SS1枚でビジュアルメモリひとつ使用!?
中:
そうです。そこをセーブしたものをどうやって上げるか、っていうのが、当時ちゃんとなかったと思うんですよね。で、画像1枚分でビジュアルメモリ1個使っちゃうんですよ、当時。
NRK:
ワオ(笑)。
中:
当時JPEG圧縮とかできてなくて。
加藤:
あー! なるほど。
中:
作業時間が1週間ぐらいなので、JPEGでどうこうとか、そういうことができなかったので。なので、そのあと“ビジュアルメモリのバンク切り替えで4つスクリーンショットが撮れます”みたいなものがセガから後で発売されていると思うんですけど。まあ最初のは、すごく容量の食う撮り方だったからですね。無理やり入れたというのもあって。
もっと前に気づけばいいんでしょうけど、作るので精一杯だったので。ギリギリ2000年の12月21日とかに発売になってるんですけど、「『21世紀RPG』って言いたいよね?」みたいなのがあってですね。
コノミ:
カッコイイ(笑)。
中:
「20世紀ギリギリで出したいよね」みたいなことで。「これはもう間に合わないといけない!」という気持ちが強くてですね。なんかカッコイイじゃないですか!(笑) 言ってみたくなるんですよね。21世紀で何かしたかったんですよ。
加藤:
遅くちゃ意味がないってことですよね。
中:
そこのお祭り感が欲しかったので。『PSO』はすごくそういうところで無理してもらって、さっきのシンボルチャットとか、ワードセレクトとかも、コミュニケ―ションをいかにしてとるか、みたいな。
なので、“「初めまして」から始まるRPG”みたいなことを、キャッチコピーでやってるんですけど。「初めまして」っていうところから始まって進んでいくRPGを、できれば全世界でっていう。ネットワークで動くので。
でも実際、そうしたら言葉が通じないわけじゃないですか。そうすると、こんにちはだったらわかるので、「ハロー」「ボンジュール」みたいなものをつないでおけばいい。
担当の人はすごく苦労したと思うんですが、それはやってよかったなと。これは2つに分かれているんですけど、世界共通言語っていうものを、ネットワークのゲームの中で作ろうというのが始まりなんですよ。身体障がい者さん向けの、言語カードみたいなものを見つけて。それは世界全部共通の絵で出ているのがあるんですよ。それが割とヒントになっていて。
加藤:
なるほど。
217:
そうなんだ。
中:
これすごいな! と思って。これをネットワークゲームに持ってこれないのか。みたいなところが始まりで。結局、シンボルチャットとワードセレクトの2つに分かれていますけど、本当は一体にして出したかったぐらいなんですよね。オンラインゲームでつながるからこその面白さっていうところをやりたかった、というのは大きいですよね。
加藤:
いやぁー。すごいですね。
NRK:
発想が普通じゃないですね。
217:
天才です。
中:
いかにドリームキャストというハードがすごくて、面白くて、こんなに、っていうのを……。
加藤:
オンラインのゲームに初めて対応したゲーム機ですからね。
プロバイダー代はポケットマネー!? 大川功会長の男気!
中:
これは大川会長【※1】が、「これからはネットワークや!」と仰っていて、ドリームキャストにネットワークの機能がついたんですけど。でも、ネットワークのゲームを誰も作らないんですよ。社内で。実際誰もネットワークのゲームの作り方を知らないし、わからないし。誰か作るんじゃない? みたいな社内の雰囲気があるんですけど。『ぐるぐる温泉』【※2】ぐらいは作っていて。
※1 大川 功(おおかわ いさお)
1926年生まれ。大阪出身。日本のベンチャーの父であり、株式会社CSKの創業者。元CSK社長・会長、セガ・エンタープライゼス会長、ニュービジネス協議会会長。2001年3月16日、満74歳で逝去。
※2 あつまれ! ぐるぐる温泉
1999年セガ(現、セガゲームス)から発売されたオンラインテーブルゲーム。自分だけの分身キャラクター(アバター)を作成してネットで対戦したり、チャットで他のユーザーと交流して友達を作ることは当時としては斬新で人気を博した。
加藤:
ありましたね(笑)。
中:
あとは、『セガラリー』の対戦みたいなものはあって。でも、「これからはネットだ」みたいなことの象徴のようなものが欠けているなと思ったんです。ただ、ボクらはソニックチームだったので『ソニック』を作らなければいけないという役目があるんですよね。基本的には『ソニック』を作っているだけで手いっぱいなんですよ。
加藤:
そうですよね。それはそうですよ。
中:
だけど大川会長が、私財を投げうってまでネットワークだといって(ドリキャスに)つけてくれて。
加藤:
本当に私財を投げうってますからね!
中:
ドリームキャストって、当時ネットワークにつなごうとしたときに電話回線が必要だったじゃないですか。モデムも必要とか。その後にインターネットのプロバイダー契約が必要じゃないですか。そこにゲームの月額課金料とかも必要で、いっぱいお金がいりますよね。「誰もやんないよ」って思っちゃうじゃないですか。
加藤:
はい。
中:
それが、ドリームキャストを出す前の会議でいろいろあった中で、大川会長が、「だったらそのプロバイダー料金ね、俺が出したるわ」って仰って。ドリームキャストでプロバイダー料金、最初の1年か2年間は誰も払っていないと思うんですけど、大川会長のポケットマネーですからね。
217:
えぇー!
コノミ:
ありがとうございます!(笑)
中:
ポケットマネーですよ? すごくないですか。そんなことをする人が上にいて、作らないわけにはいかないじゃないですか!
加藤:
男気がありますよね!
中:
もうネットワークゲーム作らなあかんわ! って。それで頑張って作ったんですよ『ファンタシースターオンライン』。だけど、そのときには、大川会長は癌で入院されていて。株価が下がるから、世間には癌だなんて告知できてないですよ。社内でも誰も知らないんですよ。でも、なんとなくボクはよくしてもらっていたから、本当に具合が悪そうみたいなトコロがわかったんです。
そこで、大川会長が一瞬復帰してきたときに、「いまオンラインゲームを頑張って作ってますよ!」という話はしたんです。でも発売日をまだ迎えていない状態だったんですけどね。それで、発売日を迎えるじゃないですか。何人ぐらい同時接続者がいて、いくらぐらいお金が回って、これだけの賞を獲ったよ、みたいなレポートを作って、大川会長の秘書に渡すんですよ、ボクは。
だけど、それを大川会長は結果的には見られずに……病室までは持って行ってもらっているみたいなんですけど……。
見られずに、翌年の3月16日に亡くなっているんです。本当はすごく、ボクが会長のオンラインゲームをっていうものを、何とか頑張ってソニックチームで作りましたよ! みたいなことをちゃんと実績を言いたかったけど、たぶんわからずに亡くなられてしまったので。
コノミ:
きっと空から見てますよ!
中:
そのあと4月ぐらいに、日本ゲーム大賞があったんですよ。そこで日本ゲーム大賞を『ファンタシースターオンライン』が獲ったんですよね。これは本当に大川会長が見ているんじゃないかって思って、受賞コメントで「大川会長やりましたよ!」って。……すごくドラマみたいだな、と自分でも思ったけどね。
NRK:
感動です!
中:
どっかのテレビ番組になるんじゃないかと(笑)。
コノミ:
プロジェクトXできますよ!
中:
そうそう。でもね、そういう意味では、プロジェクトXとかそういう系の番組が、『ファンタシースターオンライン』を作るときに、密着させてくれって、実は言われていて。話はあったんですけど。なんかね、そういうのがずっといるよっていうのがイヤで、断っちゃったんですよね。
NRK:
もったいない!
中:
すごくそれを後悔していて、それが映像であったらどれだけよかったか! 最後にゲーム大賞を受賞したところまで行くだけで、報告していても伝わらないまま。でも賞はいっぱい獲って、最終的には日本ゲーム大賞まで獲ったっていうね。
NRK:
映画1本できちゃいますよ!
中:
その間には『ファンタシースターオンライン』が炎上とかもするわけですよ(笑)。
一同:
(笑)
中:
2月ぐらいですかね? NHKのニュースに流れたんですよ、サーバーがダウンした。みたいな。
217:
鯖落ちしちゃったって(笑)。
加藤:
ありましたね(笑)。
中:
そう(笑)。あのNHKさんがですよ!? いちゲームのサーバーがダウンしていることが問題だ、と。お昼ぐらいに電話かかってきて。「夜の9時のニュースで流すけどいい?」みたいな。そんなの流しちゃだめだよ! と(笑)。ダメだと言ったんですけど、そのディレクターさんが、自分が遊んでいて、「これはみんながすごく楽しんでいるのに大変だ!」っていうことで(笑)。
217:
中さんの良いお話を聞けた……。
加藤:
みんな、涙流してますよ!
中:
ほんとですか?
加藤:
ファーストペンギンを地で行く話ばっかりですよ。
中:
ファーストペンギンねぇ。
217:
この番組がゲーム番組だったということを思い出させる(笑)。
加藤:
やっぱ中さんすごいな!