「自分の作りたいゲームを自由に作る(なおかつ、できればゲーム作りだけで食っていきたい!)」
──これは多くのゲームクリエイターにとって、永遠の夢だろう。
自由に作ると、お金がない。お金はあるけど、自由に作れない。
独立して個人で作るにしても、ゲーム会社に入って組織で作るにしても、結局のところは「自由」と「お金」の天秤に悩まされることになるのである。
しかしなんと、ここにその永遠の夢を叶えてしまった男がいる。
その名は、小林宏至。
100万本を売り上げた高難度2Dアクション『ENDER LILIES: Quietus of the Knights』の開発元・Binary Haze Interactiveの社長兼ゲームクリエイターだ。
旧ネバーランドカンパニーに在籍していた氏は、30歳のときに「作りたいゲームを自由に作れる組織づくりをしよう」と独立し、IT企業「アドグローブ」を設立した。
「ゲーム作りのための回り道」として設立されたにもかかわらず、同社は順調に業績を伸ばし、10年後にはなんと社員500人を抱える大企業に成長してしまった。そんなにうまくいくことある……?
とにもかくにも、そうしてあまりに壮大な回り道を経て、小林氏は十分な資金力と企業としての強靭な足腰を獲得した。そこで満を持して「自分の作りたいゲームを作る」会社として立ち上げたのが、Binary Haze Interactiveだったのである。
そうした背景ゆえ、同社はインディーデベロッパーでありながら、100%自己資金に加えて、最初から自社パブリッシングを実現している。しかも、現在未発表のオリジナルタイトルを“5本同時に開発中”だという。
この男、明らかにただ者ではない──!
そう感じた電ファミ編集部は、小林氏にインタビューを実施。
本稿では、そんな小林氏の来歴やクリエイティブへの考え方、経営者兼クリエイターとしての仕事の仕方など、さまざまな気になるポイントをお聞きした。言葉の端々から読み取れる、小林氏の「したたかさ」を感じ取っていただければ幸いだ。
※本稿の取材は2023年3月に実施されたものです。
「コンテンツで勝てる」という確信で踏み切り、100万本を達成した『エンダーリリーズ』
──まずは『ENDER LILIES: Quietus of the Knights』(以下、エンダーリリーズ)の100万本突破、おめでとうございます。
小林氏:
ありがとうございます(笑)。少し時間はかかりましたけどね。
自社パブリッシュだったので「海外にパッケージ版を流通させる」のは難しい体験でした。いろいろな勉強になりましたね。海外版はアメリカのLimited Run Gamesさんと提携して出したんですが、国内版はほぼすべて自社パブリッシュで、流通だけお任せするという感じでした。
──地域的な内訳はどのような感じだったんでしょうか。
小林氏:
30万本くらいが国内で、それ以外が海外。一番売れたのは北米です。順位的に言えば北米・中国・日本がTOP3になりますね。デザイン的には日本っぽいので、アジア圏はともかく、北米は少し意外な感じはしました。
──パッケージ版とダウンロード版の売り上げの割合みたいなものってどうでしたか。
小林氏:
約90%くらいがダウンロード版です。ダウンロード版が先行していて、パッケージ版が後からだったというのもあるんですが、価格がもともと安いのもあって。パッケージ版は製造費を考えると、どうしても価格を上げざるを得なかったんです。
──そうした事情もあるなか、あえてパッケージ版を出す意図はどういったものだったのでしょうか。
小林氏:
“ロマン”ですかね。やっぱり、「箱」で欲しくなっちゃうんですよ(笑)。他社さんの話を聞いていても、やはりダウンロード版の売り上げの割合が大きいというのは伺いますけど、それでも同時発売であれば、半数弱くらいはパッケージ版になると。
これからのことも考えると「パッケージは一度作っておかないと勝手が分からないよね」という事情もありまして。『Redemption Reapers』でも同時発売はできなかったんですけど、今後のタイトルではパッケージ版・DL版同時発売でやっていきたいなと考えています。
──『エンダーリリーズ』では、小林さんはプロデューサーをやられていたんですよね。
小林氏:
そうですね。もともと、『エンダーリリーズ』は企画を募集した時に、ディレクターの岡部くんが持ってきてくれたものが原型だったんです。そこで「これ、こういうゲーム画面にしたら行けるんじゃない?」と話したところからプロジェクトが始まって。
ただ予算があまり掛けられないのは分かっていたので、3Dに比べれば比較的低コストの2Dで見栄えを良くしようと。ゲーム性は、元ネバーランドカンパニーのスタッフが開発してくれるので大丈夫だろうと。
ただ、ゲーム画面などのイメージは伝えたんですが、それが実際に出来上がってきた時になかなかクオリティが上がらなくてですね……。今の皆さんが知っている画面になるまでは、僕もかなり関わっていました。
「そこさえ出来上がってしまえば、後は大丈夫」と思っていたので、その後は当時は経営の仕事も忙しかったので、定期的にチェックして……というような感じです。プロデューサーという肩書でいいとは思うんですが、少しクリエイティブ側に寄っているかとは思います。
──僕も業界に長くいますからわかるんですけど、「ひと目見て面白そうな企画書」ってなかなかないと思うんです。小林さんが今回、『エンダーリリーズ』の企画書を見たとき、何をもって「行けそう」と判断されたのでしょうか。
小林氏:
そうですね。『エンダーリリーズ』を例にすると、あの企画書を見ても他社では通らないと思います。「こんな暗くて地味で、売れると思ってるのか」みたいな(笑)。
ただ、僕はその企画書を読んだとき、ゲームの映像が浮かんで「これはイケるな」と思ったんです。「こういうイメージなら、一定のお客さんにも刺さるだろうな」という確信めいたものがありました。
──「この層には刺さるだろうな」というようなマーケットのイメージが浮かび上がったんでしょうか?
小林氏:
むしろ逆ですね。マーケットというよりも、仕上がりのクリエイティブなイメージから「これはコンテンツの力で勝てるぞ」と思いました。
──企画書の時点で、あの完成形がイメージできていたというのはすごいですね。実際、インディーゲーム界隈で2Dメトロイドヴァニアは人気ジャンルでもありますし、そういうところから入ったのかと思っていました。
小林氏:
まず「世界観と雰囲気で、どのようなものを提供できそうか」という観点を一番重視しているんです。今でもスタートは「ジャンルとしてどのような体験を提供するか」よりも、「総合してどのような体験を提供するか」という点を大事にしています。
だから実際、僕も企画書を見た段階では「メトロイドヴァニア」というジャンルを知らなかったんですよ。作り始めてから知って、その後Steamでカテゴライズされて、「あ、やっぱりそうなんだ」みたいな(笑)。
「作りたいものを作れる組織づくりをしよう」と独立した結果、社員500人を抱える大企業に
──ちょっと不思議に感じているのが小林さんの経歴なんです。小林さんが経営されているアドグローブ【※】はIT企業のイメージが強くて。それなのに、今回いきなり「Binary Haze Interactive」という子会社を立ち上げて、創業者の小林さん自ら取り仕切って100万本のゲームを作り上げたと。
そこでまず、小林さんがゲーム業界への関わりから教えていただけますか。
※アドグローブ
2010年設立、小林氏が代表取締役を務めるゲーム会社。Binary Haze Interactiveはアドグローブの100%子会社として2020年に設立された。
小林氏:
僕はネバーランドカンパニー【※】からゲーム業界に入りました。
その前はアルバイトをしながらイラストレーターの真似事みたいなのをしてお金を稼いでたんです。ただ、当時のイラストの仕事って当時は雑誌系しかなくて、取るのも大変だし、単価も安いしで食べていけないなと。
そこから就職活動をして入ったのがネバーランドカンパニーだったんです。
※ネバーランドカンパニー
1993年設立、2013年に事業停止したゲーム会社。『エストポリス伝記』や『ルーンファクトリー』シリーズなどの開発に携わっていた。
──ネバーランドカンパニーではどういうお仕事をされていたのでしょうか。
小林氏:
ネバーでは2Dイラストレーターとかコンセプトアーティストをやっていました。ただ、僕が働いていたころって、ちょうど家庭用ゲームが景気的にすごく厳しい時だったんですよ。
具体的には、ちょうど『PlayStation 2』終盤の頃ですね。『PlayStation Portable』ソフトのローンチもやっていたんですけど、サラリーマンという立場では自分が作りたいものは作れないですし、いつかは起業したいなという思いがありました。
ただ、業界全体としても厳しい環境になっているということもあって、一度ゲーム業界から離れようと。その後、いくつかのベンチャーを経験して、アドグローブを設立したんです。
最終的な目標としては、ゲームももちろんですけど、ゲームに限らず「コンテンツを作りたい」という思いがあったんです。でも、会社を作る以上はやっぱり食べていかなきゃいけないじゃないですか。ただ、ゲーム業界でそれをやるのは難しいのも分かっていました。
IT系の業界も経験していたので、仕事として取りやすいのはそっちだったんです。そこを下地にしながら、「自分たちが作りたいものを作れる組織作りをしよう」という覚悟で会社を作ったんです。
──なるほど。ネバーランドカンパニーを退職されたのが25〜26歳とか、それくらいですか?
小林氏:
そうですね。ネバーランドカンパニーにいたのが3年くらいで、アドグローブを立ち上げたのが30の時だったので。4年間くらい、別業界にいたという感じです。
──アドグローブの最初のお仕事はどうやって取ってきたんでしょう。
小林氏:
営業も頑張っていましたけど、それはやっぱり働いてた時の繋がりでしたね。それこそ、最初は美容院のホームページを作ったりしていました。
ちょうどその頃、ソーシャルゲームが盛り上がってきた時期だったので、イラスト系の仕事もあったんですよ。なので経営者としての仕事をしつつ、イラストレーターの仕事もして会社を回していました。
──その頃から「オリジナルゲームを作る下準備」みたいな意識はあったんですか。
小林氏:
それはもちろんありました。会社を作った時からの長期計画というか。
とはいえ、自分はやっぱりソーシャルゲームの勘所がなかったので、基本的に開発は現場に任せていました。なので、ずっと自分は「いつかコンソールで戦ってやる」と思っていましたね。
──アドグローブがゲーム会社としてではなくIT企業として大きくなっていって、ある時、傍から見れば突然、ゲームに特化した子会社(Binary Haze Interactive)を作ることになったわけですよね。
しかも社長がいきなり降りてきて、前線に立ち始めるという(笑)。社員の方々の反応はどうでしたか。
小林氏:
もともと社員たちは僕のルーツや「オリジナルのタイトルを作りたい」という野望も知っていたので、むしろ「やっとか」くらいの感触でした(笑)。
経営者としては完全に間違っているんですけど、僕はやっぱり自分で作業をしたいタイプなんですよ。
今ではアドグローブは連結子会社を含めて500名くらいの社員がいますが、その内の約半数がゲーム開発をしているという状況ですね。その約250名で受託のお仕事もやりますし、新規タイトルも5本制作しています。
──500名!それはすごいですね。オリジナルタイトル5本の資金はすべて自己資金ですか?
小林氏:
そうです。『エンダーリリーズ』の利益を全部投資している感じです(笑)。
──それもすごい……。いまのご時世、新興のゲーム会社で、5ラインすべて自己パブリッシュというのもなかなか珍しいと思います。
開発メンバーはどのように集めているのでしょうか。
小林氏:
アドグローブを含めてグループ会社が7社くらいあるんですが、その内の4社がゲーム系の会社なんです。そこからメンバーを選んで、開発チームを毎回組んでいます。
──そのチーミングも小林さんが自ら行っているんでしょうか?
小林氏:
はい。『Redemption Reapers』の終盤の作りこみの時もそうだったんですけど、どうしても人員が足りなくなるときには、他のラインを一旦止めて、手伝ってもらうというようなこともあります。
──いわゆる「インディーゲーム」の作り方ではないですね(笑)。なんというか、最初から足腰がしっかりしているというか……。
小林氏:
なので、ネットの評判を見ていても「1本ずつしかゲームを作れない会社」と思われている方が結構いらっしゃるみたいで。
──5本同時開発してる会社だとは、誰も思っていないはずです。
小林氏:
Binary Haze Interactiveは5本同時に開発しています。ぜひ、これは声を大にして言わせてください(笑)。