堀井氏のシナリオの根底にあるのは「頑張れば報われる」という圧倒的な肯定感
──そんな風にして初代『ドラクエ』が生まれ、『ドラクエ2』が出るまでの間がわずか半年くらいだったんですよね。
堀井氏:
初代『ドラクエ』が発売する前から『ドラクエ2』に取り掛かってはいたからね。当時はROMだったので、作ってから発売まで割と期間があったんですよ。
鳥嶋氏:
『ドラクエ2』はやたらと早い記憶があったけど、そういうことだったのね。
──容量でいうと2倍になったんですよね。初代『ドラクエ』から『ドラクエ2』で。
堀井氏:
『ドラクエ3』ではさらに倍になったので。初代『ドラクエ』であきらめていたことも、どんどんできるようになっていったんです。
──初代『ドラクエ』を作っているころから、堀井さんと千田さんの間では『ドラクエ2』の話が持ち上がっていたんですか?
堀井氏:
作っているころはまだです。完成した後ですね。
鳥嶋氏:
さっきも少し話したけど、僕らが思っているほどは初代『ドラクエ』は売れなかったんだよね。「ジャンプ」で宣伝しても、わかりやすく書いても、やはり「RPG」という概念がそこまで浸透していなかったんです。
堀井氏:
やっぱり、子どもたちにとって5000円って高いから。それでも買った人が「面白い」って口コミで広げてくれて、尻上がりに売り上げを伸ばしていきました。
鳥嶋氏:
『ドラクエ2』を出すころには「RPGとは?」みたいな苦労はあんまりなかったですからね。
堀井氏:
その『ドラクエ2』がウケたから、社会現象にもなる『ドラクエ3』が生まれたんです。
──『ドラクエ2』では容量の向上にともなってやれることが増えたかとは思うんですが、明らかに初代『ドラクエ』とは躍動感が違うなと感じました。パーティメンバーが3人というだけでなくて、世界に深みがあるというか。
堀井氏:
まず『ドラクエ2』で気を付けたのが「いきなり3人パーティはやめよう」というところですね。いきなり3人だと難しすぎるから、ひとりずつ集めていく形にしようと思って。
鳥嶋氏:
それを見ていて、僕はやっぱり「堀井さんはマンガを知っているな」と思ったんです。マンガをよく知っているからこそ、どういう風に作ればユーザーの目が自然と世界に入り込んでいくかを理解しているんですね。堀井さんは間口の作り方が特にうまいんです。間口を広く取ったうえで、奥行きもしっかり作るから。大半のゲームは間口が狭いんですよ。
──それはあるかもしれません。『ドラクエ』を起動すると、世界がワイドに広がっていく感触がしますもんね。人生の哲学にも通じるところがあるというか……。
鳥嶋氏:
僕が堀井さんのシナリオで素晴らしいと思うのは、基本的にキャラクターたちが自分のやるべきこと、行く道を“信じて”いるところですね。圧倒的な肯定感をもって作られているので、困難なときでも耐えられる。
「頑張れば報われる」というのがシナリオの根底にあるんですよね。で、『ドラクエ』って先ほども話題に出ましたけど、死んじゃっても経験値は残るじゃないですか。ここがすごくうまいんですよ。
堀井氏:
何度失敗しても、強くなれるというね。
鳥嶋氏:
そうした自己肯定感の作り方がうまくて、すごく安心感があるなと思います。
──『ドラクエ2』って、初代から100年後の世界じゃないですか。勇者とローラ姫の子孫たちがハーゴンやシドーを倒すために旅に出る……という流れだったと思うんですが、こうしたシナリオはどこから生まれてきたんでしょうか?
堀井氏:
それが面白いと思ったのと、やはりメインキャラクターが3人になったから。ひとりはずっと探しまわっていたら「いやー さがしましたよ」なんて言われるけど、「こっちが探してたんだよ!」とね(笑)。3人目は犬にされていたりとかで手を変え品を変え……どんでん返しも用意したりとか、いろいろ工夫しましたね。基本的にはそれぞれのエピソードから考えていって、最後に大団円に持っていくといった具合でした。
──ミヤ王さんのインタビューで出ていましたが、最初「ラーのかがみ」は風の塔にあったとか、「ぎんのかぎ」はローラの門をくぐった後にあったとか、サマルトリアの城の位置が違ったとか、ああいった部分は皆さんでテストをしながら考えていったんでしょうか?
堀井氏:
そうですね。「ここなんじゃないかな?」みたいに言い合ってたんだろうけど……でも、僕の中では全部最初から今の通りだった気がしているんだけど、記憶違いかな(笑)。「ラーのかがみ」は最初から沼地に置いていたような気がするんだよなぁ。
ムーンブルクの王女を犬にしておいて、割とその近くに置いておくという。ひっかけだよね、いたずら心というか。
──鳥嶋さんはテストプレイなんかに参加されたことはあったんですか?
鳥嶋氏:
いや、ないです。僕はあくまで撮影に行った時に見るというだけ。制作サイドに入るべきではないからね。
僕らがやるべきは、堀井さんたちが作っているものをどれだけ面白そうに見せるか。それで、画面だけでは面白さが伝わりにくいなと思ったときは堀井さんに頼んで話をしてもらい、土居さんに絵で補ってもらうと。
──あの子ども心をくすぐるアイテムとかは、どういったところからアイデアは生まれてきたんでしょうか。
堀井氏:
全部ひらがななので、ひらがなで書いてもイメージがわくようにしたりとか、伝わるように工夫しました。
鳥嶋氏:
それはライターとしての感覚が活きてるよね。みんなかっこいい名前をつけたがるんですけど、かっこいい名前って覚えやすい名前ではない。『ドラクエ』のアイテムなんかは、堀井さんが作っている世界の“日常”なんです。日常感があるからこそ、冒険の世界に違和感なく入り込んでいけるんですよ。
──確かにそうですね。「おうじゃのけん」とか、「いなずまのけん」とか……
堀井氏:
「けん」と「つるぎ」もアイテムによって使い分けているんですよ。たとえば「てつのけん」と「はがねのつるぎ」って、考えたら同じものじゃないですか(笑)。でも「はがねのつるぎ」の方が強そうに感じられる。日本語ならではというところでもあるんですけど……。
──またローカライズが難しくなってしまう(笑)。
堀井氏:
そのあたりはパッと見たときの字面、そして言葉にした時の語感ですよね。
──アイテムの名前自体はほぼ堀井さんがつけていたんでしょうか?
堀井氏:
ほぼそうですね。
──その作業って、わくわくしました?
堀井氏:
いや、割と淡々とつけていた気がする(笑)。たぶん、考えていたら進まないからね。適当に「おうじゃのけん」とかつけておいて、絵の人に「どんな形ですか?」って聞かれたときにはそこまで考えてなかったよ! となってしまった(笑)。言葉だけで考えていましたので。
──(笑)。そのアイテムの絵は鳥山さんにどのようにしてお伝えしていたんですか?
堀井氏:
アイテムの絵は鳥山さんではなくて、違う方だったんですよ。攻略本の方を担当していた方ですね。
鳥嶋氏:
それはなぜかというと、鳥山さんがこの仕事を嫌にならないようにね(笑)。仕事量はある程度限らないと、彼は嫌だっていうから。そこは僕がうまく騙して「この点数以外はいらないから」って。
堀井氏:
キャラクターを描いてもらうだけで十分なんですよ。
堀井氏が今考えているのは“勇者のお墓”をつくること……!?
──そうだったんですね……。どうですか、このラリーを聞いていて。
Watusi氏:
それぞれが相手のことを重んじて、相手の才能を信じて自分の仕事をされているんだなぁと感じました。僕なんかはずっと音楽業界なんですけど、今の業界で行われているのとは真逆の形で仕事をされていたんだなと。
自分の仕事をするためならば、会社に立ち向かうことさえもいとわない。それができるのは、その先に見えている絵があるからですよね。これだけのプロフェッショナルを集めて、こういうやり方で進めれば、これは間違いなく素晴らしい仕事になると。しかもその上で、ちゃんと自分の会社に利益を持ってくるところまで考えられている。「だから何も言わずに待て」といえる人がいたというわけですよね。
そして作るための場所も用意してくださっているし、素晴らしい出会いもたくさんある。そういう時代だったというのが、何よりだったんじゃないかなぁと思いましたね。
今も、もちろん出会いはたくさんあるんですよ。それこそインターネットの時代ですから、世界中の人との出会いがある。でも「これはリスクがあるからできない」「これはちょっと時間がかかるんじゃないの?」といって門を閉ざしてしまうんですよね。こういう方が大企業で上の方に立っているので、なかなか音楽業界としてはクリエイティブが新しい一歩を踏み出せないでいるんです。
まぁ、音楽はゲームと違って売り上げがここ20年で100分の1以下になってしまったという悲しい業界でもあるんですけどね。ゲームとアニメのおかげで音楽がやれている、というような状況に陥ってしまっているからこそ、こういうことも言えるんですけど……クリエイターを守る社員の方も、なかなか上に行きづらいという現実をここ20年ずっと見ていますね。
鳥嶋氏:
僕はそういった閉塞感が出てくるのは、面白がっていないからだと思いますよ。面白いことを考える才能を見つけられる、面白がる人がいないんじゃないかなと。面白いと思えば、それを知らない人にどう伝えるかというのを考えるじゃないですか。そのとき「売れる」ということを念頭に置いてしまうと、発想が限られてしまうんですよね。
だから、面白がれば「遊べる」んですよ。“遊び”は延々とやれるから。苦労しなくてもやれるんです。わいわいやっていれば、ほかの人間も巻き込んでいけるしね。
Watusi氏:
音楽業界でも、80年代や90年代はディレクターにあたる方が新人と出会ったときの愛の量がすごかったんですよ。だからその愛を宣伝部や会社の上層部に伝え、それでも足りなければ全国のラジオ放送局にラジカセを担いでいって、会議の間に聞いてもらうなんてことをしていました。自分がアーティストの最大のファンだから、その愛を伝えたいというスタンスだったんですね。
そういう方たちが多かったからこそ、閉塞感が強まった今ではいろいろなものがオミットされてしまって、働きづらくもなってきちゃったんでしょうけど……。
鳥嶋氏:
僕もね、堀井さんに12月にあったときに「何してんの?」って聞いたら、「『ドラクエ』の企画のチェックを25本分やってる」って……。
──25本!?
堀井氏:
10本くらいですよ(笑)。
鳥嶋氏:
そうしていたら、新しいことをやる時間なんてないわけ。でも『ドラクエ』のチェックは堀井さんにしか任せられない。とはいえ、僕だったらもう少し本数を絞るね。堀井さんにもう少し楽をしてもらって、その分で新しいことを考えてもらいたいです。
堀井氏:
昔と比べたらだいぶ楽はしているけどね(笑)。年も取ったし……。
鳥嶋氏:
だけど、当時の堀井さんはもう少し時間があって、いろんな人に会ったりできていたと思いますよ。そもそも、センスがある人だから新しいものを見たときに頭が動くと思うんです。今、そういう機会が果たしてどこまで持てているのか、という点はちょっと気になりますね。これまで、こんなにも人を遊ばせてきた堀井さんは「ちゃんと遊べてるの?」って聞きたいです。もっと遊んだら? と思いますよ。
堀井氏:
何して遊んだらいいのか、よくわからない(笑)。最近は結構ネットサーフィンしているけどね。サバゲーが楽しかったりもしましたが、コロナで行けなくなっちゃって。
鳥嶋氏:
いや、今からでも遅くないからもっと遊んだほうがいいと思うよ。
──今、ラジオや音楽にも言える話なんですけど、エンタメを作っている方が遊べていないんですよね。インプットをせずにものを作ろうとしてしまっているな、というのはよく感じます。
堀井氏:
今、ひとつ考えているのが「勇者のお墓」をリアルに作ろうと思っているんです。現代って核家族で自分のお墓なんか作れなくなっているじゃないですか。だったら、みんなで入るお墓を作ってしまえばいいんじゃないかと思って。
鳥嶋氏:
勇者の合同葬ってわけね。
堀井氏:
そう。なおかつ、自分が生きていたときのデータを詰め込んだデータバンクにして、孫がみたらおじいちゃんの動画が出てきて喋ってくれるとかね。生きているうちにいろいろ更新して、後世に残しておけるようなものをイメージしています。
死もゲーム化できたらいいのかな、というのは思っていますよね。「楽しく死ねる」ような……。
──その前に、ドラクエ養老院みたいなものを作ってほしいですね(笑)。
堀井氏:
そうだね(笑)。ちょっとしたら老人ホームなんかはみんなオンラインゲームしているのかもしれない。
──そうですね。37年の歴史というわけですから、当時30台だった方なんかはもう70歳に手が届いてもおかしくないわけですものね。
堀井氏:
今はゲーセンが近いものになっているみたいですね。お年寄りの方がメダルゲームで遊んでいるとか。
鳥嶋氏:
堀井さんも、現地に足を運んで遊ばなきゃ(笑)。