庵野監督がNHKの番組で見せた“一見すると無茶苦茶にも見える行動”も実は合理的? 『シン・エヴァ』100億円突破から見える、庵野監督の合理性とマーケティング力

 7月13日、映画『シン・エヴァンゲリオン』の興行収入が100億円を突破したことが、公式のTwitter上でアナウンスされた。

 これは、ロボットアニメとしては史上初の快挙。2016年公開の『シン・ゴジラ』の興行収入82.5億円を超え、庵野監督作品の中で最もヒットした映画ということになる。

 今回の100億円突破の裏側には、100万冊限定の「シン・エヴァ入場特典」の配布や、新たなバージョン「3.0+1.01」を上映中に展開するなど、マーケティング面での挑戦的な取り組みが多数あったのも、とても興味深いポイントである。 
 作品自体のクオリティが高かったのはもちろんだが、それだけではなく、“なんとしてでも100億円を目指す!”という庵野監督の意志と執念が、今回の結果の原動力になったのだ。

(画像はTwitter@プロフェッショナル仕事の流儀より)

 単にオマケを付ければ、興行収入は伸びるのだろうか?
 そりゃ、オマケがあれば無いよりは伸びるかもしれないが、もちろんそんな簡単な話ではないだろう。

 今回電ファミでは、庵野監督が何を考えて、どういう行動をしていたのか? その舞台裏について、ドワンゴの創業者である川上量生氏に寄稿をしてもらうことにした。川上氏は、庵野氏が代表を務める株式会社カラー​​の取締役でもあり、本件に関しては、むしろ当事者側でもある。

 川上氏から見て、今回の取り組みはどういうものだったのか? またそこから見えてくる、庵野監督の作家ではなく、マーケッターとしての側面とは──。

文/川上量生
編集/TAITAI


 ついに『シン・エヴァンゲリオン』の興行収入が100億円を突破した。これは本当に驚くべきことだ。映画界の関係者のほとんどは、100億には到達しないだろうと予想していたからだ。

 映画界の興行収入は最初の週末と、それにつづく2週間でほとんど決まってしまう。スクリーン数と観客の初動とその後の勢いで、その後の展開が予想できてしまう。
 シン・エヴァの場合は初週こそ100億の勢いとかいわれたが、2週間後には、だいたい着地は80億だろうと言われていた。いったん下がった予想が、そこからさらに下がることはあっても上回ることは滅多にない。

 新型コロナで上映回数も制限され、途中、再度の緊急事態宣言が出されたなかで、100億を達成したというのは、奇跡的な快挙といっていいと思う。庵野監督の執念とそれを助けた宣伝スタッフの意思と、それを支えたファンの力だろう。

(画像は『シン・エヴァンゲリオン劇場版』特報3【公式】 – YouTubeより)

 ここで庵野監督の執念と書いたが、じつは庵野監督は数字にも強い。経営のセンスもあるし、マーケティングもべらぼうに上手い。
 ぼくは以前から、クリエイターとマーケッターに必要な資質は共通項が多いというのが持論で、今回はそのあたりの話を書こうと思う。

 そもそも、世の中でヒットする大衆向けの作品を作るということは、マーケティングそのものだ。クリエイターにせよ、マーケッターにせよ、いまの時代がなにを求めているかを見抜くことが大事になるが、その場合に2種類の方法がある。

 ひとつは自分の感性のみで勝負するやりかた。これは自分のつくりたいものが、たまたま時代にマッチするかどうかで結果が決まる。新しい時代のコンテンツ市場は、新しい時代の感性をもつ若いクリエイターによって切り拓かれることが多いが、感性だけに頼ったクリエイターは時代が変わると通用しなくなるので寿命は短い。

 もうひとつのやりかたは感性に加えて理屈で作品をつくるやりかただ。長く活躍する一流のクリエイターは同時に一流のマーケッターでもあることが多いが、要するに理屈でものづくりが出来る人だ。

 その点でいうと、庵野監督は、間違いなく理屈でものづくりが出来る人、だと思う。

 実際、近くで彼の仕事ぶりを見ていても、自分の感性だけでなく、非常に合理的な方法、つまり理屈で作品をつくっていることがよく分かる。
 このあたりは、世間で大きな話題にもなったNHKのドキュメンタリー番組「さようなら全てのエヴァンゲリオン~庵野秀明の1214日~」を見ると分かりやすい。

 番組の中で、作中の部屋を再現した舞台セットをつくり、iPhoneを仮想カメラにして、よいカメラアングルを探るというシーンがある。これは、どんなに腕にあるカメラマンや監督でも、見たこともないシーンを作るうえで、自分の頭で想像できるカメラアングルのパターンなんて限られているから、実際に作ってしまって自分で試行錯誤・探したほうが早いという、極めて合理的な判断によるものだ。

 また、『シン・ゴジラ』でも採用された手法だが、映画をつくるときに、最終的な映像をつくるまえに「プリビズ」といって簡易的な映像で映画全体をいっぺんつくってしまうことを、庵野監督はおこなった。
 つまり、同じ映画を2回作るわけだ。当然、コストはかかるが、いちどつくってみて、悪いところを直してつくりなおせることと、関わるスタッフが作品がなにを目指すのかを監督の頭の中だけでなく自分の目で確認して共有できるので、作品の質は大幅に向上する。ハリウッド映画ではあたりまえの手法だ。

 こういう合理的な手法を庵野監督は、自分たちのスタッフとほぼ独自(ハリウッドのやり方とはまた違った流儀で)につくりあげた。

(画像はNHK | 「さようなら全てのエヴァンゲリオン 〜庵野秀明の1214日〜」より)

 もっと言うと、NHKの番組では、それこそ作家庵野秀明の作品づくりのこだわりとして表現されていた、一見すると無茶苦茶にも見える行動も、ちゃんとした理屈に基づいているとも理解できる。
 映画づくりの中で、庵野監督はなかなか決めてくれないし、ダメだしはするけど、どこを直せばいいのか方向性も言ってくれないので、スタッフが途方にくれるとかいうようなシーンが何回もでてきた。

 なんとなく、芸術家の気難しさや職人のこだわりの表現として、庵野監督は一般人には理解できないことをしているんだなあと、受け取ってしまいがちだが、そんなに難しい理屈が背後に隠れているわけではない。
 むしろ、番組内でも庵野監督本人が語っているとおり、何が一番面白いのかがまだ分からないから決められない、というだけだ。別に煙に巻いているわけではなく、あれは庵野監督の本音だろう。

(画像はNHK | 「さようなら全てのエヴァンゲリオン 〜庵野秀明の1214日〜」より)

 一般的なリーダー論では、リーダーは分からなくても決断しなくてはいけないことになっている。また、プロのクリエイターというのは納期を守るものだ、という話もよく聞く。

 しかし。当然ながら、分からないまま決断したり納期を守ったからといって、いい作品が作れるかというと、まったくそんなことはない。受託で作品をつくった場合に納期を守ることは死活問題だが、スタジオカラーは庵野さんの会社だといってもよく、作品の出来が最終的には会社の利益に直結するので、納期よりも作品の質を優先するという判断は、当然ありえる。

 といっても、耐えられる制作コストは限界があるから、納期を完全に無視することはできない。結局、自分自身も含めてギリギリのスケジュールをギリギリの体制で回していくことになる。
 それの許す範囲内で、分からないことはスケジュールの締め切り直前まで決めないというのが、正しい判断になりうる。単なるクリエイターのわがままではなく、「綿密に計算されたギリギリのわがまま」を通しているにすぎないのだ。

(画像は『シン・エヴァンゲリオン劇場版』特報3【公式】 – YouTubeより)

 NHKの番組で、一見、常識から外れた無茶苦茶にも見える作品の作り方は、庵野さんの立場からすると、すべて合理的な結論からくる行動と解釈できる。

 いままでの世の中にないものをつくり、しかもそれをヒットさせるというのは一瞬の閃きで実現できるようなものではなく、相当な試行錯誤が必要になる。だれでも思いつくことが、まだ世の中にないのだとすると、実現方法が難しいのだろうし、だれも考えなかった素晴らしいアイデアをたとえ一瞬の閃きで思いつくことがあったとしても、そこに至るまでには何度もトライアンドエラーがあるはずだ。

 新しいものを生みだすクリエイターは、そういう作業にどれだけの時間と努力を注ぎ込めるかで勝負が決まるといってもいい。

 だから、クリエイターは作品づくりに集中する期間には、他の作業を一切おこなわないで集中するといった行動をする。これは文字通り集中するためであって、本当に暇が無いかどうかは関係ない。レコーディング中のミュージシャンとか、脚本づくりに集中している庵野監督とか、他の仕事のアポは入れられないのにプライベートなメールとかの返信は、むしろ普段よりも早かったりすることがよくある。

 こういう時間の余裕ある集中的な使い方はクリエイターの作品づくりだけでなく、マーケティングの際にも有用だと僕は前から思っている。とくにだれもやっていない新規事業を立ち上げる際には、同じようなやりかたで事業計画をたてるべきだと思っている。
 だが、実際にはビジネススクールででも習ったのだろうか、非常に単純でありきたりのパターンの組み合わせで、たいした時間もかけずにたてた事業計画で人生を勝負しようとしているひとが多いように見える。それは『GarageBand』で1時間ぐらいでつくった曲で大ヒットを狙うようなものだろう。

(画像はTwitter@プロフェッショナル仕事の流儀より)

 常識外れの一手は偶然ではなく、膨大な時間をかけたシミュレーションの結果として表れるものだと思う。

 クリエイターでもマーケッターでもないが、先日、都議会選挙で小池百合子都知事が休養からの応援で、大敗が予想されていた都民ファーストを大健闘させたということが記憶に新しい。小池マジックとして、小池百合子の勝負勘を褒めそやす記事がたくさんあったが、小池知事の能力もさることながら、入院したことにより、次の一手をどうするかをシミュレーションする時間を大量に確保したことが、とても重要だったのではないかと僕は指摘したい。

 日本人は、根性とか(天才の)才能が好きで、そういうので勝負したがるひとが多いように思うが、頭脳戦において重要なのは、他の相手よりも自分だけ長く考える仕組みをつくることだと、ぼくは思う。

(画像は『シン・エヴァンゲリオン劇場版』特報3【公式】 – YouTubeより)

 さて、『シン・エヴァンゲリオン』の話に戻ろう。

 ぼくはマーケッターにおいてもっとも重要なスキルは、個別のマーケティング施策がどれぐらいの効果があるかを(ある程度は)定量的に予測できることだと思う。定性的にプラスの効果があるかないかぐらいはだれでも分かる。どういうKPIにどれぐらいの効果があるのかを定量的に予想できれば、あとは足し算とか掛け算の四則演算ができれば十分だ。

 『シン・エヴァ』の公開期間中、庵野監督となんどかメッセージのやりとりをしたが、その週のシン・エヴァの興行収入と順位、次週の予測次にどういう大型作品が公開されるか、その作品がどれくらいの数字になるかが、常に頭の中に入っていた。しかも、だいたい予測は正確だった

 そんな庵野監督が100億を目指したいと公に発表したときは、コロナ禍において予想以上に健闘はしているものの、せいぜい80億ちょっとだろうと、映画業界の多くが思っていたタイミングだった。さすがにこれからは無理じゃないか。そのタイミングでの発言そのものにリスクがあるようにみえた。しかし、結果的には庵野監督が正しかったことになる。

 シン・エヴァが100億を達成した決め手は、最後の最後に投入した「薄い本」の配布だ。こういう特典本の配布は、これまでも『ワンピース』『鬼滅の刃』でも、大成功をしてきた手法なので「ふつうのマーケティング」に見えるかもしれないが、大きな違いがある。

 これまでの特典本は、すべて公開の初動をかさ上げて勢いをつけるために使われてきた。公開期間も終わりに近づいて、上映回数も激減している最後に投入するなんて手法は聞いたことがない。こういう前例のないことは、本当にうまくいくかに大きなリスクがある。しかも100万冊を印刷するなんてギャンブルにもほどがある。確かに100万冊を配り切れれば、ちょうど100億は超えるぐらいだろう。しかし……。

 これを結果的に成功させたことはもの凄いとしかいえない。これは薄い本を描いたスタッフとエヴァファンをよほど信頼していないと踏み切れなかっただろう。

(画像はTwitter@プロフェッショナル仕事の流儀より)

 それともうひとつ。

 庵野監督はやっぱりクリエイターだということだ。庵野監督はもともとビジネスとかにはまったく興味がなかったはずで、それが過去のいろいろな出来事から、やはりお金のことも分からないと作品づくりができないと痛感したことから、経営も覚えようとしたのだと思う。だから、純粋なマーケッターにはなりきれない部分が残っている。

 たとえば今回のエヴァの上映時間は3時間。これは上映回数が減るので映画興行の常識的には2時間以内にすることが常識だ。しかし、それは選ばなかった。
 100億を目指した最後の100万冊の配布だって、たぶんビジネス的な判断だけでは、リスクに見合ったリターンは本当はなかったんじゃないかと思う。

 でも、だから、なんだと思う。
 クリエイターの目的が、まだ人間が見たことのない世界やドラマを生みだすところにあるのだとすれば、利益の最大化なんてどうでもいいはずで、作品づくりを成立させるだけの利益があればいい

 そして、マーケッターや起業家においても、同様の理屈は成り立つはずだと、ぼくはずっと思っている。

編集
電ファミニコゲーマー編集長、およびニコニコニュース編集長。
元々は、ゲーム情報サイト「 4Gamer.net」の副編集長として、ゲーム業界を中心にした記事の執筆や、同サイトの設計、企画立案などサイトの運営全般に携わる。4Gamer時代は、対談企画「 ゲーマーはもっと経営者を目指すべき!」などの人気コーナーを担当。本サイトの方でも、主に「 ゲームの企画書」など、いわゆる読み物系やインタビューものを担当している。
Twitter: @TAITAI999
 
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