なぜ『蓬萊学園』は成立したのか?
──さて、読者にも駆け足ながら、『蓬萊学園』がどんなものだったのか見えてきたと思います。ただ、聞けば聞くほどに、プレイヤーの熱量が尋常じゃないなと思いますね。現代でもリアル脱出ゲームやLARP【※】のようなリアルゲームはあるのですが、やはりこんな熱気を大規模に帯びたものは、少なくとも日本にはないでしょうね。
現実世界でクトゥルフ邪神の降臨を目指す!? 脱出ゲームでチャンバラでTRPG…リアルゲームLARPを初心者にもわかるように解説【LARPイベント体験レポ】
※LARP
Live-Action-Roleplayngの略称。演劇とTRPGを融合したようなゲームのことを指す。参加者はキャラクターのコスプレをし、小道具を手にして、マスターとマンツーマンでゲームを繰り広げる。このとき、演劇的な所作が重要視され、たとえば「ドアの鍵をあける」といった行動をとるときには、実際にプレイヤーはそのようにジェスチャーしてみせなくてはならない。近頃は日本でもLARPのプレイ団体が登場し、徐々に普及しつつある。
齊藤氏:
私は当時ただの一学生でしたけど、『88』が終わったときに、「こんな商売なんて成り立つのか?」と思ったんですよ。
正直、当時は「これが文化として残るのだろうか?」なんてことさえ思わなかった。1年間やってみて一度終えることは聞かされていましたしね。
だって、TRPGでさえ、1マスターで扱うのが4~5人で、参加人数に対して1/4がマスターなんです。それがこの規模感になって、上手く行くんだろうか、と。『88』当時は、もう本当に1年間走りきったことに驚いていました。しかも、また『蓬萊学園』なるものをやるとか言い出すわけで、そりゃすげえな、と。しかも、俺の周囲からそのマスター側に回りたがる連中が出てきたんだから、「お前ら大丈夫か?」と思ってました。
──それが、よもやの前回を上回る大成功になってしまったわけですね。
新城氏:
ただ、最初にも言ったように、僕ら自身が『蓬萊学園』を終えたとき、「もう疲れた。こりゃもうダメだ」となってしまったんですよ。正直に言って、続けられるようなものじゃなかった。実際、その反省から、その後の遊演体のゲームは、基本的なストーリーをある程度先に決めてしまって、運用していくように変わっていくんです。
──聞けば聞くほど、無茶なことをやっていた気がしますからね。当時の遊演体がお手上げになったら、もはやこんな運営手法を引き継ぐ人はいないのは、まあ当然という気もします。
ただ……そうだとすれば、「蓬萊学園」的なものはどこに引き継がれたのだろうかとも思うんですよ。そのときに、ここは齊藤さんを今日お呼びした理由でもあるのですが、当初のMMORPGは、むしろ「蓬萊学園」的なロールプレイの要素が志向されていたように思うんです。
新城氏:
そうですよね。私も、MMOとは本来はそのはずだったんじゃないかと思うんです。
そもそもPBMを遊演体が手がけた意図として、パソコン通信やインターネットが普及したときに「あるべきゲーム」を、まずはいま可能な「手紙」というメディアを使って先駆的にやってみよう……という意識が、明確にあったんです。
──面白いですね。ところが、インターネットが始まってみたら、どういうわけか『蓬萊学園』のような方向には行かなかった。
齊藤氏:
例えば、俺が一番初めに作ったMMOは『クロスゲート』【※】という、PCで今から15年くらい前にリリースしたものです。
当時はお客さんに対してNPCがアクションする限界があったので、NPCを操作できるようにしておいて、夜な夜なコロシアムに乗り込んで行きましたから! 本来だったらそこにはいないはずのNPCがPCキャラとして登場して、プレイヤーたちを一晩中なぎ倒していく……みたいな。これを毎日やったものです。「アルバイトの方も大変ですね…」と声を掛けられて、真夜中に会社で苦笑いしていました(笑)。
──学生時代に「遊び」で培ったロールプレイ力を、若き日の齊藤Pは仕事で活かしていたわけですね(笑)。実際、初期の『ウルティマオンライン』【※】なんて、いま思えばヒドいシステムのゲームを、まさにロールプレイとかでユーザーが補って遊んでいたじゃないですか。
※ウルティマオンライン
1997年9月米国で、同年10月に日本でも販売されたMMORPG。初期のMMORPGにおいて最初の成功例であり、日本においても大きな成功を収めた。舞台は中世ヨーロッパ風の世界で、剣と魔法のファンタジーをベースとしている。オンラインマルチプレイを前提としており、ワールドシミュレータを意識したゲーム設計がされたことも特徴。
齊藤氏:
俺はロールプレイは、得意でしたからね。いまで言うところの「ネカマ」みたいな概念がなかった時代だったから、その分オフ会でこういう女性キャラをやっていて……と、しっかり説明しに行ったりしてね。
やっぱりPBMやMMOのようなゲームは、人とやることが面白いんですよ。だから今の『ドラゴンクエストX』でも、なるべく公式オフ会を沢山やってあげたい……とかは考えています。
──以前にウルティマの黎明期に運営に関わっていた人から、「Yamato大戦」【※】で、GMが暗躍していたという話を聞いたんです。とすれば、あれは非常に『蓬萊学園』的な「GMとプレイヤーの共同作業」によるロールプレイだったと言えるはずなんです。
ところが、MMOが商業的に洗練されていく過程で、こういうユーザーと共同で特別な空間を生み出していく発想が失われたのではないでしょうか。でも、あの黎明期に人々が夢見た可能性は、むしろこういう泥臭い部分にこそあった気もしていて……。
齊藤氏:
うーん……いや、言いたいことはわかりますよ。でも、こういう遊びには、どうしようもなく規模の限界があるんですよ。
なぜMMOは「ロールプレイ」を捨てたのか
齊藤氏:
この話は人数の問題でもあるんです。要は当時のプレイバイメールやMMOなんて、普通じゃないヤツらばかりが凝縮されて集まっていたから、成り立っていたところはある。
──なるほど。実際、先ほどの「Yamato大戦」なんて当時のサーバーを考えると、本当に体験していたのは100~200人程度のはずですからね。それが黎明期の濃いコミュニティの中で語り継がれた結果、伝説になっただけかもしれない。
齊藤氏:
この手の遊びの適正人数は、おそらく俺の感覚では1000~2000人程度じゃないかと思います。そこを超えるとコミュニティが薄くなっていくし、GMの裁量にも限界が訪れてしまう。
しかも、ロールプレイには、絶対的な限界もある。それは、横で「~だにゃ」とか喋ってるヤツを見て、普通の人が「キモっ」と思うのは避けられないというね(笑)。やっぱり、こういう遊びは苦手な人は苦手です。でも、それを俺は否定する気はないんです。
基本的には、その後のMMOにおけるGMは、いわば「お巡りさん」になっていきました。悪いことをする人に「やってはいけませんよ、繰り返しやったら逮捕しますよ」と言って、その世界の治安を維持する役割ですね。これはTRPGのような運命を司る「神」の役割としてのGMとは違うわけです。
──運営の発想が、いわば「君主政」から近代の「夜警国家」【※】みたいな発想に移っていったわけですね。ちなみに、逆に齊藤さんの考えるTRPGやPBMのような遊びの面白さは何なのでしょうか?
※夜警国家
19世紀ドイツの社会主義者であるフェルディナント・ラサールによって提唱された用語。国家の機能は、安全保障や治安維持など最小限の任務に留めるべきだとする考え方。「小さな政府」、「自由主義国家」ともいう。反対に、君主制政治のもとでは、独裁者の支配が国民生活の隅々まで及ぶことによって国家を運営していたといえる。
齊藤氏:
繰り返しますが、「人と一緒にやる遊び」だということですね。
例えば、現状のコンピュータでは、まだまだアナログな回答は用意できないんです。仮に数百個のリアクションを用意したところで、人間はもっと無限に即興でアクションを返せてしまう。この「壁」は、あまりにも大きい。TRPGでも、結構むちゃくちゃなアクションに、「答えが20通りあるうちの1当たればいいよ」みたいなファジーなマスターが出来ちゃうのは、人間ならではですよ。
新城氏:
うーむ、なるほどそういう判断もあるのかあ……。
私は一貫して物語は、(ある程度のところまでは)もうじきAIにも作れるはずだと思って、だからこそ小説家になっても『物語工学論』【※】のような仕事を続けているんですよ。
実際、TRPGの根本的な弱点として、「マスターが必要である」ということは、既に30年くらい色々な人が指摘していて、私は「自動化すればいいじゃん」と主張する派閥です。『蓬萊学園』も本来は、ルールとメタルールだけ定めて、後は放り投げておけば自動的に作動するように出来るはずだと思うんですが。
齊藤氏:
もちろん、AIの将来は楽しみにしてますよ。まあ、今のMMOの運営なんかは、AIで自動化するのは意外に可能だと思いますしね。でも、TRPGのような運命を司る「神」の役割としてのGMを自動化するのは、むしろ非常に難しいと思います。
それに、そんなPBMは全然、面白くないですよ。結局、これは「人と一緒にやる」のが面白いゲームなんです。実際、ガラケー初期に出た『蓬萊学園』【※】が、結構システマティックにやっていたんですよ。俺もプレイしてみたけど、やっぱり当時の面白さはなくて、あれは……新城さんは入っていたんですか?
※ガラケー初期に出た『蓬萊学園』
ハドソンが遊演体と協力して開発した、iモードのメールゲーム『蓬莱学園の冒険! 南方発放課後メール』のこと。1999年にサービスされた。
新城氏:
いや、いわゆる「ハドソン蓬萊」は関わってないですね。僕はもう遊演体を去った後で、残ったメンバーのどなたかがやっています。当時からAIのようなシステムの必要性は議論していたので、ああいうやり方になる判断を遊演体さんがしたのは、僕は非常に理解できます。
21世紀に“洋ゲー”でゲームAIが遂げた驚異の進化史。その「敗戦」から日本のゲーム業界が再び立ち上がるには?【AI開発者・三宅陽一郎氏インタビュー】
──まあ、限られた期間で、内容を全て把握したGMがプレイヤー一人一人に小説を返すという形式は、やはり狂気の沙汰ですからね。IT化は進めたいですよね。
新城氏:
私自身は技術革新に期待をかけているんですよ。例えば、あの当時Excelがあっただけでも、作業は全然違っていました。いま期待しているのは、人工知能がもう少し発達したら、私がちょっと書いた1000人がバーッと動くんじゃないかという……。
齊藤氏:
それは、マスター側の技術革新の話ですね。確かに人海戦術の大変さについては、だいぶ緩和されてきたと思いますが、プレイヤーは本当にそれを面白がるんだろうか。
中津氏:
少し私の話をしてしまうと……齊藤さんはゲームを作る道を歩まれましたけど、私はその後、文芸編集者になったんです。
というのも、作家という人間が一人で全ての世界を構築していく姿に、魅力を覚えたからですね。GMが1人で、プレイヤーも1人だとでも言えばいいのかな。例えば、宮部みゆきさん【※】は「小説の神様」が降りている人で、彼女は全ての場面で一々ドキドキしながら書けるというんですね。
こういう書き方から生まれるドラマの幅って、凄まじいんですよ。ああいう物語をAIが計算して生み出すには、まだまだ時間がかかる気がしてしまいます。
インターネットが破壊した「妄想のスキマ」
齊藤氏:
それに、もう一つプレイヤーの視点で言うと、『蓬萊学園』のようなゲームはインターネットが全て「ぶち壊し」にすると思いますね。Wi-Fiのない無人島に1ヶ月プレイヤーをぶち込んで、GMが毎日新聞ばらまくとか、そういうこと以外に現代では成立しないんじゃないかな。
──先ほど新城カズマさんから、PBMはインターネット社会の先取りだったという話がありましたが、むしろインターネットとは相性が悪いですか?
齊藤氏:
インターネットは情報を整備してしまうので、ノイズが混じらないんですよ。私の考えではPBMの面白さは、どの陣営なのかも判明しないまま現実で互いに対面して情報交換をする中で、とてつもないノイズが混じり込んできて、思いがけない行動や策略が生まれてくるところにあったんです。
でも、インターネットでは、ただただ情報が真実へとまとまってしまう。例えば、『88』のスタートキットなんて、凄かったですよ。
いきなり全プレイヤーにA4の紙の一部だけがちぎられて配布されて、それを集める指示が出されたんです。各々の断片には古代の呪文や神話の解析結果の日記が描かれていて、それをみんなで突き合わせていく。すると、その過程で色々な人との出会いなどが生まれて、これが最高に楽しいんです。
でも、こんなの今だったらインターネットで1日で正解が出ると思いませんか?
中津氏:
そうですね……。『蓬萊学園』では、ポーやラブクラフトみたいなテイストの、英語で書かれた航海日誌でしたけど、あれも今ならすぐわかったでしょうね。地図上で航海の跡をたどると、船は迷走したあげくに南極大陸の中を走っていく。この謎を半年後の学年旅行まで引っ張って、その航路から地底冒険編に導いていったんです。
新城氏:
なかなか「誤解する楽しみ」や「間違える余地」が生まれなくなっている。でも、人間の脳みそって、実はこういうノイズを楽しいと感じるようになっているはずですよね。人の進化の過程で、情報は常にたっぷりノイズ入りでしたから。
齊藤氏:
そうなんですけど、インターネットはそのための1ヶ月を3時間とかに縮めちゃったわけですよ。
中津氏:
なるほどなあ。先日、時代小説の仕事で知ったのですが、現代の人間は昔の武士が1年かけてやったような仕事を24時間で処理していたりするというんですね。その過程で、失われていくものがあるわけですね。
齊藤氏:
MMOの運営をしていると、この問題は日々切実ですよ。
ユーザーがブログで攻略記事を書いたら、あっという間に拡散していきますからね。でも、プレイバイメールの時代、僕たちは足で稼ぐしかなかった。関東から関西に行って話を聞いて「ああこうなんだ」と思って戻ってきたら、その間に何だか全然訳の分からないことになっていたりする(笑)。それが面白くて仕方なかった。【※】
でも、じゃあ今の時代に運営側でノイズだらけのゲームにしたら面白いかと言えば、たぶんつまらない。やっぱり正解がない、勝ち負けがないゲームはつまらなくなる。ここが問題なんですよ。
※いわゆる“伝言ゲーム現象”で、情報が原型を留めないものになったり、尾ひれがついたりしていた。PBMではしばしば発生する現象であったが、逆に、この伝言ゲームによる不確かな情報伝播そのものをゲームとしてとりこんでいた節が初期PBMには確かに存在した。
新城氏:
結局、「面白さ」に効率的な「勝利」や「獲得」を持ち込むと、すぐに消費されてしまう時代なんでしょうね。迷う楽しみや間違える楽しさを、僕たちはどう維持・伝承すればいいのか……。
──でも、実はその面白さを小規模にパッケージ化したのが、まさに今や若者の間で大人気の「人狼」【※】じゃないでしょうか。
N高JKにイシイジロウが訊くイマドキ「人狼」事情。ネットの荒野で生き延びたJKたちにTOPプレイヤーの“おじさん”勢もたじたじ!?【N高生に訊く】
※人狼
2010年代初頭に日本でもブームとなった、カードをもちいるパーティ心理ゲーム。もとは『汝は人狼なりや?』というアメリカ製のゲームだった。参加者は「村人」、「村人を狙う人狼」などの役割をひそかにあてられ、それぞれの役割にしたがって相手のプレイヤーの正体を推測し、勝利(人狼側は村人の全滅、村人側は人狼の全滅)を目指す。会話と心理戦を楽しむゲームである。
2010年代初頭に日本でもブームとなった、カードをもちいるパーティ心理ゲーム。もとは『汝は人狼なりや?』というアメリカ製のゲームだった。参加者は「村人」、「村人を狙う人狼」などの役割をひそかにあてられ、それぞれの役割にしたがって相手のプレイヤーの正体を推測し、勝利(人狼側は村人の全滅、村人側は人狼の全滅)を目指す。会話と心理戦を楽しむゲームである。
齊藤氏:
そうなんです。「人狼」はTRPG的と言える面もあるのですが、プレイバイメールに近い面もありますね。ゲームクリエイターは絶対にやった方がいいと思います。すごく嬉しいのは、ここ1,2年でまたアナログゲームが活発になってきたことですよ。まあ、俺のようなデジタルゲームで商売している人が、これを嬉しいと単純に喜んでいてはイケないのかもしれないけど(笑)、でも本当に嬉しい。
──そういう中で、スクウェア・エニックスのプロデューサーとして、何か考えていることはありますか。
齊藤氏:
運営側のGM補佐が複数ユーザー毎に貼り付いて、ちゃんと世界観を演出していく手を試したいんですよ。
特別なサーバーを1個用意して、そこには役者さんが使うNPCキャラが沢山存在する。そして「ゲームの世界にあなたは閉じ込められました。その謎を解いてこの世界から脱出してください」みたいな話を、1回3時間で1500円でやりたいんですよ。映画一本分よりも少し安い値段くらいで。もう3年くらい前から話してるんですけどね。
ちなみに、『World of Warcraft』【※】はロールプレイ専用のサーバーを用意して、別の場所で遊ばせていて、結構成立していたと思ってます。
──とはいえ、齊藤さんの話は、ある意味でシビアですね。大企業のプロデューサーとしての齊籐さんは、あくまでもこういう娯楽はどこまで行っても限られた嗜好性の人間の遊びで、隔離してしか成立しないと割り切ってるのが伝わってきます(笑)。まあ実際、ドラクエみたいなCRPG【※】が圧倒的に普及した要因の一つとして、TRPGで多かれ少なかれ要求されるロールプレイ要素が不要だったのは大きいでしょうからね。
※CRPG
コンピュータRPGのこと。プレイするのに複数の人数が必要だった従来のRPGとは異なり、コンピュータがゲームプレイの進行管理を担当しているゲームの総称。現在ではRPGというとコンピュータRPGを指すことが多いため、TRPG(テーブルトークRPG)と対比させるためにCRPGと表記することがある。
齊藤氏:
俺としては、アナログゲームやリアル脱出ゲームみたいな遊びが流行していく中で、少しでもこの「人と遊ぶから面白い」ということに気づいてくれれば……と思っています。
ちなみに面白い話があって、とある遊園地なんかではコスプレをしてるグループと、普通の服装のグループが混在しているんですよ。あれって、リアルの場では相手に面と向かって批判できないから成立するんです。逆に言えば、インターネットでは、相手を簡単に批判できてしまうんですよね。別にTwitterのアイコンが二次元だっていいじゃないですか!?
──バーチャルの場こそが、今や気にくわない他者へ簡単に罵声を浴びせられる場になっていて、逆にリアルの場でこそ発言の自由が謳歌できる。そこは逆にリアルと連動した『蓬萊学園』が復活した場合の強みでもある……のかな(笑)?
やっぱり不思議な「蓬萊学園」の盛り上がり
──ただ、今のお話を聞いていても、この盛り上がりがなぜ生まれたのかはよく分からないですね。結局、その後に続かなかったのは、何か構造的な要因があるのでしょうか。
中津氏:
まあ、同じことを何年も人間は繰り返せない。これは素朴にあると思いますよ。
──明らかに狂気沙汰ですからね。そういう意味では、一回限りの「お祭り騒ぎ」のようなものだったのでしょうか。当時の若者のエネルギーの「蕩尽」というか。
齊藤氏:
簡単に言うと、まさに疲れちゃうんですよ。
例えば、『ドラゴンクエストX』の俺の中の最終ゴールは、お母さん同士が明日の子供のお弁当を相談する会話とか、お父さん同士が「今日の野球の結果はどうだった?」とか会話することなんですよ。もちろん、『ドラゴンクエストXI』の話題で盛り上がってくれれば、それはそれで最高です。
ドラゴンクエストの世界を冒険する場としての「祭り」は、やっぱりどこかで終わる。でも、そのときには村単位での町内会コミュニティを形成し続けて、4年に1回出るナンバリングタイトルを遊び続けて、そのときだけは、ドラクエの会話をしてもらえばいい。で、それ以外の普段は「今日のおかずはどうしましょうかね」みたいな話をして、たまにお父さんが「ちょっと強いボスを倒してくるわ。一緒に行かない?」と言っているという(笑)。
──ただ、そこで思い出すのが昔、元「2ちゃんねる」管理人の西村博之さん【※】が言っていた話ですね。彼はコミュニティのことを「都市、あるいは駅のホームみたいなもの」と言っていたんです。
齊藤氏:
わかる。「人が長時間滞留しない場所」ということだよね。
中津氏:
彼の中では、2chは「村」じゃないわけですね。
────彼の生い立ちも関係しているのかも知れないですが、ひろゆきさん管理人時代の2ch運営は、次々に中心地を入れ替えていくやり方でしたからね。
齊藤氏:
固定しちゃったコミュニティを作り直すのは、本当に難しいと思いますよ。実際、『蓬萊学園』繋がりのこの辺の人脈に、今から私が「さあ、こっちへ来い!」と高圧的に仲間になるように言っても、もはや誰も言うことを聞かないですよ。それは、そこに長年の人生や友達関係が出来ちゃっているからですね。
──でも、ああいう都市のようなフラットなネット空間は、逆にTwitterの「国民的メディア」化で今や全面化したように思っていて……。そこに、ひろゆきさん的な意味でのコミュニティはあるけど、むしろ『蓬萊学園』的なコミュニティは失われているような気もしているんです。
新城氏:
うーん……少し問いの立て方を変えてみましょうか。
私も『蓬萊学園』を「祭り」だと思うのですが、それは「期間が限定されている」からなんです。
もし「祝祭」をずっと続けてしまうと、それは「都市」や「市場」と区別がつかなくなる。あるいは、祝祭と都市の違いはそこにしかないと言ってもいい。知らない人同士が出会って、殺し合いもせずに楽しく色々と交換する場というのが、歴史的に見たときのマーケットであり、都市の本質なんです。それを期間を限定すると「祭り」になる──そういう話なんだと思うんですよ。
タイミングの問題
──今の「期間」の問題は広げてみたいですね。というのは、現代のコンテンツは、MMOに代表される運営型の「終わりのないコンテンツ」が台頭すると同時に、まさにコンテンツをユーザーに送り届ける「リズム」が問題になっているからです。スマゲなら毎日、深夜アニメなら毎週、AKB総選挙やコミケなら年2回……という感じで、コンテンツを送り届ける「リズム」が、そのあり方に大きく影響を及ぼしていますよね。
新城氏:
作る側の視点でいうと、基本的にはプレイヤーの手紙が届いてから、半月で全てを決めていたんです。ただ、その間に色々と準備できることはあったし、事務所で顔合わせをして「次はどうしよっかねえ」と雑談する時間で生まれてくるものがありました。
──プレイヤーにとっても、月に一回というのが、燃料の投下サイクルとして良かったんでしょうね。まさに齊藤さんの言う「ノイズ」を生み出す時間があったというか。
新城氏:
逆に、今のMMOやソーシャルゲームの開発者たちは、どういう時間の使い方をしているのでしょうか。日々更新作業があって、大変なのではないかと思います。私たちは毎月、プレイヤーの回答を楽しみに待ちながら、「どうしようかなあ」と運営内部で話していた時間があって、それが重要だったと思います。
齊藤氏:
ゲームによってまちまちですよ。ただ、今のMMOって大体30日周期でお金を頂くんです。そのスパンに大きく支配されるのはありますね。
本当は毎月イベントができればいいんですけど、クオリティもありますから、ウチの場合はそこを重視しているのをプレイヤーに理解してもらった上で、四半期単位でリリースします。もちろん、各四半期の中で大小様々なイベントやコンテンツを順番にリリースしていくので、一か月に一回は何かあるようにはしています。まあ、そこはロジックというより、飽きられないのはこの辺だろうという肌感での運用ですけどね。
新城氏:
でも、そのリズムって、究極的にはサラリーマンの給料が「月に1回支給される」というのが理由ですよね。まあ、私は人間の集中力のスパンは、社会生活の中で形成されると思っているので、そうなるのは納得がいきます。
中津氏:
なるほどなあ。ちなみに余談ですが、ライトノベルでは2ヶ月に1冊出すのが理想とされているんですよ。
【新連載】「とある魔術の禁書目録」は”格ゲー”世代? 鎌池和馬が語るゲーム史がラノベ作家に与えた影響【ゲーム世代の作家たち】
※『とある魔術の禁書目録』の著者である鎌池和馬氏は執筆速度が早い事でも有名で、その秘密については電ファミのインタビューでも語られている。
──それは興味深いですね。そのペースがちょうどいいのですか?
中津氏:
そうみたいですね。まあ、現実には次の巻が3ヶ月になり、4ヶ月になり、やがては10年……となったりするんですけど(笑)。
最近のラノベ編集者がよく言うのは、「2ヶ月ごとに出して、10巻で終わらせる」ですね。10巻以上続くと、もう新規が入ってこないので、強制的に入れ替えないといけない。結局、消耗単位が早くなってしまうんです。だから要するに、3年弱くらいで売れるシリーズを終わらせないといけないんです。
新城氏:
私がライトノベルを書いていた頃も、理想は2ヶ月に1冊だけど、現実的には3ヶ月に1冊だろうし、せめて半年に1冊は出しなさい……という感じでした。でも巻数については、当時言われたことはなくて、長ければ長ければいいという感じでしたが、適切な終わりの時期という話があるんですか。
中津氏:
今は出版点数が増えてしまったので、書店での占有率の問題があるんですね。何年待ってもファンが買うのなんて、もう小野不由美さんの『十二国記』【※1】くらいですね。
あと、子供の人気が高い作品は、学年の問題もあります。小学生の子が中学生になると、途端に読む作品が変わります。突然、海外ファンタジーを読みだしたり、伊坂幸太郎【※2】を読みだしたりして、そうなるともう二度とラノベには戻ってこないですね。
新城氏:
なるほど。消費スパンが3~4年になるわけですね。実際、人生の節目はそのくらいのスパンで来るものだと思います。
※2 伊坂幸太郎
1971年生まれの小説家。日本を代表するベストセラー作家のひとり。2000年に『オーデュポンの祈り』(新潮ミステリー倶楽部賞)でデビューし、『重力ピエロ』(2003年)でブレイク。その後もヒット作をつぎつぎと世に送り出し、映画化された作品も数多くある。
老人がプレイバイメールをやる時代
──そういえば、バカバカしいようですが「学生時代」というのもコンテンツ消費における、巨大なテーマですよね。よくMMOでは「ネトゲは青春のゲームだ」という言い方があるんです。長い時間を費やすジャンルなので結局、10代~20代のモラトリアム期間にしか、なかなか楽しめないゲームなんだという(笑)。『蓬萊学園』なんかも同様だと思いますし、当時の日本の若者のエネルギーを感じますね。
新城氏:
ただ、『蓬萊学園』が成立した理由として、日本が91年まではバブル経済で大学生も十分にお金を持っていた、という身も蓋もない話はあります。しかも、大学サークルもまだ機能していた。
以降の日本では、そういう状況は失われていきます。ビジネスモデル的に言うと、若者を相手にこういう商売が成立した最後の一瞬だったんですね。
中津氏:
確か登録料が3000円で、月の会費が1000円でしたよね。それ以降は、オタク文化でお金を稼ぐ場所はコミケに移行しちゃいましたね。
──残念ながら、現代日本の大学生には、80年代~90年代前半くらいほどのお金や時間の余裕もないし、これほど優れたオタク仲間もいないのは厳然たる事実でしょうね。齊藤さんは、この辺はどう思いますか? 現状ではビジネスモデル的に不可能なのでしょうか。
齊藤氏:
でも、『蓬萊学園』は全盛期に3500人~4000人が参加していたわけですよね。それは結構なコミュニティですよ。
彼ら向けの商売ってことで言えば、作品単体で完結しないで、二次利用でいかに稼ぐかという発想もありますから。あるいは、F2Pモデル【※】にする手もありますよね。課金する人間の割合は限られていると言うけど、『蓬萊学園』みたいな世界観なら、全員がペイユーザーみたいなもんでしょう。その人たちがその作品をめちゃめちゃ愛して、めちゃめちゃ深く「お布施」してくれると思います。
※F2Pモデル
Free-To-Play(フリー・トゥ・プレイ)制の略称。課金制ともいわれる。基本料金が無料のオンラインゲームのことで、ゲームをより有利に楽しくプレイするための有料アイテムへの課金制を敷くことでマネタイズを図っている。
中津氏:
団塊ジュニアも、お金を使えるようになってきたしなあ。
新城氏:
まあ、でも実際に団塊ジュニア世代の老後は、老人ホームがアニソンの巣窟になってると思いますよ。
※エンタメを消費する主な世代のうち「15〜19歳」、「20〜24歳」、「25〜29歳」の人口は、2025年には約1700万人(1995年と比較して約62%)まで減少し、50歳以上の「昔からエンタメを消費していた世代」の人口の割合が多くなるという推計が出ている。
中津氏:
実際、団塊ジュニアの老化問題はあるんです。20年前に「コミケに子どもを連れてくるか」が論争になったのですが、とうとう最近は「疲れたからコミケを引退するか」という問題が流行りだしている。今や、もうそういう時期ではあるんですね。
齊藤氏:
まあ、俺なんかは老後はネトゲをやってると思いますよ。ネットの環境が安定していて、物価が安い地域に住めれば、もうそれでいい。
──あるいは、老後のおじいちゃんたちの身体と頭の運動にプレイバイメール……ですかね(笑)。
新城氏:
実際のところ、もうすぐ『蓬萊』30周年なのでこの記事をきっかけに何かやってもいいかなと思ってるんです。25周年のときは「何かしようか」と話しているウチに終わってしまったので、3年は準備が必要なんだな……と身に染みまして(笑)。
齊藤氏:
じゃあ、もう「大人のためのプレイバイメール」とか作っちゃえばいいんじゃない?
選ばれし2000人で、1人1万円。その代わり大人の礼儀として、お前はもうインターネット使うんじゃねえぞって(笑)。
一同:
(笑)。
新城氏:
まあ、ポストAKB時代ですから、何でもありですよね。ちなみに、一月2000万円いただけるなら、他の仕事があっても、これに余裕で集中しますよ。というか、2000人宛に、2000人しか読めない小説を書いて送ります(笑)。
まあ、実際のところ、今後ネットが発達したときに、小説でどう稼ぐべきかは考えるんです。それこそ、クラウドファンディングで「新城カズマの新作小説読みたい人集まれ〜」って呼びかけて、たった1人の人間が全額払ってくれた場合、他の読者さんのことは考えずに「一人宛の大河小説」を書いてもいいわけで。
齊藤氏:
だから、そこは10万円ずつのお布施にして、でも1000人に均等なバランスで主人公が関わらないようにするわけですよ。で、その権利を巡って、プレイヤーがゲーム、いや課金をすればいい。
一同:
(爆笑)。
中津氏:
そんな悪いことばかり考えてるから!
齊藤氏:
もし、やるならだよ(苦笑)。でも、実際にクラウドファンディングで、新城さんが「あなたのキャラクターでお願いされた内容を書きます」なんて言って、1万円で1回、2万円で2回、10万円で30回とか書くとかいいんじゃないの。
新城氏:
ついでに、握手券でも入れちゃいますかね(笑)。