庵野秀明だけじゃない、周りを支える力強いスタッフたち
『GQuuuuuuX』の制作陣を見ると、まず目を引くのは庵野秀明氏、山下いくと氏、金世俊氏といった『ヱヴァンゲリヲン新劇場版』でおなじみのメンバーだろう。
しかし、本作では彼らの周囲を支えるメンバーの顔ぶれにも注目してほしい。実はここにこそ、鶴巻和哉氏が掲げる「新しいガンダム像」を形作る大きなヒントが隠されているのだ。
まず着目すべきは、先ほども名前をあげた鶴巻和哉氏の盟友・榎戸洋司氏の脚本である。
『GQuuuuuuX』では脚本のおおよそ前半を庵野秀明氏が、後半を榎戸洋司氏が手掛けており、後半に当たるU.C.0085年のパートはいかにも「鶴巻作品らしい」展開になっている。
後半の冒頭で印象に残るのは、主人公であるマチュの「空は頭の上じゃなく、足の下にあるんだ。コロニー生まれの私たちは本物の重力も、本物の空も知らない。もちろん、本物の海も。」という独白とセリフである。
これは聞く人が聞けばいかにも“鶴巻榎戸タッグの作品”らしいセリフだと感じるはずだ。
物語の始まりをつげるポエティックなモノローグは『トップをねらえ2』における(ラルク・メルク・マール「もし神様にも願い事があるとしたら、それは何に願えばいいのだろう。…」)であり、『フリクリ』における(ナオ太「すごいことなんてない。ただ当たり前のことしか起こらない。…」)である。
そして、そんなセリフを背に、映像はマチュが学校の飛び込み台で逆立ちをする回想が映し出される。
飛び込み台で逆立ちをするマチュは足を中に伸ばすことで正しく「足の下に空がくる」ようなポーズになるわけだが、逆立ちはコロニー内に敷かれる擬似重力によってバランスを崩され、偽物の海であるプールに落下する。
場面をセリフとイメージのジャンプに紡がれるこのシーンは、マチュが置かれている現状の息苦しさ、私たちとの差異を短いながらも端的に伝えてくれる。
そして、これはガンダムという物語がシリーズを通して「地球の重力に引かれた者たちの物語」であることからも、擬似重力で落下するマチュは「新たなガンダムを描く」ことの所信表明のようなシーンであると言える。
続くシーンでは改札にて、主人公・マチュと軍察に追われていた非合法な運び屋の少女・ニャアンがぶつかることで出会う。ここでも、鶴巻の得意技であるイメージBG演出が用いられる。
鶴巻作品に慣れ親しんだ視聴者は、このアッシュグリーンから薄黄色を経て白へ抜けていくグラデーションを見て、ふたたび懐かしさを覚えることになるだろう。
この改札で決定的に運命が変わるシーンは『Zガンダム』のオマージュである。同時に、勢いよくぶつかられる主人公という構図は、背景のイメージBGも相まって『フリクリ』におけるナオ太とハル子の出会いを強く意識させるものとなっている。
そしてイメージBGという技術は『機動戦士ガンダム』の中でも象徴的に用いられてきた演出だ。
作中において重要な役割を持つ「ニュータイプ」の演出において、イメージBGは多く用いられており、それと同様に主人公アムロが乗る「ガンダム」の戦闘描写においても、その背景にしばしば用いられてきた。
これはガンダムが他のMSと性能面で一線を画すことを示しつつ、同時にガンダムが他の味方機体とは異なる“重力”の元で動いていることを言外に示している。現に、『機動戦士ガンダム』のオープニングを見ると、他のMSに対して、ガンダムが一貫してイメージBGを背に描かれていることに気づくだろう。
地球の重力に魂を引かれないアムロとガンダムは、自由に宇宙をかけることができる。
このイメージBGという技法が多用された背景には、『機動戦士ガンダム』という作品が有する数々の制約がある。
まず前提として、当時の背景美術は全て手描きで作成され、一つのシーンのために一枚の背景画が用意されることが一般的だった。そのため基地や星、コロニーを移動しながら物語が進む『機動戦士ガンダム』は、スポンサーからの要望、予算的な制約がある中でも背景美術に大きなリソースが割かれている。
戦艦やコックピットのような描き込みが多い背景が絶対に必要な都合上、硬派であればあるほど、背景を描くことは時間と労力を必要とするのは想像に難くないだろう。
主人公が乗るガンダムのコックピットや、主人公たちが乗る宇宙船「ホワイトベース」などは使い回しが効くが、それでも全43話という話数の中で、毎話新しい背景を描き続けるのは、技術的にも予算的にも厳しかったはずだ。
こういった制作の中の苦悩は、『機動戦士ガンダム』が止め絵を多く使用した作品であることからも伺える。
そういった制約の中の試行錯誤の上取り入れられたのが、描き込みを必要としないイメージBGである。また、監督である富野由悠季氏は、そうした制約を背景に、それでも良いものを作ることを諦めなかった人物でもある。『エースをねらえ!』や『明日のジョー』『ベルサイユのバラ』の監督で知られる出崎統氏からインスピレーションを受け、イメージBGの出番が増えるニュータイプにまつわるシーンには、しばしば出崎らしさが顔を覗かせる。
安彦良和氏によって描かれた止め絵は、いずれもここぞといった場面で用いられ、今なお名シーンとして語られる場面になり、イメージBGは「ニュータイプ」の第六感を演出する効果として、『機動戦士ガンダム』という作品を語る上で外せない表現になっているはずだ。
そして、このTVシリーズという制作体制(スケジュール・予算・作画リソース)をやりくりしながら、動かす部分と止める部分を切り分けていく演出法は、後に庵野秀明が監督を務めるTVシリーズ『新世紀エヴァンゲリオン』や『フリクリ』にも引き継がれていくことになる。
そんなガンダムが持つイメージBGの文脈と、鶴巻監督が得意とするイメージBGが『GQuuuuuuX』において結びつく。
このことで、改札のシーンは『機動戦士ガンダム』シリーズと鶴巻和哉氏との出会いを象徴するシーンになっていると言える。本シーンにおけるマチュとニャアンの邂逅は、ガンダムと鶴巻和哉の邂逅でもあるのだ。
『GQuuuuuuX』の物語はマチュのモノローグから始まり、飛び込み台のシーンから、二人が出会う改札のシーンへと進み、そしてマチュの暮らすイズマコロニーが人工的な夜へと切り替わりながら、マチュの日常はクランバトルという非日常へと踏み込んでいく。
この一連の導入シーンだけで、鶴巻和哉がこれまでに積み上げてきたものを感じることができるだろう。