解析を専門とする雑誌が生まれたからこそ、『ドラクエ』は作る過程を見せることにした
──私たちもその姿を見て、自分たちも「楽しいことを仕事にしたい」と思うようになったので……それはやはり、そういう時代だったということなんですかね。
鳥嶋氏:
堀井さんもそうだけど、子どもたちに「この面白さを知ってほしい!」という想いはありました。先ほど袋とじに隠しコマンドを集めたという話があったじゃないですか。あれも大変だったんですよ。
毎週月曜日に「ジャンプ」が発売されると、買った子どもたちが袋とじを開けて隠しコマンドを試してみる。それでちゃんとコマンドが成立しないと「入らない」とジャンプの編集部にどんどんクレームの電話をかけてくるんです。で、僕以外の編集部の人間は隠しコマンドの話なんて何も分からないから。堀井さんと宮岡くんに頼んで応答してもらいました(笑)。
堀井氏:
そう、テレアポをやっていたね(笑)。
──うわさだと時給が2万5000円だったとか(笑)。
鳥嶋氏:
2万5000円か3万円くらいだね(笑)。あれは相当大変だったから……その代わり2時間で区切りにしていたけど。だから当時の子どもは、堀井さんや宮岡くんに直接答えてもらっていたというわけです。
──それは電話すればよかったです(笑)。堀井さんにお聞きしたいんですが、初代『ドラクエ』では最高レベルが30でしたよね。あれは容量の問題だったんでしょうか?
堀井氏:
容量もありましたね。全部で64キロバイトしかなくて、テキストや絵だけじゃなくて、その中に音楽もふくまれるわけだから……。今ではスマホの画像でさえ、1枚2メガバイトくらいあったりしますよね。
──20文字しか入れられなかったカタカナは優先順位をつけて入れていたんですよね。「ふっかつのじゅもん」に差しさわりはなかったんでしょうか?
堀井氏:
「ふっかつのじゅもん」は全部ひらがなだったから。カタカナは一部だけだけど、ひらがなは全部入れたんですよ。
──なるほど。
鳥嶋氏:
「ジャンプ」の誌面からのフィードバックも使いながら堀井さんが制作を進めていたんだけど……もうすぐ発売ってときに「テストプレイしているほとんどの人が装備品を装備しないまま進んでしまっている」という事件があって。ここを作り直さなくてはとプロデューサーの千田さんが慌ててやってきたんです。そのときにはもう攻略本を作り始めていたので、画面を取り直さなくてはいけなくなりました。
──「武器や防具は持っているだけじゃ意味がない」というアレですね。ほかにもいろいろとあったようで、「ジャンプ」の誌面でも最初は「アレフガルド」じゃなくて「アレフランド」だったじゃないですか。
堀井氏:
そうだっけ?(笑)。
鳥嶋氏:
僕も今はじめて知った(笑)。
──(笑)。今でこそゲームを作っているところから見せるのもそれほど珍しいことではなくなりましたが、当時としては他にどこもやっていなかったんじゃないでしょうか?
鳥嶋氏:
それはね、僕らがファミコンの特集を始めてすごく人気が出たのは良かったんですけど、最初は「コロコロ」と「ジャンプ」だけだったのが「ファミリーコンピュータMagazine」ができて、「ファミ通」ができて、解析を専門にやる人たちが出てきてしまったんですよね。すると、僕と堀井さんと宮岡くんでは追いつけなくなってしまった。
だからやり方を変えないとダメだなと思って、子どもたちに作るところから見せていくことにしたんです。
──それで開発の様子を見せることにしたんですね。
鳥嶋氏:
そう。『ドラクエ』の情報は最初から最後まで「ジャンプ」の独占だからね。作っている本人たちがいるわけだから(笑)。
──そのころ「ジャンプ」の子どもたちにも「月刊OUT」の読者にも、「ゆう坊」【※】が「ゆう帝」であることはなんとなく伏せられていたんですよね。
※堀井雄二氏の月刊OUTにおけるペンネーム
堀井氏:
そうですね、伏せていました。あくまで僕は読者視点で記事を書いていたので。「これはどうなっているんだろう!」みたいなね。その方が面白いだろうと思って。
「Vジャンプ」の目標はマンガ家とゲームクリエイターを“子どもがなりたい職業”に押し立てること
──これは大人になってから知ったんですが、『ドラクエ』は北米版も展開していたんですよね。あちらではタイトルが『ドラゴンウォーリア』になっていたそうですが。
堀井氏:
あちらでは『ドラゴンクエスト』の商標がすでに取られてしまっていて、使えなかったんですよ。確かテーブルトークRPGだったかな。だいぶ最近になって『ドラゴンクエスト』の商標を買い取り、あちらでも同じタイトルが使えるようになりました。
鳥嶋氏:
当時、商標というのも日本ではそこまで気にするものじゃなかったからね。
堀井氏:
あと、僕はパッケージも鳥山さんの絵で行きたかったんだけど……。向こうの人が「このマンガ絵はダメだ!」 と言って。
鳥嶋氏:
実は「鳥山さんの絵を変えたい」という話は途中で千田さんからもあったんです、堀井さんには言わなかったけど。そのとき僕は「じゃあ全部やめても良いですよ、国内もやめましょう」と言ったんです。
売れないのは鳥山さんの絵が可愛いからではなく、翻訳を行ったときに堀井さんのメッセージが伝わらないからだと思っていたんです。だけどプロデューサーという立場なら、「自分たちの作っているシナリオや絵の良さを理解できないなら、やめた方が良いんじゃないの?」という想いがありました。
堀井氏:
翻訳も分かりやすい英語じゃなくて、古語みたいな英語を使ったらしいです。だから余計に売れ行きはマズかったのかもしれませんね。
──ローカライズの難しさというのはありますよね……。
鳥嶋氏:
あちらのマンガは左開きだけど、鳥山さんがそれを嫌がって右開きにしたら意外と読者は平気だった……というのと同じだね。変に売ろうとすると、逆に目が曇って穴にハマっちゃう。もっと虚心坦懐に、読者にどう伝えるかというのを素直に考えた方が良いと思うんだよね。
──その本質を見誤らず、『ドラクエ』がここまで来たのは堀井さんというゲームマスターがあったからこそということですよね。堀井さんが考えた世界を壊せるほどの言い分が存在さえしないというか。
堀井氏:
いろいろとワガママを聞いてもらいました(笑)。
鳥嶋氏:
30何年くらいゲーム業界はファミコンから続いて来ているわけだけど、会社じゃなくて個人のクリエイターが著作権をもってゲームを作っているケースは、堀井さんをふくめてもごくわずかしかいないと思うんです。
──エニックスさんの時代はほぼ外注だったんですよね?
堀井氏:
エニックスは出版社方式なので、作家と出版社の関係ですね。
鳥嶋氏:
デベロッパーじゃなくてパブリッシャーだね。これを言うとゲーム業界批判に聞こえてしまうかもしれないけど、若いスターが出ないところに才能は集まらないし、そのモノづくり自体が滅びていってしまうと思っているんだよね。やはりゲーム業界はあの当時を除けば、新しい才能は出てきていないと思う。
堀井氏:
なんでも、作っている人の名前を出すと他のゲーム会社に引き抜かれるんじゃないかと思っているらしくて。
鳥嶋氏:
それで言うと、僕は「Vジャンプ」をはじめるときにゲームクリエイターを「子どもがなりたい職業」のベスト3に入れたかったんですよ。マンガ家とゲームクリエイターを、今で言うYouTuberみたいな立ち位置に持っていきたかった。
で、ゲームクリエイターを表に出したかったから堀井さんと坂口さんにお願いしたんです。堀井さんには魔法使いの格好のCGを作って、坂口さんにはファッションデザイナーのスタイリストを呼んで、それぞれかっこよく打ち出したんです。
──鳥嶋さんはそんなところまで考えてらっしゃったんですね……。そういう人がいないとカルチャーってけん引されていかないですよね。クリエイターの方はどうしても作ることに集中したいと思うので。
堀井氏:
鳥嶋さんは知らないところでいっぱい苦労してくださってますよ。
鳥嶋氏:
別に苦労じゃないよ(笑)。ただ、とにかくオタクっぽいゲームデザイナーをスターにしようと。そのためにはユーザーを早いうちから育てましょう、と。「だから開発途中のものをそっと見せてください」なんてね(笑)。「ジャンプ」もバックにいるからたくさん宣伝しますよと。
堀井氏:
(笑)。
──堀井さんとしては、当時の鳥嶋さんの動きを見てどう感じられていましたか?
堀井氏:
会社と戦っているな、という感じがすごくしましたね。
──これはちょっと時系列が飛んでしまって恐縮なんですが。『ドラクエ3』が出たときに「ファミコン神拳」の「奥義大全集」を絶対に間に合わせたいと思っていたにもかかわらず、初版の部数が足らないからその日に出版できず、延期の決定にハンコを押してくれと……。
鳥嶋氏:
あのときにはね、『ドラクエ』が何本出るとゲームの攻略本が何部売れる、というデータがすでにあったんですよ。それで『ドラクエ3』はエニックスも勝負をかけてたくさん作っていたから、本もそれだけ多く売れる。でも時間がたてばそれだけ売れなくなってしまうからね。
『ドラクエ3』は年明けに発売だったから、目標の210万部を売り出せるよう、みんなが年末年始も集英社にカンヅメになってやってくれたんですよ。そうしたら印刷所が「作れない」って言い出して。会社のお偉いさんが一方的に作れないというから、「冗談じゃない」と怒ってハンコを絶対に押さないと暴れたんですよ(笑)。どうしてもハンコを押させたかったら、堀井さんたちもふくめて関係者を全員集めるからそこで土下座して謝ってくれと。
──すごい話ですよね……。
鳥嶋氏:
なぜそこまでやったかと言えば、重版が出れば堀井さんたちにも印税が入るからね。
──「ファミコン神拳」の本としてははじめて皆さんが印税契約を結ばれたんですよね。キム皇さんがはじめての印税でBMの新車を買ったとか(笑)。
鳥嶋氏:
あのころはみんな、スポーツカーの新車買ってたんだよね(笑)。すげえなと。
堀井氏:
マシリトあっての……ですよね。
──100万部とか売れて、カルロスさん【※】なんかはだいぶうらやましがったりもしていたとか。
※とみさわ昭仁氏:「ファミコン神拳」のライターのひとり。『ポケットモンスター』シリーズなどを担当していた。
鳥嶋氏:
(笑)。だからあのころ、堀井さんはライターとして1ページいくらでお金をもらい、ゲームを売って1本いくらでお金をもらい、単行本も1部いくらで印税をもらい……ですからね。すごいな。
堀井氏:
でも、あんまり使えなかったよ(笑)。いつまで続くかわからなかったから、一発屋で終わるかもしれないという不安もありました。『ドラゴンクエスト』が37年も続くなんて思ってもいなかったんですよ。
鳥嶋氏:
やはりゲームや、ゲームの本を作る仕事って大変ですから。その人たちがいやな仕事をしなくても済むように、できるだけお金を通帳に入れておいていただきたかったんですよね。
──そんなことまで考えられる方、今はなかなかいないんじゃないでしょうか。鳥嶋さんのフリーランスライターへの想いは、涙なしには聞けないお話ですよね。
堀井氏:
編集者の鏡みたいな人だね。集英社の弁当も美味しくて、僕はあれで太っちゃったんですよ(笑)。
──一食2500円とかで、寿司にウナギに天丼といったようなメニューがそろっていたんですよね?
堀井氏:
洋食もあったね。
鳥嶋氏:
手元に出前をしてくれるメニューが5,6枚はあったんですよ。その中から「昨日はこれ、おとといはこれだから……今日はこれかな」なんて。
──男性ばかりの場所でずっと会議室に詰めているからこそ、おいしいご飯を食べるとモチベーションも上がるんだ、とか。鳥嶋さんはそこまで考えてらっしゃったんですよね。