『EVE Online』のおもしろさとは何かと問われたとき、私たちがしばしば犯す間違いは、複雑なゲームシステムの解説に終始してしまうことだ。
無数の太陽系をまたにかけた大戦争、プレイヤードリブンなマーケット、ゲームのほうからあれこれと指図されることのないほんものの自由。もちろん、いったんプレイをはじめてしまえば、作品の複雑さはゲームプレイの豊穣である。しかし、それらを直截に語ったところで、読者の重い腰を上げさせるものにはならない。
あるいは、鬼面ひとを脅かすネットニュースの見出しめいた、現実の貨幣価値に換算していくらの宇宙船が落ちたといった話も、興味深くはあるだろうが、心に残りはしないだろう。
ある戦争がおもしろいのは、利害や私怨の関係がどのように張り巡らされているかといった文脈を、読者が理解している場合のみである。何千万ドルという価値の宇宙艦隊が一夜にして墜ちたと言ってみたところで、それは地球の裏側で行われている戦争のように、読者の心をほんとうに動かしはしないだろう。
だとすれば、島国アイスランドに本社をもつCCP Gamesから、にこやかにPR記事のおかわりを所望された筆者のとるべき道はひとつしかない。複雑怪奇なシステムをもつサンドボックス型MMOを、ほんとうに面白くするいちばんの要因──プレイヤーたちに、焦点を当てるのだ。
というのも、われわれだって人間である。『EVE Online』のプレイヤーも、世界を覆うさまざまな不安と問題を分有していることに、ちがいはない。そんななかで、彼らがなぜこんな複雑怪奇なゲームのとりこになっているのか、どのようにして現在に至ったかを語れば、それがそのまま本作の魅力の紹介になるだろうと思った。というのも、このMMOでいちばん面白いのは、じつのところ、そこで生まれる他者との出会いなのだから。
本連載では、間に中断を挟んだ13年間の同作のプレイのなかで筆者が出会った市井のプレイヤーたちへのインタビューを行っていく。読者のみなさまは、星々をまたにかける手練れのPvPプレイヤー、企業連合会長、違法物品の密造と密輸を手がける運び屋などが語る、奇妙な物語を知ることができるだろう。
第一回の話手は、Ved Run氏。私が心中で尊敬をこめて「長老」と呼んでいる氏のプレイ歴は、2008年から連続して十三年。現実世界でのお年は、還暦を間近に控えた58歳である。対して、私は三十路のの若造にすぎない。この年齢差がよい刺激になると考えて、私は氏にインタビューを打診した。氏は快く受けた。
※この記事は、『EVE Online』をもっと多くの方に遊んでほしいCCP Gamesさんと、電ファミニコゲーマー編集部のタイアップ連載企画です。執筆は同作の歴戦プレイヤーである藤田祥平氏が担当しています。
7年前に約10万円の戦艦を轟沈させた「長老」のような人
酷暑に見舞われた八月の某日、私はVed Run氏と面会した。彼と直接話をするのは、数年ぶりのことだった。
私がとある企業連合で艦隊司令官をやっていたとき、私は彼のタイタン級──総全長18キロメートル、総重量240億キログラム、現実の通貨に換算して10万円ほどの価値をもつ、想像上のピクセルの宇宙船──を轟沈させるきっかけを作った。
沈没の日付は、記録によれば、2014年9月13日。あれからすでに七年の月日が流れたわけだ。それ以降、私たちはともに『EVE Online』をプレイすることがなくなっていた。
実際に顔を見ることのないオンライン上の付き合いだけで私が彼を「長老」だと見なしていたのは、当時の氏の受け答えが不明瞭だったからである。氏と話すときはいつも、ちょっとした会話の間合い、論旨の明確さ、話題の選び方などがずれているような気がしたものだ。
付き合いが長くなるにつれて解けるはずの私の敬語は、たしか一年ほどの同僚時代において、一度も崩されることがなかった。いま考えてみると、それは尊敬の現れであるが、同時に、上の世代を疎外するいけすかない若者の態度であったような気さえする。
この態度こそが氏の保有するタイタンの轟沈に繋がったのかもしれないと、私は長年恐れていた。現実の通貨単位で十万円の船は、EVEの宇宙においては動かしがたい固定資産のようなものである。そして、駆けだしの企業連合にすぎなかった私たちには、じゅうぶんな防衛能力という税金を支払う余裕すらなかった。引退後、私は当時の体たらくを折りに触れて考えるようになり、後悔を感じずにはいられなかった。
だから私が氏と挨拶をして、最初に切り出したのは、このタイタン轟沈の事件にかんすることだった。氏はしばらく沈黙したのち、あの作戦中に実際になにが起こっていたのかを話してくれ、私は七年越しに真実を知ることができた。
その詳細を書くことは控えよう、あまりにも込み入った話だから。かいつまんで言えば、それは私が考えていたほど人為的なミスではなく、ほとんど神が遣わした必然のような出来事だった。しかしながら、もしも私たちがあの瞬間にもっとゲームに熱中していれば、この事故は防げたはずだ。艦隊司令官という、私の音頭取りの仕事が甘かったことに、かわりはない。
正体は重度のうつ病を抱えた『EVE Online』プレイヤーだった
ただ、この事件についてのあらましを今日のVed Run氏に聞きながら、私が同時に感心していたのは、堂々とした氏の話しぶりであった。七年前の当時は、風が吹けば消えてしまいそうな印象を与える声だったのが、いまは明確な論旨と内容をもつ語り手の声に変化していた。
その変化の理由を知りたくなり、私は質問した。
──当時、お身体の加減が悪いと聞いた覚えがあります。いまはどうでしょうか。お声を聞いていると、ずいぶん元気になられたように思うのですが。
すると、氏は「いいえ」と言った。そして続けた。
Ved Run氏:
私は重度の精神疾患を抱えています。障碍者手帳も持っています。あなたとプレイをしていた当時は二級でしたが、いまは一級の判定を受けました。
「差し支えなければ」と私は言った。「どんなご病気か、教えていただけますか」。
彼は答えた。
Ved Run氏:
みなさんにわかりやすく言えば、鬱病です。ただ、私とおなじくらい重い患者は、全国に三千人しかいません。
そこで私は思い出した──私と氏とが同僚だったころ、七年前の作戦中、あるいは会議中などに、突如として氏の応答がなくなることがあったのだ。あるとき作戦の重要なところで氏のタイタンが起動しなかったのだが、そのとき私は隣人がびっくりするような大声を出して氏の名を呼んだものである。
大方、眠たくなったか何かだろうと、私は高をくくっていた──しかし、もしも氏が、タイタンという巨大な資産を実戦に投入する直前の待機時間に、鬱病の発作に見舞われていたのだとしたら? 私の態度は指揮官としては当然だっただろうが、人間としては失格であっただろう。
私はこの話題をいったん切り上げて、先にお渡ししておいた、インタビューのテーマを仄めかしてみた。
Ved Run氏:
こんな老人の繰り言でよければ、話してみましょうか。
三十歳ごろに起業し経営者に。マウスの「手袋のアニメーション」など考案
氏は、もとはプログラマーだった。1990年代、三十のころに経営者となって起業し、受注や自社製品の開発を行うようになった。他社製品と差をつけるために──というよりも、よりよい製品を作るために、ユーザーインターフェイスの洗練を目指した。
時代は九十年代の半ばで、84年に米国でApple Machintoshが発売されていたものの、感覚的にわかりやすいGUI(グラフィカル・ユーザー・インターフェイス)の市場は、とくに国内は、まだまだ未開拓だった。
※Apple Machintoshの当時のCM映像。ジョージ・オーウェルの『一九八四年』のイメージを打破しようと、オリンピアンの女性がスレッジハンマーを投げる。21年現在に見ると皮肉が効きすぎていて笑えない。
わかりやすく、きれいで、触っていて楽しいUIを作ることを心がけた。いまでも覚えている自分の仕事は、GUIにおけるドラッグ&ドロップのアニメーションである。マウスを左クリックし、それを保持したままマウスを動かし、あるところで離す。現在のWindowsやMac OSなどでも、ファイルを別のディレクトリに移動する操作として、根強く残っているデザインだ。
若き日の氏は、これに手を加えた──マウスカーソルで手袋の形を描き、クリックしたときにファイルを「つまむ」アニメーション、指を離したときにファイルを「放す」アニメーションを加えたのだ。はじめてコンピュータに触れる人にも感覚的にわかりやすいデザインで、顧客からの評価は高かった。
UIデザインの参考にしたのは、ビデオゲームだった。ユーザーが手に取って「遊ぶ」ためにあるビデオゲームのUIは、わかりやすく明快で、見ていて楽しいものであることが求められる。そのデザイン性を当時いちばん洗練させていたのは、同業他社の工業製品ではなく、プログラムによって駆動する動きの芸術、ビデオゲームだったのである。
『Doom』(1993)といった作品に感心して、社員全員にそれらをプレイさせるほどだった。古い時代の新聞社が、若手の記者に古典小説を読ませるようなものだったのだ。
病魔に侵される中、手を伸ばしたのが13年前の『EVE Online』
会社を立ち上げてから十数年間、徹底的に仕事をした。同時にいくつものプロジェクトを抱えることが当たり前のようになり、社員の数も売り上げも、順調に増加した。
事業はうまくいっていたが、経営者としての難しい選択にも、何度となく迫られた。現場の仕事と経営とを両立させるには、このあたりでどちらか一方に注力しなければならないことは判っていたが、踏ん切りがつかなかった。生来の性向か、それとも仕事のなかで身につけたものかどうかはわからない。
ただ、あらゆる仕事を自分で行いたいという、子供じみた願望を捨てることができなかった。他人を信用できないのではない。ただ、あるひとつの重要な判断の責任を、自らの手にしっかりと握って、仕事を行いたかった。事務所の時計の針が天辺を突くのが、当たり前になった。
破局が訪れ、働くことができなくなった。正体不明の苦しみにあえぎながら病院を巡って、最終的に下された診断が鬱病だった。残してきた社員たちと、仕事のことが思われた。しかし病魔は氏を寝台に磔にした。死の恐怖から逃れ、生きる喜びを少しでも思い出すために身を引きずって、コンピュータのスクリーンの前に座った。
オンライン上の友人に勧められて、『EVE Online』をインストールした。それが2008年、氏が四十代半ばの、まだまだ働き盛りだと世間からは見なされる年の頃のことだった。このようにして、氏の第二の人生が始まった。
『EVE Online』の世界でも企業に入社して一年で「社長の座に」
2003年のサービス開始から五年が経っていたとはいえ、当時の銀河系は、いまと比べてあきらかに洗練されていなかった。現在の『EVE Online』が掲げている親しみやすさとカラフルさは、どこにもなかった。グラフィクス・リワーク前の灰色の宇宙、どこか憂愁をたたえた無骨な宇宙船、詳細で多機能だがわかりにくいユーザーインターフェイス。
しかし、美がないわけではなかった──いや、私もよく覚えている。あの宇宙にはむせかえるような美があった。それはサンドボックスというよりも暗いアートで、それが病魔に苦しむ氏の魂と呼応した。たくさんの恒星の瞬きに導かれるようにしてステーションから出港し、アステロイドベルトの採掘をするのが、いつのまにか日課になった。
Ved Run氏:
当時は採掘艦というカテゴリがありませんでしたから、オネイロスやモアで掘っていましたよ。最初の船、巡洋戦艦のドレイクを建造するのに、たしか一ヶ月かかりました……トリタニウムなんかを掘ってこつこつ溜めた金で、貴重な資源を仕入れたりしてね。
「トリタニウムで!」と私は叫んだ。
──空き缶を売って家を建てるようなものですよ!
「それが楽しかったんですよ、当時は」と氏は答えた。
Ved Run氏:
あこがれのドレイクを手に入れたので、採掘ではなく戦闘コンテンツ──PvEミッションに手を出したのですが、そのうちに操船ミスで沈めてしまいました。それでレイヴン級──カルダリ合衆国の重ミサイル搭載型戦艦──を探しはじめました。このとき、Mugen Industry【※1】という日本人のPvP企業が、Ransom【※2】で確保したリグ【※3】付きの戦艦を日本人コミュニティに安価で卸すことをやっていて、リグ付きのものを安く手に入れることができました。
※1:Mugen Industry
2007年創業。おそらく当時は日本人コミュニティ唯一の、PvP専門で営利を立てていた伝説の企業。2012年ごろ活動休止。
※2:Ransom
鹵獲のこと。当時は後述する「リグ」が高価だったため、優勢な戦闘中に相手方にメッセージを飛ばし、下船するように勧めるのが一般的だった。それ自体が高価な脱出カプセルは見逃すかわりに、船を差し出せというわけだ。
※3リグ
いちど装着すれば取り外しが効かない船のパーツ。当時は非常に高価であったため、鹵獲行為が盛んに行われていた。現在ではリグならびに船の価値が下落したため、あまり行われていない。
Ved Run氏:
そうしてミッションをしたり掘ったりしているうち、Nullsec【※4】に興味が出てきたのです。折しも、レンター事業【※5】に参加していたIzanagi Allianceに、私が在籍していたRunner’s High【※6】という会社が加盟することになりました。Nullsecに住みついたあと、当時の社長だった方がPvPをやりたいと言い出した。そこから、わからないなりに情報を集めて、PvPのために船を飛ばすということをやりはじめました。
この事業はずいぶん大きくなって、艦隊司令官も何人か育ちましたし、社の事業としてPvP関連の初心者講習もさかんに行いました。新興の日本企業のPvP研修をまるまる引き受けたりしてね。
※4 Nullsec:
『EVE Online』はニューエデンたる架空の銀河系を舞台としているが、NPC警察機構(CONCORD)の能力が及ぶ範囲は銀河系中心部に集中している。貴重な資源が眠っているのは銀河系外縁部なのだが、ここはプレイヤードリブンな法のみが支配する地域である。NullsecはNull-Security(安全度皆無)の略語。ほかには、限定的なNPC警察力が存在するLowsec、プレイヤー同士の敵対行為をNPC警察力がきびしく監視しているHighsec、ワームホールを経由して侵入できる、そもそもどの銀河系なのかわからないW-Spaceなどが存在している。
※5 レンター事業:
先述したNullsecを統治しているのはプレイヤーが作り上げた企業連合である場合が多いが、こうした企業連合は、しばしば武力の増強に注力しすぎて、採掘や精錬や生産といったPvEコンテンツにまで手が回らない。そこで、子会社を作り、Nullsec太陽系の貴重な資源を掘らせ、彼らの財産を防衛するかわりに、子会社から月ごとに一定のISK(インターステラークレジット)を徴収するというしくみが生まれてきた。これをRenter、つまり土地貸しという。
※6 Runner’s High:
2007年に創業した日系企業。もとは採掘などを専門としていたが、しだいに軍事力を増強し、2012年ごろには後述するN3連合との戦争におけるオーストラリアン・タイムゾーンの主力となった。2015年解散。
Ved Run氏:
それは楽しかったのですが、問題がひとつ出てきました。社員のセキュリティ・ステータス【※7】が下がり始めたのです。これはいよいよ銀河系の中心部では活動できないとなったとき、Runner’s Highの社長が疲れたと言い出した。それで代替わりをすることになって、私が社長に就任しました。それと機を同じくして、Mugen Industryの社長だったKillarkhan氏から協業の誘いがあった。新しいコンテンツを求めて我が社の社員をMugenに送り込むという形になったのです……。
※7 セキュリティ・ステータス:
Lowsec宙域で他パイロットを攻撃すると低下する数値。-5.0を割ると指名手配犯扱いになり、Highsec宙域に侵入し次第、前述のNPC警察機構に即時撃墜されるようになる。
──入社して一年足らずで社長に就任、そして協業ですか! よほどコミュニティから信頼されていたのでしょうね。
「まあ」。氏は微笑んだ。「寝ても覚めてもプレイしていましたからね」。
補足しておかなければならないが、その当時の『EVE Online』はまだ日本語化が行われておらず、また船自体の価値も高かったため、日本人コミュニティにとってのPvPは、非常に敷居の高いものだった。
にもかかわらず、Runs–Mugenの同盟は平日のアクティヴ人数40名、艦隊運用に必要な電子戦用等の専門的兵科、艦隊司令官などを潤沢に備えていた。そしてあるとき、Mugenの盟主であるKillarkhan氏が、企業連合を設立したいという希望を明かしたのだった。
これによって設立された、伝説の日系軍産複合企業連盟が、Tricell Coalitionである。Ved Run氏とKillarkhan氏のツートップで編成されたこの組織は、日本人初の主体的な軍事行動による、三つの太陽系の領有権の確保という偉業を果たした。