも見つかり、クソゲーとしての烙印を押されていくことになる。

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吉永 大祐氏(以下、吉永氏)
 正確には論文ではないのですが、この「四八ショックとは何だったのか」は、日本デジタルゲーム学会(DiGRA JAPAN)で2012年夏に発表したものです。

 インターネット上のゲームファンコミュニティにおける“クソゲー”の言説について記したもので、『四八(仮)』がなぜ伝説のクソゲーと呼ばれるようになったのか、また「クソゲーとはなにか?」という問いかけそのものを研究の対象にしています。

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(画像は「四八ショック」とは何だったのかより)

──またどうしてKOTYと『四八(仮)』を題材にしようと。

吉永氏
 僕自身はただのゲーム好きだったんですが、2012年当時はいわゆる“ゲハ”とまとめサイトの問題【※】が顕在化してきて、有名なゲームがクソゲーと酷評され騒がれていたんですね。否が応でもそういった話題を目にするようになった。

※“ゲハ”とまとめサイトの問題:
 1999年に設立され人気を博した掲示板「2ちゃんねる」だが、そのスレッドをまとめる「まとめブログ」、「コピペブログ」が2000年代前半から急速に拡大していった。とくに「ハード・業界板」こと通称「ゲハ」からの情報をまとめたブログは「ゲハブログ」と呼ばれるようになり、当時のPS3、Xbox 360、Wiiの次世代機戦争の流れに乗り成長。ときに恣意的かつゴシップ的な記事で存在感を示していった。

──2012年というと、「はちま起稿」や「オレ的ゲーム速報JIN」といったサイトが2ちゃんねるからの転載禁止令を下された年ですね。

吉永氏
 その中でKOTYの存在を知り、発売から5年が経った『四八(仮)』がいまだにスレッド内で“基準”となっていることを知って、興味を持ったんです。 

 KOTYのなにが異質なのかというと、やはり「総評システム」ですよね。おおよその場合、良いものと悪いものを決めようとするときは、普通は多数決を採用します。でもKOTYはとても長い選評を書いて、スレッドの住民たちが納得するまで合議し続けるという、変わった仕組みを採用している。

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──KOTYのルールでは、押したいクソゲーのレビューか選評をスレッドに投稿し、さらに選評を集めた総評が記されなければならない。その総評が多数の住人の賛同を得られれば、その年度のKOTYが決定するという仕組みです。

吉永氏
 ビデオゲームの評価という答えのないものに対して、投票に頼らず合意を形成していこうという試みは、アカデミックな関心の対象になり得るし、もしかしたらネット上での議論として新しいパターンが見い出せるのではないかと思いました。

 「インターネットはみんなが言いたいことを直に伝えられる、民主主義との親和性が高い媒体」という幻想も、かなり壊れていた時期でしたからね(笑)。ある種、真面目な発想から始めたことなんです。

──たしかに、多くの著名なアワードでもゲーム・オブ・ザ・イヤーを含めた各部門は投票制であることが多いですね。通常、合議制にはどうしても「決まらないのではないか」という懸念が付きまとうと思います。

吉永氏
 合議が一番ストロングな方法だとしたら、その次に点数制、その次に投票制がありますね。「Steam」も投票制と言えますよね、文章は投稿できますがポジティブかネガティブの投票しかない。

 一番わかりやすいしコストもかからないんですよね。コストがかからない状態にして、たくさんの人の意見を集めようという発想です。それに対してKOTYは合議制という、高コストの方法を採用している。

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(画像はSteam 『Half-Life: Alyx』より)

──労力もコストもかかるのに選評と総評を合議するというのは、ある意味でゲームそのものではなくて、実はその文章を評価するという仕組みになりますよね。

吉永氏
 住人たちをいかに説得するかという点が大切で、そのためのエビデンスをどれだけ積み重ねるかという、非常に客観主義的なやり方をしていますよね。

──匿名掲示板なので、もちろん著者の名前が残ってるわけではないですよね。おそらく承認欲求が行動の動機ではないだろうし、なにかしら対価が発生するわけでもない。

吉永氏
 逆に言えば、非常に少数の“そういう趣味の人”にしかできないですよね。そもそも、本来はそこまで情報が拡散されるような性質のものではないわけです。その年度の選評を全部読むだけでも、相当コストがかかります【※】

※相当コストがかかります:
 たとえば「KOTY 2018」では総評が約1万2000文字となっており、さらに各ゲームの選評もチェックするなら軽く数万文字を超える文量となっている。また総評は複数公開された上で住人たちによって精査されるため、年度をまたいでも大賞が決まっていないということも多々ある。

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2018年度の総評
(画像はクソゲーオブザイヤーwikiより)

吉永氏
 そういう意味では、ニコニコ動画に投稿されるようになったいわゆる「KOTY動画」【※】によって、KOTYはさらに認知度が上がり大きな影響力を発するようになっていったと感じます。

※KOTY動画:
 クソゲーオブザイヤーの総評を動画形式で紹介するコンテンツ。当時誕生したばかりのニコニコ動画に投稿され、再生回数100万回をゆうに超える人気コンテンツへと成長していった。

──自分も正直、はじめてKOTYを認知したのは動画ではありましたね。当時はニコニコ動画のランキング上位に位置していましたし、テロップや音楽などエンターテイメント的に見れる側面が強くなっていたと思います。

テキストデータ解析から見るKOTYと四八(仮)ショック

──話を戻すのですが、そもそもこの論文はどのような研究を進めたものなんでしょう?

吉永氏

 基本的に研究では、ある程度の“あたり”をつけて仮説を立て研究するわけですが、この場合そのあたりというのが『四八(仮)』でしたね。なぜこのゲームは伝説のクソゲーになったのか。KOTYをどう変えてしまったのか。それが最初のクエスチョンでした。

 そして自分の専門スキルは「Web上のテキストの量的な分析」で、特定の単語をデータから引っ張りだしてきて分析するというものなんですよ。

──それは具体的にどういった研究をされる分野なんですか?

吉永氏
 最近やっているのは、気候変動に関するTwitterの分析とか、宇宙探査機に対する反応を分析したりしてます。基本的には科学技術に関して人々がどういう反応をしているかを研究テーマにしてます。どういう人がどういう反応をしているか精査する分析ということですね。

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──気候変動や宇宙探査機が『四八(仮)』と並ぶと、とても異質な感じがしますね(笑)

吉永氏
 そうですね(笑)。ほかには計量テキスト分析といって、よくマーケティング分野で使われている調査方法もテーマにしています。一番大規模なのはAI関連で、Googleは英語圏の莫大なテキストデータを所有しているから強いというわけです。

──資料を拝見させていただくと、2003年から2006年までのKOTYスレッドを“プレ四八”、2008年から2010年を“ポスト四八”を分けて、その上で定量テキスト解析をしている。
 まず目につくのは、その書き込み数の違いですね。プレ四八の時期は総数1525レス、それに対しポスト期は1万8989レスです。

吉永氏
 いま振り返ると調査の手法としてはまだまだ甘い部分もあるんですが、当時でたプレ四八期とポスト四八期で出た重要度の高い言葉の変化はこうですね。

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(画像は「四八ショック」とは何だったのかより)

●出現頻度上位150語の特徴語
■プレ四八期
・ワースト ・地雷 ・部門 ・RPG
■ポスト四八期
・バグ ・ノミネート ・選評

●出現頻度40/1000レス以下の特徴語
■プレ四八
・アンチ ・凡ゲー ・アクション ・宣伝
■ポスト四八
・総評 ・ゲハ ・動画 ・スルー ・ガッカリゲー

吉永氏
 プレ四八期には「地雷ゲー」「凡ゲー」という言葉がよく使われていて、これは要するに主観による落差ですよね。ポスト四八期では「ガッカリゲー」という言葉が“しょせんガッカリゲー”という文脈で使われていて、逆にがっかりという主観の要素を排除するようになっている。

──現在のKOTYのスレッドのテンプレ(スレッドの説明文)には、「■シリーズ・続編・移植ゲーム 「前作・元のゲームと比べて」ではなく、「そのゲーム単体としてのクソさ」が求められます」とも記されていますね。

吉永氏
 これにくわえて、「部門」「ワースト」といった言葉もプレ四八期には多く、プレイヤー各個人が考えるクソ要素や意見の多様さが見て取れます。つまり、プレ四八期が主観的であった傾向なのに対し、ポスト四八期になると非常に強力な「客観主義」というものが台頭しているんですね。

 もっとも顕著にわかりやすい単語は2008年以降に増えた「バグ」や「動画」ですね。バグというものは明らかにどう見てもゲーム性を傷つけており、『ジャンライン』の亜空カン【※】『メジャー』の首の回る映像【※】なんて、まさにそれですよね。

※『ジャンライン』の亜空カン:
 2008年にXbox 360向けにレコムから発売された麻雀ゲーム。翌年にはPlayStation 3で『ジャンラインR』がリリースされた。テーブルゲームでありながらフリーズやさまざまなバグがあることで話題となり、その中でも「亜空カン」と呼ばれるバグが話題を呼んだ。

※『メジャー』の首の回る映像:
 2008年にタカラトミーからWii向けに発売された『メジャーWii パーフェクトクローザー』。開発はドリームファクトリー。野球マンガ『メジャー』を題材とした作品だが、走者が操作できない、打った球の多くが砲丸のような挙動で落ちるなど、“本格野球”と銘打たれながら当時の野球ゲームと比較しても低いクオリティが話題となった。バグも多いとされ、ピッチャーの吾郎の首が180度回転する画像は当時の住人たちに衝撃を与えた。

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(画像はニコニコ動画「クソゲーオブザイヤー2008」より)

──あれはたしかに誰の目から見てもわかる、いわゆる“クソ要素”になりえますよね。

吉永氏
 ゲームのバグとは本来、体験しないとわからないんですよね。でも、映像や画像でWeb上にて見ることが容易になって、非常に強い説得力を持つようになってきた。

──2005年にはYouTube、2006年にはニコニコ動画が誕生しています。

吉永氏
 ほかにもプレ四八期に「アクション」「RPG」という単語が目立つのは、当時のKOTY住人がプレイヤー、つまりゲームをプレイした経験者たちによる意見で駆動していたのではという考察に繋がります。単純にプレイヤーの母数が多いほどクソゲーだと語られやすいということですね。実際に2007年までの大賞では、いずれもメジャーなRPG作品となっていました【※】

※2004年は『ゼノサーガ エピソードII[善悪の彼岸] 』、2005年は『ローグギャラクシー』、2006年は『ファンタシースターユニバース』がKOTYの大賞を受賞している。

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(画像は『ゼノサーガ エピソード II [ 善悪の彼岸 ] 』公式サイトより)

 ポスト四八期にはジャンルの言葉はそこまで目立たず、「選評」「総評」といった言葉が増えていき、“~するほどではない”という意味で「ノミネート」の言葉も使われています。単純に触れた人が多い作品ではなく、より具体的にレビューした総評主義が形成されていったわけです。

──たしかに具体的なレビューという意味では、KOTYの選評や総評は2008年以降かなり長文化していますね。そして大賞のタイトルも、有名作品や人気ジャンルではなく、逆に普段は地味な区分の作品も選ばれている。

吉永氏
 文章や選評、中身の具体性を住人たちが意識して、説得力が重視されるようになっていった。

 さらにポスト四八期では、「ゲハ」「スルー」という単語も増えていて、そういった勢力をスルーする力が求められるように推奨されていきました。ただ、これはKOTYだけでなく、当時のゲーム界隈のインターネット全体に言えることでしたね。

──当時はハードごとによるグラフィック表現の違いへの細かな追求批判や、独占されたタイトルへの中傷などが酷かったですよね。

吉永氏
 草の批評家とかもいた気がします(笑)

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──いまはほとんど見なくなりましたが、当時は騒ぎ立てていた人たちに「じゃあ選評を書けよ」と言えるのは、本当に力のある言葉だったんだろうなと思います。

吉永氏
 それはやはり「プレイした者が強い」ということなんですよね。選評を書くのはプレイした人にしかできない。つまり「そのクソゲーを君は体験したのか?」というね。もちろん、ただプレイしただけでなく、選評で住人たちを説得しなければならないわけですが。

──(笑)

吉永氏
 まとめると、プレ時期とポスト時期の変化の中で「客観性」というものに強く出されるようになり、単純に経験者の発言が強かったのが、未経験者にも具体的な内容を説得できるかという部分が重視されるようになった。

 さらにガッカリゲーという概念ができて、自分が持っている先入観ではなく客観的にクソであるということが重視されるようになった。主観から客観に移っていくというのが、この時期なんですね。

──個々人によるゲームの評価は自然と主観へと傾くはずなので、それを議論でどう客観に持っていくかという試行錯誤の歴史は、そうとう面白いですね。

吉永氏
 「いったいゲームの評価とはなんなのか?」を突き詰めていたという感じですよね。これはポジティブな評価ではなかなか起きない現象で、その年一番のクソゲーを決めるネガティブな評価の中だからこそ生まれた気がします。

KOTY動画による「四八(仮)」ショックの拡大

──KOTYは『四八(仮)』を境に主観から客観主義へと変動し、選評や総評の提示が必要になり、またプレイ動画による客観的な視点の提示が可能になった。
 また、スレッド消費数の激増について、KOTY動画が大きな影響を与えたと資料では結論づけられていますね。

吉永氏
 そもそも過去には動画をZip化してダウンロードするということもあったのですが、ゲームの映像を録画することは容易ではなかったですし、それこそ静止画を撮るのも難しかったですよね。でも2007年ごろからYouTubeやニコニコ動画のリンクがスレッドに頻繁に貼られるようになった。

──資料にも2006年にKOTYスレッドで『カルドセプトサーガ』【※】のバグ動画がYouTubeにて共有され、注目を集めたとの考察が記されています。

※『カルドセプトサーガ』:
 2006年にバンダイナムコゲームスがXbox 360で発売した作品。『モノポリー』とカードゲームを組み合わせたような対戦ゲーム『カルドセプト』シリーズの最新作として注目を集めたが、サイコロの目が偶数と奇数で交互に出る、バグやフリーズが多々発生するなどして批判された。

※ユーザーによる『カルドセプトサーガ』のダイスの検証動画。

──そしてやはり住人が増えたのは、「KOTY動画」の影響が大きいと。

吉永氏
 具体的なKOTYスレッドへのユーザー流入数を計測するのは匿名掲示板だと難しいですが、消費スレッドは前年比の9倍なのでROM専(※スレッドに書き込まず見るだけのユーザー)を考えるとそれ以上でしょうね。

──2008年に投稿された「KOTY 2007」の動画は180万再生、「KOTY 2008」にいたっては415万再生を超えていますね。

吉永氏
 KOTY動画に関しては当時、『超クソゲー』【※】のようなクソゲー本と、みんなでコメントを入れながら一緒に楽しむ動画文化が一緒になり生まれたのではないかと分析してますね。「ネタとツッコミ」という作法がクソゲー本とニコニコ動画にはあり、その親和性が高かったのではないかと。

※『超クソゲー』:
 1998年に太田出版から出版されたクソゲーカタログ本。レビュアーたちがクオリティの低いゲームをクソゲーとして面白おかしく紹介していく。「クソゲーを語る」という文化として見ると、その火付け役になった存在といえる。

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(画像はAmazon.co.jp 『超クソゲー1+2』より)

 クソゲー本のマルチモーダル化とも書いていますね。KOTY動画では総評のポイントをわかりやすく提示し、音声や映像などそれまで共有が難しかった要素も入るようになったと。

 ただ、いま考えるとそういうわけでもなくて、楽しみ方としては根本的に変わってる部分もあったのかなと思います。1990年代のインターネット上のノリが、動画やニコニコ文化が入ってきてずいぶん変わったのかなと。新しいネタの消費の仕方というか。

──クソゲーを語ったり知ったりして楽しむという「クソゲーのエンターテイメント化」の流れが行き着いた先ではありますよね。

吉永氏
 おそらく、クソゲー本とKOTYのあいだには個人テキストサイトの時代もあって、過去に開催された「クソゲー竜王戦」とか、才能のある書き手がクソゲーに関する文章を書いてそれを楽しむということもありましたよね。

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(画像は第3回クソゲー竜王戦より)

 それがいまやリアルタイムで半同期的に楽しんでいくという流れになっていく。

──いまでもクソゲー特集をYouTubeやニコニコ動画でよく見ます。商業ライターから個人サイトへ、そして個人サイトからKOTYへ。さらに動画文化の中で、いまだに「クソゲーを見る文化」は続いているのかなと。

 その動画文化が成長を始めた瞬間に『四八(仮)』が現れてしまったことも、『四八(仮)』が伝説のゲームとなった一因ではないかと思います。

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