アルバム「結束バンド」の楽曲とともにぼっちちゃんの成長を見る
不健全な自己愛を抱えるぼっちちゃんの成長には、結束バンドとの繋がりが重要であることが分かった。
本作では、ぼっちちゃんの成長とともに、結束バンドのメンバーたちの成長も描かれてゆくのだが、結束バンドの楽曲は、作中では主にぼっちちゃんが作詞を担当している。(原作では、後にほかのメンバーも作詞に挑戦している)
それはつまり、結束バンドのいずれの楽曲も「その歌詞を書いた時点でのぼっちちゃんの心情」が反映されていると解釈できる。
ここからは、ぼっちちゃんの気持ちに寄り添いながら、楽曲に込められた想いと、アニメ「ぼっち・ざ・ろっく!」でのぼっちちゃんの活躍に注目していきたい。
※これ以降の内容は、イヤホンやヘッドホンをしながら読むことをおすすめします。自宅など音を出せる環境でご覧になる場合は、スピーカーシステムやサウンドバーなどに接続して高音質な楽曲を聴きながら読み進めることで、より一層「ぼっち・ざ・ろっく!」の魅力を味わうことができます。
青春コンプレックス
暗い押し入れの中で、ギターと向き合い続けるぼっちちゃんの心情が綴られている本作のオープニングテーマ曲。
自虐的でありながらも希望の未来を求める渇望、だけど、それに触れるのが怖い、光を浴びるのが怖いという矛盾した感情が克明に表現されている。
私 俯いてばかりだ
それでいい 猫背のまま 虎になりたいから(結束バンド「青春コンプレックス」より引用 | 作詞/樋口愛)
弱気で後ろ向きな自分だけど、それでも、自分らしく強く在りたいというぼっちちゃんの決意を感じる一節だ。
この「自分らしく」というのは、「ぼっち・ざ・ろっく!」のひとつのテーマでもある。暗くても自分らしい歌詞でいい、不器用でも自分なりのやり方でいいと個性を尊重しつつも、「自分らしく変わっていく」こと、前進していくことが一貫して描かれている。
ぼっちちゃんが抱える劣等感、「青春コンプレックス」という曲名も含めて、「ぼっち・ざ・ろっく!」を表現するテーマソングとして、この上なく的確な楽曲だったと言えるだろう。
ギターと孤独と蒼い惑星
本作でも屈指の人気曲「ギターと孤独と蒼い惑星」は、ライブハウス「STARRY」のオーディションで披露された楽曲だ。
自分と世界が交わらない息苦しさ、自分という存在を示せない無力さを嘆く真情を吐露している歌で、ぼっちちゃんの抱える鬱屈した気持ちを吐き出しつつも、そんな自分を変えてやる、世界を変えてやるという激しさを秘めた前向きさを発露している。
聞いて
聴けよ
わたし わたし わたしはここにいる
殴り書きみたいな音
出せない状態で叫んだよ(結束バンド「ギターと孤独と蒼い惑星」より引用 | 作詞/ZAQ)
作中では、この曲で初めてぼっちちゃんが作詞に挑戦するのだが、なかなか思うように歌詞が書けず、難航する。
無理やり明るく前向きな歌詞を書いてみるものの、「薄っぺらい……こんな歌、落ち込んでるときに聴いたらさらに追い詰められる!」と、思い悩んでしまう。
このままではいけないと、自分一人で悩むのではなく、バンドメンバーの山田リョウに相談することにしたぼっちちゃん。
リョウは作りかけの歌詞を読み終えると、このように問いかける。
「ぼっち的にはこの歌詞で満足?」
そう言うと、リョウは自分の過去を語り、「バラバラな個性が集まって、それがひとつの音楽になる。いろいろ考えてつまんない歌詞書かないでいいから、ぼっちの好きなように書いてよ」と、ぼっちちゃんの個性を尊重する。
その結果、出来上がったのが「ギターと孤独と蒼い惑星」の歌詞だ。
普段のぼっちちゃんからは想像できないような、剥き出しで行き場のない感情をぶちまける歌詞ではあるが、これはぼっちちゃんの内に燻る激しさ、魂の炎の現れなのだろう。
そして、その激しさはSTARRYのオーディションでついに発現する。
「こんなオーディションなんかで落ちるわけにはいかない。このまま……バンドを終わらせたくない!」
力強く右足を前に踏み出して、グングンとギアを上げていくぼっちちゃんの演奏に、ほかのバンドメンバーが感化されていく。結束バンドのパフォーマンスに火がつく瞬間を目の当たりにした。
このとき、ぼっちちゃんの演奏に魂を震わせたのは、結束バンドのメンバーだけではないだろう。アニメを視聴した人たちと、その熱狂的な反響を受けた制作陣の魂にまで強く響いたのではないだろうか。
アニメ本編には使われていない楽曲だが、「ひとりぼっち東京」の歌詞にこのようなフレーズがある。
ギターの音が 熱くなるのは
わたしの中に青い炎があるから(結束バンド「ひとりぼっち東京」より引用 | 作詞/樋口愛)
「ギターと孤独と蒼い惑星」の完成は、ぼっちちゃんの中の青い炎がついに灯り、燃え上がるようになった転換点なのだ。
あのバンド
「ギターと孤独と蒼い惑星」よりも一層激しく、「衝動性」を強く表した楽曲「あのバンド」。
重苦しいアウェイな空気を切り裂くようにギターをかき鳴らし、他人の目線に目もくれず自分の演奏に没頭するぼっちちゃんの姿と、この楽曲の歌詞は絶妙なシンクロを見せる。
目を開ける 孤独の称号
受け止める 孤高の衝動
今 胸の奥 確かめる心音
ほかに何も聴きたくない
わたしが放つ音以外(結束バンド「あのバンド」より引用 | 作詞/樋口愛)
そこに普段の臆病なぼっちちゃんの姿はなく、強烈な衝動に身を任せる様は、見る者の不安を吹き飛ばす圧倒的な力強さを発揮していた。
他を寄せ付けない気迫と拒絶を見せるぼっちちゃんだが、その意地に火を付けたきっかけは、路上ライブでファンになってくれた二人の期待に応えるためであり、観客に結束バンドの本当の実力を見せたかったからである。
自分本位の激情だけではなく、「誰かのために」奮起することこそが、ぼっちちゃんの強さであり、そんな姿が虹夏にとってもギターヒーローと重なって見えたのだろう。
星座になれたら
ぼっちちゃんが夢にまで見た文化祭ライブが、ついに実現したアニメ最終話。最後に演奏するのは、結束バンドのみんなへの気持ちを綴った「星座になれたら」だ。
ライブハウスでのバイト、バンド練習、アーティスト写真の撮影、STARRYでのオーディション、そしてライブ本番と、ぼっちちゃんは結束バンドのみんなとともにさまざまな経験をして、楽しい思い出を共有して、苦難だって乗り越えてきた。
「もう学校に行きたくない」と心が折れそうになっていたとき、バンドを組んで他人と演奏するきっかけを作ってくれた伊地知虹夏との出会い。
不器用ながらも真摯に向き合い、「自分らしくあってほしい」と、ぼっちちゃんの理想とする姿へ導いてくれた山田リョウとの出会い。
バンドメンバーの中で唯一、後藤ひとりのことをあだ名ではなく「後藤さん」、そして「ひとりちゃん」と呼び、等身大で向き合ってくれる喜多郁代との出会い。
そんな結束バンドのみんなへの感謝と、これからもみんなと一緒に歩んでいくんだという決意が強く表れている。
だから集まって星座になりたい
色とりどりの光 放つような
つないだ線 解かないよ
君がどんなに眩しくても(結束バンド「星座になれたら」より引用 | 作詞/樋口愛)
ライブ中に思わぬアクシデントが発生したものの、喜多のアドリブによって、ぼっちちゃんの最大の見せ場へと繋ぐ。
これまではぼっちちゃんの土壇場の底力に支えられてきた結束バンドが、ぼっちちゃんにギターを教わって、ともに成長し続けた喜多が、今度はぼっちちゃんを生かすために支えた瞬間を、感動と言わずに何と言おうか。
窮地を乗り切って一息つくぼっちちゃん。「やりきった」という表情の横顔は、とても強く輝いていて、美しい。
そんなぼっちちゃんを讃えるように、さらに勢いを増す演奏でラストスパートをかけていく結束バンド。
最終話に相応しい、本当に素晴らしいライブだった。
転がる岩、君に朝が降る
演奏を終えて、ぼっちちゃんはまさかの衝動的な奇行に走りつつも、思い出に残る文化祭ライブは幕を閉じた。
ステージの上で輝く時間は終わり、仲間と笑い合いながら日常へと帰っていく。
そのときのぼっちちゃんの生き生きとした笑顔は、第1話で初めて虹夏やリョウと演奏する前に、期待を胸にしたときと同じような表情だった。
現実は怖い。でも、これから楽しいことがたくさん待っている気がする。
あのときに期待した通り、たくさんの楽しいことがあった。
それは怖い現実から逃げ出さずに立ち向かい、自分の手で切り拓いた未来なんだ。
父親から譲り受けたギターを休ませて、自分自身で選んだ新しいギターを背に、ぼっちちゃんは進んでいく。
そんな感慨深いシーンを、ぼっちちゃんが歌うカバー曲「転がる岩、君に朝が降る」で締めくくる構成に胸が熱くなる。
私の世代からするとASIAN KUNG-FU GENERATION(以下、アジカン)の曲といえば、アニメ「NARUTO -ナルト-」のオープニングテーマ「遥か彼方」や、アニメ「鋼の錬金術師」でオープニングテーマに使われた「リライト」などの印象が強い。
恥ずかしながら「転がる岩、君に朝が降る」に関しては、このカバー曲で注目するようになったのだが、ものの見事に大好きな曲になったし、結束バンドのアルバムに加えて、アジカンのアルバムも追うようになった。
こうして過去の素晴らしい楽曲に触れる機会を与えていただけるのは本当にありがたいし、アジカンのカバーが実現したのは、原作者であるはまじあきさん、そしてアニメ制作陣のリスペクトと熱意が実を結んだのだと思う。