新世代オタク文化の先駆けとしての『蓬萊学園』
──さて……あまりに収録が長引いていて(※編集部注:最終的には7時間にわたる取材が行われた)、齊藤さんは先ほど帰られてしまったのですが、ここからガラリと話題を変えて、大きくサブカルチャーの枠組みの中で見た『蓬萊学園』と新城カズマさんについて考えてみたいです。まあ、先ほどの齊藤さんの話だと、相当に現代で再現するのは難しそうだという結論ですが……。
中津氏:
そりゃ、齊藤さんはシビアに見る職業の人だもん(笑)。
新城氏:
いや、でも私には、さっきの話は「発見」でしたよ。
つまり、現代はインターネットに常時接続されていて、しかもデフレが長期化して若者がお金を持っていない。まさに90年時点の日本で『蓬萊学園』を可能にした条件とは、皮肉なことに全く逆の状況が現れてしまっているのですよね。
──そういう物質的な条件はぬぐいがたくあると思うんですが、もう一つ文化論的な条件も考えてみたいんです。90年代初頭は、まさに電ファミニコゲーマーの母体になっているKADOKAWAグループの「角川書店」に象徴される、「新しいオタク文化」がまさに外に飛び出ようとしていた瞬間でした。「蓬萊学園」にも、その空気は存分に反映されているなと思います。
新城氏:
そうでしょうね。担い手もみんな20代前半で、プレイヤーも学生が多かったですからね。学園モノのような設定でゲームが作れたのは、そういう面もあったのでしょうか。
中津氏:
『蓬萊学園の冒険!』が発表された当初は、言うほどメジャーな小説やマンガなどに「巨大学園」モノがあったわけではないと思います。『コータローまかりとおる!』(1982年)、『とっても少年探検隊』(1984年)、『徳川生徒会』(1986年)ぐらいで、『コータロー』を除けば、コミックス1、2巻程度でおわる小作品でした。けれど団塊ジュニアが受験戦争に翻弄されていた時期だけに、『究極超人あ~る』(1984年)みたいな破茶目茶な学園生活ものへの憧れは底流としてあった気がします。
そこに中村博文さんの圧倒的な画力をベースにSFやオカルト、ファンタジー要素満載で、設定マニアを唸らせるゲームコンテンツとして『蓬萊』が出てきたのは、かなりの衝撃でしたよ。
新城氏:
実際、先ほども話しましたが、準備の当初は「巨大な高校」という時点で困惑がありましたから。
──やはり、学園を舞台にしたRPGという発想は、当時としては圧倒的に斬新だったのですね。それにしても、その発想はどこから生まれたのでしょうか。
新城氏:
『88』がクトゥルフみたいな作品が好きな当時の学生が生み出したとすれば、『蓬萊学園』は私の少女漫画趣味が出ていますね。
実は、『蓬萊学園』の元ネタは一つ明確にあって、『燃えよ!孔雀学園』【※】という少女漫画なんです。
南の島にある巨大学園が独立運動をするという物語だから、まさにそのまんま。実は学園漫画というのは、そもそも70年代の少女コミック【※】に系譜が脈々とあったんですね。
※70年代の少女コミック
1970年代の少女漫画の世界では、英国寄宿舎ものを経て、ありえないような超絶設定の学園ものが次々と出現していた。和田慎二の『スケバン刑事』(1972年〜1982年連載)などの学園支配ものもその一環といえる。
──この時代に既に『魁!男塾』【※1】とか『うる星やつら』【※2】は当然もうあったけど、新城さんはその源流から押さえていたイメージですね。
新城氏:
当初3万人の巨大学園という設定を考えたとき、「こんな学園はないだろう!」と思っていたんです。ところが、『コータローまかりとおる!』【※3】が2万人の巨大学園だと知って、困った記憶があるんですよ。じゃあ10万人にしてしまえ……となったんですけど(笑)。
ただ、そのお陰でクラス数も増やすことになり、結果的に部長やクラスの生徒のNPCをどんどん充実させるキッカケになりました。実は小説版で登場したキャラも、この時点で既に設定があったキャラが沢山いますね。
※1 魁!男塾
「週刊少年ジャンプ」に1985年から1991年まで連載された、宮下あきらの漫画作品。コミックは全34巻。1988年にはフジテレビ系列でアニメ化もされている。全国から不良少年を集め、スパルタ教育を施す「男塾」を舞台に、塾生の友情や死闘を描く物語。
※2 うる星やつら
高橋留美子の漫画作品。主人公の高校生・諸星あたると宇宙人の美少女・ラムを中心としたラブコメディタッチのギャグ漫画であり、「週刊少年サンデー」で1978年から1987年にかけて連載された。1981年にはアニメ化され、放映期間は4年半にものぼる長寿作品となった。初期こそ学園ものであるが、話が進むにつれSF、恋愛、妖怪、伝奇、冒険、格闘など多種多様なジャンルを横断して展開していった。
──このゲームが後世に与えたインパクトを考えると、学園モノの系譜がラノベ文化のような場所に浸透するのに、一つ影響力を及ぼした気はしますよね。
新城氏:
であれば、嬉しいですけどね。
オタク文化の覇権が、SFからゲームへと移行
新城氏:
それに、私の感覚を言うと、この時期にオタク文化の中での覇権が「SFカルチャー」から「ゲームカルチャー」に切り替わりました。90年代を境にして、「電源ゲーム」がぶわーっと増えていく一方で、SFは一気に「冬の時代」と呼ばれる状況に突入していく。
それまでの世代からすると、SF小説の古典を読むのって当たり前だったんですよ。それが、その後は違いますからね。
中津氏:
SFやミステリというジャンルは、古典を読まないと馬鹿にされる空気があるんですね。
──少し読者に補足しましょう。SFというジャンルは20世紀、今のような単なるフィクションの一ジャンルではなかったんです。アイザック・アシモフ【※1】のような科学者と二足のわらじを履く作家もいれば、J.G.バラード【※2】や筒井康隆【※3】のような現代文学の最先端をゆくテクストを書く作家もいて、さらには『日本沈没』の小松左京【※4】が大阪万博を手がけたり……という事例もあった。
つまり「科学の時代」である20世紀に相応しい、前衛的かつエンタメでもある知的な総合芸術として、SF文化は存在していたんです。しかも世界中にファンコミュニティが形成されていて、そこには「プレ・オタク文化」とでも言うべき文化が広がっていたんですね。で、日本のオタク文化の第一世代なんかは、まさにこのSFファンの集まりに出自を持っています……ということでいいんですよね?
※1 アイザック・アシモフ
1920年生まれの作家、生化学者。ロシア生まれのユダヤ人で、幼少期にアメリカに移住し、1992年に没した。アーサー・C・クラーク、ロバート・ハインラインと並ぶ20世紀最大のSF作家と目される。また、科学者としての顔ももち、生命や宇宙についての数多くの論考を発表した。著作は500冊を超え、代表作には『われはロボット』、『ファウンデーション 』シリーズ、『黒後家蜘蛛の会』、『空想自然科学入門』などがある
※2 J.G.バラード
1930年生まれのイギリスのSF作家。1960年代から1970年代にかけて隆盛を極めたニュー・ウェーブ運動の代表的な作家のひとりである。ニュー・ウェーブ(NW)とは、バラードの象徴的な言葉に従えば、「SFは外宇宙より内宇宙を目指すべきである」という指標のもとにつくられた作品群のこと。代表作には『クラッシュ』、『太陽の帝国』、『残虐行為展覧会』など。2009年没。
※3 筒井康隆
1934年大阪府大阪市生まれのSF作家。SF作家の範疇に留まらず、戯曲、評論、純文学、ジュブナイル、エンターテイメントなど境界なく幅広く手がけ、果ては俳優としての活動などにも実績がある。パロディ、ナンセンス、ブラックユーモアなど知性に裏付けられた風刺や、既成の概念や形式を打ち崩す作風で、『虚航船団』に代表されるメタフィクションものも多い。
新城氏:
ええと、この辺の「おたく」の登場とSF衰退の過程を正確に描写すると、政治的な問題とかが色々と発生するわけですが(笑)……まあ、ざっくりと言っちゃいましょう。
やはり分水嶺だったのは、スター・ウォーズでしょうね。「SW以前/以後」が大きくあって、小松左京なりアシモフなりをSFの王道とする流れとしたら、その後は『SW』だの『ガンダム』だの『イデオン』【※】が新しい流れだという話になる。
中津氏:
今の話、SF好きは「いやいや、その前にバラードの登場でNWが」とか、僕にも実感をもって分からない話を色々と言うと思うのですが、それは今回は措いておきましょう(笑)。
で、ガイナックスの立ち上げメンバーなんかは、オタク第一世代の有名人ですが、このSW以降の流れにコミットした連中です。その結果、彼らは当時のSF本流からは「あいつらはダメだ」と否定されてしまうんです。彼らの一人が2時間リアルタイムで「SW全再現」をやったら、「あんなものは芸じゃない」とdisられたりとか。
新城氏:
そうでした! そこには、「SFに芸が必要か」という別の論争テーマがあるわけですね。
──もはや何だかよく分からないですが、とりあえずSFファンダム【※】が闇鍋をぐつぐつ煮込んだような状態の、謎に煮詰まったコミュニティと化していたのは伝わります(笑)。中津さんたちの世代は、そこに敷居の高さを感じてしまったんですね。
※ファンダム
英語の“fandom”のことで、作り手と読者の距離が近く、一種のコミュニティとして連帯していく文化や、作家や読者、編集者や翻訳家も交えた共同体のことを指す。趣味性の強い内輪なコミュニティで、熱烈なファンという立場からのちに作り手となる人も多い。
中津氏:
そんな状況でSW以降、さらに小説でもファンタジーブームが起きるんです。それが、ぐあーっと色々なものを洗い流していきました。
──なるほど。富士見ファンタジア文庫、角川スニーカー文庫、電撃文庫とかの、あの辺の作品ですかねって……明白にその戦犯は、いまKADOKAWAグループに集まってる連中じゃないですか(笑)!
新城氏:
で、日本においては電源ゲームの「ドラクエ」が、最終的にその流れを全て持っていくことになり、もう何かもが打ち流されていきました。
──日本のSF衰退にトドメを刺したのは、実は「ドラクエ」だった(笑)。まあ、日本人のファンタジーのイメージを決定づけたのは『指輪物語』【※1】や『D&D』【※2】だとかではなくて、間違いなくドラクエですからね。
【堀井雄二インタビュー】「勇者とは、諦めない人」――ドラクエが挑んだ日本人への“RPG普及大作戦”。生みの親が語る歴代シリーズ制作秘話、そして新作成功のヒミツ
※1 指輪物語
J・R・R・トールキンによる長編ファンタジー小説。冥王サウロン率いる闇の軍勢と、ホビットやエルフ、人間といった多種多様な種族が壮大な戦いを繰り広げる物語は、アナログゲームやコンピュータゲームにも多大な影響を与えている。
※2 D&D
Tactical Studies Rules社より1974年に発売された、世界初のテーブルトークRPG・『ダンジョンズ&ドラゴンズ』の略称。すべてのRPGの元祖としてコンピュータRPGも含めたジャンル全体に多大な影響を与えている。日本では1985年に発売された、通称「赤箱」と呼ばれるバージョンが有名だが、その後も版を変えて発売されている。2017年10月には、最新版である第5版が日本語ローカライズされ、発売された。
中津氏:
ちなみに、SF評論家の藤田直哉さん【※1】という人なんて、「今やSFの最先端はゲームにある」と言っていて、「ゲームをやっていないSFファンは、最新のSF事情を知らない」と仰るんですね。
なぜゾンビはゲームで大流行してるの? ガチゲーマーの若手批評家がゾンビゲーム史と共に徹底解説【『新世紀ゾンビ論』著者・藤田直哉氏インタビュー】
※1 藤田直哉
1983年生まれのSF・文芸評論家。2008年に「消失点、暗黒の塔──『暗黒の塔』第5部、6部、7部を検討する」で第3回日本SF評論賞選考委員特別賞を受賞。主な著作は『虚構内存在:筒井康隆と〈新しい《生》の次元〉』(2013年)、『シン・ゴジラ論』(2016年)などがある。
逆にその後、日本の小説でファンタジーを担っていったラノベなんて、『ソードアート・オンライン』【※2】になって、やっと本格的なSFが登場したくらいです。あの作品のヒットの理由には、初めてSFに触れた読者の驚きもあったように感じています。
ゲーム世代の「物語」観
──とはいえ、新城さんは明白に小説好きのSFファンですよね? 今のお話って、「活字メディア」中心だったSF小説のファンダムに、ガンダムやSW以降の「映像メディア」世代が登場して亀裂が走り、さらに「電源ゲーム」世代がそこに登場してきたという流れだと思うのですが、新城さんは明らかに「活字メディア」の人間だと思います。
新城氏:
ええ、メディアとして言葉に行ってしまうので、電源ゲームにも演劇にも行きません。やはり私は「文字」の人間なんですよ。
ただ、一方で私の出自はゲーム会社でもあります。真っすぐに小説家になった人間ではなくて、最初にゲームを制作していたし、今でもゲーム的なものは大好きです。そして、エンタメとしての小説も物語も大好きなのだけど、それよりも物語のメタルールを考えたり、ゲームのパラメータをいじるような発想で小説を考えたりする方が好きなのも確かです。
その意味で、やはり私はゲーム寄りの人間なのだろうなと思います。
──新城さんの世代のクリエイターって、電源ゲーム畑なら元チュンソフトのイシイジロウさん【※1】が典型ですけど、物語を徹底的にルールやパラメーターに分解していきますよね。というか、むしろそうした「形式」から生成される存在として、物語を見なしたいとでもいう強烈な意思を感じるんです。新城さんと同世代で90年代に一世を風靡した、「新本格ミステリ」【※2】の作家にも同様な情熱を見ます。でも、この世代の欲望はどこから生まれてくるんだろうか、と。
「小説の大部分はAIに書かせてます」――AI時代のストーリー創作術を、『428』イシイジロウ×『刀剣乱舞-ONLINE-』芝村裕吏が語り合った!
※1 イシイジロウ
1967年生まれのゲームクリエイター。『不思議のダンジョン 風来のシレン外伝 女剣士アスカ見参!』や『3年B組金八先生 伝説の教壇に立て!』の制作に携わる。現在はフリーランスのクリエイターとして主にアニメの場で活動している。
※2 新本格ミステリ
1980年代後半から1990年代前半のバブル期を中心に勃興した、「たった一行で世界が変わる」という謎解きの理想を追求するようなミステリ小説ブームのこと。一般的には、絢辻行人のデビュー作にあたる『十角館の殺人』(講談社ノベルス/1987)により火がついたとされ、以後、講談社ノベルスと東京創元社という二つの出版社が数多くの小説を刊行し、ブームに大きく貢献した。そのほかの代表的な作家として、法月綸太郎、我孫子武丸、歌野晶午、有栖川有栖、北村薫、山口雅也、折原一などの名が挙げられる。
新城氏:
私の世代で、同じような発想の人が、ついついゲーム畑に行ったのはあると思いますよ。我々の世代が最初で、それが一般化したのはあるかもしれない。自分のような発想の人間が後続でどんどん来てくれて嬉しい、という想いは実はあるんですよ。
中津氏:
今や、そういう発想の方が主流になってると思います。むしろ下の世代なんて、初めて読む長文がゲームだったりしますからね。ただ、こういう発想は、確かにある時期までは一般化していなかったと思います。同時に発生したような印象はあるんですけどね。
新城氏:
起源はTRPGでしょうね。やっぱり『D&D』でのゲイリー・ガイギャックス【※】の発明だと思いますよ。
それまで、軍事シミュレーションで「部隊」のような集団に数値を割り振ったゲームはあったけど、キャラクターにいきなり数値を割り当てたのは彼、もしくは彼の周辺の誰かの発明でしょう。実際、私自身の記憶でも、子供の頃にアメリカで『AD&D』のルールブックのマニュアル3分冊を読んだのが、キッカケだった気はしますからね。
【SLG編・第1回】コーエー『信長の野望』は歴史の特異点なのか? まず人類がゲームで戦争をシミュレーションしてきた歴史を省みよう【ゲーム語りの基礎教養】
※ゲームやアニメを中心に活躍するフリーライター・多根清史氏による連載のSLG編の第一回。本稿では、『D&D』に連なるウォーゲームの歴史について詳細に論じられており、上記で言及されている「キャラクターにパラメーターを持ち込む発想」の源流をウォーゲームのはしりであるH.G.ウェルズの『リトルウォーズ』に求めている。そこでは、ミニチュアゲームの発想をウォーゲームに輸入することによって、コマがキャラクター性を帯び、それが『D&D』を始めとするTRPGの出現を促したと分析されている。
新城カズマはどういう経歴なのか?
──あの……ふと思ったのですが、新城カズマさんの経歴ってどういうものなんですか? 今のお話を聞くと、子供時代にアメリカにいらっしゃったようですが、あまりお聞きしたことがないですね。
新城氏:
読書歴の話をすればいいんですかね。
小学生の頃から、SFやファンタジーが好きでしたね。最初はスミスの『銀河パトロール』【※1】で、ファンタジーは最初、「ナルニア国物語」【※2】を読んだのかな。その後に『指輪物語』を読んでいます。当時、日本語になっていたファンタジーは大体読んでいます。
で、当時の私は『指輪物語』を読んで、架空の地図を書き始めてしまったんですよ。
※1 銀河パトロール
SF作家のE・E・スミスが1930〜40年代に執筆した、スペースオペラを代表するシリーズ。地球人のキムボール・キニスンをはじめとする銀河パトロール隊の活躍を描いている。1984年に日本でアニメ化された。
──架空の地図ですか?
新城氏:
地図と言語にすごく興味があったんです。当然失敗したのですが『指輪物語』に登場するエルフ語の文法を独力で解析しようとしたり、旅の仲間の通るルート以外のルートも当然ありうるじゃないかと思ったりしたんですね。
で、「物語とは違う方向へ行ったらどうなるんだろう?」とか「ここに新しくものを描いたらどうなるんだろう?」なんて勝手に想像しているうちに、自分で考えたオリジナル異世界の地図を何枚も描いて、どんどん縦横に広げていったんです。
──普通の親が見たら大丈夫かと思うような、すごい光景ですよ(笑)。地図を通じて、物語の別の可能性を想像し続けているような子供だったわけですね。
新城氏:
当時から、もう私は全然やっていることが変わってないんです(笑)。
そして『指輪物語』と同時期に『AD&D』が登場したんです。当時の私は親父の転勤でシカゴにいて、現地の友人に借りて『AD&D』を読みました。読み始めてみると、当然ながら今まで読んだものとは違うんです。あれのシナリオ集やマニア向けのガイドを読んで、「こんな不思議なものがあるんだ!」と気づいたのが、最初のTRPG体験ですね。
──……あの、つまり現地で『D&D』にリアルタイムで触れていたんですか?
新城氏:
ええ。こう思いだしてみると、私は『D&D』を本場で目撃した、最初の日本人の一人だったかもしれないですね。
で、このとき、さすがに直感的に「こうすれば無限に物語が生み出せるぞ」と気づくわけです。しかも、当時はゲームブックもアメリカで流行りだしていて、『Choose Your Own Adventure』【※】という、ページを行ったり来たりしながらストーリーを進めていく本も買ってきて、遊んでいました。
※Choose Your Own Adventure
1979年から1998年にかけて米バンダム・ブックス社から発行された子ども向けのゲームブックシリーズのこと。読者が主人公となって、提示された選択肢を選びながら物語を進めていく(「家から出発するなら、4ページへ進め/待ってみることにするなら、5ページへ進め」など)。1998年までにスピンオフを含めて累計184作品が刊行されており、日本では『きみならどうする?』(1980)に6作品が邦訳出版されている。
ですから、この時点で、もちろん空想的な物語への興味もあったのですが、今ゲームと呼ばれるものに私が抱いている、「物語が無限に増えていくこと」への不思議な情熱も始まっていたのでしょうね。
中津氏:
僕がTRPGの話を知ったのは、安田均さん【※1】たちがコンプティーク【※2】で記事を書き出してからだったので、だいぶ後ですね。安田さんの場合は翻訳者をやっていて、それで知ったそうです。TRPGの翻訳を始めたら、当時の周囲のミステリファンたちから、「そんなものに手を出すんじゃない」と注意されたと聞いています。
※2 コンプティーク
1983年創刊のゲーム雑誌。通称は「コンプ」。現在もKADOKAWA(角川書店)より月刊で発行中。当初はPCやファミコンゲームを主に扱っていたが、次第に現在のように美少女ゲームやコミカライズ作品の連載を中心とした形式へと変わっていった。1986年に『ロードス島戦記』のリプレイが最初に掲載されたのも本誌。実は中津宗一郎さんも編集者として在籍していた時期があった。
新城氏:
80年代の日本で、そこにいち早く敏感に反応していたのが関西では安田さんであり、関東では遊演体の私の先輩たち【※】ですね。で、日本に帰国して慶応大学に入ったとき、ちょうど先輩にそこのメンバーがいて、遊演体に話が繋がっていくわけですね。
※ 遊演体の私の先輩たち
当時、慶應大学には「慶應HQ」というアナログゲームサークルがあり、早くから商業誌上でボードシミュレーションゲームやTRPGの開発・紹介などを行っていた。ここの重鎮が、『Wizardry』日本語版を開発した多摩豊氏である。後に遊演体を立ち上げる門倉直人氏や有坂純氏なども「慶應HQ」の出身だった。
──いま聞いてビックリしてるのですが、新城さんってTRPGのアーリーアダプタ中のアーリーアダプタで、しかも完全に本場仕込みじゃないですか。
新城氏:
いや……ただ、私はコミュニティが周囲になかったので、遊べてはいないんです。ルールブックを読んで、色んな物語の可能性を妄想していただけです。日本に帰ってきて大学生になって、ようやくTRPGが日本にもあることを知ったくらい。しかも、実はTRPGそのものにはハマれなかったんですよ。というのも、時間の余裕がなかなか無くて……(笑)。
中津氏:
あの頃の空気を言った方がいいですね。
当時はまだ翻訳も少なかったから、TRPGは英語の辞書を片手に楽しむ時代です。【※】なかなか手を出せる人は少なかった。なにせ「halfling」がホビットではなく、「半獣半人」と訳されていたような時代です。ファンタジーの基礎知識が浸透していなかったんです。
そんな時代にTRPGを本気でやってた連中は、そりゃ凄いですよ。もうハマってしまって抜けられないから、その意味でPBMは少し薄いオタクたちの遊びだったんです。意外とTRPGを本気でやってた連中は、PBMには少ないんですよ。
※『トラベラー』の日本語版発売が1984年、『ダンジョンズ&ドラゴンズ』の日本語版が1985年、日本初の国産ファンタジーTRPG『ローズ・トゥ・ロード』を門倉直人氏と多摩豊氏が作り上げるのが1984年。それ以前の時代ではTRPGは自力で輸入し、辞書と格闘しつつ翻訳して遊ぶしかなかった。
──それにしても、新城さんは当時のオタクの中でも、だいぶ血筋が違いますよね。結果的に常に一歩先を行く存在としていたというか。
新城氏:
まあ、親父の転勤だとか先輩の起業だとかに巻き込まれての、「偶然の産物」ですけどね。
例えば、私はスターウォーズの一作目『新たなる希望』(当時はただのStar Warsでしたが)を、アメリカの劇場で封切り時に見ているんです。そういう意味では、最も早くあの作品に触れた日本人の一人なのですが、これも日本国内にいなかったのが大きいですからね。
ともかく私はあの頃のアメリカで、「無限に世界を作っていいんだ」「言語を作っていいんだ」と気づかされた気がします。
──帰国してからは、日本でのオタク文化をどう見ていましたか?
新城氏:
実は、大学在学中も「角川カルチャー」的なものには触れていなんです。
初めて挨拶に行ったのも、遊演体の広告を打ったときです。その後はライトノベル作家になったのですが、うーん……「外様」感は抜けないですね。正直なところ、自分はこの流れの本流ではないと常に感じていて、だからこそ逆に客観的に状況を見つめていたことが、現在の仕事に繋がっているのだと思います。
中津氏:
93、4年頃に角川スニーカー文庫でご一緒しましたよね。そのとき、なぜ遊演体に営業をかけて、小説を書かせていなかったのか、不思議に思った記憶があります。実際、遊演体さんにしても、グループSNE【※】のような道はあり得たと思うんです。
新城氏:
当時、小説家になりたかったのは私だけで、しかもネットゲームは忙しいから、角川に企画を持ち込む時間的な余力は無かった。それだけですね。
しかもSNEさんとは、組織の上下ともに規模が違いますから。遊演体の人的資源の供給源という意味では、ヘッドクォーターになってもおかしくなかったくらいです。だいたい、慶応大学のサークル上がりのメンバーも、私より下の世代にはいません。元プレイヤーさんや中津さんみたいな人をヘッドハンティングして声をかけて、何とかやっていただけですね。
「物語工学論」はどこまで進んだのか
──たぶん、ほとんどの小説読者は新城カズマのキャリアの最初に、『蓬萊学園』が存在していること自体を知らずにいると思うんです。
でも、ここまでの話を聞けば、なぜ新城さんが「キャラ/キャラクター論」や「物語工学論」のような論考を発表してきたのかは明白ですね。というか、そもそも『蓬萊学園』が生み出した最大の才能は、間違いなく小説家にして物語評論家としての、新城カズマでしょう(笑)。
ちなみに、最近はこの辺の仕事はどんな状況なのでしょうか。
新城氏:
実は、既にかなり進んでいまして、続編の書籍化を探っているところです。三宅陽一郎さんの『人工知能のための哲学塾』【※】などを読みつつ、「ほー、勉強になるわ!」なんて一人で言いつつ、作業は進めております。
ただ、工学と名付けるからには商品化や再生産のための理論に向かうのが理想ですが、どうも最近は「一般物語理論」のような方向に思考が向かい始めているのですね。その目鼻がぼんやりと見えつつある状況です。
──工学から理学へ向かいつつある(笑)。凄く興味深いのですが、例えば「物語元型」みたいなタイプの議論でしょうか。
新城氏:
物語研究には色々な歴史があって、まさに私はその方向性です。
ただ、最近はそこからさらに発展させて、そもそも「人間がなぜ物語を必要とするのか」や「どこまでが物語なのか」、そして「物語ではないものと物語の関係性は何か」──のような話を短い言葉で表現できないかと考えだしています。
──面白いですね。ちなみに端的に訊いてしまうと、どういう仮説を現時点ではお持ちなのですか?
新城氏:
いま考えているのは、「物語とは、より巨大な存在の部分集合に過ぎない」ということですね。じゃあ、その巨大な存在とは何かというと──もはや人間の言語なり思考なりと区別がつかない「何らかの存在」なのではないか……と考えております。しかも、それは既に、ほとんど解答は出ているように思うんですよ。
──そうなのですか?
新城氏:
ええ。例えば、単に「記号」や「信号」を用いて交信するだけなら、別に昆虫や動物でもやっているわけです。
それが因果関係を理解して、情報を圧縮して「意味」を生み出して、認識の枠組みまで作るとなると、ほぼ「物語」と区別が付かなくなっていくのだと、私は思うんですよ。人間の脳というのは、動物のように単に記号を理解するだけではなく、時間を理解して、因果関係を理解して意味を与えていくことができる。その行為そのものが、とても物語に近いのではないか、と。
中津氏:
僕なんかはそれを聞いて、SF作家の小松左京さんの「知性とは何か」の議論を思いだしてしまいますね。全く同じことを、彼は「何で宇宙に知性が生まれたのか」「何で宇宙に物語があるのか」と問いかけたように思うのですが。
新城氏:
ええ、だからこそ、様々な専門領域の「言葉の交通整理」をするのが、私の最近の個人的な課題になっているんですよ。
ある人は「人間は言語的動物で、言語なしには生きられない」と言う。一方で、ある人は「言語と物語は区別が付かない」という。一方で、「物語とは広い意味では世界観と呼ぶべきもので、一種の認識の枠組みである」と言う人もいる。
でも、結局は同じ話題を言葉を変えて言っているだけのように思います。こういう色々な議論を全て数珠つなぎにして、混乱を防ぐために交通整理をしていけば、実はこの100年くらいの、物語論についての記述は全て同じことを言っていたと証明できるように思っています。
ゲーム実況とeスポーツ
──なるほど……これは深遠な議論になりそうですね。
逆に、ちょっと新城さんの「物語工学論」を今回の議論に近づけてみたいです。例えば、以前に僕が新城カズマさんの本を読ませていただいて、大変に印象的だったのが「物語とスポーツ」を比較されていたことなんですよ。
新城氏:
ああ、やりましたね。
──本当に重要な指摘だと思うんです。例えば、物語と演劇なんかを比較する人は沢山見てきたけど、物語とスポーツを比較する人なんて見たことがない。でも、『蓬萊学園』のようなPBMを運営していた人間が、その発想に至るのは凄く分かります。PBMの誰もが物語に参加していくという発想は、近代スポーツの「全員参加」のアマチュアリズムに似ているじゃないですか。
新城氏:
それは、まさに本当にそうだと思いますよ。
一つ最近、思っていることを話していいですか。
物語工学を考えていると、ついつい隣接領域も考えてしまうんですね。例えば、ゲーム、小説、演劇はどう「物語」と接しているのか、とかね。でも、それを突き詰めれば突き詰めるほどに、スポーツや観光旅行も「物語」の隣接領域じゃないかと思い始めて、どんどん思考が広がっていく。
そこで、まずは分類から始めてみたのですが、色々と考えた挙げ句に──「伝聞」か「実体験」かが大きな分岐点じゃないかと思うようになったんです。
──なるほど。
新城氏:
実は「伝聞」というカテゴリーは、あらゆる物語を含めうるんです。一方で、「実体験」はその瞬間は物語ではないけど、「こんなことがあったよ」と「伝聞」した瞬間に物語になる。いや、ならざるを得ない。ここに2、3年前に気づいたんです。
──それって、まさに『蓬萊学園』が最高の実例でしょうね。ユーザーが一人で「実体験」していても単にそれだけのことですが、他のプレイヤーに新幹線だとかに乗って会いに行って「伝聞」して、その行動の結果が月報で更に大きく「伝聞」されることで、壮大な「物語」が構築されていくわけですから。
新城氏:
逆に言えば、物語にすることでこぼれ落ちるものこそが、最初の「実体験」なんです。
で、話を戻すと──その問題が端的に表れるのが、まさに「スポーツ」ですよ。同じスポーツでも、観客と選手では関わり方が違っている。野球選手が「じゃあ、お前も打ってみろよ」とファンに怒るようなすれ違いは、まさにこの「実体験」が選手の側にあり、あくまでも観客はスタジアムでの視覚や聴覚などを通じた「伝聞」で味わうことしか出来ないからでしょう。
──ゲーム周辺だと、日本のeスポーツ【※1】なんて、まさにこの問題に直面しているジャンルだと思いますね。実は通常の観戦スポーツとeスポーツを比較したときの決定的な差として、一つ「スポーツジャーナリズム」の欠落があると思うんです。往時の『Number』【※2】のような、eスポーツの優れた物語を提供するメディアがないんですね。
※2 Number
「Sports Graphic Number」誌の略称。1980年創刊の、文藝春秋が隔週で発行している総合スポーツ雑誌。スポーツライターによる特集記事やインタビュー記事、対談記事などが主な内容である。
新城氏:
ええ。スポーツジャーナリズムこそ、まさに「伝聞」ですよ。「実体験」でみんなが汗をかいてプレイしていることを、言葉で伝える仕事ですからね。ジャーナリズムは「お前も一緒に走ればわかる」とか言えませんから。
──よく「eスポーツは難しくて、一般人には理解できないのが難点」とか言われるのですが、「じゃあ、現代サッカーのフォーメーションを、サッカーファンは全員理解してんの?」とも言える。そこは難解な理論を啓蒙する一方で、それこそ選手の人生にフォーカスした「物語」を提供したりして、別方向から盛り上げたっていい。
そういう「Number」やサッカー番組みたいなライト層向けのジャーナリズムの存在こそが、実は観戦スポーツの裾野を広げてきたはずなんです。
新城氏:
スポーツとeスポーツの差を真面目に分析していくと、色々と見えてくるでしょうね。究極的には、どんなサッカーファンでも本当にボールを蹴っている選手の思考や心の揺れや肉体の疲れを体感することができない以上、「実体験」と「伝聞」の問題はつきまとうと思います。
一方で面白いのは、ゲームはフィクションであっても、「実体験」そのものを提供していることですよね。だから、ゲームで人間性が変化したり、感情が揺さぶられることは現実の出来事であって「疑似体験」のような言い方をする必要はないと思います。
──最近のゲームの動向を言うと、もうVRくらいまで来るとゲームが「実体験」そのものになることは肌で感じますね。一方で面白いのは、「ゲーム実況」が最強の「伝聞」のメディアになってることです。お陰で、ゲーム情報誌はどんどん存在意義を失っているわけです。
水口哲也のハチャメチャ人生が『Rez』で人類を進化(?)させるまで。「制約が創造を生む」なんて、もう言い訳しない【ゲームの企画書:水口哲也氏】
新城氏:
たぶん、伝聞「される」側が、どう実体験に近づくかという問題があるんですよ。これに対して私は「実体験感」という造語を作っていて、「実体験とは薄皮一枚違うけど、ほぼ実体験であるような感覚」をそう名づけています。
具体的には、自分が体験していないのに、あたかも体験したかのような身体的反応が生じてくる伝聞ですよ。これがある伝聞は、もうすごく活きるんですね。
──ゲーム実況は、まさにゲーム画面をまんま見せるわけで、紙媒体の攻略記事なんかより、よほど「実体験感」にあふれた「伝聞」です。そこで一番人気なのがホラゲなのも象徴的で、やっぱり実況であっても「実体験感」が強烈で、ついこっちも本当に「ヒャッ」と声を上げちゃうんです。
新城氏:
この「実体験感」のある伝聞は、色々な手法があると思います。例えば、「これは実話です」と言ってしまって誰かが実体験をしたと保証するだけで、社会的な動物としての人間は「数年前に誰かが泣いた実体験を私が読んだら、やっぱり泣くんだろうなー」とか思っちゃうわけです。
このメカニズムを私は解明したいですね。「実話です」と一言いうだけで、人間のテンションがちょっと上がる問題は、結構バカに出来ないですよ。
中津氏:
まあ、その問題を体現してきたのが、今から16、7年前のホラー小説業界ですね。元々、ホラー小説は「本当にあった~」と書くだけで売上がぐんと伸びる傾向があるんですが、最近の実話ホラーは、さらに一歩進みました。
「いや~この間、こんなことがあってね」みたいなセリフから始める小説がたくさん出ています。これを最初に始めたのは平山夢明さん【※】なのですが、平山さんも当初はジャーナリスティックな文体で書いていた人ですからね。しかしある時、──「いやもう俺は心霊スポットには行かないね」と佐藤くんは語ってくれた──という、会話体から始まる文章を発明されたんです。これには敷居を下げる効果もあって、実話怪談のブームにつながっていきました。
新城氏:
もちろん、他にも「実体験感」は色々なやり方で構成されるんですけどね。
例えば、バーゲンセールで「今回限り! あなただけ!」と叫ぶだけで、すぐに「実体験感」は湧いてきますよね。他にも、ちょっと身体を使う要素を入れるだけでも、一気に感覚が変わってくる。実は、誰もが知ってる技ばかりであるような気もしています。
大規模ゲームのための物語論
──そこでもう一つ聞きたいのが、運営がプレイヤーに、まさに「実体験感」などをいかに提供するかのノウハウなんですよ。
新城氏:
先ほどMMOについて、「夜警国家」という言い方をされていましたよね。
大規模に人を動員するゲームが、現代国家の「政治哲学」と同じ課題にぶつかって、解決法も同じ方向に導かれている。でも、本当は色々なやり方が試されていいはずだと思ってしまうんですね。
──確かに、ゲームだからこそ現実社会とは違う統治思想が試されたっていいと思いますね。ちなみに、新城さんはどういう立場ですか?
新城氏:
たぶん、私は「立憲主義者」だと思います。
メタルールが厳格に決まっていて、私自身もそれに従いながら運用しようとしたのが、『蓬萊学園』の方法です。でも、もっと「全体主義」で全て管理してもいいし、やりたい放題の「無政府主義」もあっていいはずです。
ただ、根本的には大規模ゲームの「運営学」みたいなものが必要なんだと思います。
──確かに、MMOもそうですが、そもそもWebサービスのプラットフォーム運営ですら、ほとんど手法の体系化は行われていないですからね。
新城氏:
もはや色々なジャンルが、個人の作家が頑張って制作するだけで成立するものではなくなってますからね。とすれば、「運営」のノウハウの知識化や体系化は欠かせないんです。
──そういう意味では『蓬萊』で盛り上がったのが、「謎本」【※】的な世界観の推理と「選挙運動」だったのは、興味深いと思います。要は、これってエヴァとAKBの先駆けだと思うんですよ(笑)。インターネットが登場しても、結局は大量の人間を巻き込めた物語の事例は限られていて、それこそAKBの総選挙のような手法をもっと発見する必要があるんだと思います。
※謎本
アニメ、漫画、ドラマ、映画といったフィクション作品に登場するキャラクターや設定をあらゆる角度から深読みし、制作者の意図を裏の裏まで考察・分析する非公式の本のこと。日本では、漫画『サザエさん』に登場する磯野家のひとびとの生活を研究した『磯野家の謎』(飛鳥新社/1992)がブームの発端とされる。
新城氏:
それは、大変に重要なことだと思います。
やはり通常の電源ゲームは、一人の主人公のドラマになっていきがちです。でも、PBMのようなゲームは自分たちがモブであっても、巨大な物語に巻き込まれている感覚を与えなければいけない。まさに「投票行動」なんかは、初期にそういう盛り上がり方を演出したものだと思います。
個人的には、「祭り」にそのヒントが多くある気がするんです。大きなモノをちょっとずつ全員で作ったり、バケツリレーをしたり、あるいは単に巨大な場所で店を行ったり来たりしたり、リズムに合わせて踊ったり……あの「祭り」の中に詰め込まれた手法は、個人が巨大なものに参加している感覚を与えるノウハウの集積であるように思います。
中津氏:
最近だと、『Ingress』【※】が上手でしたよね。
モブでも人を集めないといけないし、適度に不便なところもあれば便利なところもあって、誰もがチームのために頑張ることになる。僕なんてすっかりハマってしまって、『Ingress』を始めて1週間で100キロ歩いてしまって、もの凄く痩せました(笑)。
新城氏:
『Ingress』は素晴らしいですね。
自分がいつ主人公になるかもわからないし、ある日突然たった1人でどこかの岬にいたやつのお陰で勝てるかもしれない。
──ただ、その一方で現代のテクノロジーは、宗教や国家のような「大きな物語」を提供するよりも、むしろ個人にカスタマイズされた体験を与える方向にも進んでいますよね。
新城氏:
いやあ、それは今後のテクノロジー進化の方向性によりますね。
だって仮にVRが強烈に進化したら、ネットやマスコミが得意だった「伝聞」を省いて、直に実際の事件の「実体験」を共有するテクノロジーが一気に普及してしまうわけでしょう。現に、そのようにゲームとジャーナリズムを融合させようという試みも始まってますし。そうなると、もはや「物語」の根底にある「伝聞」と「実体験」の枠組みそれ自体が崩壊してしまう。だから、明確なことは言えませんけど、何が来ても驚かない準備だけはしています。
ただ、それまでは「物語」の知識は、今後人類にとって読み・書き・算盤くらいの必須教養になるかもしれないですよ。それこそ米軍がISISの殲滅のために、ナラトロジー【※】を利用できないかと研究していたりするわけですから。
※ナラトロジー
物語論のこと。物語のもつ構造や語りのもつ機能を分析する文学理論の一分野のことを指す。同様の関心のもとに古くから物語研究はなされていたが、一般的には1970年代にフランスの学者ジェラール・ジュネットが理論化したといわれる。
──「物語」って、その時々の統治者に利用されてきたものでもあるし、同時にその時々の人々が求めてきたものでもあるんですよね。それこそ国民国家にとっての近代文学って、そういうものじゃないですか。
新城氏:
基本的には、伝聞による共感のテクノロジーですよね。だからこそ、近代国民文学が近代民主制なんかとほぼ同時期に発生したわけですよ。
結局、その後も文学と近代民主制は並行進化しているし、行き過ぎれば「私が共感できる奴が仲間で、それ以外は敵だ!」みたいなことになっちゃう。「物語の悪用」とはそういうことだし、2017年の世界情勢でこれを食い止めることは、今も求められていますよ。
──「一般物語理論」は世界を救う(笑)。
中津氏:
大きな話になりました(笑)。でも、このくらいスケールが大きい話になると、かえって人間って納得してくれるものですからね!
終わりに
──という辺りで、そろそろ時間なのですが……最後に、今日お話をしながら一つ疑問に思ったことを訊きたいのですが。新城さんって、当時どうみてもペーぺーじゃないですか(笑)。しかも、TRPGのGM経験が豊富だったわけでもないですし、一体なぜ多くの人たちが『蓬萊学園の冒険!』についてきたんだと思いますか?
新城氏:
それ……私にも、全くの謎なんですよ。もちろん遊演体の知名度はあったと思いますが。
中津氏:
いやあ、プレイヤー視点で言えば、もう圧倒的な作り込みに信頼感を覚えましたから。もうね、『88』なんて全然作り込まれていなかったのが、設定もイラストも段違いにクオリティが上がってるわけですよ。
だって、私の周りで『88』に参加しなかった人間が、最初の広告で出た、中村さんが描いた『蓬萊学園』の剣を掲げたイラストを見て驚いていたんですよ。「ああ、凄い気合いが入ってる」と思って、私もパンフレットを金曜に手に取って、週末にPBM仲間が集まるであろう三島イベントにまで新幹線に乗って参加しましたから。
──でも、この「ゲームの企画書」でも、ゲームクリエイターが「作り込みの凄さ」はゲームへの安心感を生むという話はよくしてくれますね。間違いなく、熱気の込められた作り込みですよね。
新城氏:
結果的に、そういう部分で信頼感を得ていたのなら、大変に納得感はあります。まあ、イラストなんかは、私は横で見てただけですけどね。ただ、実際に基本的な部分で立てた戦略の、色々な判断が全て上手く行った印象はあるんですよ。
──そこは今日の話でだいぶ伝わったんじゃないでしょうか。では最後に、今後の活動について教えていただければ。
新城氏:
本業の小説では、新潮文庫nexさんのほうから『島津戦記』の2巻が発売されて、以後は文庫でシリーズとして続く予定です。それから『島津戦記』と共に「島津サーガ」を構成する、大坂の陣を舞台に真田幸村の息子が活躍する歴史小説『永遠の城』も双葉社さんのほうでウェブ連載しており、現在ちょっと休止中ですがまもなく再開予定です。あと、これは小説ではないんですが、今回のお話とも繋がるような話題について、憲法学者の木村草太さんとの対談本を光文社新書さんで出す予定です。
私個人としては今後、「物語工学」を発展させて、できれば「一般物語理論」にたどり着きたい。そして、ゲーム運営学のような議論も必要なのだろうと思いました。もし電ファミさんが、そういう場を与えて頂ければ頑張りますよ。
色んな人とお会いしてお話を聞かせて頂きたいなと思ってますので……!
──ちなみに、お会いしたい方とかいるんでしょうか?
新城氏:
ぜひ、伊集院光さんを! 私の宿願です。
中津氏:
伊集院光の「日曜日の秘密基地」【※】で一度『蓬萊学園』を使う・使わないですれ違ってるんですよね。
新城氏:
一度、「架空の変な学園を作っている人たちがいますよ」という投稿があって、「何か資料ありますか?」と聞かれたんです。ただ、「明日までに」と言われて「えーー」と答えているうちに、放送時間がきてしまったんですね。
──えー、本当に惜しいですね。もし、そこで頑張って資料を渡していれば、歴史が変わっていたかもしれない(笑)。
新城氏:
伊集院さんは魂の深いところで、今日の話の全てを理解できる人だと、私は勝手に思ってます。だって、彼こそ「投稿」から面白いものを提供していく達人ですからね。ゲームの楽しさと現実のギャップみたいなことも分かっている人だと思います。ぜひ一度、お話を伺いたいなと思います!(了)
7時間にわたる、熱気むんむんの座談会の記録となったが……さて実は初のアナログゲーム回(!)だった今回のゲームの企画書、皆さんはどうだったろうか。
この、1990年の『蓬萊学園の冒険!』は、さまざまな「常軌を逸した」噂を聞けども、実態がなかなか見えてこない、まさに「伝説」的なゲームとして語り継がれてきたものだ。それが今回、座談会に参加していただいた方々のみにとどまらず、本当に様々な当時のプレイヤーの皆さまの協力で非常に資料性の高い記事を制作することができた。
まずはこの場を借りて、協力してくださった多くの方々に感謝したい。
さて、この座談会で語られた内容については、実のところ筆者もまだ咀嚼し切れていない部分は多い。ただ、こうして記事を読み返して印象深いのは、当時おそらくはせいぜい20代前半だったであろう新城カズマ氏の、類いまれなGMとしてのスキルである。
それは無論、後に小説家として存分に発揮される物語作家としての才能や、言語や物理学の体系を一から設計してしまうルールメイキングの能力はもちろんのこと。何よりキラリと光るのは、おそらくは「プロデューサー」のレイヤーに属するような「判断力」にまつわる能力である。
こうしたリアルを巻き込んだゲームは、現在も多くの人が様々なジャンル名をつけては、挑戦を重ね続けている。実のところ、筆者もそういう制作者の取材をしたことは何度もあるのだが──新城氏ほど客観的かつ冷徹な目で、「ゲームやフィクションをリアルに持ち込みたい!」などという、二次元オタク全開な欲望の実現に関わっていた人は、なかなか見かけないように思った。
当人は「ミニマリズム」という言葉で表現していたが、前作の『88』から彼が抜き出してきた要素は、そのどれもがいかに敷居を下げて、多くの人を巻き込むかという観点に貫かれている。そして、運営中の判断もまた、プレイヤーの熱気をまるで合気道の達人のようにヒラリと返しながら、公平性を重んじた納得感のある意思決定で熱気をさらに盛り上げていく。
自身を「立憲主義者」とした氏であるが、その見事なまでの「君主ぶり」の安定感こそ、多くのプレイヤーが安心して大暴れできる下地を整えたのではないだろうか。実のところ取材中も新城氏が、ある意味では最も飄々と当時の出来事を語っており、そのスタンスがどうにも愉快に思えたものだった。そんな氏の不思議な「個性」こそが──この『蓬萊学園の冒険!』1年間の伝説の、大いなる要因だったのではないだろうか。
ちなみにSF作家でもある新城氏については、様々な場面で「どうして先々の事が読めるのか」と、その予言力に周囲がしばしば驚くと近い人から聞いたことがある。まるで名作SF『フェッセンデンの宇宙』のごとき社会実験を経て、氏の「判断力」はますます研ぎ澄まされ、予言者の域に達しているのだろうか。そんな新城氏によって最後に語られた「一般物語理論」の全貌やいかに。
いちファンとして、その続きを楽しみに待ちたいと思う(いつ出るんでしょうか…笑!?)。
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