「自分がダメであることについては誰よりも自信がある、という逆説的な確信」が自己否定を強固にする
それでも、ぼっちちゃんはバンドを組んで活躍することを諦めきれず、今度は「自分がギターを弾ける」ことを必死にアピールしようとして、ギターを背負って登校する。
そんなぼっちちゃんの、一歩前に踏み出そうとする勇気が功を奏して、ギターを弾けるバンドメンバーを探し求めていた伊地知虹夏と出会う。
そこから、ついにぼっちちゃんの運命の歯車は動き出していくのだが、ずっとひとりぼっちだったが故に、経験したことがないこと、特に、人と交流することに強い不安や抵抗を感じてしまう。
もちろん、知らないから不安である、わからないから怖いという気持ちは、誰にだってある。しかし、どうしてここまで極度に怖れるのか?そして、自己否定に繋がってしまうのか?
ぼっちちゃん自身はあまり自覚していないものの、ぼっちちゃんには「こうなりたい」という明確な理想像があり、また、それを実現しようという志がある。そして、それを大事に守る自己愛がある。
この自己愛とは、ネガティブなニュアンスではなく、自分を大切にしたいという思いであったり、自分を肯定しようとする心の働きを指す。しかし、自己愛が健全に育まれていない場合は、拗れたかたちで自分の心を守ろうとする。
そして、高い理想を抱くが故に、理想の自分と現実の自分のギャップに苦しみ、「理想の姿になれない自分はダメだ」と自己評価を下げてしまう。自分を卑下したり、責めてしまう。
さらには、こんなダメな自分は悪く思われても仕方がない。悪く言われても仕方がないと思ってしまう。
しかし、心の奥底では、他人から否定されるという、「決定的な否定」に直面することを怖れている。だから、「誰かに傷つけられる前に自分で自分を傷つける」という、不健全なかたちで自分の心を守ろうとしてしまうのだ。
不健全な自己愛によって、自己否定を繰り返すぼっちちゃん。
その姿には、時々自分自身の体験や苦悩が重なって心が痛む場面はあるものの、とても共感できるし、やたらとオーバーでコミカルに表現されるので、その様子をフィクションとして受け止めて、消化できる。
だからこそ、ぼっちちゃんの奇行やネガティブすぎる妄想が面白おかしくて、愛らしいと思える。
そもそも、理想の自分を強く思い描いて、それに向かって進もうと行動している時点で、ぼっちちゃんはとんでもなく強い人間なのではないか?
そのことにぼっちちゃん自身が気がついていないというのが、彼女が生きづらさを感じる要因の一つであり、自分自身をなかなか受け入れられない理由なのだと思う。
“健全な自己愛”を育むためには、結束バンドのように「自分の一部だと感じられるような他者との関係性」が重要
ぼっちちゃんの自己否定が、自分がダメであることについては誰よりも自信がある、という逆説的な確信に基づき、不健全な自己愛によって自己防衛しようとする結果だということが分かった。
では、“健全な自己愛”とは、どうすれば育めるのか?
精神分析学者であるハインツ・コフート【※】氏によると、人間の一生は自己愛の成熟の過程であるとして、健全な自己愛の成熟において重要なのは、「自分の一部として感じられるような他者、すなわち自己と対象との関係」だとしている。
※ハインツ・コフート:オーストリア出身の精神科医、精神分析学者。自己心理学の提唱者で、自己愛とはナルシシズム的な自己陶酔、性欲論ではなく、健全な自己愛は人間の心身の健康に欠かせないものだと主張し、自己愛の重要性を緻密に理論化した。
子供であれば母親との関係を通じて、言葉や身体の扱い方など、さまざまな能力を吸収していく。自分を大切に扱ってもらったり、正しい行動を承認してもらう、問題のある行動に注意してもらう、といったことを繰り返す中で関係を築き、強い絆で繋がっていく。
自己と対象という関係は、両親や兄弟姉妹、友人、恋人なども対象になり得るし、ぬいぐるみや人形なども対象になり得る。
家族以外との関係性が乏しいぼっちちゃんにとっては、ギターの練習をして上達していく過程と、ネットに動画を投稿して多くの人に演奏技術を認めてもらうことは、少なからず自己愛を育むことに有益に働いていたはずだ。
その証拠に、ぼっちちゃんは自身のギターの腕前を誇りに思っているし、心の拠り所としている。
ひとりぼっちだったが故に、磨き上げられた演奏技術。一つのことに打ち込み続ける集中力と意志の強さ。
その強さを発揮できる場さえあれば、そして、認め合える仲間がいれば、ぼっちちゃんのギターへの自信と誇りは、実感を伴って揺るぎないものとなる。
そうして、自己と他者の関係を通して、一つずつ確かな自信を積み上げていくことが、ぼっちちゃんの自己愛の成熟、そして人間的な成長に繋がっていくのだ。
そういった意味においても、伊地知虹夏との出会い、結束バンドとの出会いは、ぼっちちゃんが「なりたい自分」に向かって前進するために欠かせない、まさに運命的な出会いだった。
もっとも、ぼっちちゃんは他人と演奏する経験がなかったために、バンドでは呼吸を合わせて演奏することができず、なかなか本来の実力を発揮できないという弱点がある。
しかし、それ故に本作は、いきなり超絶テクニックを披露して無双しまくるような展開ではなく、一歩ずつ、着実に前進しながら成長していくというストーリーラインになっている。
それもまた、共感しながら物語に入り込める秘訣なのだろう。
ぼっちちゃんはネガティブで内向的だが、それでもチヤホヤされたい、人気者になりたいという承認欲求は人一倍強いし、ギターを手に取った動機だって「バンドを組んでライブで輝きたい!=人に認められたい」というものだから、人から褒められたり、認めてもらえるとめちゃくちゃ喜ぶし、すぐに調子に乗ってしまう。
そういう姿がなんともかわいらしく、愛嬌があるので、自然とぼっちちゃんのことを応援したくなる。
そして、そのようにぼっちちゃんのことを正しく認めてあげることは、ぼっちちゃんの自己愛の成熟に欠かせないことである。