経営不振に陥ったゲームヤロウからまさかのラブコール。ままならぬ運命の渦のなかで、ついに吉川氏はジャレコを手中に収めた
吉川氏:
ゲームヤロウの社長からの電話は、平たく言えば「助けてほしい」というものでした。ゲームヤロウの経営状況がボロボロになっていて、ジャレコの音楽CDなどで付き合いのあった私を頼ってくれたんです。
よく電話してくれたなと、今でも思います。私は即座に了承し「会社ごと全員で行きます」と伝えて、そのまま3日後ぐらいに会社ごとゲームヤロウの本社のあった五反田のビルへ引っ越しました。
──今日のお話をうかがっていて、吉川さんの判断の速さや思い切りの良さにはずっと驚かされていたんですが、SOSを受けとって3日で会社ごと引っ越しというのは別格ですね。
吉川氏:
しかも、「またジャレコかよ」っていうね(笑)。忘れたはずなのに……。
でも、これまでシティコネクションの設立から一緒にやってきた共同創業者がやめて間もないタイミングだったんです。たとえるなら、ずっと一緒にいた人と別れた矢先に、昔つきあっていた彼女から連絡があったようなものですよ。会いに行くでしょう?(笑)
私は恋愛もM&Aも同じだと思っています。タイミングと環境が合っているなら、迷う余地はありません。
とは言え、簡単なことでもありませんでした。ゲームヤロウはオンラインゲーム会社なので、クラリスディスクのデザイナーにオンラインゲームのデザインを勉強してもらったり、経理担当にサーバーの管理を任せたり、私自身もGMとしてゲームにまつわる全てを仕切ることになりました。
──ということは、吉川さんはゲームヤロウの経営状況をテコ入れするとか、IPを整理するとかではなく、ゲームヤロウの業務を預かって会社自体を建て直そうとされたわけですか。
吉川氏:
そうです。ゲームヤロウからの業務委託という形で、各種業務の対応を行っていました。
──その間、シティコネクションはどうなっていたんでしょうか。
吉川氏:
シティコネクションではクラリスディスクと一部残っているTSUATAYAへの派遣事業だけをやってましたね。ただ、私たちの頑張りの如何とは関係のないところでゲームヤロウの経営状況がさらに悪化していったため、そんなに長くは保ちませんでした。
焼け石に水、どころの話ではなかったですね。8月にお話が来て、12月の半ばまでの4か月半、私をはじめ4~5人が稼働して1円も貰ってないんですよ。
ただ、私としても「お疲れさまでした」といって出ていって終わりにはしたくなかったので、「ジャレコのIPを譲渡してください」という交渉をして、全て引き継ぎました。
──ジャレコのIPを継承する際にそんな経緯があったのですね。それは2014年、ゲームヤロウがなくなる直前の話でしょうか。
吉川氏:
そうですね。内部に入れたことで「もうヤバいな」というのはなんとなく分かったので、その時点で交渉を始めました。
──もし、吉川さんがジャレコのIPを受け継ぐための交渉をしてなかったら、そのIPは持ち主不明のまま散逸なんてこともあり得たと思いますか。
吉川氏:
まあ、終わってたでしょうね。誰も使えない状態になってたんじゃないでしょうか。
私はジャレコの末期における登場人物をほとんど全員把握できていたので、誰を抑えて何を話せばいいのか理解していましたし、法的な部分も整備できました。おそらく、私以外の人では丸ごと引き受けるのは難しかっただろうと思いますね。
あと、ゲームヤロウの社内にいてジャレコの倉庫を預かっていた方とか、一部ではありますがゲームヤロウの社員も引き受けましたね。「キーマンごと連れて行った方が後々楽だろう」と。
ただ、私がジャレコのIPを継承したことはそれから2年間あまり公にはしていませんでした。
──それは一体どういう狙いがあったんでしょうか。
吉川氏:
私は、IPというのはナマモノだと思っています。直前までゲームヤロウがもっていたはずのジャレコのIPを、『シティコネクション』の名前を持った会社が持ち出して突然商売を始めた、なんてギャグの領域に片足を突っ込むぐらいには突拍子もない出来事なわけです。
なので、ギャグじゃなくマジメな話にするために、商標登録をおこなったりジャレコのOBの方に会って関係性を構築したり、土台を整えるために約2年間寝かせました。
プレスリリースを発表した時に、余計な茶々を入れられたり、ケチを付けられたり、疑問を投げかけられたりする余地を潰したかったんです。
──当時はジャレコにもそれを継承した会社にも、ネガティブな印象を持つ声を耳にすることもありましたから、急いで発表すればそちらの印象に引っ張られていた可能性もありますね。
吉川氏:
そうですね。今でこそ1980年代のゲームはある種“ビンテージ”的な価値を見出されてますし、あの頃のゲームを遊んでいた人たちが今40代50代でそれなりの役職にいたりもするわけで、IPの獲得に結構な金額が動くこともありますが、当時のジャレコのIPは、今ほど重要視されてはいなかった印象を当時は受けましたね。甘く見られていたといいますか。
ですので、当時ライセンスの使用許諾を出していたのはジャレコタイトルをWiiや3DSの『バーチャルコンソール』向けに配信していたハムスター社さんだけです。
シティコネクション内部ではこの時期を「第二創業」と呼んでいます。ゲーム会社としてのシティコネクションが、2014年に立ち上がったわけですね。
あの伝説の奇ゲー『クーロンズ・ゲート』の配信も担うシティコネクション。「何者でもない」ことに苦悩した社長は、いつしか自身の会社を「何屋でもない屋さん」に育て上げた
──シティコネクションではほかにも、『クーロンズ・ゲート』の配信をおこなっていますね。
吉川氏:
『クーロンズ・ゲート』をシティコネクションで扱うようになったのは、サウンドトラックが発端ですね。クラリスディスクが得意とする「オリジナル・サウンド・トラック」の全曲集、みたいなものが『クーロンズ・ゲート』には当時存在していなかったので、「これはちゃんと出せば相当売れるだろう」と思い、ソニー・ミュージックさんと契約したんです。
狙い通り、これは何千枚と売れました。ついでに、版元さんとのやり取りのなかで「ゲームの方はどうなっているんですか?」と聞いてみると、当時PSアーカイブでパブリッシャーになっていたアートディンクさんとの契約が切れて、ゲームの公開が終わっていた時期だったんです。
ウチとしては、ゲームが現行機で遊べるようになればサントラのプロモーションにもなりますから、アートディンクさんのところへ交渉しにいって、「ゲーム出さないんだったら販売権を譲渡してください。ソニーさんからの了承はもう貰っています」ということを伝えて、パブリッシング権を譲ってもらいました。
ですので、『クーロンズ・ゲート』のパブリッシングについてはまず音楽CDありきでした。あと、ゲーム出すのに合わせて『クーロンズ・ゲート アーカイブス』っていう書籍も出したんですよね。これがまたメチャクチャ売れました。
その後、ソニー・ミュージックさんに『クーロンズ・ゲート』の実績を見てもらって、『ガンバイク』などソニー・ミュージックさんが持っている他社制作のIPに関してもPSアーカイブから配信させていただいたという形ですね。
──ゲーム業界も広しといえど、吉川さんのような動きをされるゲーム会社さんはなかなかないように思います。シティコネクションの独自性や強みをどのように分析されますか?
吉川氏:
商品を届けるときはなるべくコンテンツを分散させずに、一個のIPに対して音楽や書籍をまとめて出す方が強いとは思っていますね。これはTSUTAYAにいた経験が生きているかも知れません。
元々ゲーム業界にいたわけでもなく、いろいろな新規事業に手を出しまくってきました。つい最近だと、HOT-B(現ジョイフルテーブル)の高橋社長から「星をみるひと」の版権と一緒に抱き合わせで、東中野のもつ鍋屋「よかさん房」の経営権を買わされてコロナ渦の1年目までは弊社で運営を行っていました。イベントを開催したり私も厨房に入って料理をしたりと、楽しかったですがブレブレでしたね。
ただ、このタイミングぐらいで何屋でもないシティコネクションは、「何屋でもない屋」さんになればいいやと思いました。
「ゲームIPを持っているのにゲームは出さない」のは“版権ゴロ”みたいでイヤだ!資金調達のいろはを学び、『ソルダム』でいよいよゲーム会社としての一歩を踏み出す
吉川氏:
こうしてシティコネクションはゲームIPとクラリスディスク(ともつ鍋屋さん)でビジネスをしていたんですが、ある時クラリスディスク当時のメンバーが「ゲームIPを持ってるのにゲームは出さないんですね」とボソッと言ったんですよ。
私の心にグサッと刺さりましたね。「確かに、版権ゴロみたいでイヤだなぁ」と思いました。しかし、ゲーム会社になるというのは生半可なことではありません。どうしたものかと考えていたら、当時シティコネクションが『アイドル雀士スーチーパイ』の使用許諾を出してゲーム制作を担当してもらっていたコスモマキアーの社長さんから「紹介したい人がいる」と言われて、ダブルエルという会社の社長さんとお会いすることになりました。
そのダブルエルの社長さんは、ファイナンスつまり資金調達に強みを持ってる方でした。私は過去に資金を集めようとして失敗した経験もありましたので(笑)、スタートアップのいろはをその方に教えていただいたんです。
そこで資金調達の手法や考え方を教わった私は、「ゲーム会社になりたいな」という漠然とした願いから「ゲーム会社になるんだ」という思考へと意識を切り替えて、ダブルエルの社長さんに紹介していただいた企業から資金調達の約束も取り付け、開発スタッフを集め始めたんです。
まず最初にご縁があったのは、3DS向けに『ナゾのミニゲーム』や『エクスケーブ』などを開発していた甲南電機製作所という会社です。そこの代表さんとお話をして、7~8人の社員にまるごとシティコネクションへ移籍していただいて、ゲームを作れる協力体制を用意しました。
ちょうどそのころ、Nintendo Switchのローンチが2017年の3月だと発表されました。私は任天堂に連絡して「うちがジャレコのIPを持っています。Nintendo Switchのローンチに合わせてソフトを出したいです」と交渉して了承をもらい、元・甲南電機のメンバーを中心に、ジャレコのIPである『ソルダム』というパズルゲームを原作とした『そるだむ 開花宣言』をNintendo Switchのローンチで参入し、ゲーム会社としてのシティコネクションを本格的にスタートさせました。
──実際にゲーム会社として活動してみた感想はいかがでしたか。
吉川氏:
「こんなに大変で、こんなに金がかかるんだ」と思ってビックリしましたね。『そるだむ 開花宣言』の開発がスタートしたのは2017年の1月です。Nintendo Switchのローンチまで二ヶ月しかないぐらいだったので、みんな超頑張りましたし、任天堂さんにも様々な協力をしていただきましたが、それでも「これを続けていけるんだろうか?」と不安になった時期もありますね。
調達した資金が、会社の引っ越しとか数か月間の開発であっという間に無くなっちゃうんですよ。しかし、一旦作り始めた以上は続けないとどんどんお金が出ていく一方です。『そるだむ 開花宣言』の開発が終わったと同時に『ぺんぎんくんギラギラWARS』の開発を始め、こちらは2017年の9月にリリースされました。
どちらも売れてないわけではないですが、掛かったお金に見合うほどのものではありませんでした。「このままじゃダメだ」と思いましたね。ある程度まとまった資金がないと、安定したゲーム開発はできないなと確信しました。
そのタイミングで、ダブルエルさんに株式の一部を保有してもらいグループ入りました。「IPを持っていてコンテンツもちゃんと作れる会社がグループに欲しい」という話でしたから、割とすんなりと進みました。弊社も経営状況を安定させ開発を続けたいという狙いもありましたし。
とは言え、いろいろと道を探っている途中でお互いに方向性が違うということがわかっていき、グループを離れることとなりました。グループ入りして2年半ほど経ってからのことですね。
ただ、そこの2年半は全く無駄では無く、監査法人さんとやり取りをして「上場するにはどういう管理体制で組織を作り、コンプライアンスを意識するべきか」みたいな部分を学べたのは非常に勉強になりましたね。
──『ソルダム』と『ぺんぎんくんWARS』というIPのチョイスは吉川さんがご自身で選ばれたんでしょうか。
吉川氏:
『ソルダム』はうちのプログラマーが「二ヶ月で作るならパズルゲームだ」といって探してくれました。『ぺんぎんくん』は自分です。
──そこで『シティコネクション』にはいかなかったんですね。
吉川氏:
いかなかったですし、まだいってないですね(笑)。自分は開発者ではないので、現場の開発者が作りたいタイトルや、興味があるタイトルをやらせるようにしています。
そうなると、『シティコネクション』は社名にもなってるだけあって、重いんですよね(笑)。
「来年からは柱を育てていく時期」これからのシティコネクションについて
──吉川さんは経営者という立場にとどまらず、ゲーム開発にも携わっていきたいという考えはあるんでしょうか。
吉川氏:
『そるだむ』や『ぺんぎんくん』の時は携わってましたけど、そこからは一切ノータッチですね。概ねマーケティングの方に携わっています。開発のこともちゃんと理解はしていますが、「ここはこうしよう」という仕様の部分には触らないようにしています。
──コンシューマ向けのゲーム開発やプロモーションに長けた人員を追加で投入しようという予定などはありますか?
吉川氏:
開発に関しては、一度目のM&Aで加わった甲南電機の人たちが元ナグザット【※】の超ベテランですし、その後ジョインした元SPSでゼロディブの福島県にいるメンバーのなかにもコンシューマでの開発、移植、解析を熟知している人がある程度いるので、あまり心配していません。
※ナグザット
加賀テック株式会社の旧社名。1988年~1990年台にかけて家庭用ゲーム事業を手掛けていた。 特にPCエンジン用タイトルの秀作を多く発売しており、その時代を牽引したゲームメーカーのひとつと言える。 『コリューン』(PCE)や『サマーカーニバル’92 烈火』(FC)など、現在プレミアのついている作品も多く見られる。
ただ、プロモーションやパブリッシングの部分はたたき上げで、私が一からやってきた部分です。より良い形は常に模索してますし、一度は外から人をいれようかとも思ったんですが、ある程度社内で形が整ってきたのでいたずらに人を増やしてもしょうがないかなという考えもあり、なかなか難しいところです。
──外部からシティコネクションを見ていると、何かひとつ目立つタイトルがあればかなり会社への印象が変わるように思います。『スーチーパイ』や『燃えプロ』などは古参のファンもいて、ネットミームになりうる要素もあってと“バズる”パワーを持ったIPですし、その辺を活かしたタイトルや動きが見えてくると状況が変わるのではないかと思うのですが、吉川さんとしてはどうお考えですか?
吉川氏:
まさに、仰る通りだと思います。これまではとにかく手元でできることをやってきたという感じで、プラットフォーム間の被りを気にしなければシティコネクションで展開しているタイトルは100を超えているんです。セールをやればそこそこの売り上げになりますし、新作も年に数本は出している状況です。
ようやくゲーム事業が形になってきたところだと私自身も思っていますし、会社としても従業員が50人ぐらいになって普通の会社らしくなってきました。来年からは「シティコネクションと言えばこれ!」という、柱になるようなタイトルを育てていく時期だと思っています。
そのひとつが『RUSHING BEAT X』だと考えています。
──会社の人数が50名ほどになったとのことですが、今後も人員を増やしていく考えはありますか?
吉川氏:
はい。増やしたいですね。新卒を受け入れる態勢はまだ会社側に整っていないのですが、ある程度の経験者であれば大歓迎です。ジャレコIP好きな方も、ジャレコIPは別に好きじゃなくても、IPを使った展開に関してはウチは本当に何でもやりますから、そういった部分に興味のある方に来てほしいですね。
それこそ『重装機兵レイノス2 サターントリビュート』ももうすぐ発売しますし、ジャレコがDS向けに発売したRPG『ワイズマンズワールド』を1画面で完全にリファインしたものや、『FZ: Formation Z』……それ以外にも、すごい仕込みをしています。
──ジャレコIPの海外での反響というのはどうなんでしょうか。
吉川氏:
欧米圏ではそこそこ強いですね。『ラッシング・ビート』とか『E.D.F.』なんか、欧米から「はやくリメイクしてくれ!」って要望を貰うぐらいです。YouTubeに投稿した『RUSHING BEAT X』の動画はたくさんコメントが付いてるんですが、9割ぐらいは海外ですね。
──シティコネクションの海外展開についてお聞かせください。
吉川氏:
シティコネクションは海外で結構強いんですよ。ここ4~5年間、私が世界中を飛び回って、いろいろなパートナーと交渉をし続けてきた成果が出てきたと思っています。
欧州だと、Embracer Groupというところが「吉川のタイトルならどのタイトルでもやるよ」と言ってくれてますし。
──『忍者じゃじゃ丸くん』なんかもニンジャ物ということで海外ウケがよさそうですが、反応としてはいかがですか。
吉川氏:
じゃじゃ丸くんもキャッチーで可愛いんですけどね、その時代のジャレコはじゃじゃ丸くんで海外展開をしていなかったので、どうしても認知されている度合いは低くなってしまいますね。「じゃじゃ丸」というキーワード自体は古いゲームの愛好家に認知されているみたいですが。
ウチだと『じゃじゃ丸の妖怪大決戦』というタイトルでじゃじゃ丸くんの完全新作を2019年に出しました。出した当初はそこまで売れていなかったものの、長期間にわたってずーっと売れていて、とうとう3万本を突破しました。「やっぱりじゃじゃ丸くんは強いなあ」なんて感心しましたね(笑)。
──ゲームタイトルの展開として、コンソールへのこだわりはあるんでしょうか。
吉川氏:
今後もコンソールとPCへ向けて出していく予定ですね。スマートフォン向けのアプリ開発ということになると、シティコネクションにノウハウがないので。コンソールへはこだわっていきたいです。
──ゲームヤロウからジャレコのIPを引き受けた際、「倉庫番の社員も連れて行った」というお話がありましたが、その倉庫の中身というのは今も管理されてるんでしょうか。
吉川氏:
ええ、しています。当時のゲームの仕様書から何から、たくさん残っていますし、今でも埼玉の奥地の倉庫で保管されています。
──では、もし「ジャレコ展を開催する」なんてことになれば、展示物には困らない?
吉川氏:
そうですね、そこそこの物はできると思いますよ。どこかに話を持ち込んでみても良いかもしれないですね。
──クラリスディスクのラインナップや今日のお話を聞いていると、本当に様々な企業とシティコネクションが連携をして事業を展開しているんだなというのが伝わってくるんですが、これは基本的に吉川さんの繋がりで話を動かしているんでしょうか。それともどなたかハブになる方が別にいるんでしょうか。
吉川氏:
立ち上げ初期段階では、バンド仲間でもあるゲーセンミカドさんの池田店長の紹介が多かったです。また、実はM&A以外でのシティコネクションの社員はミカドのゲーセンのお客さんが数多くジョインしています。私と全く関係ないミカドのジャンル別コミュニティがきっかけで入社したり、その人の紹介でなどなど、そういう意味では初期のシティコネクションはミカドが育てたと言っても過言ではないでしょう。
今も昔も私の根底にはゲーセンがあるんだなーと感じています。そして多くの企画はもちろん、社員や関係者の頑張りによるところも大きいですが、きっかけとしてはほとんどは私ですね。どの会社さんも連絡を取って「こういうことがやりたいです」と言えばきちんと聞いてくれるので、それをコツコツやっているだけですけど。
──シティコネクションは国内外を問わず交渉へ出向いて様々な協力関係を築いていく吉川さんのパワーで回っている印象です。後継者というのには気が早いかもしれませんが、吉川さんが会社の舵取りから離れた場合、シティコネクションはどうなると思いますか?
吉川氏:
そうなったら、シティコネクションではなくなるかもしれないですね。IPもあるし、仕事もできるので生き残っていくとは思いますが、「ウチじゃなくてもいいじゃん」という会社にはなってしまうかもしれません。
──最後に、シティコネクションの今後の展望をあらためてお聞かせください。
吉川氏:
シティコネクションでは現在ゲーム事業におけるIP戦略として3つの柱を立てています。
1つ目は「あらゆるオールドプラットフォームを現行機で動かす」。そのためのエンジン開発や、そのエンジンで動かすためのIPの仕入れなど。2つ目はIPの新機軸、起点を作るべくリニューアル、リメイク、新作開発。3つ目としてはインディースタイルで作られる新規IP制作への投資、となります。
1と2のオールドIPの戦略に関してはジャレコのみならず、大手のIP保有企業にも可能な限りの条件を提示してIPを集めていくつもりですし、いざIPをお預かりした際に「それ以上のものは必要ないです、あとは全部ウチでやります」と言える状態が理想で、私たちの目標でもあります。
「IPを扱わせるならシティコネクションだね」と皆さんに思ってもらえる会社を目指して、今後も邁進していきます。(了)
インタビューを通じて垣間見えたのは、吉川氏の人生を貫く「ジャレコへの執念」だった。
幼少期の話として「ジャレコ愛なんて1ミリもなかった」と語っていた吉川氏ではあるが、起業しジャレコとの繋がりが生まれて以降、吉川氏が見せたジャレコへの思いはとても通り一遍のものではなかったように感じられる。
それだけの執念や執着があったからこそ、一度はジャレコの獲得に失敗しながらも繋がりの糸を切らさず残し続けることができた。ゲームヤロウからの電話に、電光石火の早業で応じることができた。
そして、最後には全てを手中に収める結果へと繋がったのだ。吉川氏は笑って謙遜されるかもしれないが、これはこれでひとつの愛の形なのだと私は思う。
今後、吉川氏とシティコネクションがジャレコを始めとした往年のゲームメーカーのIPをどのように展開していくのか、そしていつか登場するはずの『シティコネクション』の新作がどのようなものになるのか。期待は膨らむばかりである。