『南極計画』というゲームの存在を知った時、その絵本のように暖かみのあるビジュアルから、筆者は「ほっこりできるゲームなんだろうなあ」と考えた。言ってしまえば、舐めていたのだ。南極を。そして人の愚かさを。
いそいそとプレイを開始してわずか10分後。チュートリアルの最中に筆者は吹雪に飲まれ、あえなく散った。
「あ、そういうゲームなんだ!?」
驚き、心して再度挑んでみると、ただの“高難度ゲーム”ではないこともすぐにわかった。厳しさのなかに手心がある。
集めるべき素材や作るべきアイテムは簡略化されていて、生存の指針は明確だ。難しいようで難しくない。サバイバルやクラフトが初めての人でもちゃんとクリアできる……筆者の勘はそう言っている。
しかし、生き残るための手立ては十分にあっても、うっかりしていれば容赦なく死ぬ。そして、その油断の代償は決して小さくない。
本作はいわゆるステージクリア型の構造になっており、特定のポイントに到達すれば、次のステージへと移行するシステムを採用している。
ゲームオーバーで戻されるチェックポイントはステージの最初に固定されているので、ステージ内を進めば進むほどに、その命は重くなる。筆者のようなウカツで欲張りな愚か者が、調子に乗って命を危険にさらした結果、1時間以上かけて得た成果があっけなく無に帰すことすらあった(三敗)。
そんな過酷な世界を描く本作にも、優しさやぬくもりを与えてくれる存在がいる。それが、南極に住まう動物たちだ。
彼らは旅の途中で出会った主人公の仲間になり、その旅路をサポートしてくれる。放射線の嵐が吹き荒れてまともに動けないときでも、子ペンギンを抱きかかえることで、文字通りぬくもりを共有しあって体温が維持でき、そのおかげで命が繋がる。
そう、本作の南極にはなぜか放射線の嵐が吹き荒れる。当然、長く浴びていると死ぬ。
「なんでそんな厄ネタが南極に転がってんだ!?」と周囲を見回せば、道中いたるところに人間同士の争いの痕跡が残されていることに気付くだろう。
本作の時代は西暦2917年。南極の平和利用や領有権の凍結を定めた「南極条約」は、とうの昔に忘れ去られてしまったらしい。まったく、人間というやつはいつも愚かだ。実のところ本作の序盤でわかるのは、ヤバイ状態の南極に主人公の「子ども」がたった独りで上陸し、南極点を目指すということだけ。
荒廃し、謎を秘めた南極を進む過酷な旅のなかで、もふもふの仲間だけはかわいくて癒やされる。でも、癒しの動物たちにも、なんだか闇を抱えてそうな雰囲気が見え隠れする。もふもふの動物なのに……? 全てが物語の真相に繋がっていそうな謎ばかりで、先が気になってしまう。
そして、もふもふの動物たちと身を寄せ合いながらプレイするうち、首をもたげてくる思いがあった。「この作品、もしかしてすげぇSFなんじゃないか?」
本稿では、カワイイ見た目で命がけのサバイバルを繰り広げ、人間の愚かさと命のぬくもりを知る“すげぇSF”『南極計画』の魅力をお伝えしていくので、ぜひ最後まで読んでいただければ幸いだ。
※この記事は『南極計画』の魅力をもっと知ってもらいたいPARCO GAMESさんと電ファミ編集部のタイアップ企画です。
子どもが身一つで挑む極寒極限のサバイバルは、常に死の恐怖がつきまとう。使えるものは何でも使って、目指せ“南極点”
遙か未来の南極に主人公の「子ども」が上陸するところから本作は始まる。目的は明かされない。知ることができるのは、目指すべき場所が「南極点」にあるということだけだ。
すぐに始まるチュートリアルは、プレイヤーへと丁寧に生存の心得を教えてくれる。先へ先へと進みながら、道すがらアイテムを拾い集め、難局は「クラフト」で乗り越える。なるほどね。
などと、悠長に構えていた筆者は、突然の吹雪に見舞われた。急に視界がぼやけ、走ることもできなくなる。そして、なにかが飛んできたかと思うと……。
し……死んだ……。
原因は明白だ。筆者が、南極の過酷さを舐めたのである。そして、必然の死(厳密には“大怪我”らしいが)を迎えた。「自然の猛威に、無策で挑むな」。ある意味で、これこそが本作のチュートリアルと言えるのかもしれない。
クラフトだの、資源採取だのは、目的を果たすための手だてにすぎない。とにかく生きて、前に進む。それこそが、本作のなすべきことなのだ。
とは言え、この氷の世界を徒手空拳で切り抜けることは不可能だ。生き残るため、先に進むため、否応なく人は道具を使う。その道具を生み出すクラフトは、かなりオーソドックスに設計されている。
各地にある素材を拾い集め、アイテムを作る……それだけ。持ち運べるアイテムの数に制限があるのも、「サバイバル」なゲームではおなじみだ。
本作のクラフトは、作業台なども必要なく、どこでも可能となっている。作れるアイテムを増やす方法は少しだけ変わっていて、設計図を読むのではなく道中に点在する完成品を“スキャン”することで追加されてゆく。
それにしても、本作は言葉少なだ。クラフトできることは教えてくれるし、アイテムの効果や使い道はわかっても、アイテム名はいつまでも知ることができなかったりする。


ひょっとして主人公は文字が読めないほど幼いのだろうか? 少なくとも、所持品から文字が存在すること自体はわかる。
素材の入手経路は複数あるが、だいたいがアヤシイものに変換される。缶詰の中身は緑色の布のようなものに集約されるし、ビンやペットボトルの中身も謎の紫色の液体になる。全部正体不明。
しかし、おかげで素材の数は少なく、スッキリとしている。入手の手段自体も、わりとたっぷりと用意されており、道中ではインベントリを拡張するアイテムも手に入る。
本作でのサバイバル要素でも、水分や満腹度などの複雑な管理は求められない。ルールはいたってシンプル、エネルギーが尽きれば死ぬ。残量が少ないことによるペナルティはないが、「0=死」。それだけなのだ。命を繋ぐためには素材を集めて、回復アイテムをクラフトすることになる。
ばっちりと「MEAL」と書かれているアイテムもある。日本語にすれば「食べ物」なのだが、本作で食事をすることはない……。スーツには生命維持装置があるらしいがそれにしても、なんというか、人間性の喪失を感じる。
主人公は「子ども」なのに、なんでこんなことになっているんだよ。
めまぐるしく変わる天気もぜんぶ教えてくれるし、リソース管理もシンプルで優しいのに、プレッシャーに惑わされたり欲張ったりして死ぬ。人間は愚か
子どもがひとりで、南極を旅する。それだけでもただならぬ事態だが、困難に輪を掛けてくるのが、本作の天候だ。
筆者をチュートリアルで死に至らしめた「吹雪」のようなダイレクトにダメージを与えてくる天気以外にも、気温自体がエネルギー残量に影響する。寒いほどエネルギーの減りは早く、余裕をもって対処しないと「あ、詰んだわ」となる。この場合、不可避の死がにじりよってくるのでなんとも苦しい。
そして、本作のアクションに関わる「スタミナ」もかなり特殊な仕様をしている。走る、ジャンプする、ツルハシを振るうなどでモリモリと削られるのだが、なんとスタミナは自然回復しない。スタミナを回復するためにはアイテムを使うか、テントなどのほっこりする場所で休憩するしかない。
ちなみに、スタミナ回復アイテムはエネルギーの回復アイテムと素材の大部分が共通している。わかりやすくて大変結構だが、実はこれがヤバい。
南極の厳しい自然のなかを進めば、当然エネルギーはゴリゴリに削られる。ちんたらしていると死ぬことは思い知らされるが、スピードのためにスタミナを消費し回復剤まで確保すると、当然エネルギー切れのリスクも高まる。
物資は無尽蔵ではないのだ。
そして、黄色いアイコンで表示される「ヤバい天気」が来ると、安全な場所で待機しなくてはいけなくなったりと、動けなくなることが多い。
筆者の死因の半分はエネルギー切れである。容量には余裕があるので、よっぽど寒くても即どうにかなることはない。だから難しくはない……はずなのだが、スタミナとエネルギーの天秤をとるうち、いつのまにか破綻が来る。
「じゃあさっさと行けばいいじゃん」と思うかもしれないが、本作はステージ制であり、先に進むと前のステージへと引き返すことができない。強化アイテムや素材が漏れなく「取り返しの付かない要素」になっているのだ。
となれば当然、ファームし尽くすのが流儀と考えてしまうのが筆者の悪いところ。だからやらかす。やれると思ってステージに長居しすぎてエネルギーが足りない。新しい場所にいけば素材が拾えると信じて、問題を先送りにして準備不足で次のステージに立ってしまい、行き倒れる。
愚かなのは人間じゃなくて自分だった!
つまり人間は愚か(?)。
筆者自身の愚かさを種全体に責任転嫁したところで、やるべきことは変わらない。生き延びて、先に進む。だが、本作はとにかく中長期の目線で迷わされる。物資が欲しい、けど。もうちょっと長居したい、けど。でも、いかなきゃ。そして「どうして……」という結末を迎える。
ゲームが理不尽なのではない。むしろ、判断基準は明確なのだ。南極の天気は気まぐれだが、本作の天気予報は極めて高精度で、外すことはない。常にUIで確認もできる。
だから、自分の死を誰かのせいにしたくても、自分の顔しか浮かんでこない。「見通しの甘さ」という、自分の愚かさと向き合うしかない。情報は揃っているし、時間的余裕もたっぷりある。なのに難しく、痛みを伴う体験。決して不快ではない。むしろ、面白い。
この感覚は、実にユニークだ。本作でしか味わえない気がする。

たとえば、上記の画像の右下に表示されている天気予報にある雪の結晶マークは吹雪の到来を予言しており、これは本当にヤバい。気温が下がるのもさることながら、風を遮る硬いものがなければ確実にナニカにぶつかられてゲームオーバー。とにかく、備えのない状態で吹雪がひとたび始まってしまうと、あっけなく死ぬ。
本作をプレイしているあいだは、「吹雪が確実に来るだろう運転」が必要なのだ。
一方で、壁さえあれば飛来物は怖くないし、吹雪自体はすぐ終わる。そもそも、クラフトできる壁もある。なのに、筆者の死因の半数は吹雪が占めている。理由は簡単で「まあ大丈夫だろ」と甘えたプレイをしてしまうからだ(愚かすぎる)。
本作は、南極の天気を見通し計画を立てることがそのままサバイバル要素に直結されており、かなりシンプルで、それでいて奥深い。
放射線の嵐も、その素晴らしい字面に違わずきわめて危険だ。こちらは影響下にいると定期的にエネルギーをごっそり持って行かれる。相手が“放射線”だけに完全に防ぐ手立てがないというのがヤバいが、回復アイテムの備えさえあれば耐えられる。もちろん備えがなければ死ぬ(1敗)。
天気以外の危険要素もある。またもや人類の愚かしい所業か、南極には未知のウィルスがはびこっており、触れると急速にエネルギーを消費させられてしまう。幸いなことにウィルスは目立つし、クラフトした装備で除菌もできるのだが、筆者はウィルスの危険性を忘れていて1時間分の進捗が消し飛んだことがある。
自分の命運は南極のご機嫌とどう付き合うか次第。“テントのようなもの”などを建てて拠点を整えれば、中でスタミナを回復したり、寒さをしのげたりもする。
だが、いつまでも内部でぬくぬくと過ごしているわけにもいかない。目的は「南極点に行くこと」なのだ。前に進まなければ、緩やかに状況は悪くなる一方だ。
「じゃあ急ぐか」と安全確保を怠ると命の危険が……というところが、本作の奥深さだ。
しかし、天気にもいいやつはいる。「雨」だ。
普段は疎ましい雨も、南極ではあたたかさの証拠なのでありがたい。雨とテントとペンギン(旅のさなかで仲間になる)の組み合わせは、本作屈指の癒し要素だ。エネルギー的な意味でもほっこりする。












