日本のVRスタートアップ企業MyDearestが2019年に発表した『東京クロノス』は、VRゲームとして非常にユニークな作品だ。
現代の渋谷を舞台に、ビビッドな色使いのキャラクターたちが3DCGで表現されているこの作品は、VRでありながら、キャラクター同士の会話とテキストで進行する、ビジュアルノベルのスタイルが採用されている。
ある意味、非常に日本的な表現スタイルで貫かれているこの作品は、発売当時にSteamのVRソフトランキングで1位を記録するスマッシュヒットとなり、Facebook傘下でVRハードを展開しているOculusも注目しているという。
現在は、『東京クロノス』の数百年後の世界が舞台になる次回作『ALTDEUS: Beyond Chronos』を制作中のMyDearestだが、じつは同社には現在、3DCGアニメの世界で活躍したクリエイターたちが集結してきている。
『東京クロノス』で監督を務めた柏倉晴樹氏は、2014年に公開された映画『楽園追放 -Expelled From Paradise-』【※1】で、モーション監督として重要なパートを担った人物である。さらに、同じく『楽園追放』でCGアニメーターとして活躍し、2019年に公開された映画『HELLO WORLD』【※2】でアニメーションディレクター(共同)を務めた八木田肇氏や、2019年に放映されたTVアニメ『BanG Dream! 2nd Season』【※3】でサブCGディレクターを務めた田村直彬氏も、現在はMyDearestに在籍している。
3DCGアニメーションの世界で腕を振るっていたクリエイターたちが、いったい何を求めて、VRゲームを開発するスタートアップ企業に集結してきたのだろうか。
電ファミニコゲーマーでは柏倉氏、八木田氏、田村氏の3名に、CGアニメ業界とゲーム業界の違い、そしてVRでの開発のポイントなどについて、直接話を伺ってみることにした。
MyDearestのCEOである岸上健人氏も交えたそのトークからは、VRに必要な表現の取捨選択や、現在のVRが抱えている課題、とりわけ日本でVRが普及する上で壁になっている問題が浮かび上がってきた。
そしてそこから見えてきたのは、MyDearestが作品を制作する上でこだわりを持っている「VRだけではない」ポイントだった。
聞き手/TAITAI
文/伊藤誠之介
編集/クリモトコウダイ
カメラマン/佐々木秀二
「CGを作る人間もアニメーターだ」と、板野一郎氏に教えられた
──まずはみなさんがどういったクリエイターなのかを知れればと思うのですが、みなさんがこれまでどういうことをされてきたのか、創作の原点的なところからお聞きできればと。
柏倉氏:
創作の原点ですか……。僕が大学生の時に、友達の間で『月姫』や『Fate/stay night』が流行っていたんです。
それで、今はプロの漫画家になっている同級生が「NScripter【※1】というものを使えば、オレたちもゲームを作れる」と言ってきて。そこでじゃあ、「自分がシナリオを書くから、お前が絵を描いてくれ」というのが、創作の最初だったんですけど。
でも、実際にやり始めたらぜんぜんダメで。彼は漫画家になったぐらいだから絵が上手いんですけど、僕がシナリオを書けなくて。
それで大学のシナリオ研究会に入ったら「こんなに楽しい世界があるんだ」と思ったんです。それで、僕はもともと工学部だったんですけど、転科して芸術学部に入るほど、創作の方向に舵を切ったんです。
でも芸術学部に行ったら行ったで、何をすればいいのか分からなくなって。音楽だとか手描きアニメだとか実写だとか、いろいろやってみましたね。
その中でいちばん衝撃を受けたのが、ロマのフ比嘉【※2】さんが作られた『ガングレイヴ』というゲームのオープニングムービーだったんです。じつはロマのフさんの弟子が、すぐ横にいるんですけど(笑)。
田村氏:
弟子と言ってしまうと恐れ多いのですが……世間は狭い(笑)。
柏倉氏:
そのムービーを見た時に、「1人でアニメを作ってる!」と衝撃を受けて。
その頃、押井守さんが好きだったので、自分もアニメを作りたいと思っていたんですけど、「CGでやればオレもアニメを作れるんじゃないの」、と思って。
それでCGで『人狼 JIN-ROH』【※】のパクリみたいなアニメを作ったら、それがなんとコンテストで賞をもらったんですね。初めて作ったのに。それで浮かれちゃって、やり続けることになって(笑)。
工学部の時は成績が下から2番目だったんですけど、芸術学部に転科して、卒業する時には大学から賞状をもらうぐらいに成長して。浮かれるって大事なんだなと思いました。
──映像を作ったのは、大学の時からですか?
柏倉氏:
そうですね。その前は落書きぐらいはしてましたけど。大学の時にロマのフさんの作品とか、あとは『青の6号』とか『マクロスゼロ』とか『戦闘妖精雪風』とか、本当にGONZO【※】作品ですね、当時の。あと『APPLESEED』とかを見て、「CGってスゴイな」と。
岸上氏:
『バーチャファイター』も好きじゃないですか。
柏倉氏:
『バーチャファイター』は、僕が中学生の時に衝撃を受けましたね。
格闘ゲームが好きで、ある日ゲーセンに入ったら、画面の中に人間が入っているゲームがあったんです。画面の中の人間が、サマーソルトキックをやっていて。
それが『バーチャファイター』だと知るんですけど。あれには衝撃を受けました。
その後、今度は『電脳戦機バーチャロン』が出てきて。
その時に初めて、ゲームクリエイターというものを意識したんです。亙重郎さんという『バーチャロン』シリーズの生みの親の方のお名前や、カトキハジメさんのお名前をそこで初めて知ったので。
──ではうっすらゲームという方向を見つつも、学生時代に映像を作っていて、それがウケたためにアニメーションのほうに行ったという流れですか。
柏倉氏:
アニメもやりたいし、ゲームもやりたいし、どうしたらいいんだろうなと思っていて。その2つが並行でありながら生きていましたね。
僕の妻が新卒だった当時、セガに入社したんですよ。僕は僕でGONZOに入ったんですけど、さっきお話ししたように、セガは僕もすごく憧れていたので、その時にすごい大ゲンカになったんですよ(笑)。
彼女のことを応援していたのに、いざ入社が決まったら、すごく嫉妬しちゃって……。今思うとホントにバカなんですけど、やっぱりどこかで諦めてなかったんですね。
──その時に柏倉さん自身は、グラフィニカの前身となるGONZOのデジタル部門に入られたわけですね。
柏倉氏:
それはそれで楽しい……厳しい道だったんですけど。
板野一郎【※】さんに出会って、仕事としてやるんじゃなくて、クリエイティブとしてやっていいんだ、自分で物を考えて作っていいんだって、そこで初めて出会うわけですね。
それがCGアニメーターとしての、いちばん大きなターニングポイントになったと思います。
そこから板野さんの教えを受けて、グラフィニカから今に至るまで、板野さんの教えというものが根本にあるなかで、モノ作りに向き合っていくことを考えてきました。
それでMyDearestに入って、『東京クロノス』や『ALTDEUS』を作るにあたって、学生の時の自主制作精神というか、自分の表現を叶えてみたいという欲求もまたふつふつと沸き上がってきたりして。そんな感じで今に至りますね。
──映像のイロハみたいなものは、どこで学んだのでしょうか?
柏倉氏:
最初は見て真似て、というのを大学の時にやって。押井守さんの本を読んだり、映像を見まくったりしたんですけど。
その後、社会に出てからは現場の先輩諸氏や、ディレクターの方から本当に基本的なことを学んで。
表現のことについては、やっぱり板野さんに大きく影響を受けていますね。いろいろと教えていただいたので。
その時は『ブラスレイター』【※】という作品をやっていたんですけど、「ここはどうすればいいんですか?」というのを、板野さんに聞いたんです。それが分かれば、作る際のショートカットになるじゃないですか。
でも板野さんから返ってきた答えは「お前、アニメーターだったら自分で考えろよ」って。
その時にハッとしたんですよ。「自分はアニメーターでいいんだ」って。
CGアニメーターという言葉が当時はなくて。あったかもしれないけど、「いや、3DCGをやる人はアニメーターじゃないでしょ」という気持ちがちょっとあった気がしますね。
──オペレーターというか、作業員的なイメージですか。
柏倉氏:
3DCGを当てはめていく人、みたいな。本当はアニメーター的な素養が必要なんですけど、僕がGONZOに入った頃も、まだそこまでは認知されていなかったと思いますね。
でも板野さんの弟子で、僕からすると兄弟子ですけど、unknownCASEの崎山敦嗣【※1】さんが『マクロスゼロ』をやられた時は、CGに手描きでエフェクトを入れたり、ガンガン絵に修正を入れて、アニメーションを自分で考えて表現の幅を広げていったりとかして。
それでアニメーターとしてエンドクレジットに載る、みたいな。崎山さんはCGのアニメーターという感じがすごくしますね。
そんな感じで、板野さんからは大きく影響を受けました。
あとは『楽園追放』の時に水島精二【※2】監督だとか、僕がおもにカットを作る時に付きっきりで指導して頂いた、演出の京田知己【※3】さんには、今に至るまでのあらゆることを教えていただいた感じです。そのへんはいろいろ糧にはなっているかなと。
CGアニメの制作では味わえない新しい部分や、物語の根幹に関わる環境に身を置きたかった
──八木田さんは最初からCGを目指されたのですか?
八木田氏:
いえ、自分はもともと手描きのほうのアニメーターになりたくて、専門学校に通っていたんです。でも給料が安いとかツライとかいろんな話を聞いて、「これで生きていく自信がないな」と挫折してしまって。
でも絵を作る仕事が諦めきれなかったので、CGの仕事がしてみたいと思ったんです。
CGの会社なら、ちゃんと社員として雇ってもらえるという話を聞いたので、それなら食いっぱぐれないなと(笑)。だから、そんなに志が高いところから入ったわけじゃないんですけど。
それでもう一回専門学校に入ってCGを勉強して、最初はゲーム会社に入りました。
そこでやったのがモーションを作るという仕事で。それである時、グラフィニカと仕事する機会があって、板野さんに教えていただいたんです。
さっき柏倉さんが話していたように、僕も板野さんから「コンテに描いてあるとおりじゃなくて、そこから自分で膨らませて絵を作っていっていいんだよ」というのを教えてもらって、その時に初めて「楽しいな」という感覚が生まれたんです。そこでアニメーションを作る楽しさというのを覚えて。
それがきっかけで、グラフィニカにはすごいアニメーターがいっぱいいるぞというのを実感して、そういう現場で揉まれてみたいと、グラフィニカに入りました。
関わった作品としては、最初は『NARUTO -ナルト-』のゲームで、その後に『楽園追放』というアニメに関わることができて。それ以降はアニメの作品をずっとやっていって、最後に『HELLO WORLD』をやりました。
──そこから転職しようと思ったきっかけは?
八木田氏:
ずっとアニメの作品に関わっていて、ガワが変わって中身も変わるんだけど、やること自体はあまり変わらないなと、だんだん飽きてきた部分もあったりして。何かこう、新しい部分に触れてみたくなったんです。
ちょうどその時に、柏倉さんとお話しする機会があって「VRのゲームを作ってるんだよ」と見せていただいたんです。
じつはそれ以前に、別のところでVRのゲームをやらせていただく機会があったんですけど、その時は酔っちゃって。でも柏倉さんが見せてくれた『東京クロノス』はぜんぜん酔わなかったですし、しかもキャラクターが画面越しじゃなくて、本当にそばにいるっていう空間のやり取りとか、それからストーリーとかもすごく面白くて。
こういう作品だったらやってみたいなと思って、MyDearestさんに移籍したという経緯ですね。
──田村さんの場合はいかがでしょうか?。
田村氏:
まず最初にお伝えしておくと、自分はお二方と10歳ぐらい離れていて、キャリアもそれぐらい違う状態ですので。
自分は受験勉強ばっかりの中高時代を送っていたんですけど、物を作ることに憧れはあったんです。
大学で本当は創作専門の学科に進みたかったんですけど、親に反対されたので、工学部の生産管理だとか工場管理だとかの学部に入って、その一方で映画研究部に入って映画を撮るということをやっていました。
映画研究部では、実写映画の企画から脚本・撮影・編集と一通り自分でやって、こいつは楽しいぞと。もともと物語を作りたいという意思が強かったんですけど、これは絶対に仕事にしたいと思いまして。
映画作りの一環としてCGの勉強を始めた頃に、ちょうど2014年だったんですけど、その年はCGアニメがすごくたくさん出てきた年なんですね。『蒼き鋼のアルペジオ -アルス・ノヴァ-』『シドニアの騎士』そして『楽園追放』と。
僕はもともと絵を描いていた人間ではないので、手描きのアニメは自分にはできないと思ったんですけど、CGなら自分でもいけそうだと思ったんです。それはそれで、後から「そんなわけねえだろ」と思うことになるんですけど(笑)。
それで学生の時に、さっき柏倉さんから名前が出たんですけど、ロマのフ比嘉さんという方が監督された『いとしのムーコ』というアニメに、アニメーターとして参加させていただく機会がありまして。
アニメーションのアの字も知らない状態で参加するという、だいぶ無謀なことをやっていたんですけど、その時に比嘉さんからいろいろ教えていただいて、アニメーションも楽しいと思ったんですね。
そうして卒業後にサンジゲンに入社しまして。
そちらでは『モンスターストライク』のWebアニメ【※1】と、小松田大全監督の『いたずら魔女と眠らない街』【※2】というショートアニメに関わりまして。それ以降は『BanG Dream!』のアニメをずっとやらせていただきました。それはそれですごく楽しくて。
ただ、サンジゲンではシリーズのアニメを1シーズン作ることも多かったんですけど、思ったほど物語の根幹に関われていないという意識があって。
なので、映画研究部の時にカメラを抱えて2、3時間走り回って、陽が落ちるまでに200カット撮らなきゃ、みたいなことをやっていた楽しさに戻りたいなと。
──そうした思いが転職につながったのですね。
田村氏:
ちょうどその頃に、アニメーターのりょーちもさんの勉強会で、MyDearest代表の岸上さんにお会いして、この会社を知りまして。
その後にTwitterづてで、背景美術をやっている小島伸一【※】さんから、「ちょっとお話ししたいことがあるんですけど」と呼び出されて、そこに柏倉さんがいらっしゃったと。
『東京クロノス』がローンチ前の時期だったんですけど、MyDearest自体が物語を作るということを主題に置いている会社で、こういう方向性もあるのかと、ずっと気になっていたんです。それで『東京クロノス』が発売された後に遊んでみたら、これが面白くて。
それでちょっと一回チャレンジしてみたいなと。あとはMyDearestみたいに、比較的小規模で物語作りができる環境に一回身を置いてみたいという思いがあって。それで転職した形になります。
──田村さんがMyDearestに参加したタイミングはいつぐらいなんですか?
田村氏:
自分は遅くて、2019年11月の半ばからになりますね。
『東京クロノス』を8月の頭にプレイして、その月の半ばに柏倉さんからDMが届き、飲み会でちょっとお話を聞いて、参加させてくださいと言ったので。なので社歴としてはめちゃくちゃ浅いですけど。
八木田氏:
自分もそれぐらいですね。
ゲームエンジンを使って「アニメの作り方を変えたい」という思いがあった
──そして柏倉さんがMyDearestに入られた経緯は何だったのでしょうか? どう口説かれたのか気になりまして。
柏倉氏:
僕の中では、じつはVRではなくて、「アニメを作ってもいいよ」と言われたのが決め手になっていますね。
僕としてはもともと、ゲームエンジンを使ってアニメーションの作り方を変えられないかな、というのがあって。そう思って、Unreal Engineとかを触っていたんですけど。
一方で、僕はアニメ業界を辞めた後の一時期、3カ月ぐらいですけど、スクウェア・エニックスで『結婚指輪物語VR』【※】という作品に関わっていたんです。
その時は別にUnreal Engineを触るわけでもなく、普通に紙とペンとPhotoshopとAfter Effectsを使って、演出をやっていたんですけど。
その時に「VRって楽しいな」と思って。
僕はCGアニメをやっている時から、キャラクターがそこにいるように感じるようにしたい、画面から飛び出してくるような雰囲気を伝えたいと思っていて。画面の中にいるんだけど、そこに生きているような雰囲気のキャラクターでいてほしい、という考え方だったんですね。
なのでVRに触れた時に、VRが「そこにいる感」を助けてくれるんじゃないかと思ったんです。
そこで「VRって面白いな」というのと、「アニメーションの作り方を変えたい」という2つができたんです。自分の目的……じゃないけど、フォーカスしているものが。
それでスクウェア・エニックスを抜けた後に何をしようかと思った時に声をかけられて、MyDearestの会社を見学しに行ったら、ここではVRでIPをやろう、オリジナルの物語をやろうとしていたんです。VR発で自分たちの物語コンテンツを作ろうとしているのが、他のVRの会社とは違っていて。
だから「アニメを作ってもいいよ」と言われたのが、僕としては決め手だったと思います。今は新作の『ALTDEUS』で忙しいんですけど、アニメを作ることにチャレンジしたいという気持ちは、僕の中では大きいですね。
──ゲームエンジンを使ってアニメの作り方を変えるんだというのは、それこそ『HELLO WORLD』でユニティ・ジャパンも言っていた話ですよね。あれって結局、カメラワークとかが自在に使えて効率的ですねっていう、そういう話なんですか?
八木田氏:
『HELLO WORLD』に関しては、Unityを使ってやってみたのは本隊じゃなくて別の部署で、テストとして特殊な部分でやってみようか、ぐらいの話だったんです。
それで結局、主人公が飛び込んでいく空間を表現する際に使ったので、ワークフロー全体を変えるという主旨ではなくて。
それと並行して、ユニティ・ジャパンさんのほうで「『HELLO WORLD』の絵をUnityで再現してみよう」というのをやっていたんですけど。
それ自体もたぶん、レンダリングのコスト的には安くはなるとは思うんですけど、アニメーションを作るという工程自体を変えることについては、あくまで自分の見解ですけど、決定打にはならないのかなと思います。
もしやるんだとしたら、本当にゲームの作り方に倣った形で、モデルとアニメーションをいろいろ並行して作れたら、あるいはという気がするんですけど。
柏倉氏:
ゲームエンジンのリアルタイムレンダリングというところに注目して、レンダリングのエンジンとして研究しようという話はちょいちょい聞くようになったんですが。
でもレンダリングが速くなっても、CGアニメーターとしてはずっと働き続けることができるだけなので、それによってクオリティは上がるかもしれないけど、疲弊もするんですよ。作品の質は上がっても、現場の負担は何も変わらない。
だからゲームエンジンをレンダリングエンジンとして使っても、それは根本的な解決にはならない気がするんです。
それよりは、ゲームのワークフローの良いエッセンスを、半分でも3分の1でもいいから採り入れて、CGアニメーション作りに応用できたらなと。
ゲームエンジンならぬアニメエンジンみたいなものを、誰か研究する人はいないのかなと思っています。
田村氏:
ディズニーとかだと、モデリング、ライティング、アニメーションと、どれも可逆性の高い状態で作業されていて。最近はUSD(Universal Scene Description)と言って、それらのパイプラインをデータとして共有する動きも出ているんです。
柏倉氏:
それをもうちょっと小さいインハウスで、可逆的なフォーマットだったりとかを、フレキシブルにやり取りできる環境ができたらいいなと思いますね。
田村氏:
自分がMyDearestに入ったきっかけは、Blender【※】というソフトがすごく大きくて。Blenderでいろいろやれそうというのもあって、今、在籍しているんですけど。
岸上氏:
この人は、日本のBlenderコミュニティの代表ですから。
田村氏:
代表ではないんですけど(笑)。自分はTwitterでは雑賀屋鳶という名前で、Blenderばっかり推している存在をやっておりまして。
アニメ業界的にも今、Blenderがすごく邁進しているんです。
スタジオカラーさんがBlenderに公式出資して移行を進めていらっしゃったりとか、最近だと白組さんがすべてBlenderを使って納品されたとか。
Blenderがバージョン2.8からリアルタイムレンダラーを搭載しまして、最終結果を見ながらアニメーションを作れるようになったことで、さっき話題に出たレンダリングにリアルタイム性を求めている人たちは、Blenderに移行しつつあったりします。
──Blenderは、他のCGソフトやゲームエンジンと何が違うのですか?
田村氏:
データの戻しが入ったとしても、データが壊れにくいというのがまず、特徴の1つとしてあって。
あとはモデリングやアニメーションだけではなくて、撮影・コンポジットやビデオ編集、トラッキングなども、Blenderだけで完結できるんですよ。他のCGソフトツールと比べて、ソフトをまたがなくても作業を完結しやすいというのが、特徴としてあります。
岸上氏:
Blenderはオープンソースなので、個人開発者が使いやすいというのもありますね。VRは個人開発者も多いので。
田村氏:
MyDearestだと他に、AniCast Maker【※】とかも使われていて、そっちはそっちですごく可能性のあるツールだなと思っています。
※AniCast Maker
株式会社エクシヴィが開発したCGアニメの制作ツール。舞台のセッティングやカメラの配置からCGキャラクターの演技まで、制作のすべてをVR空間でシームレスに行うことで、あたかも実写映像を撮影するような感覚でCGアニメーションを作ることができる。
柏倉氏:
Unite Tokyo 2019の発表に合わせて、僕がAniCast Makerを使って、準備諸々含めて1カ月ぐらいかけて映像を作ったんです。あれはすごく可能性を感じましたね。
ただ今のところは、あれっきりになっちゃってるんですけど。
──AniCast Makerは、VR空間でCGモデルや背景を実写の映画みたいな感覚で撮影できるという発想が面白いですよね。レンダリングではないゲームエンジンの使い方というのは、ああいったことなんですか?
柏倉氏:
まさにそういうことです。
そういうのも試したり、あとはBlenderで可逆的に完結するんだったら、Blenderを映像のエンジンの中央に据えて、Blenderを中心に使うのもアリかなっていうふうにも思ったりします。
田村氏:
「AniCast Maker for Blender」が出たら、個人的には最強だと思っていますけど。
AniCast MakerのようにVR上でリアルタイムで撮影して、その後にBlenderを使って、手つけで編集したりとかできるようになると、CGアニメの作り方はこれから、ぜんぜん変わってくると思っています。
──ツール周りの話というのは、軸が2つあると思っていて。
1つは汎用的なツールが出てくることで少人数、あるいは1人でも作ることができて、そこからボトムアップできるという話。もう1つは可逆性といった形で、チームのワークフローを効率的にできるよという話。
たぶんその2つの話が、あんまり整理されないままに話されることが多いのかなと。リアルタイム性を推す時は、個人だとか自由だとかいったところが強調されるし、データの可逆性とかの話になると、チームのワークフローにフォーカスされるし。
柏倉氏:
それは現場によっても違うと思うんです。映画みたいに数年間も時間をかけて大勢で作る人たちと、週1回とか毎日とかの短いペースで、少人数で作る人たち、またそれ以外のスタイルに分かれていると思うので。