「ゲーム」はいつから当たり前に「テレビゲーム」などを指すようになった? 「デジタルゲーム」という言葉の歴史から調べてみた

ついに有名辞典も認めた!? 「ゲーム」も「ゲームが変えた日本語」

 前回「リセット」を取り上げたので、今回の「ゲームが変えた日本語」はまず、“原点”に戻ってみたい。
 この連載の題名に限らず、電ファミニコゲーマーのほかの記事でも、またそれ以外のニュースサイトや雑誌などでも、「ゲーム」という言葉が特に注記なく、ビデオゲームやコンピューターゲームを指すものとして扱われることが少なくない。それだけ、ビデオゲームが日本の社会において当たり前の存在になっているということだろう。

 筆者自身は、少なくとも本文中では、無用な誤解を招かないよう「ビデオゲーム」などと書く機会を増やすようにしているつもりだが、「ゲーム」で十分意味は通じるから余計なお世話だという読者もおられるかもしれない。
 では、当連載でおなじみの中型国語辞典『広辞苑』『大辞林』『大辞泉』ではどうなのか。改めて「ゲーム」を引いてみたところ、昨年発行された『大辞林』第四版には語釈の最後、5番目に「コンピューター-ゲームの略。」が追加されている。
 これを従来の、「遊び・遊戯」や「競技・試合」などの語釈とあえて分けることが妥当かどうかは、いろいろな意見があるかもしれない。しかしいずれにしても、これはまさに、ビデオゲームの隆盛そのものが、「ゲーム」という言葉の辞典での説明にも影響を及ぼした実例だ。つまり「ゲーム」もまた、「ゲームが変えた日本語」のうちのひとつだということが、辞典類においてもいよいよ認められてきたと言える。

 ところで、これらの辞典には採録されていないが、ビデオゲームやコンピューターゲームなどを指す、「デジタルゲーム」という言葉に見覚えのある向きもあるだろう。特に学術分野でよく見られ、「日本デジタルゲーム学会」という団体もある。
 この言葉には、テレビゲーム、ビデオゲーム、コンピューターゲームなどとその周辺領域を、より広く指し示せるという長所がある。

「デジタルゲーム」であれば、「ビデオゲーム」「テレビゲーム」「コンピューターゲーム」をまとめて指すことができる

 「テレビゲーム」の場合、テレビを利用せず、ゲーム機自体に液晶画面などの表示デバイスを持つものや、パソコンゲームを含むかどうかがあいまいになる。「ビデオゲーム」ならこのような心配はないが、それでも、あらかじめ決められたパターンの明滅での表現が精いっぱいとなる『ゲーム&ウオッチ』などの電子ゲーム機は、除外されがちだ。
 一方「コンピューターゲーム」とすると、「ゲームオーバー」の回で取り上げた、入出力にテレタイプを利用していた環境のゲームを含むことができる。しかしこちらは、黎明期のビデオゲームにあった、マイクロプロセッサー(CPU)を用いずに論理回路のみで画面やルールを構成したものを含みづらくなってしまう。
 これらをまとめて俯瞰的に扱う際に都合がいい表現が、「デジタルゲーム」というわけだ。

 しかし実は、かつて「デジタルゲーム」は、これとは少々異なる意味の言葉として使われていた。そして、その意味の変遷には、どうやら先に触れたような、「単に“ゲーム”だけでビデオゲームを指す」という使われ方の広まりが、少なからず関わっているらしい。今回はこの件を探っていくことにしよう。

文/タイニーP


「デジタルゲーム」と「テレビゲーム」が違う意味だったころ

 手はじめに、大宅壮一文庫の雑誌記事データベースや、国会図書館のデータベースで、「デジタルゲーム」という言葉の始まりを確認してみた。2020年8月現在、これらの中で、雑誌記事の題名に「デジタル(ディジタル)ゲーム」【※】が含まれるもっとも古いものは、アマチュア無線雑誌『CQ ham radio』の1975年2月号に掲載の「IC製作教室 ディジタル・ゲーム・マシーンの製作」だ。

※「デジタル」と「ディジタル」という表記の問題については、本稿末尾のコラムにて詳しく述べている。

 とはいえ、すでにこのころ、『初歩のラジオ』など、小中学生を対象とした科学雑誌や電子工作雑誌でも、デジタル回路の工作記事が盛んに載せられていた。したがってそれらの記事中に、「デジタルゲーム」が使われた先行例がある可能性も否定できない。
 なにしろ1975年といえば、デジタル腕時計のブームが本格化した時期。カシオ計算機が前年秋に液晶表示の「カシオトロン」を発売して腕時計分野に参入し、先行する服部時計店(セイコー)やシチズンと激しく火花を散らしていたのだ。
 ともあれ、「ディジタル・ゲーム・マシーン」という言い回しには、そんな時代の熱気がくっきりと反映されていると言えるだろう。

 そしてこの後、1976年から翌年にかけ、「リセット」の回でも取り上げた「AY-3-8500」などのゲーム機用LSI【※】が、日本で最初のテレビゲームブームを巻き起こす。これらは完成品として売られるだけではなく、LSI単品や電子工作キットの形でも出回り、先に挙げたような雑誌の工作記事でも取り上げられたが、その題名ではほぼ例外なく「テレビ(TV)ゲーム」と呼ばれていた。

Schnurrikowski / CC BY-SA

※LSI
大規模な集積回路(IC)のこと。上記のテレビゲームブームののち、1970年代後半から1980年代序盤には、LSIの高機能化・低価格化により、蛍光管や液晶などの表示装置を内蔵する小型の電子ゲーム機がおもちゃ業界を席巻した。

 その一方で、テレビを介しない小規模な電子回路のゲーム機を手作りする記事は、1980年代序盤の雑誌でも、題名に「デジタルゲーム」が使われているものが少なくない【※】。つまりこのころは、「デジタルゲーム」と「テレビゲーム」は、デジタル回路やデジタルICを使うという共通点はあるものの、おおむね別のものと捉えられていたわけだ。それだけ、ゲーム機器にとってテレビを使うということ自体が画期的な特徴で、明示するべき価値があったということでもある。
 逆に言えば、「デジタルゲーム」という言葉がビデオゲームも含む広い意味として使われるようになるには、最低限の条件として、テレビを使うゲーム機が当たり前の存在になることが必要だったのだと考えられる。

※『初歩のラジオ』発行元の誠文堂新光社が、これらの記事を『初歩のデジタル・ゲーム製作教室』『松本悟のデジタル・ゲーム製作集』などにまとめて出版している。

「デジタルゲーム」の意味の変化とともに、もうひとつの言葉が生まれた!?

 では、実際に「デジタルゲーム」が現在のような広い意味で使われだしたのはいつなのか。
 大宅壮一文庫のデータベース上で、この意味での「デジタルゲーム」を題名に冠した記事が出てくるのは、1988年のこと。パルコ出版の『ACROSS』9月号に掲載された「80年代ハイテク環境社会学 浸入し細胞化し進化したデジタルゲームシンドローム」がそれだ。

パルコ出版『ACROSS』1988年9月号より引用

 『スペースインベーダー』登場から10周年となるのを期に、業務用ビデオゲーム、ファミコンを中心とした家庭用ゲーム機、そしてパソコンゲームの急速な進歩と発展の流れを、電子機器をはじめとする若者文化全般の変化とともにまとめている。
 一方このデータベースでは、やはり1988年、「アナログゲーム」という言葉が記事の題名として初めて登場している。これは『週刊大衆』5月2日号が「アナログゲームで!娯楽する!!」と題し、バックギャモンやマスターマインドなどを紹介したものだ。

 これらふたつの事例が、同じ1988年に確認できるのは、ただの偶然とは言えない。この年のはじめには、ファミコンの『ドラゴンクエストIII』の発売を巡る騒動がマスコミに取り上げられている。その中で、前作・前々作も含めたRPGが、それまでファミコンブームを牽引してきたアクションゲームについていけない、大人たちをもひきつけていることが広く報じられた。
 そしてもうひとつ忘れてはならないのは、同年3月に発売された音楽ソフト『交響組曲 ドラゴンクエストIII そして伝説へ…』が、NHK交響楽団が演奏したことに加え、発売1ヵ月足らずで30万枚という売れ行きでも話題を呼んだことだ。ビデオゲームの音楽を指す言葉は、大手新聞では「ファミコン音楽」と呼ばれることもしばしばあったのが、この『ドラクエIII』以降、「ゲーム音楽」「ゲームミュージック」といった言葉にほぼまとまった。

(画像はAmazon | 交響組曲 ドラゴンクエストIII | ゲーム・ミュージック, すぎやまこういち, NHK交響楽団 | ゲーム | 音楽より)

 総合すると、「単に“ゲーム”だけでビデオ(テレビ)ゲームを指す」という使われ方が、もはや子どもたちの間だけににとどまらず広まっていると、社会に認知されてきたのがこの1988年ごろのことだと言える。そのため、ボードゲームなどの“従来型の”ゲームをあえて区別する呼び方──レトロニムとして「アナログゲーム」が出てきたわけだ。

「アナログ」と「デジタル」の対立

 ところで、お気づきの向きもあるだろうが、この「アナログゲーム」でいう「アナログ」は、「ある量またはデータを、連続的に変化しうる物理量(電圧・電流など)で表現すること」(『広辞苑』第三版以降)という意味とはまったく関係がない。つまり1988年の時点ですでに、単に「コンピューターやデジタル回路に関わりがない」というだけの意味で「アナログ」と表現することが、少なくとも比喩としては受け入れられていたことになる。
 この種のたとえとして、「デジタル人間」「アナログ人間」といった言葉も、1970年代からたびたびマスコミをにぎわせていた。ただ、これらは「デジタル」と「アナログ」の両方とも比喩なのに対して、ゲームの場合は「アナログゲーム」のみが比喩になっている。このような非対称性のある「アナログ」の使い方は、1980年代末の時点では、まだ目新しいものだったようだ。

 いずれにしてもこのような比喩は、デジタル腕時計のブームもあいまって、「デジタル」と「アナログ」が相反するものとして、ことさらに取り上げられ議論されてきたことの当然の帰結といえる。
 この手の議論の中で、1988年前後に新聞各紙でもたびたび話題になっていたのが、音楽ソフト、つまりレコードとCDの対立だ。すでに1986年ごろから、国内でのソフトの生産額・枚数でCDがレコードを猛追、あるいは逆転したことがさまざまに報じられていた。そんな中、1988年の春先には、ドーナツ盤のシングルレコードに相当するものとして8センチCDが登場。音楽ソフトの中心がCDになったことが、もはや誰の目にも明らかになった。

8センチCDと12センチCD
By The original uploader was EddieBernard at English Wikipedia. – Transferred from en.wikipedia to Commons., CC BY-SA 2.5, Link

 さらにこの年の末、業界大手のCBSソニーがレコードの新譜発売を取りやめるという動きが報道されると、年が明けた1989年以降、「アナログ」を題名に使い、レコードにこだわるマニアやその主張を取り上げるグラビア記事が、週刊誌にまで載るようになる【※】

※「「アナログ」は不滅です!CD全盛時代に、なぜLPレコードにあえてこだわるのか」(『週刊宝石』1990年10月4日号)

 これと似たような例として、1980年代序盤までの間に、電卓が日用品とも言えるほど広く普及したことが挙げられる。その過程でも、デジタル機器の尖兵だった電卓の“弊害”と、旧来の計算尺やソロバンの長所が対比されることが少なからずあった。
 また1970年代末、国公立大学の入試にマークシートによる共通一次試験が導入されることが本決まりになると、すでにあった「偏差値偏重」の問題も絡め、学力を画一的に数字化することを疑問視する意見が改めて噴出した。先に触れた「デジタル人間」「アナログ人間」は、このような教育問題の文脈でしばしば取りざたされた言葉でもあった。

 音楽ソフトの主役交代は、そんな事例の積み重ねの上に起きた。なにしろ音楽は、感情や情緒に直接訴えかけるものだ。それだけに、デジタル技術に何らかの違和感や懐疑的な見方を抱く向きには、「ついにここまで来たか」というような、象徴的な出来事だったのだろう。
 これらの時代背景が、ゲームを「デジタル」と「アナログ」に二分するというとらえ方にも説得力を与えた。しかも改めて述べるまでもないが、「テレビを使うゲーム機」は、ファミコンブームによって至極当然のものになっていた。こうして、「デジタルゲーム」は「テレビゲーム」も包含する、現在使われるのとほぼ同じ意味の言葉になったわけだ。

「IT革命」を目前に再び流行語となった「デジタル」

 ただ、実際にゲームを楽しんでいるプレイヤーたちにとっては、この「デジタルゲーム」は積極的に使う理由のない表現だった。よほど細かい例外を気にしない限り、せいぜい「ビデオゲーム」で事足りてしまう。1993年発行のファミコン通信責任編集『ゲーム用語事典』でも、「デジタルコミック」という項目はあっても「デジタルゲーム」は見当たらない。
 そのためもあってか、大手新聞各社のデータベースを検索してみると、「デジタルゲーム」という言葉がこれらの新聞記事でも使われるようになったのは、もっと時代が下って、1990年代後半のことだ。

 このころ、インターネットブームの拡大に加えて、デジタルカメラの市場が本格的に立ち上がった。これらを活用する基盤ともなるパソコンも、Windows95の登場で注目度が高まり、10%前後で推移していたパソコンの世帯普及率が急速に伸びだしている。
 このブームの中で、インターネット(ウェブ)に掲載する画像・音声などを含む情報やサービスを指す「コンテンツ」という表現が広まった。この言葉自体は、少し前から主にCD-ROMを媒体にして発展していた「マルチメディア」に関連して、「マルチメディアコンテンツ」のようにも使われていたが、これも次第に「デジタルコンテンツ」に置き換わっていく。
 さらにDV規格ビデオカメラの登場、MPEG-2規格の策定、CSデジタル放送の開始など、動画のデジタル圧縮技術がテレビ並みの品質を獲得したのもこの時期だ。音楽CDの普及後も各方面で続いていた「デジタル化」が、「IT革命」【※】を予感させる大きな潮流となり、「デジタル○○」などとともに改めて流行語となっていた。ビデオゲーム業界でも、たとえば大手各社が出資した開発者の養成機関が「デジタルエンタテインメントアカデミー」と名付けられている。

※「IT革命」が広く流行語となるのは2000年前後のことだが、経済・産業系のマスコミでは1996年ごろにはすでに使われ始めていた。

 そんな中、トミーのロングセラー玩具「プラレール」での遊びをまさに“デジタル化”した『デジタルプラレール』が、Windows用に発売され話題を呼んでいる。このことを報じた日経流通新聞1996年8月13日付の記事が、「デジタルゲーム」という言葉が使われた大手新聞社の記事として確認できる、ごく早い例だ。
 さらにこの年の末には、あの『たまごっち』がバンダイから発売された。世代を超えた一大ブームを巻き起こし、のちに「デジタルペット」「バーチャルペット」と呼ばれるジャンルを知らしめたことは、改めて言うまでもない。

(画像はバンダイ こどもひろば|バンダイの歴史より)

 これら、従来のアーケードや家庭用ゲーム機の延長にはとどまらない種類のビデオゲームの広まりも、「デジタルコンテンツ」や「デジタルエンタテインメント」の一分野、あるいは「デジタル○○」の形の流行語としての「デジタルゲーム」を、使われやすくしたものと考えられる。

 この流行語的な「デジタルゲーム」の使われ方は、次第に目立たなくなったが、一方で2006年に、冒頭でも触れた日本デジタルゲーム学会が設立されたことも手伝ってか、学術的な用語としては着実に定着してきた。また学会の活動がゲーム関係のニュースサイトなどで取り上げられるにつれ、主にマニア層のプレイヤーたちにも、改めてその認知が広がっていると言えるだろう。

「デジタルゲーム」と「アナログゲーム」は二分できるか?

 筆者は今回の調査の中で、1960年代から1990年代にかけての「デジタル」と「アナログ」を対比して取り上げた記事をいくつか読むことになったが、こと「デジタル」に関しては、「合理的だが冷たい」に代表されるようなステレオタイプの話に終始するものも少なからずあった。ある程度想像していたことではあるが、少々辟易したのも確かだ。
 筆者としては、「デジタル」と「アナログ」をすっぱり二分できるという考え方自体が、この種の記事であまり肯定的に扱われない「デジタル的思考」に該当するように思うのだが、この皮肉な構図に言及したものには、ひとつも巡りあわなかった。

 ゲームに関して言えば、先に触れた『デジタルプラレール』や『たまごっち』が発売された1996年は、日本でトレーディングカードゲーム(TCG)のブームが本格化した年でもあった。すでにマニアの間で話題を呼んでいた『マジック:ザ・ギャザリング』の日本語版がようやく登場し、また秋口には『ポケットモンスターカードゲーム』が発売されている。
 これらTCGの隆盛がビデオゲームに与えた影響は、枚挙にいとまがない。一方その『ポケモンカードゲーム』は言うに及ばず、古くはインベーダーブームの際に、ゼンマイ仕掛けの“インベーダーゲーム風おもちゃ”が登場したなどといった逆方向の影響も、いくらでもある。「デジタルゲーム」と「アナログゲーム」はもう40年以上も、相互に影響を及ぼしあっているわけだ。
 しかも、クレーンゲームなどのいわゆる「エレメカ」やピンボール、メダルゲーム機、さらにはパチンコやパチスロなども、1980年代以降はマイクロプロセッサーやデジタルICなしには成り立たなくなっている。これらのことを考えれば、「デジタルゲーム」と「アナログゲーム」は到底簡単に二分するわけにはいかないはずだ。

 ゲームに限らず、分類やジャンル分けは、ものごとを整理し見通しをよくするための手段だ。しかしそれが、対象の理解をより深めることにつながらず、十把一絡げなレッテル貼りに使われてしまうことも少なくない。おそらく筆者自身にしても、それと気付かないうちに、日ごろ目にする少なからぬ事柄のレッテル貼りをなんとなく鵜呑みにして、先入観を持ってしまっているのだろう。
 ともあれ、ゲームで言えば「デジタルゲーム」にも「アナログゲーム」にもそれぞれの長所がある。それを楽しんでいる様子を先入観で安易に否定しないこと、これは何につけてもまず大事なことではないだろうか。筆者もこの点を自戒しつつ、そのような姿勢がより広まることを願う。

コラム:「デジタル」と「ディジタル」、伝説のアイドルが歌ったのはどっち?

 「デジタル」に関連する古い資料を調べていると、「デジタル」「ディジタル」ふたとおりの表記の問題に行き当たる。
 とはいえ、いま現在の日本では明らかに「デジタル」のほうが有力になっている。最新版の『広辞苑』や『大辞林』『大辞泉』でも、「ディジタル」は「デジタル」を参照するよう案内されているに過ぎない。
 しかし『広辞苑』がこの形になったのは、1998年発行の第五版からで、第三版(1983年)と第四版(1991年)では、逆に「デジタル」が「ディジタル」を参照するよう案内されていた。さらに第二版(1969年)と第二版補訂版(1976年)は、「ディジタル計算機」という項目があるだけで、「デジタル」は影も形もなかった。なぜ、あとから「デジタル」が主流になったのだろうか。

 そもそも、1950年代後半から1970年代にかけての外来語の表記、特に一般の新聞や雑誌などの出版物上のそれは1955年に文部省(現在の文科省)が発行した『国語シリーズ27 外来語の表記 資料集』(以下、55年版資料)の影響を大きく受けている。これは前年、国語審議会総会で審議されたものの、委員の意見がまとまりきらず、決定には至らなかった「建議案」だ。ただ、「その趣意がひろく社会に普及し一般に実行されることが望ましいとされた」ことから資料として出版されたことが、巻頭に述べられている。

 この55年版資料の「外来語表記の原則」をみると、「ディ」と「ジ」の書き方は以下のようになっている。

11.原音における「ティ」「ディ」の音は、なるべく「チ」「ジ」と書く。
  チーム(team) チンキ(tinc[tuur]) ラジオ(radio) ジレンマ(dilemma)
 ただし、原音の意識がなお残っているものは、「ティ」「ディ」と書いてもよい。
  ティー(tea) ビルディング(building)

 付録の議事録抄には、「決定の形でなく中間発表とし、意見を求めるほうがいいと考える」「「基準」は強すぎる」といった意見が出ており、あくまで現状整理という位置づけにして議論をなんとか収めたことがうかがえる。しかしこの55年版資料は、共同通信社発行『記者ハンドブック』の中の「外来語の書き方」など、マスコミ・出版関係者が参照する資料に主要部分がほぼそのまま転載されており、事実上のガイドラインとして長らく機能していたようだ。

 もっとも1980年代に入るころには、洋楽などさまざまな経路を通じて、外国語本来の(またはそれに近い)発音を耳にする機会が増えた影響か、55年版資料の原則はかなり崩れてきた。
 実際、先の『記者ハンドブック』でも、1981年発行の第4版では「外来語の書き方」の内容に手が入り、「原音のティ、ディ、テュ、デュで慣用の固定しているものは、チ、ジ、チュ、ジュで表す。」となっている。これは逆に言えば、新しく使われるようになった外来語では、「ティ」や「ディ」と書くのが主流だと認めているわけだ。

 結局「外来語の表記」は、1991年に改めて国語審議会の答申としてまとまるのだが、その内容は、55年版資料で目立った「なるべく○○と書く」という項目が見られない、かなり緩やかなものになった。 
 つまり「デジタル」は、1970年代末までに慣用が固まったのが、そのままになっているのだと考えられる。一方、たとえば「ネイティブ」は1980年代以降、55年版資料の影響を受けずに広まった外来語といえるだろう。そのため「デジタルネイティブ」のように、異なる時期の書き方が同居している複合的な外来語が出てきているわけだ。

 ただ、学術の世界ではこの55年版資料はそれほど強い力を持たず、1960年代から70年代にかけても、電気・電子・通信などの専門的な出版物では「ディジタル」が圧倒的に優勢だった。中でも電子計算機は、先端技術の象徴のひとつとしてマスコミ受けする話題だったと見え、1960年代には、朝日・読売といった大手新聞の記事でも「ディジタル型(計算機)」「ディジタル電子計算機」と書かれているのが確認できる。
 55年版資料という事実上のガイドラインがあったとしても、書物などで「ディジタル」以外の表記を採用した実例をあまり見かけなければ、新聞もそのまま「ディジタル」と書くだろう。また辞典類にしても、これら書籍や新聞など、実際の用例を無視するわけにはいかない。1970年代の『広辞苑』が「ディジタル計算機」のみを収録していたのは、このような事情があったと考えられる。

 そうすると、1970年代末までに「デジタル」という慣用が固まるに至るには、この状況を覆す要因があったことになる。それはなにかといえば、まず間違いなく時計だ。フラップ式(いわゆるパタパタ)など、デジタル時計の一部の方式は、デジタル回路がなくても実現可能だ。そのぶん、本編で触れたデジタル腕時計や他のデジタル機器に先駆け、一般家庭に進出することができた【※】
 1965年には、当時置時計の分野で有力メーカーのひとつだった東京時計製造が、電池駆動のフラップ式置時計の広告を読売新聞に載せており、そこには「東京デジタル」と書かれている。また1968年、ソニーがラジオ音声を目覚ましとして使えるフラップ式時計一体型ラジオを発売したが、その商品名もズバリ「デジタル24」だった。おそらくいずれも、新聞や雑誌で広く宣伝する必要性もあって、55年版資料に沿った「デジタル」の表記になったのだろう。

※なお、「デジタル時計」以外に「数字直読式(時計)」などの呼び方もあった。

  さらに1970年代後半、デジタル腕時計のブームが過熱する中で、時計各社が矢継ぎ早に繰り出した広告は、当然「デジタル」花盛りとなった。
 とりわけ語り草となっているのが、カシオ計算機が1978年から展開した、当時人気絶頂のアイドル・山口百恵を起用した広告だ。CMの締めに彼女が歌う「♪デジタル〜は カシオ」のフレーズは、まさに一世を風靡した。
 これらにより、学術分野以外での「デジタル」の慣用表記が急速に定着したわけだが、それが『広辞苑』に反映されるまでには、10年以上かかったことになる。それだけ、一度出来上がった辞典の項目に大きく手を入れるのは、簡単ではないということなのだろう。

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著者
コンピューター文化史研究家。2013年より約2年間、ブログにて 「やる夫と学ぶホビーパソコンの歴史」を連載。その際、1999年末まで約20年分の日経産業新聞縮刷版にヘトヘトになりながら目を通した。
Twitter: @Kenzoo6601
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