編集者は、作家に対してあまり嘘をつかないほうがいい
──白井さんから見て、優秀な編集者とはどういう人間ですか?
白井氏:
また難しい質問をするねぇ。
作家に対して、あんまり嘘はつかないほうがいいよね。問いかけられたことに対してさ、ごまかさないで、きちんと正面から向き合って、嘘はつかないという。それは原稿にしてもそうだし、いろんなことに知ったかぶりで答えると、後からその人が恥をかくから。
手塚治虫先生なんかも、何の質問が飛んでくるか分からないから、緊張感がありましたよね。夜中に、仮眠している時に起こされて質問されたりすると、ムカッとするんだけど(笑)。
それから、心がタフなことだよね。作家の一言一言に過剰に反応したり、落ち込んだりするんじゃなくて、作家のパワーをさらに倍する力で受けとめるぐらいの深さを持っていないと。
鳥嶋氏:
それは分かる気がする。いちいち言われたことに腹を立てていたら務まらない。
白井氏:
務まらないよね。
鳥嶋氏:
でも、作家に対して「嘘をつかない」というのは、難しいことなんですよ。締切のこととか、連載終了のこととか、漫画の反響のこととかね。
そのまんま答えるとマズイけど、嘘を言ったらその嘘に尾ひれが付くというか、嘘をつき続けないといけなくなる。そんなことはいつか、辻褄が合わなくなるから。
だって回り回って、他の仕事場から違う情報がいったら、その人とは信頼関係が終わりだから。けっこう一瞬一瞬、そこは勝負ですよね。
白井氏:
うん。何気ない質問を振ってくるからね。「◯◯さんはどうしてるんですか?」とかね。他の漫画に関しても。
鳥嶋氏:
それはたしかにね。言われてみれば「嘘をつかない」ってけっこう大変ですよね。
白井氏:
嘘をつくなら、つきとおさなきゃいけない。嘘を突き通すのも大事だし、耐えて受けとめることをしないと、やっぱり編集者は難しいよ。
それから、さまざまなものに興味を持つことだね。流行の、今当たってる映画は、たとえ嫌いでも見ないと。映画評を見て、見たような顔をして感想を言っていても、すぐバレるわけだから。
鳥嶋氏:
バレますね。
白井氏:
その場に行くってことがすごく大事だね。
自分自身については、今日明日のことしか考えない
白井氏:
自分は今年79歳でしょ。この歳まで長くできるとは思わなかったね。小学館に入って、30代でメチャクチャな生活をしていた時にはね、いいとこ60歳か65歳で天に召されると思ってた。
鳥嶋氏:
先輩はバタバタ亡くなってますよ。
白井氏:
そうだよ。講談社のコミック編集者って、定年後にすぐ亡くなる方が多いよね。
鳥嶋氏:
集英社でもだいたい75〜76歳でバタバタ亡くなりますよ。
白井氏:
僕なんか別に養生しているわけじゃなかったから。週刊誌だったし、「還暦を超すのは難儀だろうなぁ」ぐらいの生活でしたよね。鳥嶋さんもそうだと思いますけど。
鳥嶋氏:
白井さん、ストレスを溜めずに仕事をするコツは何なんですか?
白井氏:
それはね、今日明日ぐらいのことしか考えないことだよ。
鳥嶋氏:
さっきの刑務所の話と一緒ですね。
白井氏:
そう。先がどうなるだとか、地震が来るだとかどうたらこうたら考えたって、しょうがないことじゃない。
どうせみんないつかは死ぬんだから、今日明日ぐらいは美味いもの食って元気にさ、笑いながら過ごすほうがいいと(笑)。その積み重ねで1年間が成り立っていくって感じだね。
鳥嶋氏:
それがストレスを溜めないコツ?
白井氏:
それから人を恨まない。
鳥嶋氏:
恨まない!?
白井氏:
あんまり心の中の仇を作らない。
鳥嶋氏:
そこは僕と違うなぁ(笑)。僕は怒りをずっと覚えていて、それをバネにするんです。
白井氏:
僕はそれは忘れる。
鳥嶋氏:
偉いなぁ。1ランク上だな、それは(笑)。
白井氏:
忘れるのがいいんだよ。それを覚えていると、ややこしくなるから。
鳥嶋氏:
たしかに。囚われちゃいますからね。
江口寿史氏の『パパリンコ物語』だけは、なんとか完結させたい
白井氏:
あっ、思い出した。1本だけ、今でもやりたいものがあった。江口寿史の『パパリンコ物語』。『スピリッツ』で連載していた『パパリンコ物語』が、9回分あるんだよ。
鳥嶋氏:
それはペン入れされてない?
白井氏:
掲載されているヤツが9回あって。
鳥嶋氏:
1回何ページ?
白井氏:
18ページぐらいかな。
鳥嶋氏:
それが9回……単行本1冊には足りないですね。
白井氏:
だから「『パパリンコ』だけはもう一回完成させろ」って、ずっとくっついてやろうかと思ってさ。
鳥嶋氏:
諦めたほうがいいですって。それは白井さんが不死身でも無理ですよ。
僕は江口さんをよく知っているんですよ。『すすめ!!パイレーツ』がバツグンに面白くて。あの漫画を見て、「『ジャンプ』も捨てたもんじゃないな」と思ったんです。
白井氏:
あれは天才だよ。
鳥嶋氏:
ただ良くなかったのは、少女漫画を読み始めて、絵柄を変えようとした時から、白いワニに噛まれちゃって。
白井氏:
彼は原稿を落としても平気だから。集英社の原稿を落としておいてさ、集英社の目の前にある焼肉屋で宴会をしているんだから(笑)。
鳥嶋氏:
あの当時、江口さんの担当が自分の後輩だったから知っているんですけど、西荻窪の喫茶店を一軒ずつ、しらみつぶしに回るところから始めるんですよね。
白井氏:
そうそう。
鳥嶋氏:
どこかにはいるわけ。どこにいるかは分かんない。そうするとそれだけで半日潰れる(笑)。
白井氏:
横山光輝さんの『地球ナンバーV-7』を担当した時も大変だった。光輝さんは食事の時に、仕事場とは別の部屋に行くんですよ。「食事に行ってくる」と部屋を出て、しばらくしたらタクシーのドアが閉まる「バタン!」って音がしたから、「あぁ、やられた!」と思ってさ。
それであの人は新宿に6軒ぐらい、行きつけの店があるわけ。その6軒を今の喫茶店と同じように、1軒ずつ見てさ。それで引き戻してきて、描いてもらって(笑)。
鳥嶋氏:
分かりますよ。僕も梶原一騎さんの弟の真樹日佐夫さんが原作の漫画を、最初に「やれ」って言われた時は、本当にイヤだったですもん。先生がどこにいるかを探すところから始めるなんてね、「こんなことをやるために会社に入ったんじゃないのに」って思いながらやってましたね。
白井氏:
それにしても、江口さんのエピソードは面白いよね。サングラスに写る風景を何か描こうと思って、写真集を見ていたら、一週間経っちゃう。ここに反映される風景に何を描こうかなと、いろんなものを見ているうちに、あっという間に締切が来ちゃうという。
そこまでいくと一種の病気だよね。でも才能はあるよね、江口さんは。
鳥嶋氏:
一時代を作った人だから。
白井氏:
フリー編集の人たちに、「『パパリンコ』の続きの原稿を取ってきたら、インセンティブを出すから」って言ってみようかな。賞金稼ぎじゃないけど。
鳥嶋氏:
あぁ、西部劇の「WANTED」(指名手配)のように。
白井氏:
そう。江口寿史の原稿を持ってきたら、金は惜しまないって(笑)。
鳥嶋氏:
ちょっとヒマになったら試してみようかな(笑)。でも、そういう悔しさだとか「原稿を取りたい」という思いが、白井さんの中にまだあるんですね。
白井氏:
それはある。面白かったし、とても良い作品だったから。
鳥嶋氏:
白井さんのその執念と欲が素敵だな。でもね、気持ちは分かるけど、『パパリンコ』は無理だと思う(笑)。
白井氏:
一緒に会ってくれよ、3人で(笑)。飯を食おう。
鳥嶋氏:
飯を食うくらいで付き合うのは良いですよ。「描いてやれ」ぐらいは言えるけど、でも集英社ではもう無理だから。
……そう、最後は『スピリッツ』なんですよね。集英社では扱いきれなかったの。「小学館がよく手を出すよなぁ、止めればいいのに」って思ったのを覚えてます。