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なぜサトシは戦わないのか? ポケモンがRPG史に成し遂げた達成:「なんでゲームは面白い?」第五回

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 昨年11月に『ポケットモンスター サン・ムーン』が発売された。この「ポケモン」シリーズの最新作は、全世界に向けて発売されると同時に300万本を超え、11月の発売にも関わらず、国内家庭用ゲーム市場としては2016年における年間ベストのセールスを記録した。

『ポケットモンスター サン・ムーン』
(画像は任天堂ホームページより)

 ゲームのみならず、あらゆるエンターテイメント分野においても世界有数の人気を誇る大人気タイトル、それが「ポケットモンスター」(以下「ポケモン」)である。

 第1作目から20年の時を重ねるなかで、世界的に大ブームを巻き起こし、「ポケモン」はこれまでに様々な語られ方をしてきた。

 例えば、このゲームを語る上で欠かすことのできない最も重要な要素が、通信ケーブルを用いた異なるプレイヤー同士の「通信交換」だ。この要素によって、直接データのやりとりをすることを通じて、従来では交わらなかったはずのプレイヤー同士が交流できるようになった。そのことで、一人で遊んでも十分に楽しめる「ポケモン」というゲームの面白さが何倍にもふくれあがり、ブームが加速していったのは間違いないだろう。今さら触れるのが滑稽なほどに「ポケモン」を語る上で重要な要素、それが「通信交換」である。

 しかし、「ポケモン」というゲームの革新性を語る上で、あまりにキャッチーな「通信交換」の影に隠れ、ほとんど語られないことがある。

 それは主人公のサトシ(ゲーム中で任意に名前は決められるが、この文章中ではサトシとする)が、ポケモン同士の戦闘に直接的なかたちでは参入せず、後方からポケモンに指示を出したり、アイテムを使用したりする「後方支援型」のスタイルを取っているということだ。
 自ら前線に立って戦わない主人公、それがサトシだ。

なぜサトシは戦わないのか? ポケモンがRPG史に成し遂げた達成:「なんでゲームは面白い?」第五回_001
主人公が自分では戦わず、「後方支援」に徹するスタイルは最新作に至るまで共通している。
(画像は『ポケットモンスター サン』)

 もちろん現在、その決断が全くもって正しかったことは誰にでもわかる。ポケモンという生態系を構築し、その中で戦闘を完結させたからこそ、「ポケモン」は「ポケモン」足り得ている。そこに人間という存在が加わったとしたら、生態系の根幹が崩れかねない。その意味で、このゲームにおける最大の英断であったと言っても過言ではないだろう。

 だがこれは、決して当たり前のことではない。サトシが戦闘において直接的には全く攻撃せず、最後まで「後方支援型」というポジションから一歩も動かないという事実は、当時の、いや現在のRPGの常識から考えても非常に異質なことなのだ。
 例えば「ドラゴンクエスト」もある時期以降、馬車システムとAIシステム【※】を導入し、主人公に全体の指揮者的な役割を与えるようになった。だが、それでも主人公が直接戦わないということは”ない”のである。

 「ドラクエ」であれば勇者にも相当するRPGの主人公・サトシは、一体なぜ「後方支援型」という自らのポジションを堅持し続けたのだろうか。

※AIシステム
『ドラゴンクエストIV 導かれし者たち』から導入された自動戦闘プログラムのこと。「ガンガンいこうぜ」「いのちだいじに」など、大まかな戦闘方針を与えることによって、CPUがその場で最も適した行動を判断・実行してくれる。

サトシは「卑怯」な存在なのか?

 サトシが戦闘に直接参加しないことの異質性は、むしろゲーム以外の分野の人間から指摘されていたりする。例えば、アニメーション映画監督の細田守は、過去に「後方支援」的な主人公の在り方についてこのような指摘をしている。

細田 まあ、もうちょっと物語寄りの理由を言えば、ネット世界で友達(パートナーのデジモン)が戦っているのに、自分は自宅にいて一歩も動かない。この差を出したい、という意図もあったから。

小黒 ああ、なるほど。友達を戦わせて、太一達は楽している、と。

細田 そう。それでいいのか、自分は安全な場所にいる事に罪悪感はないのか、と主人公を追いつめたかった(笑)。『デジモン』もそうなんだけど、最近、「後方支援型」とでも言うような作品が多いですよね。そういう作品を見ると、何か違うんじゃないかと思います。仲間(デジモン)が身近で戦っているなら、主人公ももっと応援したり、走り回ったりしたらどうなんだ、と思うんですよ。

小黒 つまり、パソコンの中のデジモン達と現実の太一達とは随分距離があるように見えるけど、それは後方支援型の作品の、主人公と仲間との関係を明確にしたというわけなんだ。後方支援型の作品って、何となく一緒に戦っているように見えるけど、本当は友達だけを戦わせているという事ね。

細田 そう。それをはっきりさせるために、太一を一歩も部屋から出さなかった。

WEBアニメスタイル[再録]特集「アニメの技術を考える」クリエイター 創作の秘密 細田守インタビューより
(引用内の太字強調は編集部によるものです。)

 この発言は、『デジタルモンスター』のアニメーション映画についてのインタビューでのものであり、具体的に「ポケモン」について語ったものではない。だが、ここで指摘されている「後方支援型」という主人公の在り方に先鞭を付け、『デジタルモンスター』を始めとして多くのフォロワーを生み出すに至ったタイトルが「ポケモン」なのは間違いない。
 直接的に批判こそしてはいないものの、この指摘や、監督自身が感じている違和感に共感する人は多いのではないかと思う。やはり戦闘の最前線に直接自分の身を晒さないということは、単純に言ってしまえば、「卑怯」ともとれる振る舞いだからだ。

 さらに二人の人物の発言を引用しよう。一人は、「ポケモン」のTVアニメーションの脚本を担当した首藤剛志氏、もう一人は、『プラネテス』『コードギアス 反逆のルルーシュ』の監督をした谷口悟郎氏である。

では、アニメ『ポケモン』のテーマとは何か?
それを探し出すのが結構大変だった。
僕はゲームの『ポケモン』の中にそれを見つけ出そうとした。
ゲームは、野生のポケモンを捕まえて育てて戦い、ランクアップしていく。
主人公はプレーヤーの代理である。
現実のプレーヤーは、ゲーム機の外にいて、傷つくことはない。
プレーヤーとゲームのこの関係をそのままアニメに持ち込むと、主人公がなんの苦労もせずにポケモンを捕まえて、そのまま自分の代理でポケモンを戦わせる代理戦争のように見えてしまう。
そういうアニメにはしたくなかった。

WEBアニメスタイル_COLUMNより
(引用内の太字強調は編集部によるものです。)

谷口

(略)

 分析会議で現代におけるヒーロー像の分析をやって、私は『ポケモン』の主人公のあり方は、卑怯きわまりないと思う、と。『ウルトラセブン』とは如実に違っていて、『ウルトラセブン』のカプセル怪獣は、あくまで(変身できないときの)時間稼ぎであって、最後の責任は僕が取りますっていうのがあったのに、(『ポケモン』では)自分自身が苦労するわけでもなく、困ったら「行けピカチュウ」とか「がんばれピカチュウ」、これはピカチュウの気持ちにもなってみろと(笑)。もとがゲームだから、アニメスタッフをせめているわけじゃないので、そこは誤解しないで欲しいのですが。

PLANETS SPECIAL 2010 ゼロ年代のすべて「谷口悟郎<ヨコの力>とテレビアニメーションのゼロ年代」 より
(引用内の太字強調は編集部によるものです。)

 いずれも、アニメーションという、ゲームとは異なる分野の人物からの発言であるのが興味深い。特に谷口氏はかなり直接的に「ポケモン」におけるサトシのあり方を批判している。

 では、なぜ「ポケモン」の作り手たちは、サトシを戦闘の最前線から退けたのか。
 まず、先に述べたように、「生態系としての完成度を上げる」ということがある。だが、僕はそこにもう一つの理由があると考えている。そしてこの文章の本題は、このもう一つの理由についてである。

 それは――サトシに、ポケモンとは全く別の「成長」をさせるためだったのではないか、というものだ。

「リンク」と「サトシ」の意外な共通点とは?

 では、「ポケモン」において描かれるサトシの成長とはどのようなものなのか。まず言えるのは、いわゆる“RPGにおける”成長という視点では、サトシは決して成長していない
 確かにサトシが戦いを重ねることで、ポケモンは経験値を獲得していくが、「サトシ自身」は直接戦闘に参加しないので、経験値を得ることも、レベルが上がることもないからだ。

 しかし僕は、「ポケモン」がサトシの成長物語の側面を確かにもっていると考えている。

 この連載の前回の記事で、僕は「ゼルダの伝説」を、「探索」と「成長」のゲームであると述べた。主人公のリンクは、ゲーム開始当初に剣すら持たされず、まともに戦闘が出来ない状態で世界に放りだされる。それによって、プレイヤーが自発的に「探索」するように導いている。そして、その「探索」を通じて”世界との新しい関係性”を獲得するという「成長」を体験させていく。
 そう、「ゼルダの伝説」は主人公の「リンク自身」に”経験値”を獲得させずに、ゲーム的な形で見事に「成長」をデザインしたゲームなのだ。

「ゼルダの伝説」において、プレイヤーは手に入れた道具を駆使しながら、世界の「探索」を通じた「成長」を体験する。
(画像は『ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド』。 任天堂ホームページより)

 結論から先に述べてしまえば、サトシはリンクと同じく、”経験値”を必要としない「成長」をしていく主人公である。

 あまり指摘されないことだが、そもそも「ポケモン」と「ゼルダの伝説」は、その根底において共通している部分が多い。
 リンクがゲーム開始当初に剣すら持たず、まともに戦うことが出来ないのと同様に、サトシはモンスターボールを一つも所持していない。この両者は、「世界とまともな関係性を築けない状態」からゲームが始まるという点で共通している。
 それだけではない。リンクはその後、「弓」「爆弾」などのアイテムを獲得することで、目の前の障害を乗り越え、より広く深く世界を「探索」できるようになる。同様に、サトシもその後、「いあいぎり」「なみのり」などの新しい技(機能)をポケモンに与えていくことで、より広く深く世界を「探索」できるようになる。

 そう――両者の最大の共通点、それは「世界と自分の関係性」の在り方である。

 「ゼルダの伝説」というゲームが優れているのは、「剣」や「弓」や「爆弾」といったアイテムに、単なる目の前の扉を開く「鍵」以上の幅を持たせた機能を与えることで、「世界と自分の関係性」を豊かな形で築いたところにあった。

 「ポケモン」もまた同様に、ゲットしたポケモンを単なる戦いのための「駒」として扱う以上に、「いあいぎり」や「なみのり」といった機能を、ポケモンを介して発揮させることで、「世界と自分の関係性」がより豊かになっていくゲームだ。
 「いあいぎり」が単なる攻撃手段としてや、特定の木を切れるという「鍵」の機能のみならず、「草を刈れる」という機能を有していることは、「ポケモン」の世界にとって非常に大きな意味を持っている。

「いあいぎり」は草を刈ることもできる。はじめてそのことに気づいたとき、世界との関係性が豊かに感じられなかっただろうか。
(画像はポケモンだいすきクラブより)

 もちろん「ポケモン」には「ゼルダの伝説」のようなアクション性はないし、畳み掛けるような謎解きの連続もない。しかし、よりゲームとして根本の部分、機能性を介した「世界と自分の関係性」の絶え間ない更新という一点において、両者は通じ合っているのである。

 このようにして、「ポケモン」は、主人公のサトシをリンクのような「世界と自分の関係性」に変化を起こしていく主人公として位置づけることで、「ドラゴンクエスト」や「ファイナルファンタジー」のような王道のRPGとしての側面と、「ゼルダの伝説」のようなアドベンチャーゲームの側面の両方を併せ持つ非常に希有なゲームになった。

 しかし、それでもサトシが最前線で戦わない理由としては「不完全」だ。サトシに共通する部分があるとはいえ、リンクはあくまで自分の身体を張って闘う主人公ではないか。サトシだって、ポケモンに指揮をし、「ひでんわざ」を振り分けつつ、自らも前線に立って戦えばいいではないか。
 サトシとポケモンを別の存在として、別の成長をさせたかったというのはまだわかるとしても、なぜその両方の良いところどりをすることは許されないのだろうか? せっかくのゲームなのだから、出来そうなことはなんでも許してしまうという態度であっても全く構わないし、そうすれば、「後方支援」から一歩も動かないことに対する批判も起きなかったはずではないか。

 最後に、それでもサトシが戦闘の最前線で戦わない理由について考えてみよう。

【※】
余談だが、「ゼルダの伝説」において「弓」や「爆弾」が常連アイテム化したことと同様に、「ポケモン」における「いあいぎり」や「なみのり」が「ひでんわざ」として半ば常連化し、シリーズの一種のマンネリ化という問題を抱えていることすらも、共通点として挙げられるだろう。ちなみに最新作の『ポケットモンスター サン・ムーン』に至っては、とうとう「ひでんマシン」は廃止され、「ポケモンライド」という新しい機能獲得要素に変わっていたりもする。

それでも「サトシ」が戦わない理由

 なぜ、サトシは戦わないのか。
 その理由は、「ポケモン」を作ったゲームフリークという会社が、『クインティ』や『ジェリーボーイ』など元々はアクション性の高いゲームばかりを作ってきたゲーム制作集団だった、ということに由来するのではないかと僕は考える。

 彼らが「ポケモン」というゲームにオーソドックスなRPGの成長システムを採用したのは、当然、RPG的な面白さを表現しようと思ったからだろう。そして、やはりアクションが苦手なユーザーにも訴求できる、RPGの間口の広さを必要としたからだと思う。

 だが、今となっては懐かしくもあるしあまりに牧歌的な見方ではあるが、RPGというゲームは元々、そのアクション性の低さによる「経験値を蓄積さえすれば誰でもクリアが可能になる」という最大の長所こそが、ある種の批判にも晒されてきたジャンルである。つまり、RPGをいくらプレイしても、プレイヤー個々人の指先や肉体に「ゲームらしいゲーム」としての技術の蓄積や上達が必要とされないのだ。

 ゲームフリークは当然、そのことを意識しただろう。
 だからこそ、彼らは「ポケモン」にアクションゲーム的な感覚を取り入れたのではないか。サトシがあくまでも戦闘のマネジメント役に撤し、経験値やパラメーターの増減によってその成長が表現されないのは、「ユーザー個々人の力量とサトシがイコールであって欲しい」という、アクションゲーム的な感覚から要請されたものではないかと僕は考えている。
 事実、「ポケモン」というゲームは恐ろしいことに、対戦ゲームとしても非常に高い完成度を誇るゲームだ。それはつまり「ポケモン」の対戦には、個々のユーザーにポケモンを指揮する確かな「技術」が要求されるということでもある。

なぜサトシは戦わないのか? ポケモンがRPG史に成し遂げた達成:「なんでゲームは面白い?」第五回_002
『ポケモン竜王戦』
「ポケモン」の対戦の奥深さは将棋にも通じるものがあるということで2014年、2015年には将棋界最高峰の公式戦「竜王戦」を主催する読売新聞社及び日本将棋連盟とのタイアップによる公式大会『ポケモン竜王戦』が開催された。
(画像はポケットモンスター オフィシャルサイトより)

 なぜ、サトシは戦わないのか――それはサトシと我々プレイヤーを、「ゲームの力量」という点で最初から最後まで同様の存在として位置付けるためである。

 ゲーム開始から終了まで徹底して、我々にとって「等身大」で在り続け、「等身大」の成長を遂げる主人公、それがサトシだ。「ポケモン」というゲームにおいて、例えばサトシによる素手の一撃でポケモンを黙らせてしまうといった、等身大以上の「成長」は望ましくないのだ。だから、”経験値”では成長させず、戦闘の最前線にも立たせなかったのである。

 そして、このことはRPGにおける、ある非常に画期的な達成に結びついている。

「ひと夏の冒険と成長」に込められた思い

 そもそもRPGは、「魔王を倒して世界を救う」などの非常にスケールの大きなストーリーや世界観を、荒唐無稽なまでの「成長」とともに疑似体験できるジャンルであった。それに対して、「ゼルダの伝説」は、「探索」を通じたリンクの「成長」を、己の経験のように疑似体験できるゲームであった。

 では、「ポケモン」はその先に何を表現したのだろうか。
 シリーズ第1作目である『ポケットモンスター赤・緑』の冒頭で、主人公の家のテレビを調べるとこんなメッセージが表示される。

テレビで えいがを やってる!
おとこのこが 4にん
せんろのうえを あるいてる……
…… ぼくも もう いかなきゃ!

 これは明らかに映画『スタンド・バイ・ミー』を意識したメッセージだ。
 なぜゲームの冒頭でオマージュを捧げる必要があったのかと言えば、それは『スタンド・バイ・ミー』の主題である「ひと夏の冒険と成長」が、そのままこのゲームの主題になっているからだ。

『スタンド・バイ・ミー』は1986年に公開されたスティーブン・キング原作のアメリカ映画。4人の少年たちが経験した「ひと夏の冒険と成長」を描いている。
(画像は『スタンド・バイ・ミー コレクターズエディション』)

 それこそが「ポケモン」というゲームが成し遂げた、「通信交換」にも勝るとも劣らない画期的な達成であると僕は考える。

 最初から最後まで、徹底して等身大の人物による等身大の成長を描いたこと(それもロケット団の陰謀を食い止めるなどの王道のストーリーを同時に展開しつつ、である)。そしてそれによって、日常から始まってまた日常に帰るという、日々の暮らしのなかでゲームをプレイするということそのものを表現したかのような、文学的なテーマをゲームに持ち込んだこと――。

 サトシに限らず、歴代「ポケモン」シリーズの主人公達は、今も変わらず戦闘の最前線から後ろに下がった位置に立ち続けている。しかし、それは自らを傷つかない安全な場所に置く卑怯な姿勢なのではなく、「ゲームをプレイする我々と同じ位置に立っている」ということを表しているからなのだ。

 サトシは一歩下がった位置に立つことで、戦いから逃げているのではなく、ゲームをプレイする我々の近くに寄り添おうとしたのだと思う。

文/hamatsu

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