ライバル誌『マガジン』内田勝編集長の講演を、隠れて聞きに行った
鳥嶋氏:
池上さんを引き抜いた時の、『マガジン』や講談社の反応ってどうだったんですか?
白井氏:
どうだったんだろうね。講談社とは、集英社ほど一緒になる機会が少ない【※】じゃないですか。
※集英社ほど一緒になる機会が少ない
集英社はもともと、小学館から分社化される形で設立されており、両社はグループ関係にある。そのため、ライバル関係の雑誌もある一方で、社員間の交流機会も多い。
その頃、ウチと講談社は激しい対立関係にあって。両社が通っている酒場で「講談社の人間がいるから、窓を開けて空気を入れ換えてくれ」みたいなね(笑)。
特に編集長の内田勝さんは、それくらい『サンデー』と『マガジン』をライバル視してましたよ。
内田さんが電通で講義をやった時に、隠れて聞きに行ったりしましたからね。「敵の大将はどういう考え方で本を作ってるんだろう?」と思ってね。
鳥嶋氏:
まるで予備校生じゃないですか(笑)。聞いた結果はどうでした?
白井氏:
内田さんは教育大出身だから、話し方が上手いんだよね。
「不易流行」、つまり変わるものと変わらないものがあると。それで、「変わってはいけないものが変わってしまっている時、それが漫画のテーマになるんだ」というわけですよ。 たとえば、父と子はちゃんとしてなくちゃいけないのに、今は父と子の関係がメチャクチャになっていると。そこで『巨人の星』の父と子の関係が出てくる。
鳥嶋氏:
そこから来てるんだ!
白井氏:
それから先生と教え子は常に変わらないでいなきゃいけないのに、教室もメチャメチャ、教師もメチャメチャ。それで『ワル』【※】が生まれた。
※『ワル』
真樹日佐夫氏原作、影丸穣也氏画による学園ハードボイルド漫画。1970〜1972年に『週刊少年マガジン』で連載されたほか、その後も外伝や続編シリーズが35年にも渡って描き続けられた。
鳥嶋氏:
あぁ、なるほどね。倫理が壊れたところにテーマがあると。いかにも講談社、『マガジン』的なアプローチですよね。
白井氏:
そうそう。牧野武朗さん【※】から引き継がれた、講談社のそういうものをね。
だから、「キチッと重なっているものはテーマにしなくていいんだ」と。本来は重なっていなきゃいけないものが外れた時に、大きなテーマになる。
それが内田さんの集中講義の一番のポイントだった。今でも覚えていますよ。
※牧野武朗
講談社で『少女クラブ』の編集者として活躍した後、『なかよし』『週刊少年マガジン』『少女フレンド』の初代編集長を歴任。その後も『週刊現代』編集長などを務めた。2012年逝去。
鳥嶋氏:
でもそればっかりだと、『マガジン』の読み味は重くなりますよね。
白井氏:
内田さんは、『少年マガジン』の中に『ビッグコミック』を作ろうと考えた人だから。そこが破綻した原因でもあるんだけど。
内田さんは『マガジン』が100万部を突破して、もしかしたら『ビッグコミック』的なものもイケるんじゃないかと考えて、横尾忠則のデザインでスミ1色の表紙にしたりしたからね。少年誌のタイトルといえば、金赤と決まってるのに。
鳥嶋氏:
金赤というのはね、真っ赤にちょっとスミが入った、ものすごく目立つ赤なんです。
白井氏:
みんなだいたい金赤ですよね、青少年誌のタイトルは。
鳥嶋氏:
それ以外の色を使ったりしても、やっぱりそれに戻るという。
白井氏:
それを横尾忠則さんのデザインとはいえ、スミ一色にしちゃうんだから。
ほかにもね、ジョージ秋山さんの『アシュラ』で社会問題を起こしたり、少年誌の枠を外れようとして、さらに上を狙った。それだったら別の雑誌を作ればよかったんだろうけど……
鳥嶋氏:
それを『マガジン』で全部やろうとしたら、『マガジン』が壊れ始めた。
白井氏:
『マガジン』がそんなことをしている時に、『サンデー』はあだち充さんと高橋留美子さんのラブコメ路線で一世を風靡して。でもその時、『ジャンプ』は一切乗ってこなかったね。
鳥嶋氏:
いやいや、『ジャンプ』もラブコメをやろうとしたんです。だけど上手くいかなくて、その結果、背を向けるというふうになったんです(笑)。
上手くいってたらやってますよ。描ける作家がいなかった。
白井氏:
あだち先生と高橋先生が『サンデー』にいたということは、すごく大きいよね。しかも脇目も振らず、何の契約もしていないのに小学館一筋という。「ありがたい」のひと言に尽きます。
石井いさみ氏の仕事場で、アシスタント時代のあだち充氏と出会った
白井氏:
高橋留美子先生はあだち充先生を「兄」と慕うほど、すごく親しい関係で。それでおふたりは青山剛昌先生とも仲が良い。
それはきっと、あだち先生のお人柄でしょうね。まったく変わらないし、威張らないし、野球一筋でしょ。今でも寝る前に『タッチ』なんか読むと、気が静まるんだよね。
鳥嶋氏:
僕も『ジャンプ』が面白くなくて、小学館の資料室でよく昼寝していたんです。
それに飽きて、いろんな漫画や小学館の雑誌のバックナンバーを読み始めて。その時に『少女コミック』に載ってた『泣き虫甲子園』があだちさんで、「上手い人だなぁ」って思ったんです。
その後、『ナイン』が『月刊サンデー』で始まった時に「あぁ、この人、来るな」って。そうしたら『タッチ』ですからね。
白井氏:
いま読んでも名作だよね、『タッチ』って。やっぱり。
鳥嶋氏:
上手いですよね、コマ割も、間の取り方も。
白井氏:
古典的なギャグもね、スカートが風の中でパァッと広がったり。何ひとつ進化はしていないんだけど、確立された「あだち節」がピシッと決まっている。あれは時代の風とかそういうものと一切関係ない。
鳥嶋氏:
僕がとくに感心したのは、あだちさんの縦位置カットなんですよ。節の葉っぱとか日差しが入って、登校しているシーンを上からの俯瞰で撮って。校門があるから一発で、「学校が始まるよ」ということが分かる。
白井氏:
そうそう。
鳥嶋氏:
このたった1コマが「上手いなぁ」って。
白井氏:
こうやって話してると、僕は成功ばっかりしているように思われているかもしれないけど、『サンデー』時代に石井いさみさんという作家で大失敗をして。
鳥嶋氏:
あぁ、『750ライダー』の。
※『750ライダー』
『週刊少年チャンピオン』で1975年〜1985年に連載された、石井いさみ氏の青春学園漫画。連載が10年間続く高い人気を獲得し、『ドカベン』『ブラック・ャック』『がきデカ』といった同時期の連載陣とともに、1970年代後半に『チャンピオン』が週刊少年漫画誌の売り上げナンバーワンへと躍り出る際の原動力となった。
白井氏:
当時の編集長がね、「石井いさみさんを『少年サンデー』のちばてつやにするんだ」と、こう宣言したわけですよ。主力作家としてね、だからいろんな原作者を次から次へと考えて。梶原一騎さんとも組んだし、佐々木守さん【※】とも組んだ。
バスケットボールの漫画をやったり、梶原一騎さんはプロレスでしょ。それから姉を慕う情愛物をやったり、ありとあらゆるジャンルをやったんだけど、一向にウケない。ちばてつやどころかみんな惨敗で。
※佐々木守
『ウルトラマン』『柔道一直線』『赤い運命』などの人気TVドラマや、大島渚監督の劇場映画などを手がけた脚本家。漫画原作者としても水島新司氏の『男どアホウ甲子園』や、あだち充氏の『ヒラヒラくん青春日記』などを執筆している。2006年逝去。
石井いさみさんは都会人だからスタイリッシュで、梶原さんのプロレスの技なんかをちゃんと描けないんだよね。いちばん読者の見たいところをベタ1色とかにしちゃうから、人気も出なくて。
それでウチとはお別れしたのに、『チャンピオン』に行ったら『750ライダー』でバーンバーンバーン! ですよ。
鳥嶋氏:
『750ライダー』は『サンデー』の後なんですか。今、白井さんの話を聞くまで知らなかった!
白井氏:
そうだよ。だからウチがすべての分野で失敗したのを糧にして、当たったんじゃないですか。
鳥嶋氏:
『750ライダー』はラブコメというか、あだちさん風なんですよね。バイクが好きな兄ちゃんと、彼が想いを寄せる女の子の、日常の何気ない話。ただそれだけで。
白井氏:
そう。それで石井いさみさんの弟子に、あだち充さんがいたのよ。あの時、あだちさんをいじめたりせずに良かったなと思って(笑)。
鳥嶋氏:
石井さんのアシスタント! 分かるなぁ……。
白井氏:
石井さんのところに毎週、原稿を取りに行くわけじゃない。あの時あだちさんに辛く当たったりして、向こうがこちらに嫌な印象を持っていたりしたら、それがずーっと続くわけだから。
鳥嶋氏:
そういう時に、編集はドキドキしますよね。「おぉ、こいつだったんだ」って。
白井氏:
あの時に悪態をついたり「お前のおかげで遅いんだ」みたいなことを言ってたらね、違った関係が生まれていたかもしれない。だからやっぱり、無名の人は大事にしないと。
『ジャンプ』はみんな無名でスタートするかもしれないけどさ、ウチはそういうわけじゃないから。
そういうのって自分が言ったことは忘れても、言われたことは覚えているからね、作家って。「あの時、夜中に声をかけられて“がんばれよ”って言われました」みたいなことをさ、作家が言うわけ。
僕はいつ言ったのか分かんないんだけど、そういうことを言わせるものがあったんだろうね、その作家が一生懸命描いているのを見てさ。
鳥嶋氏は小学館の資料室に籠もって、少女漫画を読んでいた
鳥嶋氏:
あだち・高橋で旋風が起こった時、白井さんはもう『サンデー』を離れてました?
白井氏:
離れてた。
鳥嶋氏:
でも、自分がいた古巣の『サンデー』が……。
白井氏:
そうそう。260万部とか270万部とかいったんじゃない。まぁ、『ジャンプ』の600万部に比べたら1/3ですけど。『サンデー』史上最高部数はあだち、高橋、あと細野不二彦さんとかがいた時ですから。
鳥嶋氏:
『さすがの猿飛』。
白井氏:
あと『Gu-Guガンモ』とかね。当時はアニメが全作品、一斉にスタートしていますから。フジテレビと上手く連動していたし。
鳥嶋氏:
そう。『Dr.スランプ』の後ろに『うる星やつら』が来て【※】、ウザかったんだよ、これが(笑)。でも、あの1時間は最強でしたね。
※『Dr.スランプ』の後ろに『うる星やつら』が来て
『Dr,スランプ』のTVアニメは、1981年4月からフジテレビで水曜日の19時〜19時30分に放送されていた。その直後のフジテレビ19時30分〜20時には、1981年10月から『うる星やつら』のTVアニメが始まり、『ジャンプ』と『サンデー』をそれぞれ代表する2作品のアニメ化が連続して放映される形となった。ちなみに、1986年春に両番組が相次いで終了した際、後番組として『ドラゴンボール』と『めぞん一刻』がスタートし、この構図はその後も継続されることになる。
白井氏:
ウザいというか、油断も隙もないのはどっちですか(笑)。鳥嶋さんがウチの資料室に来てるとは知らなかったですよ。ひとんちの資料室にひっそり潜んでるなんて。
鳥嶋氏:
『ジャンプ』の漫画が面白くないし、仕事も面白くないんで、そこに籠もっていろんな漫画を読んでるうちに、「いろんな漫画があるんだな」って、『少コミ』とか少女漫画をおもに読んで。
それで、白井さんと違った意味で「少女漫画の作家は少年誌の作家と違って、頭が良いな」って思ったんですよ。歴史を知ってるじゃん、教養があるなって。
白井氏:
資料室で思い出しましたけど、自分が新入社員で『サンデー』編集部に入ってもね、会議でついていけないわけですよ。漫画家の名前を知らないわけだから。
鳥嶋氏:
知識がない。
白井氏:
「水木しげるがどうのこうの」と言っても分からないから、資料室に行って、必死になってバックナンバーを読んで。
『マガジン』『サンデー』『キング』を毎号毎号読んで、ようやく名前とアイデアが会議についていけるようになるまで、ちょっと時間がかかりましたね。
鳥嶋氏:
偉いですね。僕も入社当時は漫画を全然読んでいなかったから、白井さんとほぼ一緒かもしれない。だって集英社に来た時に、『少年ジャンプ』も知らなかったですもん。
白井氏:
あっ、そうなんだ。部数がどのぐらいの時? まだそんなにいってないでしょ。
鳥嶋氏:
130〜140万部かな。
白井氏:
100はいってたんだ。
鳥嶋氏:
新入社員の時、「目指せ170万部」という予告を作らされて、「嫌な編集部だなぁ、ずっと数字を挙げて」と思って(笑)。
白井氏:
じゃあ何に行こうと思ってたの、鳥嶋さんは。
鳥嶋氏:
僕も白井さんと一緒で、文芸か美術書ですね。でも新人研修の時に、「鳥嶋君ね、美術書は座右宝(ざうほう)って編集プロダクションにやってもらってるから、集英社では作らないんだよ」って言われて、「えーっ!」って(笑)。
白井氏:
座右宝ってありましたね。そう、アレはみんな外に出していたんですよ。
だからやっぱり、漫画志望じゃない人がやるというのも、ひとつの成功パターンかもしれないよね。どこかで冷めたところがあるから。逆に漫画が大好きだと、また違うのかもしれないけど。