読者がれな子になるって、ムリムリ!(※ムリじゃなかった!)
──『わたなれ』は、百合の要素も含め、なんとなく「食べやすい」印象を感じるんです。あの作風全体の「食べやすさ」みたいなところは、意識されているのでしょうか?
みかみ氏:
それこそ、「れな子のキャラクター性」だと思いますね。
まず、れな子のキャラクター性に共感してもらい、なんなら自己投影までしてもらいます。読者さんに「あなたはれな子なんです」と(笑)。
そうすると、読者もれな子の視点で話を見ているから、必然的に距離が近くなる。ガラス越しにかわいい女の子を見ているのではなく、視点ごとれな子の中身に入ってもらい、れな子のやることに共感を覚えてもらい、自然に「れな子だからこう進むよね」と友だちのような関係になってもらう。
だから、あのストーリーもすんなりと見れるようになっていくのかなと。
K原氏:
ニュアンス的な話になってしまうのですが、『わたなれ』に関しては、「このふたりがああなってほしい」というより、「もうこうなったら、こうするしかないじゃない」という展開が多いのかなと思います。
たとえば、原作1巻のれな子と真唯がプールでキスをするシーンも、真唯があそこまで落ち込んで、追い詰められて、塞ぎこんでいる……そうなると、もうれな子は普段取れないような行動を取るしかない。だから、手を引っ張って、一緒に飛んで、水中でキスまでする。
うん……もうこれくらいするしかない、れな子、やっちゃえ! みたいな。この納得が後から押し寄せてくるというか、「こうするしかないじゃない」感というか。
みかみ氏:
それは……ストーリーが面白いってこと?
K原氏:
まぁ、そうですよ!
一同:
(笑)。

みかみ氏:
あとは、「百合の前提を作っていない」ところが大きいかもしれないですね。
百合作品には「百合ファンだったらわかる文脈」というものがあるけど、『わたなれ』はラブコメ文脈で作っているんですよね。その流れで作っているから、百合の前提知識を必要とせず、入ることができるのかなぁとは思います。
──ヒロインが複数登場するのも、割とラブコメチックですよね。
みかみ氏:
もちろん、いままでも「相手の女の子がたくさん出てくる百合」がなかったわけじゃないし、わたしはそういう作品からも影響は受けています。
そこを踏襲しつつ、ストーリーを面白くしながらもラブコメ風にして、ラノベの読者さんも受け入れやすくしよう……と考えた結果が、いまの『わたなれ』の形ですね。
みかみ氏:
これはちょっと語弊があるかもしれないんですが……『わたなれ』は百合ファン向けに作ってはいるけど、百合ファン向けに作ってはいないんです。
というのも、さきほど話した通り、百合ファンの人は「話題になった百合作品」なら、いつか必ず手を伸ばしてくれると信じています。
だから、わざわざそちらを向きすぎなくてもいい。最初から「百合に興味のない人」に向けたほうが、結果として百合ファンの人は買ってくれるし、百合に興味のない人も受け入れやすい。これはWin-Winな状況ですよね。
なので、れな子はあらゆる意味で、「ラノベを読む人」に向けて作った主人公ですね。読者の代弁者でもあるから、百合を読んでこなかった人にも、ラブコメ好きの人にも受け入れやすい。まぁ……さすがに、最初からあんな主人公になるとは予想してなかったんですけど。
一同:
(笑)。
「ふたりとくっつくほうがめちゃくちゃで面白い」って、そんなのムリ!
──ちょっと話が逸れてしまうのですが、れな子は「陽キャに生まれ変わって、高校デビューしたい」というのがキャラの原動力として、かなりコアな部分だと思うんです。あそこの描写に、すごく「実感」のような重みを感じるのですが、なにかみかみ先生の経験をもとにされている部分なんでしょうか?
みかみ氏:
これは暴論かもしれませんが、人気者としてやらなきゃいけない責任感や努力を無視できるのなら、人間みんなチヤホヤされたいし、人間みんな注目を集めたいし、人間みんな陽キャになりたいんじゃない!?と思っています。わたしだけかもしれませんが!
──僕もそう思います。
みかみ氏:
そうですよね!
めっちゃツラのいい女になって、ツラのいい女に囲まれながら、でもそんな女の子たちから求婚されたり、アプローチされて、チヤホヤされて……だから、あれは「チート能力」なんですよね。
でも、れな子の内心はまだ陰キャのままでもある。
その形が一番共感されるし、みんなにとってもうらやましいし、同時に「こいつ、ずるい!」と思える主人公になって、夢を与えられるかな……みたいな。
だから、わたし自身の願望というより、「みんな人気者になりたいはずだ」という人類普遍の願望として入れているんです。
そういう普遍的な要素は、『わたなれ』にとって大切なポイントですね。
「百合」という狭いジャンルで戦う以上、「誰もが共感できるものをテーマにしよう」とは考えていました。
──ほかに、なにか「普遍的なテーマ」として入れているものはあるのでしょうか。
みかみ氏:
やっぱり、「自己実現」ですね。
「よりよい自分になりたい」、「憧れている人の隣に立ちたい」、「人に嫌われたくない」……それは学生生活のなかで全員が味わっているし、少なからずそう思っているはず。そんな要素は、いっぱい入れました。
──今日こうしてお話していても、なんとなく感じるのですが、やっぱりみかみ先生の内側にはれな子ちゃんがいらっしゃるんですか?
みかみ氏:
います。
──いるんですね。
みかみ氏:
常にいます。
──やっぱり……
みかみ氏:
小説の書き方は人それぞれだと思うんですが、わたしは「自分のなかにキャラクターの人格を作り、そのキャラになりきって書く」という書き方をしています。だから、『わたなれ』だと、最低でも5人分の人格があるんです。
そして、人格をその都度切り替えていく……まずはれな子が憑依していて、れな子のセリフを言う。次に紗月が返すターンになったら、自分に琴紗月を憑依させて、「この言葉に対して、琴紗月だったらこう返すよね」と考えます。そのくらい深く入り込んでいるから、「キャラがいい」と言ってもらえるのかなと。
──いわゆる「憑依型」で書かれているんですね。
みかみ氏:
そうですね。
より物語に没頭しないと、出てきてくれないキャラもいたりするのですが……れな子はもう、常に浅い階層で起動しっぱなしです。常にアイツはいます。
それこそ、4巻での「れな子が真唯と紫陽花のふたりを選ぶ」という決断も、「れな子だったらこうするだろう」と考えて生まれたシーンですね。
──K原さんは、「(れな子が)真唯と紫陽花のどちらも選ぶ」という流れは、みかみ先生からお聞きしていたのでしょうか?
K原氏:
事前にある程度は聞いていたのですが……仮にみかみさんから「真唯か紫陽花さんのどちらかを選ぶパターンと、ふたりとくっつくパターンがあるんですけど、どうしましょう」と相談されていたとしても、「ふたりとくっつくほうが、めちゃくちゃで面白い!」と答えたと思うんです。
実際に4巻の原稿があがってきたときも、僕はなにひとつ疑問の余地を挟まず、「めちゃくちゃ面白いから、これで行こう」と思っていました。それがみかみさんと作品への信頼でもあり、読者さんたちへの信頼でもあり、何より「面白い!」と思った自分自身への信頼でもあって……あらゆる信頼をもって、世に送り出せました。
「これが『わたなれ』だって、突きつけてやれ」と。
その思いがこもったおかげか、4巻初版の帯も「ぜんぶ、ムリじゃなかった!(たぶん…!!)」という、僕の編集人生のなかでも、一番の会心の帯になりました。

──さきほどK原さんがおっしゃっていた「こうなるしかない」という展開は、4巻のれな子の決断にも感じます。
みかみ氏:
4巻のプロットを立てながら、結局『わたなれ』はれな子の自己実現の話であり、れな子が自分を好きになるための物語なんだなと思ったんです。
そして、自分を好きになるための物語である以上、人からの好意を受け取ったときに、「こっちはOK」「こっちはダメ」と、どちらか一方を取るシナリオにするよりかは、「両方からの好意を受け入れて、それでも自分は頑張っていくんだ」という新たな試練を課したほうが、自己実現の物語としてはもっとハチャメチャになって面白いんじゃない?と思ったんです。
でも、4巻の最後の告白シーンは、何回も書き直しましたね。
やっぱり、ひとりの人間の選択だし、これを読んでいる人が納得できる形にしなくちゃいけない。その善悪を論じるのは、また各々でやってもらうとして、少なくとも物語のなかで真唯と紫陽花がその熱量に押されて、うなずくところまでは納得させなきゃいけない。
つまり、キャラクターたちが「これでOKだ」と思える話にするために、れな子の必死度を上げたり、最終的にれな子から申し出る形にしたり……そういうところで、4巻の調整は結構頑張りました。
※ここからインタビュー全体で、最新刊の8巻の内容を含め、より『わたなれ』のアニメ化範囲外(原作5巻以降)の話題に言及しています。アニメファンの方は、ネタバレ注意です!


