ファミコン発売から40年、プレイステーション発売から30年。その歴史が徐々に失われつつある今だからこそ、「歴史を語り継ぐ」機運も高まりを見せている
──ZEN大学以前には、アカデミック側からコンテンツ産業を文化史、産業史として取り組むようなことはなかったのでしょうか。
川上氏:
いや、個人レベルでやっている人はいると思いますよ。
細井氏:
そうですね。個人でもいますし、ゲームの話で言うと、日本でも2006年に、「日本デジタルゲーム学会」という現在は数百人規模に成長したかなり大きな学会が立ち上がっているんですよ。その前にも関西で中規模の学会が立ち上がっています。学会というのは個人の集まりですから、いろいろな大学に、個人で奮闘されている先生方がいらっしゃったということですね。

──ただ、あくまでいち研究者が奮闘しているだけで、大学からの支援を受けたり、ちゃんとした一次資料になるようなものを作るというのは、なかなか厳しい時代が続いていたということなんですね。
細井氏:
そうです。私も仕事の大半は「外部資金獲得」ということでした。科研費【※】はもちろんですけど、官公庁の予算や委託研究であるとか、そういう資金を得ながら研究活動を継続し、その成果を積み上げて学部や大学院、研究所を立ち上げてきました。そのくらいやってはじめて、「それならいいだろう」と研究としては承認できるというのが、大学の文化ですから。
でも、大学の方から「これをやるべきですよね」となって、法学部や経済学部と同じように「コンテンツの学部」があってもいい、という風には、今の日本ではまだまだなっていないですね。
※科研費
科学研究費助成事業。人文学、社会科学から自然科学まで全ての分野にわたり、基礎から応用までのあらゆる「学術研究」(研究者の自由な発想に基づく研究)を格段に発展させることを目的とする。大学など研究機関における主要な資金源のひとつ。
川上氏:
ZEN大学のこの試みは、それに一石を投じようというものではありますよね。それが実際どうなるかっていうと、まだまだわかりませんが(笑)。
そういう意味では、「変なことをやったんだな」ぐらいにしか思われないかもしれませんが……。少なくとも、産業界も含めて、ある程度注目されるような動きというのが作り出せるんじゃないかと思いますね。
細井氏:
もう10年くらい前から、子どもの「将来なりたい職業」のトップテンに、ずっとゲームクリエイターが入っているんですよね。質問項目の分かりにくさの問題もあるんでしょうけど、マンガ家や、アニメを作るような仕事も、おそらく上位に入っていますね。

(画像は小学生の「将来なりたい職業」集計結果│日本FP協会より)
だから、子どもたちが「将来、仕事としてやりたい」という点では、もう10年ほど前からトップクラスの分野だということが見えているわけですよね。
それに対して大学側は、さっき川上さんが言ったように「東大を規範としている研究大学が、子どもたちの将来やりたい仕事のイメージと一致するような教育をやる必要がない」というのが、今のところの考え方ですね。
ZEN大学は、そこを逆転させて考えているように感じています。実際のニーズに合わせて、必要な教育は「これじゃないか」というのを、ジャンルとして規定するのではなくて、スキルとして見せようとしている、というのが私の理解です。
川上氏:
そうですね。ただ、その時に、専門学校もそうだと思いますが、「テクニック」を教えられる先生は集められると思うんですよね。でも、これが「ビジネス」を教えられる先生を探すとなると、非常に難度が高くなってしまう。
そういうようなところとの接点が作れる可能性があるというのが、ZEN大学の大きな特徴のひとつだと思います。僕らは、その産業の事をわかっている、最前線で活躍した人に協力をお願いできますので。
浜村さんも、それこそ僕が学生の頃からゲーム業界の最前線で活躍されていたかたです。
──たしかに。ちょっと失礼な言い方ですが、これまでのアカデミック系の調査やインタビューのようなものって、コンテンツ産業側からすると「ちょっと違うな」というものがあったように感じます。
そういった「欠けている感じ」というのがどういうものだったのか、という点に関して、浜村さんからはどう見えていたのでしょうか。
浜村氏:
そうですね。なんというか、「ピントがずれている感じ」。見ているところも、今話題になっているものを持ってきたりはしていたけど、産業側の現場にいた僕らからすると「掘るところが違う」という感じをずっと受けていましたね。
先ほど話が出た世界初のCPUの話なんかも、僕は映像を見て初めて知ったんです。そもそも僕、当時「アスキー」にいたんですけど、その話を全然知らなかったんですよ。
でも、あの映像で問題提起されたことって、ゲームの産業界の中ではみんな、ひしひしと感じていることだと思います。ゲーム業界も40年になりますが、例えばアーケードゲームの基盤の、かつて遊ばれていたものがどんどんなくなっていて。一度、セガが自社のアーケード基盤を全部集めようとしたけど「全体の7割しか集まらない」ということがあったんです。
だから、失われているコンテンツ自体がたくさんあるというのは、どの会社もみんな思っていることなんですよ。さらに、「歴史」というところで言うと、語ってくれる人が本当にもう少なくなってきている。
ご存じのとおり、任天堂の山内溥さん【※1】はお亡くなりになったし、そのあとを継いだ岩田(聡)さん【※2】も、まだお若いのに亡くなってしまった。ファミコンを作られた上村先生【※3】も亡くなっているということですよね。
※1山内溥
任天堂の元代表取締役社長。「ファミリーコンピュータ」「ゲームボーイ」など、任天堂を世界的なゲームメーカーに押し上げた。
※2岩田聡
任天堂の元代表取締役社長。山内氏の後を継ぎ、「ニンテンドーDS」「Wii」などを送り出した。
※3上村雅之
「ファミリーコンピュータ」「スーパーファミコン」などの開発責任者で、元任天堂の開発第二部部長。立命館大学大学院で教授も務めた。
──残念ながら2024年の現時点ですでに、当時の話をお聞きできる方が失われていってしまっていますよね。
浜村氏:
そういった形で、40年の歴史の中でどんどんそういうものが失われていっているんですよね。本当についこの間、9月に『ワニワニパニック』を作られた石川祝男(いしかわ しゅくお)さんがお亡くなりになってしまって。『ワニワニパニック』と言ったら、例えば高齢者の方や障害者の方がゲームをやる、といった場面では必ず語られるような名作です。そこを語りうる人がもういなくなってしまった。
「語り継がなきゃいけない」というのは本当に喫緊の課題で、時が経てばどんどん失われていくものなんだ、と強く感じました。この業界にいたものとして、「残さなきゃいけない」と責任のようなものを感じています。
これを語り伝えて、ZEN大学に来てくれた人たちや我々が、川上さんがおっしゃったような「日本の歴史を日本が守る」というということをしなきゃいけない。ゲームを作ったのはアメリカかもしれないけど、それを産業化したのは日本だから、それをしっかりと語り継ぐ責任があるな、という風に強く思いました。
川上氏:
そうなんですよね。大学の研究者といっても、すべての情報にはアクセスできないし、一次情報のデータベースがあるわけでもないじゃないですか。そんな状況だと、ちょっと調べてなにかを言うと産業界の古参の人に「なんか、言ってることが少し違うよね」と思われてしまうんです。
そういう風になってしまうと、こういう研究そのものも、なかなか支持されないですよね。でも、その原因になっているのは、そもそもみんなが「ここらへんが標準的な歴史的事実だよね」という一次資料が、アーカイブとして整理されていないということが問題だと思うんです。基準になるようなものがない。
浜村氏:
そう思います。一時期、大手の出版社から「ゲームの歴史の本」が出たけども、それがもうひどいデタラメで、「全然わかっていない」内容だったことがありました。
それは、うわべのものを見て、ただ調べて書いているだけであって、僕らのような産業の中の人間が見たら、すごく簡単に間違いに気づくようなことに、気づかなかったということなんです。
あの本を見ても、「僕らは歴史を語り継がなきゃいけないんだ」という風に思いましたね。
川上氏:
一方で「間違ってる」と指摘する人も、「じゃあちゃんとした歴史の本を書けるのか」といったら必ずしもそうじゃない。みんな、「この部分は知っているけど、全部は知らない」状態なんです。
浜村氏:
そう。そうなんですよ。
細井氏:
そうです。そこがポイント。いま、川上さんがおっしゃったのは、すごく大事なポイントです。
すでに世に出ているたくさんのインタビューや取材というものは、それぞれに個別の背景やタイミングがあって、さまざまな人がさまざまな動機や背景で聞いているものが、さまざまな形式で残っているだけなんですね。だから、そういう形のものを「学術的な資料」として使っていくのはすごく困難で、論文に引用するようなことがそもそも難しくなってしまうという事情があるんです。
もちろん、電ファミさんをはじめゲームメディアさんのお仕事はすごく尊敬していますし、重要な取材やインタビューがいっぱいあって、僕ら研究者も大変勉強させてもらっているんですけれども。
そういう意味では、やはり「同じやり方、同じ考え方、同じルール」を設定しながらまとまった形で実施し、体系的に人の話を収集して組織化していくという手続きが重要になってくるんです。それが「オーラル・ヒストリー」を一次資料として成立させる根拠であり、一般的なインタビューとの根本的な違いになるんですね。
そしてそのオーラル・ヒストリーが、日本の場合、コンテンツ分野ではもうほとんどないんですよ。なのでやっぱり、そうした研究も進みにくいというか。こうした取り組みは、客観的な本当のことが残っていく、ということにもつながっていくんですけどね。
──それで言うと、オーラル・ヒストリーの手前にある商業的なインタビューひとつをとっても、日本は層が薄い面があるのではないかと思います。細井先生がおっしゃるように、我々のようなメディアは商業的な背景や理由、目的があって取材をするものなので、「その人自身について深く聞く」ということもあまりないですし、売上げに繋がらないことはなかなかやりづらい。
それこそ、浜村さんの時代から「ファミ通」などが、さまざまなクリエイターや関係者のインタビューなどを重ねていらっしゃいますが、それで「一次情報として足りるか」というと、全くそんなことはないと思います。
川上氏:
実際、コンテンツ業界の「あるある」ですが、新しい作品が出るときにしかインタビューを受けないんですよね(笑)。そもそも、インタビューを受ける目的がプロモーションになってしまっているので。
──そうですね。たとえば、昔のゲームの話を聞こうとすると、メーカー側としてもメディア側としても「手間はかかるのに、売上げには全く関わらないので難しい」というところがあります。ある種、商業的ではない枠組みや動機でないと、文化史や産業史としてのインタビューは難しいだろうな、ということを感じます。
ですので、今回の「歴史プロジェクト」のような取り組みがあって初めてできることは、たくさんあるのではないでしょうか。
浜村氏:
ゲーム業界の人って、やっぱりゲーム業界のことが大好きだから、みんな「歴史として残してほしい」とは思ってはいるんですよ。だから、基本的に前向きな協力はしてくれるんですが、長時間取材をおこなうとなると、やはり難しいところがあります。
普通のインタビューって、1時間くらいで用意した質問に答えるだけ、というのが多いんです。3時間くらいかけて過去の話もしていくとなると、向こうも準備する必要があるし、今あるものを売るわけじゃないから、お金にもならない。そうなってくると、やっぱりハードルが上がってしまいます。
ただ、それでもみんな、心の中では「残っていってくれるとありがたい」という危機感は持っているんですよね。だから、きっと最後には協力してくれる人が出てきて、うまくいくと思うんですけどね。
──そういった、「残さねば」という機運が高まってきているような感じもします。
川上氏:
タイミング的にはそうですよね。世代交代が始まりつつあるということと、もうひとつは、ある種日本自体が本当に「ヤバい状況」にある中で。社会全体が、ちょっと昔のことも含め「残さないといけない」みたいな雰囲気になってきていると思います。
浜村氏:
「周年」が続いたというのもあるかもしれませんね。ファミコンが40年、プレイステーションが30年、セガサターンが30年というところで、プラットフォーマーやソフトメーカーが「これは記念として残した方がいいよね」と思っているときに、ふと気がついているというのがあると思います。
海外のソフトメーカー製のゲームのグラフィックが良くなってきていることや、中国が勢いをつけてきたのを見て、「あら?」と思い始めたタイミングでもあると思います。
──たしかに中国のオタクイベントなどを取材すると、日本と全く遜色がないくらい盛り上がっています。実際に現地に行くと「上書きされてしまいそうな感じ」を覚えることもあるくらいです。
もちろんそれは決して悪い意味ではなく、純粋に彼らも「自分たちの文化・自分たちのもの」として、自然にマンガやアニメ、ゲームを享受しているということなのだと思います。
川上氏:
やっぱり、それはそれでいいことなんだけど。少なくとも、日本が輸出産業として、コンテンツ産業を育てていこうとしているんだったら、今のままではダメですよ。
浜村氏:
うん、そう思いますね。とくに中国はすごい勢いで上がってきて、資金も潤沢なので日本の会社や人をたくさん買う事でスタジオを作ったりしている背景もあって。ほかにも中東のサウジアラビアが日本の会社を買収したり、株を買ったりしていることもありますね。
みんなすごく日本へのリスペクトもありつつ、その上で日本と同化したいみたいなところもあり。そういったところが入ってきて会社が買われていくというのは、悪意なく、資産や歴史のようなものが上書きされていく可能性があると思いますね。
オーラル・ヒストリーでは「間違いを正さなくてもいい」。“正確な歴史”よりも“その人が語る歴史”を積み重ね、時には間違いや食い違いから当時の状況を探る
──日本のコンテンツ産業における一次資料が足りていないというお話でしたが、海外の国では、オーラル・ヒストリーを活用した研究や、先行事例などはあるのでしょうか。
細井氏:
コンテンツ産業に関して言うと、オーラル・ヒストリーができていないのは日本も海外も大差はないんですよ。そういう意味では、西洋の価値観の体系においても、西洋なりの「偏見」のようなものがあって、コンテンツ産業がうまく位置づいていないのだろうと思います。
ただ他の分野を見てみると、米国電気電子学会(Institute of Electrical and Electronics Engineers, IEEE)という学会があります。そうそうたる電気通信系の研究者や技術者たちが集まる大学会です。
ここは、映像を含むオーラル・ヒストリーを体系的にずっと作っていて。例えば、コンピューティングや情報技術に関わる人々の多様性、実施された研究や開発の多様性、構築された製品やサービスの経緯などの記録が出てくるんです。

細井氏:
私はこの分野の専門ではないので、人に聞いた話なのですが、それを読むと、残している証言が微妙に食い違っているみたいなんですよね。でも、実はその食い違っているところに、非常に重要なポイントがある。
人間というのは、勘違いもすれば記憶があやふやなこともあり、「やっかみ」で正しくないことを言うこともあります。人間から語られるのは「完璧に100%正確な歴史」ではなく、「その人から見た歴史」なんですね。
それで、「その人から見た歴史」というのを突き合わせて見ていくことによって、実際の開発時に一番問題になったポイントが見えてくる、ということだろうと思うのです。
これこそがオーラル・ヒストリーの醍醐味であり、一番重要なところなんです。学術論文のような形式にしてしまうと、かしこまった文章で「正確に」書いてしまいますから、それらの内容の真偽に関わって「どちらが正しいのか」、「何か正しいのか」が結局わからないままということが生じてしまいます。
「語りの中にこそ、事実や出来事の裏側や機微みたいなものが含まれる」というのが、オーラル・ヒストリーの最大のポイントです。コンテンツの分野においては国内と大差ないものの、他分野にそういうものがたくさん残っているという点は西洋の優れたところだろうな、と思いますね。
──事前にお話を伺った際に、いちメディアの人間として驚いたのは、細井先生が「間違いを正さなくていいんだ」という話をされていたことです。間違いも含めて、「その人が語ったこと」を集積していって、「誰が正しいか」とか「食い違いの中に何が起こっていたのか」というのは、後の研究者が、その一次資料を見て明らかにしていけばよい、ということでした。
そういったところはいわゆる「一般的なインタビュー」とはかなり異なる考え方なんだ、と驚いた記憶があります。
川上氏:
どうなんでしょう、細井先生。オーラル・ヒストリーのひとつの特徴というのは、一度のインタビューをする上でも、「その人に何を聞くべきか」みたいなことをあらかじめ整理したりと、事前準備をきちんと行うという点だと思うんですけども。
その時に、全く知らない人がインタビューをしても、なかなか芯を食った証言は引き出せなかったりして。実際に業界に詳しい人で、相手側も知っている人を、インタビュアーの中に混ぜることが重要だ、とおっしゃっていましたよね。
今回の「歴史プロジェクト」で言うと、例えば浜村さんにしても、向こうもある程度本音を話さざるを得ないし、「ごまかしの効かない人」がメンバーに入っているという意味では、かなり本当のことを喋ってくれるような形になっていると思います。
その点、海外では実際にそういった産業界の人も交えたインタビューチームによるオーラル・ヒストリーのアーカイブというのは実現できているんでしょうか? 日本の場合、かなり難しいイメージがあるのですが。
細井氏:
さきほど申し上げたように、コンテンツ産業のオーラル・ヒストリーに関しては、海外でもそんなにないんですよね。IEEEの例は典型的だと思うんですけど、電気や電子という情報処理の一番基幹になるような分野って大産業になっているわけですから、世界中から注目されますし、ごまかしの効かない世界です。
IEEEというのは、その中でもキーパーソンの集団で、さらにその中でも重鎮になっているような人たちがインタビューをしますから、語る側も厳しい目に晒されることになります。
川上氏:
「本当のことを言わざるを得ない」という状況が、IEEEのオーラル・ヒストリーでは実現できているんですね。コンテンツ業界で言うと、今回、ひょっとすると世界で初めてくらいの体制が作れたかもしれないですね。
細井氏:
そうなんですよ、そこが本当にポイントです。ゲームのオーラル・ヒストリーの取り組みは、実は1996年から1998年に文化庁の試行的な事業があったんです。一橋大学と立命館大学の共同研究で、私も末席に加わりました。
研究成果はウェブサイトで公開されているんですが、「どなたになにの話を聞くか」という問題よりかは、「どういう立て付けでやったらオーラル・ヒストリーになるか」という研究の側面が強い事業なんですね。実際にやってみた上で、そういった箇所にかなり労力がとられてしまって。「どなたに聞けばいいのか」とか、「どなたに会えるのか」というところまで、どうしても広がりが出ないんですよ。
この取り組みが今の活動のベースになり、そこで構築してきた手順も踏襲していますが、既存大学での研究活動というフレームワークではそれほど大きく広げることができません。どうしても、我々が連絡をしてお願いできる範囲だけ、になってしまうんです。
──なるほど。そもそも直接的なつながりがない、大学の研究者がいきなりお願いしても、会ってお話を聞くこと自体がなかなか難しいんですね。
細井氏:
そうなんです。みんな「大学としては、そういう研究は真面目にやっていないでしょう」と思っているわけです。そういう風に思われている大学の人間がお願いをしに行って、引き受けて頂ける範囲でなんとかしてきた、というのがこれまでの経緯なんです。
その時の取り組みは、いろいろな手順やプロセスがすごく勉強になって、今の我々の活動につながっているんですけど。このやり方で産業史と言えるほどの一次資料の組織化ができるかというと、今までの大学の力ではなかなかできない。
川上氏:
うん、そうですね。
細井氏:
だから、今回の取り組みは「この人に聞かれるんだったら、答えないといけないかな」という建て付けになっていることが、非常に重要なポイントなんです。
インタビューというのは、人間がやることですから。席を作って謝礼を用意して、「それではお願いします」という話ではないと思うんですね。やっぱり、「誰に何を聞かれるのか」がすごく大事になってきます。
私みたいな研究者相手だったら、適当に「こういう風に言っておけばいいや」となるかもしれませんが、浜村さんに対して、たぶんそういうことはできないですよね。「自分がやってきたことはこういうことだよ」と整理して投げ返すことになります。
そういう意味では、インタビューというのは立て付けがすごく重要なんです。どういう立て付けで臨むかをきちっと設計をして、どなたがどういう仕事をやってこられたのかという背景を理解できる既存の資料をちゃんと吟味する。
そしてどのような角度からどのような質問を投げるのか、ということを考える事前会議をその分野の専門家を交えて重ねます。そして、それを体系的に、同じやり方でずっとやっていくことによって、初めて質の整った一次資料というものが完成していくと思いますね。