本宮ひろ志氏を引き抜くため、『ジャンプ』編集者の集まる慰労会にたった1人で参加した
鳥嶋氏:
白井さんは漫画をまったく志望していなかったのに、いちばん厳しい時の『サンデー』に配属されて漫画に関わるようになって、どのへんから面白いって思い始めたんですか? さっきの楳図かずおさんの『漂流教室』ですか?
白井氏:
楳図さんの『漂流教室』の反響と、あと『まことちゃん』だね。
鳥嶋氏:
『まことちゃん』の時もそうだったんですか。じゃあ、楳図先生が過労で体調不良の時に、白井さんが毎朝、楳図先生のところでしじみの味噌汁を……
白井氏:
そんなの、どこで調べたの(笑)。
鳥嶋氏:
これは有名な話ですよ(笑)。
白井氏:
そう、しじみの味噌汁は作った。
鳥嶋氏:
毎日?
白井氏:
毎日、目白のマーケットに行って、しじみを買って。しじみは疲労回復と肝臓に良いから、それで味噌汁を作りましたよ。
鳥嶋氏:
何年間ぐらい?
白井氏:
分かんないけど、相当作りましたよ。
鳥嶋氏:
そこまでしてもらったら、楳図先生はもう白井さんから離れられないでしょう。
白井氏:
でも楳図先生は今でも現役で仕事してるからね。大したもんですよね。書き下ろしのカラー101枚の大作を執筆しているんですから。
鳥嶋氏:
えーっ、85歳にもなるのに!? 楳図先生が健康を損なわないのも、白井さんのしじみの味噌汁があったからですよ(笑)。
話は戻りますが、池上遼一さんのところには、どれぐらい通ったんですか?
白井氏:
どれぐらい通ったんだろう? 向こうはうるさかったと思うよ。
本宮ひろ志さんのところに通った時は、日曜日って決めてたんですよ。日曜日にね、あの当時は千葉の市川だったのかな。総武線に乗って市川まで行って、本宮さんと雑談して。
夕食が終わった後ぐらいに行って、終電に間に合うぐらいで帰ってくる。それを日曜日ごとにずーっとやってた。
鳥嶋氏:
日曜日ごとに、必ず?
白井氏:
必ず。「あんたもサラリーマンなんだから、そんなこと止めて。明日もあるでしょう」とか、いろいろ言われたりしてさ。
『ジャンプ』で本宮さんの慰労会があるんですよ。九十九里で地引き網を引くんだけど、そうしたら、集英社の人ばっかでさ。堀内丸恵さん【※】とかみんな、「なんでこいつがいるんだ?」って、刺すような目で見てきて(笑)。
※堀内丸恵
『週刊少年ジャンプ』編集部で『東大一直線』や『こちら葛飾区亀有公園前派出所』の初代担当を務めた。同誌の副編集長を経て、『スーパージャンプ』の編集長に就任。その後、2011年に集英社代表取締役社長、2020年からは代表取締役会長を務めている。
鳥嶋氏:
僕もあの地引き網は一回行ったことがあるんですけど、ファミリーみたいな独特な雰囲気なんですよね。ジャンプファミリーのところに白井さんがポツンといたら、それはすっごいストレスですよね(笑)。僕なら絶対にいたくない。
白井氏:
本宮プロと集英社以外、外部の人間は僕1人ですから。でも誘われて行かないというのもね、また臆することになるから。
そうやって1年ぐらい通った時に、本宮さんから「じゃあ、仕事の話をしようか」って言ってもらって。それで契約書を見たら、少年誌は『ジャンプ』の専属契約になっていたんです。
でもその時、僕はもう『ビッグコミック』に移っていたから。それなら契約違反にならないでしょ、『ビッグ』は青年誌なんだから(笑)。
鳥嶋氏:
でも騒ぎになってましたよ、集英社では。その時に、白井さんの名前がダーンと出てきましたから。
白井氏:
西村繁男さん【※】には睨まれてね(笑)。
※西村繁男
『週刊少年ジャンプ』創刊時より編集者として活躍し、同誌の第3代編集長に就任。その後も『フレッシュジャンプ』『スーパージャンプ』の2誌で、創刊編集長を務めた。集英社退社後は、『ジャンプ』編集部や漫画家に関する書籍を執筆している。
──僕みたいなウェブ出身の感覚だと、「用もないのに、作家先生のところまでどうやって会いに行くんだろう?」というのが、すごく興味深いのですが(笑)。
白井氏:
用も何も、「ウチで描いてください」って言い続けるだけだから(笑)。
相手が池上遼一さんだったら、「『サンデー』で渾身の新連載を用意していますので」って、そのことを言いに行くだけで。あとは奥さんにおみやげを持っていったり。やっぱり奥様は大事だよね。
──その時の雑談というのは、どういう話をしているんですか?
白井氏:
何をしてるんだろうなぁ。講談社よりも『少年サンデー』のほうがいいってことを、言い続けたんじゃないの(笑)。
──仕事の話はしているんですか?
白井氏:
少しはするけど、向こうは「また来たんですか」みたいな感じでさ。
鳥嶋氏:
僕は思うけど、知らないところへ行って「雑談をする」というのはすごく大変だよ。
プレゼントをいろいろ持っていって口実にするとはいえ、茶の間に上がってそれで奥さんと雑談できるって、相当だよ。そこまでで半分、堀が埋まってるよね。
白井氏:
絵描きさんでも画商は「奥さんから落とせ」って言うんですよ。台所を預かっている奥さんに嫌われたら、その絵描きさんとは絶対に取り引きができない。
だから、池上さんの奥さんもそこそこ強い人だし、それを味方につける、つけないは大きく違うし。
鳥嶋氏:
「あんなに来て熱心にやってらっしゃるんだから、そろそろ描いてあげたら」という一言がどこで出るか、みたいな(笑)。
白井氏:
本宮ひろ志さんで言うと、日曜日というのはわざとそうしているわけだから。平日はいくらでも時間はあるんだけど、日曜日をわざわざ使うってことが……
鳥嶋氏:
「サラリーマンとして犠牲を払っている」とアピールしたいわけね。いやらしい(笑)。
白井氏:
それから雨の日とか、風の日がいいんだよ。「こんな日に来てくれた」というね。春先の散歩がてら来たふうに思われたら、ダメなんだよ。そういう悪天候の時こそ、雪とかね。
鳥嶋氏:
台風とか。
白井氏:
それがいちばん価値があるというか。だから雑談するようになれば、だいたい半分はね。あとはどこで向こうが決断してくれるかという。
本宮さんなんかも察して、「じゃあ今日は仕事の話をしようか」って。それで『男樹』ってのが生まれたんですよね。
『のたり松太郎』で目の当たりにした、ちばてつや氏のこだわり
鳥嶋氏:
白井さんが『ビッグコミック』に移ったのはいつ頃なんですか?
白井氏:
『サンデー』には6〜7年いましたかねぇ。次に『ビッグコミック』に、副編集長で異動したのかな。
鳥嶋氏:
『ビッグコミック』本誌ですよね。『ビッグコミックオリジナル』はまだなかった?
白井氏:
本誌の副編集長。『オリジナル』も、もうできてましたけど。
『ビッグコミック』にはね、ちばてつやさんの『のたり松太郎』担当として行ったの。「ちばさんは副編が担当するんだ」ということで。
鳥嶋氏:
ちばさんを抜いたわけではない?
白井氏:
ちばさんは他の人が引っぱってきたから。
鳥嶋氏:
僕はちばさんも、白井さんが引き抜いたかと思ってましたよ。
白井氏:
そんなにいっぱい、人様のものばっかりさ(笑)。
話を3年ぐらい戻すと、池上遼一さんの『男組』が当たったことで、池上さんに対して申し訳が立つじゃないですか。向こうがやろうと思っていた企画をひとつ、潰しちゃったわけだから。あの絵だからね、週刊誌を1本やったら、彼は他の仕事はできないから。
そういうのもあって、コミックの面白さというのが少し、自分の血肉の中に入ってきて。「コミックというのも、そうまんざら捨てたもんじゃないな」という思いが少しずつ出てきた時に、「ちばてつやは代々、副編が担当するものだから」って、ちばてつや番として『ビッグコミック』に行ったの。
鳥嶋氏:
副編が担当するって、珍しいですよねぇ。ということは、実際は副編の仕事をしてないですよね? 肩書きだけで(笑)。
白井氏:
そうそう(笑)。あの時ちばさんは『のたり松太郎』と、何をやってたんだっけ? 『おれは鉄兵』だ。『マガジン』で『おれは鉄兵』をやって、『ビッグコミック』で『のたり松太郎』。
鳥嶋氏:
でもちばさんは、原稿が遅い人で有名じゃないですか。それがよく週刊誌以外でも描きましたよね。
白井氏:
「ちばてつやの“てつや”は夜通しの“徹夜”だ」って言われるぐらいで。
鳥嶋氏:
そうですよね、僕も聞いたことがあります。
白井氏:
誠実に仕事しているんだけど、遅い。
ちばさんのところには、1日3回ぐらい行きました。朝行って、日中見に行って、夜中行ったり、それから帰りがけにもう一回行ったり。
どのぐらい進んでいるか見ないとさ、落ちはしないんだけど、製版所のみんなが投げ出して帰る寸前に入るんですよ。
鳥嶋氏:
あぁ……。
白井氏:
で、僕は相撲なんて興味がなかったんだけど、輪島の部屋、花籠部屋に取材に、朝稽古を一緒に見に行ったり。
それから、のたりがキャバレーに行くというから、初めてキャバレーに行って。ちばさんも行ったことないのに。店内が突然暗くなっても、何していいか二人とも分からなくて(笑)。
鳥嶋氏:
白井さんもちばさんも、両方行ったことがない? それでキャバレーに初めて行ったんだ(笑)。良い話だなぁ。
白井氏:
それでとにかく『のたり』を懸命にやってね。僕がいちばんビックリしたのは、清刷り(きよずり)をちばさんに届けたら、電話がすぐにかかってきたんですよ。
鳥嶋氏:
清刷りというのはね、本になる前の刷りなんですよ。刷り上がりの最初のところ。
白井氏:
まだかろうじて訂正できる。
鳥嶋氏:
輪転機が一部、回ってますけどね。
白井氏:
そう。最終で、製版がようやく終わってギリギリで入れてさ。そうしたら電話がかかってきたので、何が起こったのかと思ったら、田中君という……
鳥嶋氏:
松太郎の相手ですね。
白井氏:
そう、松太郎の相手の副主人公が、土俵の上で「はぁ、はぁ」と息をついているんだけど、その「はぁ」がちょっと足りないから、もうひとつ追加できないかって言われて。
鳥嶋氏:
「はぁ」を1個だけ、そこで訂正してくれと!
白井氏:
そう、もうひとつ増やしてもらえないかとね。それを聞いた時、僕は逆上して、おそらく電話機を黙って押したと思う(笑)。
鳥嶋氏:
ムチャだなぁ、間違いじゃないですもんね。
白井氏:
読み直してみて、もう1個「はぁ」が欲しいというかね。
『ゴルゴ13』のネームを切る【※】時は、セリフが多いから面積が広くて、原稿に貼るのがラクなの。でも「はぁ」というのはさ、12級とか14級とかの小さい文字で、しかも2文字だけを切り取らなきゃいけないから、手間を食うわで……。
※ネームを切る
アナログ時代の漫画編集作業においては、フキダシに入るセリフ(ネーム)を「写植(写真植字)」と呼ばれる活字で印画紙に出力し、その印画紙を切り抜いて漫画原稿に貼り付けるという作業が行われていた。ちなみに、写植の文字の大きさは「○○級」という単位で表されており、数字が小さいほど文字のサイズは小さくなる。
鳥嶋氏:
漫画の写植は、普通は18級とかそれぐらいの大きさが普通なんですよ。だから、いかに小さいか。
白井氏:
12級というのは、本当に小さい字で。それは描き文字にしてもらいたいんだけど。
鳥嶋氏:
そうですよね。「はぁ、はぁ」ですもんね、たしかに。
白井氏:
ようやく終わったと思ったら、「それをもうひとつ追加できないか」というのはスゴイなぁと思って。この人の考えていることは。
鳥嶋氏:
ちばさんは、こだわりの人ですよね。
白井氏:
そう。スゴイよ、やっぱり。
白井氏が創刊編集長の『ビッグコミックスピリッツ』で、『美味しんぼ』が誕生
白井氏:
そうやって『ビッグコミック』の副編の仕事をしていたら、「『ビッグコミック』と『サンデー』の間、もうちょっと中間ぐらいの本を出してみないか」って言われて。
鳥嶋氏:
会社のほうから?
白井氏:
そういう流れになってきて。
鳥嶋氏:
もう『ヤングジャンプ』や『ヤングマガジン』は創刊された後ですか?
白井氏:
後だと思う【※】。それで『ビッグコミックスピリッツ』ができたんだけど、最初は月刊でスタートしたのよ。
※後だと思う
『ヤングジャンプ』が1979年5月創刊、『ヤングマガジン』が1980年6月創刊、『スピリッツ』が1980年10月創刊)。
鳥嶋氏:
どういうコンセプトで?
白井氏:
コンセプトは「人気に左右されない」という、『ジャンプ』に対する……
鳥嶋氏:
アンチ(笑)。
白井氏:
『ジャンプ』の読者アンケート至上主義にね、「ちょっと挑戦してやろう」って気持ちがあった。
鳥嶋氏:
ああいうダサいやり方じゃなくて、もっとスマートにやりたいと(笑)。
白井氏:
いやいやいや(笑)。もっと屈折しているというか、宮谷一彦【※】とか、もう忘れられているみたいな作家を探してきて。
※宮谷一彦
1967年に漫画家デビュー。1960年代後半から1970年代にかけて、『ライク ア ローリング ストーン』『性蝕記』『肉弾時代』など、政治色の強い作品や私小説的な作品を緻密な筆致で描きだして、劇画ファンから熱狂的な支持を集めた。
月刊誌で10号出しましたかね、ぜんぜん売れないし、もう月刊なんてスタイルは無理なんだと。それで月2回刊にしたら、少しずつ部数が動き出して。
雁屋哲さんと『男組』の縁で、何かやろうって話になったんだけど、なかなか決まらなくて。彼のあれやりたい、これやりたいってものはピンと来なくて。
それで雁屋さんが「前に書いたんだけど、こういうのはどうかな」と持ってきたものが『美味しんぼ』。その時はまだ、『美味しんぼ』というタイトルはついていなかったけど。
当時は、食べ物が少しずつブームになってきていて。『美味しんぼ』の第1回目が「豆腐と水」だったんですよ。あれで上手くいったんだね。あれが「トリュフとキャビア」なんてやってたら、上手くいかなかった。
鳥嶋氏:
『ジャンプ』の『包丁人味平』が、カレーとラーメンだったように。
白井氏:
そうそう。やっぱり鉄則なんだよね。そういう定番を外してね、とんでもない料理をやったりすると、上手くいかない。
『美味しんぼ』の作画は花咲アキラさんという、『ビッグ』の新人賞の佳作を獲った人なんだけど、連載はまるっきり処女作で。
雁屋さんの漫画というのはセリフが非常に多いんですよ。だから漫画家に構成能力がないと、どこを切ってどれを取るか分からない。『美味しんぼ』の第1話で、原作は原稿用紙30枚か、40枚ぐらいあるんです。
鳥嶋氏:
原作の1枚はだいたい、漫画の2ページですから。ということは、そのまま描いたら60ページ!
白井氏:
そう、60ページ。
鳥嶋氏:
武論尊さんを最初に担当した時に言われました。「鳥嶋君、この1枚がだいたい2ページだから」って。
白井氏:
亡くなった小池一夫さんは、原稿用紙1枚が漫画の1ページなんだよね。
鳥嶋氏:
プロですね。おおよそどうなるかが、頭の中にある。
白井氏:
頭の中にあって書けば、12枚から20枚に収まるということがピシッと分かっている。そういうプロと、思いの丈を書く人と2通りあって。梶原一騎さんは小説形式でしょ。雁屋さんも小説形式。
それでね、『美味しんぼ』みたいに理屈っぽい作品は、池上遼一さんみたいな絵で巧く描くと、それだけで嫌になっちゃうわけ。
鳥嶋氏:
あぁ、ビッシリと文字が入っていて、さらに絵も細かいと、たしかに重いですよね。
白井氏:
そう。さいとう・たかをさんみたいな絵が入っていたら、セリフの量と絵の巧さで双方が潰し合うというので。だから『美味しんぼ』には、花咲さんの絵のほうが相性が良かった。
鳥嶋氏:
バランスが良かったんですね、やってみたら。
白井氏:
いわゆる漫画ですからね。まぁ雁屋さんとしては、新人じゃなくてもうちょっと中堅どころにしてほしかったのかもしれないけどね、本当は。
鳥嶋氏:
白井さんだから言えなかったんでしょうね。
白井氏:
そこは目をつぶってくれて、「この人に賭けてみようと思います」と。それで『美味しんぼ』が生まれたの。