ゲーム業界の人間とお酒を飲みながら、居酒屋のノリでぶっちゃけ話を聞き出す新企画『ゲーム人生酒場』。先日、動画版を公開して多くの反響を頂いた本企画だが、「テキストで読みたい!」という声を多数頂いた。
本稿では、動画の全編と後編をまとめた一本の記事として公開。いつもの(?)の電ファミのインタビュー形式で読みたいという人は、ぜひ目を通してみてほしい。
「ゲーム人生酒場」の初回は、1981年に創業し現在に至るまで英雄伝説『軌跡』シリーズや『イース』などの名作を世に送り続けているゲーム開発会社「日本ファルコム」の社長・近藤季洋氏にお酒を飲ませ、「ぶっちゃけ本音トーク」を聞きだしていく。
聞き手/喜多山 浪漫、TAITAI
「お前に社長ができる訳がない」からスタート
喜多山 浪漫氏(以下、喜多山氏):
お疲れさまです。
今回は第一回なので、この体が正しいのかどうかあまり分かっていない挑戦的な企画となっております。基本的には、飲み会だと思ってください。
ざっくばらんに喋っていただいて構いません。
近藤 季洋氏(以下、近藤氏):
本当に?(笑)
喜多山氏:
そういう雰囲気から出てくる他にはないような内容のお話ができると思っています。
近藤氏:
はい、わかりました。
喜多山氏:
では、趣旨はお話ししたところで質問に移ります。
近藤さんが若くして社長に抜擢された時のことですが、日本ファルコムといえばPC黎明期からの老舗メーカーじゃないですか。
どういうふうに社長になる話が回ってきて、それにどう答えたのか伺わせてください。
近藤氏:
僕が代表に選ばれたのって32歳の時なんです。若い時ですよね。
もともと、前の社長が2代目だったのですが、大病を患い代表の方の座をおりないといけない状況になりました。
僕はその年に取締役になったばかりだったので蚊帳の外というか、「自分には関係ないことだろうな」って思っていました。
当然、そのほかの上場した時から役員である方の誰かが引き受けるだろうと思っていましたが、役員の一人から「お願いできないか」と急に話が降ってきました。
喜多山氏:
日本ファルコム創業者の加藤会長からではなく?
近藤氏:
当時、加藤は代表権がありませんでした。株主ではありますけれども。
喜多山氏:
そうなんですね。
近藤氏:
「理由は何ですか」と聞いたんですけど、「バランスがいいからだ」という風に言われたんです。
僕が今までやってきた仕事として、開発の仕事に行きつく前にいろんな部署を経験してはいました。
ゲームを作るだけじゃなくて、マニュアルを作ったり、販売関係のこともやったり、パブリッシング的なところも担当したり、開発と販売の繋ぎ役もやっていました。
喜多山氏:
さまざまな部署を経験したことで、全体を見通せるようになったのですね。
近藤氏:
そうですね。
そういう中でお願いをされて、「やったほうがいいのかな」っていう気持ちはあったんです。
でも、不安のほうが大きかったんですよ「やれんのか?やれんの?」って……。
喜多山氏:
当時は、32歳ですからね。
近藤氏:
32歳ですよ!なんにもわからないんです。
本当にゲーム作りしかやっていなくて、名刺をどういう方向で相手に渡すかもわからないのに、社長を引き受けていいのかと(笑)
喜多山氏:
それ、新卒の時にやるやつですよ(笑)
近藤氏:
そうそう。だから、「社長をやれ」って言われた後に新卒が買うようなHow to本を買ってきて、「そっか、コートは建物の外で脱ぐんだ」とか。そこからだったんですよね。
喜多山氏:
そうなんですね。
TAITAI:
その時の会社の空気感は、どのように感じられましたか?
近藤氏:
会社も全体が戸惑ってるのがよくわかりました。「え?近藤が?」みたいな。
役員は当然、僕より全員その時点では年上です。社員もほぼほぼ、先輩たちはみんな年上なので、「お前に社長ができるわけない」って直接言ってくる社員もいた(笑)
一同:
(笑)
近藤氏:
でも、それはその通りなんですよ。
僕もそう思ってましたし、一瞬は腹も立ったんですけど、冷静に考えてみると「そりゃ不安だよね」と思い直しました。
折しも、その時はPCパッケージの販売が難しい状況で、ずっとPC向けにソフトを開発してきた日本ファルコムがいよいよコンソール機、コンシューマ機に舵を切らないといけないタイミングでした。
でも、社長は32歳の若造ですから、社員が不安になるのは当たり前ですよね。
年配の先輩からも「骨を埋める覚悟で来てますけれど大丈夫でしょうか」と昇給面談の時に直接言われました。
良い物を作るだけでは売れないことを痛感
近藤氏:
PSPとかのタイトルをちょうど供給し始めた頃だったんですけど、1本目2本目…最初は『空の軌跡』が本当に売れなくってですね……。
本当に不安な中で、「もうとにかくやるしかない」っていう状況で一生懸命やっていた記憶はあります。
開発の頃はゲームを作るだけで売ったことがないので、売りにいかないといけない。
そこで、流通の大手さんのところに行ってゲームのプレゼンを行なっていました。
今までのファルコムはPCソフトとしての実績がありますので、その数字をもとにネゴシエーションをさせていただくんですけど、「社長、PCパッケージってもう終わりですよ」って直接言われたんですよね。それがすごくショックでした。
喜多山氏:
それがきっかけでPSPに参入したみたいなところもある?
近藤氏:
それもきっかけの一つです。でも、同時に創業者の加藤と話をした時に「ウチだけがいつまでも無事だとお前思うなよ」って言われたんですよね。
ファルコムって社員全体がいつまでもPCでゲームを作っていていいっていう雰囲気で、「うちは聖域だから」みたいな甘えがあったんですよ。
喜多山氏:
その雰囲気を感じた加藤会長は「このままじゃまずい」という風に思われていた?
近藤氏:
思われていたと感じています。でも、当時の僕はその辺の感覚がピンときていませんでした。
その時に僕がリリースしたタイトルは『ツヴァイII』っていうタイトルだったんですけれど、これがファルコムの歴代のゲームソフトの中で最低の記録を更新したんです。
TAITAI:
でも、ゲームの出来自体はすごく良い印象を受けました。
近藤氏:
ゲームは良かったんですね。それだけにショックだったんです。
作り手としては、「いいゲームを作ればなんとかなるんじゃないか」と思っていたのが、そうではないと実感しました。
TAITAI:
その時の加藤会長の発言で、「これが一番悲しいことだった【※】」と仰っていたことを覚えています。
※「ずっとパソコン用ゲームを作るものだ」と思ってファルコムに入社した近藤氏は、最後のパソコンパッケージとなった『ツヴァイ2【※】』の販売本数を見た加藤会長に「ワースト記録を更新したぞ」と言われてショックを受けたことがある。
※『ツヴァイ2』2008年9月に発売されたWindows用アクションRPG。浮遊する魔法大陸の「イルバード」を舞台に、トレジャーハンターであるラグナが少女アルウェンと出会うところから物語が始まる。
近藤氏:
そうなんです!よく覚えていらっしゃいますね(笑)
いいゲームを作ったのに売れないっていうのが一番悲しいし、その次に悲しいのは「良いゲームだと思ってないのに売れちゃった」ことだと、加藤は言ってました。
喜多山氏:
実体験としてもそのような経験をお持ちなんでしょうね。
今、加藤会長の話が出たので、加藤会長のお話を聞きたいんですけども、おそらく創業者の加藤会長の影響というのは少なくなからずあると思っていて、近藤社長と意見がぶつかることはありませんか?
近藤氏:
あまりないですね。
喜多山氏:
本当かなぁ?(笑)