暗くて後ろ向きでも閃光のように輝く──その姿にヒーロー性を見出す
最後のまとめに入る前に、アニメ放送終了後に公開された本PVを見ていただきたい。これがとても素晴らしい演出/内容なのだ。
結束バンドとの思い出を振り返るように歌う「フラッシュバッカー」とともに、ぼっちちゃんの視点から美しい思い出だけがフラッシュバックしていく。
ぼっちちゃんは物語開始当初から、過去のつらい記憶が何度もフラッシュバックしては苦しんでいた。
そんなぼっちちゃんが文化祭ライブまでの思い出を振り返るとき、フラッシュバックするのは美しく輝く記憶だけで、眩しく光る朝に、未来への希望を感じている。
光る朝が 朝が
あまりに眩しい 眩しいからさ
ちょっとさ らしくはない
未来も信じちゃうよ(結束バンド「フラッシュバッカー」より引用 | 作詞/音羽-otoha-)
ずっとひとりぼっちで日の目を見ることがなく、苦しみ続けていたぼっちちゃんが、結束バンドとの出会いによって花開いていく物語を、これ以上はないというかたちで伝えるPVだ。
それでは、最終的なまとめに入ろう。「ぼっち・ざ・ろっく!」が、何故これほどまでにヒットしたのか。
それは、ぼっちちゃんが「不健全な自己愛」に苦しみながらも、理想に向かって、ひたむきに自己実現を目指していく姿に多くの人が共感したからではないだろうか?
ネット社会となった現代では、誰もがSNSなどを通じて、他者と自分を比較し続けることを強いられる。その結果、「自分は特別ではない」、「◯◯に比べれば自分は大したはことはない」というように、つい自分を否定してしまいがちだ。
実際には、ネット上の他者のキラキラした発信も、「その人の生活のほんの一部でしかないもの」であったりする場合も少なくはないのだが、なかなかそれをうまく割り切って生きていくのは難しい。
理想と現実のギャップと戦い続けるぼっちちゃんを見つめているとき、自分が感じている生きづらさや苦しさも同時に見つめている。そうして、ぼっちちゃんに共感することで、自分の気持ちを乗せて物語に入り込める。
過去の苦い経験や、自分の弱さに向き合うことは、とても勇気の要ることだ。
自分を「陰キャ」だと卑下して、何度も挫けそうになりながらも、ここぞというときに奮い立つ姿。
誰もが諦めてしまいそうになったときに、ただひとり前へと踏み出して状況を打破すべく抗う姿。
そんなぼっちちゃんこと、後藤ひとりの姿には、閃光のように光り輝くヒーロー性を見た。
実は、アニメ第1話を最初に視聴したときは、後藤ひとりの暗い過去話や、「もう、学校に行きたくないな……」という悲痛なつぶやきに、自分自身の過去を思い出して心苦しくなり、見るのがつらくなってしまった。
それでも、自分の弱さと徹底的に向き合いながら、理想に向かって進んでいく後藤ひとりを応援したいという気持ちが高まっていった。そして、第5話で彼女が見せた真の強さの片鱗。
気がつけば、後藤ひとりのファンになっていた。自分の気持ちを乗せて応援することで、自然とポジティブな気持ちが湧いてくる。それによって、「自分もがんばろう」と勇気付けられる。活力をもらえる。
自分と同じような苦悩を抱える誰かを応援して、花開いていく姿を見届けることで、苦しかった「あのときの自分」を、少しでも救えた気がする。
TVアニメ版を最後まで視聴して、その勢いのままに原作を最新巻まで追いかけて、放送終了後の名残惜しさをごまかすようにアルバムを聴き続けるなかで、そんなことを考えていた。
実在の人物にせよ、非実在のキャラクターにせよ、何かを好きになって「推す」ことで、「自己と推し」の関係を築いていける。
「推し」という対象に愛情や情熱を注ぐことは、自分自身への愛情を育むことにも繋がり、新たな願望を抱いてモチベーションを高めたり、自分の人生のために努力しようと思えるのではないか。
さらには、好きなもの、推しているものを伝えて共有することで、ポジティブな気持ちをシェアしたくなる。
誰かと体験を共有して語り合うことで、推しへの愛情と、推しとの関係によって育まれる自己愛をより強固なものにしていける。
「ぼっち・ざ・ろっく!」には、そんな風に人を元気づけて、前向きにしてくれるエネルギーが満ち溢れている。
だからこそ、アニメの放送終了から一月が経つ今でも人気が高まり続けているのだろう。
最後に。今回、本稿を書くにあたって参考/引用させていただいた本を紹介しておきたい。
ひとつは、すでに紹介している斎藤環氏の著書『「自傷的自己愛」の精神分析』。
もうひとつは、イタリア出身の精神科医という異色の経歴を持つパントー・フランチェスコ氏の著書『アニメ療法(セラピー)~心をケアするエンターテインメント~』。
どちらも、「ぼっち・ざ・ろっく!」の放送期間中という、まるで図ったかのようなタイミングで発売されたので、内容が気になり手にとってみた結果、これが「ぼっち・ざ・ろっく!」を見て私が感じたことを専門家の視点から鋭く言及されていたため、たいへん参考にさせていただいた。
しかも、斎藤環氏とパントー・フランチェスコ氏は師弟関係でもあるという。この不思議な繋がりに、何らかの縁を感じた次第である。